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公僕心 お名前 玉井彰 2001/10/01(月) 21:53:37 [No 61]

昨今の官僚達の不祥事を見ると、何のために公務員になったのだろうかと首を傾げざるを得ません。官僚達は、天下り等により生涯所得での見返りが期待できれば清廉潔白にやれるが、その保証が無くなれば腐敗するという意見もあります。構造改革が本当に実現すれば、役人の現世的利益の大半は消滅します。現役時代に権限を現金化する動き(収賄的行為)がこれまで以上に活発になるとの予測に繋がります。その歯止めは、「公僕心」に尽きるのではないでしょうか。政治、行政に携わる者の原点が公僕心です。権力という麻薬によって心を病むか否かは、公僕心を維持できるかどうかに掛かっています。



さもしい合併 お名前 玉井彰 2001/10/03(水) 08:00:04 [No 62]

合併に向けての動きが各地で見られます。税収の落ち込み、交付税削減等により自治体経営は厳しさを増しています。平成17年3月の「締め切り」に間に合えば各種の恩典が付くことを目当てに、合併への流れが加速することも考えられます。公共事業の大幅落ち込みにより建設業界は塗炭の苦しみを味わいつつあります。国の大盤振る舞いによる「合併特需」への期待感も出てくるでしょう。しかし、地域ビジョン無き合併へ走ることは、整合性のない公共事業をもたらすだけであり、却って財政に悪影響を与え、大きな禍根を残すことになるでしょう。「飢え」を紛らわすだけの「さもしい合併」に走らないようにお願いしたいと思います。



「あってはならないこと」 お名前 玉井彰 2001/10/04(木) 11:28:47 [No 63]

狂牛病問題をはじめ、あってはならないことが頻繁に起こります。行政の危機管理能力に疑問を抱かざるを得ません。警察の不祥事に典型的に表れますが、役人の発想として、「あってはならないこと」は、想像しないようにしよう、見なかったことにしよう、無かったことにしよう、と考える傾向がインプットされており、その思考の枠組みから一歩も出られないのではないでしょうか。役人のDNAを焼き直さないと問題の本質的解決にはならないと思います。
「中央集権および上意下達からの決別」が一つの方法だと考えています。即ち、国民、住民の生活に直結した領域では、地方や各部局が自分の頭でものを考えて「答え」を見つけ出していく。その総和として国全体の方針が決まっていくというシステムに変更していくのです。各自が自分の頭で考え、「地頭(じあたま)」を強くすることで、様々な事態に対応できる行政システムを作り出す必要があります。「テストでの解答能力」の高い「人材」から「地頭」の良い人材へのシフト変更を伴う改革になります。



狂ってる 牛一頭に 病む日本 お名前 松山市 玉井 周平 2001/10/04(木) 17:54:45 [No 64]

 狂牛病問題にも現代日本の無責任、責任回避、過剰反応という体質が現れています。彰さんのおっしゃるように
(1).まず危機管理能力がこの国の官僚には有るのでしょうか?
(2).次に、雪印さんなどと同様、責任者の言ってる事がころころ変わり
そこにあるのは、責任を回避しようとする姿勢と、無能ぶり
(3).そして、マスコミ等による過剰反応、給食で牛肉を食べないなど本当に必要なことなのでしょうか
(4).最後に、冷静に情報を整理し問題を解決する事を望みたいと思います。 たった一頭の牛であまりにも大騒ぎする必要が?? その影で多くの関係者が泣いているのではないでしょうか



Re:狂ってる 牛一頭に 病む日本 お名前 玉井彰 2001/10/04(木) 20:33:27 [No 65]

 同感です。問題点を正確に見極めることが必要です。不必要に騒ぎ立て、その内、問題にもしなくなるという、いつものパターンはやめていただきたいと思います。
 そもそも、狂牛病問題がヨーロッパで起こったとき、農水省は「あってはならない事態」を想定してシミュレーションをしておくべきでした。薬害エイズ問題での厚生省も同様です。行政のスタンスが供給者保護に傾いており、生活者を念頭に置くことが少ないことが背景にあります。しかし、結果として、供給者すら守れない無様さを露呈しました。
 官僚は、組織内論理に埋没して羅針盤を喪失してしまい、ひいては、自分の頭で考えることが出来なくなり、無能化してしまっているのでしょう。それは無責任体制にも結びつくでしょう。官僚は有能であるという神話は、バブル崩壊とともに土地神話、終身雇用幻想もろとも吹き飛んでしまいました。官僚諸氏は、「地頭」を鍛え、組織の論理から解放されなければ、自己の商品価値を低下させるだけでなく、不毛の人生だったとの後悔をすることになるということを悟るべきです。



貧困な発想 お名前 玉井彰 2001/10/05(金) 22:19:50 [No 66]

市町村合併に賛成する立場に共通するのは、与えられたメニューの中からしか選べないと考える傾向です。○×問題ではないのに、何となくそんな風に考えてしまうのです。私は、合併を論ずるのと同等に分離も論じてみたいと考えています。昭和の合併がこなれていない地域も多数あります。分離と合併とを組み合わせる方法もあり得ます。ところが、分離については特例法のような細かい規定はありません。要するに、市町村をまとめればそれでよしとする中央の意図に添う形でしか地方のデザインは許されていないのです。親が買ってくれた服が合うか合わないかの議論しかないという主体性のない地方自治を引きずって何かが生まれることはないと思います。多分、賛成論者は言うでしょう。「お前は中央の権力の怖さを知らないんだ」と。反対論は権力にひねり潰される。ここに唯一のリアリティーがあります。



公務員の任期 お名前 玉井彰 2001/10/06(土) 20:32:49 [No 67]

公務員には任期を設けるべきだと思います。意味合いとしては、憲法80条1項に定められている裁判官の任期と同じで、再任を可とするものです。運用としては、大部分を再任し、基準に満たない者を排除することにすべきです。このことにより、公務員の規律を正し、公僕として全力投球をしてもらうようにすべきです。これと併行して公務員の待遇改善も図られるべきです。一生の内の限られた期間を公僕として献身的に社会貢献するのにふさわしい待遇を保証すべきです。待遇に見合う仕事はやってもらうという意味ですから、公務員諸氏にとっては厳しい話かも知れません。



議員の表彰 お名前 玉井彰 2001/10/07(日) 21:48:36 [No 68]

毎年6月議会では、議員への感謝状や表彰状の伝達が行われます。これは不要ではないかと思います。少なくとも、傍聴者がいる前で行わなくてもよいのではないかと思います。公僕たる議員にとって、自治体の繁栄こそが名誉であって、自分が何年勤めたか等ということはどうでもいいことではないでしょうか。勤続年数の長きをもって尊しとする必要もありません。むしろ、短い期間でどれだけ成果が上がったかを誇りにすべきでしょう。議会で議員表彰の廃止ないしは表彰伝達を公式な行事から外すことを提案したいと考えています。ただし、議員協議会で提案しなければならないので非公開の席上での話になります。議員協議会の公開も必要ですが・・・



ボランティア議員 お名前 玉井彰 2001/10/08(月) 21:40:55 [No 69]

地方議員をボランティアにすることを地方政治の改革として考えてよいでしょう。議員としての「うま味」を取り去ることにより、使命感を持った人材にチャンスを与えることが出来ます。経費が掛からない分定員は増やせます。自治に対する当事者意識を持つ人が増えることこそが自治能力の強化に繋がります。一方で、職業として議員を選択することもあってよいと思います。その場合には、現行の給与は少なすぎます。落選のリスクを負う以上それなりの待遇があって然るべきでしょう。ボランティア議員とプロの議員との組み合わせは面白いと思います。



ゆとり教育 お名前 玉井彰 2001/10/09(火) 21:31:37 [No 70]

文部省が推進するゆとり教育が日本の将来にどのような影響を与えるのかについては様々な見解があります。私は、インプットなければアウトプットなしだと思います。天才集団を預かったのなら本人達の自由に任せておいた方が伸び伸びと思考を巡らせ新たな発見をする機会が与えられることにもなるでしょうが、凡人にゆとりを与えてみても見るべき成果はないでしょう。
 これからの子供達に期待されるのは、「正解」を思い出すのではなく、同じ問題について様々なアプローチがあり得ることを体得し、様々な「正解」がありうることを学んでいくことだと思います。「正解は一つとは限らない」と発想を転換すれば、教育の可能性は開けるでしょう。



議員の多選禁止 お名前 玉井彰 2001/10/10(水) 22:11:11 [No 71]

「権腐十年」の語とともに首長の多選禁止が問題になることがあります。長きに渡って権力の座にあることは正に腐敗の原因となります。本人が誠実無比な人物であっても、周囲が奉ってしまうことにより大切な情報が届かなくなってくることもあり得ます。
 議員においても多選禁止をすべきであると考えます。期数を重ねることにより特権意識が生まれてくることにもなります。住民との意識に乖離が生じ、考え方が保守化し、時代の流れに対応できなくなることにもなるでしょう。可能な限り短い期数で勝負するんだという緊張感があればいい仕事が出来るのではないでしょうか。小選挙区で国会議員の固定化が進むことも弊害が大きいと思います。同一選挙区では5期を限度とするというのはどうでしょうか。



政務調査費 お名前 玉井彰 2001/10/11(木) 22:53:37 [No 72]

最近地方議会では政務調査費をどうするかが話題になっています。我が市でも議会運営委員会で議論されており、12月議会までに結論が出る予定です。私は委員ではないので詳しい話は聞いていません。しかし、領収書が必要だとの意見に対して難色を示す向きもあるようです。まさか飲み食いには使わないだろうと思うのですが、どうもはっきりしません。少なくとも、情報公開が必要であり、さらに言えば、勉強のために直接、間接必要な費用に限定すべきだと思います。具体的には、書籍代、研修会等への参加費用、交通費、宿泊費等です。食費は、委員会の視察研修の場合には含まれています。しかし、個人の研修の場合、不明朗に陥る可能性のある飲食費は政務調査費に含めないと考えるべきだと思います。



市町村の分割、分立 お名前 玉井彰 2001/10/12(金) 23:20:48 [No 73]

地方自治法第7条は、市町村の「廃置分合」、即ち、廃止、設置、分割、合併について規定しています。より具体的には、(1)一つの市町村を廃止して幾つかの自治体をつくる分割(A市→B市、C町、D村)(2)一つの市町村の一部を分けて新しく別の自治体をつくる分立(A市→A市、B町)(3)幾つかの市町村を廃止して新しく一つの市町村をつくる合体【(対等合併、新設合併)A市、B町、C村→D市】(4)ある市町村を廃止して他の市町村の区域にする編入【(吸収合併)A市、B町→A市】があります。言葉が難しいので分かりづらいのですが、市町村の形をどの様にするかについての規定です。しかし、市町村合併特例法により合併だけが市町村のデザインの変更であるかのような錯覚が蔓延しています。合併特例法だけが存在し、分割特例法等はないので、合併方向のみの自由しかない様な雰囲気がつくられています。これは一種の詐術であり、地方自治への冒涜(ぼうとく)だと思います。



ナンバープレートへの課金 お名前 玉井彰 2001/10/13(土) 21:12:23 [No 74]

SAPIO(10月24日号)で大前研一氏が道路公団を国営にしてナンバープレートへの課金により無料化するよう提言しています。大前氏は、特殊法人は民営化するのではなく廃止すべきであると主張します。そもそも、特殊法人は民営化に馴染まないから特殊法人なのだから、国家が戦略的に行うべき石油等の備蓄以外は廃止すべきだとします。小泉政権下で民営化が問題になっている道路公団については、これを廃止して国営にし、財源の一部を道路特定財源から捻出するとともに、5年間の時限立法で自動車のナンバープレートに課金を行うべきであるとします(自家用車は年1万円、タクシー・ハイヤーは年10万円、バス・トラックは年30万円)。これにより高速道路は無料化できるとのことです。これは優れたアイデアだと思います。課金相当額は高速道路を利用するであろうと思われますから、5年間辛抱すれば後は完全にタダになるのなら文句はありません。近時の議論の前提になっている国鉄の民営化が成功だという話にも問題がありそうです。精算事業団に債務を負わせて国民に付けを廻しただけだったことを多くの人は忘れています。



補助金 お名前 玉井彰 2001/10/14(日) 20:28:41 [No 75]

国、県の補助金をもらうために団体や市町村は相当な苦労を強いられます。補助金の要件を充たそうとすると、やりたくないことまでやらないと補助の対象からはずれるので、嫌々やることになります。無駄な話です。お金の無駄もありますし、人的資源の無駄遣いでもあります。市町村の職員に掛かる経費、県職員、国の職員に掛かる経費を考えると、純粋に必要な資金の何倍もの経費が掛かっているのではないでしょうか。その分を市町村に無条件でくれれば、職員の定数も削減でき、財政再建にも資するのではないでしょうか。もっとも、国が県を通して地方を支配するために補助金があるのだと理解した方が現実的なのでしょう。



議場のあり方 お名前 玉井彰 2001/10/15(月) 17:35:55 [No 76]

通常、議員の一般質問や代表質問は理事者の方を向かないで議員や傍聴者の方を向いて行います。質問する相手に対してでないところに不自然を感じます。この点を是正して理事者に向かって質問する議会もあるようです。私がそれ以上に不自然に感じるのは、傍聴者の前で本当に議論したいのは他の議員とである場合が多いのに、これが難しいことです。議員協議会は非公開で、しかも議長の方を向いて意見を言う形であり、他の議員に意見を言うという体裁にならないのです。議会こそ最も改革を要する機関です。円卓方式で、しかも公開された議場で議員同士が議論を戦わせるという会議の方法もあっていいと思います。可動式の机を採用して自由に配置すればできるのですから。



ビンラディン お名前 玉井彰 2001/10/16(火) 22:55:02 [No 77]

9月11日、米国での同時多発テロにより世界の様子が一変しました。しかし、「報復」でことが解決するようには思えません。我が国は小判鮫戦略でしのごうとしています。私は保守主義者であり、力関係で米国に従わざるを得ない以上、アメリカの主張にある程度賛同することはしかたがないという立場です。しかしながら、今回は同盟国であるが故に米国に忠告する必要があったのではないでしょうか。日本がビンラディン氏に発言の機会を与えるような努力の仕方もあったと思います。日露戦争で日本は米国の仲裁でロシアとの和平を達成することが出来ました。そのことも想起すべきです。何でも言うことを聞くのが友情ではありません。我が国は仲裁者として信頼される国家を目指すべきであると思います。ただし、一方で集団的自衛権を行使することを国民が認め、幅広い選択肢の中から政治的決断を下せるような形にしておくべきだと思います。柔らかな人だから話し合いの立会人になってもらいたいが、結構硬派だなという位がいいのではないでしょうか。



通りの愛称 お名前 玉井彰 2001/10/17(水) 23:17:45 [No 78]

通りに愛称があると街にも愛着が出てきます。伊予市の中心市街地の通りでこれまで愛称のなかった通りに愛称をつくろうと、ボランティアまちづくり支援グループ「郡中まちづくりの会」が昨年市民に呼びかけて公募し、その中から8つの通りの愛称を決定しました。その愛称を普及しようと、スタンプラリーを行うなど活動をしてきました。伊予市もその活動を評価し、愛称名を標識にしてくれました。20日9時から除幕式があります。場所は五色浜公園横、今回決まった愛称の一つ、「五色姫通り」で行われます。



寿楽市祭 お名前 玉井彰 2001/10/18(木) 22:23:37 [No 79]

10月20日に寿楽市祭を開催します。かつて、伊予市の中心地郡中に芝居小屋・寿楽座がありました。有名な内子座の1.5倍あったということです。高度成長期の昭和40年前後にスクラップアンドビルドの掛け声とともに壊されてしまいました。寿楽座への懐かしさと、これからのまちづくりへの決意を込めて「寿楽市」と命名し、毎月第3土曜日に街中の賑わいを取り戻そうと伊予市の商業者が「市」を開いています。今回は、県の補助を受けて大きなイベントに仕立てました。県下から朝倉村、小田町、城川町の皆さんが参加されます。通りの愛称&まちめぐりスタンプラリーもその一環です。秋の一日を郡中の街を歩いて過ごしていただきたいと思っています。



地方自治の形 お名前 玉井彰 2001/10/19(金) 22:44:21 [No 80]

合併推進論者の多くは地方自治体について画一的に見る傾向があります。幾つにまとめようというような「結論」が先にあり、その為に何をなすべきかを考えることになります。しかし、地方自治体はそれぞれが固有の歴史を持ちその地方独特の個性を有するものであって、一律に論ずることが困難な面を多く抱えています。地方自治の形は各自治体が自治を行うのに一番ふさわしい姿は何かを考え自主的に追求すべきものであって、国や県があれこれ「指導」すべきものではありません。「区割り案」等は余計なお世話の典型例です。



合併特例法 お名前 しだつ(大学生) 2001/10/20(土) 23:50:33 [No 81]

最近、ゼミで「市町村合併」がテーマになっているので少し興味があり、合併特例法を読んでみました。
第1条の、「自主的な市町村の合併を推進〜する為、〜その他の必要な措置を定めるとする」というのは、「自主的な」とはありますが、どうも私には、「半強制的に合併の推進をする」と言っているように思えます。私の思い違いでしょうか。



Re:合併特例法 お名前 玉井彰 2001/10/21(日) 17:35:38 [No 82]

私は半強制合併であると思います。その認識を前提としてこのホームページを立ち上げました。市町村の合併は特例法を設けなくても地方自治法7条を根拠に行うことが出来ます。同条は「廃置分合」という分かりにくい言葉で書かれていますが、要するに合併も分離・分割も出来るのです。然るに、合併だけが特例法により詳しく規定され、分離・分割については一言も触れられないのは公平を欠いたものだと思います。
 特例法第1条は「市町村行政の広域化の要請に対処」することを特例法の目的としています。しかし、市町村行政の広域化の要請だけしかないのでしょうか。広すぎる自治体での住民の不便さや、地域間での住民気質の対立などにより、狭い範囲で自治を行いたいとする要請はないのでしょうか。特例法での「要請」とは、国の視点、行政サービスの供給者の視点に立った要請にすぎないのではないでしょうか。平成7年の特例法改正により合併に向けての住民発議制度が設けられました。しかし、分離・分割を要求する住民にはこのような制度はありません。合併方向に向けられた住民意思だけを特別に配慮した立法を行うということは、国の方針に合致した意見のみを尊重するということであり、住民を国にとって都合の良い方向に導こうとする偏った発想であり、法律としての中立性を欠き、住民を愚弄するものだと思います。
 地方自治の現場では、国や県の意向は重大な重みがあり、その意向に反することは、全然別の領域で自治体が真に希望する施策に対して国・県の協力を得られないということへの覚悟を必要とします。「江戸の敵を長崎で討つ」という我が国の行政の悪癖が自治体の自主性をトコトン奪っています。このような中で露骨に国・県の意向が明示されることは強制以外の何者でもないでしょう。「飴」の後には「鞭」が来る。これが現実です。
 学生の方には、地方自治研究の一環として合併問題を真摯に研究していただきたいと思います。合併問題からこの国のあり方の問題点、「地方自治の本旨」とは何か等様々な論点が浮かび上がってくるのではないでしょうか。



しだつさんの投稿に答えて(続) お名前 玉井彰 2001/10/22(月) 08:33:27 [No 83]

「返信」にも書きました通り、国は行政サービスの供給者の立場から半強制的に市町村合併を行いたいと考えています。その為には、この財政危機の中で大盤振る舞いも辞さない構えを明らかにしています。別途考察をしたいと思いますが、この大盤振る舞いは後により深刻な財政危機を招くでしょう。これまで、従順な地方に公共事業を押しつけたことが、国だけではなく地方の財政をも圧迫しました。今回、従順な自治体が合併の流れに乗り遅れまいとすれば、住民や議会への説得の武器として合併特例債等の恩典をフルに活用すれば地域が潤うということを主張するでしょう。これは地方政治レベルのモラルハザードです。その結果は財政破綻です。主体性もモラルもない地方政治を温存することによってしか合併を推進できないのです。「志」のある中央官僚ならこの程度のことは充分に分かっているはずです。しかし、彼等には「志」以上の価値、即ち、「ノルマ」と「出世」があります。
 なお、メルマガ地方自治研究no.7<合併論の真の論拠>も御覧下さい。



選挙で住民と機動隊がもみあい お名前 玉井彰 2001/10/23(火) 08:22:16 [No 84]

21日、鹿児島県・徳之島の町長選で、疑問票の判定をきっかけに住民数十人が開票所に押し入ろうとし、機動隊員ら二十数人ともみ合いになったとの報道がありました。疑問票の判定について2候補の立会人が「認める」「認めない」で口論となったのがきっかけだというのです。生活が掛かっているんだろうなあ、というのが率直な感想です。地方では選挙で飯を食っている人達が多くいます。首長が誰になるかで仕事の量がまるで違ってくるのだそうです。候補者の公約やスローガンなど誰も信じていないのでしょう。「自治」の名に値しない地方政治がまかり通ってきました。ぶら下がり自治を何時まで続けるのでしょうか。



公平な政治 お名前 玉井彰 2001/10/24(水) 08:11:49 [No 85]

公平さを重視する政治家は選挙が大変です。公平さというのは実感しにくいものです。それに対して、「ワシを支持すればこんな恩典があるよ」と陰に陽に迫ってくる候補者には熱狂的な支持者が現れます。支持者の側の生活が掛かっているのだから強いのです。公平な候補者を支持する人は「評論家」が多く、「ここは自分の意見と違う」というところを発見すると反対方向を向くことがあります。しかも、支持してくれても1票です。生活を掛けた支持者は数十票、数百票掻き集めてきます。候補者から見れば集票能力の高い人の方が魅力的です。
 民主政治が汚い団体票で成り立っているという現実を直視しながらも、考え抜かれた1票の積み重ねを大切にしていく必要があると思います。根気のいる話ですが。



レジ袋税 お名前 玉井彰 2001/10/25(木) 08:12:48 [No 86]

報道によれば、東京都杉並区は、スーパーなどで買い物客が利用するレジ袋1枚につき5円を課税する「レジ袋税」を全国で初めて導入する方針を固めたとのことです。レジ袋は杉並区で1億6900万枚利用され、ゴミとして排出されるレジ袋の処理費用が1億円に上ります。新税により、初年度に袋の使用量が2割減り、4億円の税収があるとの見込みです。新税は環境目的税となります。
自治体が様々なアイデアを出し、試行錯誤することは素晴らしいことだと思います。住民がこのことに関して意見を出し、行政との対話が進めば、自治の深みが出てくると思います。他の自治体も良い面は積極的に真似をすべきです。もっと良い方法を開発するという行き方もあるでしょう。政策の自治体間競争が活発になれば地方自治も面白くなります。



合併特需 お名前 玉井彰 2001/10/26(金) 22:05:21 [No 87]

市町村の中には、内心、合併を歓迎する傾向も見え隠れしています。合併特例法の期限内であれば様々な恩典が付き、公共事業を数多くこなすことが出来るので地域が潤うという発想です。これ位将来を見据えない刹那的な考えもないと思います。しかし、現に目のの前に餌がぶら下がっているのですから、欲望に火がつくのでしょう。合併による特需に対して建設業者も反応するでしょうから、選挙でも合併推進論が有利になるでしょう。「後は野となれ山となれ」で良いかどうか、立ち止まって考えるべきでしょう。本当に合併が地域のためになるのなら「恩典」など要らないはずですから。



何でもあり お名前 玉井彰 2001/10/27(土) 21:38:28 [No 88]

 自民党が野党に転落したのは1993年でした。翌年、細川内閣の崩壊後、当時の社会党を抱き込み政権の座に復活した自民党は、政権の座に居続ける為なら「何でもあり」の政党に堕落してしまいました。自社さ政権こそは政治家が理念を小道具同然のものとしてしか見なくなったことを象徴するものだと思います。社会党は村山氏の総理大臣の椅子と引き替えにその命脈を断ち切られました。
 現在、都市部での中選挙区制復活案が模索されています。理念は小道具以下の扱いになってしまいました。「何でもあり」が我がもの顔で横行する事態。国の将来を憂うという政治家特有の心配性から見事に解放され、国会議員で居続けること、政権党で居続けることを心からエンジョイできる人達が日本丸の運命を左右できる地位にあります。あの人達には国の6百数十兆円の借金など関係ないのだと思います。自分に付けは回って来ないのですから。我が亡き後に洪水は来たれ・・・



労働組合の将来 お名前 玉井彰 2001/10/28(日) 22:11:18 [No 89]

自治労が裏金を右翼や暴力団に渡していたとの報道にはそれほどの驚きはありません。我が国の労組は労働力供給者の一部(実態としては労働者の中のエリート)で組織するギルドであって、自分たちの利権を守ることを最大の目的としてきた団体です。彼等が政治活動を行う場合も狭い組合の見地からしか候補を選ぶことが出来ませんでした。自分たちの先輩を国会議員や地方議員にして「出世」の道筋を付けることが目標だったからです。このようなギルド的発想で組織の腐敗堕落がおきることは容易に推測できることです。
 私は、労働組合は労働者を「市民」として捉え、勤労の場面だけでなく市民として地域社会等に関わっていく場面にまで視野を広げ、企業や業界といった枠組みにとらわれない団体に脱皮していくべきだと思います。市民社会を担う団体として新たな展開を模索することが社会の質の向上にも繋がると思います。