伊東静雄「反響」
凝視と陶醉


    野分に寄す

         やはん    たの
 野分の夜半こそ愉しけれ。そは懷しく寂しきゆふぐれの
 
 つかれごころに早く寢入りしひとの眠を、
                     あした
 空しく明くるみづ色の朝につづかせぬため
                                    のつく
 木々の歡聲とすべての窓の性急なる叩もてよび覺ます。
 

 
 眞に獨りなるひとは自然の大いなる聯關のうちに
                   ねが                    おほうみ
 恒に覺めゐむ事を希ふ。窓を透かし眸は大海の彼方を得望まねど、
       や             はやて                      もと
 わが屋を搖するこの疾風ぞ雲ふき散りし星空の下、
              おもて
 まつ暗き海の面に怒れる浪を上げて來し。
 

                     さかし
 柳は狂ひし女のごとく逆まにわが毛髮を振りみだし、
                                       ねむり
 摘まざるままに腐りたる葡萄の實はわが眠目覺むるまへに
 
 ことごとく地に叩きつけられけむ。
 すゞかけ      つばさ う
 篠懸の葉は翼撃たれし鳥に似て次々に黒く縺れて浚はれゆく。
 

      い か                           さうび
 いま如何ならんかの暗き庭隅の菊や薔薇や。されどわれ
 
 汝らを憐まんとはせじ。
                と き
 物皆の凋落の季節をえらびて咲き出でし
        なんじ    ほこり            あらし
 あはれ汝らが矜高かる心には暴風もなどか今さらに悲しからむ。
 

 
 こころ賑はしきかな。ふとうち見たる室内の
 ともしび           おもて            さう  まなこ
 燈にひかる鏡の面にいきいきと雙の眼燃ゆ。
                                    くさ もみじ
 野分よさらば驅けゆけ、目とむれば草紅葉すとひとは言へど、
          ひといろ            あを ざ
 野はいま一色に物悲しくも蒼褪めし彼方ぞ。




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