北原白秋
「邪宗門」より 邪宗門扉銘 メロデア ここ過ぎて曲節の悩みのむれに、 ここ過ぎて官能の愉楽のそのに、 ここ過ぎて神経のにがき魔睡に。 あら 詩の生命は暗示にして単なる自称の説明には非ず。かの筆にも言語にも言ひ尽し難き情趣 かすか き きよ へうべう の限なき振動のうちに幽かなる心霊の欷歔をたづね、縹渺たる音楽の愉悦に憧がれて自己 たふと よろこ 観想の悲哀に誇る、これわが象徴の本旨に非ずや。されば我らは神秘を尚び、夢幻を歓び、 ふらん たいたう む び そが腐爛したる頽唐の紅を慕ふ。哀れ、我ら近代邪宗門の徒が夢寐にも忘れ難きは青白き すすりな なげき エジプト 月光のもとに欷歔く大理石の嗟嘆也。暗紅うちに濁りたる埃及の濃霧に苦しめるスフインク たくさつ スの瞳也。あるはまた落日のなかに笑へるロマンチツシユの音楽と幼児磔殺の前後に起る けいれん 心状の悲しき叫也。かの黄臘の腐れたる絶間なき痙攣と、ヰ゛オロンの三の絃を擦る嗅覚と、 がらす むせ どくさう にほひ 曇硝子のうち噎ぶウヰスキイの鋭き神経と、人間の脳髄の色したる毒艸の匂深きためいき うぐひす ほの と、官能の魔睡のなかに疲れ歌ふ鶯の哀愁もさることながら、仄かなる角笛の音に逃れ入る び ら う ど 緋の天鵞絨の手触の棄て難さよ。 |
BACK
NEXT [北原白秋] [文車目次] |