『草木塔』


種田山頭火


行乞途上


 
 
松風すずしく人も食べ馬も食べ


 
 
けふもいちにち風をあるいてきた


 
 
何が何やらみんな咲いてゐる


 
 
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ


 
 
あざみあざやかなあさのあめあがり


 
 
うつむいて石ころばかり


 
 
若葉のしづくで笠のしづくで


 
 
ほうたるこいこいふるさとにきた


 
 
お寺の竹の子竹になつた


 
 
松かぜ松かげ寝ころんで


 
 
明けてくる鎌をとぐ


 
 
ひとりきいてゐてきつつき


 
 
かたむいた月のふくろうとして


   川棚温泉
 
花いばら、ここの土とならうよ


 
 
待つてゐるさくらんぼ熟れてゐる


 
 
山ふところのはだかとなり


 
 
山路はや萩を咲かせてゐる


 
 
ここにふたたび花いばら散つてゐる


 
 
朝の土から拾ふ


 
 
石をまつり水のわくところ


 
 
いそいでもどるかなかなかなかな


 
 
山のいちにち蟻もあるいてゐる


 
 
雲がいそいでよい月にする


 
 
朝は涼しい茗荷の子


 
 
いつも一人で赤とんぼ


 
 
旅の法衣がかわくまで雑草の風


   川棚を去る
 
けふはおわかれの糸瓜がぶらり


 
 
ぬれるだけぬれてきたきんぽうげ


 
 
うごいてみのむしだつたよ


 
 
いちじくの葉かげあるおべんたうを持つてゐる


 
 
水をへだててをなごやの灯がまたたきだした


 
 
かすんでかさなつて山がふるさと


 
 
春風の鉢の子一つ


 
 
わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく


   帰庵
 
ひさびさもどれば筍によきによき


 
 
びつしより濡れて代掻く馬は叱られてばかり


 
 
はれたりふつたり青田になつた


 
 
草しげるそこは死人を焼くところ


 
 
朝露しつとり行きたい方へ行く


 
 
ほととぎすあすはあの山こえて行かう


 
 
笠をぬぎしみじみとぬれ


 
    家を持たない秋がふかうなるばかり
 
 行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあて
 
もなく果もなくさまよひあるいてゐたが、人つひに孤ならず、欲し
 
がつてゐた寝床はめぐまれた。
                                   ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
 昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、
 
そこに移り住むことが出来たのである。
 
    蔓珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

 
 私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水より
 
も好きであつた。今日は酒が好きな程度に於て水も好きである。明
 
日は水が酒よりも好きになるかも知れない。
 
 「鉢の子」には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かつ
 
た。「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句
 
がチヤンポンになつてゐる。これからは水のやうな句が多いやうに
 
と念じてゐる。淡如水――それが私の境涯でなければならないから。
 
(昭和八年十月十五日、其中庵にて、山頭火)


つづく
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