中原中也「山羊の歌」


    
   春の夜


 いぶしぎん
 燻銀なる窓枠の中になごやかに
 
   一枝の花、桃色の花。

 
 月光うけて失神し
     には   つちも   つけぼくろ
   庭の土面は附黒子。

 
 あゝこともなしこともなし
 
   樹々よはにかみ立ちまはれ。

                     ね
 このすゞろなる物の音に
 
   希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。

   つつま
 山虔しき木工のみ、
         うち
   夢の裡なる隊商のその足竝もほのみゆれ。

       うち
 窓の中にはさはやかの、おぼろかの
                  ごろも
   砂の色せる絹衣。

 
 かびろき胸のピアノ鳴り
                        け
   祖先はあらず、親も消ぬ。

             いづく
 埋みし犬の何処にか、
     さ ふ ら んいろ
   蕃紅花色に湧きいづる
 
       春の夜や。