上田敏「海潮音」
のり ゆふべ 法の夕 エミイル・ヴェルハアレン
せきりよう 夕日の国は野も山も、その「平安」や「寂寥」の ねずみ けぬの おほ さ 黝の色の毛布もて掩へる如く、物寂びぬ。 なべ ととの 万物凡て整ふり、折りめ正しく、ぬめらかに、 かたち ゑ かた ごと 物の象も筋めよく、ビザンチン絵の式の如。 しぐれむらさめ なかぞら やかず 時雨村雨、中空を雨の矢数につんざきぬ。 こんじよう がらん ろう 見よ、一天は紺青の伽藍の廊の色にして、 せいざん 今こそ時は西山に入日傾く夕まぐれ、 こんじき う ば たま よる しろがね 日の金色に烏羽玉の夜の白銀まじるらむ。 さかひ とほなが めぢの界に物も無し、唯遠長き並木路、 かし き つら たたずまひ 路に沿ひたる樫の樹は、巨人の列の佇立、 まば お ははきぎ にひばりをだ 疎らに生ふる箒木や、新墾小田の末かけて、 すき の りよう 鋤休めたる野らまでも領ずる顔の姿かな。 こだち しやもんら の べ おくり いとなみ 木立を見れば沙門等が野辺の送の 営 に、 夕暮がたの悲を心に痛み歩むごと、 いにしへ ろくぶ ら ご ぜ また 古 の六部等が後世安楽の願かけて、 りようじようまうで ばん みてら 霊場詣 、杖重く、番の御寺を訪ひしごと。 ぼたんか 赤々として暮れかゝる入日の影は牡丹花の かはぞひめどう 眠れる如くうつろひて、河添馬道開けたり。 ああ 噫、冬枯や、法師めくかの行列を見てあれば、 ゆふべ ふたならび たとしへもなく静かなる夕の空に二列、 る り みそら きんすなご 瑠璃の御空の金砂子、星輝ける神前に 進み近づく夕づとめ、ゆくてを照らす星辰は みあかし だいそくだい しん 壇に捧ぐる御明の大燭台の心にして、 さを えんぶ だごん 火こそみえけれ、其棹の閻浮提金ぞ隠れたる。 |
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