ハンニチの国〜韓国紀行〜

平成18年8月23〜26日


第三日


 昨日夜遅くまであちこち歩いたため、朝がものすごくつらかった。起きて、風呂に入って出てからも、ベッドの上に大の字になって、しばらく休息。

ホテル内 ホテルの窓からの景色


 遅く起きたせいで、本来の本日の行動予定を修正する必要が生じたため、とりあえず目的地を定めてみる。「社稷公園」徒歩30〜40分の距離。檀君像があるという。檀君というのは、知ってる人は知っているだろうが、一言で言えば、朝鮮版神武天皇である。面白そうではないか。
 地図によれば、途中、日本大使館付近を通るので、変な期待を抱きつつ、通りかかってみることにする。変な期待は的中。日常の風景なのであろうが、門の前には、2、3台の機動隊車両が停められ、門を10人程の機動隊警官が固めていた。そして、道を隔てた向かいでは十人程の活動家が横断幕を掲げて、大使館に対して何かの抗議活動をしていた。

 突然の雨。もともと雨に降られることなど想定していなく、傘など持ってきていない。朝から何も食べていないので、雨宿りを兼ねて近くで昼飯を食べることにしようと思い、軒先から軒先へとダッシュする。地元の韓国人にとっても突然の雨だったようで、雨宿りをする者、傘を持たずに濡れながら走っている者がいる。適当な大衆食堂を見つけたが、道の反対側の軒先から、この店にしようかどうか考えている間に、若い男が駆け寄ってきて、韓国語で何か俺に話しかけてきた。韓国人に、韓国人と間違えられて話しかけられたのは昨日に引き続き2回目。ホテルの守衛のように、一発で俺を日本人と見抜く奴もいれば、案外、見分けのつかない奴もいるもんなんだなと思った。  雨はだんだん強くなり、もはや選択肢はなくなった。目の前の店で食べることに決心し、店の中に駆け込む。メニューはハングルのため読めないので、旅行用電子辞書を開いて「この店で一番のお勧め料理はどれですか」という例文をそのまま店員に見せ、続けて、「それを注文します」という例文を見せて注文完了。格別うまくもない、まあまあの味。
 食べている間に多少小降りになったが、依然雨は降っている。長居をしてもしょうがないので店を出て歩くことにする。雨が降っているし遠いので、檀君像の公園は却下。
何故か両端が尖っている、韓国の爪楊枝

 次に行くところを考えずに、とりあえずホテルの方角に向かって歩き出す。コンビニがあり、日本と同様の透明な安傘を売っていたが、値段を見たらそれほど安くなかったのと、どうせそのうち止むだろうと考え、買わずに店を出る。歩いていると、「李舜臣」(秀吉軍の補給路を亀甲船で打ち破り、朝鮮に勝利をもたらした将軍)の銅像が見えてきた。もっとデカくて立派なものかと思いきや、大して大きくはない代物だった。

李舜臣像 雨に濡れる市庁舎

 やがて、期待通り雨は小降りになってきた。時間はおよそ4時。疲れもあるけど、このままホテルに戻っても芸がないし、第一、することがない。ということで、徳寿宮という小ぶりな敷地の宮殿に立ち寄ることにする。どうも李氏朝鮮は、飛鳥時代の日本宜しく、宮殿をしばしば遷す癖があったらしく、ソウル市内には宮殿が6箇所もある。
 小さくてマイナーなだけあってか、日本語の案内パンフレットはなく、韓国語と英語のみ。伝統的建造物と、パルテノン神殿風の石造列柱様式の建物がひとつの敷地に同居していて、映画のロケ地として使えそう。人間誰しも考え付くことは同じと見え、実際使われているらしい。
 折角だから隈なく敷地内を見て回ろうという気持ちと、疲れたのでホテルに戻って一休みしたいという気持ちが半々の状態、しかし、今ホテルに戻ったとしても、手持ち無沙汰になってしまうだろうからそれも困るということで、結局1時間あまりかけて敷地を全部回った。

石造宮殿のバルコニーから
伝統的宮殿の屋根を望む
この宮殿にも、官位ごとの席順を示した標石が。 手すりの欄干の浮き彫り。
円の外側の唐草模様はこうもり?

 敷地を出る頃になって、既に小ぶりになっていた雨が止んだ。ホテル方面へと、疲労の為とぼとぼと歩いて行く。北京の四合院みたいな、中庭形式の伝統的な邸宅がビルの街並みの中に取り残されているな、と道路の向かい側を見たら、入口にはスタバのマークがあった。チェーン店でも、こんな粋な建物だったら入ってみたいなと思った。御一緒してくれる人がいればの話だけど。
 地図を見ると、地下街の表示がある。地上よりも暑さをしのげるだろうし、ウインドウショッピングを楽しめるかもしれないと思い地下へ。日本人客が見込めるのか、何軒かに一軒は日本語の看板だったりする。他の繁華街と同じく、ソとン、シとツが逆になっていたり、長音がハイフンになっていたり、漢字が不自然に旧字体だったりするのは御愛嬌だが。

韓国のスターバックス

 しかしこの地下商店街、以前、夢の中に出てきたような気がする。俺がここを通りかかったのは、そして、韓国に来たのは偶然ではなく必然だったのだろうか。
 地下道は、広い道路をくぐって明洞地区に入ったところで終わり、地上に出る。歩道上に看板を掲げ、ビラを撒いている団体がいた。漢字の表記があったので、何の団体かすぐ分かった。某国によって、現代版「黄巾賊」と決め付けられ、迫害を受けている団体。無機質なハングル文字に囲まれていると、日本語や日本人だけでなく、中国人や中国語を見かけてすら、安堵感に似た気持ちを感じる。ビラをもらい、日本語と簡単な中国語と英語と駆使して話した。「東京でもあなたがたの団体を見かけたことがありますよ」と。
 日本語で書かれた会報と、中国語版DVDをもらった。帰ってからDVDを観たが、某国による弾圧の様子が生々しすぎて、観るに耐えなかった。
 一旦ホテルに戻り、その後夕飯を食べに外に出た。「咸興麺屋」冷麺の店。(ちなみに咸興というのは地名。北緯40度・日本海に面した北の国の港町。)これも予めネットでメニューを調べておいた店で、辛くない「ムル」冷麺というのを食べた。量は少なめだが、美味かった。 
 あとは寝るだけとなったホテルまでの帰り道、昨日の夜も見た筈だが、疲れていてあまり気にならなかったのだろう。白いポリバケツにたっぷりの残飯を、どこの飲食店でも、店の前に出している最中だった。こういうものは、もう少し通行人に気を遣って、人目につかないようにして欲しいと思った。感覚の違いなのだろうか。


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