彼岸花 9月29日(日)
今日は日曜日。連日の重労働で61歳の若い肉体は疲れきっている。当然、ベットにごろごろして明日からの仕事に体調を整えておかねばならない。その前にまずPC、これは3度の食事と一緒で絶対に拝まねばならない。メール友のHP訪問、書き込み、ご返事、それから日記を書こうとしたとたん、ばーさんの雄叫びと相成った。「あーた、高麗(こま)の巾着田(きんちゃくでん)へ行く。彼岸花が100万本も咲いているんだから、見ないとあかんとよ。8時出発。急げ! なんばしとるんとね、さっさと着替えろー」
私は慌ててPCを終了させ、ばたばた着替えて、ばばー、いや、ばー様の後を追った。彼岸花とは曼珠沙華、幽霊花、死人花ともいい、縁起のいい感じはしない。その他、地方の呼び名を集めると50ぐらいあるらしい。
こんなきれいな花に、こういう失礼な名前をつけるとは、人間はまったく馬鹿ですね。外にも綺麗な花に失礼な名前をつけている。くされだま,へくそかずら、やぶじらみ、のぼろぎく、いぬのふぐり、etc。
西武池袋線の飯能駅から西武秩父線に乗り換えて三つ目の駅、高麗で下車。国道299号線を横断して曼珠沙華群生地の巾着田へ直行した。高麗川が直径1キロほどの円形を作って流れ、川沿いに曼珠沙華が所狭しと咲き乱れていた。
その豪華絢爛さにびっくり、口煩いばーさんも絶句、しばし呆然と立ち尽くした。「これが何故、幽霊花で、死人花なのよ・・・」 とばーさんが質問した。 「・・・それはその球根が猛毒を持っていて、昔、食糧難で食って死んだ人が大勢いたからだ・・・」 「・・・そういえば昔、沖縄もソテツの実を食べて死んだ人が大勢いたわね。何故、ソテツがソテツのままなんでありんすか」
「ソテツは沖縄の方言で、スーティチャー という。よく意味が分からんが、きっと不吉な名前に違いない」
ばーさん軽蔑の目で私を見つめた後、すたすたと歩き出した。・・・しかし、それにしてもすごい人手であった。老若男女、人種の坩堝、川の流れ以上に人の流れが激しいかったのであります。巾着田の中央にはコスモスの花が4部咲き、再来週あたりは満開となるだろう。
ビールを飲みながら歩く中年のおっさんが、私を見てにやっと笑った。私も笑顔で会釈すると、彼はワンカップを手渡した。「兄弟、すんばらしいハナですな」 そこで「ホンとですな。綺麗な花ですね・・・」 と言うと、「おれはあの花のことを言っているのではない。お前の鼻のことをいっているのだ。大きくて逞しい鼻だ・・・。がははははー」 彼は奥さんに腕を引かれながら去っていった。
私は貰ったワンカップを飲みながらばーさんの後をついて回った。・・・彼岸花、来年もまた、見に来ます。
愛とは何か? 9月27日(金)
「神を知る最善の方法は、多くのものを愛することだ」
これはゴッホが弟テオへ送った手紙の一節でございます。激しい気性だったので、愛と怒りと憎しみがごちゃ混ぜになって、波乱万丈の一生となった。フランスの画家、ゴオガンと親しくなり、同じ屋根の下で生活したこともあった。しかし、”お猿のお尻はなぜ赤いか”という問題で激論したかどうかは定かでないが、とにかく何かのことで、二人は大喧嘩となった。激怒したゴッホは片耳を切り落として絶交と相成ったのであります。耳を切り落とすとき痛かったはずだが、激怒はそれを快感に転換する麻酔薬でもあるわけですね。麻酔医学の最先端を暴走するパラドックスとなるかも・・・?
その怒りとか憎しみ、妬みなどの悪心の根源を辿れば、生への執着と死への恐怖に突き当たる。言い換えれば人間とは、激情、衝動という凄まじいマグマの圧力を、社会的通念、理性、観念とかで、かろうじて封じ込めている脆いガラス玉ともいえる。
もし、ある特定の人間に、何をしてもよい、という特権と無限大のパワーを与えた時、冷酷非情な殺人鬼や悪魔に豹変し、あっという間に人類を絶滅させるかもしれない。”悪魔を知る最善の方法は、多くのものを怒りをもって憎むことである」と言った有名人がいたがどうかは知らないが、現段階では、無限大のパワーを人類に与えるべきではないかもしれない。小さな国の頂点に立っただけで、拉致事件と領海侵犯を引き起こし、良心に傷がつかない偉い人々もいるのだから。
ようするに愛とは何か? ばーさんに言わせると「悪魔がつける仏の仮面・・・」らしい。 「では、憎しみとか怒りは仏がつける悪魔の仮面か・・・・」 と訊くと 「それは仮面ではなくて本物の面だ・・・」と即座に答えた。
彼女は、心と言葉の暴力、虐待で育てられた。ロープで体をぐるぐる巻きに縛られて木に吊るされ、同級生の見せ物にされたり、タバコの火で体中を焼かれたり、罵倒暴言、裏切り殺意、屈辱、etc。これで人格が破壊されないはずがない。愛されなかったものは他を愛することは出来ない。なぜなら親から貰うべき愛の備蓄が全く無いからだ。無い愛を与えることは不可能であります。
その点、貧乏ではありますけど、私は親の愛を十分すぎるほど頂いている。したがっていかなる人に対しても思いやりが持てる。それが愛と言えるかどうか、その境界が曖昧ではありますが、親に深く感謝している昨今です。
愛と正義を土台とした思いやり、それをばーさんは最近もてるようになったと思う。もちろん愛のほうは仮面の愛ですけど、そのうち本物の面となる、と信じています。
去り行く夏に、ひまわりをいっぱい咲かせたばーさん。それらの種から、来年植えるものを選り分ける姿を天地大自然の愛が包んでいた。 ゴッホの ”ひまわり”、 あの名画のようなひまわりが来年は見られるかも・・・。
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ああ!誕生日 9月20日(金)
”人生とはあらゆる患者がベットを代えたい願望にとりつかれている病院である" と昔のある詩人が書いている。私も時々、古畳を新しく取っ替えたい、という願望に取り付かれることもあるが、この年になると煩わしさが現状満足を誘導してしまう。この詩人、失語症で亡くなったのですが ”恋人は一ビンの葡萄酒であり、女房は葡萄酒のビンである" とも書いている。私は謎のハンサムであるにも拘らずモテない。それで片思いは無数にあっても火遊びはしたことがない。つまり、ばーさん一筋でここまで来た。そういうわけで、ばーさんは、一ビンのにがい青汁であり、その器でもある。
そのばーさんが9月20、??才の誕生日を迎えた。本人は毎年、無意識的にそれを完全に忘れる。そこで朝の出勤前 「たんじょうびおめでとう」 というと顔がひきつけを起こした。 「地獄へ突き落とすような単語を使用しないで。ああ! 早く死にたい」
そこで「なぜ早く死にたいんだ? あの世に好きな男が大勢いるからか?・・・」 と訊いた。 ばーさん黙って私を見つめたあと答えた。 「私がしわくちゃのばばーになって死んだら、あんた若い後妻を探すんでしょう? ・・・ちきしょう!」
「心配するな。あんたは永遠に心の中で生き続ける。神は私の心を磨くためにあなたを贈ったのだ。肉体を超越した愛、それがお前には見えないのか」
出勤時間ですのでこのへんで・・・。朝っぱらから大変失礼しました。
人間の真価とは何か? 9月14日(土)
30歳の頃、米軍の嘉手納航空基地内のNCOクラブで経理事務員として勤務していた。その頃はベトナム戦争の真っ最中で米兵たちは荒れ狂っていた。戦場へ行けばほとんどが死んで帰るからだ。 半長靴にウイスキーを入れて飲み干したり、幅30センチほどの橋の欄干をバイクで高々と暴走させて頂点に達した後、バランスを崩して川に落下したり、殴りあったり、互いの性器を見せ合ったり、とにかく滅茶苦茶であった。しかし、そういう中でも立派な人格者はいるものです。その方は戦場へ行って両足を失って帰ってきた。奥さんが泣いて悲しんでいると、彼は笑顔でいった。「愛する妻よ、喜べ。これで永遠に水虫に悩まなくてすんだ。それに真ん中の足だけは健在だ。ありがたい。ぐわはっはっはっはははー」
泣くべきか、笑うべきか、その奥さんはずいぶん悩んだと思う。
しかし、自分が死ぬ時に笑えるような人がいたら、気違いでない限り、人間なるものを完成させた偉大な人だと思う。これに近い人間として、16世紀イギリスの軍人であり、海洋探検家であり、そして詩人でもあったウォルター・ローりがいる。
彼は、王権神授説を奉じ、新旧両教徒を弾圧したジェームズ一世を謀殺しようとして13年間の幽閉の後、絞首刑となった。そのときの彼の言葉 「恐くない。わしの病気を全部治す劇薬じゃ。がはははははー」・・・ほんとに恐くなかったのだろうか?
ベートーベンは「私は天国で聞くであろう」 ゲーテは「光を!もっと光を!」 ジョン・キーツは 「花がたくさん私の上で咲いている」 と言ったという記録が残っている。 人間の真価というのは何であるのか分からないが、やはり死ぬ時に、何かがはっきりするもんなのでしょうね。
うちのばーさんは 「あんたは馬鹿でお目出度いから、永遠に死ぬことはないよ・・・」 という。そこで反論した。「それは高度な演技であって、超天才でなければ出来ないことだ。天才を隠して馬鹿なふりをする、普通の天才には出来ないことだ。ぐわはっはっはっはっははははー」
「ほんとにあんたは馬鹿だね。自分は天才と思っている人はみんな気狂で、間抜けアホーなんだよ。私がついていなかったら、あんた今頃どうなっていたと思うの? がはははははー」
手がつけられないばーさんである。しかし、私が死ぬのはおそらく1000年後と思うが、そのときは、ずーっと止めていたタバコをすっぱすっぱすいながら、超高級なウイスキーをがばがば飲み、カラオケで千曲川や、ラ・ノビアを歌ってどんちゃん騒ぎをするであろう。そして、これまで生かしてくれた天地大自然に感謝し、人類の繁栄と心の完成を祈りつつ、豪快に笑いながら三途の川を渡る。三途の川の辺には、棘のないバラの花が無数に咲き乱れ、小鳥がさえずり、蝶が微風に舞っているはずだ。
そしてまた、この世に生まれ変わって再びスコップとつるはし使いの達人となる。・・・今宵はだいぶビールが入ったようですのでこの辺で失礼します。
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幸運の女神 9月6日(金)
ローマ神話の最高神はジュピター、ギリシャ神話ではゼウスとなっている。どちらかといえばローマ神話(紀元前8世紀)のほうががギリシャ神話(紀元前7世紀)より古いはずだが、ギリ神に圧倒されてローマ神話のオリジナル性はほとんどなくなっている。そのローマ神話によると、幸運の女神の前髪はふさふさしていますけど、後頭部は完全につんつるてんのハゲであります。「幸運は前髪にて捕らえよ」 という諺はここから来たもので、後ろを向かれたが最後、幸運はつるりと滑って溝の中へ落ちてしまうのでありんす。したがって、幸運の女神が現れたら、絶対に躊躇せずに、一気に前から抱きしめてものにすればよい、ということなのです。
目の前に現れたということ自体、幸運の女神は ”OKよ!” ということなんですから別に犯罪にはなりません。問題は力、実力、あるいは美貌の魔力によって女神を金縛りにし、恋の奴隷にしてしまうことが出来るか否か、の違いなんです。
しかし、幸運って一体何なのでしょうか? ばーさんに言わせれば ”金、金銀財宝、名誉名声、権力、永遠の若さと美貌”だそうです。 そこで私は反論した。
それらを手中にしながら刑務所に入っている偉い人が大勢いらっしゃる。一代にして天下を手中にした水飲百姓、あの豊臣秀吉ですら死ぬ時は 「露とおち露と消えつるわが身かな。難波のことも夢のまた夢」 と嘆き、不幸な思いでこの世を去ったではないか。何が金だ! 何が権力名誉名声だ!
問題は心、ハート、思いやり、真理という恩師ではないのか! この世の邪悪を打ち砕き、オーロラと虹の輝きをこの地上に降り注がせる真理という最高のパワー、これこそが真実誠の幸福の源である!
ふと気が付くと、ばーさんは自分の部屋でいつの間にか寝てしまっていた。・・・これが幸福なのかもしれない、そう思いながら私はPCの電源を入れた。
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貧乏人はステーキを食え! 8月30日(金)
「すべての人間は、もし出来れば暴君になりたいと思っている」 これはロビンソン・クルーソーの著者、ダニエル・デフォーのお言葉です。生存の安定という悲願を、壮絶な執念として本能に組み込む生き物ゆえに、当然といえば同然ですが、老若男女の区別なく人はすべて、その青白い炎を無意識下で揺るがせているんですね。3千年前、バテシバはダビデ王の子供を身ごもった。女性の幸せとは、誘惑者に出会うことにほかならない、とキエルゴールが仰った通り、彼女はダビデ王の誘惑に幸せを感じたのだ。それで夫を最前線へ送らせて戦死させ、ダビデ王の何十番目かの側室となり、子供を生んだ。その子がソロモン王となったのであります。
その頃、北イエメンの首都、サヌアの東でシバの女王が栄えていた。彼女はソロモン王の富と知恵を聞き知り、2400キロ離れた彼の居る砂漠の果て、エルサレムへ向かった。知恵比べするためであった。結果はシバの女王が負けた。そこで、ソロモン王の子種を頂いて帰り、男の子を出産した。彼がメネリク1世としてエチオピア建国の祖となったという次第です。
女の執念、凄まじいですね。ポンパドール侯爵夫人だったフランスのジャンヌ・アントワネット・ポワソン、その美貌を武器にして王に近づいて恋の虜にし、国政を左右、贅沢三枚で国庫を空にしてしまった。怒った大臣たちが文句を言うと、「わらわの死後は大洪水よ起これ」と絶叫した。さらに、さらにルイ16世の王妃、マリー・アントワネットも酒池肉林、贅沢三昧、盃一杯で1億もする香水の池を作ったりしたおかげで国庫が空になった。そこで大臣たちが「人民はパンを食べることも出来ません」 と苦情を言うと、[Let them eat cake !] ” それなら、ケーキを食わせろ" とのたまったのでござんす。 「貧乏人は麦を食え」と言った総理大臣がいましたが「貧乏人はステーキを食え」と言ったほうがよかったかもしれませんね。
えーっと、ばーさんがぎゃーぎゃー騒いでいますので今日はここまで・・・。これから池袋へ行ってきます。国庫を空にするばーさんでなくてよかったと冷や汗です。買い物の荷物運搬人としての任務です。
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マッカーサー、老兵は死なず。 (4) 8月28日(水)
新橋と虎ノ門、12キロを結ぶ道路計画が56年ぶりに認可されて着工されるという。環状2号線、通称マッカーサー道路と呼ばれ、7年後の平成21年に完成の予定だそうです。ほとんどが地下を通るらしく、周辺の交通渋滞が緩和されると思います。そのマッカーサー元帥、終戦直後、連合国最高司令官として来日し、対日占領政策を実施することになった。トルーマン大統領の命を受けた彼はまず、皇室を消滅させることから始めようとしたのであります。そういう時、敗軍の将として昭和天皇が会見にやってこられた。マッカーサーは横柄な対応であった。彼の考えは、他の国の敗軍の将の全てが、責任を部下に擦り付けて責任逃れをし、命乞いをしたように、昭和天皇もまた命乞いをするであろう、と見くびっていたのであります。
ところが昭和天皇は違っていた。
「一切の責任は私一人にある。ですから私だけを処刑にし、部下の全てを許し、日本国民を守ってください」
と言ったのであります。マッカーサーはびっくり、慌てて姿勢を正し、敬意を表したのであります。彼はそれにより、日本から天皇を排除すべきではないと判断、トルーマンの意に逆らって象徴としての天皇を確立させたのであります。
その後、彼は朝鮮戦争で強攻策を主張し、トルーマン大統領と対立、解任されてしまった。帰国後の彼の議会演説の一文句は有名である。
"Old soldiers never die; they just fade away." 老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
外にも、There is no security on this earth. There is only opportunity. (この地上には安全などありはせぬ。あるのはただ機会だけ)というのもあります。
天皇は国民の親のような存在だと思います。心の古里がそこにあり、いつまでも日本の素晴らしい象徴に変わりはない、と信じています。
女性は総て神様です 8月24日(土)
詩人であり、哲学者でもあるドイツのニーチェ、彼は1900年の8月25日にお亡くなりになっている。 キリスト教的道徳を排撃、強い者の道徳によってのみ個人は超人の域に達すると説いた。おそらく彼は女性から虐待を受けたと思う。それが母親か雌ゴリラか、あるいは片思いの女だったかは知る由もないが、「女性は神のミステークでN0・2」「本当の男性の好むものが二つある。それは”危険”と”遊び”。そして男性が女性を好むのは、おもちゃの中で女性が最も危険だからである」 つまり、女は、ありえるはずのない神のミスで危険なおもちゃ、下手に触って遊んだりすると毒気を浴びて命取りになる、ということになる。女性を狂わんばかりに憤慨させる痛烈なお言葉であります。彼が狂死したのはその恨みと祟りのせいかもしれませんね。私に言わせれば女性は総て神様、いざなみの命、その娘の天照大神、アベ・マリア、自由の女神、ひまわり3sun、にゃんこさん、こっこちゃんママ、まおたんまん、こねこさん、murume、うちのばーさん、etc。・・・男がいかに男尊女卑を声高らかに叫んだとしても、女から生まれた、という致命的な十字架的を背負っていることに変わりはない。とにかく男たるもの、女を大事にしましょう。女を寛大に優しく扱える男こそ真の男、人類の進化発展はそこからスタートすると信じる。・・・はー、これで幸運の女神が微笑むでしょうか?
孤独 8月18日(日)
”神は男を創造したが、孤独さが足りないのを見て取って、孤独をもっと鋭く感じるようにと、女性を与えた” これはフランスの詩人、ポール・バーレリーのお言葉ですが、全てがそういう訳ではないと思います。たしかに、波長の合わないお方と一緒の時は、一人でいるとき以上に孤独を感じます。しかし恋するお方と一緒なら、それは吹き飛んでしまう。人生ばら色、地獄に花が咲き乱れて第二の天国となり、二人手をつないで雲海の遊歩道を歩く。何処に孤独があるんでございますか。・・・しかし、その後の別れ。ぎゃー、それはまさしく地獄の孤独ではないか。なるほど、そうだったのか馬の尻尾。別れ、愛別離苦、神はなぜこんな苦しみと孤独を人に与えたまうのだ。 ・・・ん、? 私の場合は・・?。確かに、ばーさんと一緒の時は激烈な孤独を感じる。しかし、離れていると天地大自然、宇宙森羅万象という companion が60兆個の全細胞に活気と活力を与える。・・・これは難しい。しかし、自分が何を言おうとしているかを知るのも難しくなった。
明日から仕事、10日間という長い孤独からおさらばだ。しかし、人生は死ぬまでが修行です。糟糠の妻でもあるばーさん、宇宙無限性の一部として大事にしましょう。
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父よ! 8月13日(火)
昭和19年の夏、母と8歳の姉、4歳の私は沖縄本部半島の伊豆見部落に住んでいた。月に1度か2度、父は伊江島から休暇で帰ってくる。軍刀を下げた軍服姿の厳しい姿に恐れを抱きながらも、その寛大さとやさしさに甘え、執拗に我儘を発揮したのを憶えている。私を両腕で差し上げて放り上げ、落下してくるところを胸元で受け止めて抱きしめたりした。何をしても怒らず、いつも笑顔で私に従う始末であった。そんな父がある日、部屋に一人正座し、軍刀を抜いて構えていた。障子の隙間からそっと覗くと、これまで見たことのない怖い顔の父がいた。かざした軍刀の上から下へと視線を這わせ、白刃に反射する光が父の顔を妖しく照射した。これが57年前の記憶の断片に残る父の最後の姿です。
昭和20年4月16日、米軍は八重岳の日本軍陣地を粉砕した後、伊江島への攻撃を開始した。海は隙間なく艦船で埋め尽くされ、ロケット弾や艦砲弾の砲火がまるで巨大な大河のように伊江島に降り注ぐ。島は断末魔の様相を呈して燃え上がり、山が割れて砕け飛び、火柱と閃光が至る所で走った。その様を本部半島の山の中腹から、母子3人で見つめ続けたことを今でもはっきりと覚えている。
伊江島には井川少佐大隊長率いる第二歩兵隊第一大隊と独立機関砲中隊、速射砲中隊、野砲小隊など、約2700人の兵員、そして島の住民、約3800人がいた。住民は軍に協力して戦闘に参加した。乳飲み子を背負い、手榴弾を持って敵戦車に突入して行った若い母親、髪を切り落とし、軍服姿で竹やりを持ち、あるいは魚雷を背負って切り込んでいった女子協力隊・・・。約4706人が死亡し、生存者は1300人程度であった。
伊江島から脱出し、本島に泳ぎ着いた生存者の一人が父の最後を伝えてくれた。日本軍は洞窟に潜み、敵が近づくと猛反撃した。凄まじい攻防が3日間続いたが、敵の物量の前にはどうしようもなく、洞窟は次々と破壊されていった。傷つき倒れた兵隊たちは最後の力を振り絞って立ち上がり、手榴弾を持って次々と飛び出したという。父は全身血まみれで、はみ出た腸を中に押し込んで布で巻きつけた。それから軍刀を抜き払って洞窟を飛び出していった。
私は異様な興奮状態に陥った時があった。敵戦闘機の大群が猛爆を繰り返し、避難民が伏せている時、母の手を振り払って立ち上がり、伊江島の方へ敬礼を繰り返したのである。母は慌てて私を引き倒して伏せをさせるが、ばたばた暴れて立ち上がり、敬礼をする。今思えば、あの興奮状態は、父の最後の時を,何かが感知したためだとしか言いようがない。
ばーさん、あなたは偉い! 8月10日(土)
「こんなだめ男でも、前世で何か一つ良いことをしたに違いない。なぜなら、あなたという素晴らしいお方と一緒になれたから・・・」朝、お茶を飲みながらばーさんに言うと、いちべつの視線を新聞に戻して冷たく答えた。
「私は前世でよっぽど悪いことをしたに違いない。あんたという男といっしょになってしまったから・・・」
彼女の悪口は世界一である。私のようにお目出度さが異常でない限り、連れ添えられるようなお方ではない。
「それは悪うございました。いまからでも遅くはない。西洋人の若いツバメでも探して一緒になりなさい。私は潔く身を引いてあげます。ぐわっはっははははー」
「うるさい。静かにしてよ! 邪魔だから私の視界から消えてちょうだい」
「はい、はい、かかー天下の女房関白様。あんたは偉い。では失礼いたします」
私は庭に下りて花々を見て回った。すると近くに住む50代の美しいご婦人が歩道から声をかけた。
「まあ、変わったお花ですわね。それ、何というんですか?」
「・・・これですか? これは ”トリトマ” っていうんです。こっちの花鉢が ”ノボタン” で、あれが ”ビック・スマイル” 」
「わー、きれいですわね。美しい・・・」
「しかし、あなたの美しさには及びませんよ。わっはっははははー・・・」
「おほっほっほほほー、お上手だこと。あなただってとってもハンサムですよ。まるで外人みたい。もしかしてあちらの血が混じっているんじゃーございません?」
「その嘘、本当ですか? イヤー、うれしいですな。ぐわはっはっはっはははー」
その時、上のベランダからばーさんの声が弾けた。
「あなたサマー、お食事のご用意が出来ましたわよ。どうぞ、お戻りくださいませー」
私は美しいご婦人に一礼して中に入った。同時にばーさんの怒号が爆発した。
「なによ、あんた。鼻の下を長くして、でれでれするんじゃないよ、このばか!」
ばーさん、いきなり平手打ち。続いて顔面パンチにともえ投げ、そして、金属バットで滅多打ち。・・・な、なんでこうなるの。仕方がないので反撃。金属バットを奪い取って抱きしめ、その動きを封じ込めてほっぺにチュウをした。
「つまり、ヤキモチを焼いているわけだ。と、いうことは、私を愛していることになるんですね?」
するとばーさんは目を吊り上げて叫んだ。
「そんな事あたりまえじゃないか。いつまでも馬鹿なこと言っているんじゃないよ。さっさと放してよ」
以上でございます。大変失礼しました。
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激動の一日 8月2日(金)
8月2日、今日は電車出勤でありました。大泉学園駅で降りて徒歩18分で会社に着く。携帯で聞くと、気になる天気予報は曇り、夕方から一時雨でしょう、とのことだった。会社横の小さな公園で作業服に着替えた後、ベンチに座って無我の境地で缶コーヒーを飲んだ。8時過ぎ、吉村たちが来た。そして、8時45分、部長の樋口氏が現れてミーティング。「現場は新青梅街道。交通事故でガードフェンスがへし曲がっている。それを新品と取り替える。しかし、女房だけは新品と取り替えてはならない。わかったな・・・。それを午前中で片付けて、午後は西大泉6の14へ行く。歩道の乗り入れブロック2個を取り替えて、突き出た境界石の周りを路面パッチで斜めに擦り付ける。目の不自由な方がそれに躓いてよく転ぶからだ。くれぐれも車に轢かれないように各自注意せよ! では、今日の指差し呼称。”荷物の上げ下ろし、通行車確認、安全よし!"・・・」
最初の現場は練馬区関町北5丁目の新青梅街道。現場はガードパイプが滅茶苦茶にへし曲げられ、支柱がコンクリートベースとともに引き抜かれている。まず、カラー・コーンやバリケードで安全帯確保し、作業開始。
吉村が ”油圧ブレーカーでコンクリートを割れー” と喚いている間に、大ハンマーで一撃するとカパっと割れた。続いて、「支柱を2トン車のダンプアップで引き抜けー」 と騒いでいる間に、大バールを使い、コテの原理で持ち上げるとすいすいと抜けた。
それから支柱の穴を掘り、30センチ角の枠をセットして手練のコンクリートを流し込み、新品のガードフェンスを取り付ける。ガードマンは2人。一人は中年の女性である。吉村、横山、上、の目がいつもと違ってきらきらしているのは彼女の存在が気になるからだ。
しかし、天気予報は当たらず、曇りどころか炎天である。それに湿度が高くて蒸し暑い。汗が今日も滝のように流れ続けた。
11時過ぎ、作業完了。同時に、昼食という名目で上さんは女性ガードマンを2トン車に乗せてさっさと消えてしまった。吉村が運転するバンには4名しか乗れないので当然と言えば当然だが、残りの男たちの目は ”やられた!” と叫んでいた。
午後、第2の現場へと向かった。今度は私が2トン車に乗せられ、ガードマン2人は樋口氏の車に乗った。
ところがであります。小泉橋交差点を右折して、四面塔稲荷神社前を過ぎたとたん、稲光、雷鳴と同時に豪雨となった。現場に着いて待機。しかし雨は止む気配は無く、轟音を炸裂させながら周辺の避雷針にピカピカと稲妻が走り続ける。さらに大粒のひょうが混じりだして路面を飛び跳ねた。上さんが 「ヒョウだぜ」 と言ったので 「いや、あれはライオンだ」 と答えた。
黄色の回転灯が前方で点滅し、樋口さんが豪雨に打たれながら車から降り、小走りに近づいてきた。
「緊急出動だ。谷原の交差点で横断歩道の中央分離帯のブロックがトラックに跳ばされた。横断者の障害物となっている。それを撤去し、補修しに行く。後に続け」
豪雨の現場は凄まじい交通渋滞だった。車を側道の脇に置いて問題の地点にたどり着くと、切り下げフロック2個がめくれ上がっている。早速それを取り外し、セメントと砂をかき混ぜてベースを敷き、ブロックをセット。その間わずか10分。しかし、完全にびしょ濡れとなった。
「ご苦労さん。今日はこれで終わりにしよう」 との樋口氏の思いやりの言葉に作業終了となった。
午後4時、車内で濡れた作業服を脱ぎ、通勤服に着替えた後、私は保谷駅から電車に乗り、帰途に着いた。激動の一日であった。
今日の仕事 8月1日(木)
あまりの暑さに空を飛ぶ鳥もなく、地面を駆け回る蟻も見えない。ぎゃー、な、なんだこの暑さ。こういうときに限って高温のアスファルト舗装ときた。しかも、道路が狭くて舗装機械が入らないので完全な人力舗装工事となった。汗が滝のように流れ、全員がゆでだこのようにまっかっか。道路の距離は50メートル、幅が3・5メートル。約17トンのアルファルトが入る。ダンプアップしたアスファルトの山をスコップで均し、レーキで仕上げる。両脇はブロック塀や垣根が続いているので熱の吹き溜まりとなる。
午後、一人が脱落。続いて2人、3人・・・。気がつくと私一人となっていた。ここで休むと完全に動けなくなる。私は自分自身に檄を飛ばしながらスコップでかっぱぎ、
レーキで均し、ローラーで転圧していった。しばらくすると、倒れていた男たちがよろめきながら戻ってきた。まるで地獄の亡者たちが拷問の労働に耐えているようでもあった。それでも、5時過ぎには作業は終了した。帰りの環七は凄まじい渋滞。仰せに従い、今日に限って3トンの作業車を運転してきたのだ。のろのろ運転でうんざり。家にたどり着いたのが10時前となっていた。
今日の現場ー品川区荏原4−7 作業員ー吉村、吉野、比嘉、上、横山、私。 監督ー矢作 ガードマンー3名
言葉使いは大事。無視されても、こちらから挨拶しましょう (8) 7月31日(水)
凄まじい暑さでございました。いくら水を飲んでも吹き出る汗に追いつかない。2リットルボトルに携帯した水はあっという間になくなる。労働の合間に水を捜し求める。大きなケヤキの大木が数本生える相原という表札の屋敷で井戸水を貰う。主人が”遠慮なく飲んでください" と笑顔で言ってくださった。ありがたいお方である。
最近、乾きに耐えかねて、無断で人様の水道の水を飲んで告訴された作業員がいた。やはり、いかなる場合にでも一声かけることを、人間たるもの忘れてはならないと思う。
声をかける、挨拶をする、最も人間として大切ではないでしょうか? 隣近所の人とすれ違った時、視線をそらして通り過ぎようとする方がおられる。その時、私は必ず声をかける。「おはようございます。 今日は暑いですね」
すると相手は振り向いて返事を返す。「おはようございます。行っていらっしゃい・・・」 これでその日一日が明るくなる。
太陽が西に傾いた頃、汗をたっぷり含んで重くなった上着を脱いだ。上半身から汗の蒸気が吹き上がり、それに太陽光線が当たって小さな虹を描いた。
水道水を花園に降りかけたときに出来るあの虹のようなものであった。それを見た吉村が
「お前はただ者ではない」
と言った。 そこで
「ほんとにそう思うのであれば帰りにビールをおごれ」
と言うと、
「そんなもの自分で金を出していくらでも飲め」
と逆襲されてしました。その言葉のやり取りの裏には、親睦の心のふれあいがあるのみである。
今日の現場 練馬区田柄町3ー15 作業内容 塊粒2号アスファルト舗装 生コン打設 (メンバ− 吉村、横山、上、私の4名 監督 向井、高橋)
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明和の大津波 7月28日(日)
仕事から帰り、シャワーを浴びて机に向かい、時計を見ると午前零時を過ぎていた。私はお茶を飲みながらしばらく物思いにふけった。薩摩が琉球を征服したあとの1637年、宮古島と八重山の住民に対して人頭税制度が施行された。納税義務者は15歳から50歳までの男女で、身体障害者や知的障害者も例外ではなかった。当時の平均寿命は40歳、私のように61歳ともなればとっくの昔に、あの世の女神とデートしていることになる。
一人に割り与えられた最低耕作面積は1111坪。約3・5反となりますかね・・・? そこから6表の米(1石9斗2升)を産出して納める。しかし、それだけではなく、物産税として48種目にも及ぶ海の幸、山の幸を納めねばならなかった。海産物ではナマコ、貝柱、トコロテン、海人草、ジュゴンなど。陸産物では、キクラゲ、ヒハツ、猪皮、綿花、牛皮、松明、タバコなど。これらは全て薩摩藩へのもので、ジュゴンなどのものは明の冊封使歓待用に使われたのであります。
当時は日照り、台風、長雨などの天災が多く、それだけのものを納めるのはほとんど無理であった。滞納者には過酷な拷問が待ち受けていた。拷問に使った道具は、脛やま、挟み棒、垂棒、肩棒、割り口、などと呼ばれるもの・・・。朝は4時に村の番所で鐘が乱打されて農民はそこへ集合する。そして、夜は星や、月の明かりを頼りに遅くまで野良仕事をする。当時の農民の絶望の言葉が今でも残っている。
「夜昼働き、過酷な労働に耐えて、それでもなお生きていられるのは決して自分の力ではない。神霊のご加護によるものです」
そして、八重山の古典民謡、トゥバラーマは次のように歌っている。
ばがまりや
なゆしゃるまりやだど
朝ま夕ま
くぬあわりばし朝ま夕ま
たるばどばなうらみ
なせるうやど
ばなうらみあわりまま
やすまりむぬやらば
くりしゃまま
うしらりむぬやらば「自分はなんという生まれなんだ。これほどまでに難儀苦しみをするとは。あまりの苦しさに誰を恨むべきかと思ったりするが、結局それは、自分を生んだ親を恨むしか道はない。もうこれ以上の苦しみには耐えられない。このまま失せて苦の世界から逃れたいものだ」
つまり、彼らは無報酬で昼夜の別なく働き続け、情け容赦なく拷問を受けて死んでいったということになります。それに比べれば、今の私はなんという幸せ者であろうか。雨の日は休み。そして、1000円で好きな映画が見られる。さらに、PCでインターネット、WindowXP、働けばちゃんと給料がもらえる。これで人生に文句を言うようならば罰が当たる。
さらに不幸は牙をむいて彼らに襲い掛かった。明和8年3月10日午前8時(1771年)大津波が島々を襲い、人口の3分の1にあたる9313人が犠牲となった。津波の高さは85・4メートルにも達し、八重山の島を飛び越えていったと記録されている。これが明和の大津波と呼ばれるもので、その直前、水平線まで水が引いたという。
こういう天変地異がいつ何時起こるかわからないので、こういう時、いかに対処すべきか、常日頃から念頭に置くべきだと思う。・・・眠くなって訳が分からなくなりましたので今日はこの辺で・・・。明日は休みですので(月曜日、あれ? 今日になってしまいました)、誰かさんとチャットが出来れば幸せでございます。
九字を切る 7月24日(水)
臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前、(りん、びょう、とう、しゃ、かい、ちん、れつ、ざい、ぜん)この文字を口にしながら指で空中に縦に四本、横に五本の線を描けばあらゆる災いを除き、身を守り、勝利を得ることが出来る、と仏教辞典にある。これを ”九字を切る" というのでありますが、効き目のほどは定かではない。飢えたトラやライオンの前で九字を切って食われなかったという事例は全くない。駅のホームで電車を待っていた時、夏だというのに真冬の服装をした肥満女性がその”九字”を切っていた。私は彼女を無視して缶コーヒーを飲んでいた。しばらくして強烈な視線を感じたのでふと横に目をやると、なんと彼女が凄まじい眼光で私を見つめていたのです。びっくりしてうろたえていると、彼女が叫んだ。
「あなたって人の迷惑考えているの? いったいどういう香水を使っているの? 男たるものがこんな高級な香水を使っていいの? 世の中にはほんとにいろんな人がいるんだから。・・・あ、そう、そういうお顔をしているのね、よーく憶えておくわ・・・」
ぎゃー、な、なんだこの女は? 私は驚愕して慌てて逃げた。しかし、彼女は執拗に追いかけてくるのです。そういえばつい先ほど、数人の若い女性が逃げて行った。あれは彼女のせいだったのだ。私は香水などかけたことがない。それは彼女の幻臭だ。私はエスカレーターを駆け上がり、トイレに隠れた。それからの数分間が終わりのない時間のように長く思えた。しばらくして、そっと出てみると、彼女はいなかった。
一体、何だったのだきょうという日は! 私もここで九字を切ることにします。”臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前” 皆さんも何かあった時は唱えてください。
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下町の心、いまだ健在なり 7月17日(水)
江戸時代後期から明治時代にかけて実在した任侠、山本長五郎のモデル、それが清水次郎長であります。ある時、明治政府の役人、数人が清水次郎長宅を訪ねて「新設道路が貴殿の屋敷の一角を通る。ついては、その部分を売ってもらいたい」と申し上げると、彼は日本刀の鞘を払って怒鳴った。「世のため、人のためなら、金や命などいらぬ。なぜ、献上せよ、と言わぬか。売れとは何事か! 馬鹿にするな。貴様ら、たたっ切ってやる!」
彼の晩年の逸話として残っているが、役人たちは平身低頭して引き下がったという。昔はそういう無欲の変人が何処にでもいた。つまり、和魂和才を備えた頑固者が・・・。
しかし、その精神、都会においては今はどこにも見えない。風雨に晒され、暑さ寒さを懸命に堪えて道路工事をしていると、「うるさーい。騒音公害、安眠妨害、営業妨害だ。損害賠償せよ。さもないと告訴するぞ」と殴り込みをかけてくる方々が少なくない。
昨日も、緊急工事で道路の修復工事をしていると、銀行の支店長が出てきて苦情を言った。
「ここはお客様が出入りする私道です。営業妨害です。直ちに作業車を出してください」
現場の周辺住民からの苦情に対しては、それに逆らい、暴言などを吐いてはならない。頭を低くして対処せよ。という土木課からの絶対命令が現場監督や作業員たちには下されている。
しかし、どうしてもやらねばならない緊急工事である。放っておくと通行車両がバウンドして事故につながりかねない。監督はバッタのように頭を何度も下げ、「あと30分ほどで終わりますので何とかお願いします」と拝み倒した。支店長は口元には笑みをたたえ、目には侮蔑と憎悪の冷たい光を湛えて中に消えた。
しかし、下町に行くと人々の心は今でも美しい。江戸川区の春江町はその中でも光っている。なんと工事現場をはさむ家々からお茶やお菓子、果物が出されたのです。そして、「お仕事ご苦労様です。がんばってください」と声をかけてくれる。
アスファルト舗装工事中に突然、雷鳴と共に豪雨となったことがあった。中断はできない工事である。男たちはびしょぬれとなって作業を続行した。すると、中華そば屋の女主人が店内を開放し、大盛りそばのご馳走をしてくれたのです。作業員たちは交代で空腹を満たした。その店は、春江町3丁目36−4にあって、”中華万来料理”というような看板であった。これは去年の10月25日、木曜日のことでありました。あれ以来、私は喜びを持って道路工事に従事することができるようになっている。 人間の未来に幸せあれ!
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人の心というものは・・・? 7月16日(火)
人の心というのは絶えず変化する。ころころと変わっていくから”こころ”、すなわち ”心”という、と言った聖人もおられる。神と言えども、人の心を見定め、定義づけるのは不可能であります。そこには不確定性理論の法則、カオス原理が働くからです。・・・初期の神様はそのことを知らなかったと思われる事例を多く残しておられます。ある時、神様が真面目で働き者の男に言った。「お前はいい男である。それで褒美をつかわす。何なりと望みごとを申せ。そして、果報のお裾分けとして、その望みの半分をお前の隣の人にも与えよう」と申されました。するとその男の目がきらきらと輝き、満面に喜びの爆発を連続させたのです。 そして、彼は、神様に願い出た。「では、私の両眼と妻の両眼を盲目にしてください」
結果は、悲惨な結末に終わった。神様は苦しみ、悩みながら天国への虹の橋を戻って行ったのであります。
ある牧師が酒気運転で捕まった。警官が「牧師さん、ワインの匂いがします」 と言うと、彼は即座に答えた。「私は水を飲んでいただけです。その水を主は再びワインに変えたのです。オー、マイ、ロード、奇跡は再び、そして復活だー」 しかし、警察官は情け容赦なく牧師に手錠をかけて留置所へ連行した。牧師は ”オー、マイ、ロード! You has revealed again ! 水をワインに、ワインをナポレオンに変えた! 貴方様は偉大でございます”と呟きながら手錠のかかった両手を上げ下げして歩いたのでございます。Believed it or not,it is true. Not fiction !
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蜂軍団奇襲 7月15日(月)
今日の現場は墨田区新砂、都下水道局砂町水処理センタの近くの駐車場であった。作業内容は草刈。砂利だけが敷き詰められている駐車場は草ぼうぼうである。その草をきれいに刈り取らないことには測量ができないし、アスファルト舗装ができない。それで監督の杉山が ”草を刈れ!" という命令を出したのでございます。草は身の丈を遥かに超える。吉村、横山、上、そして私の4名は鎌やスコップを持って草刈に挑んだ。ところが炎天下、気温は30度を越えている。皆さんはぐったりとなりなりながらスローモウションで作業を続けていた。
ところがであります、謎のハンサムは南国育ちの百姓、件坊主後継者、ときている。暑さと、孤独と逆境、そして、他人からの軽侮嘲笑にはしたたか強い。あれよあれよという間に草をきれいに刈り取っていったのであります。
そしてカヤの群生に突き当たった。カヤは馬やヤギの好物、子供の頃カヤを刈ってモッコに積んで担ぎ、ヤギ小屋や馬小屋に運んでやったものである。私は鎌を振りかざしてそのカヤの群生に一閃をきらめかした。
歯ごたえ十分、私は得意の絶頂で他の3人をちらりと見ながら軽快に鎌なぎの技を披露した。
突然、黒い塊が顔面に襲いかかった。それは無数の固体に分散するや、耳や額、唇、頬っぺた、ところかまわず激痛を与えた。そしてその一つが鼻の穴にすっぽり入り込み、線香で焼くような無数の痛みをグワーンと脳全体に広げた。
一瞬、私は何が起こったのか訳が分からずにぼーっとした。それが蜂の大群であることが判明したのはしばらくしてからだ。慌てふためいてその場を離れたが、鼻の穴にすっぽりは入りこんだ蜂は暴れたままである。手袋をはめているのでなかなか摘み出せない。しかし、手袋を脱いでいる余裕はない。私は鼻を何度も払った。
ようやく叩き出された蜂は地面に降下した後、フェンスの向こうへ飛んでいった。その後、すさまじい激痛が唇を中心に顔面全体に広がった。鼻に入り込んだ蜂が、めちゃくちゃに唇に針を突きたて続けたのだ。
杉山監督が駆け寄って”大丈夫か”と声をかけたが、大丈夫のはずがない。私はそのまま失神した。気がつくと車の助手席だった。顔面が重い。サイドミラーを見てびっくり。”謎のハンサム”は一変して、”謎の化け物”となっていた。鼻は鉄腕アトムに出てくるお茶の水博士のようになっているし、唇はどす黒く捲れて風船のようになっていたのであります。
これでは電車に乗って帰れない。悩みながら作業をしているうちに腫れは引いた。すごい回復力であります。これも日ごろの行いがいいからでしょうか・・・? 皆さん、夏の野外活動の時は、蜂やマムシに気をつけますように。
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1.2に勢い,3,4にやる気。気力あるのみ 7月11日(木)
現場はすさまじい暑さであった。交通の激しい中目黒の山手通り、アスファルトの到着温度は180度、一瞬にしてゆで卵ができる。男たちは茹蛸のようになって働き続ける。午後、吉村がよろけて脱落、続いて二人が避難。残るは比嘉と吉野、私の3人だけ。1.2に勢い、3.4にやる気、チャレンジャーの61歳、ファイトー! 訳の分からないことを心の中で叫びながら、スコップ、レーキでアスファルトを均し、転圧を他の二人がやる。ポケットに入れた100円玉が触れないほどの熱さとなっていた。現場の気温は70度以上にもなっていたことになる。それでも目眩もなく、よろけることもなかったことは肉体はまだまだ若い、ということになる。今日もまた暑い現場が待っている。1.2に勢い、3.4にやる気、ファイトー!
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幻聴 7月10日(水)
あるとき釈尊が霊鷲山(りゅうじゅせん)で花を摘んで微笑んだ。弟子たちは意味が分からずに黙っていたが、摩訶迦葉(まかかしょう)だけはその意味を悟ってにっこりしたというエピソードがある。そこから拈華微笑(ねんげみしょう)という単語が出てきたのですが、禅宗では言葉を使わずに、師から弟子へ仏法の真髄を伝えるという意味になる。一般的には”以心伝心”ということですが、あの時、釈尊が意味したのは何か? 謎のハンサムでもちょっと分かりかねる。普通の男が花を摘んで微笑んだとき、これは気持ち悪い。そういえば釈尊は女嫌いであった。ある時、阿那律という弟子が、”女はなぜ三界に家がないんですか? とたずねた。すると彼は ”女は朝は惜しみに汚れ、昼は妬みに汚れ、夜は色に狂って地獄に落ちるからだ" と答えた。
そして、夫は妻を大事にして浮気してはならず、ダイヤモンドなどの装飾品を時々プレゼントせよ”などと言いながら、「たとえ恐ろしい毒蛇の口の中に男根を入れても、女性の陰部に入れてはならぬ、燃え盛る火の中に男根を入れることがあっても女性の陰部に入れてはならない」という激烈なことをおっしゃっているのでございます。もちろんその時代は男尊女卑が強烈でしたので通用したでしょうか、現代でそんなことをおっしゃるようなら袋叩きになっているでしょう。
私は別に釈尊様を非難しているわけではありませんが、彼とて人間、ソクラテスや、カント、デカルトと同じレベルの偉大な哲学者なのです。大勢の人々の心のよりどころであり、救いの根源でもあります。私が尊敬し、崇拝する偉人の一人であります。
・・・そんなことはどうでもいいのですが、私が小学2年の頃、かやぶき家の縁側で昼寝していたとき、すずめの群れが盛んにさえずっていました。どういう訳かそのさえずりの意味が直接入り込んでくるのです。”しゃらの木の下にミミズ複数、近くに犬、危険、空腹、用心、怖い、焦り、急げ・・・” 私は茫洋とした意識で庭に視線を向けました。すると白い大きな愛犬、チクがしゃらの木の下で昼寝しており、その鼻の先を数ひきのミミズが這っていたのです。
すずめたちはそのミミズ目がけて急降下を敢行し、口ばしにがっしりとくわえてさっと飛び上がっていくのです。
・・・それから話せば長いことながら、It’s going to be a long story, I’d like to tell you another curious truth.
家には誰もいませんでした。二人の姉と叔母は男を訪ねた3千里で、愛犬のチクも男を求めて何処かへ行っていました。当時は電気もガスも何もない時期でしたので家の中は真っ暗です。その暗闇の中に私は一人いたのです。母が沖縄本島に出稼ぎに行っていた頃です。
トカゲが天井に貼りついてけたたましく鳴き、青大将に咥えられたクマゼミが断末魔の鳴き声を近くの木立であげる。遠くの三叉路でインカンサが始まる。インカンサとは数十匹の犬が道路の三叉路に集まって輪を作り、一匹づつ中央に出で遠吠えをする。翌日近くの誰かが死ぬのである。
私は震えながら部屋の片隅にこう着していた。恐怖と心細さで気が狂いそうであった。そのとき、耳奥に賑やかな祭りの騒音が聞こえてきた。獅子舞の祭りであった。鐘、太鼓、人々の歓声と笑い声、それらがはっきりと聞こえてきたんです。何でこうなるの、という思いとともに、私の心はその賑やかさに捕らわれていつの間にか寝入ってしまいました。
あの幻聴、きっと戦死した父や祖母が、私を慰めるために聞かせてくれたものと、今でも思っています。
人類の未来 7月7日(日)
地球の半径は約6357q。太陽は69万6000キロメートルで、地球の109倍にもなる。太陽をサッカーボール大とすると、地球は粟粒以下、直径2ミリの小球となるんでございます。さらにびっくりすることは、太陽では毎秒、6億9500万トンの水素が6億9000万トンのヘリウムに転換され、その差500万トンの水素がエネルギーに転化されているのであります。水素が燃え尽きた後は今度はヘリウムが燃え出し、極限まで膨張した太陽は収縮を開始して、最後は爆発して消える。それまではあと50億年はかかる、と科学書に書かれていた。
しかし、地球に生物が棲めるような環境はおそらく、後10億年前後でしかないでしょうね・・・。2126年には恐竜を絶滅させたと考えられているスウィフト・タットル彗星が接近するし、太陽系がまだ遭遇していない謎の天体が接近中かもしれないのです。それに厚さわずか5キロから50キロの地殻が、直径約12700キロの火炎球体(内核、外核、マントル、マグマ)の凄まじい圧力にいつまで耐えられるか、謎のハンサムが最も謎とする視点であります。
その地球は秒速5百メートルで自転し、秒速2千メートルで太陽の周りを回っている。太陽は秒速1874キロで自転し、秒速1万4千キロでヘラクレス座の方向へ飛んでいるのであります。
つまり宇宙の調和、バランス、安定を保っているのは回転であり、移動、広がりといえます。太陽の引力と地球の遠心力、そのバランスが地球環境を安定させ、生命を守り育てているのです。したがってこの世の構成、成り立ちはバランスであり、調和、つまり愛と正義を土台とした働き、自己試練にあるといえるのです。
人が強くなり、富と権力を身につけるのは何のためか? それは弱きを助け、無知なる者を教え導き、この世から不幸という単語を完全になくす事にある。野望と陰謀、裏切りと殺戮、人間差別、弱いものいじめ、という調和、バランス、和合の破壊は人類を滅亡へと追いやるものであります。
人は、人が幸せと思っている幸せになるために生きているのではない。己がいかに幸福なるものを不幸に変え、悲劇と悲惨さのレールを引いているかを知るために生きているのです。己の無力さ、愚かさ、醜さ、欠陥、それを知れば知るほど人はより崇高になっていく。逆に己の長所のみを誇示し、他の拍手喝さいの中に生きていると人は退化し、醜く汚れていきます。
ようするに(何が言いたいのか訳が分からなくなりましたけど),どんな人間でも教え導き、その味方となって助けあげていくようにならないと,人類は次の宇宙時代へ突入できないということです。
一億年後、もし人類が存続していたとするなら、人々の心は浄化され、互い助け合いの躍動感みなぎる世界になっているはずです。人間一人一人に気に入った惑星が与えられ、瞬間移動によって互いの惑星を訪問しあう。冷蔵庫は時間停止庫、となり、そのままの状態が永遠に保存される。肉は全て人造肉で、動物の殺戮は完全になくなっている。
人間は永遠の美貌と若さ、不老不死が与えられ、好きなだけ生きられる。そして、5千歳の私は1万歳のバーさんとアンドロメダ銀河のツアーにいって来る。その後は超光速粒子船、謎のタキオン・ハンサム号に乗って別宇宙へ行く予定であります。
人間はいわば他の生物の代表者、その種子、遺伝子を宇宙時代へつないであげる使命、義務があります。われわれがここまで進化できたのは、他の動物たちの肉提供という協力があったからであることを忘れてはなりません。
この世の地と天とは実の親、それよりできた人間である。
月日より心だんだん尽くしきり、それ故なるの人間である。
全人類が国籍、人種、宗教、主義主張の違いを超え、世界一列兄弟姉妹として互いに助け合い、励ましあって富み栄え、清らかな美しい心となって宇宙時代へ突入できますように・・・・!
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windowXP 6月29日(土)
"NEC valustar window me" 。それがなんとたったの3万円。しかも新品。最低18万円以上はする代物であります。私のへそくりは5万円。グワッハッ八ハハハ−、おつりが2万円くることになる。新装開店のその店は午前9時開店。6時に行けば7時前についてトップクラスで待つことになる。バーさんはまだ寝んである。私はこっそりと家を出て車をその店へと走らせた。
……ところがであります。着いてびっくり、なんと長蛇の列。約1万人の老若男女がヅラーリ、私はその最後尾に並ぶことになった。話を聞けば昨夜の夜9時から並んでいる方々が1000人ほどでありました。それより早くから並んでいた人は大勢いたそうですが、店側としては"9時”をもって待機と認める、という判決を下したとのことであります。
そして、整理券の発行と同時に予約、つぎつぎと売れ切れがマイクで発表されていく。私の狙いはあっという間に完売されてしまった。……しからば、5万円のソーテックス、Window Me. ところがそれもあっという間に売れ切れてしまった。
あとは10万円代のものだけ、お釣りが来るどころの騒ぎではない。私はあきらめて帰ることにした。そのとき、”あーた、なにしてんの……”という聞き覚えのある声が背後でした。びっつくりして振り向くと、なんとバーさんが薄笑いを浮かべて立っていたのです。ぎゃー。
「あーたが嘘をつくとき、顔は ”私は嘘をついています" と正直に言っているんでござんすのよー。」
バーさんはチラシを見てやってきたのであります。おそるべし女の第6勘。私は潔く詫びを入れ、彼女を促して帰ろうとした。ところが「せっかく来たんだから、ちょっと店内を見て回りましょうよ」 ということになった。
そして、なんと11万5千円のNEC Valustar WindowXP にざっと現金を出してくれたんであります。
そして、これから1年間、私はビール禁飲の誓約書を書かされてしまった。 人生真っ暗、私いかにして生きていくべきか……。
東京は今日も雨だった 6月27日(木)
雨降りお月さん 雲の蔭(かげ)
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
一人で傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆくいそがにゃお馬よ 夜が明けよう
手綱(たづな)の下から チョイと見たりゃ
お袖(そで)でお顔を かくしてる
お袖はぬれても 乾(ほ)しゃかわく
雨降りお月さん 雲の蔭(かげ)
お馬にゆられて ぬれてゆくこれは野口雨情の大正14年の作品です。お嫁に行く、昔は悲しい嫁入りが多かったんでございますね。政略結婚、親の一方的な野望策略の結婚など、女性の人権が完全に無視されていたんでございます。おそらくこのお嫁さん、好きな人がいたんでしょう。しかしなぜ一人で嫁に行くんでしょうか? 側近にご両親や、婿方のお迎えさんがいるべきはずだのに……。
事情はともあれ、このお嫁さん一人、雨に濡れて、お馬に揺られて、そして、お袖で涙を隠して行きたくないところへ向かっているのです。こぼれる涙を人様に見せてはならない女の定め。恋しいあなた、なぜ、私に死ねと言ってくれないのですか。そのころ、彼はナイアガラの滝に身を投じて天国の虹の橋を歩いていました。
……な、なんでこうなるんでしょうか。私の悪い癖であります。いずれにせよ、東京は今日も雨です。おかげで25日からずっと休みが続いている。
そして、明日はくもりで、何とか仕事に行けそうだと思っていたら、何とチラシにPCが三万円(NEC Valuestare 、しかもWindow Me) 先着10名様限り、とあります。まともに買うと二十三万円もする代物であります。開店サービス、というわけです。今の Window95 はもう限界です。バーさんは絶対に反対する。それでこっそり仕事へいくことにしてそれを買いに行きます。……お願い、バーさんには密告しないで下さい。
予言的中 6月22日(土)
現場にて、巨漢の山崎監督が腕組みをしてしきりに悩んでいた。そこで声をかけた。「80過ぎの、美しい老婆からプロポーズされて悩んでいるのでございますか?」
「そんなんじゃない。明日、この小学校の前にL型ブロックを並べないといけない。しかし、子供達が出入りするし、給食関連の職員や車が頻繁に出入りするから工事が出来そうもない。かといって日曜祝祭日や、夜遅くまでやってはならない約束だから出来ないんだ。なにかいいアイデァーはないか」
すると、モヤー、とした感覚になって、何の抵抗もなく勝手に言葉が出た。
「明日は学校は休みで工事は順調にいく。心配はいりません」
山崎はしばらく呆れたような表情で私を見つめていたが、「明日は、土曜、日曜でもないし、祝祭日でもない。学校が休みの訳ないだろう。でたらめは80過ぎのババーさんにおっしゃいまーせ……」
彼が去った後、ガードマンの大城が歩み寄ってきた。この人は私を普段からただ者ではない、と思っているお方である(ほんとはただ者ですけど)。
「明日はなぜ学校は休みなんですか?」
「……ん、よく分からないんだけど、土曜日曜でもなく、祝祭日でもなければ残るはただ一つ、学校の創立記念日となる」さすがの大城も疑惑の眼光を一瞬きらめかして離れた。
そして翌日の6月20日、何とその小学校(上石神井北小学校 練馬区石神井台5丁目)は創立記念日で休みだったのです。
巨漢の山崎監督、ザ、ガードマンの御両名は無言のまま遠くから私をチラリ、と見るだけであった。
そして今朝、仕事に出ようとすると53才のバーさんが叫んだ。
「きょうは仕事は中止だから、鼾をかいて寝ていなさい」
「何を言うか。中止の連絡がない限り仕事は仕事、男の命だ。俺は一人、北風の中を寂しく仕事に行くのだ。バーさんよ、行って来るぜ。炊事、洗濯、掃除、よろしく頼む」
私は自転車に乗って駅へまっしぐら。それを英訳すると、I made a bee-line to the station by bicycle. となります。 ところが途中で携帯が鳴った。親方の吉村であった。
「きょうは仕事は中止。イーッヒッヒッヒッヒヒー、じゃー、月曜日……」
わたしはコンビニでブラックコーヒーを買い、飲みながら自転車をUターンさせた。バーさんの予言も当たった。恐るべき存在である。
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嵐の後の静けさ 6月19日(水)
昨日18日は雨のため仕事は休みであった。17日に男達全員が「明日天気になーるな。大雨となって3時からはーれろ」と騒ぎ立てていた。ワールドサッカー、トルコ戦を見たいからである。嵐の前の喧しさであった。その効能があったのか翌日は午前6時から大雨となった。男達はそれぞれの家でアルコールの青白い炎を体内で揺らしながら熱狂したと思う。しかし、私はそんなものに興味はない。デカルト、カント、ショウペンハイマー、ソクラテス、西田幾太郎の善の研究などを読みながら悟りを開いていた。
し、しかし、やっぱり気になる。テレビをつけると、日本は一点取られていた。ちきしょう! 日本、何しているか!頑張れー、頑張って100点トレー。トルコなんか叩き潰せー。私は哲学書を放り投げてテレビに釘付けとなってしまった。……そして、時間切れ、敗北。もう、悟りを開くどころの騒ぎではない。私は、やけのやんぱち、自棄ビールを1リットル飲んでしまった。
そして、きょう現場にでると、男達は全員が静かであった。あるものは日本酒を一升、あるものは焼酎二リットル、そしてある者は七〇度の泡盛二升を飲んだという。生きているのが不思議な存在者達である。
私は世間の冷たさと孤独、逆境には強いが酒には弱い。彼等と同様二日酔いの頭痛で黙々と激しい労働に徹した。嵐の後の静けさ、こんな工事現場は初めてであります。
雷鳴、豪雨 6月15日(土)
「今夜6時から明日零時までの10_以上の雨の確率は10%でしょう……」 との天気予報を信じて夜間工事が強行された。小雨程度なら60平方メートルの歩道復旧工事など問題ない。地先ブロック25本、浸透性アスファルトが7トン。19センチ掘削して、4a厚の遮断砂、10a厚の砕石路盤、そして5a厚の塊粒アスファルトを敷く事など、これまでの経験からして5時間ほどで終わってしまう種類のものだ。「かかれ!」 若い監督 YGの号令で作業開始。カラーコーン、バリゲート、パワーライト、歩行者専用通路、などの保安帯と照明の段取配置がなされた後、歩道掘削開始。
約2時間後、突然、闇空に稲妻が走り、雷鳴と同時に豪雨となった。中断は出来ない。放置すると歩行者の通行が危険となる。けが人を出すと、会社は入札指名停止となる。我々はびしょ濡れのまま作業続行。ぴかぴか、ごろごろ、ざーざー、どかーん。何とまー、ひどい天の神様である。安全靴の中は雨水がいっぱい。高温のアスファルトが蒸気をまき上げて視界を遮る。スコップでアスファルトを荒均しすると、その後をレーキで仕上げていく。プレートランマ,サイドローラーなどの転圧機が舗装面を固める。
午前2時、作業終了。そして、夜間工事もこれでようやく終わりである。明日からは昼の作業となる。我々は雷鳴と豪雨の中を帰途についた。最近の天気予報は当たらないものですね。しかし、体はびしょ濡れでも心は熱い。冷えたビールが最高でございました。
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夜間工事 6月7日(金)
3日から夜間工事が続いている。来週の水曜日、6月12日までの予定です。
しかし、疲れる。昼間は熟睡できないからだ。一昨日の4日には作業中に突然の雷雨となった。中断は出来ない種類の工事なので強行した。お陰で全員がびしょ濡れとなった。午前5時、終了と同時に雨が止んだ。身も心も浄化せよ! との天の神の諭しか……。私はそういうことを思いながら帰途についた。
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