流れに逆らわず 6月5日(水)
最近気がついたのですが、あなたと私を除いて世界中がおかしくなっている。つまり、狂っているとしか言いようがない。大雨の後、公園の水たまりに釣り糸をたれている男がいた。ネクタイを締め、外見は立派な紳士であった。立ち止まって「なにか釣れましたか?」と声をかけると、男は身動きもせずに怒った声で答えた。「こんなところに魚がいるわけないだろう。おまえ、馬鹿か。精神病院へでも行け……。」
その他、犬を紐で締め、おんぶして歩くきれいなおばさん。電車の中で勝手に動く腕を、懸命に他の手で押さえているサラリーマン風の男。真夏の駅で真冬の服装をし、なにやらとなえている肥満女性、交通量の激しい道路の真ん中で、太極拳を格好良く演じている男、赤いミニスカートで、すまして歩く厚化粧の老婆、ゴリラのような顔で女装して歩く色黒男……、数えればきりがない。
そして、隣近所、職場の男たち、すさまじい狂気を世間体と見栄で懸命に押さえ込んで、かろうじて正常さを保っているように思えてならないのです。しかし、無理もないことです。今の世の中、右を向いても左を向いても嫌なことばかり、金と権力が愛と正義、神、仏を支配し、悪が大道を闊歩するご時世である。
絶望とストレス、前途不安、それらの要素が幾重にも重なり合って人々を異常性格へと導いていく。それ故にサイバーワールドに溶け込んだり、飲み、打つ、買うに填り込んで現実の苦しみから逃れようとする。しかし、それらは全て一時的なもので、すぐに引き戻されて苦しみ、のたうちまわることになる。
それから逃れる術はただ一つ。煩悩を捨て、心を空にする事である。己の無力さと、この地球、天体なしには生きられないという現実を素直に受け入れて、謙虚にして寛大な心で世界を見つめるしかないのです。流れに逆らわず、流れのままに流されても、辿り着く目標への舵はしっかりと握りしめる。これが人間に出来ることだと思います。
ワールドカップ、最高のストレス解消です。今の日本にとってこれ以上の涼風はないでしょう。がんばれ日本!
闘う相手 6月2日(日)
地球の半径は約6400キロメートルだそうです。その表面の5キロから50キロの厚みが地殻と呼ばれるもので、その下は摂氏1500度から4000度のマグマ、つまり液状化した火の塊なんです(フライパンで焼いた油の温度が800度、ガスコンロの青い炎が3000度)。ということは、地球というのは全体の0.8%とにも満たない地殻の薄い膜によって安定を保たれていることになる。半径6350キロのマグマの圧力が怒り狂えば、厚さ50キロ前後の地殻など一瞬にして吹き飛ぶはずである。それがなぜ安定しているのか、それは、太陽の引力と地球の引力、そして月や天体の様々な力、要素が複雑緻密に働いているからです。要するに全体が互いに助け合って回転しているからなんですね。
人間もそれと同じ。90%の悪魔と獣性を1%の理性と人間性が取り巻いて何とか安定を保って生きているわけですね。従って回転を停止したり、理性と人間性を失ったりすると大爆発を起こして消滅することになる。
人間の真の闘う相手は誰か?それは外部にあるのではなく、己の内部に、無意識の中に潜んでいる。自己卑下、絶望、あきらめ、油断、慢心、過信、恐れ、迷い、それらこそが闘う相手であり、己に致命傷を与える恐るべき敵であるといえる。
……また、訳の分からないことを書いてしまった。諸君、笑って許してくれ! では、また明日。
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突貫工事 5月31日(金)
現場は石神井台00丁目xx番地。雨が降ると道路は水浸しとなり、ちょっとした湖となる。道路沿いに火葬場があり、昼間は意外と交通量が多い。それで練馬区の第4建設課は夜間工事を命じてきた。雨期が間近に迫っている。今のうちに対策をとれ! との付近住民と火葬場からの苦情に役所が重い腰を上げたことになる。
昼、夜、昼 と続いた後の夜間工事である。男たちの全身には疲労の重圧がのしかかっている。だが、それでもやらねばならないのだ。吉村、比嘉、横山、吉野、上、そして私の6名と、若い監督の矢作である。
”いいか、よく聞け、この工事は危険である。下水道本管まで約3メートルの深さがある。そこまでパワーシャベルで穴を掘り、新たに設置する集水枡とエンビ管で繋ぐ。これで大雨が降っても水が下水道本管に流れ落ちて水浸しがなくなる。
だが、途中でトレンチの壁が崩落したら生き埋めとなりあの世行きとなる。そして、恋人や、恋女房ともあれができなくなる。だから絶対に気を抜くな。少しでも様子がおかしいと思ったらすぐに上に上がってくるのだ。突貫工事の連続で疲れているはずだが、恋女房のためにもお床の中の男となれ! わかったか。わかったらかかれ!”
矢作監督の訳の分からない演説であるがなかなかおもしろい。男たちは笑いながら作業に取りかかった。
3メートルまでの深さにはいろいろな埋設物がある。水道管、ガス管、電話線、高圧の電気ケーブル。それらが出てくるとスコップでの手作業となる。
パワーライトの中で男たちの汗がきらめきながら飛び散る。怒号が飛び、罵声が飛ぶ。重機の轟音が辺りの木立をふるわし、削岩機が機関銃のように鳴り響く。まるで戦場である。
午前5時、作業はようやく終了した。男たちは黙々と後片づけをして帰途につく。誰一人として言葉を発するものはいない。疲れ果ててものを言う気力もないのだ。
私はすさまじい睡魔と闘いながら軽乗用車のハンドルを握り、新青梅街道を走らせて帰途についた。明日、明後日は休みとなる。これからぐっすり眠ります。
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では、いってきます。 5月22日(水)
現在の時刻am5時30分。これから自転車をとばして駅まで行き、5時53分発の池袋行きの電車に乗る。池袋から江東区の東大島までの所要時間は約1時間半。時間を少しでも遅らせると大混雑に巻き込まれる。それがいやで早く出るのでございます。仕事とは生活費を稼ぐためだけのためではない。最大の目的は心を磨くことにある。嫌なことを悟りと反省に結びつけて己の心を生かし、明日への発展につなぐ。悪も善も己の師として見つめ、逆境と地獄の中で極楽の花を咲かすのです。独善的な豊かさの喜びは儚く、地獄の中で培った厳しさと思いやりの喜びは鋼よりも強い。
……またよけいなことを書いてしまった。Any way,では、いってきます。
グレードアップ 5月17日(金)
Windows 98 のソフトを一万二千円で買ってきて、いままで使い続けてきたWindows 95 のグレードアップにチャレンジした。ところが容量が足りないため無理が生じて完全に狂ってしまい、ついには膠着してしまった。電源スイッチを切り続け、強制終了をなんどかけてもびくともしない。仕方がないので、モジュウルボタンを押すと同時に電源スイッチを切ってようやく閉じることができた。それから再セットアップ。孤独と絶望、眠気と戦いながら仕事から帰った後、真夜中までその修復に取りかかった。……そして数日という短くて膨大な長い時間を経て、ようやくここまでたどり着くことが出来た。あとは周辺機器のいくつかを取り付けて、インストールするだけである。
Windows 95 、古いやつとお笑いでしょうが、誰かさんと同じで、若い者に負けない働き者でございます。”98”にグレードアップした今からは、さらにその動きに勢いがでると思います。長い間の沈黙、笑って許してください……。
映画鑑賞 5月12日(日)
雨のため、10日、11日は仕事中止。こういうときは映画鑑賞に限ります。私は精神年齢18才。そこで池袋シャンシャインでやっている”スパイダーマン”を観に行った。観客のほとんどが小、中高大生と、20代の若者達。ぎゃー、ぎゃー、わいわい騒ぐ彼等と競い合って切符を買う。大人1800円。しかし、その時だけ私は61才となる。なぜなら、60歳以上は1000円であるからだ。免許証を見せながら「セニア」一枚、と言うと、切符売りのおじょうさんが目をまん丸くした。どう見ても40代前後、という目つきであった。それから、周りの子供達の疑惑の視線を浴びながら6階を目指してエレベーターに駆け込んだ。
映画は最高のストレス解消である。どんな名薬でもこれにはかなわないと思います。超高層ビルの谷間を、自由自在に跳ね回るスパイダーマン。そして、片思いの恋人を危険から何度も助け、悪と戦う。いつも、いじめていた不良グループを、こてんぱんにのした時など胸がすーっとしました。
61才にしてこの単純さ……。しかし、これが不老不死の大きな要素なのです。皆さんも、たまには映画鑑賞、いかがですか?
かぜと共に去りぬ 5月9日(木)
昨日の朝、目覚めると体調が悪い。窓を開けて寝たため風邪を引いたのだ。地獄の現場が待っているというのに……。しかし、男たるものこれしきのことで弱気になってはならないのだ。私は神床の父の遺影にお茶納をし、6時過ぎ家を出た。その時に限って仕事は激しい。削岩機でコンクリートやアスファルトをばりばり壊し、80`のブロックをダンプカーに積み込む。汗が滝のように流れ、濡れた上着から湯気が立ち上る。
体のメカは極めて不調。パワーが何かに吸い取られ、だるい。力が出ない。それでも61才の意地がある。仕事の勢いと、パワーで20代の若者たちに負けたことはないのだ。老熟のパワーとワザの極地をあなどらせてはならない。土方が現場で死ねれば本望、ファイト! がんばれ! 特攻隊だー!
午後3時過ぎ、一陣の風が吹いた。そして、一枚の紙切れが飛ばされてきて両眼にぺたっと張り付いた。ツルハシを握っているので顔を左右に振って落とそうとした。しかし、しつっこく、くっついて離れない。メール美人達からこのようにされるのはうれしいが、紙くずは迷惑千万である。
私は腹が立ったのでツルハシを下に立て、片手でそれをはぎ取って投げ捨てた。目の前を福沢諭吉がえん然と笑って風に乗った。
「ぎゃー、い、一万円札……。ま、まてー」
私は慌ててその後を追いかけようとした。しかし、ブロックに足がかかって前に倒れた。一万円札は高々と舞い上がり、空の霞みに溶けてしまった。な、なんでこうなるの……。
あれがあれば、食べ放題にバーさんを連れていけたのに。ちきしょう天の神様の意地悪。私はすりむいた膝を撫でながら立ち上がった。それからなぜか元気が出た。
自棄のやんぱちで私は働き続けた。そして、帰り、体の不調はかぜと共に去っていた。
明日から仕事 5月6日(月)
きょうでGWも終わり。明日からまた地獄の仕事が待っている。それは、はまっているPCに向き合う時間がほとんど無くなる、ということでもある。しかし、仕事とは、己の心を磨き、悟りを開き、心身を強化する唯一の道場、と思えばやる気が爆発する。ということをうちのバーさんに言うと、いつまでも子供みたいな事を言うんじゃないよ、と一蔑された。確かに私は精神年齢18才である。しかし、それは犯罪ではないし、かえって不老不死をこの世に実現させる良いことである。
心の持ち方、使い方、それをいかなる状況下でも清く正しく、寛大にコントロールしていく事が最も大事。それが人類の進化発展につながると信じる。
己に勝つ 5月5日(日)
先週のことであります。仕事帰り、コンビニエンス.ストアーで500_リットルの発泡酒、2缶を買って五千円札をレジ係に渡した。するとお釣りが9643円もあった。……?な、なんでこうなるの? 私は訳が分からずにしばらくぼーっとなった。つぎに、邪心の歓喜が爆発した。レジ係は五千円札を1万円札と見間違えたのだ。
きょうは幸福の女神がウインクしている。朝、会社隣の公園でバードミサイル、カラスの糞を安全帽に直撃された。それはこのことの前知らせだったのだ。私はそのお釣りをわしづかみにしてポケットに入れようとした。その間わずか0.5秒。しかしそれは私にとって無限の時間となった。
「馬鹿者! きさま、それでも正義の味方、月光仮面か。恥を知れ……」
良心の呵責が狂乱怒濤となって、私の全身全霊を叩きのめし続けた。しかし、邪心の欲望は舌なめずりしてささやく。偉いある連中達は、巨額の金、億単位を詐欺しているではないか。たかが5,6千円の金を着服したってどうって事はない。
しかし、それでは人生が面白くない。良心に逆らったことをすると、人相が汚くなる。逆に心を清く正しくしておれば、人相は謎のハンサムとなって輝くのだ。どうせ死ぬまでしか生きられない人生であれば、どんな些細な悪でも排除して正しく生きるべきだ。
0.5秒の一瞬に、私の思考が時空の無限性で目まぐるしく錯綜を繰り返した。たとえ周りの全てが悪であったとしても、お前一人だけでも清らかな正義を全うすべきではないのか? 周りがクソならお前もクソになるのか。渇しても盗泉の水は飲まず……。そして、苦悶の末、私は己に勝った。
「お釣り間違っていますよ。5千円札でしたから……」
私はレジ係にそう言ってポケットに入れかけたお札を差し出した。彼はパニック状態となり、訳の分からない感謝の言葉を発した。その後、家に帰って飲んだ発泡酒ビールは最高の味であった。
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悪戦苦闘 5月4日(土)
インターネットに接続すると電話料が気になる。3年前に、電話使用料5万円ほどの請求書が来てビックリ。それ以来、さっと見て、さっと切る、という変な癖が付いてしまった。おかげで居酒屋へ行っても、さっと飲んで、さっと払って、さっさと帰るようになり、いいお客の ”NO1” となってしまった。ところがADSLサービスに申し込んで、その回線に切り替えると、なんと電話料がつなぎっぱなしでも1985円。しかも、インターネットは定額で使い放題。貧乏に強くても貧乏でない方がはるかに良い。そこでさっそく申し込んだ。
まず、”ADSLサービスNTT適合調査通過のお知らせ”というメールが届き、2日後に書類が郵便で来た。ADSL認証ID とか、回線タイプ1、回線タイプ2、ADSL工事予定日、ADSL利用可能予定日、などと訳の分からないことがごちゃごちゃ活字されていた。
さらに5,6日して、ADSLモデム、「AtermDR30F」というのが小包で来た。入っていたのは、スタンド1組、スプリッタ1個、ADSL回線ケーブル1本、Ethernet ケーブル1本、スタートガイド1冊、CD-ROM 1枚、保証書1枚、でありました。
さっそくガイド書を開いて作業開始。ところが私の’OS’は5年前に25万円で買ったWindow95のノート型パソコンで時代遅れの古い奴。Ethernetケーブルのジャックが、PCの電話線さしこみ口、モジュラージャックと合わない。仕方がないので普通のケーブルを差し込んで次のステップへと進んだ。
そしてOS設定、Webブラウザで簡易設定。だが、全てが失敗。通信状態表示ランプのPPPランプが点灯しないで、点滅のみを繰り返す。PPPの認証に失敗、とガイド書にはある。そして、膨大な時間が経過し、3日目の朝を迎えた。GWなので出来ることだが、普段の日は絶対に出来ないことである。
精根尽きた私は、TTNetサーバーに救いを求めた。Ethernetケーブルを使わずして全てが始まるわけではない、ということが分かった。ジャケットが合わなければ、PCMCA対応ダングレス16bit,10MbpsイーサネットカードLD_CDL/T を電気店から購入して取り付けよ、と訳の分からないことばかりでありました。
結局、ネットワークでダイアルしない、LANを使用する、ADSLサービスを「PPPoAVPI=0 VCI=35 カプセル化=LLC MRU=9180」に設定する、で最終的にはこれで成功した。
これからゆっくり遅いGWを楽しむことにします。神大寺の花でも見に行こうかと思っています。
真面目な嘘 5月3日(金)
不思議に思うのですが、私が ”61才です” と言うと誰も信用しないのです。「61才? ぎゃはっはははははーーーー、もっと真面目な嘘をつけ!嘘は泥棒の始まり、俺はそんなことを信じる馬鹿じゃね……」また、こんな事もありました。電車でシルバーシートに座っておりますと目の前に立って私を睨んでいたハゲ白髪頭の男が怒鳴った。「おい、俺は58才だ。さっきからここに立ちっぱなしだ。年寄りに席を譲るという道徳観念はお前にはないのか! きさまそれでも日本男児か、恥を知れ!」
私は腹が立ったので 「俺は61才だ。それが年上にたいして言う言葉か。馬鹿者、恥を知るのはお前だ!」
すると58才は顔中のたるんだ皺と皮を揺すり、そして白髪の疎林をざわめかして高笑いした。「がははははっはっはーーー、わかぞう! 嘘をつくなら真面目な嘘をつけ……」
彼はそう言うと、いきなり私のほっぺたに自分のほっぺたをくっつけて鏡を前に出した。そこにはしなびれたスルメじじいと、はつらつとした30代の若者の顔があった。
私は黙って立ち上がり、彼に席を譲った。老齢と老化とは全く異次元のものである。老齢はさらに前進を続けるが、老化はその人の心の持ち方、使い方によって停止したり、急速に後退したりする。
もし私に病気があるとするなら、それは超健康という病であり、不老化という慢性病であろう。Can you believe what I said ? Believe it or not, it is true . Ok, see you next !
神とは……? 5月2日(木)
廏戸富聡耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)。訳の分からない漢字ですけど、辞典で調べてみるとなんと聖徳太子の名前でありました。上宮太子(うえのみやのみこ)という名前もあるそうです。
574年〜622年を生きた偉いお方で、用明天皇の第二皇子であります。その彼が富士山の頂上に初めて登った人間、と山梨市の言い伝えに残っている。その時の愛馬が「クロ」だそうです。しかし、よく考えてみるとこれはおかしい。人類の歴史は約500万年前に遡ることが出来るのだから、その間、誰も富士山の頂上に登った人がいなかった、とは考えられない。
そして、彼は神として至る所で祭られている。つまり、優れた人間は神となるのである。中には、どうでもいいような人間や、体のある一部が、神として祭られているところもある。
一体、ホントの神とはなんでしょうか? アダムとイブが禁断の実を食べたために神の怒りを買い、産む苦しみと働く苦しみを泥で固めた地上に追放した。それから人類の地獄の苦しみが始まったのだ。
その神様、残酷だとは思いませんか? アダムとイブは赤子みたいなもの、うまそうなものがあれば当然手を出してしまう。神は馬鹿ではないはず、そんなことを十分に知りながら手の届くところに禁断の実を実らせたのだ。なぜ、金網で囲うとか、番犬を置かなかったのだ。
これは、人間を地獄の苦しみに陥れて、その苦しむ様を見て楽しもうというずる賢い罠だったのだ。つまり、虐待の始まりを作った最初の存在ということになる。
そんなのが神であるはずがない。これは明らかに間違っている。ある優れた人間が、無知無教養下にあった大勢の人間を奴隷化するために、夜も寝ないで昼寝して作ったマインドコントロール書である。ホントの、真実の神とは森羅万象であり、天地大自然、宇宙の無限性である。諸君、目を覚ませ! 真実の神は教団化しない。この世の一切が神であり、全てが愛と正義に包まれて、互いに助け合って進化するようになっているのです。……何でこうなるの、あー、つかれた、きょうはこの辺で、またあした。
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真実の愛は、自然界と宇宙の無限性にある。 4月30日(火)
恋人が見るも怖ろしい顔形になってしまったなら、正直言って逃げ出したくなる。しかし、その心を反省する。私が愛していたのは恋人自体ではなくて、美しさそのものであり、よい子孫を残したいという始源からの本能の成せる欲望であったのだ、と悟りを開くことにする。
逃げ出すような愛は、愛とは言えない。愛とは守り発展させるために捧げる働き、実践であり、正義と厳しさを根底とした思いやりであると思います。
恋人が醜い顔になったとき、絶望と悲しみ、心の傷を思いやり、
「これで変な虫が付かなくなった。有り難い。お前は完全に俺一人のものとなった。ぐわっはっはっはっはははは……」
と豪快に笑い飛ばして上げるのが動物的愛をはるかに越えた真実の愛であります。
また、逆の立場になったときどうするか。つまり、親兄弟から見捨てられ、最愛の恋人からも冷たく振られたとき、天を恨み、人を恨み、自棄のやんぱちとなって身も心もボロボロになって地獄に堕ちていくか……。
それでは情けないと思う。いま生きているということ、それは自然界や、宇宙の愛に抱かれているということではないでしょうか?
たとえ人間は裏切り、罪を着せて罰しても、天地大自然の愛は貴方を守り通しているではありませんか。貴方が貴方自身を見捨てぬ限り、天は永遠に貴方を守り、愛し続けているのです。
愛されることよりも……、つまり求めることよりも、愛し、捧げる心となる。そこに真の喜びと生き甲斐が沸き上がってきます。
我々は両親によって作られたのではありません。両親の肉体という自然、宇宙によって作られたのです。ですから、我々の真実の根元的親は、この自然界であり、宇宙の絶対性、無限性となります。
さあ! 心の目を開いて、貴方の真実の親を見つめようではありませんか。そして、愛と正義を土台とした寛大な心、思いやりで己の勤めを全うし、心を磨きつつ未来へ羽ばたきましょう。
今宵の仕事 4月25日 晴れ、曇り、一時雨 木曜日
現場は関町南4丁目7、青梅街道沿いの巻き込み道路改修工事。監督は向井さん。アスファルトの厚みは25a〜30a。それを平さんが操作するリムバーで鋏み、砕いていく。
その後、25a下がりの路盤不陸を行い、プライムコートして圧処理の基層舗装を行う。下がりの写真を撮り、さらに10a厚みの2層目舗装を行う。最後は5a厚みの表層と相成って90%工事完成となります。
後は、シールコート、仮白線、面積証拠写真、掃除、保安帯解除、となって作業終了であります。同時に雨が降り出した。日頃の行いがよいせいか、天も我々の味方をしてくれる。もし、途中で降られたりしたら、致命的な打撃を被るところであった。
作業員 → 吉村、比嘉、中野、横山、上、私
オペ → 平
時間 → 9.00〜17.00
盲亀浮木の縁 4月23日(火)
鶴は千年、亀は万年といいます。その亀は、恐らく、五千年以上も生きると老眼が深刻化し、ついには盲目になってしまうとご推察申し上げる。その盲目の亀は、百年に一度だけ大海の海面に上がってお天道様を拝み、百年分の深呼吸をするのだと思います。ところがであります、その亀が、また百年が過ぎて海面に頭を突きだした時、丁度そこに穴の開いた板切れが浮かんでいて、頭がすっぽりとその中に入ったのであります。
こんな事は不可能に近いくらい滅多にあり得ないことです。たった一枚宝くじを買ったら、それが三億円の当たりクジだったという事以上の希少確率なんです。
しかし、今日、私はそれに等しいくらいの確率に遭ったのです。朝四時半に起床し、車を飛ばして高松の置き場に行く。そこで大型の保安車に乗り換えて、来た道を逆行して石神井台の会社に行く。水タンクに水を満タンにするためであります。
現場は関町の青梅街道、東京都第四建設課の道路改修工事であります。水は約十五分ほどで一杯になる。その間私は横脇の小さな公園のベンチに座って朝の缶コーヒーを飲んだ。近くの自動販売機で買ってきたものです。
朝の日差しは柔らかく、静けさの中に小鳥のさえずりがする。「生きるという事はすばらしい、天の神様、この素晴らしさをありがとう!」
私は心で叫んで缶コーヒーを前に突きだした。するとその穴の中に黄色いものが尾を引いてスーっと入ったのです。な、なんだこれは! 私はビックリして上を見上げた。すると羽ばたきがして、ケヤキの天辺からカラスが飛び上がった。そして、勝ち誇って啼いたのです。「アッホー、アホー…」
コーヒー缶の穴の縁に汚れはない。糞は見事に穴の形をして入ったのです。ここまでやるとはお見事、神わざ、いや、奇蹟のカラスワザであります。私は尊敬と畏敬の念を込めてそのカラスの行方を見つめた。
こういうことは無限分の一の確率と思いませんか? 盲亀浮木の縁、そして、カラス糞落下の縁、きょうは良いことがある。私はやる気を倍加させて現場に向かった。
4月21日(日) 幸せとは何か?
私のバーさんはどういうわけかオペラが好きなんです。ラジオやテレビの音楽番組で聞いたことはあるが、それは地獄の音楽、私の正常感覚を根底から破壊するものであります。
半年ほど前、市民会館ホールでオペラコンサートがあった。うちのばーさん、勝手に私の分まで前売り券を買ってあったのです。しかも一枚8000円! しかたなく私はバーさんに追いて行った。
カルメンのハバネラ、セギディリア、闘牛士の歌、などが独唱、重唱、そして合唱で入り乱れ、狂乱の怒濤となって爆発を繰り返した。バーさんも感動の爆発、私の手を強く握り締めて、つねったり捻ったり、挙げ句の果ては私の顔面に強烈な肘鉄を炸裂させた。
その衝撃で、私の眼からは無数のハート型の火花が飛び散り、それがオーロラとなって宇宙の無限性に広がった。 い、いったいこの悲鳴コンサートのどこが良いのだ。馬がいななき、山羊が悲鳴を引きずる。豚が断末魔の声を上げて、山猿の群が欲求不満の呻きでハミングする。ゴリラとオランウータンが互いに罵り合い、禿タカとカバが恋をささやく。……ぎゃー俺はもうだめだ、これ以上聴くと狂い死にしてしまう。
ようやく終わっての帰り道、バーさんはハンドルを握る私の手に顎をのせて言った。「私とっても幸せ……」 ん……? 一体、幸せとは何か? 一晩中考えたが解答は出なかった。誰か教えて下さい。
4月12日(金) 山梨、桃源郷花見ツアー
「東日本旅客鉄道株式会社ー八王子支社営業部企画課ー旅行業グループ」……、つまり、「JR東日本の旅行グループ」が企画した山梨、桃源郷花見ツアーに、昔の若い娘である私のバーさんが一月ほど前に申し込んであった。
キャンスルすると6000円がパーになるので仕方なく仕事を休んでいくことにした。 貸切の団体専用列車は西国分寺駅に10時28分に到着の予定だったが、三鷹駅で別の通勤列車に急患が出たというわけで10分余りも遅れた。 意外と客は多く、300名前後はいたと思います。ほとんどがご婦人方で、男は私と70近くの紳士の二人だけ……。それはごもっとも、週日は大人の男はほとんど仕事をしていることになる。
私は後悔したが後の祭りであった。6000円なんか、こんな恥をかくのであればどうでも良かったのだ。ほとんどが私のバーさん以上の昔の娘さん達であった。
列車は11時58分、山梨県の石和温泉駅に到着した。それから貸し切りバスで御坂町の桃源郷へ……。ところがであります。何と桃の花は暖冬のせいで90%も散っていたのです。
事態は急きょ「葉っぱ桃源郷落花見ツアー」となってしまった。しかし、高台の一部に花が残っていましたので、バスの運転手さんは細い坂道をバックで上がり、健気にもわざわざそこまで連れていって下さったのです。
すばらしい眺めでありました。桃の花の深紅が空に溶け込んで、周囲の山肌をピンクに霞ませていました。これで満足、何も思い残すことはありません。
ところがであります。なんと滝川村でワインを頂き、御坂町の公園ではジャムと味噌汁を頂いたのです。弁当はJRから……。そして、マルスワイン、モンデ酒造ではワインの試飲が銘柄ごとに行われた。おばさま連中は飲み放題となり、お顔真っ赤っかで、ぎゃーぎゃーわいわいとお喋りが止まらない。
帰りの鞄はただのお土産でいっぱいとなった。桃の花は散っていたが、来年の春にはまた咲くではないか……。しかし、私のハゲかかった頭は来年はますます禿が広がるばかりで、桃の花と共に毛がふさふさと蘇るわけではない。……しかし良いではないか。私の心にはいつも桃以上に赤い花が咲いているのだから……。
4月7日(日) 4月6日、土曜日、地獄の花粉症
舗装工事を終えて帰宅準備をしていると痩せた吉村親方が言った。「グリーングラスで一杯やるか……?」ケチな彼がそう言うとは珍しいことである。もちろんOKした。
私は6年間、夜のネオン街とはご無沙汰している。なぜか? それは悟りを開いたからです。心の完成、それが私の人生の目的であります。別に私は自分を美化しているわけではない。純粋無我のままに己を見つめて目標を定めているだけなのです。
そんなことはどうでもいいのでありまするが、着替えてその店に着いたのが夜の7時過ぎでありました。薄暗い照明の店内には客はなく、白髪頭のマスター、70才がカウンターの裏で立っていた。
彼は2人を見るとにやーっと笑顔を見せた。まるで10年間途絶えていた客が来たというような、絶望から解放された疲れた笑顔であった。親方はウイスキーを、私はキンキンに冷えたビールを注文した。
アルコールの度数が体内にかなり蓄積されると男は馬鹿になる。親方はカラオケを歌い出した。北帰行とかギターを抱えた渡り鳥、ずんどこ節、その他いろいろ。まるで鶏が首を絞められて出す時の、あのひきつった振るえ声である。
私も歌うことを強制させられた。彼が金を出すのだから逆らうわけには行かない。仕方がないので「北へ」を歌った。ところがである。私は重症の花粉症で鼻が完全に詰まっている。 ん、 に、 ね、 など、鼻にかかるところは声が出なくなる。無理に出すと耳から音が出て、はなだれが飛び出す。
私は苦しみながら懸命に歌った。ところがそういう鼻詰まりの歌がものすごく良いというわけで私は親方とマスターから何度も何度もリクエストされる歌う羽目となった。
午前零時過ぎ、ようやく解放された私は終電車を秋津駅で逃してしまった。その上、雨が降り、風が吹く。仕方がないのでコンビニエンでラーメンをかって店の軒下で雨宿りをしながら1人寂しく食べた。
それからタクシイーを拾い、家にたどり着いたのが午前2時過ぎでありました。本日、7日午後4時、私は凄まじい二日酔いでまだ寝ています。諸君、鼻詰まりの時のカラオケは止めた方が良い.
4月4日(木) サメに救われた話
9才が10才の頃、 バナナの木の幹を浮き袋にして珊瑚礁の海で泳いでいた。沖縄の離島、宮古島の海は真っ青で美しい反面、海流が入り乱れて危険な場所が多い。海面は穏やかでも、5,6メートル下は激流が渦を巻いたりするのです。特に潮の満ち引きの時が凄まじく、気が付くと周囲は逆巻く渦潮に取り巻かれ、波に沈み行く干瀬に取り残されていたりする。
昔はそれで行方不明になった人が大勢いたという。そうとは知らずに子供の私はバナナの幹に片腕を乗せてばたばた泳いでいた。ふと気が付くと島が遙か遠くに見えた。しかも凄いスピードで沖へ沖へと流されていたのです。私はビックリしてバナナの幹にしがみつき、懸命に足をばたつかせて島へと向かった。
だが、海流の勢いは凄まじかった。あっという間に私は東シナ海のど真ん中へと引きずり込まれてしまった。島はもう見えない、見渡す限りの海原であった。私はわーわー、ぎゃーぎゃー泣き叫んだがカモメが上空で舞うだけで、助けはどこにもなかった。
そのうち、バナナの幹がふやけて私の体を支えきれなくなり、ボロボロになってしまった。私は立ち泳ぎでしばらく浮かんでいたがとうとう力尽きて沈みかけた。
その時である、私の股間にすべすべした個体が勢いよく入り込んで体を海面へ持ち上げた。それは体を微動させながら凄いスピードで動いたのであります。あっという間に眼前に島の砂浜が現れ、そこへ私は放り投げられた。
訳も分からずに立ち上がって海を見ると、大きなヒレが海面を切りながら沖へと去って行くところであった。サメだったのだ、私を救ったのは……。それ以来、私は得体の知れない何者かの存在を信じるようになった。 Can you believe what I said ? Believe it or not, it’s true. Ok, see you next time.bye bye !
私は幸せ 3月27日 水曜日 曇り時々雨
朝4時半に起床して5時に家を出る。軽乗用車を走らせ所沢街道、新青梅街道、富士街道、そして石神井公園駅横の踏切を越えて高松の置き場に着くのが6時前後となる。それから3トンの保安車に乗り換えて逆戻りし、石神井台5丁目にある会社でタンクに水を満タンする。そこを出るのが6時半頃。
現場は江戸川区南篠崎1丁目から4丁目辺り。目白通りから新目白通りに出て、飯田橋、九段下から靖国通りに出る。江戸通りからはそれは(国道14号線)京葉道路となる。隅田川、荒川、白川、新白川を越えて現場に着くのは8時前後となる。工事名はガス工事後の路面復旧工事。
作業を終えて帰途につくのは6時頃となる。それから渋滞道路を走らせて高松の置き場に着くのが8時過ぎ。家に着くのは9時過ぎとなる。それから着替えてシャワーを浴び、ビールを飲んで床につくのが11時頃。
しかし、昔の沖縄離島の農民のことを思えば楽である。朝4時から野良仕事に出て、星の明かりを頼りにして真夜中まで働く。しかも全てを年貢にとられた上に、48品目の海産物を納め、一月の中、10日間は公役作業に従事せねばならなかった。日照り、台風、疫病、で不作が続き、年貢が納められないと拷問が待ち受けている。
口減らしのために妊婦を三メートルの幅の崖を飛ばす。飛べずに落ちた者は死ぬ。かろうじて生きていたとしても子供は完全に流産する。 ある日鐘が乱打される。村人達は一斉にトング田という50坪ほどの田んぼに駆け入る。そこに時間までに入れなかった者は皆で寄ってたかって撲殺する。殺される者は病人か身体障害者たちである。これで口減らしが出来ることになるのだ。
赤子埋殺、間引きは暗黙の公認であり、至る所で行われていたと記録されている。そして、その地獄の上で首里王府や薩摩藩は贅沢三昧を繰り広げたのである。
それに比べれば私という労務者は幸せと言わざるを得ない。働いた分はちゃんと給料が頂けるし、雨の日は今日のように骨休みが出来る。それにビールが飲めるし、あたたかい家庭がある。こんな素晴らしい時代に生まれて有り難いと思う。全ては神々のおかげ、感謝感激しなければならない。
カタクリの花です。清瀬市下里二丁目にある下里保存林に今、咲き誇っています。
生きている限り現役 3月9日 土曜日 晴れ現場は豊島区雑司ヶ谷1−12、雑司ヶ谷霊園と住宅地との境目の道路、夜間作業である。工事名は下水道工事路面復旧、元請けは足立建設。監督は若い矢作さん。元請けの監督は名前は分からないが矢作さんと同じぐらいに若く、両松葉杖である。足を怪我していて見るも痛々しい。それでも懸命に監督としての任務を遂行しているから感心する。
作業は夜の8時から開始し、翌朝の4時前後には終わる。道路に隣接する民家の苦情を神経過敏に考慮して、雑音を出来る限り押さえて作業しなければならないところである。矢作さんの勘が冴え渡り、作業は順調に進行し、6日に始まった難工事は今夜で終了するところまで漕ぎ着けている。
作業員は山崎、上、横山、比嘉、中野、私の6名。高年と老人パワーが効率よく絡み合った特殊ベテラン部隊である。汗を流して働く、それ以上に素晴らしい事が人間にあるだろうか? そしてそれ以上に若さと健康を維持する方法があるだろうか? 愛と正義に基づく寛大な心と思いやり、そこから眺める世界と己の勤めのまっとう、そこに人間が求める究極の本物と真実があると思う。
作業が終了し、全員が帰宅した後、私は保安車の走行時の安全性を確認し、安全靴を脱いで普通の靴に履き替える。闇に街灯が至るところで光り、深い静寂と冷気が霊園全体を覆う。黒々と立ち並ぶ石塔。 ……突然、視界に夜空にそびえ立つ超巨大な石塔が現れた。 しかもその石塔は至る所にライトが付いていて派手である。石塔のお化けか? よく見るとそれはシャンシャイン60の壮大なビルの勇姿であった。
今夜でこの現場は終了する。1,2に勢い、3、4に勢い、そして5,6にやる気と誠真実である。人間を鍛え強くするのはそれ以外にはないと思う。人間100才であろうが200才であろうが生きている間は現役である。隠居、定年は人生の終末意外のなにものでもない。その気持で今夜もやる気まっしぐらと行きましょう。
冷たい世間の風に負けず 3月4日 月曜日 晴れ2月19日腰痛で休んだ。翌日の20日は練馬石神井台の舗装現場の清掃洗浄と会社駐車場の簡易舗装をした後、夜勤となる。現場は港区しろがね台4−4。ガス工事路面復旧工事であった。それから日曜休みなしの25日までその現場での夜勤工事が続いた。
しかし、機械の音がうるさいという住民からの苦情が来て26日は中止と相成った。だが、27日は江戸川区の篠崎町の現場となる。それから3月1日までその現場に通い、2,3日は再び白銀台の現場となりましたのでございます。 夜勤は出来なくなったので昼勤でやったのでございます。
以上とりとめない文体ですが、何しろ疲れちゃっていますので笑って許して下さいませ。それに、花粉症がひどくてノックダウンでございます。
しかしであります。いかなる苦境に陥りましても心一つの世界、やる気と勢いがあれば人間に不可能はないのであります。明日もまた、花粉症のいじめと冷たい世間の風に負けず勢いをもってがんばることにする。
難工事のクライマックス 2月16日 土曜日 晴れ現場は石神井台5丁目8〜12辺りの住宅地の道路。ブロック塀や垣根が道の両側に続き、しかもマンホウルが至る所に点在する。機械を使っての舗装工事にはやりにくい条件を備えもつ現場である。しかし久しぶりに会った山崎監督の目は輝いている。昨年の11月に始まった難工事のクライマックス、最終仕上げであるからだ。総工事の出来映え、優劣がこの最後の舗装工事一つにかかっているともなれば当然そうなる。
朝のミーティングで山崎監督の気迫が白熱の炎となって広がった。身長180a余の巨体からは青白い光が揺らめいて発しられている。
「きょうはあそこからあっちまでの舗装をやる。予定はアスファルト60トン、塊粒2号、樹脂入りである。どんなことがあってもみっともない舗装をしてはならない。親会社の三共建設の顔をつぶしてはならない。それにL型ブロックに油を垂らして汚してはならない。
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とにかく初恋の人と接するように丁寧に作業してくれ。レーキは吉村さんと仲間さん、スコップは南陽土建さんの二人、プレートは横山と南陽土建さん1人、タイヤローラは上さん、コンバインは高橋、以上、よろしく頼む」PCを使ってのスリ付けの撤去と掃除のあと、10時50分より舗装開始。凍り付いた真冬の寒気をアスファルトの高熱が溶解する。フニッシャーやプレート、アスファルトを満載した4トン車の轟音、作業員やオペ達の怒号、まるで戦場、男達の戦いの場である。
全員が汗にまみれての真剣な作業である。そこにはチームワークがあり、個人個人の意地とプライド、責任がある。フィニッシャーが敷き均していくアスファルト、それがL型ブロックより高ければレーキで削り、低ければスコップマンに頼んでアスファルトを投げてもらう。高からず低からず、足跡を残さず滑らかに、 それはレーキマンの芸術でもあり、心の姿の表現でもあるのだ。
向かい側では吉村親方が同じようにレーキを使っている。痩身は汗まみれとなり、それが湯気となって立ち上っている。彼も私と同じ61才、老いてなお盛んなりであります。
作業は6時前に終了、暗くなった道を私は小泉学園駅へと歩いた。「悪くない出来映え」 山崎監督の表情が無言の言葉を発していた。 そのためか歩きながらのビールが冷気の中でうまい。明日は日曜日で休み。月曜日は残った舗装をやる。心一つ、やる気一つの体である。それがなければ人間は若くても老化してしまう。 「不老不死は一に勢い、二にやる気である」 上空の三日月がそう語りかけた。
老婆と犬の戦い 2月12日 火曜日 晴れ
(午前5時23分 )
数日前、現場へ行く途中の道はラッシュで混雑していた。世田谷の赤堤通りから環七に出て、目黒通りに入って中目黒の現場に行く計算であった。親方の吉村さんが運転し、後部座席で私と横山が無我の境地で座っていた。上さんは2トン車で後から続いている。梅ヶ丘駅前を過ぎたとき何気なく道端に目をやると、70前後と思われるおばあさんが大きな犬を従えてお地蔵さんを拝んでいた。
祈る姿は素晴らしいものです。うっとりと眺めていると,このおばあさん、今度はお供の犬の頭を両手で押さえて拝まそうとした。犬様はいやがって頭に力を入れて下げない。 老婆と犬の戦いが遠ざかっていった。お地蔵様が困った様子で1人と一匹を見つめていた。その後、犬が拝んだかどうかは定かではない。
聖戦とは? 2月11日 月曜日 建国記念日 晴れ
聖戦という単語は超然的神々の辞書にはないと思います。人間が勝手に作った単語であり、真実の神に対する冒涜です。
「神のために戦って死んだ者は、あの世に行くと10名以上の妻が持てる」
これは聖戦ではなくて、性戦ですね? こういうでたらめをテロに参加する者達にあのオサマ、ビン、ラディンが言い聞かせているのです。権力の頂点にある者たちは弱者を食い物にしてはなりません。弱い者を助け、才あるものを生かして人類の繁栄と進化発展に貢献する。この世に思いやりに根差す愛と正義、心澄み切ったさわやかな心の世界を打ち立てるために働くのがその義務であるはずです。
富と権力を得、多数派の頂点に立った者達は自分が神になったような錯覚に陥り易くなります。しかし人間は総て心臓の鼓動一つ、息一つの弱い存在であり、金持ちだから、総理大臣だから心臓の鼓動もなく、息もしなくて生きられるという訳ではありません。
みな同じように年を取り、老化して死んでいくのであり、大切なことは心の完成なのです。強い精神力を築き、魂を浄化する、それが生きる目標であります。次の生まれ変わりの時にそれらが受け継がれることになります。生命体はそのようにして進化発展してきたのであります。……ではきょうはこの辺で、お休みなさいませ。
今、日本が考えること 1月20日 日曜日 晴れ
日曜日に休めるのは久しぶり。サッシュ戸を開けると、広がる薄雲を透過して朝の光が眩しく部屋に雪崩れ込んだ。明日は雨の確率80%という予報がでている。この光のまぶしさからは考えられないことであります。人間はさまざまな悩み、不安を抱えて生きている。それが進化発展の原動力とはいえ、現代日本においては心の完成、精神の教化、魂の浄化、という最も大切なことが軽視されているため重大な局面にさしかかっている。
最近ADHD(多動性)児の増加が問題となっている。じっとしておれず走り回ったり、壁を叩き続けたり、立ったり座ったり、手当たり次第に落書きをしたり、一時もじっとしているときがないのです。しかも、言葉が全く無い。
これは最も危険な状態にあるといわねばなりません。この子の全身全霊を支配しているのは不安、恐怖、悲しみのパニックであり、いまにも崩れそうな精神状態を多動いう形で維持しているのです。それがなければこの子は狂い死にするしかないのです。
全て親の責任です。親は子供を安心させる、それが親の勤めです。「親が働いているから子供は生きていられる。親に感謝しろ」 とか、「親に孝行せよ」 というようでは親として失格です。
「お前達が可愛い、だから父さんはどんな苦労も出来るんだ。お前達は私の宝だ。お前達のためならたとえ火の中水の中、地獄の閻魔とも喧嘩してやる」 というぐらいの言葉が子供を生かすのです。
愛と正義に基づく寛大な心と思いやり、それが現代日本人の心から消えかかっていると思う。全ての出発点はここにあるわけで、これを無視しての経済復活、繁栄、進化は絶対にあり得ないのです。畑に肥やしをまかずして作物の豊作があり得るか、収穫した米から、その一部を種として確保せずして来年の米の収穫があり得るのか?
民衆は畑であり、種をまくところである。民衆に肥やしを施さずして豊作があり得るのか。しかしいまの日本大企業はどうか? 銀行はどうか? 己の利益だけが優先して肝心な種と肥やし、畑の手入れを無視していないのか? リストラ、国内労力を無視し、労働コストの安い外国労力依存、これでは日本国内に不況の嵐が吹きまくり、企業は己の首を絞めて死滅していく結果となる。
そして日本国消滅、残ったのは幽霊のように外国を飛び回る大企業のみとなる。そうなったら最後、この世は終わりである。もっと真剣に、人間にとって最も大切なことは何か? いまの日本、それを考える時期のあるのではないでしょうか?
人生は甘くない 1月17日 木曜日 雨のち曇り
14,15日と夜勤が続いた。現場は足立区の伊興本町2ー10。車道の路面復旧工事であった。つまり、アスファルト舗装をはぎ取って、新しく敷き均すというわけである。ところがアスファルトの厚みが36,7aもあって、平さんが操作する大型重機でも歯が立たないのである。 平さんは汗だくとなってレバーを押したり、引いたり、回したりの大奮闘であった。
アスファルトをはさんで引っ張る。しかし上がるのは平さんの重機だけ。見ている人は気が気ではない。しかたなく杉山監督はカッター屋さんに命じて40a深さでアスファルトを切り直させた。25aの設計だったのでその分しか切ってなかったのであった。
ようやくアスファルトをはがし終えたのが午前零時、それからマンホール2個の調整とその周りの樹脂注入作業が開始された。そして7a、7a、6aの3回打ちのバインダー舗装がその後に行われ、すり付け舗装を終えたのが6時30分過ぎであった。その頃になると車の大洪水となっていた。
15日は表層だけなので簡単と思っていたが人生はそうは甘くはなかった。大ハンマーをふるって古いアスファルトを剥がす運命が待っていたのだ。そのアスファルトを撤去しないことには表層が出来ないのだ。PCではどうしようもなく、のみを大ハンマーで打ちつけねばどうにもならなかったのです。それに1時間半ほどが費やされ、体全体が痺れてしまった。
きょうは代休となったが、筋肉痛と風邪で体がおかしくなったので一日中寝ておりました。明日からは荒川区の篠崎町の工事が始まる。また、勢いをもって頑張りましょう、と自分に言い聞かせた。
梅花の種類 1月13日 日曜日 晴れ現場は千代田区の平河町2−4、ガス工事路面復旧工事。プリンス通りで、全国都市会館とかプリンスホテル、平河中学など素晴らしい建物が建ち並んでいる。
工事内容は歩道のインターロックを復旧することであるが、それは専門の職人が来るので、我々はそのベースを作ってやることが仕事であった。歩道の乗り入れを34aまで切り下げて、砕石を10セン、5センと入れて路盤を作る。それからアスファルトを5セン、5センの2層打ちで敷き均す。あとは3セン厚みで砂を敷き均し、6a厚のインターロックを職人が並べていった。
昼休みに都市会館の裏にある小さな梅園を見て回った。ブンゴウメ、 ウメ’シロカガ’、 ウメ’ベニチドリ’、 ウメ’ミチシルベ’、 カンコウバイ、 シダレウメ、 etc。 白梅と紅梅しか知らなかった私はビックリした。梅にもこんなに種類があったとはただただ驚きである。
下水道復旧工事 1月10日 木曜日 晴れ
2002年の初仕事は8日からで、いきなり夜勤であった。現場は足立区の伊興本町2−10、交差点の下水道復旧工事である。歩車道ブロックやL型特殊ブロック、エプロンなどの基礎からの撤去と設置、それにつながる車道と歩道のアスファルト復旧がその内容である。規模としては長さ12,3メートル、幅80aだが、交差する右方道路からのカ−ブなので複雑。ガードパイプ、電柱、標識などの障害物がごちゃごちゃしてやりづらい。24時間コンビニエンス、ローソンもあって遅くまで客の出入りがある。その上ベースの厚みが21aもあって撤去が困難を極めた。
PC(パワーショベル)を操作する比嘉さんが大奮闘。顔を引きつらせたり、苦笑したり、口をへの字に曲げたりの表情変化が慌ただし。上さんが大ハンマーで、バケットが長々と引き起こしたべースを割ろーとするが簡単ではない。私と吉村親方の3人で交代しながら何とか割り続けていった。
8日の夜から9日の朝5時半までかかってようやく歩車道ブロックのベース打設までこぎ着けた。9日夜8時から翌朝の4時半まででは歩車道ブロック、L型特殊ブロック設置、エプロンの生コン打設が完了した。今夜は歩道の浸透式アスファルト舗装の予定である。難工事は終わったので監督の杉山は大満足の笑顔をちらっとみせた。
何のために額に汗するか? 1月5日 土曜日 晴れ
明けましておめでとうございます。時の流れというのは速いものです……。いつの間にか61才になってしまいました。夜空に忽然と現れてあっという間に消える流星、私の61年はそれよりも短かったような気がする。
しかし、 インスタントラーメンに熱湯を入れて待つこと2分、空腹時にはそれが61年以上の長い歳月となるから不思議です。そして、食べ終わった後は、相対性原理を無視した極微の時空へ瞬間移動してしまう。
時の流れ、歳月、風雪というのは過去の領域に入った途端、全てが一瞬という次元と同化してしまうんですね。10年は矢のように飛び去り、百年は草花から落下する朝露のきらめきとなって消える。現時点から過去への転換は一瞬の出来事で、そこからは淀んだ時の海が忘却の闇と共に広がる。
そう考えると人生が空しくなり、孤独と絶望とやけくそのブラックホールへと真っ逆さまに落下してしまったりする。そして、酒だ、カラオケだ、パチンコにスロットだ、となって荒れた人生となり、家庭崩壊を招く結果にもなりかねない。
しかし、それではいけないのです。我々が生きているのはなんのためでしょうか、なんのために額に汗して働き、なんのために家族を養うために外に出て、7人の敵と戦わねばならないのか?
それはただただ、未来永劫への大河の流れから離脱しないためなのであります。我々は死んだらそれっきりと思い込んではなりません。死は決して完全な消滅ではないのです。生と死という二つにして一つの連続が時空の大河を浮き沈みしながら前進しているのです。
それは宇宙の姿と歴史を見れば分かります。 直径わずか2センチ前後の眼球ですか、幸い我々は半径百数十億光年という超広大な宇宙の姿をその中に取り入れることが出来ます。そして最新科学技術を駆使して観測した結果、生と死、発生と消滅、生成と崩壊、という連続が宇宙の姿であることが分かったのです。
ということは我々の地球、太陽系も後50数億年前後で粉々に爆発して消滅する運命にあるということなのです。そこから再び原始太陽が出現し、新たな地球が誕生することになるのですが、それまでには数十億年がかかる。わずか百年前後しか生きられない我々人間には 絶対に待てない年月であります。
おそらく、これからの地球環境は急速に変化し、生物が生息できるのは後数億年かも知れません。その間に人間は万物の霊長としての義務を果たさねばならないのです。その義務とは何か?それは宇宙の至る所をわが庭として自由に飛び回り、気に入った惑星を地球と同じ環境に改造して、そこに他の生物を引き連れて移り住むことが簡単に出来る科学技術を完成させることなのです。
人間がここまで進化できたのは自分だけの力と自惚れてはなりません。他の動物や植物の犠牲こそが人類をここまで進化させたのであり、人類パワーの根源となっているのです。他の生物の願望と期待は、愛と正義に基づく人類の思いやりと寛大な心の完成であり、終末からのあらゆる種の救済なのです。
最近、狂牛病が流行りかけましたが、それは人間のでたらめさに他の動物の代表として牛が怒ったのです。「欲の亡者の人間どもめ、義務を果たさず、弱い者ばかりいじめやかって、モー、ゆるさねー」 と言っているのです。
ということで訳の分からないことばかり並べ立てましたが、つまり、要するにこういうことなんです。
強い者は弱い者を助け、弱い者は努力して強くなれ!その目的は心の完成であり、世界の人間が愛と正義に基づく思いやりと寛大な精神で互いに助け合うことである。
国、主義主張、宗教、人種の壁を打ち破り、全てが宇宙という一つ屋根下の兄弟姉妹であることに目覚めよ。そして、心を浄化して豊かになり、清らかな心、魂で宇宙時代へ突入しましょう、ということなのであります。