(2003.7.23〜10.16)

      

目次

2003年



10月16日 川辺の雑草

作業内容は草刈、現場は旧新河岸川でした。肩掛け式草刈り機を体に装着し、エンジンをふかして川辺の雑草を刈っていく。無残にも刈られていく雑草は、それぞれ特有の匂いを放って倒され、吹き飛ばされていく。

1人の人間が生きて働き、繁栄への道を歩むということの裏には、無数の、様々な生命体が犠牲になっていくものです。高速回転する刃に巻き付き、切り飛ばされるのは雑草だけではない。

慌てて逃げるトカゲ、バッタ、蛙、青大将、蝶々、虫類、その他いろいろ、気をつけているつもりだが、時々、運悪くそれらが飛び込んできて切断されたりする。

雑草たちは集団で生えている。ススキ、セイタカアワダチ草、イヌキクイモ、ナズナ、ノゲシ、ニラ、ヒメジオン、アメリカセンダン草、その他いろいろであります。

タンポポの集団もあった。タンポポは、その根っ子の白い液がハゲに良く効くという。

私は周囲を注意深く偵察した後、その根っこを引き抜き、薄くなった額と頭皮の境目にべたべた塗ってみた。強い粘着力があった。不思議にも、ハゲがあっという間に無くなった。

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10月13日 月下美人、勢ぞろい開花なるか?

先月の9月27日、闇夜に妖艶な姿を現した月下美人花、一夜にして衰勢して果てたがその後、15個のつぼみを付けた。

10月1日、1.6センチのつぼみが11個、1.2センチが4個あった。観察した結果、一日に4ミリづつ伸びていることが分かった。

今朝、10月14日、6.1センチが4個、5.8センチが4個となっております。計8個、残りの7個は生存競争に負けて落下いたしました。誠に可愛そうです。

成長は急速に加速度をつけているような感じが致します。おそらく今月の末頃一斉に開花すると思います。果たして無事勢ぞろい開花なるか・・・? 観察を欠かさず、祈りながら見守ります。

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10月 10日 まともで行きましょう!

社長の要請で、下請けに出した舗装工事の応援に狩り出された。住宅地で一定勾配の取れないややっこしい道路であります。したがって下手すると水が至るところで溜まり、全面やり直しを喰らい、会社は信用をなくし、下請けは倒産となる恐れが大であります。

現場に着きますと、下請けの作業員達は良い顔ではなかった。助っ人が来た、ということは自分らの評価が良くない、というように解釈したからだと思う。

しかし、そんなことを一々気にしていたのでは不老不死と、永遠の美貌は維持できない。したがって遠慮容赦なく己の判断と信念を貫きながら作業を続けていった。

しかし、命令はしない。お願いの形式をとる。

「申し訳ないが、ここは水溜りが出来るのでスコップで5杯、アスファルトを運んでくれ・・・。いやー、ありがとう、助かった。お前、いい男だ! 帰りにビールをおごりたいが、金がないので、自分で買って飲んでくれ・・・。?

男達はげらげら笑った。それから彼らは一変して親しく話しかけるようになった。特にプレート・ランマーを操作する金沢という男は私のサイドにぴったりくっついて離れない。

「広大さんは何処の出身ですか?」

「私ですか? ・・・沖縄の片田舎ですよ?

「沖縄! ヒエー、あんな遠い所からですか? それなら酒は強いんでしょう? 日本酒なんか、水みたいなものですよね?」

・・・とまあ、知性と教養の情報収集にあまり縁のない会話が、彼との間になされた。

そして午後、社長がやってきた。彼は仕上がった舗装面を見ながら満足の笑みを湛え、それからローラー・マンとして作業に参加した。

口うるさい社長、たちまち現場の雰囲気は険悪となった。

「ばかやろー、前に進まんか! そこのぼけー、やる気がなかったらっさっさと帰れー・・・?

怒鳴られた金沢は怒りの形相となっていた。しかし、相手は社長なので文句が言えない。黙ったままプレートで転圧を続けた。プライドが異常に強い生き物、それは土木作業員という種類の男たちであります。そこで彼に一言申し上げた。

「この世でまともなのは金沢さん、あんたと私だけですよ。上に立つ人、特に社長という動物はまともでないのが多い。ここで我々もまともでなくなったら、世界は終わりです。奴らは無視していきましょう!」

金沢は黙ったままうなずいた。彼の内部のどこかで何かが燃え上がるのが感じられた。

午後5時作業は終了した。新座市水道部の監督がやってきた。彼は隅から隅まで見て歩いた後、「素晴らしい・・・? と言った。

片付けと掃除が終わった後、金沢は私に一礼し、車で去って行った。彼らのグループは明日から仕事がないという。少数の、まともな人々が支えているまともでない世の中・・・、それでも皆さん、まともで行きましょう!

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2003年 9月 30日  ある大男の弱点

今日はアスファルト舗装の仕事、現場は富士見市水谷東の2丁目、新河岸川の土手沿いでした。私は急遽予定を変更されて、レーキマンとして応援に狩り出されたといわけであります。

彼らは富岡組、そのメンバーは、人相は決して良いとはいえない荒くれ男達であります。もっと悪い人相の男がおりましたけど、彼は昨夜、居酒屋で飲みすぎましてダウン、不覚な無断欠勤となっていた。

今日は風が強く、太陽はカンカン照りで青空であったのですが、とっても涼しくさわやかでありました。その中で私のレーキは絶好調、神技を遥かにしのぐ妙技でありました。

すると、一人のおっそろしく人相の悪い男が側に来まして語りかけて来た。身長1メートル90センチ、体重130キロであります。

「おめー、凄い野郎ーだぜ、こんな見事なレーキ裁き見たこともねー、いったいお前は何処の何者だー・・・」

私はびっくり、空を見上げるように彼を見て言った。

「そういうお前こそただ者ではない、一体何処の何者だ。こんな大男見たこともねー、元プロレスラーか?」

「なぬ、ただ者ではない? ばーはっはっはっはっははははは−、気に入ったー。おれはうれしー。おめーの側でスコップを使わせてもらうぜー、ぎゃばははははっはっはははー・・・」

私はおっかなびっくり、笑顔を見せたがそれが引きつっているのが分かる。

作業は昼飯抜きで行われ順調に進んだ。そしてアスファルトを運んでくるダンプが途中で途絶えて、それを待つ身となった。その時が休憩時間となります。男達は大の字になって土手の斜面に寝そべった。

しばらくして大男がゴジラのような悲鳴を上げた。彼はぎゃー、と叫びながら跳んだり撥ねたり、しきりにズボンの裾を手で払っている。

良く見るとそこにカマキリがくっついていたのです。彼は完全にパニック、払い落とそうとする手は全く方向違いの所だけを往復している。カマキリはキョトントし、ズボンの裾から上へと上ってくる。

大男は顔面蒼白、唇は紫色に変わり、目は血走り、頭髪は逆立っている。私はやばいと思った。このままでは男はショック死するかもしれない。彼はカマキリ恐怖症なのだ。

私は急いで立ち上がり、レーキの先でそのカマキリを跳ね飛ばした。大男はその場にへなへなと座り込んだ。

あっけに取られる他の男達・・・。そこで言ってやった。

「カマキリの雄はあの後、雌に食われてしまう・・・。男の定めは同じようなものだろー、笑ってくださるなー・・・」

全員ニヤニヤ笑って黙っていた。・・・弱点、誰でも一つ以上は持っていると思うのですが、公にはしたくないものですね・・・? 


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9月29日 人間にとって善いこととは・・・?

愛と正義と人類愛を土台として、人が何を考え、どういう判断をし、如何に主張するか、それは自由であるに決まっております。

 つまり、あなたの考えや判断には反対でありますが、あなたの意見発表、言論の自由は守らせて頂く、という姿勢が人間には大切である、と申し上げたいのであります。

しかし、そこに快、不快の感情が働き、個人攻撃、蔑み、言葉の暴力、心の殺人が行われるようでは、悪魔に魂を売った獣が、神と正義と愛に宣戦布告するようなものだと思います。

「みんな仲良くし、互いに助け合い、心の完成を目指しつつ、澄んだ心のさわやかな、人間世界実現を目指しましょう!」

と、私は愚かにも別の掲示板で声高らかに主張しました。するとこれに対し個人攻撃の酷評が来た。

「偉そうなことを抜かすな! 人間は皆汚い、何が助けあいだ。人類はみな滅亡する。そんなことを人に押し付けるな。おまえは傲慢だ・・・」

というような意味のことが、難しく哲学的に書かれて撥ねかって来たのであります。

困った人間がいるものでございます。おそらくこの方は、生への執着を否定しながら、それから逃れられづに、もがいているのだと思います。

 思いやりは微塵もなく、人はどうでもいいという心、そして正当な理由があって許されるなら平気で人をも殺す、このような精神構造では、己がさらに悪魔化し、地獄の醜い鬼達と親友になるだけであります。

宇宙は進化を続ける。人類が存続しようが絶滅しようが、そんなことは関係ありません。しかし、人間一人一人がたとえ人間を辞めさせられたとしても、原質において宇宙と同化し、宇宙と共に進化発展し続けることは確かであります。

ばーさんが質問した。

「人間に善いことがあるとするなら、それは何でござんすか?」

「・・・そんなこと言いたくもない!」

「言いなさいったら言いなさい!」

「・・・どうしても言わせたいのか? 聞かない方が身のためだと思いますけど・・・」

「どうしても聞きたい!」

「では、申し上げる。・・・それは ”生まれなかった”ということだ。・・・しかし、いまさら、どうにもならない。だが、幸いにも次に一つだけ善いことが残されている。それは、いつかは ”人は死ぬ”ということだ・・・、わかったか!」

ばーさんはしばらく黙ったあと、皮肉たっぷりに言った。

「馬鹿は死ななきゃー直らない、馬鹿ともおさらば出来る。ほんとに、最高の善いことですはねー! がははははははー」

ん、私は何も言うことはありません。では、また次回! 


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9月28日 
月下美人、神秘的に開花

 27日、仕事から帰り、シャワーを浴びてベランダに出た。18時15分、月下美人のつぼみは弾けんばかりに膨らんでいた。眺めておりますと不思議な気がする。

 繊細で緻密で、高貴で巧み、これほどの芸術を発揮できる技は人間にはないと思う。

 現場で割れた鉢と、こぼれた土にまみれて放置されていた月下美人・・・。ばーさんの反対を押し切ってベランダに植えたあの日から3年、今は私の背丈ほどになっています。

 そして、見事な花を咲かしてくれた。私はその前で椅子に腰掛け、刻一刻と変化していくさまを観察、感動と陶酔の世界へ引き込まれました。

では、23日のつぼみからご紹介いたします。

23日(花茎からつぼみの先端までの長さ15センチ)                     26日(同じく、長さ20センチ)    

     



27日午後6時(33センチ)                                 
7日午後7時(33センチ)

      

27日午後8時




最後はしぼんでしまいました。一夜限りの開花、でも、私の心の中にはいつまでも咲いております。それに、小さなつぼみがあと10個余り付いているのです。それが果たして次の花となるかは謎の謎・・・。

 

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9月26日 月下美人、開花まじか・・・?

黒雲が流れ、雨が降り、日が照る・・・。現場は泥土と化して、田植えでもしたい気持ちとなる。その中での浸透桝と配管作業、全くうっとうしい一日でありました。

泥んこだらけで帰宅、シャワーを浴び、すっきりさわやかとなりまして座禅、天地大自然、無限宇宙の奇蹟と対話致しました。滅私有年有想の境地より全世界の心の完成と繁栄、健康を祈る。・・・それからビールを飲みながらベランダに出ました。

すると、な、なんと月下美人のつぼみが巨大化しているではないか・・・! 一昨日までは葉のところから20センチしかなかったつぼみが、今は35センチにもなっているのです。

見れば見るほど不思議、神秘的であります。花は一夜限りと聞いている。しかし、つぼみの寿命は強かであります。虫眼鏡でしか見えなかったつぼみが、ここまで来るまでには2ヶ月近くはかかっている。

その2ヶ月間、私を楽しませてくれたことに感謝します。開花は一夜にしてさようなら・・・。その寂しさが開花を延期してほしい気持ちにさせたりする。

しかし、やっぱりその花は見たいものですね・・・? 見事なつぼみ、ご紹介いたします。





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 2003年 9月 24日 (水) 彼岸花 
 
 
今日は日高市の高麗へ彼岸花を観に行ってまいりました。10日ほど前より会社へは休暇願いを出してありましたので、気兼ねなく仕事を休めたのであります。

去年も行きましたので2回目の訪問となります。高麗川を渡り、その流れに沿って歩いて行きますと彼岸花がチラホラと現れ、さらに200メートルほど進んで疎林の中に入りますと、そこはもう彼岸花が一面に咲いておりました。

あいにくの曇り空でしたが、その輝きは領域空間を超越して雲までも照らさんばかりでした。

ばーさんは感激、普段の厳しさは失せて、別人のような穏やかな表情でありました。

良妻は夫を政治家にし、悪妻は夫を哲学者にする・・・、というソクラテスの言葉・・・。では、ばーさんのようなお人は、夫を土木作業員にする妻、ということになるのか?

そんなことはどうでもいいですので、満開の彼岸花、どうぞごらん下さい!

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9月21日 パニック結婚式

 昭和35・6年頃だったと思いますが、真夏のある日、従兄弟の結婚式に招待された。仲人挨拶、新郎新婦の友人代表挨拶、そして目出度い琉球古典舞踊と続き、雰囲気は次第に盛り上がっていった。

私の向かいには、宮古島の片田舎から出てきた中年の男性が座っていた。彼は泡盛を飲み、山と積まれたご馳走に舌鼓を打ちながら上機嫌、余興の始まりと終わりには必ず指笛を鳴らし、大声を上げて拍手をした。

「わははははー、目出度い! ご両人、毎晩、子作りに励んで良い子をじゃんじゃん作ってくれ!」

45度の泡盛の威力は凄い。式の中頃には彼は完全に出来上がっていた。そして目の前に、皿に大盛りの刺身が出されたのです。

その頃までは、ワサビは沖縄では殆ど知られていなかった。刺身は酢醤油かヒラミレモン(シークァーサー)、を絞って入れた醤油に浸して食するのが一般的でありました。

彼は醤油に刺身を浸して食べ始めた。かなり酔っていたので、醤油に酢が入っているのかどうかは判断がつかない。

そしてついに、大きなワサビの塊をそのまま口に入れてしまったのです。彼はワサビの存在を全く知らなかった。首を傾げながら口をもぐもぐ、それから目を白黒させたあと、恐竜のような叫び声を上げた。

「ぎゃー、な、なんだこれー、イ、息が出来ない。は、鼻が、鼻がもぎれるー、俺は死ぬー、た、助けてくれー・・・」

彼は、テーブルをひっくり返し、悶え、のたうち、跳んだり撥ねたりの大暴れとなった。

会場騒然、新郎新婦は抱き合って青ざめた。司会者が飛んできて彼をなだめようとした。しかし、暴れまわる彼の頭突きを股間に喰らいそのまま卒倒してしまった。

それから十数分後、彼は救急車で運ばれていった。ワサビが沖縄で知られるようになったのは、その頃からだと思います。


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9月20日 迫力、座頭市

東京は朝から雨であります。仕事は中止、何もすることはない。それで映画を見に行くことにしました。池袋のある映画館、そこで北野武の座頭市をやっております。

料金は1800円、しかし、セニアは「1000円」というありがたい金額なのです。

「セニア一枚」と言うと、チケット売りのお嬢さんが疑惑と冷たい視線を強烈に浴びせた。

「あなたはどう見ても40歳前後です。免許証お持ちですか?」

用心棒らしき大男が近づいて睨みつけて叫んだ。私はおっかなびっくり、免許証を提示した。大男は免許証と私を何回も交互に見た後、急に笑顔となって頭を下げた。

「大変失礼致しました。確かに60過ぎです。しかし、あなた、若く見えますねー・・・」

「そういうあなたは、座頭市にそっくりですね・・・」

大男は苦笑いしながら離れていった。

10時30分スタート、観たくもない予告編を長々と見せ付けられた後、いよいよ座頭市となった。

茶髪なのか金髪なのか、わけの分からない座頭市スタイルに唖然。道端で座っているところをヤクザ連中が襲いかかる。

奪われていた朱塗りの仕込み杖を、一瞬の隙を突いて奪い返し、稲妻のような早業であっという間に全員を切り倒してしまった。

血しぶきが吹き上がり、死体が散乱、地面が血に染まる。そのようなシーンは凄まじい迫力を持って次々と展開されていく。

1人暮らしのおうめ、彼女と二人っきりの夜を同じ屋根の下で過ごしても指一本出さぬ座頭市・・・。誘惑に強く、情けに弱く、悪に強い。しかも、修羅場を何度も潜り抜けてきた経験は、鋭いひらめきと判断力、冷静な精神構造を高度に完成させている。

それでいたユーモアが豊か。随所で見る人を笑わしてしまう。この映画全体に漂っているのは、悪をたった切る、弱い者の味方をする、人間の心の脆さ、悲哀であると思います。

北野監督は黒澤明以来の名監督であると確信する。旧体制を超越し、さらにそれを肥料として新しい次元を創造する。

この世は諸行無常、絶えず変化して止まない。それがこの宇宙であると思う。北野武はその範囲内を素晴らしく徘徊している。

望むことは、その範囲さえも超越してほしい、ということです。人類の究極の目標はそこにある、と思いますが・・・、どうでしょうか?

それにしても最後のシーン、若い百姓の男女がタップダンスを遺憾なく発揮するところ、凄い迫力でした。音楽もいい、あのようなお祭りなら毎日やってもいいですね!


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9月19日 今日の出来事

今日はいろいろなことがありましてグッタリであります。

朝、4トン車に乗せられたバックフォー・トラクターを降ろす作業に取り掛かった。4トン車上のバックフォーに乗り、エンジン始動、荷台がスライドを完了すれば、レバーを前におして下りていくだけの単純作業であります。

ところが、荷台はスライドせずに、ダンプアップを始めたのです。yさんがFTPのボタンを押したまま操作したためでした。

ダンプアップしていく荷台、見る見るうちに私とバックフォーは高々と上っていった。このままでは滑り落ちて地面にドッカーン、一巻の終わりであります。

ずれ落ちていくバックフォー、私はびっくり、間に合わない。とっさにブームを回転させてアームを伸ばし、バケットを眼下の地面に突き立て、空を背負う形となった。

その角度、一直線。両足を踏ん張り、レバーを押し続けながら、ああ!神様ー、と心の中で叫んだ・・・。

「立ちっぱなしは夜だけでいい、早くダンプを下ろせー」

私はレバーを必死に握り締めながら叫んだ。ブーム1本だけで支え立っているような、バックフォーの状況を見てyさんはびっくり、慌てふためいたのですが、混乱して何をどうしていいのか、パニック状態。

「運転席の切り替えスイッチを押してFTPをオフにするんだー」

yさんはようやく冷静さを取り戻し、ダンプアップの解除ボタンを押した。ダンプはゆっくりと下がり始めた。これでわたしは命拾いをしたのであります。

それから青ざめているyさんに、にやりと笑って言ってやった。

「気にせんでいい、高々と上っていい気持ちだった。ぐわっはっはっははー・・・」

yさんは何度も頭を下げて詫び続けた。作業終了後、彼は冷たいビールを1ケース差し入れした。

「お詫びというより、敬服のしるしです。ほんとにありがとうございました」

何を敬服したのか、ちょっと理解に苦しみますが、ビール1ケース、ありがたく頂きました。

 

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9月17日 現場にて


現場は西東京市、30戸の宅地造成工事です。我々のミッションは雨水桝、汚水桝の設置と、その配管工事。そして最後に道路工事となります。
作業員には変人奇人が多い。本心を冗談で言い、冗談を本心の様に言う。繊細デリケート、無言の有言、・・・理解するのには高度の知能指数が必要となります。
要するに、相手が自分をいかに評価しているか、それが無意識の根底にあって、プライドの満足度によってその日の機嫌の良し悪しが決定される、というややこしい種族が多いという事なんです。

たとえばお人好しのナツさん、美人外人と結婚、入籍したまではよかったのですが、それが妻子ある兄貴の愛人でした。結局、指一本触れることも出来ず、60近くになるまで実質上の独身であります。

そのナツさんが不思議と現場でお金を拾うのであります。百円玉とか、5百円玉、時には千円札を拾ったりする。何か霊的存在が付いているのかもしれない、男の一人が気味悪そうに、そういう意味のことを言ったりする。

しかし、今日、私は見てはならないものを見てしまった。そのナツさんが周囲をきょろきょろした後、5百円玉を足元に投げて叫んだのです。

「5百円玉を拾ったー、がはははははー・・・」

彼は摘んだ5百円玉を高々と振りかざして男たちに見せびらかした。

「またかー、おまえの守護霊の仕業かー」

「帰りに,それでビールを飲もうぜ!」

男たちの発言はまちまちであったが、内面には一種の畏敬があった。からくりを見てしまった私はあきれた、というより、一種の悲哀を彼に感じた。

彼は寂しいのだ。そうする事によって心の傷を癒しているのだ。

私は5千円札(ばーさんに帰りに米を買ってくるようにと渡された現金)を足元に投げ、雄叫びを張り上げて大袈裟に拾い、大声で叫んだ。

「ぐわっはっはっはっははははー、5千円拾ったー、バンザーイ・・」

ナツさんがびっくりして私を見つめた。私はにやりと笑い、彼にウインクをしてやった。
その時、通りかかった腰の曲がった老婆が、電光石火の早業でその5千円札をつまみ取ったのです。

「ここで私が落としたものだよー。ああ、よかったー、ありがとうー、おっさん!」

老婆はそう言うや素早く去り、あっという間に姿を消した。
ナツさんが大声で笑った。

私は仕方なくへそくりで米を買って帰った。今日の現場でのデジカメです。馬鹿な男ですね!皆さん、笑ってください。



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9月14日日曜日 瞬間最大風速100メートル


 台風14号は9月10日の午後3時に宮古島に上陸、島全体を揺すり、地響きのような轟音を立てて暴れまわった。砲弾の破片のように吹き飛ぶ風雨、草木をなぎ倒し、岩に穴を開け、地表をえぐり続けた。

電柱が倒れ、民家や学校の屋根が吹き飛び、管制塔が破壊され、サトウキビ畑は全滅。3400世帯は全て停電、倒された並木は道をふさぎ、その道は水が溢れて激流となった。


風速74メートル、これは秒速なので、時速に直すと266キロとなります。超特急新幹線よりちょっと速い、といった感じですね。これで怪我人が63人ですから、人的被害は最小限に食い止められたといえます。

ところがこれ以上の強い台風が、宮古島には過去何回もやってきているのです。昭和41年の第2宮古島台風・コラ(85・3メートル)、43年の第3宮古島台風・デラ(79・8メートル)・・・などです。


40〜60メートル級の台風は昭和34年から平成13年までで、31回も来ています。20メートル以下は宮古島では台風とは見なされないのです。

・・・ところが、私はこれ以上の凄まじい爆風に遭遇している。小学3年生の時だったと記憶しています。宮古島全校バレーボール大会が開かれて、その応援の帰りでした。

姉とその同級生4・5人、そして私と友達の男の子が集団となり、珊瑚の奇岩が立ち並ぶでこぼこ道を素足で歩いていた。その頃、靴を履くものは殆どおらず、町の少数のお坊ちゃまだけが履いていたのです。


村まであと数キロという所まで来た時、突然、強い風が吹いた。びっくりして上空を見上げるといつの間にか真っ黒い雲が空全体を分厚く覆っていたのです。

次の瞬間、空気全体を叩きつけるかのような、強烈な衝撃が轟音と共に炸裂、全員道に叩きつけられた。同時に視界を完全にさえぎる横殴りの豪雨となり、渦巻く風が、怪獣が喚くかのような音を出して吹き荒れたのです。


私たちは姉の導くままに、這いずりながら岩の窪みにたどり着き、身を寄せ合って震えた。近くでドカーンという音がし。真っ黒い、巨大な何かが、まるで何物かに引き上げられるかのように吹き上がってくのが見えた。

見上げるとデイゴの巨樹が根こそぎ引き抜かれ、上空高くで枝葉を撒き散らしながら回転していた。他に茅葺の屋根や、山羊と馬らしき家畜も上空でぐるぐる回っているのが見えた。


1人の女の子が、道に叩きつけられた時にガラス瓶を割り、その破片で膝関節を深々と切っていた。血が吹き出し、めくれた肉の中に青白い骨が見えた。

姉が泣くその子をなだめながら、白布で懸命に傷口をふさぐように縛ってやった。

岩石が飛び、目の前をへし折れた木がぼろぎれのように転がっていく。あまりの恐ろしさに「神様助けてー」と泣き叫び続ける子供もいた。

爆風は1時間ほどでぴたっと止んだ。空は嘘のように青く輝いていた。


この風は宮古島独特の「7人兄弟」といわれている。竜巻が7つ同時に発生し、島々を襲うのです。そのメカニズムがどうなっているのか、まだ知られていない。

このときの風速は80メートルまで観測できたが、気象台が吹き飛ばされてそれ以上は観測不可能となった。彼らの話だと、風速100メートルに達したのは確実だったという。

家に帰ると、崩れた馬小屋を、中にいた馬が背負って立っていた。よくもまー、あの風に吹き上げられなかったものだ、と今でも不思議に思えてならない。


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9月13日(土) 限界に挑む

みずほ台駅の東口へと続く歩道は、距離・約400メートル、幅4・5メートルほどであります。その歩道幅の内の1・5メートルはつつじの植え込みで、車道との仕切りのようになり、これも駅前まで並行している。

面積は約1250平方メートル。その中に入るアスファルトは120トン余となる。途中、機械の入れない乗り入れ車道や通路帯が50箇所以上もあって、そこは人力による舗装となる。


それらが無ければ、機械だけで済みますので一日の仕事となりますが、これは誰がなんと言っても難工事、2日はかかる。当然、男達は2日の仕事、と思い込んでいた。

ところが朝礼時、一日で終わらせろ、との社長命令が下された。男達はびっくり、全員、顔面蒼白となり、それからさらに紫色へと変化していった。

現場に着いたのは8時、11人の男達は愚痴をこぼしながら舗装の準備に取り掛かった。


「おまえ、舗装のプロフェッショナルだろう。頼むぞ、今日中に何とかしてくれよ・・・」


監督の菊池が言った。


「今日中ということは、夜中の12時までに終わらせればいいのだな?」


「それは困る。ここは飲み屋や、お店、駐車場が多くて、5時までに終わらせるという約束だ。一日で、しかも5時までに終わらせるという条件でこの仕事にありついたのだ。無理なことは分かっている。しかし、広大無限、お前ならできる。何とか、頼むよ!」


ん・・・、私は思わずうなってしまった。正攻法では絶対に不可能である。11人のうち2人は監督で戦力ではない。残る9人は必ず途中でダウンする。異常な暑さで、しかも連日の労苦で体はぼろぼろとなっているからだ。


「それならこちらにも条件がある。ミニバックフォーを今すぐリースしてくれ。スコップマンの10倍以上の戦力となる。あとは、私のレーキに任せればいい」


菊池は即了解し、リース会社に電話を入れた。

8時30分、フィニッシャーがセットされ、アスファルトを満載した4トン車が続々と到着、重機類のエンジンが始動、排気ガスと猛暑の中での作業開始となった。

やはり、乗り入れと通路帯の人力作業に時間がかかった。2人のスコップマンが暑さにまいって動きが鈍いのだ。見かねた私がそのスコップを取り上げて一気に敷き均す。それからレーキで均して仕上げる。


その繰り返しがしばらく続いた。さすがに私も目まいがしてきた。


「ミニバックフォーはまだか・・・?」 


「もうすぐだ。それまで、頑張れ・・・!」


菊池が叫び返す。


10時過ぎ、ようやくミニバックフォーが到着した。社長から一介の作業員に転職したEさんがそれを操作し、4トン車からアスファルトをすくって乗り入れに落とし、それをバケットで均す。その後を私のレーキが仕上げていく。

これによって作業進行は数倍にも早まった。・・・しかし、暑い。秋になったとはいえ、太陽の勢力はなお盛んであった。汗が止めども無く流れ、いくら水を飲んでも喉の渇きは収まらない。


暑さと苦しみに耐えかねて、びしょ濡れの重い上着を脱ぐ。体中から汗の蒸気が吹き上がる。上着を搾ると一リットルほどの汗が出された。それを着けなおして作業続行。

午後、1人の男がついに倒れた。彼を風通しの良い日陰に休ませて、残りの男達はふらつきながらも歯を食いしばって作業を続ける。

プレートランマーを操作している金さんが側でよろめいた。


「大丈夫か、しっかりしろ」


彼は顔を歪めながら微かにうなずいた。そこで力づけるために言ってやった。


「あそこを若い美人が歩いている。あんただけを見つめている。きっとあんたに一目ぼれしたんだ・・・」


金さんの顔が輝いた。そしてVサインをしながら反対側へとプレートを進めていった。私もそうですが、男って単純な単細胞が多いですね。

それから意識朦朧とした時間が過ぎていった。午後4時30分、ふと気が付くと作業は終了していた。男達は全員、ビルの影に崩れるように倒れた。


そこへ冷たい飲み物が出された。ケチな菊池が自腹を切って買ってきたものであった。言葉を発する気力は誰にもなかった。無言のまま男達はそれを飲み干した。

5時、我々は現場を後にした。灼熱地獄を気力一つで乗り越えたのだ。その喜びが男たちの奥底から伝わってくる。今宵のビールは最高だろう・・・。

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世界最古の文明  9月7日(日)

「メソポタミア」というのは川の間、という意味だそうです。ティグリス川とユーフラテス川にはさまれた地方、現在のイラクがそうですが、そこに今から5500年ほど前に世界最古の文明、メソポタミア文明が築かれたのであります。

築いたのはシュメール人であると世界史に載っております。このシュメールの語源は表音文字の「エン・ギ・ラ」であると立派な歴史学者は主張しておりますが、その意味は、土地、主、葦 となるそうです。


土地、主、葦、 ・・・これは葦原中国(あしはらのなかつくに)という意味にも解釈されますので、大国主命が高天原と対抗して作った日本の最初の国名と同じということになります。

この大国主命は須佐之命の末っ子で、イザナギ神の孫に当たります。・・・そんなことだれでも知っている、余計なこと言うな、・・・ですか? これまた、大変失礼致しました、ごめんなさい・・・。

このシュメール人の文化、すっごいですね、現代文化のあらゆる基礎となっているんです。月の満ち欠けで年月を計る世界初の暦、太陰暦を考案して実生活に活用したのであります。


私の祖先が素っ裸で石斧を振りかざし、奇声を上げてハブを追っかけていた頃です。・・・そして数字は60進法、つまり、一時間は60分というきまりを採用していたんです。

文字はくさび形文字を発明、つまり、表音文字を使うようになったのです。

旧約聖書などは殆どがこのシュメール文化の影響を受けております。天地創造の話しの7日目にお休みというのは、シュメールの7曜の延長だったかもしれません。

旧約聖書を作ったのはヘブライ人ですが、その頃はメソポタミアからエジプトを放浪していたのであります。そのメソポタミアが彼らにとってはエデンの園だったのであります。

アダムとイブがエデンの園を追放されて、男は労苦に苦しみ、女は生む苦しみに這いつくばらねばならないエデンの東に追放された、というのもメソポタミア文明に対する憧れから生まれたドラマかもしれません。


・・・ところでこのメソポタミア文明、世界最古の文明、ということなんですが、これは????です。 というのはタイの東北部に栄えた「バンチェン文化」、これがそれをはるかに遡るのでございます。

バンチェス土器の破片をペンシルベニア大学で年代測定をしたところ、何と7000年前のものということが判明したのであります。メソポタミア文明よりも1500年は古い、ということになります。


学問なんって全く当てにならないものでございます。事実はこうであった、ということは関しては素晴らしいのですが、限界をもってこれが究極とするのは学問らしくないと思います。

バンチェス文化、もしかするとそれも世界最古の文明ではないかもしれません。

たとえば、1万2千年前、太平洋上にあった巨大なムー大陸、大西洋上にあったアトランテス大陸、そこにもすばらしい文明があったと推測されています。

それが事実とすると、世界最古の文明はそこにあったかもしれませんね・・・? 皆さんはどうお考えでしょうか?


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8月14日 見えざる殺人

I often say a great doctor kills more people than a great general

これはドイツの昔の哲学者・ライプニックの言葉であります。訳しますと 「私はよく言うのですが、偉大な医者は、偉大な将軍よりも多くの人を殺すのであります」 となる。

共通していることはどちらも殺人罪にならない。共通していないのは、将軍の元では、どれだけ多くの人が殺されたかははっきりしているが、医者の元ではそれがあからさまにはならない、ということであります。


とまあ、こういうことを書きますと医者や、医療関係者からお目玉を喰らうことになりますが、沖縄で外科医をしている弟や、友人の脳神経科医の話を聞いたりすると、あながち出鱈目ともいえない。

一昨日の午後、ばーさんが絶望に打ちひしがれた青白い顔で私を見つめた。こんなばーさんを見るのは初めてである。私はびっくり、何があったのかと尋ねた。


「もう、これ以上生きたくない。私と死んで!」


というばーさんの返事・・・? ぎ、ぎょー、冗談じゃない、私はあと500年は生きねばならないのだ。これは天地大自然、宇宙からの指令でもある。


「なぜ、死なねばならないのだ? ・・・放っておいても人間はどうせ、いつかは死ぬ。だから、死ぬまでは生きているほうが賢く、何かと得することもある」


「いいや、絶対に今すぐ死ぬ。あんた、私と死ぬのが嫌なのか?」


「そこまで言うのであれば、死んでもいいが、では、せがれはどうする? いま高校生、これから大学へ行かねばならないのだ。二人が死んだら誰が面倒を見る。それになぜ死なねばならないのか、まず、その訳を言え」


ばーさんの話を要約いたしますと以下の通りとなります。


そのせがれ、もしかすると躁鬱病の気があるのかもしれない、とばーさんが判断した。閉じこもりぎみで、友達も無く、勉強をしている様子もなく、ダラーっとしていたからであります。

そこで小平の国立精神病院へ連れて行き、医者の診断を受けた。医者は30代、ばーさんがが25歳位の時にようやくこの世に生まれてきたお方であります。

せがれを外に出した後、その医者いわく、「完全な精神分裂症ですな。これは今からだんだんひどくなり、手がつけられなくなる。まあ、運が悪かったと思って諦めなさい・・・」


ばーさん、びっくりぎょってん、取り乱して助かる方法を聞いた。しかし、答えは一貫して ”打つ手なし、カウンセラーでも受けなさい・・・" の一点張りであった。

その間、医者のポケットベルが何回か鳴り、その度に会話は中断した。


「・・・真昼間から・・・悪い人だ。・・・分かった、行くから・・・はい、はい、いつもの高い奴でいい・・・」


 挙句の果ては、今お客さんが来るから席を開けてくれ、と言われて外に出されたりした。


ばーさんは、どのようにして帰ってきたのか、全く記憶にないという。せがれは池袋へ映画を見に行っていた。


「つまり、あの子が精神分裂症だから死ぬというわけだ?」


「当たり前でしょう! これからだんだん廃人のようになり、地獄の人生しかないのなら、親子三人死んだ方があの子の為になるでしょう!」


私はしばらくして答えた。


「あの子は分裂症でも、躁鬱症でもない。脳波も全く異常はないはずだ。分裂症と言うのは幻覚を見たり、幻聴が聴こえたり、おとなしい性格が一変して活発になったりするのだ。訳の分からない独り言を言ったり、ニヤニヤ笑ったり、現実との接点がなくなり、チンプンカンプンなことを言ったりする。そして、食欲が無くなり、眠れなくなり、性欲も無くなって成績も落ちる。

成績は、まあまあ良く、食欲旺盛、良く寝て、良くゲームするあの子のどこが分裂症か、目を覚ませ! あの医者はやぶ医者、彼こそ分裂症だ・・・」


ばーさんは、はっとして私を見つめた。


「でも、最近、あの子元気がなく、ダラーっとしているのよ、おかしいと思わない・・・?」


「・・・それはね、言いにくいことを言わすな。あの子は年頃だ。〇ナ〇ーを憶えてそれに夢中になっているだけだ。それは卵10個分のエネルギーを消耗する。ダラーっとなるのは当然だろう」


ばーさんの顔にようやく笑顔が戻った。


「ほんとに、あんたがいて良かったー、私、本気であの子とあんたを殺して死ぬつもりだったのよー・・・」


私は笑顔を作って見せたが、得体の知れない冷たいものが背筋を走った。


「しかし、あんたは大切なことを忘れている。たとえあの子が分裂症だとしても、親心をさらに強め、最後の最後まで守り通し、親としての勤めを果たすべきではないのか? 親には定年退職は無く、永遠の現役があるだけだ。

 人の生死は天が決める。生かされている我々は勝手なことをしてはいけないのだ・・・。将来への不安は全てを破壊する。計画をたて、今、何をすべきかに集中すべきであって、先案じの奴隷となるべきではない、分かったか!」


ばーさんはさらに納得して目を輝かした。


”見えざる殺人” 医者は軍隊よりも多くの人を殺しているのかもしれない、私はふと思った。

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奇蹟の犬物語


 野良犬が捕まるとガス室に放り込まれて殺される。野良犬でなくても、飼い主の事情によっては一時収容所に預けられ、里親が現れねば同じように殺されてしまうのであります。

ミズーリ州セントルイスで、8月4日、8匹の犬がガス室に放り込まれた。そしてガス噴出、15分間たっぷりとガスを充満させた。一家庭の1年分に相当するガス代が浪費されたと推察される。


「これで犬どもはお陀仏だ。今日はこれで帰ってビールでも飲むか・・・」

 係りのランディさんは呟きながら扉を開いた。

すると、一匹だけが元気よく尻尾を振っていたのであります。ランディさんはびっくりギョッテン、しばし口をあんぐりと開けてめん玉をむき出した。


この犬はパセンジの雑種、奇蹟の犬として人口35万人のセントルイス中の話題となっている。


ばーさんが言った。


「この犬どうして助かったんだろうね?」


「おそらくひっくり返っていたと思う。Dog がひっくりかえると God となる。Godは神、神が死ぬわけないだろう・・・」


ばーさん、あきれたように言った。


「やっぱりあんたの頭はおかしい。一度、脳波を検査した方がいいかも・・・」


「俺の脳波はいつも狂乱状態で、半端じゃない。測定器が壊れてしまうわ。だからそういう無駄な抵抗は止めておきましょう!ぐわっはっはっははははー」


ばーさん、眉を吊り上げて買い物へ出かけてしまった。今夜の夕食のおかずは梅干一個になりそうであります。


犬がなぜガス室で生きていたか、おそらくガス噴射に驚いた犬たちが暴れまわり、一匹が体当たりを食らって壁に頭を激突、そのまま失神し、仮死状態に陥ったと思われる。それだと15分間の呼吸停止で命が助かることになる。


あまり当てにならない推察ですね・・・。ついでですので、もう一つ・・・。

1593・4年ごろの話と思いますが秀吉は虎を飼っていた。朝鮮出兵で、加藤清正が捕らえてきたものと勝手に推察しますので、卒論などの資料にはしないで下さい。


虎は大食いで、一日に15キロほどの肉を食ってしまう。そのえさとなったのが百姓たちが飼っていた犬であります。

今日はあの家、明日はこの家、というように役人たちは犬を狩り出して虎の餌としていた。


シロは小型の犬で雑種、しかも臆病であった。そのシロをトラの餌に差し出せ、とのお達しが役人から伝えられた。


飼い主の権助は泣いた。1人暮らしの彼にはシロしかいなかったのです。寝ている時も起きている時も、そして野良仕事に行くときもシロはいつも権助と共にいた。

シロがいるから孤独と貧乏に耐え、辛い人生を歩むことが出来たのだ。


「あー、この世に神も仏もない、カミくずのようにいつもホットケられるのがこの私だー・・・」


権助は泣くだけ泣いたあと、シロを抱き寄せて言い聞かせた。


「シロ、いいかよく聞け! おまえが虎に食われて死んだあとおらも死ぬ。だか、おまえは立派な日本の犬だ。無様に食われたりはするな。


たとえ肉体は、ばらばらになろうとも戦うのだ。細胞一つになっても最後の最後まで戦って食われろ。恐れるな、ひるむな、神風特攻隊、奴の金玉を食いちぎってやれ!」


シロは耳をピンと立てて権助の言葉を聴いた。そして、その両眼が次第に炎となって青白く輝きはじめた。


シロが虎の檻の前に連れて行かれたとき、役人は首をかしげた。いつもは犬は虎を見ただけでパニック状態となって暴れまわり、キャンキャン泣き叫んで無様な体を晒すのである。


しかし、シロだけは違っていた。小さな体は闘志に漲り、その両眼は檻の中の虎を見据えている。扉が開かれて中に入れらると、シロは虎に向かって牙を剥き出し、低く身構えて近づいていった。


巨体を震わせて虎が後退りした。逆に虎の方が怯えて逃げ腰となったのであります。虎はへっぴり腰で一撃を放った。その下を掻い潜ってシロは虎の背後に回り、足や尻尾、背中、側面、と目まぐるしい攻撃を敢行した。


ついに虎は鮮血に染まり、哀れな悲鳴を上げて逃げ回るだけとなった。役人が慌ててシロを檻から出した。虎を死なすようなことがあれば秀吉の怒りを買って打ち首獄門となる。

シロは解放され、権助と共に家に帰された。そのことが秀吉の耳に入り、シロと権助は逆に大和,日本の誇りとして褒め称えられ、金一封を頂いたのであります。

これは昔何かの本で読んだストーリで、あやふやな記憶に勝手なストーリーをつけたものです。難しいことは考えず、気楽にフィックションとして読んでくだされば幸いです。


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8月9日 現場の
人間模様

朝、作業開始前、若い監督が私に言った。「台風が来る。光雲、おまえが沖縄から呼んだんだろう?」

男たちがげらげら笑った。「ちげーねー、こいつは嵐を呼ぶ男だぜ・・・、がははははー」 1人が、酒と焼きニンニクの悪臭を撒き散らしながら、皮肉たっぷりにのたまわった。

昨日、給料をもらったという彼らはネオン街を闊歩し、豪勢に朝方まで飲み明かしたのだ。私は彼らの応援に来ているただの助っ人なのであります。


「呼ぶとすれば風速40メートル以上だな、ぐわっはっはっはははー・・・」


「これじゃー、石原の裕ちゃんじゃねーか、がははははー」


そして作業開始。私は路盤の高さを擁壁面にチョウクで線を引いて印し、それに合わせて砕石を敷いていった。いちいち計りながら決めていく速さの5倍以上の能率がある。

上空は雲が乱れて広がり、時々雨を降らした。汗と雨でずぶぬれとなりながらツルスコ舞、レーキ舞が冴える。時たま、雲の切れ間から太陽光線が放たれ、スポットライトのように男たちを照らした。

作業は急ピッチに進行し、3日はかかると計算されていた距離を、あっという間に午前中で終了させてしまった。二日酔いの男が呆れたように言った。


「おまえは一体何者だ・・・?」


「・・・私ですか? 私はただのちりめん問屋の隠居、何処にでもいる年寄りでございます」


「年寄り? こいつは傑作だ。三十代の年寄りってわけだ。がはははははー」


男はミーが62歳だということを全く信用していない。


昼休みは民家の駐車場で雨宿りしながら弁当を食べた。そして横になって昼寝しようとすると、男たちがどやどやとそば屋から戻ってきた。


「昨日パチンコで10万円もやられたぜ。ちきしょう、今月の生活費がねー、光雲、おまえ少しぐらい貸してくれ・・・」


私の一日の小遣いは500円、慢性金欠病で、貧乏と孤独の永遠の美しさに輝いている。


「・・・カネか、俺にはゲンキンはない。だが、ゲンキだけはたっぷりあるから無利息でいくらでも貸す」


男はそのまま仰向けになって寝てしまった。


 午後3時ごろ横なぎの雨が叩きつけるように降り始めた。これでは仕事にならない。監督は作業中止を命じた。

しかし彼の顔は大満足の表情であった。仕事の進行が予定をはるかに超えていたからであります。


「ここまで来るとは信じられない、凄いスピードだ。光雲さん、あなたを呼んで正解でした。ありがとう!」


「そう言えばさっきここへ警察が来ていました・・・」


私のその一言に監督と男たちの表情がさっと青ざめた。


「・・・そ、それで何と言っていたか?」


「スピード違反、作業進行が制限速度オーバーだそうです」


笑いが爆発した。


「このやろー、びっくりさせるな。捕まったらえらいことだ。飲酒運転も絡んでいたから間違いなくブタ箱入りだったぜ・・・」


と、まあ、こういう事だったのですが、心の病気が蔓延する昨今、まともなのはもしかすると彼らかも・・・? 


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8月5日 猛暑、雷、豪雨の現場


現場に着くと暑い。異常な暑さであった。立っているだけでも汗が滝のように流れる。


「暑さに負けず、きょうもガンバロー・・・」


と拳を上げる監督の言葉は力なく、動きも鈍い。道路上には干乾びたミミズが針金のように曲がっている。男たちの顔は冴えず、どの顔も汗にふやけ、弛んでいた。


作業内容は路盤工、21センチ下まで掘削し、RC砕石10センチ、粒調砕石7センチを敷き詰めて、その上に4センチのアスファルトを敷くための作業であります。

4トン車が並び、バックフォが動く。掘削の後から砕石を敷き、マカダムローラーで転圧。すぐ側は土手が続き、新河岸川が流れる。現場は住宅密集地と土手に挟まれて風がなく、温度は灼熱の太陽光線で急上昇を続ける。


昨日は東京で、熱中症で倒れたのが300名とのことだ。死亡者も出ている。

水を体が要求し続ける。あっという間に2リットルの水がなくなる。親切な家にお願いして、水道の水をボトルに満たしてもらう。


ようやく昼休み、食欲を完全になくした男達はそのまま側溝の上にバタンキュウとなる。しかし、跳ね上がった。この側溝は太陽熱をたっぷり吸収して高温となり、日陰に隠れたものの熱は依然として活気盛んであった。


 火傷しかけた男達は慌てふためいてソバ屋へとかけていった。

午後、急にあたりが暗くなった。上空を見上げると激乱雲が逆巻いていた。至る所で不気味な稲妻が錯綜している。そして冷たい風が吹くと同時に、目もくらむ稲光、雷鳴がとどろいた。


「ありがてー、雨よ、降ってクレー」


男達は喜んで叫んだ。そして豪雨・・・。体の熱が雨に癒されていく。たちまち道路は川のようになった。


「作業中止! 全員器械と道具を片付けろー」


監督の号令で男達は作業中止、片付けと整理整頓に慌しく動き回った。


しかし、凄い雨であった。大粒の雨の中には野球ボール大もあり、よく見ると中に雀が閉じ込めら、目をぱちくりしていた。


・・・時間がない。今から仕事ですのでこれにて失礼致します。では、また今宵! 今日も一日頑張りましょう!

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8月2日 熱い一日

今日から東京は梅雨明けとのことであります。朝は曇り空でありましたが、昼からは太陽出現、現場は袋小路でありますので気温は急激に上層、30度は軽く超えたと思います。

作業内容は重さ500キロ、長さ4メートルの ”ロングU”というU字側溝を設置する工事であります。それを6本、24メートルを一日分としてやれ! との社長命令であります。

全く滅茶苦茶な話であります。砂漠での工事なら50本であろうが100本であろうがやってやれないことはない。しかし、住宅密集地では障害物が5万とあって机上の空論は通用しないのであります。

まずガス管がある。そして、水道管、汚水管、NTTケーブル管、高圧線、たまには不発弾もある。そしてカーブではロングUを正確な寸法と形状に合わせてカットしなければならない。これがまたおそろしく時間がかかる。

一本のロングUを設置するのに掘削、カット、配管の切り回しなどで半日かかるときもある。運が悪ければガス管や水道管をバックフォーで切断し、その日はこれでお終い、ということもあるのです。

しかし、給料支払い者は絶対的存在、専心誠意、そのご要望と期待にこたえるのが我々労務者の使命である。

8時30分、仕事開始。まず、大ハンマーでコンクリートを叩き割ると、その中に埋まっていた水道管破裂、水が噴出して道路水浸し。でたらめな水道配管工事に腹が立った。幸先がかなり悪い。おかげで一時間のロスとなった。気を取り直し、ずぶ濡れとなりながら元栓を締めて素早く配管復旧。

これではいけないと反省。焦らず、慌てず、確実に、無我無欲で仕事に従事すべし、と己に言い聞かして作業続行。次々と現れる障害物を臨機応変にかわしながら工事は進行した。

飲んだ水は5リットル、ずぶ濡れの上着を着替えたのが5回だった。濡れた上着を乾かし、それに着替えるという繰り返しなので2枚の上着ですむわけです。

気が付くと8本のロングU(32?)が設置完了していた。これで給料支払い屋からは怒られずにすむ。

しかし、熱い・・・。汗を拭きながら上空を見上げると太陽がぎらぎら輝いている。・・・”イカロス”というギリシャ神話の少年の名がが浮かんだ。

イカロスは名工・ダイタロスの息子であります。ダイタロスはアテナイという所で生まれ育ったのですが、いろいろな事情で甥っ子を殺してしまいまして追われる身となり
あてないさすらいの身となった。

そういう彼を救ったのがクレタ島のミノス王であります。このお方は、ギリシャ神話の最高神、ゼウスとエウロペ(フィニキアの王女)の子供でありまして、エーゲ海全域を支配したのであります。

時はミノス文明時代、紀元前2000年〜前1400年の間であります。細かな時は、何しろ日雇い労務者なのでわかりません。笑って許してください!

????私は何を言おうとしているのでしょうか??? えーっと、つまりであります、このミノス王は暴君ネロ以上の暴君とも言われておりますが、名君という説もあります。

その彼が海の神、ポセイドンに雄牛の生贄を捧げなかったので罰が当たって、奥様のパシファエが雄牛に恋をするようになってしまったというのです。

そして彼女は牛頭人身の怪物、ミノタウロスを産んだのであります。

嫉妬に狂って激怒したのが旦那のミノス王、ポセイドンをほんとの父とするアテナイの英雄、テセウスを差し向けてミノタウロスを殺す計画を実行した。(戸籍上の父はアイゲウス、母はロイゼン王の娘アイトラ)

そしてそれは見事に成功し、ミノタウロスはラビュリントスで殺された。ところがであります、その後がいけません。一目惚れで相思相愛になった王女アリアドネと英雄テセウスに名工ダイタロスが協力、二人をクレタ島から脱出させたのでありんす。

娘を奪われて、核爆発のように怒り狂ったミノス王はダイタロスと彼の息子、イカロスを捕らえて迷宮、ラビュリントスに閉じ込めたのです。

だが、ダイタロスは天才名工であります。自分と息子イカロスのために翼を作りまして、それを蜜蝋で肩に貼り付けたのです。

二人は鳥のように迷宮を飛び立った。父と息子が揃って大空を飛ぶなんってすんばらしいですね!

父ダイタロスは倅のイカロスに言った。

「あまり高く飛ぶんじゃねーぞ。高く飛ぶと太陽の熱で蝋が溶けて羽根がもげ落ちる。また、あまり低く飛んでもならねー。波しぶきを浴びて羽根が重くなって墜落する・・・」

イカロスは勿論OKした。ところが飛んでいるうちに感動と感激が大爆発、大空の遊泳に夢中となって父の戒めを忘れたのであった。

イカロスは何処までも何処までも高く高く飛び上がっていった。そしてあまりにも太陽に近づき過ぎた為、その高温で翼と身体を接着していた蜜蝋が溶けて翼が外れてしまった。

イカロスはまっさかさまに落下、海に墜落して海底の藻屑となった・・・。

ということでございますが、非常におかしな話であります。つまり、地球から太陽までの距離は平均1億5千万km、ジャンボジェット機で21年余かかる距離であります。

さらに高度10キロまでの対流圏では、100m上昇ごとに0.6℃づつ気温が下がり、その最上部では−50℃となります。

成層圏では逆に温度は上っていきますが、それでも高度50キロの頂点では0℃です。その中間にはジェットストリームと呼ばれる強風の帯域がある。とても鳥が飛べるようなところではありません。

そして高度80キロの中間圏、500キロの熱圏となって行きますと空気は希薄になり、温度は急激に下がっていく。

それから先は宇宙です。宇宙の平均温度は−270℃、空気は全くありません。100立方メートルに水素原子が2.3個ある程度です。

さらに無重力ですので、そこまで上りますと地球に落下、ということは絶対にないのです。イカロスは宇宙服を着て太陽に近づいたのでしょうか?

太陽の熱で蜜蝋が溶ける距離となりますと、太陽の大気、彩層から1000キロほど離れたところ・・・かな? 5790万キロ離れた水星でも夜は−160℃ですから、そうなるだろう、と勝手に推察いたします。ちなみに水星の昼の温度は430℃です。

・・・えーっと、何がどうなっているのか、よけいわけが分からなくなりました。ようするにイカロスが太陽近くまで飛んでいって、その熱で蜜蝋が溶けて海に落ちたというのは、フィックションであり、絶対にありえない、ということです。

ところでこのイカロス、2006年に地球にやってきます。その名はイカロス惑星・・・。1949年にパロマ山天文台のバーデさんが発見、太陽に向かって地球を離れていくところだったので、イカロスと命名したのです。

もしかしてイカロス少年は月に落下、そこで別荘を作り、かぐや姫と餅つきをしているのかも・・・?

今日の日記、いったい何だったのか? 昼間の太陽熱で脳波が放電を繰り返しているのかもしれません。暑い一日でした。では、皆さんまたあした! 


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7月30日 本当の人類最初の宇宙ロケットと宇宙飛行士

今日は雨で仕事は中止、先ほど帰ってまいりました。何もすることがありませんので日記を書くことに致します。

梅雨明けはまだまだ先のようですね。これまでの梅雨明けの最も遅い記録は、8月7日だそうです。昭和11年だったと記憶しておりますが、定かではありません。

外は小雨、電線に2羽の雀が寄り添って止まっている。そういえば今日の誕生花は菩提樹、花言葉は夫婦愛ですね。この2羽もきっと夫婦なんでしょうね?

彼雀が言った。「愛しているぜ、しあわせだなー、ぼくは死ぬまで君を離さないぞ!」

すると彼女雀が答えた。「あんた馬鹿か、離さなかったらトイレに行けないじゃないか。それに人間に捕まって焼き鳥にされちゃうよ。雀は特に高く売れるんだから・・・」

小さな生き物が愛を守って生きていくのは大変ですね? いつまでも無事で、幸せに! 思わず心の中で語りかけました。

2羽は私のテレパシーを感じたのか、さっと電線を離れて空高く飛び上がって消えてしまった。空を飛べるなんて羨ましい。私も自由自在に空間を飛びまわりたいものです。

そういえば人類最初の宇宙飛行士はソ連のユーリー・ガガーリン・・・。ボストーク一号で地球を一周、110分間の宇宙の旅でしたね。1961年4月12日のことでした。

しかし、厳密に言えば人類最初の宇宙飛行士は中国人だったのです。西暦1500年、王某という天才は月へ向かって出発しようとした。

火薬を詰めたた筒48本を束ね、それを椅子の背中に取り付けた。上方には4本の棒に固定した大凧をはりつけた。月面に軟着陸するためのものだったと推察される。

彼は椅子に跨り、見守る群衆に笑顔で手を振った。そして、いよいよ発射・・・。・・・5,4,3,2,1,0 ファイアー!

点火、ドドドドドドー、グワーン、ドッカーン・・・。な、なんと人類初の宇宙ロケットと宇宙飛行士は、紅蓮の火炎を吹き飛ばして大爆発したのであった。

彼は、きっとその時から月面で、かぐや姫と餅つきをしていると思います。結果はどうであれ、夢、ロマンを抱き、常にチャレンジ精神を発揮するということは人間には必要ですね。

焦点の定まらない日記となってしまいました。ランダムな内容、大変失礼致しました。これから映画でも観にいきます。では皆さん、また今宵! 

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