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日記帳(2003.10.18〜11.28)


目次

月2811日 遊女・アスパシア
   11月27日 恐るべき女の歴史   11月 26日 (水)エレア学派   11月 25日 ピタゴラス教団  

 
11月24日 ピタゴラスの定理  11月21日 哲学その3 ピタゴラス学派  11月20日(木)哲学その2   11月 19日(水)哲学その1 

11月18日 その男  11月 16日 (日)小さな親友 11月14日 ただ者ではなかった検査官  11月11日 現場は今日も雨だった

11月 9日 (日) 悟りの世界    11月7日 この世で不可解なもの  11月2日 月下美人、再び開花  11月2日 天地創造と禁酒

10月30日 禁煙17年、禁酒4日目  10月 25日 現場の金一封 10月 22日  58年前ほんとにあった話 10月18日 世界三大いろいろ

2003年


 


古代ギリシャ遊女・アスパシア 2003年11月28日

BC 443年〜429年、古代都市国家アテネは民主制であった。今の日本は間接民主制ですね? ところがこちらは直接民主制であったからびっくりです。貧富の差に関係なく、一般庶民は奴隷と女以外は全て国政に参加できた。
偉い人を選ぶのは選挙ではなくて、抽選、つまりくじ引きであったのです。ですから、今のようにうるさい選挙運動などはなく、5千円を与えたことがないのに、「ごせんえん、ありがとうございまーす」というヒステリックな大声も聞こえなかった。

しかし、例外が一つだけありまして、戦争の最高指揮者、将軍だけは選挙で選びました。なぜなら、私のようなお目出度い人が最高司令官、将軍としてクジで当たった場合、戦争反対、世界平和、死刑反対、人殺し反対、と叫んで、極悪非道な侵略者に笑顔で握手を求めるからです。そしてあっさりと殺され、国を滅亡に追いやった馬鹿な男として歴史に残ることになる。

その将軍に15年連続して選ばれたのがペレクレスというお方です。彼は質実剛健、真面目柔道一直線、法を守ることに関してはおっそろしいほど厳格でありました。図体も大きかったのですが、なんと言ってもその頭、ドデカイを通り越してドデ、ドデカイでありました。本人はそれをすっごく気にしていたらしく、いつも鉄カブトを被っていたという。
そのときの人口は約29万人でした。その中の11万人が、人間の言葉が使える家畜としての奴隷でありました。したがって女子供達と奴隷を除いた約4万人ほどが参政権があったという訳になります。

そういう人権差別と奴隷制民主社会において、女はただ単に子供を産むためだけの道具でしかなかった。完全に人権は無視されておりますので、男たちは女を可愛がるということはしても、愛するということはしなかった。
愛とは何か? 難しいことは分かりませんが、「好き」の中に尊重と献身の精神が入ったものだと思います。では、男たちは誰を愛したのか? ・・・言いにくいことですが、男たちは男を愛したのです。

つまり、オカマの起源は男尊女卑の古代都市国家にあるのであります。さらにそれを遡ってソロモン王国時代、北京原人、アウストラロピテクス、恐竜時代、三葉虫時代にまで遡るかもしれません。

愚かな話はそのくらいにして、そういう女難時代に逞しく立ち上がり、野蛮で下品な男どもを片っ端から手玉にとって千切って投げ捨て、蹴飛ばし踏みつけて豪快に笑った女達がおります。 その偉大な方々をこれから上げるのですが、そのトップバッターがイオニア・ミレトス出身のアスパシアという方です。
彼女は世界3大美女が顔面蒼白となるほどの絶世の美女でありました。その上頭脳明晰、最高の演説家で、黒を赤である、ということを理路整然と説き聞かせて、馬鹿な男達をなるほどと納得させるのは朝飯前であった。

彼女はミレトス出身で、遊女、つまり売春婦でありました。しかし、ただの売春婦ではない。悟りを開いた、強かな女でした。大勢の美女達を抱え、女郎部屋を経営、獣のような男たちをメロメロにし、一夜の夜間工事に命を捨てる愚かな男達も大勢おったのであります。
そんな彼女を一目見て、恋の奴隷となったのが、あのドデカ頭のペリクレスであります。彼はなりふり構わずアスパシアの元に通い続け、ついには奥さんに三行半を投げつけてアスパシアを妻に娶るのであります。そして、鼻の下を長くし、彼女の言いなりとなってしまった。

メガラ人がアスパシアの店の女を誘惑したという理由で、デカ頭は彼女の要請でメガラを攻撃。彼女の母国・ミレトスと戦争をしていたサモスを攻撃したのも彼女に従ったからであります。

濆神罪にアスパシアが問われ、打ち首獄門となりかけたときペリクレスは民衆の前で泣いて懇願し、なりふりかまわず土下座してようやく無罪にしてもらった。最高司令官といえども勝手なことは出来なかったわけで、格好悪い話であります。
ペリクレスの死後、アスパシアは次々と男をかえております。あの有名なソクラテスもそのころ彼女の元をたずねております。聴くところによると彼は相当のスケ?−だったようで、若い美青年の弟子達を連れて何度も通ったようです。

ソクラテスは彼女から演説の仕方を教わったのですが、それを忘れたために、彼女から殴り倒されております。倒された後何をされたか、それは定かではありません。
長々となりましたが、これにて一件落着と致します。 

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恐るべきウーマンパワーの歴史 1127日(木)

歴史を陰で操ってきた存在、それは女・・・! 男達を手玉に取り、その野望という燃え盛る炎の中に、藁人形のように彼らを投げ込み続けてきた恐るべき存在、それが深い闇に踊り狂う女達・・・かも?

 神を誘惑して骨抜きにし、悪魔をバーベキュウにしてその肉を喰らいつつ、永遠の、絶対的謎の闇に浮かび上がる白百合・・・。
男たちはただただ、彼女らのコントロラーに操られて、画面映像の主役、脇役を演じるのみ。 言い換えれば、超薄いチップスに、インプットされただけのかすかな磁気の痕跡かもしれません。

と申し上げますと、バー様を筆頭にして過去、現在、未来を問わず、ありとあらゆる次元から女様方の激怒、憎悪、弾劾糾問が怒涛のように押し寄せてくることは確実。

しかし、これはただの文章研究であり、本当は女の道に深く同情し、尊敬、命をかけて愛しておりますので、納得し、寛大に笑って許してください。
これまで私が最も恐れ、尊敬し、地上最強、と思った女は、やはり、母・・・かも? 少女から青春時代、鞍なしの荒馬を乗り回し、旱魃の硬い畑を耕し、海に潜ってサメを仕留め、同級生の男どもを片っぱしから喧嘩で叩きのめした。

戦場では、砲煙弾雨の中を猪のように駆け回って、食料を敵陣地から盗み、餓死から幼い姉と私を救ってくれた母・・・。
その他いろいろありますが、とにかく凄いの一言に尽きる。父は戦死、女の細腕(豪腕か?)には世間は冷たく、救いはない。しかし、子供3人を育て、若い叔母二人を支えて生きていかねばならない。

そこには、死ぬか生きるかしかない。生きるためには、形振りなどにかまってはおられない。形振り構わずに生きる、それは心、感情を殺すことでしかない。
母はその美貌と女を武器にして片っぱしから男達を手玉にとった。数え切れないほどの新しいお父さんたちが、次々と現れて消えていった。

そして、私は心を傷つき、病みながらも一応、まともに大人になった。母は私のために自分を殺した。そのご恩返しはまだ終わっていない。・・・いや、それは返せる、というそんな大きさではないはずだ。

というわけで、私は女を偉いと思っておりますし、尊敬いたします。その母も87歳の高齢です。体はいまだ頑丈ですが、最近、物忘れがひどくなったようだ。・・・そろそろ、帰る時期が来たのかもしれないと思っております。

偉大な存在「女」・・・、その側面を古代に遡り、次回から追跡調査いたします。まずは初めに、ソクラテスをも手玉に取ったといわれるミレトス出身の遊女、「アスパシア」、について取り上げます。

では、きょうはこれにて失礼致します。では、また明日!

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11 26 (水) エレア学派

これまでリサーチいたしましたのは、BC6世紀イオニア(現在のトルコとギリシャの一部)のミレトスにおいて自然哲学創始者としてのタレスが「万物の原理は水である」としたこと。その弟子のアナクシマンドロスがそれに反論して「万物の原理はアペイロンである」としたこと。なお、彼は最初の世界地図を描いた人でもあります。そして最後に、アナクシマンドロスと同じく、タレスの弟子であったピタゴラスが「万物の原理は数である」として数学、音楽、思想に大きな貢献をし、大きな影響を与えた、ということであります。

自分で言うのも何ですけど、これほど退屈で、面白くない題材はないですね? 何のために苦しんで考え、百科事典をめくりまわり、膨大なメモ資料の紙くずを山積みとし、ばーさんに怒鳴り散らされたりするのか? ・・・ここ2?3日ではっきりしたことは、ツルスコ舞のほうが遥かに楽で、健康には良いということです。
もう一つはっきりしたことがあります。それは立派で優れた理論であればあるほど、生きものには何の役にも立たない、ということです。
しかし、それでも人間は万物の原理を追求しなければなりません。それはなぜか? つまりであります、役に立つとか役に立たないという考えこそが、全く役に立たないからであります。・・・という考えも役に立ちませんか・・・、 大変失礼致しました。では、本題に入ります。

古代イオニアはまとまった一つの国ではなかった。いろいろな民族が集まり、それぞれが城塞都市を造って独立していたのであります。当時はミレトスの外にシラクサ、マッシリア、エアポリス、ポカイア、コロフォン、スシルナ、ロードス、サラミス、キオス、アウコス、アテネ、などといった都市国家があったようです。
そのポカイアにハルパゴスという人物率いるペルシャ軍が攻め入ってきました。ポカイア人たちはすぐれた造船と航海技術は持っていたのですが、戦争には弱かったため、家財道具や美術品、へそくりなどをいち早く持ち出して逃げたのであります。その後に攻めて来たハルパゴスはゴキブリとネズミだけが走り回る街を占領した、というわけです。

逃げ出した彼らは地中海を転々とした後、コルシカ島に定住したのですが、そこの先住民と争いがおき、さんざん打ち負かされて、命からがら生存者達は逃げ出すのであります。

彼らが最終的に落ち着ける地となった所は、イタリア半島の「エレア」という所です。そこで彼らは自分達の都市を建設したのであります。
この都市に現れた哲学者の一派が「エレア学派」であります。その創始者が「クセノファネス」というお方です。彼はBC570年頃のある月ある日に生まれ、25歳の時にギリシャ各地を放浪し、エレアに定住した。

哲学者であり詩人でもあった彼は、ホメロスやヘシオドスらの神の概念を否定し、神は人間とは全く異質の存在で、似ても似つかないもの、唯一万能で不滅不動である、と毅然として主張したのであります。

「神は人間に対して何もしない。したがって人間は自らの働きと時の流れの中で、より善いものを見出して存続繁栄していかねばならい」 というような意味のことが彼の考えであります。
つまり、「人間はみな寂しい生き物であり、いかに正確に物事を見つめ、認識して実践するか」が大切、現実は厳しいのだ、ということが言いたかったと思われます。
一癖も二癖もありそうなこのクセノファネスの弟子に「パルメデス」という方が現れました。彼は「あるものはあり、ないものはない」と言った。当然と言えば当然ですけど、納得し大げさに感動するには、何処かのネジが外れているような感じが致します。
しかし、そこには底知れぬ深くて幅広い意味が存在するのであります。あるものはあって、ないものはないのですから、あるものには生成はなく、ないものにはなにもない、という単語すらもない。

したがって、存在するものに生成がある、と考えるのは観念が作り出すごまかし、でたらめに過ぎない、という意味になります。
この考えに感動し、理論的に証明しようとしたお方が「ゼノン」というお人です。己の言わんとするところの不当を指摘し、逆に己の主張の正しさを証明する、という変なやり方を取り入れたため、彼は弁証法の創始者と呼ばれております。

彼らの後には次々といろいろな哲学者が現れてまいります。それを全てここで取り上げるとなると、1年以上はかかりそうなのでこの辺で哲学の勉強は打ち切りと致します。

「万物は流転する」と唱えたヘラクレイトス、世界を構成する4つの元素は「土、火、水、空気」としたエンベドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス、そしてソクラテスと続く哲学の歴史、いいですね、哲学って・・・!
 
私も私の哲学を持ちたいと思います。「ツルスコ舞の哲学」?土方哲学?「酒飲み哲学」・・・、ん、肩が懲ります。やはり、さわやか哲学でいきましょう!

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11 25 哲学その5 ピタゴラス教団

クロトンに設立した彼の宗教的学術結社、ピタゴラス教団は今で言う新興宗教のようなものではなく、オリジナル的な神を信仰したのであります。古代ギリシャにおいてはギリシャ神話の神々を信じるのは極めて自然であり、当然であり、普遍的だったのです。

 
ピタゴラスが信仰した神、それはアポロンと女神カリオペアとの間に出来たオルフェウスであります。彼は竪琴の超天才、その指先の神秘は、狂った猛獣でさえもうっとりさせたという。・・・オルフェウスの物語、有名ですね。ギリシャ神話の原作者は、ギリシャ最古の詩人と言われるホメロス、紀元前9世紀ごろの人物ですが伝記は不明です。そのオルフェウスのストーリーをちょっと紹介します。

若者に成長したオルフェウスは絶世の美人、エウリディケと結婚いたします。二人は幸せに暮らしていたのですが、ある日、突然、不幸が襲いかかったのです。エウリディケが美しい仙女たち(ニンフ)と散歩していた時、羊飼いが彼女に一目惚れ致しまして追いかけてきました。

何のために突進してくるのか、彼女は女の直感で分かりましたのでびっくりして逃げました。草むらを追いつ追われつ、悲鳴を上げて逃げ回っているうちに毒蛇が安眠を妨害されて怒り狂い、彼女の足に噛み付いて殺してしまいました。恐らくハブも顔面蒼白となるほどの猛毒を持った毒蛇だったと思います。

羊飼いは捕まって市中引き回しの上、打ち首獄門となったかどうかは定かではありませんが、オルフェウスは深く悲しみ、何日もヤケ酒を飲んで泣いておりました。しかしそれでは物事は解決しない、と反省した彼はマイナス思考からプラス思考に切り替えて、黄泉の国の王様ハデスとその奥様ペルセフォネに、妻エウリディケを生き返らせてほしい、と竪琴を奏でつつ懇願し続けたのであります。
その竪琴の音色に全身全霊を陶酔させ、すっかり同情した二人は条件付で、エウリディケを地上に連れ帰ることを許可することにした。
その条件とは「地上に到着するまではオルフェウスは絶対に妻の顔を見てはならない」ということでありました。それが黄泉の国にどういう影響を与えるのかは知るすべもありませんが、それにしても、もうちょっと柔軟性がほしいですね。これでは不幸はいつまでも人類にまつわりついて絶えることはありません。

条件を承諾したオルフェウスとエウリディケは手を取り合い、顔を見ないでひたすら地上への道を走りました。地上の光が見え、あと一歩で地上だ、という所で歓喜と感動のあまりオルフェウスはエウリディケの顔を見てしまいます。そこで全ての苦労は元の木阿弥となり、エウリディケは黄泉の国深くに引き戻されてしまいました。

その後、オルフェウスは大勢の美女から結婚の申し込みを受けましたが、全てをお断りし、頑なにエウリディケへの操を守り通したので、彼女らから恨まれて殺されてしまいました。

 
と、まあ、こういう事ですが、・・・あれ、私は一体何を話そうとしていたのでしょうか? えー、つまり、ピタゴラス教団についてでありましたので、話を元に戻します。その前にちょっと失礼して、お茶を一杯頂きます。
この悲しみの、禁欲主義に徹した竪琴の神様をピタゴラスは何故、崇め奉ったのか? 彼の不明な伝記の中に恐らく類似する何かがあって、それに共感したのかもしれません。

魂は永遠不滅、肉体はその牢獄のようなもので、生きているということは牢獄に閉じ込められているようなものである。
死ぬという事は魂が肉体を離れて神の元へ帰るということであり、そこで罪を清めた後、再び新しい肉体に宿って生まれ変わってくる。
その肉体は人間とは限らず、動物の時もある。したがって親兄弟や親戚友人たちが生まれ変わった動物を知らずに食ってしまうこともありうるから、肉食は厳禁とする。

輪廻説、万物の原理は数、とする論理から何故、輪廻説なのか
? 数の論理からいかにして輪廻説の証明が出来るのか? 私には何も分かりませんが、現代科学において数学には限界があることが解明されつつある。
数学を駆使する物理学、それが行き詰っている。たとえば電子の運動、それには一定の法則性はなく、数学外のでたらめ、不規則、気まぐれしかないのであります。これを如何に数学で証明するか、カオス理論という逃げ道を作っても、それは通用しないと思います。
偉そうなことを申し上げておりますが、私はただの土木作業員です。足の向くまま、手の動くまま、感じたままを書いておりますので言論の自由を寛大に認めてください。

というわけで、ピタゴラス教団は霊魂輪廻転生を信じ、菜食主義、禁欲主義の戒律厳しい集団へと勢力を強め、政治勢力の中心にまで発展したのであります。ここでは、音楽療法があり、魂の浄化の手段としての学問があり、そして拷問もありました。
教団内には許可された者しか入れず、研究調査結果は外部に漏らしてはならない、新発見?新発明も極秘にすべし、という密室的色彩もかなり強いものがありました。

弟子のピッパソが無理数の秘密を漏らしたため、断崖絶壁から突き落とされて殺された、とも言われております。ピタゴラスの定理もほんとは弟子の誰かが発見したものではないか
? という疑惑も残っております。
いずれにいたしましても、真偽のほどは古代歴史のベールの彼方に隠されておるのであります。ピタゴラス教団内の戒律をいくつか上げてみます。 

脳味噌と心臓を食ってはならない。昼寝をしてはならない。暗闇の中で話してはならない。宝石類を身につけた女に子供を産ませてはならない。剣で火をかきまわしてはならない。曲がった爪を持った動物を飼ってはならない。右足から歩け。公衆浴場を利用するな。パンを裂くな。そら豆を食べてはならない。・・・その他いろいろ。

と、まあ、こういう事ですが、ピタゴラス哲学のイメージからはかき離れたように思えます。彼は最後に市民の一揆にあって学校は焼き討ちにあい、逃げ出します。政治に口を出すようになり、いろいろな不都合なことに市民を巻き込んだため、反感が爆発したと推察される。
妻と数人の子どもたちを連れて逃げた彼は、そら豆に行く手を遮られます。そら豆は神聖なもの、それらを踏みつけたりしてはならない。そら豆畑を伏し拝む彼を暴徒は捕まえ、その場で殺してしまった。

なんという残忍残虐なことでしょうか! 今でも世界のどこかで、弱い無力な者達, 身体障害者、精神異常者たちが虐待され、いじめられ、惨殺されている。それは何千、何万、いや何百万、何千万の断末魔の叫びとなって、私の体にガラスの欠片のように突き刺さってくる。その苦しみから逃れるためには労務者になって馬鹿にならねばならないのです。
 
ん、私は何が言いたいのか? 訳が分からなくなりましたので今日はこの辺で終わります。明日はエレア学派についてリサーチいたします。

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11 24 (月) 哲学その4 ピタゴラスの定理

ピタゴラスは数学者としても有名、現代数学の基礎を築き上げた方でもあります。

ピタゴラスの定理、無理数の発見、奇数の和は平方数になる(1+3+5+7+9=25=5×5) 3角形の内角の和は180度 正5角形の作図 弦の長さを半分にすると1オクターブ高くなるというピタゴラス音階、全て彼の偉業であります。

彼がなぜ数学に心を引かれたか? それは恩師であるタレス様に起因するものと推察いたします。「万物の原理は水である」と決断を下したタレスはエジプトやバビロニアで数学と天文学を学んでおります。

ピラミットの高さを測る、当事としては頭の悪い連中が多かったので不可能でした(失礼)。ところがタレスはそれを簡単にやってのけたのです。その方法とは、地面に印した自分の背丈と同じ位置に太陽の影か来た時、ピラミットの影の長さを計ったのであります。なんとまあ、頭のいいこと、感心いたします。
それだけではありません。天動説が絶対とされていた当時に、紀元前585年5月28日の皆既日食を予言、見事に的中させたのです。平たい円盤である大地、それはオケアノスという大海原に浮かんでいる。

太陽も月も星も天上の水の空を航行しているのだ、という彼の宇宙観、そういう混沌としたイメージの事象を如何に具象化し、どういう計算をしたのか大きな謎であります。
そういう当時としては奇蹟とも、神技とも思えるタレスの数学に、ピタゴラスは度肝を抜かれ、深く感銘したものと思えます。それ故、彼はタレスの元を離れた後は徹底的に数学を学び、天文学、音楽をその付随的なものとして研究していくのであります。

生まれ故郷のサモス島では歓迎されなかった彼は、イタリアのクロトンでは大人気となり、オルフェ教の戒律厳しい学術団体を結成した。
万物は数であり、1は点、2は線、3は面、4は立体を作る次元、10は最も崇拝する数であり、最初の整数、1,2,3,4の総和となり、宇宙の全てである。・・・とまあ、こういう根本教理を打ち出してピタゴラス教団は次第に勢力を伸ばしていった。
少し横道にそれますが、ピタゴラスの定理というのは「直角三角形の、直角をはさむ二つの辺の,それぞれを一辺とする正方形の面積の和は、斜辺を一辺とする正方形の面積の和に等しいということでしたね?

 そんなことは誰でも知っている、よけいなことを聞くな・・・、ですか? ん、大変失礼致しました。では、先に進みます。
これはでございます、これまでエジプトではすでに3・4・5や5・12・13という数字が直角を作るということが知られていたのですが、何故そうなるかというわけが分からなかったのであります。

それを証明したのがピタゴラスの定理?という経緯なのであります。
しかし、整数や分数しか考えられなかった当時、このピタゴラスの定理によって、それらに属しない不可解な数が出てきたのであります。つまり、直角をはさむ2辺が1だった場合、斜辺の長さは(1の2乗+1の2乗=2)となります。
この2は(1の2乗+1の2乗)の2乗ということになりますが、2乗して2になるような数字はなかったのです。そこでピタゴラスは考えに考え抜いて√2という無理数を発見したということになります。

なお、このピタゴラスの定理を「3平方根の定理」とも言いますが、何故でしょうか? 「分かっている、余計な事を言うな」・・・ですか? し、しかし、ミーは言いたい。何故言いたいのか、満たされていない何かのせいだと思いますが、とにかく言いたい。
つ、つまりであります、戦時中英語を使ってはならないという軍の命令で、数学者の塩野直道先生が末綱恕一博士と相談してやっと考え出したということです。ちなみに、野球のストライクは「よ−し」 ボールは「だめー」と言ったそうです。
長々となりましたが、今夜はこれにて失礼致します。次はピタゴラス教団についてリサーチいたします。

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2003 11 21日(金) 哲学その3 ピタゴラス学派

ミレトスの哲学者達の次に現れたのがピタゴラスというお方です。彼は紀元前570年ごろ、サモス島で生まれた。18歳の時、72歳のタレスの弟子となっていろいろと勉強を致しました。しかし、タレス様が78歳でお亡くなりになりましたので、エジプトへ渡り、天文学、幾何学、宗教などを勉強したのであります。
ところがそこへカンビュセスの軍隊が進行してエジプト軍を破り、彼はバビロンへ連れていかれた。しかし、そこでも彼は勉学に励み、数学、音楽、宗教を徹底的に研究したのであります。真理への探究心、異常なほど強かった人物ですね。

その後、彼は古里へ返されましたが、しばらくして南イタリアに移住し、宗教的色彩の強い学術集団、ピタゴラス学派を創設するに至るのであります。つまり、学校を設立したわけですが、学校というより教団と言ったほうがいいでしょう。彼のカリスマ性は強まるばかりで、勢力は強大化し、国家から睨まれるようになってしまった。

そして80歳(?多し)のとき、暴徒化した反対派の市民に追われて豆畑の前で捕まり、殺されてしまうのであります。 豆畑はそら豆が豊作でありまして、その中に隠れることによって逃れることは出来たのですが、なぜか彼はそら豆を神様だと信じていましたので、入ることが出来なかったのであります。
共に逃げた奥さんと数人の子供達も捕まりましたが、どうなったかは定かではありません。

以上がピタゴラスの大雑把な人生物語です。彼の、数学者、哲学者、音学家 としての人類への貢献度は無限大に近い。

哲学を「フィロソフィァ」と呼ぶようになったのは彼に起因します。ソフォス(知者)は神のみである。そのソフォスによるソフィア(知)を探し求め愛する自分は「フィロソフォス」に過ぎない、と言った彼の言葉がフィロソフィアの単語を生み出したのであります。
あれ、時間がない。出勤時間です。この続きは、今宵また!

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2003 11 20 (木) 哲学その2

BC624年〜546年頃、哲学の祖、タレス様が「万物の原理は水である」と自信を持って力説した。水は生命体にとっては絶対不可欠、彼の言わんとすることは良く分かる。人間の体は70%が水、脳などは85%が水で出来ております。地球も70%は海、同じ町内で、みず知らずの人も70%であります。水の効果は、鎮静、強壮、利尿、発汗、新陳代謝を促進いたします。酒が百薬の長なら、水は億薬の長となる。
そのタレス様の弟子にアナクシマンドロスという舌を噛みそうな名前の方がおられた。タレスよりも14歳若く、頭脳明晰、想像力、洞察力豊かでありました。彼はこともあろうに恩師であるタレスの力説を否定、水は火や空気、土などと反発し合う同類であり、一切は "無限なるもの"の原理の上に成り立っている、と説いたのであります。

その無限なるものを彼は「ァペイロン」と呼んだ。それは事象、物象などの万物の源泉であり、時空を支配し、制御と調和を正義と厳然とした秩序によってつかさどっている、としたのであります。


つまりでございます、この世は見えざるアペイロンという不滅なるものによって制御され、その中に厳然と潜む必然の定めにより、一切は生成と消滅の輪廻を繰り返している、というわけです。
彼の宇宙論も凄い。地球が宇宙の中心であり円柱形で、その周りを太陽や月、星が回っている。地球が落ちないのは、宇宙の中心という落ちる所のないところに浮かんでいるからだ、と唱えた。

つまり天動説を唱えていたわけなんですが、その頃、カルデア人はサロス周期を発見しており、1年を12カ月、1週間を7日、1日を24時間、とする暦まで作っておられます。
サロス周期とは18年と10日を1サロスと定め、その周期で日食が43回、月食が29回起こる、という事象のことであります。
天動説の中で、よくもまあ、こういう当時としては、不可解な現象が解明できたものだと感心いたします。アナクシマンドロス、そしてアペイロン、わけが分かりませんがこれにて一件落着と致します。明日はピタゴラスについてリサーチいたします。
今日は雨で仕事は午後から中止でした。禁酒の辛さ、まだまだ続きそうです。酒は万物の原理、誰かがそう叫んでいるような感じがいたします。

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2003
11 19日(水) 哲学その1

私の祖先が石器の槍や斧で獣を追っかけていた大昔、イオニアでは人類最初の哲学者が現れた。彼の名は「タレス」、哲学の祖であり、7賢人の1人であります。7賢人とは誰と誰か? そんなこと労務者の私には分かりませんので、百科事典かインターネットの検索で調べてください。
私の祖先はハブの皮を剥いで、いかにしてふんどしにするかを考えていた。しかし、タレスは自然とは何か、万物の原理はいかに、馬が東を向けばその尻尾はなぜ西を向くのか、という高尚な次元から物事の原理を追求していたのです。

そして彼は夜も寝ないで昼寝して考え続け、ついに一つの結論に達した。それは 「万物の原理は水である」ということであります。一切は水から生じて水へ戻っていく、という発想、5?6歳の頃、私も独断でそう思っていた。
水は「H2O」水素2個と酸素一個がくっついたものです。この宇宙に最初に現れた元素は水素です。それが土台となってヘリウムができ、炭素、酸素、その他いろいろ・・・・と103種の物質の元素が出来ていったのであります。したがって彼が言う水を水素に置き換えれば一応の筋道が通る。
しかし、その水素をさらに突き詰めていきますと、原子核と電子からなっており、その原子核は10兆分の3センチの陽子と中性子から成り立ち、さらにその陽子は10兆分の一センチのクォークというものから出来ております。そのクォークは究極の素粒子と言われておりますが、今後、果たしてどうなるか? 
私は何を言いたいのか? ようするに人類最初の哲学者は古代ギリシャの「タレス」さんであったということです。

彼は研究熱心な方で、歩きながら夜空を夢中になって観測し、井戸に落ちたというエピソードもあります。紀元前6世紀頃、縄文時代末期にそのような高度な思想が生まれたということ、人類は進化への歩行を怠ってはならない、と教えられているような気がします。
進化と繁栄はどこから来るのか、やはりファイト一発の愛と正義と思いやり、ですね? 独善主義、傲慢、残忍性、強欲、無責任、それは逆に退化衰退、破滅への道となります。なぜならそれは愛と正義の敵であり、神を敵に回すものであるからです。

では、今日はこれにて、明日はタレスに学んだ「アナクシマンドロス」について勉強します。禁酒25日目、その絶望感からの離脱のために、しばらくは哲学を友とします。肩の凝らない哲学、共に研究いたしませんか?

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2003 11 18日(火) 偉くて、おめでたい人

今日は新しい現場の測量手元ということであった。監督はあの変人奇人の菊池であります。 朝7:30までに会社へ来い、ということでしたので6:30には車で家を出まして、ハイウエイ254号線を走らせ、7時には会社の近くまできた。すると携帯がなった。菊池であった。
「何しているかー。おそ―い、いつまで待たせるつもりか、バカヤロウ! きさま仕事やる気があるのか?」

「なんだとー、てめー、言葉使いが下品だなー、もっと上品に美しく年をとれー・・・。もしかすると、おまえドメスティック・バイオレンスじじーとちゃうか?

「なんだいそのドメ、ドメ、スティック何とかってのは?

「家庭内暴力じじーという意味だ!

「それはおれの女房のほうだ・・・、ん、そんなことはどうでもいい、こっちに着くのは何時ごろだ?

「7時10分には着く。昨日、7時半までに来い、とおまえ言っただろう?

「そうだ、もう8時を過ぎている。・・・あれ、まだ7時だ。わははははー、時計を見まちがえちゃったよ・・・」

そして会社到着。2トンダンプに丁張り用の杭とか抜き板、ハンマー、釘、鋸、水平器などを積み込んで現場へ出発した。菊池は自分の車で先へ行ってしまった。
新現場の工事名は「15富―第1202号排水路工事」という訳の分からない名称、工期は平成16年3月10まで。発注者は埼玉県川越農林振興センターとなっております。

現場は一面の田園風景。遥か南の方には雪化粧の富士が幻のように浮かんでいる。空は青く小春日和、赤とんぼが小川の淀みで遊んでおりました。
私は久しぶりにのんびりとした気分に浸り菊池を待った。しかし、待てど暮らせど来ない。先に出たのだからおかしな話であります。 それから約30分ほどして缶コーヒーを抱えた彼がようやく現れた。
「慌てる必要はない、ま、コーヒーでも飲んでからゆっくりやろう・・・」

30ほどの雑談後、ようやく仕事に取り掛かることとなった。まず、測量機器のレベルを設置して丁張りを出さなければならない。 ところがであります、菊池は車の中をがさごそするだけで出てこないのだ。痺れを切らして近づき「どったの?」 と聞きますと、

「わははははー。レベルとトランシストを忘れちゃったよ・・・」

これでは仕事にならない。「どうするのか?」と申し上げますと、「一応、図面と現場を照合しておこうー、ポールを2本持ってついてきてくれ・・・」

私は素直に、かつ寛大に彼の後をついて行った。しかし、広げた図面をしきりに首を傾げながら眺めたり、水路を眺めたりで図面と現場が一致しないようであった。

「おかしいなー、ここで水路が分かれているが・・・、図面にはそれがない。でたらめだ!狂ったやろうが描いたに違いない」

「・・・狂っているのはお前だ。その図面、ここの物じゃない」

「あ、ほんとだ。どうりで合わないはずだ。・・・まいったな、仕事が出来ない。どうしましょう! わはははははー」

というわけで測量は急遽取り止めとなりまして、草刈をすることになりました。私は一人、小川の両側の斜面に繁茂する雑草を、エンジン草刈り機で刈り取っていったのであります。

午後5時終了、それまで姿をくらましていた菊池はばつ悪そうに姿を現して言った。

「明日はちゃんとやるから、よろしく頼むぞ・・・」

毎度のことでございます。あんたは偉い、そして、目出度い! しかし、憎めない人であります。単純で正直、その人柄が、全てを許させるようになっているのかもしれませんね。

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11 16 (日)小さな親友  

雨が降ろうが風が吹こうが、あるいは磁気嵐が吹き荒れようが、朝7時半、私は現場に到着する。相棒の二人が来るのはいつも9時過ぎです。それまで何もしないで、突っ立っているわけにはまいりませんので、1人だけの作業を開始する。
バックフォー・トラクターを動かしてトレンチを掘ったり、メタルフォームで型枠を組み立てたり、集水桝や汚水桝を設置したり、路床を生成したり、孤独の仕事は尽きることはなかった。
ある朝、いつものように孤独の仕事をしておりますと、何者かの視線を感じた。あたりをきょろきょろ見渡したが誰もいない。気のせいか!と思い直してツルハシを振るい続けたが、やはり視線を感じる。
“ん、何だ、この精神波は?“ 何気なく右手の住宅の2階を見上げると、窓ガラスに顔をくっつけて、私を瞬きもせず、じっと見つめている男の子を発見した。4・5歳ぐらいで青白く、痩せていた。
子供はかわいい、純真で無垢、それが心の汚濁を浄化してくれる。私は笑顔で手を振った。子供は頭を下げて素早く隠れた。それからしばらくして顔を出す。また私は手を振った。すると再び隠れる。それが数回続いた。これでは仕事が進まないので、私は彼を無視して作業に集中した。
昼食時、日の丸弁当をたいらげた後、車のシートを倒し昼寝をする。一瞬にして眠りは無限の深さに急降下する。いびきの轟音波で群がるカラスの大群が慌てふためいて逃げていった。夢を見ているのは確かですが、内容は記憶に残りません。おそらく、高原の花園でビールを飲んでいる夢だと思います。
その深い眠りがなぜが、突然、破れた。シートを立てて上半身を起こすと、車の外に子供が立っていた。2階の窓から私を見ていたあの子供であった。視線が合うと子供は怯えたような表情となった。そこで一言・・・。

「おじさんは何でも知っている。あんたのお父さんは男で、お母さんは女だ。どうだ、当たっているだろう? びっくりしたか!」

子供はしばらくきょとんとしていたが、その表情が崩れ、白い歯をのぞかせた。それから私は外に出て質問した。「名前は?」 しかし何度聞いても、恥ずかしそうな素振りだけで答えようとはしない。 次に「何歳?」と聞くと指を5本出して見せた。「5歳か! 幼稚園生? 」 子供は目を輝かして大きくうなずいた。

その日から子供は毎日、現場の傍で私の作業を見るようになった。バックフォー・トラクターで掘削したり、重い資材を吊り上げて移動させたりするときはジャンプして喜んだ。そして休憩時間や昼休み時間には私の周りを楽しそうにうろつきまわった。こちらの問いかけにはうなずいたり、顔を縦に降ったり、横に振ったりするだけで言葉での返事がない。
そうした事が続き、無言の友情が二人の間には芽生えていった。

現場に着くと子供はちゃんと待っている。「おはようー」と言うと、嬉しそうにジャンプしてはしゃぎまわる。それから母親に手を引かれて幼稚園からの迎えのバスに乗り込む。帰ってくると着替えてすぐ現場にやってくる。雨の日は2階の窓からの見物となります。

そして現場は最終段階を迎え、15日、土曜日、アスファルト舗装が完了した。子供は現場とキャベツ畑との境に立ち、私の動きを最初から最後まで見つめていた。時々、子供に視線を向けて、Vサインをして見せると子供は奇声を上げてそれに応じた。

男たちが全員引き上げた後、私は手足をバケツの水で洗い、普段着に着替え、帰る身支度をした。そこへ子供がやってきた。車のドアーを開けたり閉めたり、綺麗に仕上がった舗装道路を指差してアー、アー、と叫んだりした。

現場は今日でおしまい、月曜日からは別の現場へ行く。したがって子供とは今日でお別れである。私は缶ジュースを子供に与えながら言った。

「今日で、ここの仕事は終わった。だからもう逢えなくなる。・・・いつも元気でいてね・・・」

子供はびっくりした眼で私を見つめた。唇が振るえ、目から大粒の涙がこぼれ始めた。私は彼の小さな手を握ってさらに言った。

「二人はいつまでも友達だ。いつか必ずどこかで逢える。その時、あんたは立派な大人になっている。その日を楽しみにしているよ・・・」

子供は下を向いたままでいた。そこへ彼の母親が連れ戻しにやってきた。手を引かれていく彼は振り向いて唇を動かした。

「・・・おじさん、友達・・・」

母親は電気に打たれたように立ち止まった。「ひさお、もう一度言ってごらん、もう一度・・・」

「・・・おじさん、友達、やくそく・・・」

「ん、友達だ、友達以上の親友だ・・・」

母親が声を上げて泣いた。今度はこちらがびっくり、意味が分からずに唖然としていた。辺りは暗くなり、夕焼け空に一番星が輝き始めた。

労務者ごときが厚かましく事情など聞いたりしてはならない。私はその母親に頭を下げ、子供に手を振った後、何も聞かずにそのまま車を走らせた。背後から子供の声が、どこまでも、どこまでも追ってくるようであった。

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11月 14日 (金) ただ者ではなかった検査官

一作日の雨天とはがらりと変わり、今日は青空が広がった。雲は見当たらない。これが正真正銘の小春日和というものか???! 朝早く現場を前にして私はやる気満々、気力充実、1人バックフォーを動かして作業に取りかかった。他の2人は朝の渋滞に巻き込まれ、現場到着はいつも9時過ぎとなる。したがって彼らが来るのを待っているわけにはいかないのだ。

今日は役所の下水、路盤、境界石の検査が11時から行われる。それまでにはなんとしても路盤を完成させておかねばならない。それがOKとなれば明日、土曜日、アスファルト舗装となり、この現場は工事完了となります。
孤独の作業に取りかかってしばらくすると、電気工事車両が数台やってきた。配線切り替え工事と電柱の抜き取り工事のためであった。十数人の作業員とガードマン達があっという間に現場を支配し、大混雑となった。 さらに、ガス工事車両が到着し、ガス管接続工事と相成った。
さらにさらにブロック屋5名まで到着、500個余りのブロックを降ろし、それを積み始めた。
相棒の二人が来た時には車を置くスペースなど、どこにもなく、ただうろうろ、おろおろするのみ。仕方がないので遠く離れた道路わきに車を止めて、肩身の狭い思いで作業に取り掛かったのであります。

隣の屋根ではカラスがカーカー鳴き、電柱の上方では人間がワー、ワー、ぎゃー、ぎゃー騒ぐ。下では犬までも吠え立て、キャベツ畑では猫が喚き声を上げて大喧嘩している。その中で私は路盤仕上げ、五十嵐さんは配水管掃除、菅原は桝のモルタル仕上げに従事した。それぞれ孤独と共に作業をしたのであります。孤独こそ無二の親友、男の強かさを培ってくれる最大の味方と言えるかも????

11時ジャスト、時間厳守で8名の役人が来た。彼らは大混雑にたまげた様子であったが、それでも真面目真剣な表情で検査に取り掛かった。並んで歩く彼らの後ろから、こちらの社長、監督、そして我々3人組が付いて歩く。検査官が立ち止まると、後続の者達も一斉に止まる。そして社長と監督が愛想笑いで言い訳をする。

「ここのエプロン仕上げをするとき、コンクリートが乾かないうちに雨が降ったものですから荒くなっております。難工事で大変苦労しました。すぐに直します。えへへへへへー・・・」

「そんなの理由にならん。ここは部分的ではなく、全面取り壊してやり直せ!」

「わ、分かりました。・・・ところで今夜あたりどこかで食事でもしませんか?」

「ばか者 !  昔と違って今はそんなことは出来ない。真面目、正直、現代は厳しくなったのだ」

社長と監督は平身低頭、こちらを振り返って眼光を一瞬だけ鋭くした。そのうち検査官が私の顔を見て、何かに憑かれた様な眼差しとなって話しかけてきた。

「お前、沖縄の人だろう、眉毛が太くて黒いからすぐ分かる・・・」

「凄い眼力ですね。あなたはやはりただ者ではなかった。さっきからそう思っておりました」

彼はにやりと笑った。そして、検査は全てOKとなったのであります。したがって全面取り壊しも取りやめとなって目出度しとなった。

社長は上機嫌となり、お茶代として3名にそれぞれ2千円を渡して去っていった。明日のアスファルト舗装、頑張らなくっちゃー、と思った次第です。

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11月11日 現場は今日も雨だった


ここ数日間、雨の中での作業が続いている。しかもその雨は冷たい。世間の冷たい風以上であります。勿論、雨着を着ての作業ですが、外部は雨にぬれ、内部は汗にぬれる。どうせ全身がぬれるのですから、雨着はいらないと思えるでしょうが、雨着なしでは寒く、その上、ふところも寒いので凍え死にしてしまいます。

華麗であるべきはずのツルスコ舞は、泥土の粘着性で不器用な「もがきあがき舞」となる。もがけばもがくほど泥土に両足が深くめり込み、強引に引くと長靴が抜けて行方不明となったりする。

メンバーは季節作業員としてやって来た元親方の五十嵐さん、その跡を継いで親方見習い中の菅原、そして私の3人だけであります。

これほどの工事となりますと、最低7名は必要となります。・・・この業界では常識であります。荒野の7人、ではなくて現場の7人、それが雨降り現場の3人となっているのであります。

しかし、現実は厳しいのだ。甘えは許されない。私が働くのは、富や権力、栄華のためではない。愛と正義と神のしもべとなるためであり、己の邪悪を浄化するためである。

人は何のために権力者となり、億万長者となり、優れた者にならんとするのか? それはただただ、弱いものを助け、悪を正し、互い助け合いの心清らかな人間世界をうち建てる>ためではないのか!

強くなればなるほど傲慢になり、弱い者をいじめるようではこの世は地獄となる。そして、己自身もその地獄の火で焼き殺されることになるのです。

???ん、私は一体何を言っているのでしょうか? ・・・つまりですね、雨の現場で、泥んこになって仕事をした、というただそれだけの事なんですね。

こんなこと、面白くもおかしくもない? そうですか、大変失礼致しました。 しかし、一億年後、これは最古人類の残した文章として高く売れるかも・・・? 馬鹿馬鹿しさが最高に面白い、としてベストセラーになるでしょうね!

禁酒16日目、やはり脳波はまだ定かではないようです。・・・来月は忘年会シーズンですね。その時は当然、解禁、それを希望の光として、明日もまた、頑張ろう! 

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2003 11 9 (日) 悟りの世界

紀元前528年(?)仏陀は菩提樹の下で悟りを開いた。悟りとは何か? それは魂が真理と同化することだと思います。

内外からのあらゆる誘惑と欲望を断ち切り、いかなる状況、危機に遭遇しても逃げはいたしません。ただただ、どっしりと構えて、恐れず迷わず焦らず、冷静に対処出来る精神構造が、すなわち悟りであります。

そこにあるのは宇宙の愛がもたらす感動と安らぎのみで、飽食と官能的快楽がもたらす腐敗とは全く次元が違います。

その時、仏陀は35歳。ガンジス川の支流・尼蓮禅河川の水流は美しくきらめき、ブッダガヤー(現在のボードガヤー)の地には、様々な花が五色の光の中で咲き乱れました。

長年の修行の苦しみから解放され、魂の根底から満たされた仏陀は、目的は果たされた、としてそのまま涅槃に入ろうとした。つまり、崇高な精神状態から現世を離脱し、高次元の世界へ歩もうとしたのであります。

慌てふためいたのがブラマー神(梵天)でありました。一説によりますと、この神様は仏陀を煩悩界に拘束しようとして、あらゆる誘惑を試みたマーラ(魔)であるという。なぜ彼が慌てたのか?

 そんな難しいことは分かりませんが、ようするにこのマーラさんは誘惑が専門で、それ以外は悪い存在ではないかもしれません。

もしかすると、仏陀が気付かないまま、未知の世界に置き去りにしている究極の真理が、そのマーラさんの背後にあるのかもしれません。

「世界を意のままに出来る大帝王となさん・・・」 「酒池肉林、やりたい放題、食べ放題、何でも好きなことをさせよう???」 「いくら酒を飲んでもアルチュウにならず、飲めば飲むほど肝臓腎臓が強くなり、煙草を吸って煙を出し、それが濃霧の広がりのようになって装甲車と戦車が正面衝突したとしても、気管支と肺はいつまでも、清く美しく健全に機能するようにしてやろう???」 ???とまあその他いろいろ、ありとあらゆる誘惑が仏陀になされたのです。

もちろん私なら目を白黒させてたちどころに“OK“ となるはずだが、仏陀は毅然としてそれを跳ね除けたのです。そんな彼ですから涅槃を思いとどまらせるのは不可能のように思えた。しかし、マーラさんは仏陀の弱点を知っていた。それは ”慈悲、人類愛”であります。

「真理は一人だけのものではない。真理の救いを求める哀れな人間達はどうなる。それを放っておいてお前は一人だけ涅槃に入っていい思いをするつもりか?

仏陀は深く反省、それから説法活動の新たな旅に出るのであります。

この世は知らないことばかりです。知っているつもりが後世になって、それが誤りであったことが証明されたりする。

しかし、はっきりしていることは一つ、「自分は何にも知っていない」ということです。そういう謙虚な精神構造から真理の輪郭が次第に見えてくるものと信じる。
「曇りなき一つの月を持ちながら、浮世の雲に迷いぬるかな・一休禅師」
浮世の雲、すなわち煩悩、それは苦である。それをいかにして取り除き、迷いから脱出するか、禁酒14日目、何とか落ち着いて考えられるようになりました。 

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2003 11 7 (金) この世で不可解なもの

この世で最も不可解で、謎、正体不明、そして愚かなもので無知なる存在は? それでいて愛を遥かに超越した愛で愛されている存在は? ・・・禁酒12日目を迎えると、このように可笑しなことを考えるようになる。

紀元前500年ごろ、菩提樹の下で悟りを開いていた仏陀を、マーラ(魔)の3人娘、欲妃、快楽妃、悦妃が半裸体となって誘惑した。仏陀は見向きもしなかったのでありますが、私にとってこの禁酒とは、彼女らの全裸誘惑以上のすさまじパワーであります。

菩提樹の下で悟りを開き、80歳でシャラの樹下で入滅された仏陀、戦場において100万の敵に勝つよりも、己というたった一人に勝つほうが遥かに難しいということを俗人に教えてくれましたが、禁酒との戦いはまさにそれであります。

この禁酒とは何か、その中から黒雲のように沸きあがってくる絶望と得体の知れない苦痛、それは酒という物質の効力、たったそれだけの成せる技なのか? いや、そうではない筈だ。根源は己自信の根深い所に存在すると思う。

そういう意味で、この世で最も不可解な存在は自分自身であると言える。・・・3日、日曜日の夕方、ベランダで月下美人を眺めていた時、どどどどどーん、ドッカーンという凄まじい音が連続した。その瞬間、私は過去の戦場に戻った。

恐怖と絶望、そのパニック状態が私の全てを飲み込んだ。炸裂する艦砲弾、銃砲弾の暴風、火炎、爆発、割れて砕けて避けて飛び散る大地、原形をとどめない死体の散乱、あの修羅場がよみがえった。

茫然自失、私はそのまま立ち尽くしたままでいた。空が突然、明るくなった。それは夜空を彩る花火であった。

何だ、花火だったのか???! そう確認できた時、救われたような思いが怒涛のように押し寄せてきた。

酒、タバコ、麻薬、道楽、もしかするとそれらは、心の傷の痛み止めのようなものかもしれない。自分は無意識を支配する心の苦痛から逃げていたのだ。・・・しかし、逃げてばかりでは生きて、進化発展することは出来ない。己自身を捨てきり、滅私有念有想の状態で仕事に励む、それが今後の課題であろう,と思う。

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11月2日 月下美人、再び開花

10月1日、15個の小さなつぼみを付けた月下美人。日に日に成長し、13日には6センチ前後になった。その時には5個が落ちてしまっておりました。
つぼみたちの生存競争は激しく、弱いものは次々と落ちていった。私は気が気ではなかった。みんな仲良く助け合って、一斉に花を咲かせてくれ、と天に祈った。
しかし、現実は厳しい。静の中で懸命に生き抜き、成長を目指す蕾たち、私には彼らの熾烈な戦いが見えた。
そして、あることを発見した。つぼみは一つの葉に一個だけが最終生存が許される。強い、優秀なものが選ばれるということです。それは、種の生き残りと繁栄をかけた冷酷な生命の定めなのだ。
結局、ここまでたどり着いたのは6個でした。つまり、6枚の葉がそれぞれ一個のつぼみを持ったことになる。
そして、11月2日、昨夜、最下の葉に付いたつぼみが開花した。17時より開花が始まり、24時には満開となりました。では、その様をご紹介します。
 
    

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11月2日 天地創造と禁酒

わけの分からない混沌とした無が広がっていた。形のない地、深淵の水、その表面に広がる闇、神の霊が水面をうごめくだけの事象、一体これはなんなのだ・・・?

神は何故かその中で天地創造を開始された。

第一日目「光あれ!」と神は厳かに言った。 すると光が現れたのです。そこで闇と光を分け、光を昼、闇を夜と呼んだ。

第二日目「水の中に大空あれ。水と水とを分けよ!」と仰ると、水が上下に分離し、中間に大空が現れた。

第3日目「天の下の水はひとつ所に集まれ。乾いた所が現れよ!」と叫ぶ。すると陸と海が忽然と現れて、陸地に青草が広がり、やがて種をつける草と、種をもつ実の果樹が生えていった。

第4日目「天の大空に光るものがあって、昼と夜とを分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ!」と言われた。つまり、神は二つの大きな光るものと星を造り、昼の太陽、夜の月星とされた。ここにおいて朝と夜が必然的に出来たわけです。 

第5日目「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ!」 ・・・すると、水棲動物が現れ、鳥類が現れて、それぞれ産めよ、増やせよと相成って繁栄していく。

第6日目「地は、それぞれの生き物を産みだせ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産みだせ!」 ・・・そして、神は自分を雛形として人間のペアーを造られた。神は満足、人間を万物の霊長とし、祝福された。

第7日目 これにて一件落着、神様はお休みとなり、ビールを飲みながら休養をとられました。

以上、かなり出鱈目な所がありますが、旧約聖書の創世記にある「天地万物の創造」であります。たった7日間で天地万物を創造された神様、凄いですね!

 物理学者のある天才は量子論を引き出して、この7日間を現在に持ってくると、24時間に当たる、と難しく仰っている。どうも、理解に苦しみますね。

いずれにしても神様は凄いと思います。私など、禁酒7日目ですけど、それだけでも地獄の苦しみを味わっているのです。やはり、神と人とでは次元が違うものなんですね。

第一日目、禁酒決意と同時に闇が広がった。

第2日目、ビールとビールの中に大空があって絶望の朝と夜を迎えた。

第3日目、幻影と幻聴の中で酒をくれー、とのたうち回る。

第4日目、二つの大きな光るものが現れ、脳波が無数の星を放電、幻想と現実を行ったり来たりする。

第5日目、空中遊泳、無重力感急降下、急上昇、ツルスコ舞オーバーヒート。

第6日目、冷却装置作動、抵抗軍反撃開始。

第7日目、果てしなき戦いへの旅立ち。

以上が私の禁酒7日ですが、やっぱり自信がない。今夜あたりが最も危ない。しかし、無駄な抵抗はまだまだ続きそうです。

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10月30日 禁煙17年、禁酒4日目

45歳の10月29日まで、私は超ヘビー・スモーカーだった。一日に4箱、80本は軽く吸っていた。鼻や耳は活火山のようにいつも煙が立ち昇り、挙句の果ては目や皮膚からも煙が上る始末であった。

その日の夜、神様が現れて厳かに告げられた。

「これ以上ニコチンを取ってはならない。2個とチンが無くなれば男ではない。男を守りたければ煙草を止めよ!  それから ”ニコトール" という禁煙パイポを使ってもならん。決定的に男で無くなる、分かったな。・・・では、これにて失礼!」

神様はにやりと笑った後、煙となって消えた。私は大いに自己反省し、それ以来煙草を吸っていない。

そして、4日前の月曜日、その神が再び現れて告げられた。

「酒を止めましょう! あれは女が飲むもので男は飲んではならん。だから、月桂冠という酒もある。ビール、ワイン、焼酎、ウイスキー、泡盛、アルコールは一切禁止せよ!」

神はなぜ止めねばならないのか、の理由も告げずに消えた。仕事帰りのビール一杯、それだけが生きがいでもあった私にとっては「死ね」というようなもの・・・。神とは実に残酷な存在であります。

しかし、神に叛くわけにはいかない。こうなれば意地でも禁酒いたします。だが・・・、自信がない。いつまで持ちこたえることが出来るか・・・、それは神のみぞ知る! 

 
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10月 25日 (土) 現場の金一封

今日は迷監督・菊池と二人だけの仕事でありました。作業内容は彼が担当した舗装工事の手直し、つまり、悪い箇所の修正です。細々とした雑多な仕事で、意外と厄介な難しい仕事であります。

菊池が迷監督で変人・奇人なら、私は突然変異の宇宙土方原人症候群<font color="#FF0000">(何のことか私にも??)</font>となります。互いに罵り合い、口喧嘩が絶えないが何故か気が合う。おそらく同じ年齢であるからだと思います。

「俺のスケールがない。あれは高いんだ。お前が盗んだなー」

「なぬー、100万円拾って交番へ届けた正直な俺様に対して何たる無礼! ん? お前が左手で握っているのは何だ・・・??

「あ・・・、なーんだ、自分で持っていたんだ、わはははははー」  と、まあ、こんな調子で作業は進んでいった。

午後3時、水が溜まる路面の箇所を修復し、次の箇所へ移動しようとした時、隣接する家の玄関が開き、ほっそりとした老人が出てきた。 町内会の会長であった。

「ご苦労様です。お茶でもどうぞ。中へお入りください・・・?

変人と宇宙原人は中庭に通されて芝生の中の椅子に座った。テーブルには大きな盆にダンゴや饅頭が山積みにされ、高級なお茶が出された。老人は80歳で奥様と二人暮し。元校長先生といった感じのする穏やかな方でありました。しかし、昼寝していたらしく、目やにが付き、右の目尻の小さなおできからは膿が出ていました。老人の話は川の流れのように淀みが無かった。よっぽど話し相手がほしかったのだと思った。

「最近、孫も寄り付かなくなったよ。お年玉がもらえなくなる年になるとぴたっと来なくなる。ほんとに情けない。倅が来ても食うだけ食い、飲むだけ飲んでさっさと帰ってしまうんだ。庭の草一本でも抜いていけばいいものを・・・、ああ、まったく情けない。早く、お迎えが来てほしいよ・・・・・?

変人はそんなことに耳をかそうともせずに、ダンゴと饅頭を食べるのに夢中である。時々、目を白黒させてお茶を飲んだ。宇宙土方原人の高尚な私は、知性と教養が邪魔して彼の真似は出来ない。老人の話を根気良く聞きながら相槌を打ち、その目を盗んで饅頭をぱくっと口に放ばったりした。電光石火の早業なので老人は全く気がつかない。

「80歳ですか? まだまだ若い。あと70年は大丈夫。元気バリバリ、これからは若くなる一方で第2の青春スタートですよ、ぐわっはっはっはははははははー・・・」

「冗談言っちゃいけないよ。あと70年ということは150歳まで生きるということかね? なにか、おちょくられている感じがするね・・・」

「冗談ではありません。昔は人生40年でした。今は85歳。倍も寿命が伸びたのです。それに医学の進歩で肉体は若返り、年をとれば取るほど頭脳は冴えて、ノイロン、シナプスはさわやかな琴のオーケストラを奏でる時代が、すぐ目の前まで来ているのです。・・・おとうさん、人間は永遠のチャレンジャーでなければなりません。 お迎えなど絶対に来ません。もし来たら奥歯をがたがたさせて、大腸がんを引き抜いて追い返しなさい」

老人の目がきらきらと輝いた。彼は何度も何度も大きくうなずきながら熱いお茶を注いでくれた。変人が差し出すおかわり要求の湯飲みはまったく見ていなかった。時間は一時間を過ぎていた。二人は慌てて立ち上がりお礼を申し上げて外に出た。

後から老人が追いかけてきてミカンをお土産だ,と言って渡した。そしてそれぞれに金一封も・・・。帰りの車の中でこっそり開けてみると3千円が入っていた。二人は互いに顔を見合わせてにやり・・・。 今宵のビール、最高だろう・・・。

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10月 22日  58年前ほんとにあった話、信じられますか?

 壕内で衛生兵が怒鳴り散らす。女子師範学校から配属された看護婦見習い達が青ざめて走り回る。手術室からは断末魔の絶叫が絶えない。麻酔無しの手術が情け容赦なく行われているからだ。

両手両足、胴体をタンカに縛り付けられ、もがきのたうつ重傷の兵、その足を押さえていた看護婦見習いは、急に切り落とされた血まみれの足をにぎって失神し、後ろに倒れた。

 洞窟内は負傷兵だらけだった。手足をもぎ取られた者、頭の上を吹き飛ばされ、脳みそが半分こぼれたもの、飛び出した眼球を茫洋と押し込んでいるもの、腸や肝臓が飛び出し、破れた肋骨の奥で動く心臓を覗かせている者、まさに阿鼻叫喚、この世の地獄であった。

外はそれ以上の地獄だった。炸裂する艦砲弾、無数のサーチライトに照らされながら急降下する特攻機、それに集中する砲火の嵐、爆発、轟音、閃光、火炎・・・。島々は割れて砕けて裂けて飛び散り、直撃弾を喰らった避難民がばらばらになって吹き飛ばされる。

長雨で洞窟内は水浸しとなり、泥土が飛び散る。乙女達はびしょ濡れとなり、泥土にまみれて懸命に負傷兵の看護にあたっていた。死んだ者は外に掘られた穴に放り込まれる。

水をくれ! 殺してくれー! お母―さん・・・、瀕死の負傷兵は口々に叫び続けた。走り回る看護婦見習い達はそういう彼らを励まし、水を与え、看護し続けた。彼女らは不眠不休だった。しかし、緊迫した状況は疲労と睡魔の入り込む隙間を完全に閉ざしていた。

 洞窟の奥の一角では師範学校男子部の斬り込み隊員5名がいた。彼らは円座を組み、上官から与えられた煙草を吸った。急造爆雷を背負い、軍刀を携えている。17歳から19歳の少年ばかりであった。

「1人10殺、敵を一人残らず殺すー・・・」

彼らは口々に叫び、夜陰に紛れて洞窟からとびだして行った。しばらくして、それと入れ替わるかのように13歳の少年、鉄血勤皇隊が米俵を背負って転がり込んできた。

「報告します。命令により、米を運んでまいりました。味噌を運んでいた知念二等兵は途中、敵弾に倒れました・・・」

彼は中隊長に挙手の敬礼をした後、そのまま倒れて息絶えた。体中、銃弾と砲弾破片の穴だらけで、無数の岩石が喰い込んでいた。気力と執念だけでここまでたどり着いたのだ。

突然3名の看護婦見習いが中隊長に叫んだ。

「私達も斬り込みに行きます。敵を1人でも多く殺してきます・・・」

彼女達は鋏みで黒髪を切り落とし、まだらの散切り頭となっていた。手には竹槍を握り締め、爆雷を背負っている。

中隊長は彼女らの気迫に圧倒されてたじろいだが、すぐに険しい顔となって言った。

「きさまらの国を思う心はよーく分かった。上官としてうれしー。だか、聞いてくれー。きさまらの任務は斬り込み隊以上に大切である。きさまらがみな死んでしまったら、その後、誰が負傷兵の面倒を見る。たのむ、国のために死にたい気持ちは分かるが、我慢して生きて、今の任務をまっとうしてくれ・・・」

中隊長は声を震わせながら叫んだ。しかし、彼女らは気が変になりはじめていた。

「敵を殺す。鬼畜敵兵、汚らわしい! 操を守り、大元帥陛下のみもとへ馳せ参じるー・・・」

数人の衛生兵が喚きまわる彼女らを取り押さえ、荒縄で縛って洞窟の奥へ隔離した。泥土の中でもがきまわる彼女らは、喚き散らし、のたうちながら、縛っている荒縄に噛みつき、頭を激しく揺さぶった。

58年前、4歳だった私が洞窟の壁に背中を押し付けたまま目撃した事実です。こんな話、信じられますか・・・? でも、ほんとにあった話なんです。

世界平和、経済的繁栄を目指すことだけではなく、心の充実、心の完成,愛と正義と思いやり、を目指す政策がないと人類はさらに悲惨な目にあうかも・・・?


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10月18日 世界三大いろいろ

世界三大美女といえばクレオパトラ、楊貴妃、小野小町のお三方ですね。美人薄命、と言われますが、クレオパトラは39歳で、楊貴妃は37歳で悲運な死を遂げておられる。しかし、平安時代前期の小野小町は生没年不明、100歳まで生きていたとうでたらめな説もある。古代の39歳は現代の70歳に匹敵することから、美人薄命という単語は信憑性に著しく欠けるかもしれません。

最近ではクレオパトラは背が低くて太っており、ワシ鼻で美人とは無縁であった、ということになっております。いずれにいたしましても「美人薄命」とは、病弱で、そのために死んでしまう、というイメージが大であります。クレオパトラや楊貴妃など、健康体でしたので、反乱や暴動が無ければ150歳までは生きていたかもしれません。古代と現代との美人は全く違うということかもしれませんね。

それから、世界三大悪妻は、クサンチッペ(ソクラテスの妻)、ジョセフィーヌ(ナポレオンの最初の妻)、コンスタンチェ(モーツアルトの妻) となっておりますが、クサンチッペだけは違うようであります。ソクラテスが牢獄で死ぬ時、彼女はソクラテスの側につきっきりだった。

「あの世に行って、他の女とできたりしては駄目ですよ、わかった!」

「わかった。それより、お前こそ、俺が永遠の留守中に若いツバメと仲良くなったりしないだろうな?」

「ばかだねー、あんた! 遠く離れても運命の赤い糸は切れないよ・・・」

そして二人は鉄格子越しにひしっと抱き合い、前歯を激突させて口づけをした。

なお念のために申し上げますが、これがほんとの話ではない、という荷重は大ですので、卒論などの資料にはしないでください。

他のお二方、ジョセフィーヌとコンスタンチェはどうやら悪妻には縁が深いかもしれません。特にコンスタンチェは若いツバメで、美貌の持ち主・Xマンと一緒になるためにモーツアルトを毒殺した、という容疑がいまだかかっております。ジョセフィーヌは「捨てないでくれー」、と懇願するナポレオンを殴り倒して、これまた若いツバメと駆け落ちしたのです。ナポレオンがロシア遠征で大敗したのはそのためだとも言われております。

暗くなりがちな話でしたので、最後に明るい世界三大をお伝えします。

三大微笑み、それは、モナリザの微笑み(レオナルド・ダ・ビンチ)、スフィンクの微笑み(エジプト・ギザ)、弥勒菩薩半跏像(奈良・中宮寺) となっております。それと世界三大副笑いもついでに、アムールさんの「ξ\(^。^ ))))) オーホッホッホッホッホ〜♪」、ちゃみままさんの「アハハ(*^_^*)♪」 

・・・いかがでしたでしょうか? 大変失礼致しました。・・・あれ!じ、時間がない。失礼致します。仕事いってきまーす!

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