さわやかホームページ
日記帳

(2003.12.10〜2003.12.31)

目次

予言的中   昔の正月 謎の青春

 黄金の狼  花と古巣  今日の現場 光とビックバン

 光とは何か?   師走とは?  働くことは素晴らしい
 謎の光線  

 永遠のチャレンジャー  女ローマ法王  沖縄老女パワー 



 

2003年  12月31日 予言的中

今から40数年前、10日間、水だけで生き抜いたことがあります。それは「神様」を確かめるため、「神とは何か?」  ただそれを知ろうとする努力がしたかっただけ、であります。

20歳の夏、着のみ、着のままの無一文で東京駅に降りた。大都会の混雑と慌しさ、高層ビルの群立に度肝を抜かれ、わけも分からずに、ただ歩き回った。公園の水を飲み、ベンチで夜露に濡れて眠り、昼は当ても無く歩き続けた。

4日目を過ぎると飢えの感覚が無くなり、体が浮いているような錯覚に陥る。そういう時、巡査に呼び止められ、交番へ連れて行かれた。「早く親の元へ帰りなさい。心配している。帰りの電車賃が無ければ貸してあげる・・・」彼は哀れみの眼を向けて説得を始めた。

そこで神の話を取り次いだ「神とは火、水、風である。神はこの世と人間を創っただけではなく、昔も今も、そして、これからも変わりなく一切を守り育てる。神を信じよ! 信じるものは救われる !」

巡査はあきれたように私を見つめ続けた。そして、身分証明となる学生証を確認したうえで釈放した。

駅の地下階段で夜を過ごしていると、ホームレスの夫婦が近づいてきた。二人は珍しそうにダンボールの上で寝ている私を眺めた。そこで起き上がり、二人に神の話を説いた。

「神は、人間が互いに助け合い、仲良く、明るく、陽気に暮らすのを見て共に楽しむために人間を、そしてこの世を造られた。神とは根源的親のことであり、この世、天地大自然、宇宙を造られた真実の神のことである。人間は全て、国、民族、主義思想、宗教に関係なく一列兄弟姉妹であります・・・」

ふと気が付くと二人の姿は消えていた。きっと手に負えない精神病者である、と見なされたのだ。

水だけの一週間が過ぎていた。意識は朦朧とし、空中を歩いているような状態となっていた。しかし、死に対する恐怖心は全く無かった。ただ雑踏の中を神の導くままに歩くのみであった。

そんな時、歩道の曲がり角で中年のご婦人にぶっつかって倒れた。微風に吹かれても倒れるような状態だったので当然のことでもありました。血色の良いご婦人は戸惑い、どうして良いのか分からず突っ立っていた。すると勝手に言葉が出てきた。

「ご主人、2週間後の8月31日に戻ってきます・・・」

彼女は仰天して青ざめた。そしていきなり私を引き起こし、荒々しく引っ張って歩き出した。彼女の家は近くにあって、私は中に招き入れられた。

「ほんとにうちの人が帰ってくるのですか? 15年も行方不明ですよ。どうしてそれがあなたに分かるのですか?」

「・・・私は何も分かりません。ただ勝手に言葉が出ただけです。出鱈目と言えば出鱈目かもしれませが、きっと神が言わせたのだと思います・・・」

彼女、Y子さんはその時45歳、高校生の息子が1人いた。その息子が3歳の時、ご主人は仕事で外国へ行き、一年ほどして行方不明となっていた。事故か事件に巻き込まれて死んだのかもしれない、とY子さんは諦めかけていたのであった。

私は風呂に入れてもらい、10日振りの食事にありついた。彼女の好意で2階の一室に泊めてもらい2週間を過ごした。その間、駅前広場で路傍講演をし、公園のホームレス達を相手に神の教えを説きまわった。

しかし、神の教えを聞く者は一人もいなかった。逆に石を投げつけられたり、玄関で塩をまかれたりした。疲れ果てて戻ってくると、Y子さんは親切に迎え、風呂を沸かし、ご馳走を振舞ってくれた。そして、神の話も熱心に聞いてくれた。

2週間後の8月31日となった。柱時計が夜の8時を告げた。Y子さんの顔が強張り、高校生の息子と待機している数人の親戚の方々の目が冷たく光り始めた。

「来ないじゃないか、Y子、お前はだまされたのだ。こいつは詐欺師だ。・・・だいたい神様なんってのがこの世にいるはずがない。神というのは人の心の弱みに付け込み、奴隷のように操るまやかしだ・・・」

Y子さんの兄が怒鳴った。凄い剣幕で、今にも私を摘み上げて綾瀬川に投げ込まんばかりであった。

「煮るなり焼くなり、自由にしてください。こういう事を予想して覚悟は出来ております。しかし、まだ4時間あります。神が信用できるか出来ないか、4時間後にわかります。それまで待ってください」

彼は荒い鼻息を治めながら座りなおした。しかし、Y子さんのご主人は待てど暮らせど現れない。

時間は速度を早めて進み、ついに柱時計が12時を打ち始めた。シンデレラ姫なら逃げ出す所ですが、私にはそのチャンスが全くなかった。周りを取り囲まれていたからです。

私への視線が次第に殺気の度合いを強めていった。そして静寂の中で、柱時計が最後の一つを打ち終わったとき、玄関の扉が音を立てて開かれた。

「・・・ただいま・・・」

そこには15年ぶりのご主人が立っていた。息を呑む周りの人々、そして長い間を置いてY子さんが声を張り上げて泣き出した。歓声が沸きあがり、ご主人はもみくちゃにされた。

ご主人の行方不明の原因は、現地妻が出来たためであったという。それがなぜ帰る気になったのか、いろいろとあるでしょうが、やはり、神の力が働いたと思います。

40数年前の向こう見ずな体験でした。しかし、それによって神、正義、奇蹟はあるということがはっきりしました。

さらに、人間の能力には科学で解明できない謎の部分が無限にある、ということもはっきりと分かったのであります。

トップへ戻る


 

12月29日 昔の正月

6,7歳の頃、食糧難時代であった。主食は沖縄イモで、それに生味噌をつけての一日2食であった。時々、アメリカからミルクや缶詰、小麦粉などの救援物資があったが、現金に変えられて口にすることはほとんど無かった。

その上、衣類の物資も乏しく、年中同じ半袖の上着を着けて、4キロほど離れた小学校へ素足で通っていた。帰ってくると休む間も無く野良仕事へ狩り出される。

南国沖縄といえども真冬は風が強くて寒い。子供達は半袖姿で紫に変色した唇を震わせながら働かされたのであります。

しかし、それでも子供達は明るかった。互いに相撲をとったり、裸馬に乗って競争したり、海に潜ってシャコガイなどの貝や魚、蛸などを取ったりした。

子供達にとって最も嬉しい時は正月であった。何故ならその時だけ、米のご飯が食べられるからであった。その上、カマボコがあり、餅があり、豚肉が出される。一年に一度の動物性蛋白源摂取可能の時でありました。子供達は無我夢中で食べた。そして、食べ過ぎて苦しくなり動けなくなる。

その後は全員集まって凧揚げでありました。各自手作りの凧を持ち寄り、その出来栄えを自慢し、競いあった。形はほとんど長方形で、両サイドに三角形の紙の羽根を十数枚つける。それが上空で、風を受けて波立たつ様は壮観でありました。

ある正月、市会議員の祖父が偉い方々を集めて新年会をしていた。泡盛の肴は鯖の缶詰であった。私は二人の姉と共に離れた所で待機していた。目的は空き缶を回収して、その底に残った汁を舐めて飲むことであった。それだけ鯖の缶詰は当時としては大ご馳走だったのです。

母が空き缶を回収し、台所の隅に置いた。三人は脱兎のごとく飛び出してその空き缶を奪い合った。しかし、一番上の姉が強く、独り占めにして逃げた。次女姉と私は懸命になって彼女のあとを追った。

「待てー、泥棒―、欲張りの馬鹿野郎―、ひとつぐらいよこしてもいいだろうー・・・」

泣き声の叫びに長女姉は立ち止まり、二人に一つずつ分け与えた。そこで3人は、近くでよろめく飢えた野良犬を無視して、空き缶の汁を舐め続けたのであります。

・・・これは信じられないような昔の話です。今では贅沢、ご馳走が有り余って、正月といえども、喜びが昔ほどこみ上げてこない。

貧乏と苦しみ、逆境を乗り越えられる人が100人いるとするなら、豊かさと平和を人間らしく乗り越えられる人は、1人ぐらいかもしれない。最近の日本を見つめたとき、そういう思いが致します。

トップへ戻る

 

 

謎の青春 12月28日

「194?年12月29日、午前五時」 これが私の誕生日となっております。しかし、実際は31日に生まれたそうです。

それがなぜ29日になったのか? そのときから私の謎は始まり、過去、現代、未来永劫へと続いております。つまり、謎の赤ちゃんから謎の少年、謎の青春へと進化し、謎の美青年、謎のハンサム、謎の中高年となりまして今、謎の宇宙人へと進化しつつあります。

しかし、さらに謎めいておりますのは、精神年齢が「謎の青春」でストップしたままであることです。顔が心の窓ならば、肉体は精神年齢の鏡、60、70、100歳以上を過ぎても三十路にしか見えない方はそれだけ精神年齢が若い、ということになります。

ここまで生きてきて良く分かったことは、人間50歳までの顔かたち、体力、体調などの肉体上の要素は、遺伝子、誕生、出産エネルギーの加速度上にあるということであります。

 つまり、親の責任ということになりますか・・・? しかし、50を過ぎた途端、その加速度が止まり、落下を始める。これが老化の始まりなのであります。

ようするに何を申し上げたいのかと申しますと、50歳をボーダーラインと致しまして、若さは肉体機能の責任から精神機能の責任に委ねられる、ということであります。その精神機能は愛と正義と思いやり、神、見識、実践などによって高められていきます。

その神と愛と正義は集団規律と煩悩が生み出した幻想である、と主張される方がおられますが、これは確かであります。野生の集団生活をする動物にはボスがおり、規律があり、保護がある。これが「神と正義と愛」という幻想に高度化したものであると思います。

その精神機能はこういう幻想によって高度化し、強められる。幻想がなくなれば人間は宇宙永住権が奪われる。永遠の若さと繁栄、進化発展、全て精神力、精神機能、幻想にかかっております。

しかし、その幻想でもマイナス思考に基づくと逆効果であります。自己破壊が見えざるところで進行し、見るもの聞くもの、触るもの全てが嫌になって絶望、憎悪、妬み,怒り、という醜い心になります。それは顔という窓を通して一般社会に公開されることになります。

やはりプラス思考が一番いい。金も無ければ家も無く、今宵のパンに事欠いても、公園に行けばいくらでも水道の水がある。水を飲めば水の味がする、この健康のありがたさ、ああー、ありがたい・・・!

そして、ここには死を宣告された病人が横たわっている。しかし、彼はプラス思考であった。「人間にとって最大の幸福、それは死という安らぎである。死んだ後は好きな酒をいくら飲んでもアルチュウにならず、タバコをすっぱすっぱ吸っても肺がんにはならない・・・、もうじきその最大の幸福が訪れる、おれは幸せだー・・・」 という事になりますね・・・?

・・・ん? 何を書いているのか訳が分からなくなりました。精神年齢が謎の青春のままであるという証拠であります。

私はこれからも年を取っていく。しかし、心一つ、精神一つの世界に突入した今、チャレンジ精神は旺盛であります。己の煩悩を制御し、愛と正義と思いやり、そして神を大切にしていく。

目標は150歳まで、現状の心身を維持したまま土木作業員として働くことであります。その後は? そのときからは宇宙時代です。500歳誕生日の祝いに、150億光年の最果ての宇宙空間へ、超光速宇宙船「タキオン号」で宇宙ツアーに行ってきます。

トップへ戻る

 

 

12月 26日  黄金の狼

黄金色の狼は、一日に一度、必ず獲物をくわえて洞穴に入っていくという・・・。ハンターたちは血眼になってその洞窟を探し続けた。仕留めれば、毛皮は軽く500万円ぐらいはする。欲の亡者達はジャングル中を駆けずり回り、ついに1人がその洞窟を発見した。

ハンターは洞窟から離れた茂みに隠れて猟銃をかまえた。狙いは急所の肩、命中すれば一発で仕留めることが出来る。毛皮は傷つくこともない。

しかし、その日、黄金の狼は現れなかった。危険を察知したのだ。それでもハンターは辛抱強く待ち続けた。そして、5日目の朝、ウサギをくわえた黄金狼が現れ、素早く洞窟の中に飛び込んで行った。不意を突かれて引き金を引き損じたハンターは、獲物が出てくるのを精神を集中させて待った。

待つこと3時間、突然、黄金の眩しさが中から飛び出してきた。陽光にきらめく艶やかな毛並み、しなやかな体、すかざすハンターは引き金を引いた。銃声一発、狼はその場に崩れた。

ハンターは目を輝かし、踊り狂うかのようにその毛皮を剥いだ。そして、毛皮を担いで帰ろうとしたとき、洞窟の中から奇妙なうなり声がした。

ハンターは首を傾げながら恐る恐る中へ入った。すると、そこに年老いた身動きの出来ない狼がうずくまっていた。骨だらけの痩せ細った体を見て、ハンターはそれが黄金狼の年老いた母親であることを見破った。

全身を雷に打たれたようにハンターはその場に立ち尽くした。「自分は何という罪深いことをしたのだろうか???」黄金狼は老衰しきった母親のために命がけで獲物を運んだのだ。彼はその日をもってハンターをやめた。

以上は、実話にちょっと色をつけたものです。昔、新聞記事で読んでおります。

東京都知事のババー発言 「人間以外の動物で、生殖能力を失ったメスは急速に弱って死ぬ。人間のメスだけがずうずうしく、いつまでも生きている。 これは地球にとって悪しき弊害、他の動物のババーに比べればかなり横暴・・・」

・・・狼ですら「ババーさま」を命がけで守るのです。人間として恥を知れ!と申し上げたい。 

トップへ戻る

 


12月25日 花と古巣

伐採作業は熾烈さを極めていった。何しろ時間がないのだ。本来なら10月から始めねばならない大工事であります。それが2ヵ月半も遅れての着工ですから、のほほん、としてはおれません。

切り倒した巨木をチェーンソーで2メートルほどの長さに切断し、運搬車に積みやすくする。積み上げられたそれらの丸太をバックフォーのクラフトで鋏んでダンプに積み込む、ゴーゴー、バリバリ、ドッスーン、慌しさの中に轟音と怒号が錯綜する。

木をどの方向に切り倒すか、それは切り倒したい方向の反対側を切ればよい。その正確度はきわめて高く、誤差は50センチ前後であります。

ふと見上げると松の巨木が私目がけて倒れてきた。ギエーッ、私はビックリ仰天、素早く横にジャンプしてそれをかわした。

新米のB君が分けも分からずに、夢中になって切ったのであった。そこでいろいろと切り方のコツを指導した。彼は青ざめながら大きくうなずいて納得した。

夕方、視界が開け、ほとんどの木は伐採された。足元には椿が切り倒されて花が散らされている。しかし2つだけは威厳と美しさを保って夕日に輝いていた。汗を拭きながらその花の下を見ると何と、小鳥の古巣があった。私は思わずうなった。緻密で精巧、見事な芸術作品であります。

オナガ、モズ、カケス、シジュウガラ、キセキレイ・・・、どういう小鳥の古巣か知る術もありませんが、指先ほどの脳の持ち主がこれほどのものを作るとは、生命の謎がますます深まるばかりであります。その古巣をご紹介いたします。

トップへ戻る

 

 

12月24日 きょうの現場

現場は立川市幸町、五日市街道の砂川7番、というバス停から奥へ入ったところの雑木林であります。

砂川・・・? 不思議にして美しい名前であります。

 工事名は宅地造成、27戸の宅地のために整地、道路新設、水道、ガス、排水などの工事を致します。工期は2月23日まで、物凄いハードスケジュールとなる。

今週いっぱいで百本以上もある大木を切り倒して荒均しし、27戸分の境界を出さねばならないのです。したがって昨日、今日と電動鋸と鋸、鉈を使っての必死の伐採が続いております。

しかし、木を切り倒すのは心が痛みます。巨木が音を立てて倒れていく、・・・許してくれ! と心の中で呟きます。自然を守る、何とかならないでしょうか? 

出勤時間です。では、また今宵!  

トップへ戻る

 

 

12月23日 光とビックバン
 
性懲りもなく再び「光とは何か?」にチャレンジいたします。何故か? それは「希望の光」と「愛の光」 そして「親の七光り」が人間にとって最も大切である、と考えているからであります。

まず、光の正体は何でありましょうか? アインシュタインは粒子であるとし、シュレディンガーは波であると主張いたしております。ボーアはその両方の性質を持つものとしておりますが、天才の頭脳を持ってしても光の正体はまだ分かっておりません。

光は光子(フォトン)という粒子の流れ、すなわち波でもありますが、我々は光子そのものを見ているわけではないのであります。光が他の物質に衝突して起こす超高速変化の連続を視神経が感知しているだけのことであります。その証拠に晴れた日の闇夜の天空に懐中電灯を照射したとき、その光芒を見ることは出来ません。しかし、愛と希望の光だけは心の眼ではっきりと見えるから不思議であります。

光子はゲージ粒子と呼ばれ、電子と陽子、中性子との間の力を媒介しております。その熱運動の平均速度は秒速、数キロメートルとなります。つまり、原子の中の原子核と電子のつなぎの力ともなっているわけであります。

光の本性、それは簡単に言えば「電磁波」であります。波長100メートル(電波)から100億分の一センチ(ガンマ線)と幅は物凄く広く、それらがこの150億光年の広がりを持つ宇宙空間を飛び回っておるのであります。光子という粒子の集団、それが電磁波であり、光というわけであります。したがってそれらは全て真空や大気中であれ、秒速30万キロで進むということになります。

ところで宇宙、つまりこの世の始まりは今から何年前で、どうなっていたのでありましょうか? そんなこと見たことがありませんので知るわけがありません。しかし、証拠と情報、統計、計算、推察によってそれはおおよその実体が掴めます。

1964年、通信技術者のアーノ・ペンジーアスと、ロバート・ウイルソンの両氏が宇宙の平均温度は2.7度Kであることを発見して、14年後にノーベル賞を受賞しております。2.7度Kとは、摂氏−270・45度であります。このことが定常宇宙論を覆し、ビックバン宇宙論が正しい、としたのであります。

そのビックバン宇宙論(ガモフ=宇宙物理学者)によりますと、今から150億年前、時空が全く存在せず、初めもなければ終わりもない、という混沌とした泥海のような絶対的完全無の中に、突然、大爆発が起こったのであります。その大爆発とは光の発散、光子集団の融合分裂爆発ということになります。その瞬間に宇宙が出現したのであります。学問的に溯れる宇宙出現の時間は10の44乗分の一秒後まででありまして、そのときの宇宙の大きさは10の33乗分の1センチだったのです。その時の温度が一兆度の一兆倍のそのまた一億倍℃・・・。

150億年、それは相対性理論や、光が充満出来ず蓄積も出来ないということから、いろいろと変化する時空であります。厳密に言えば、それを現時点の長さに転換いたしますと、ビックバン150億年前=現次元10億年前、かも・・・? 九億九万九千九百九十九年=1836年10月26日 これは永遠の謎であります。

・・・なんだかこんがらがって来ました。明日の夜はクリスマスイブ、キリスト様に終わってもいいですか ? と尋ねますと「イエス」と答えてくれましたのでこのへんで止めます。窓を開けますと星空が広がっております。清らかですねー、 皆様、よいクリスマスを・・・!

突貫工事、30日まで続くそうです。ファイト一発、最後の最後まで、頑張りましょうー ! 

トップへ戻る

 


2003年 12月20日 光とは何か?

光は一秒間に30万キロ、地球を7回半回る。凄いですね !  しかし、それだけで驚いていてはなりません。光には他にもいろいろな奇蹟があるのです。というより、光そのものがアンビリーバブル、奇蹟、と言えるかもしれません。

時速1000キロのジャンボジェット機の上を私が時速10キロで走りますと、私そのものは1010キロで進んでいることになります。これは1+1=2 という簡単な計算に属するものです。

ところが光にはその理屈が成り立たないのであります。光速で飛ぶロケットから光を発射いたしますと秒速60万キロが出るはずですが、どうあがいても秒速30万キロのままであります。これを「光速不変の法則」と言うそうです。

他にもアインシュタインの相対性原理がありまして、光速で飛ぶと時間が停滞し、質量が無限大となります。したがって光速で飛ぶことは今のところ全くの不可能であります。

もし仮に、質量ゼロのロケットが発明されて光速で飛んだと致しますと、光速に達した瞬間、そのロケットは地上から見ますと永遠にそこに止まったままとなるのです。

他に光の奇蹟はいろいろとありますが、深く突っ込みますとボロが出ますのでこれぐらいにしておきます。しかし、光速に近づけば近づくほど、時間は短くなるという理屈はいかにも超高度に思えますが、じつは、これは簡単な数学であらわせます。

小学の算数で、A地点からB地点へ行くのに、距離と時間と速さが取り上げられます。つまり、「距離=時間×歩く速さ」となりますので、「時間=速さ÷距離」という式が成り立ちます。

これが「光速で飛ぶと時間が停滞する」という理屈であります。 つまり、東京から那覇に向かって飛ぶジャンボジェット機が速ければ速いほど時間は短くなり、それが光速になると時間がゼロになる、ということなんです。

ちょっと的がずれておりますが、理屈は同じようなものです。 ・・・アー、小学の算数ですけど頭が痛くなりますでこの辺で止めます。

ところで光よりも速く飛ぶ粒子をご存知ですか? 勿論これは虚数の世界で、今のところ理論上だけの存在ですが、それがあるのです。それは超光速粒子「タキオン」であります。

光よりも速く飛ぶとどうなるのでしょうか ? ・・・言いたくないのですがここに奇怪な現象が現れます。光よりも速ければ早いほど時間は早くなり、質量は小さくなっていくのです。

つまり、朝、目覚めますとその日の夕方、タキオンロケットで出かけて買い物をしたものが台所にはすでにある、ということになります。

最近、事象的な実験で、光速よりも早い現象を生み出すことにある科学グループが成功させております。

さらに、今月10日には、ハーバード大学の物理学者チームが一瞬ではありますが光を完全に停止させております。これは人類の新時代の幕開けの兆しとなるものですね?

ありー、時間がない、この続きは次の暇な時にします。では、仕事いってきます ! 

トップへ戻る

 

 

師走とは? 12月16日

この頃、16時を過ぎますと宵闇が急速に濃度を増し始める。そして、仕事帰りのハイウエイは凄まじい混雑となる。踏切では20分以上も時間が浪費されてしまいます。

そういえばもう師走、時の流れは早いですね? 一日は歩き、一月は走り、一年は飛ぶ・・・。そして、10年はきらめき、100年は瞬間移動する。1000年以上は忘却の海原に全てが漂う。

その忘却の海原から新たな一秒が発生し、輪廻転生のドラマが繰り返される。生きるということはなんと素晴らしいのであろうか・・・。

ということを考えながら運転しておりますと、ガソリンがほとんどゼロであることに気がついた。

慌ててガソリン・スタンドに入りましてセルフ操作で満タンに致しますと、そこの従業員が出てきまして「ストップランプが切れておりますので交換いたしますか?」 と言った。もちろん即座にOKした。

待つことわずか5・6分でありました。球が120円、工賃が600円でした。600円ではビールが4.5本飲める。しかし、ありがたいことであります。知らずに運転しておれば、パトカーに捕まって1万円の罰金となったかもしれないのです。

とにかく、師走は忙しいですね? 先生も坊主も走り回るので師走と言うそうです。「走る」それは歩くと違って空中に浮かんでいる瞬間があるのです。

それでは一句 「師走とは12月の事でござる」 ・・・われながら素晴らしい出来栄えだと思う。応募するときっと入選すること間違いなしですね・・・?

ランダムな日記となりました。大変失礼致しました。難しいことは考えず、きょうも一日、心の完成を目指してファイトでいきましょう!

トップへ戻る

 


 

働くことは素晴らしい 12月15日

3週間ぶりに現場へ出ますと菅原と金ちゃんが破顔で迎えてくれた。破顔とは顔が破れたのではなくて、すっごい笑顔という意味であります。・・・「そんなこと分かっている、さっさと前へ進め!」 ですか? はい、大変失礼致しました。

金ちゃんが抱きつき、菅原が破顔・・・?(彼の場合、破顔も泣き顔も同じようなものでした)

そこで65キロの金ちゃんを両手で差し上げ、70キロの菅原を頭上に放り上げて3回転させた。

これで再会の儀式は終了し、作業開始であります。きょうの仕事は路盤生成、宅地の整地、配水管や桝関係の高水圧洗浄であります。

何しろ、エネルギーが3週間の休みによって過剰備蓄されておりますので、ツルスコ舞が爆発、あれよあれよという間に3日分の仕事を午前中で終わらせてしまった。

それでも余力は無限大で、高電圧の低周波音を発している。「他に仕事はないのかー」 と鼻血を飛ばして叫ぶ私に2人はタジタジとなった。

結局、材料不足で4時前に作業は終了し帰宅することになった。沖縄の土産、泡盛の一升壜を差し上げると2人は再び破顔となった。

日は西空に輝いていた。視界の果て、はるか遠方に雪をがぶった富士が幻想的に輝いていました。 

トップへ戻る

 

 


12月 14日 デジカメに写った謎の光線

15年ほど前、火の玉を見たことがある。火の玉というより、紫色に揺らめく光の球という表現がいいのかもしれない。夏の夜、公園のベンチで隣近所の旦那方と夕涼みをしていたとき、左方50メートルの岩穴より突然それは現れた。

大きさはバレーボール大ほどで、透きとおるような紫色に輝きながら、我々の前方上空を放物線を描いてゆっくり飛んだのです。100メートル先には沖縄電力の構内があって、光球はその中へ落下して消えた。

その構内から日本兵の遺骨が多数出てきた、という新聞記事が朝刊に載ったのは3日後でした。十数人の目撃者がおりますので錯覚や幻覚の類でないことは確かです。しかし、10年以上も経ちますと集団的幻覚だったのでは、という思いがして、真実性があやふやになりかけておりました。

ところが今度、数年ぶりに沖縄へ帰りましてそれが幻覚や錯覚の類ではなかった、という確信を得たのです。読谷村の残波岬へ行きまして、デジカメで動画を撮りますとそこに超常現象が映し出されたのです。決定的な証拠であります。あの光球の紫色、それが石碑を取り巻き、残波岬灯台の上空へ鋭い光線を放ったのです。

それが何であるのか、私のデジカメに何故写ったのか、何を私に伝えようとしたのか、それらは一切分かりません。

そのコマの2つを紹介いたします。決して小細工は致しておりません。

上の写真、どう考えても超常現象と思えるのですが、皆様方の判断はいかがでしょうか?


トップへ戻る

 



 

12月 13日 永遠のチャレンジャー


家におりますとバー様に虐められ、こき使われますので、池袋をウオーキングすることに致しました。電車に乗りますと、あまりの温かさについ居眠りを致しまして、そのまま熟睡いたしました。「熟睡=大鼾」 己のその大鼾で目覚めますと電車は満員となっておりました。視線が集中しておりましたので私は咳払いをして姿勢を正しました。

それによって視線が分散してなんとなく白けておりますと、斜め向かいのドアーの所に腰の曲がったおばーさんがよろめきながら立っていたのです。座っている方々は若い男女ばかり。私が席を譲ればその方々に対する当てつけのようになるのでは、と思いましたが見過ごすわけにはいかない。

そこで立ち上がりましてそのお年寄りに席を譲りました。腰の曲がった彼女は何度も何度も頭を下げてシートに座ってくれた。・・・案の定、座っている若者達からの強烈な自責と気まずさの念波が押し寄せてきた。

私は知らぬ顔で流れる外の景色を見つめていた。するとしばらくして、若い女性が立ち上がり、これまたよろめきながら立っていた痩せた90近くのおじいさんに席を譲ろうとしたのです。私は勇気ある彼女の決断に感動した。

ところがであります、このおじいさんは皺だらけの醜い顔を引きつらせて声を張り上げたのです。

「いらねー、おれは物乞いじゃねー、馬鹿にするなー」

な、なんということを仰るのでしょうか・・・。 私は唖然としてその年寄りを見つめた。席を譲ろうとした若い女性は顔を真っ赤にしてうつむいた。

私が席を譲ったばっかりに彼女は傷つく羽目になってしまったのだ。彼女は席には座らず、終点まで立ちっぱなしであった。一つだけ空いた席が最後まで孤独に嘆いていた。

私もいつかは90,100歳となる。しかし、いかに年を取ろうとも優雅に、美しく寛大に、そして気力充実、やる気満々のチャレンジ精神で最後まで生き抜きたいと思いました。 永遠のチャレンジャー、いざ、きょうも核融合爆発、ファイトー・イッパーツ !

トップへ戻る

 


12月 12日 歴代教皇・その中に女がいた

「ローマ法王」・・・? 突然変異の私にはよく分からなかったのでありますが、古い安物の百科事典を調べてみますと、「教皇」というのが正式な名称のようであります。

イエス・キリスト様の一番弟子「ペトロ」が初代の教皇であります。彼はイエス様がお隠れになった後、いろいろとご苦労なされて伝道活動に励み、パチカンで初代教皇(64年〜68年)となったのですが、あの悪名高い暴君ネロに捕まって殺されてしまいました。

それから約2000年を経て現在に至るのでありますが、今の教皇はペテロから264代目になるヨハネ・パウロ2世(82歳?)であります。

歴史をずーっと遡って行きますと、全ての法王様が独身であります。中には隠し子が3人ほど存在する方もおありですが「何でだろうー、何でだろうー」という疑問が湧いたり致します。

しかも、教皇は全て男なんです。つまり、女は教皇にはなれない。女は神なるものに近寄ってはならない。女は神の敵だ、という意味なのでしょうか? 勿論、男風呂に女は入れませんが(大歓迎)・・・、これは意味が違います。

 もし、そうだとすれば彼らは煩悩の奴隷となった人類の敵、と言わざるを得ない。日本の天皇だって、昔は推古天皇という女性がおられたのです。それを思えば、日本は遥かに進化している。明治政府が天皇は男でなければならない、と勝手に決めただけのことで古代日本は素晴らしかったのであります。

だが、しかし、その教皇の中に女が1人だけいたのであります。その名は「ジョバンナ」であります。 彼女は、・・・いや、そのお方は男に変身してまんまと法王についた。しかし、彼女は男好きであった。つまり、愛に飢えていたのであります。それで若いツバメとの家族計画に失敗いたしまして御懐妊され、ミサを司祭しておりましたときに不覚にも出産したのであります。

それは聖歌の合唱が始まったと同時でありました。「おぎゃー、おぎゃー」というミサの合唱は聞いたことはない。全員びっくり、何事かと目をきょろきょろ致しましたところ、なんと男であるはずの教皇の股下に、生まれたての赤ちゃんが臍の緒と繋がっているではないか・・・。 これは聖歌ではなくて性歌だったのか?

その後どうなったか? いろいろな説がありますが、よってたかって赤子もろとも殺したとか、出血多量で死んだとか、彼女が甲高い声で笑いながら、赤子を抱えて空に飛び上がって消えたとか、今のところ定かではありません。

その時から、ローマ法王選挙の時は穴の開いた椅子に候補者を着席させ、その穴から手を入れて2個と一本があるか確認するようになったのであります。嘘のようなほんとの話であります。握られた候補者はどういう具合になるのか、・・・それはご想像にお任せします。

いずれにいたしましても、彼女の名は抹殺されております。教皇は男でなければならない、という神の意思に反する迷信のためであります。それをやったのが法王クレメンス8世で、約700年後の1608年に完全に削除いたしております。

今日のテーマ、あまり面白くないですね? 大変失礼致しました。では、また、明日!

トップへ戻る

 



12月 10日 恐るべし、沖縄老女パワー

母は87歳、その妹のおば様は82歳、そして姉は70歳であります。母は物忘れがひどくなっておりますが判断力は衰えず、理路整然とした説教をする。

それに勢いがある。気合と共に庭に出て、回し蹴りでパパイアの実を跳ね飛ばし、豆腐チャンプルーの材料にしてしまうのです。

その妹のおば様は、オートバイに跳ねられて腰骨を折り、歩行困難な体となっております。しかし、彼女は手押し車を支えとして豪快に笑いながら買い物をしたり、3キロの道のりをものともせずに私に会いに来たりしたのです。

そして70歳の姉、それがまた強かであります。泡盛、日本酒、ビール、ワイン、酒類なら何でも豪快に飲んでカラオケを唄って寝てしまう。

その姉がカラオケを歌いに行こう、と誘った。私は彼女の顔を見ながら言った。

「初七日が終わったばかりでしょう? 娘が死んだというのに、よくもまー、そんな気になれますね」

姉は、しばらく私をじっと見ていたが急に険しい表情となって怒鳴った。

「今、悲しんでいたのではあの娘は浮かばれない。あの娘のために明るく陽気になるんです。じめじめとした暗がりにあの娘を封じ込めるつもりか!」

姉はその後、大声を張り上げて泣いた。そして、ぴたりと泣き止み、今度は豪快に笑った。

ん・・・? 私は考えた。そして常識と世間体の奴隷となっている自分を発見した。何が真実で、何が間違いか、広い次元から柔軟性を持って物事を見つめねばならない、と反省させられました。

しかし、それにしても恐るべき沖縄の女たちであります。特にこの目の前に存在したお三方、ただただ恐れ入り奉ります。

居酒屋でのカラオケ、お三方の老女パワー爆発・・・。母が歌い、叔母がびっこで踊り、姉が蛇皮線を弾く・・・。駆けつけた弟と私の男二人は片隅で小さくなっておりました。

トップへ戻る


表紙へ     次のページへ