寺田寅彦『柿の種』
短章 その一





 
 親類のTが八つになる男の子を連れて年始に来た。
 
 古い昔の教導団出身の彼は、中学校の体操教師で、男の子ばかり
 
九人養っている。
   うち
 宅へ行って見ると、畳も建具も、実に手のつけ所のないほどに破
 
れ損じているのである。
                   と そ
 挨拶がすんで、屠蘇が出て、しばらく話しているうちに、その子
 
はつかつかと縁側へ立って行った、と思うといきなりそこの柱へ抱
 
きついて、見る間に頂上までよじ上ってしまった。
                                                                 ざ ぶ
 Tがあわててしかると、するするとすべり落ちて、Tの横の座布
とん                          はかま
団の上にきちんとすわって、袴のひざを合わせた上へ、だいぶひび
 
の切れた両手を正しくついて、そうして知らん顔をしているのであ
 
った。
 
 しきりに言い訳をするTを気の毒とは思いながらも、私は愉快な、
 
心からの笑い声が咽喉からせり上げて来るのを防ぎかねた。
 
 貧しくてもにぎやかな家庭で、八人の兄弟の間に自由にほがらか
 
に活溌に育って来たこの子の身の上を、これとは反対に実に静かで
 
さびしかった自分の幼時の生活に思い比べて、少しうらやましいよ
 
うな気もするのであった。
 


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