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日記帳
 
2004年(1月2日〜2月26日)



目次

土方哲学  心の完成とは?   人間の真の親    本チョコ・パワー  
リュウゼツラン 

 人格形成と親の愛   奇跡の生還  月桂樹とダフネー  善と悪、紙一重の差   母の愛 川辺にて

今日の作業     真冬の小川   初仕事・新年会  仕事始めに思う   沖縄戦の悲劇  明治神宮初参り


2004年1月2日〜2月26日


 

2004年 2月26日(木) 土方哲学 動の論理

我々は簡単に数を数えることが出来る。12345678910・・・。そして時計の秒針も1秒、2秒、3秒、4秒、・・・と進んでいきます。 ・・・この世の一切が未来へ、未来へと進み、そしてその反動として、一切は過去へ過去へと遠ざかって行く。

物が動く、変化する、前後進する、A地点からB地点へ移動する。・・・??? 不思議に思えませんか????

この世界は空間の歪と温度差が複雑怪奇に絡み合って織り成す事象物象の世界、・・・つまり森羅万象の勢力圏内にあります。

ある物体が1ミリ進むということは、そこにあるエネルギー、パワーが働くためですが、ゼロから1ミリの間は有限のようで、実は無限なのであります。

まず、次の数にたどり着けない。0・1ミリ、0・01ミリ、0・001ミリ、0・9ミリ、0・0000999ミリ・・・・、そして、それよりもさらにさらに小さい数が次々と出てきて、ゼロから次の数にたどり着けないのであります。

屁理屈とおっしゃる方もおられるでしょうが、それは当たり前とか、常識、という洗脳された固定観念の認識でありまして、純粋無我のフオーマットされた視点から見つめれば「ん? ・・・!」ということになるはずです。

物体が前進する、移動する、どうもおかしい? そんなことは不可能だ! しかし、実際にはそれが自由自在に行われている。何でだろうー、何でだろうー? 私の青春の悩みは永遠のチャレンジャーになるまで続いていた。

最近、ある物理雑学の本を読んで「ん?・・・!」に対する解答がようやく得られました。
ご承知の通り、あらゆる物質は原子から出来ている。さらにその原子は原子核と電子からなっておりまして、原子核は陽子、中性子から出来ております。その大きさは10兆分の2センチであります。

問題は原子核の周りを回っている電子であります。その速度は良く分かりませんが、秒速数キロのようであります。その電子の動き、移動でありますが、それがゼロから1に進むとき、ゼロで消えて1で出現する、という仕組みになっているのであります。

つまり、消えて出現する、という方法でもってAからBへ進んでいるのです。

わけの分からない専門家の言葉を借りますと、電子は原子内の任意の点にある存在確率をもって存在しうる。


つまり、結論と致しまして、ある物体がAからBへ進むということは、Aで消滅して、同一のものがBに出現する、ということなのであります。

これはどういうことなのか? ・・・つまり、雲状のものが周りにあって、光る点が無数にちりばめられている。一つの点が光って消えると同時に次の点が光る。その連鎖が運動の仕組みということになる。

したがって移動とか運動というのは、出没の連続が時空に乗る、ということになります。

こんがらがってきた頭を元に戻すために次の実話を紹介します。

アマゾンのある川で大きなナメクジが行く手を遮られていた。進行方向には激流の川、前進は出来ない。ところがしばらくしてそのナメクジが溶け出したのであります。

そして、対岸にその溶けざまに比例するかのように同じナメクジが現れだした。完全に溶けた時、対岸では完全なナメクジが現れて森の中へと這っていったのであります。

これは一昔前、何かの本で読んだものです。・・・この世はわけの分からない、不思議なことだらけであります。

狂の日記、・・・いや、今日の日記、私にもわけが分からなくなってしまいました。まあ、何が何であれ、問題は前進あるのみ、ファイト一発、明日もまた元気いっぱいで働きましょう! 

では、皆さんお休みなさい、いい夢を・・・!

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2月25日(水)
心の完成とは?

万物は常に変化し、移り変わり生滅して定常を許さない。それが仏教の根本思想で、「諸行無常」という四字成句で表される。したがって人の心も変わり、愛も冷めたり熱くなったり、通帳残高も増えたり減ったりする。(こちらは減りっぱなし)

では、この世に変わらないものは存在しない、ということになるのか? ・・・そこには納得したくない何かが、絶望の目を冷たく開いているように思える。

物事はそう一方的、一次元的に解釈し、頑固一徹で観念化してはならない、という気がするのですが、如何でしょうか?この世に“変わらないもの”は、ほんとにないのでしょうか?

屁理屈的に考えますと、ありますね? ・・・つまり、「この世の一切は変化し、生滅を繰り返す」ということ自体は絶対に変わらない、という点であります。

これまでも変わってしまうのであれば、変化自在のドラマがなくり、生まれっぱなし、生きっぱなし、死にっぱなしという変な世界になってしまい、「諸行無常」という仏教の根本思想は砂城のようにあっという間に崩れ去ることになる。

「根本は絶対に変わらない」という鉄則の上に、万物は移り変わるという「諸行無常」の摂理が成り立つのであります。この世は変わるものと変わらないものが、整然と秩序正しくバランスを取っておるのでありまして、「根本定常諸行無常」という八字成句が正しいのであります。

そもそも、偉そうなことをいうようですが、紀元前に発生した宗教や哲学の教理にまだ左右される現代は、精神文化はまだ原人のままである、と言われても返す言葉はないと思います。

第一、修行という意味が全くなっていない。山にこもり、滝にうたれ、断食して苦行を重ねる。そして霊験あらたかな「阿羅漢」となり、修行僧の最高位という名誉を手にする。

これは修行ではなくて、自己訓練であります。スポーツ選手がオリンピックを目指して技を磨く、それと全く同じことであります。

真の修行とは山の仙人になることではなくて、「心の仙人」になることだと思う。つまり、人間界に入り込み、己の心を浄化し磨きつつ、他をも浄化し、感化していく、ということでなければならないのであります。人間救済の為の心の訓練が真の修行ということになります。

人間、「偉い人」を目指すのではなくて、「善い人」になることを目指すべきであります。そして、己の右の頬を殴った者に対し、左の頬を向けるのではなくて、殴ったその手を取って、「その拳、私のようなものを殴って痛くなかったですか? すみません! 急いで救急車を呼びます。骨折していたら大変です???」

というような愛と思いやりと寛大な心作らせて頂くのが真の修行なのであります。

殴った相手、キチガイだと思ってビックリして逃げていくと思いますが、どんなに悪口雑言を浴びせられてもびくともしない心の強さ、寛大さ、思いやりを取り入れていく努力が修行の目的であります。

それで、ばーさんが私にアッパーカット、バックドロップ、ゴブラツイストで攻撃いたしましても、ニッコニッコしております。

しかし、心の完成はまだまだ先の先であります。・・・大事なのは、心の完成そのものではなくて、それへの努力、働き、舞進であるかも・・・? 心の完成というのは「諸行無常」と共にあるゆえ、永遠に追求するためのものかもしれません。

まだ、続きそうですが、現場へ行く時間となりましたので、今宵また! 今日も一日、ファイト一発でいきましょう!

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2月 23日 (月)
人間の真の親

地球が誕生したのは今から46億年前だそうです。その頃は火の塊で、荒れ狂うマグマの海洋が爆発を繰り返していたのであります。それが原始地球である、と学者は説明しております。それから温度が下がりまして6億年後に海が出来、11億年後にその海の底で生命が誕生したそうです。なぜ海の底なのか? それは、その頃はオゾン層がなくて、強烈な紫外線が降り続いていたために、それが届かない海底であった、ということであります。

ほんとかどうかは、あくまでも学者達の推測ですので定かではありませんが、今から35億年前に生命が誕生したというわけであります。それから膨大な年月を経ながら生命は環境に適応しつつ進化を続け、動物と植物に分かれていった。

そして10億年前、光合成の機能を持ったらん藻などの植物が現れまして酸素を放出、それが量を増やし4億年前にオゾン層が出来上がりまして、生命はようやく陸に上ってくるようになったのであります。

始原から今日まで、何千万種の生物が誕生し、絶滅していった。つまり環境に適応し、進化出来る種のみが今日まで続いている、ということであります。

最初は単細胞のアメーバーや菌類だった原始生物、それが気の遠くなるような年月を経て進化発展し、60兆個の細胞と高度な知性と頭脳を持つ人間が500万年ほど前に誕生した。

The original and true God not only created humankind but has nurtured and protected human beings ever since.

つまり私はなにが言いたいのか? 毎秒6億9千5百万トンの水素を6億9千万トンのヘリウムに転換させている太陽、毎秒1?4ミリずつ地球に降下する月、その他、天体の動き、奇跡、全てが人間に対し心を完成させ、進化発展し、この宇宙を自由自在に飛び回るわが庭とせよ! と励ましているのであります。

我々の真の親は人間ではない。この天地大自然、宇宙の無限性と永遠の愛、親心であります。それを知れば世の雑多な悪など気にする必要もなくなり、リスカなども無意識でやらなくなる。直径5センチ足らずの小さな二つの目、そこに宇宙の全てを取り込むことが我々人間には出来るのであります。

さー、今日も一日、元気いっぱい、ファイトでいきましょう

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2月 15日 (日)
本チョコ・パワー

「ウソも百回唱えると本当になる」という言い伝えがあります。それはウソに限らず、何事もそうであると思います。たとえばハゲ頭が「おれの頭は髪ふさふさ・・・」と夜も寝ないで昼寝して唱え続けると、必ずふさふさ頭になるのであります。「ふさふさ」でなくても、「ふさ」ぐらいには必ずなる。

・・・こんなこと自分で言うのもなんですが、私が超ハンサムであるのは、ご先祖様の誰かが「おれはハンサムだ」と唱え続けたからだと思う。そのお方がハンサムとなってその遺伝子を子孫に伝えたことになる。

ハンサムでない方には大変腹立たしいことだと思いますが、私のハンサム、寛大に笑って許してください。

ところで、63歳にもなった今でもハンサムであるということは、若い頃は、驚愕、恐怖のハンサムであったということになる。・・・そう言えばすれ違うあらゆる階層の女性が、私と視線が会うと同時に失神、ばたばたと倒れていったのはそのためであったと・・・、今さらながら気付いたのであります。

「おれは女を不幸にする罪深い男、神よ、許したまえ、アーメン???」 そのようにざんげの道を歩いておりましても、2月14日にはいつの間にか私のあらゆるポケットはチョコレートでいっぱいとなっていた。

・・・? ん、これは一体何事か、とバレンタインデーがなんであるかを知らなかった私は、ソクラテスのように考え悩んだりしたのであります。

しかし、50を過ぎますと、その何とかチョコと、いうのがぴたりと来なくなったのであります。それはハンサムの度合いが宇宙的な規模となったからであり、次元を遥かに超越したため、と思われる。

そして、63歳の2月14日、何と生まれて初めて本チョコが届いたのだ。・・・あ、良かった、一生に一度は欲しかったのだ。ほんとは誰からももらったことのないチョコ、ばーさんもくれたことのないチョコ、バンザーイ! ありがとう!

では、今から仕事いってきます。本チョコ・パワー、今日は核融合爆発と相成るでしょう!

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2月 11日 (水)
リュウゼツラン

カデナ第2ゲートから職場のNCOクラブまでは約700メートルほどであった。仕事仲間はタクシーで行くのですが、私は歩いていくのが常であった。給料は全て母の管理下にあり、小遣いがわずかであったからです。途中には米軍の家族住宅が立ち並び、よく猛犬に吼えられて肝を潰したりした。

ある日、職場へ行く途中の出来事であった。曲がり角の先のほうから女性の悲鳴と犬の咆哮が聴こえてきた。同時に若い黒人の女性がかけてきた。その後ろから子牛ほどもある大きな犬が唾液を飛ばしながら追っかけてくる。黒人女性は私の背後に回った。そして、その猛犬は私に飛び掛ってきたのであります。

私は咄嗟に右腕を曲げて突き出した。そこに猛犬、ドーベルマンは噛み付いてきた。気がつくと私の右腕はドーベルマンの口の中、鋭い牙が筋肉に深々と突き刺さり、激痛が走った。ドーベルマンは強烈な顎の力を持っており、人の腕などは噛み切ってしまう。引きずる力に逆らえば腕は千切れる。

ならば、逆に押し込んでやったほうがいい。私は渾身の力を振り絞って、腕を口の奥へ奥へと押し込んだ。さらに、その頭を左手で抱え込み引き寄せたのであります。ドーベルマンはビックリ、苦しがって暴れた。噛む力はなくなり、私の右腕を離すのにばたばたもがき苦しんだ。

さらにさらに、私はその黒い鼻に噛み付いてやった。そして噛み付いたまま離さなかった。ここだけの話ですが、人間が他の動物を噛んだ時、それはハブ以上の猛毒となるらしい。人間に噛みつかれた動物は即座にひきつけを起こして死んでしまうらしいのです。 ・・・
これは危険ですので、絶対に真似しないで下さい。

大きな猛犬は失神した。私は黒人女性をせかして駆けた。彼女の名は「ローシー」、音楽大学を卒業したばかりのピアニストであった。黒人でありますが絶世の美人、ミスユニバースのコンテストに出るように何回も説得されたお方であります。しかし彼女はそれを拒絶、ピアノ一筋に打ち込んでいたのであります。

職場に着きますと彼女は傷の応急手当をしてくれた。それから彼女にホットコーヒーとハンバーガーをおごった。ホットコーヒーが15セント、ハンバーガーが25セントでありました。しかし、私はストアー・キーパーでしたので、権限を発揮し、ただでおごることが出来たのであります。

その時から彼女は必ず日曜日以外、毎日来て、ハンバーガーとホットコーヒーを注文するようになった。・・・それもウエイトレスにではなくて必ず私にでありました。

呼び出しのアナウンスがホールに響き渡る。「ミスター・広大! ユー・ガッテーミ、 ・・・She come into existence. Come here at once!」

そこでフロントへ行きますと彼女が笑顔で待っている。「May I help You ? 」 と申し上げますと、「・・・Hamburger Please !・・・」 と恥らいながら言った。 そこでコックさんにお願いして、特別にあつらえて手渡す。その頃は狂牛病の心配はありませんでしたので、牛肉たっぷりのハンバーガーにして渡したのであります。

彼女は何度も何度もおじぎをして帰って行くのが常でありました。そして、3ヶ月ほど後に彼女は顔を強張らせて言った。

「明日、日曜日、デートしていただけませんか?」

「・・・デートですか?  ・・・I’ll be glad to――――」

場所は沖縄本島中部のブルー・ビーチ、空と海の青さ、そして純白の砂浜と海岸線を彩る緑の帯が美しい所であります。カデナ・エアベースの第二ゲーでおちあい、錆び付いた中古車の軽で私は彼女をそこへ案内した。

潮風が彼女の髪を乱し、波の音が彼女のピアノのための作曲をする。無言のまま砂浜を歩き、視線が会うと慌て水平線へ目をそらす。偶然に手と手が触れると、電気ショックにあったかのように彼女は全身を硬直させた。

ふと、彼女が立ち止まった。

「What’s this ?」

彼女が指差したのは「リュウゼツラン」であった。そこで、これは 「century plant」 ともいわれ、百年に一度花を咲かせる木なんです。と申し上げますと、彼女は目を丸くしてそれを見つめ続けた。

「・・・あと何年でこの木は百年になるのでしょうか?」

「・・・恐らく、これは戦前から生えていますので、あと、数年だと思います・・・」

「その花、見たい・・・、きっと神秘的でしょうね?」

「・・・そうですね、貴方ほどではないですが、謎的で美しいですよ・・・」

彼女の目がきらりと光った。そして毎週、日曜日、この花が咲くまで、ここでの出会いを約束した。

リュウゼツラン前のデートはそれから一年ほど続いた。その間、清い親密さが深まるばかりで、お互い尊敬と信頼の絆で固く結ばれていったのであります。時々、彼女の家に招待されて、彼女のピアノ演奏を聞いたりした。彼女の父は白人で、母が黒人でありました。二人とも私に対しては好意的で、歓迎して家に迎え入れてくれた。

そして?ある夏の日曜日、いつもの場所に彼女は現れなかった。待つこと2時間、それでも彼女は来ない。私は諦めて帰った。そして次の日曜日も、そのまた次の日曜日も彼女は現れなかった。

その時、「振られたか・・・」という寂しい思いで一人、リュウゼツランのところへ行った。すると?見事な花が咲いていたのです。竿のような5メートルはあろうかと思われる高い茎の天辺に、多数の淡黄色の花が神秘的に咲いていたのであります。

私はしばらく放心状態で見つめた。なんという神秘的で謎めいた美しい花だろうか! しかし、あれほど見たがっていた彼女はいない。・・・人の心は変わる。今までそれを嫌というほど見せ付けられ、傷ついてきたというのに、また、性懲りもなく傷つくようなことをしてしまった。相変わらず、馬鹿な私だ・・・。私はリュウゼツランをカメラに収めて帰途についた。

それから数日して彼女の両親が職場に現れた。そして、彼女が死んだことを告げた。白血病だったのだ。病院で息を引き取る時、私の名を呼んだという。

「リュウゼツラン」 ・・・40数年前の話ですが、今でもその花を見るたびに心が痛みます。そして、そのたびに彼女の気配を花の周りに感じます。


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2月 8日 (日)
人格形成と親の愛

もし人間に恐怖心がなく、痛みも悩みもなかったとした場合、人類はとうの昔に絶滅していたかもしれません。つまり、恐怖心とか痛み、悩み、不安があったために人類や生物全体はここまで存続し、進化して来たといえるのであります。

したがって臆病者とか、小心者と言われようとも、決して恥じることはないと思います。恐怖と不安、あるいは絶望という感情は人類にとって大切なものであり、進化と繁栄を促進させてきた最も重要な要素といえます。

しかし、その恐怖と不安は、ただあればそれで良いというものではない。それに対応できる精神、人格構造というのが備わっていなければなりません。特に高度な知性と頭脳、感情を持つようになった人間にとっては、その存亡に関わる重要な要素となるのではないでしょうか。

では、その恐怖と不安に対応できなくなる人格構造とは一体何なのでしょうか? はっきり申し上げますと、それは破壊された精神、人格構造であり、それが神経症、精神異常者であります。

・・・破壊されていない人格構造は一体どこから来るのか? それは幼少の頃の親の愛が絶対的であったか否かにかかると思う。

物心つくまでは子供は親の、特に母親の愛を求め続ける。そこから子供の絶対的安心感が芽生え、自立心、自由発想の根源が芽生えてくるのであります。

その愛が満たされるか否か、・・・そこに人格形成に最も重要な要素が存在し、人類の存亡がその一点にかかっているような気がする。

異常性格の衝動で、数人の幼児を殺害したある獄中の人、死刑を待ち望む、というその精神構造、まさに破壊された人格であります。

ニューギニア島の中央には3,4千メートル級の山脈が連なっている。そこに石器文化を持った部族が今なお生活している。ほとんどが一夫多妻制を維持しておりますが、一人の夫を共有する奥様方はとっても仲良しでございまして、1人か2人の子供、多くて3人の子供しか産まないのであります。

彼女達は子供を徹底的に可愛がる。なにしろ上半身は裸で、下半身は腰みのを蒔きつけただけの解放体ですので、子供は好きなだけオッパイと戯れることが自由、というより許されるのであります。

そして、嫌というほど母親の愛をオッパイで満喫したあと、ある日突然、大人の顔となる。それがほとんど6歳未満であります。その子は大人になりましてもアルチュウにもならず、3道楽に走ることもない。人格と精神構造が健全に形成され、安定しているからです。

3道楽、アルチュウ、薬中毒、非行、犯罪、登校拒否、引きこもり、対人恐怖、閉所恐怖症、・・・全て幼少の頃の心の不安、恐怖、絶望などの精神破壊によるものといえます。つまり、本物の愛がなかった、ということであります。

心を正しく持ち、愛と思いやりを持って世のため人のために働きましょう! とどんなに理路整然と己に言い聞かせても、破壊された精神構造はどうにもなりません。アルチュウの人から酒を取り上げる、それは末期がんで苦しむ人から痛み止めの薬を取り上げるようなものです。

あなた、死の激痛に苦しんでいる人から、痛み止めの薬を取り上げることが出来ますか? それと同様、アルチュウの方から酒を取り上げるということは、心の激痛を癒す痛み止めを取り上げるようなものとなるのです。

彼らの救いはただひとつ、己自身が真相を知って悟ることと、絶対的な真実誠の愛の究明とその確信しかない。

今の日本、ほとんどが人格を何らかの形で破壊されております。それは、愛と人間性を無視した経済重視主義と、優劣差別主義に走った日本国家の責任だと思います。

怒り、憎しみ、妬み、それらは感情ではありません。その根底にあるのは、「悲しみ」という感情であり、それは愛されなかったという不安、恐怖、絶望から発生した人格破壊の痛みなのであります。

日本が今失いかけている大切なもの、それは子供を無条件に愛する、ということではないでしょうか? 愛と思いやりと正義、知性体としての人間にもっとも大切なことであります

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2月 5日 (木)
奇跡の生還

27歳の頃、米空軍基地のNCOクラブ(下士官クラブ)でcashier兼ねstore keeperとして勤務していた。総支配人(a general manager)はハッサク軍曹でありました。

ある日、Kitchen Store でinventory〔棚卸〕をしておりますと、ハッサクから電話がかかってきた。

「話がある、急いで来い」

「I’m very busy now . I’ll come some other day.」

「ばか者、命令だ、すぐに来い!」

なぜかアメリカ人の彼は日本語で、日本人の私は英語でありました。

そこでNCO専用のリムジンで彼の家に行きますと、何と彼は素っ裸で玄関に現れた。シャワーに入っている最中だったので、面倒臭いからそのまま出て来たというのであります。

「おれほどではないが、立派な物を持っておりますな・・・!」

と申し上げますと、「What ?  ・・・では、ここでどっちが立派か勝負してみるか?」と喚き散らした。

「・・・何という破廉恥・・・、イエス・キリストの前でもう一度そんな事が言えるか? ・・・きさま、恥を知れ!」

「・・・おれは、そんなことを議論するために、てめーを呼んだのではない。ベトナムのonna point へinventory のためにいってきてくれ! と命令するために呼んだのだ・・・」

onna point というのはNCOクラブが、ベトナムのサイゴンに、太平洋司令部の命令で作った支店のようなものであります。そこの経理が出鱈目なので、私が行って正しい財務書表を作成し厳正なNet Profit を計算して来い、ということでありました。

その時の私の月給は50ドルでした。Onna pointo へ行ってくれれば、特別手当として200ドル出す、というのであります。勿論、私は無条件降伏、ただちにOKした。

午前3時、私とシベリアンのヘンドリックを乗せた輸送機はカデナ・エア・ベースの滑走路を離陸した。

サイゴンの近くに来ますと機体が激しく揺れた。「What’s happen ?」とパイロットに怒鳴りますと、対空ミサイルをかわす為に急降下と急上昇を繰り返しているという。

窓の外を見ますとミサイルが機体をかすめて次々と飛びすぎて行くのが見えた。・・・なんと、凄腕のパイロットであった。

「You are excellent. Good ! No 1 」 と申し上げますと、

「お前の命はおれが守ってやる。太平洋艦隊司令長官、ミニッツ提督の命令だ・・・」

・・・へー? そんな事ってあるんですね! 私はビックリ、感激した。たかがストアーキイパー・クラークのために提督のプロテクト命令が出されたとは、・・・今考えますと、とても信じられない話です。

そして、無事サイゴン空港に着陸、それからジープでonna point まで一直線、直ちにInventory に取り掛かった。Total sale $1,985, Total Sales Cost $1,023 Gross pofit $962 と出しまして、真夜中の2時、サイゴン空港を離陸してカデナ基地へ飛んだ。

・・・と、同時に再び機体は激しく揺れ動きながら飛行を続けた。

「また、ミサイル攻撃か?」

「・・・ちがう、そんなものじゃない。ミグ戦闘機10機に包囲された。あと、10分ほどは攻撃をかわせるが、その後は無理だ。覚悟した方がいい???」

窓の外を見ると、機体はミサイルと機関砲弾の嵐の中をジグザクで飛んでいた。アルミ箔の粉をまきながら、ミサイルの追尾を狂わせているとのことであった。

200ドルで命を落とすのか、・・・私は後悔の念に駆られた。しかし、どうせ死ぬのであれば、日本男児として無様な死に方はしたくない。私は青ざめているヘンドリックに泡盛の古酒を勧めた。

彼は震えながらそれを飲んだ。私も震えながら飲んだ。どんなに力んでも恐いのは恐いのであります。問題は悟りと諦めであります。

機体に衝撃が走った。主翼に付いた第1エンジンが破壊されたのだ。窓から見ますと右の翼は炎に包まれていた。機体はあえぎながら飛行を続ける。揺れも、がたがたから、がったんがったんに変わっていった。

「前方、新たな機影、20機確認・・・」

「・・・味方です。助かりましたー・・・」

パイロットが上擦った声で叫んだ。たちまち閃光の錯綜に機体は包まれた。敵機が次々と撃墜されていったのです。

それから1時間後、我々はなんとかカデナ基地にたどり着いた。命からがらの、奇跡の生還としかいいようがありません。

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1月 30日 (金)
月桂樹とダフネー

ダフネーは川の神様の娘で、なぜか絶世の美人でありました。ばーさんと共通している点は、その「なぜか」という単語でありまして、ばーさんはなぜか美人ではないのであります。

そのダフネーに一目ぼれした男が現れた。太陽神「アポローン」であります。私ほどではありませんが、超ハンサムで頭が良くて音楽上手、それに医学者であります。したがって赤子から老婆にいたる広い範囲の女性が、彼に惚れたのは当然であります。

ところが彼のハートを射止めたダフネーは男嫌いで、男アレルギー症でありました。その上キューピットの悪戯で、男を絶対に受け付けなくなる鉛の矢を射られたのであります。一方、アポローンには恋する金の矢が射られたので悲劇が起こった。

恋に狂ったアポローンは、抱きしめて、変な事をしようとしてダフネーを追いかけた。神様ともあろう存在が情けない話でございます。現代なら婦女暴行罪として逮捕され、刑務所行きとなり、マスコミに大々的に報道されて死刑判決となりかねません。・・・そんなことは神話ですのでどうでもいいことですが、とにかくダフネーは懸命になって逃げた。ところが相手は男、かけっこではかないません。たちまち追いつかれて捕まりそうになった。ダフネーは父である川の神に助けを求めた。

「お父ーちゃーん、パパー、ヘルプ・ミー」

そして、アポローンの手がダフネーに触れた途端、彼女はあっという間に月桂樹に変身した。 ・・・その後、恋に破れたアポローンは嘆き悲しみ、月桂樹を自分の神木としたのであります。

現場にその月桂樹が生えております。男の毒牙から、操を守り通したダフネー・・・、孤独の彼女がそっとささやきました。

「謎のハンサム様、あなたこそが私のたった一人の男、愛しておりまーす。♪♪♪」
 
・・・それは妄想であり、幻覚幻想ですね? 大変失礼致しました。では、また明日! 今日も一日ファイト一発、頑張りましょう!

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2004年 1月 22日 (木)
善と悪、紙一重の差

40数年前の話ですが、その頃、私は学生をしていた。毎月の寮費が5千円、学費が一年で6万円。家からの毎月の送金は20ドル(当時は7200円)だけ、それでアルバイトに明け暮れする毎日となった。

新聞配達、牛乳配達、家庭教師、旅館の客引き、土木作業員、スイカの叩き売り、百科事典のセールスマン、新聞社の世論調査、エトセトラ・・・。

しかし働けど働けどわが暮らしは楽にならず、暇な時はじっと足元を見て歩く毎日となっていた。もしかするとお金が落ちているかもしれない、という甘い考えが浮かんだりしたからであります。

ちなみに、当時の新聞配達は120部配って1200円、牛乳は200本配って4000円、家庭教師・・・無償となった。セールスマンは一つも売れずに罰金、世論調査2000円、土木作業員は日給500円でありました。

当然、連日連夜のアルバイトで成績は悪く、合格点60点を取るのが精一杯でありました。苦労したのがドイツ語でありました。一回生のときは単位を落として単位保留、2回生にはドイツ語2と共に受講せねばならない羽目となった。

しかし、3回生の時からは必修科目から選択科目になったので救われました。

そして4回生の時の卒論、わけも分からずに「古琉球における宗教形態」を一夜漬けで書いて提出した。それがなんとまあー、合格、恩師である丸山教授から初めて褒められたのであります。

しかし、問題が起こった。学費滞納で卒業できないのであります。12万円が欲しい、神様、お金下さい! 私は心の中で呟きながら足元を見て歩いていた。すると何と足元に札束が落ちていたのです。百万円であった。今のお金に換算すると2千万円前後になる。

ギャ―、嘘のようなほんとの話であります。場所は大学本館の階段の下。私は電光石火の早業でそれを拾い上げた。神様が願いを聞き届けてくれた。奇跡だー・・・、ん?

・・・これは神様が与えたのではなくて、神様が試しているのかもしれない、と私は判断した。あるいは、それを不注意にも落とした人を助けてやれ、というDivine Providence かもしれない・・・。

よく見ると札束を巻いている紙帯に、00大学会計課という印刷が認められた。そこで私はそれを会計課へ届けた。それから階段下へ戻ってまいりますと、青ざめた女子職員が階段を慌しく上ったり降りたりしていた。

そこで、札束を拾って届けたことを伝えると、物も言わずに事務局へ駆け込んでいった。窓ガラス越しに中を見ますと、女子職員がさんざんに叱られている様子が見えた。

今になって考えますと、あの時が私という人間の分かれ道だったような気がする。もし、あのお金を猫ババしていたら、今頃、私という人間は腐った人間となっていただろう。

面白くない、呪われた人生を送って死んでいたことにもなる。悪を選ぶか、善を選ぶか、ほんとに紙一重の差でありました。

運が良かったのか、あるいは正義の味方、先祖の神の力が働いたのか、何とも言えません。

12万円はアルバイト先の親方が出してくれましたので、無事卒業できました。あの時の感謝の気持ち、それが今でも忘れられません。

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1月 10日  川辺にて

今日も風が強かった。しかし、昨日ほどではない。それに泥土の少ない小川、5箇所だったので楽な作業でありました。

迅速かつ完璧な作業結果、というわけで川掃除の現場が20箇所となってしまった。仕事を与える側の役所としては「良い報い」のつもりでありますが、早くこの現場から逃げ出したい3人には泣きっ面に蜂であります。これで来週いっぱい、泥んこだらけということになります。

昼休み、新河岸川の土手で弁当と相成りました。真っ青な空、遠方には霊峰?富士が白く輝いている。尾羽をひょこひょこ振りながら歩く小鳥が斜面下から近づいてきた。ご飯の塊を投げますと、いったん逃げましたが、用心しながら近づき、それをさっとくわえて飛び去った。

10数メートル離れた斜面では60代のご婦人が、自然に生えたからし菜とノビルを摘んでおりました。今夜のおかず、野菜炒めにするのでしょうか????

簡単ではありますが時間がありませんので、これにて失礼致します。昨日9日の作業でした。

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1月 9日 今日(8日)の作業

 

真っ青な大空が広がっていた。しかし、強風の一日でありました。瞬間最大風速は30メートルを超えたと思います。雨着がばたつき、安全帽が飛ばされ、ヘドロを積んだ一輪車が横倒しとなり、吹き飛ばされていく。

落ち葉が舞い上がって頭上で竜巻となり、竹林がパキパキという音を立てて激しく揺れる。まるで、魔女?メドーサの集団が蛇髪を振り乱して笑い狂っているようでもあった。

しかし、3人は強風によろめきながらもドブ川掃除に全力を尽くした。ザリガニとオケラが泥水の中でうごめいておりましたので、彼等に気を配りながらの作業でありました。

午後、ゴルフ球が泥土の中から出てきた。それを取り上げて泥を拭き、竹やぶ目がけて投げた。すると奇跡が起こった。何と枯れた竹の幹にめり込んだのです。ゴルフ球は裂けた竹に鋏まれたようになっていた。・・・偶然というのは不思議、奇跡の原点かもしれませんね?

では、今日も一日ファイト一発で頑張りましょう!

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1月 8日 (木) 真冬の小川

富士見市役所からの仕事が舞い込んできた。会社は今、忙しい時期なので手が回らない。しかし、先々のことを視野に置けばやらねば不利、仕事が3ヵ月後からはなくなることになるからだ。

工事内容は川の掃除、つまり、ドブ川の掃除であります。しかも、暖冬とはいえ、川に入れば冷たくて寒い。そして、泥んこだらけとなり、恋人からゴミくずのように捨てられる事になる。

それで社長が指名する者は病気と体調不調を旗印にして断った。結局、行き着くところは私と他2名と相成りました。

川は物凄く汚れ、ヘドロがいっぱい、見ただけで逃げだしたくなった。しかし、やらねばならない。雨着を着け、長靴を履き、ゴム手袋をつけて川に入った。

人間、心の持ち方が大切であります。それによって人格の差が出てくる。職業や、地位、身分、才能、学歴によって人間の優劣が決まるのではない。如何に真面目に働き、如何に世のため、人のために働き、如何に愛と正義を貫いていくか、・・・そこに人間の質的要素が存在する。

しかし、現実は厳しい。泥は跳ねて顔にかかる。上げた泥を1輪車で運んで2トン車まで運ぶ。滑って転んで泥水にドボン。汗と泥水で体は冷えて寒くなる。

悪戦苦闘が休み無く続けられた。長さ100メートル、幅1メートルの小川、なれど、それが10もあるのです。それを4日で完了させねばならない。しかし、やる気満々、気力充実、心の完成を目指し、いざ、今日もファイトー・いっぱーつ!

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1月 7日 (水) 初仕事・新年会

今までの新年会は、午前中、軽い作業をやって、午後から事務所のデスクを囲んで酒宴が始まる、という類のものであった。

しかし、今回は全く違った。いきなり、ハードスケジュールの目まぐるしさと相成り、宵闇が漆黒の闇に転じるまで続けられた。無理な工程が組まれているのであります。

午後、社長が軽自動車で現場へやってきた。他の連中にはガミガミ、ガー、ガー、とものすっごくうるさいのですが、なぜか私には笑顔で愛想がいい。

「広大さん、今年もよろしく! 作業が終わりましたら、事務所で新年会の真似事をしますので寄って下さい???」

ということでありました。立川の五日市街道を走り、立川通りに出て、青梅街道、新青梅街道を過ぎって事務所に着いたのが19時でありました。

社長のねぎらいの後、皆さんはゆっくりと酒を飲む。しかし私は車で帰らねばならないので、お茶だけ・・・。その代わりご馳走を誰よりも多く食した。

帰りはビール半ダースを貰った。仕事は激しかったが、ありがたい新年会でありました。

今年一年、気力充実、やる気満々、一に勢いをもって、働く決意を新たに致しました。

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1月 6日 (火) 仕事始めに思う

ただいま朝の5時55分です。私の今年の仕事始めは今日からであります。厳しい労働の連続が、笑顔を浮かべて待っておられると思いますが、ぐわっはっはっはっはっははー、私には痛くも痒くもない。チャレンジ精神が燃え上がり、やる気満々、気力爆発であります。

いつも思っていることですが、今年もツルスコ舞の炎の剣で世界の怠惰と無気力をたたっ切り、人類の心と魂の浄化に貢献したいと思っている。

・・・ん? これは単なる思い上がり、馬鹿な男の一人よがりなのか? しかし、そんなことをいちいち考えていたのでは、宇宙の無限性と同化は出来ない。とにかく、勢いあるのみ。

大臣や博士になって心腐って刑務所へはいるか、人生の敗北者に転落しても、心を浄化し、豊かな心に昇華して、真の栄冠を勝ち得るか、全てやる気と気力、悟りにかかる。

そんなにやる気だけ振り回して疲れないか? という方おられるかもしれない。 それは、悟りの問題にかかる。

つまり、生きている、と思うから人生に疲れるのであって、生かされている、と思えば人生は楽しいのです。生かしているのは何者か?

それは天地大自然であり、無限広大な宇宙であります。・・・あれ、時間がありません。では、初仕事、行ってきます。今年一年、ファイト一発、皆さん、1に勢い、3・4にやる気、勇んでいきましょう!

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1月 4日 (日)沖縄戦の悲劇


昭和19年10月3日、米軍は沖縄攻略を決定した。同年10月10日、沖縄大空襲、那覇の町は瓦礫と化した。翌年1月12日、米艦載機900機が沖縄諸島全域を攻撃し暴れまわった。

3月17日、硫黄島の日本軍2万3千人が玉砕、その勢いに乗じて米機動部隊は、昭和20年3月23日、本格的な沖縄本島への爆撃を開始した。

その時の沖縄防衛の日本軍戦闘員は11万6千4百人、米軍は54万8千人であった。つまり、当時の沖縄人口とあまり変わらない数の敵が押し寄せたのであります。

しかし、数の差はそれだけではなかった。日本軍保有戦艦1に対し、米軍は23隻、空母=日本4、米軍98、駆逐艦=日本36、米軍828隻、航空機=日本16、228機、米軍107、000機、その他、いろいろな武器を比較してもその差は天と地の開きがあった。戦わずしてその結果は明らかであった、といっても過言ではない。

沖縄の地上戦が終結したとき、日本側の戦死者は244、136人(10万人=地元住人)、米軍戦死者は12、500人となっていた。
ちなみに日本軍航空機の撃墜された数は7830機、米軍機は763機、艦船撃沈は日本16隻、米軍36隻となっています。ただし、艦船大破は米軍が368隻となっており、神風特攻機の凄まじさを物語っております。

沖縄の本島はハブの形をしている。そのハブの急所は首、米軍はその首を狙い、北谷村に上陸、日本軍の兵力を南北に切断したのであった。圧倒的な物量の前に分断された日本軍は敗走、島の最南端と北部の山岳地帯へと追い詰められていった。

「首里城に月かかる夜、手榴弾投げつつ死せんとぞ思う」

これは八原高級参謀が5月27日、首里城を撤退する時に詠んだ歌です。

避難民や学徒兵の悲劇は米軍の攻撃だけではなかった。スパイ容疑で味方の軍に殺された者も少なくはない。

八百万の神神に戦勝を祈願し、島の守護を祈っていた地元住民の女性がスパイ容疑で捕まった。空に向かって、手を振っていたその琉装女性が敵に合図をしていた、と誤解されたのだ。

彼女は師範学校の農場跡で、兵士や軍属たちの竹槍でめちゃめちゃに突き刺された。彼女は痛い、痛いと悲鳴を上げながら内臓や腸を弾けさせて息絶えた。それは「スパイ狩り」とも呼ばれた。疑わしきものは捕らえられ、容赦なく殺されたのだ。西洋の「魔女狩り」に匹敵するものであった。

私は旧日本軍を非難しているわけではない。追い詰められたとき、人間は悪魔にもなれる、ということを申し上げたいのであります。そういう意味で戦争はこの世で最大最悪の犯罪である、と申し上げたい。

人類が見失っているもの、それは心の完成ではないのか? 愛と正義と思いやり、そして正しい知識と実践、そこから互い助け合いの心清き人間世界が形成されてくると確信する。

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2004年 1月 2日 (金) 明治神宮初参り


東京定住15年になりますが、初参りは理由も無く明治神宮となっております。恐らく前世において、明治神宮建設時(大正9年)、日当20銭で日雇い労務をやっていたという因縁があるからかもしれません。20銭? 現代の金額に換算すれば8千円前後だと思います。それで月収が4円ほどになったんですね。


貴重な資料ですので、好きな方は勝手に、ただでお持ち帰りください。なお、明治24年の東京都知事の月給は333円、現代に換算すれば161万円位でありました。日雇い労務者の月給4円とは凄まじい開きであります。

ん? またまた、知性と教養と高い知能指数が邪魔してわき道にそれましたが、寛大に私の馬鹿さかげんを御笑いになって許してください。とにかく初参りは、明治神宮一筋である、ということを言いたいわけであります。

原宿駅を降りまして神宮橋を渡りますと、警察官があっちこっちにグループを組んで警戒していた。こんなことは初めてであります。「最後の審判は必ず来る」というプラカードを担いだ外人が尋問されていた。

そう言えば、昨年までうるさく、拡声器で喚き叫んでいたプラカードの外人たちが見えない。「キリストの血は人類を救う」 「キリストを信じない者は地獄に落ちる」 「目覚めよ!イエスの愛」「キリストを信じるか? ・・・イエス!」 「キリストは男でござる・・・?」 というプラカードを掲げて、彼らは渋滞する参詣者達の波に向かって叫び続けていた。私には一種の脅迫のようにも思えて、いい感じはしなかった。

それが今年からは機動隊によって取締りを受けて排除された、という事でしょうね? おかげで穏やか、かつ、厳粛な気分で神宮橋をわたることが出来ました。

本殿にたどり着きまして、お賽銭を投げようとしましたが10円玉が3枚しか小銭入れにはない。そこで、初めて初参りについて来た無神論者のばーさまに ?千円下さい・・・? と申し上げた。

すると黙って100円玉を2枚渡した。これではいくらなんでも少なすぎる。明治天皇と昭憲皇太后が祭られているのです。それに人類の平和と心の完成、互い助け合いの、美しい心の世界実現を祈るのです。これは100億円相当の金塊を200円で売れ、というようなもので、たいへん失礼に当たる。

傍目を省みず、千円、ちょうだい、と執拗に頼むのですが、ばーさんは頑固一徹、財布の紐は炭素鋼より固い。そこで痺れを切らして一言「お賽銭の千円を出すのが嫌なら、明日、おれは沖縄へ帰る。お前とはおさらばだ・・・。 千円を惜しんだために、月給の30万円が永遠に入らなくなるのだ。愚かな女め、ぐわははははははー」

周囲の和服姿のお姉さまたちがくすくす笑った。さすがのばーさんも傍目にはギブアップ、5千円札を渡した。千円札が無かったのだ。多ければ多いほどいい、私はそれをありがたく頂きお賽銭の広場に投げいれて、世界平和と人類の繁栄、心の完成を祈った。

帰りの電車で、ばーさんは最高に機嫌が悪い。そして、駅前の自転車預かり所で、小銭入れに入れてあった自転車の鍵がないのに気がついた。もしかして、あの3枚の10円玉と共に賽銭広場に投げ込んだのでは・・・? ばーさんの怒りが爆発した。

「何が神様よー、5230円をお賽銭してもご利益なんって何もないじゃないかー、かえって悪いことばかりよー。神様なんってこの世にはないー」分かったかー」

耳が痛い・・・。だが、うろたえる私の足元に自転車の鍵が落ちていた。 ん? 私のではない。しかし、落ちている・・・。ということは試してみよ、との神のお告げか? 私はそれを拾い上げて自転車の鍵に差し込んでひねった。するとなんと鍵が開いたのです。ばーさんの目が悔しげに輝いた。

「ただの偶然です・・・」 ばーさんはそう言って前を走った。「神様は絶対に存在する・・・」それを確信した初参りでありました。

皆さん、初参りはどちらへいかれましたか? 今年が昨年以上に素晴らしい年でありますよう、祈っております。

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