さわやか日記エッセイ

  
               

沖縄の日本一   哀れで愚かな男    2刀流マン  雑念のままに 

この世で最も恐ろしいもの  今日の一日   ナルシスとエコー   再会  ああ!金酒 

 玉子焼き  悟りとは何か?   人類を救った愛犬ダイヤモンド   伊江島女子救護隊、最後の総突撃

  小説・神様との会話  「コーラン」と「悪魔の詩」 汝の敵を愛せ 昔からの言い伝えは大事に守りましょう 

 5発5中   神様の商売  人類滅亡  宇宙と素粒子と心  心とはなんでしょうか?

2005年1月1日〜2005年2月11日





2月11日  沖縄の日本一  

「♪♪♪沖縄よいとこ一度はおいで〜〜〜♪♪♪」、という歌が昔、良く詠われておりましたが、沖縄出身の私に言わしますと、???となります。それは確かに晴れた日ですと、空と海の青さは素晴らしく、純白の砂浜に打ち寄せる波は、さわやかな自然の音楽を広げます。

そして、海鳥が花びらのように上空で舞い、糞を落として恋するアベックの口づけに命中させる。しかし、恋は全てを甘味料に変えてしまう。二人には海鳥の糞は天界から舞い散ってきた花びらであり、そのショッパイ味は蜂蜜の甘さ、くさい臭いはシャネルNO5の芳香であります。

水平線を舞い飛ぶカモメを見て男が詠んだ。

「あのカモメ、焼き鳥にして、食いたいな」

すると、女がそれに応えて詠んだ。

「食べ過ぎて、下痢してオナラ、出さないで」

そして、二人は前歯を激突させて狂ったように口付けしたのであります。二人の足元には折れた前歯が散乱し、浜蟹がそれを摘んで横歩きで走り去る。そして、10月10日たって子供が生まれるのであります。その出生率、沖縄は日本一であります。なんと、年間で100人に1・3人の割合で生まれているのでございます。

沖縄が日本一であるのはそればかりではありません。離婚率も大阪を抜いて日本一、そして、女性の平均寿命も84.43歳と日本一となっております。しかし、男は28位で駄目であります。

その他、沖縄の日本一を上げますと、失業率、米軍基地面積、平均気温が最高、最低気温が高い、県民所得最低、企業倒産最高、飲み屋の数最高、癌死亡率最低、脳梗塞死亡率最低、心筋梗塞死亡率最低、昆布消費率最高,男の自殺者最高、台風襲来回数最高、台風瞬間最大風速80メートル、その他いろいろ、であります。

沖縄は南国ですので最高気温は日本一、とお思いでしょうが、不思議にも26位なんです。一位は京都だそうです。しかし、私は思うのですが、やはりそれは沖縄だと思う。第一、気温を測る空間がおかしい。確か、78センチメートルの高さで、風通しのよいところで計らねばならない、となっていたと思う。

しかし、沖縄ですとその位置では正確な気温は測れないのであります。真夏でも木陰に入りますと肌寒くなるくらい海風が吹いてくる。

灼熱の太陽で焼かれたアルファルト路面が柔らかくなるのですから、軽く80度以上にはなっているはずだ。日に晒された鉄板の上で玉子焼きが簡単に出来てしまいます。・・・ということで、私は  「♪♪♪沖縄良いとこ一度はおいで〜〜〜♪♪♪」、とは言いたくない。

しかし、晴れた日の砂浜でのデートなら最高だと思います。その時は、カモメのバードミサイルに気をつけましょう!

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2月10日 哀れで愚かな男

2月8日、午前2時10分、Mr、Sukebe、37歳、農業、は目の前を魅力的な女が歩いているのを発見した。飲み屋に行っても女にもてず、金だけ取られて追い出され、むしゃくしゃしているところであった。

場所はJR浜田駅前の路上、近くに交番があったが、おまわりはいない。それに真夜中でありますので、駅前であっても人通りはない。

後姿を見れば見るほど良い女であります。Mr,Sukebeは込み上げてくる欲情と、触りたいという衝動に激しく乱れて狂った。斜め後ろから眺めますと、豊満な胸が街頭の明かりに揺れている。

「きえ〜〜〜〜、もう我慢できない〜〜〜」

男は女の背後から抱きつき、その豊満な胸を両手で握り、モミモミした。愚かな男は、これで女が良い気持ちになって興奮し、暗がりに誘い込み、すし屋の親父がネギトロを握ったように、自分のものもきつく握ってくれるだろう、と考えた。

・・・ほんとに男って馬鹿が多いですね? これも、小さい頃、親のスキンシップがなかったせいで、精神構造が狂ったせいなのであります。

一瞬の感触快感のそのまた次の瞬間、男に悲劇が襲いかかった。なんと、Mr,Sukebeの体が空中に跳ね上げられ、アスファルト路面に叩きつけられたのであります。

何がなんだか訳が分からないMr,Sukebeは朦朧として立ち上がった。魅力的な女が一本背負いで投げ飛ばしたのであります。しばらくして、ようやく状況を掌握したMr,Sukebeは、女に投げられたことに自尊心を傷つけれて怒った。

「この、アマー、ぶっ殺してやる〜〜〜」

Mr,Sukebeは女に殴りかかった。しかし、さっと身をかわされ、逆に股間に蹴りを入れられた上、体落しで再び投げ飛ばされた。こんな筈はない、Mr,Sukebeは眼を擦って女を見た。

女は、な,なんと警察官だった。剣道3段、柔道初段、逮捕術中級の恐るべき女性警官だったのだ。Mr,Sukebeはびっくり仰天、慌てて逃ようとした。しかし、背後から片腕を握られて捻られた。

Mr,Sukebeは空しい抵抗を試みた。組み伏せようとしたが大外刈りで倒され、落ちていた棒切れを拾って殴りかかったが、真剣白刃取りで受け止められ、奪い取られて逆に面を打たれた。そこへ、パトカーが駆けつけ、愚かなMr,Sukebeは御用、となったのであります。

この男は37歳なんです。なんと申しましょうか、こういう類の男たちが世の中には大勢おりますけど、精神年齢がまだまだ幼児のままなんですね?

”お母さんのおっぱいが飲みたい”

 その欲求がいつまでも残っているんですね? 考えて見ますと哀れであります。人間はいかにあるべきか、常に考え、悟って行くということ、・・・つまり、人格形成をいかに培っていくか、現代社会の大きな問題だと思います。

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2月9日 2刀流マン  

昔、・・・と言っても5・6世紀ごろの話だと思うのですが、沖縄のウプシュウ島に若い青年漁師が1人で暮らしておりました。その頃はまだ原始生活の名残が強く、男女とも木の葉っぱや、獣の皮などで下半身を隠して生活しておりました。男たちは石器や角器を用いて狩をしたり、漁をしたり、時にはバナナなどの果樹や穀物類を栽培したり、山羊や鶏、イノシシなどを飼って食料源にしていたのであります。女は勿論、家事に勤しみ、子供を産んで子育てであります。しかし、時には男たちに混じって狩りにいったりすることもありました。

ある日、その若い青年漁師、ガーケーはクリ舟に乗って海に出た。牛の角をつけたモリでサメやシーラカンスなどの大物を仕留めて持ちかえり、好きな女の子の家に持参する。そして、その代償として彼女を一夜の妻にするのであります。

当時は娯楽が何もありませんでしたので、人生の楽しみはそれしかなかったのであります。ガーケーは彼女との一夜を狂おしく想像しながら獲物を探し回った。しかし、なぜかその日に限って獲物にありつけなかった。青い空と青い海原、白いカモメが陽光に輝きながら、上空を舞うだけであります。

ジュゴンを見つけて追いかけたが海底深く潜って行方をくらました。次にマンボを発見、モリを投げて見事に頭に命中させたが、そのまま平気で逃げてしまった。道具を失ったガーケーは疲れきってクリ舟の中に寝てしまった。

2時間ほどの熟睡の後、クリ舟に当って飛び散る波しぶきを浴びて、ガーケーは目覚めた。日はだいぶ西に傾き、海鳥の群れが遠方の島影へと飛んでいく。不漁だが帰らねばならない。ガーケーは櫓を手にして漕ぎ出そうとした。しかし、奇妙なものが海面に浮かんでいるのを見つけて手を止めた。

それは今まで全く見たことのないものであった。形状はマツタケのようで、しかもでかくて逞しくそそり立っている。それが青筋を立てて、ぷかりぷかりと波を枕にしているのだ。地球上に生命が誕生してから30億年の間に、1億3000万種の生物が絶滅している。その中にこんな奇妙な生物が混じっていたとしても不思議ではない。現在、地球上の生物は130万種、残念ながらそういう類の種はまだ発見されていない。

ガーケーはしばらくそれに見とれていた。そして、なぜか腹立たしくなってきた。その奇妙なものに馬鹿にされているように思えたからであった。

「俺は世界一逞しい〜。お前のと比べればヒマラヤ山脈と鼻くそのようなものだ。わははははははははははは〜〜〜」

奇妙なものが声なき声で嘲り笑った。ガーケーは激怒した。

「馬鹿にするんじゃね〜、俺を誰だと思っているか〜。 ハイパージャンボ・デカブツマン、お前が世界一なら、俺様は宇宙一だ〜〜〜」

ガーケーは下半身のまといを取り外し、己の分身を晒した。夕日に赤く輝くガーケーの一物は、金属バットのように垂直にそそり立ち、潮風を受けて微動、超音波を発した。それに呼応して海面の奇妙なものも白波を立てて激震の音波を発した。互いに相譲らす、一物の意地は白熱化し、睨み合いがいつ果てるともなく続いた。

「おのれ〜、強情な奴。ならば、どっちがでかいか比べてやる!」

ガーケーは手を伸ばして海面のその逞しいものをむんずと握るや、自分のものと比較するために股間へと運んだ。

「どうだ、やっぱり俺のがでっかい、おまえの負けだ〜、わっはっはっはっはっはっはっははははは〜〜〜」

ガーケーはその奇妙なものを自分の一物と並べ、その優劣の差をはっきりと確認した。ところが、次の瞬間、悲劇が起こった。その奇妙なものがガーケーの一物の側にくっ付いてしまったのだ。びっくりしたガーケーはそれをむしり取ろうとした。しかし、完全に癒着して抜けなくなっていた。強引に引っ張ると激痛が走る。現代なら外科手術で何とかなるはずだが、当時はお手上げであります。

これがほんとの2刀流であります。しかも、2刀流の下に金の玉が2個、ガーケーは宮本武蔵から二刀流をいかに使うかを習うべきですが、時代のずれでそれは出来ない。ガーケーは諦めて2刀流をぶら下げたまま帰途についた。

それ以来、ガーケーは一夜かぎりの妻を娶ることが出来なかった。一物が2本あることが分かれば一大事であります。しかし、そのお陰で浪費がなくなって金は溜まる一方となり、大金持ちとなった。すると、金の臭いに引かれて金の亡者たちが集まってきます。つまり、年頃の娘を持つ親は必死になって娘を売り込むために押し寄せてくるのであります。しかし、2刀流ゆえにガーケーは嫁を貰うことが出来ない。

そのうち、”ガーケーはおかしい” と言う噂が流れ始めた。あんなにスケベーだったガーケーが女に眼もくれなくなったということは、男の一物をサメに食われてなくしたに違いない、ということになった。それ以来、娘の売り込み合戦は途絶えたのであります。

ところが、隣村に、これまた絶対に男を寄せ付けない娘がいた。そして、この娘も、きっとブラックホールがないのだ、ということになっていた。そこで、ないもの同士だから、二人を一緒にさせるべきだ、という長老たちの話がまとまり、二人は目出度くご結婚あそばされたのであります。

新婚初夜、二人は月の光の中でしとねを共にした。そして、ガーケーは一大決心をして新妻に、自分が2刀流であることを打ち明けた。すると、新妻の顔が輝いた。

「まあー、不思議、・・・実は私が今まで嫁に行かなかったのは、穴が二つあるからなのよ〜。私たち、ほんとの夫婦なのね〜〜〜〜」

と、まあ、こういうことでありまして、二人は見事に奇蹟の合体となった。そして、これにて一件落着、目出度し目出度しとなりまして、いつまでもいつまでも幸せに暮らしたのであります。

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1月6日 雑念のままに 

宇宙は観念的なものの効力は受けない。つまり、人間の意識の入り込む隙間のない独立した、宇宙法則のメカニズムによって動いている。念力、気功、気力なるものは己の肉体を支配し、他の心理に作用を及ぼしてその肉体に影響を及ぼしているだけに過ぎない。

まず、力あり・・・。それから知恵が生まれ、悟りが出てくる。力は制御され、調和されねば破壊を及ぼす。破壊とは己の崩壊である。調和の力は存在の根源である。その力を正しく制御し、正しく推進するために悟りがある。悟りがなければ人は力によって乱され、破壊される。

悟りとは安定の基盤である。悟りを得るということは、正しさにおいて己の安定の基盤を確保することである。それは信念である。それは固定的頑迷なものではなく、円転滑脱を呼ぶ進化の流動体である。信念は映し出された映像ではなく、その装置である。安定した装置で諸々の真理を具象化する。それが信念である。その装置は宇宙の広がりと共に進化する。

一切は絶えず変化し、縁起によって存在する。因と結果、そこには理法と秩序に調和された力の無限性が働く。それが縁起である。事象物象の動きは縁起とその律によるものである。その縁起の支配する我々の世界は無明によって苦しみである。その因は制御されない欲望と執着であり、それを滅する手段は正しい行いの実践である。

正しい行いとは、真実を正しく見つめ、正しく考え、正しい言葉と共に正しく行動する。そして、正しい生活の中で、正しい努力をし、正しい信念を持って精神を安定させることである。

人間の価値は正しい実践によって決まる。決して富みや名誉名声ではない。しかし、万人を救い上げる手段の一つとして富や名声は時として役に立つ。富めるもの、権力あるもの、著名なる者、それらが己の飽食にふけり、他を救い上げる働きを無視するようになれば人間の価値はゼロであり、やがて消滅する。

宇宙は進化であり、それに相反するものは反物質が消えたように消滅する。そこには厳然とした理法があるのみで、偏見と不公平はない。

悟りを目指す者よ、迷信に惑わされることなく、制御された力を持ち、快不快を取り除き、慈悲を持って正しく世界を見つめよ! さすれば、一切の厄難、災難、悪事は消えてなくなる。自我を非実在とするのは愚かなり。それは白なるものが、一切の白の中で白でない、と言うが如しである。全宇宙を5つの範疇と75の構成要素に分けるのも馬鹿げている。宇宙はそんなちっぽけなものではない。

そして、”悟り” 「己が何も分かっていない」 ということを気づくことによって完成する。


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2005.02.01  この世で最も恐ろしいもの   

早いものでもうすぐ節分、そして、立春となります。節分というのは立夏、立秋、立冬の前の日を差すそうですが、豆をまくのは立春の前の節分だけですね?

 豆は大豆でありまして、それも炒ったものでないといけないそうです。生豆をまくと芽が出て雑草のように道端などに繁茂し、景観を悪くするからだ、ということですが、ほんとでしょうか?

「鬼は外、福は打ち」 と声高らかに詠いながら豆をまく、地方によっては、「鬼の目玉ぶっつぶせ」 というところもあるらしいのですが、考えて見ますとそれでは可愛そうですね?

 イエス様は汝の敵を愛せ、と申しております。ですから、敵である鬼も愛してあげまして、同じ宇宙を共有する同族として教え導き、愛と正義の戦死・・・、ではなくて、戦士に育て上げねばなりません。

この世に悪魔の存在が許されている理由も「汝の敵を愛せ」、という教えの原点によるものかもしれません。しかし、それはただ単に悪魔の悪行を黙ってのさばらす、という意味ではなくて、仲良くして教え導き、心優しい正義の悪魔ちゃんに改造しなければならないのであります。

神と悪魔のパワーが調和し、オーロラの中で煌くとどうなるか? 美しくも素晴らしい宇宙帝国が誕生すること間違いなしであります。

まあ、そういうくだらないことは考えないことにいたしまして、2月3日、神社仏閣など、至る所で豆まきをする光景は賑やかで楽しいものでございます。吃驚する事ですが、「鬼は内、福も内」 というところもあります。

鬼頭、九鬼、赤鬼、鬼虎、酒虎、大虎、というような苗字の家でございまして、これは当然であります。そして、鬼を神様として祭っている神社仏閣もそのようになっております。

去年のことですが、ある所で豆をまく光景を眺めておりますと、人相のすっごく悪い親父が、「鬼は外、鬼は外〜〜〜」と叫んで豆をまいておりました。鬼は顔面蒼白、恐怖の引きつけをおこして卒倒、救急車で運ばれたかもしれません。豆をまく必要があったのかどうか、大いに悩みました。

やはり、この世で最も恐ろしいのは人間でしょうか・・・?

 「鬼も18、番茶も出花」

 最近は鬼と人間が逆転したように思えます。

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2005.01.29  今日の一日

今日は第4土曜日、病院へ行かなけらばなりません。午前9時、自転車に乗って10分ほどで到着、受付へ行きまして診察券不携帯に気がついて慌てたのでありますが、名前と生年月日だけで受け付けてくれました。受付係が私が書いたメモを見まして笑いながら言った。

「あの〜〜〜、年齢間違えていますよー、?4歳ではなくて、34歳の間違いジャーございません・・・? ア、失礼、24歳かしら・・・?」

私は黙って免許証を見せた。それを何度も確認した受付係は顔面蒼白、断末魔のひきつけを起こして私を見つめ続けた。

「た、たいへん失礼いたしました・・・、真実の愛に年齢の差はない、あなたに惚れたはしたない私と、今宵、爆発して〜〜〜!」

とは言いませんでしたが、私の見えるようで見えない”滴る水”にうっとりしたのは、まぎれもない事実であった。

そんなことはどうでもいいことですが、いつもは2時間ほど待たされますが、なぜかすぐに呼び出しがかかった。混雑と混雑の谷間にタイミングよくめぐり合ってお客さんが少なかったため、と推察いたしました。

「・・・いよ〜、広大さん、どうですか具合わ?」

「良く分かりませんけど、悪くなっていないことだけは確かです・・・」

「それは、奇蹟だ・・・。本来なら今頃、死んでいてもおかしくない。どれ、悪くなるようにしてやるから、その汚い膝を見せろ・・・」

この偉大な医者は前にも記述しましたが「満足」という名前であります。しかし、それが気に入らないということで「新井」という名前に変えてあります。

「ん! 残念ながら良くなっている。惜しいことをした・・・」

満足先生は笑いながらそう言っていつもの注射を打った。

「あと、どれぐらいで仕事が出来るようになりますかね、先生?」

「なにを言うとるか! 重症怪我の上に、さらに重症を何回もかぶせた怪我だ、そう簡単に直るか〜! これというのもお前が馬鹿だからだ、仕事より、己の命を大切にしろ!」

というお叱りを受けまして帰ってまいりました。・・・すると、ばーさんが青い顔で待っていた。土曜日でありますので儲けのない英語塾へ行く日であります。

「あーた、今日だけ私の代わりに塾へいってください・・・」

「え? な、なんででありますか?」

「下痢で、頭痛で、歩けそうもない。沖縄から送ってきたムーチーに食あたりしたんだ・・・」

「・・・それは、食あたりではなくて、食べ過ぎなんだろ〜〜〜」

「どうでもいいけど、あんた、塾へ行って代理講師になってくれ〜〜〜」

「し、しかし、私は下品なブロークン・イングリッシュで、とてもじゃないがそんな上品なことは出来ない」

「そんなこと、どうでもいい、それで次から私がいかに”優秀”であるか、が分かるんだから〜〜〜」

仕方がありませんので、なにをどう教え、どういう目標で、どの程度を進行しているのかを詳しく聞きまして、身だしなみを整えましてクラスへ赴いたのであります。

最初は女性クラス、・・・といっても最も若い方が40代で、あとは50,60,70代、総員15名であります。

「皆さん、こんにちわー、本日、00先生はとてつもない急用で休まざるを得なくなりました。それで、ピンチヒッターとして、今日だけ、英語音痴の私が代わりを務めさせていただきます。というより、今日は皆様が全て先生で、わたしが1人だけの生徒、ということになります・・・・、 わははははははーーー」

なぜかこの一言が気に入られたらしくて教室は笑いの渦と化した。

「もしかして、00先生、誰かさんとデートじゃござーません? おほほほほっほっほっほははは〜〜〜」

「それが事実でしたら、この世には変人が多いという事ですね〜、ゴリラとイボイノシシのデート、ぐわっはっはっはっはっはははは〜、・・・ん? たいへん失礼いたしました〜」

ということで明るく授業開始と相成りました。今日のレッスンは  ”レストランでの応対” であります。1人がエプロンをかけましてウエイトレスの役、1人はお客さんの役であります。その2人が前に出まして実演をします。

waitress : welcome !
guest   : We'd like to have a table for 2 .
waitress : Smoking or non-smoking ?
guest  : Non-smoking please .
waitress : We have a table for 2 by the window.
guest   : Great!

と、まあ、それだけのことなんですが、人前に出ますとなぜか皆さんパニックになるのであります。第一組が前に出たときの事を紹介いたします。

A  Welcome !
B  we for 2 like table ・・・、キャー分からない〜〜〜。
A  Smoking or smoking ?  あれ、Non-you smoking. だったかしら?
B  Yes,yes great no-smoking ! (???)
A  We have 2 windows by table.(私、爆笑)
B  レギート!(・・・なに、これ?)

??? これがAクラスでありましたから、あと、どうなったのか、悲惨なものであったことがご想像できると思います。

4時に帰ってまいりましたが、ぐったりであります。ばーさんは薬を飲んで良くなっておりますが、そのご苦労の程が良く分かった一日でありました。

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1月28日 ナルシスとエコー

ギリシャ神話はBC700年頃、盲目の叙事詩人・ホメロスと貧農出身の天才詩人・ヘシオドスによって集大成されたと言われております。

BC2000年から始る古代ギリシャの伝説、民話の総称でありまして、主役やその脇役たちがほとんど神様となって、波乱万丈のドラマを形成しております。その最高峰で輝く主役が「ゼウス」で、雲、雨、雷など天候を司る神であり、秩序、正義、法などを支配し、手に王笏(しゃく)と雷霆を持って、鷲を従えた姿で表されております。

神様という肩書きですので、品行方正で本能的欲望や衝動を超越した厳然たる存在、という感覚で見つめがちですが、実体は唖然とするものであります。最高神でありながら、美しい女神をレイプしたり、人間の女を孕ませたり、嫉妬したり、癇癪を起こして地震津波、大風、火山爆発させたりでたいへんな神様であります。人間界であれば、たちまち逮捕されて打ち首獄門、死刑判決であります。

彼の本妻はお姉さんの「ヘラ」という方ですが、彼女以外に、メティス、テミス、レト、デメテル、人間の女多数、その他いろいろ、の大勢の側室がおります。ですから腹違いの彼の子供はものすごい数になります。

姉さんが奥さんというのは現代では考えられないことですが、古代社会ではそれが当たり前でありました。現代でも最近、インドでは、80歳の祖母とその孫、25歳が結婚しております。

それはさておき、本妻のヘラさん、この方は凄いヤキモチ焼きでありまして、ゼウスの子を孕んだレトに対し残忍ないじめをいたします。どういうことをしたかはいずれ、リサーチすることにいたしまして、ここでは今日の主眼であります森の妖精・エコーナルシスを取り上げます。

その頃、ガラス製法技術がありませんでしたので、鏡というものがなかったということになっております。で、そのナルシスというお方ですが、水も滴る美少年でございますが、鏡がありませんので自分の顔を見ることなく毎日を過ごしておりました。

美しい花には美しい蝶が集まるように、いい男には受粉を挑む女が、激しく喧嘩しながら大勢集まってくるものでございます。しかし、ナルシスはなぜか、どんな美女にも興味を示さなかったのであります。たいへん贅沢でもったいない話であります。それというのもナルシスがまだ、時期が早く、男に目覚めていなかったからだと思います。

一方、エコーさんのほうですが、彼女もナルシスに一目ぼれいたしまして、競争相手と殴り合いの末、打撲腫れの顔に笑顔を浮かべて彼に近づきます。一応、純粋なお付き合いとして、ナルシスはエコーさんとままごとなどをして遊ぶのですが、ある日、不幸が起こりました。

最高神であらせられる「ゼウス」が森の中で、奥方ラの目を盗んで、ある美女神と何かをしようとしているところを、エコーさんが目撃したのであります。このエコーさんはお喋りでおせっかい癖の強い方ですので、ヘラのところへ飛んでいきまして事の仔細を話したのであります。

ヘラは嫉妬心を爆発させまして、一大事とばかり現場へ行こうとするのですが、エコーさんは喋りだすと止まりません。そのお喋りに惑わされている隙に、ゼウスと美女神は見事に合体完了と相成ってしまった。

ヘラは激怒いたしまして、エコーが二度と勝手なおしゃべりが出来ないようにしたのであります。出来ることはただ、相手が言った言葉の、終わりの部分を繰りすだけでした。

その結果、ナルシスとの会話は変なものになりまして、「お前のような女とは今宵でお別れだ〜〜〜」 というナルシスの言葉に対しまして、エコーさんも 、「・・・今宵でお別れだ〜〜〜」 となったのでございます。

恋に破れたエコーさんは悲しみのあまり泣き続け、その涙のプールの中で溶けて消えた。一説には石になったとも言われております。しかし、声だけは残り、今でも森や山で「おーい」と叫ぶと、「おーい」と答えるのであります。

このナルシスの冷たい仕打ちに怒ったのが復讐の女神、「ネメシス」であります。、「女心をもてあそぶとはけしからん、てめー人間じゃねー、たったっ切ってやる〜〜」とはならずに、”自分自身だけを愛する” 呪いをかけたのであります。

ある日、ナルシスは泉の畔に来て何気なく水面を見た。するとそこに今まで見たこともない美しい顔があったのです。彼は魂を抜かれ、水に映った自分に激しく恋をした。

それが自分の顔とも知らず、何日も何日も見つめ続けた。そして、ナルシスはやせ細り、栄養失調で死んでしまったのだ。ダイエットをやりすぎても死んでしまいますから気をつけましょう!・・・そのあと、そこに美しい花が咲いた。それが水仙の花であります。

水仙、・・・、雪中花、とも言うそうですね? 英語辞典には ”narcissus" とあります。ナルキソス、花言葉は ”うぬぼれ” 、私のような ”水も滴るいい男” はうぬぼれないように気をつけて、女心を大切にいたしましょう! ?????、たいへん失礼いたしました。では、また、明日!

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1月26日(水)  再会  

平成元年の12月だったと思いますが、職場の先輩に連れられてウナギ専門店へ入った。東京へ出て来てまだ数ヶ月、西も東も分からない田舎者であった。ボーナスを初めてもらいまして、田舎への仕送りがたっぷりと出来た後の余裕のあるひと時でありました。

場所は世田谷代田の淡島通り沿いで、梅が丘通りと接するところのかなり古い店でありました。入りますとカウンターに数人のお客がいて、ウナギ蒲焼の匂いが店内に充満していた。

先輩は熱燗を注文し、私に勧めた。御ちょこでは物足りませんのでグラスに入れてもらいまして一気に飲んだ。なにしろ、それまで沖縄の泡盛、45度で鍛えられておりましたので、15・6度前後の日本酒は水のようなものでありました。

店の主人やお客さんはびっくり、私の人相が変わっていたせいかもしれませんが、好奇の熱い視線を浴びせられたのであります。そのうち酔いが回ってまいりまして、男の話題が行き着く最終章へ到達した。

「人間の女は一生の内で500個卵を産めば終わりらしいな? 男は何回出せば卒業するか、おまえ知っているか?」

先輩は卑猥な笑いを露骨に出して大声で言った。なんとまあ、恥知らずだ。高度な品性と教養(?)を誇る私は一瞬、こんな下品な男についていけない、と思った。しかし、人間はみな神の子、どんなスケベーな男であろうと人間性を尊んで付き合うべきだ、と1000分の一秒の間で悟りまして、話を合わせた。

「それやー先輩、私のリサーチによりますと、5000回ですな・・・。つまり、5000回を持って男は男を卒業するのであります。だから、限りある資源、節約して出さねばなりません。ぐわっはっはっはっはっははははは〜〜〜、」

すると隣に座っていたスマートな中年女性が威勢良く言った。夜で店内であるにもかかわらず、茶色の大きなサングラスをしておりました。

「なに、情けないこと言ってんだよ〜、てめーらそれでも日本男児か〜、5000回なんって制限はない。やる気一つ、根性一つ、男なら大和魂、抜かずの百万発でいけ〜〜〜」

私は驚愕唖然、こんな威勢の良いおばさんは見た事も聞いたこともありません。しかし、なぜかすっきりして気持ちが良い、うれしくなりまして高級ウイスキーをおごった。

「あなた、ただ者ではない。百目惚れしました。人類はあなたのような英雄によって救われます。お近づきになれて光栄であります。」

スマートおばさんはすっかり機嫌を良くいたしまして、逆に特上のウナギ蒲焼をおごってくれた。5000円ぐらいはしたと思う。先輩もすっかり上機嫌、カラオケまで歌いだした。

そして、私も急き立てられましてマイクを握った。曲目は松尾和子の「再会」でありました。

♪♪♪逢えなくなって初めて知った、海より深い恋心、こんなにあなたを愛しているなんって、ああ、カモメにも分かりはしない・・・♪♪♪

スマートおばさんは最後まで聞いてくれました。そして表に車が止まる音がして、急に立ち上がり、私に名刺を渡した。

「あんた歌も上手、最高のハンサムです。素晴らしい〜。またいつか、ここで再会しましょう・・・!」

彼女は表に止まった高級乗用車に乗って去っていった。店の主人が言った。

「あの人、誰だか知っているか?」

「・・・いえ、誰です?」

「松尾和子・・・、気がつかなかった?」

私はびっくり、慌てて名刺を見た。そこには「松尾和子」という活字が輝いていた。その名刺、数回の引越しでどこへ行ったかわからなくなりましたが、古本のどれかに挟まれているはずです。暇なときゆっくりと探そうと思っている。

しかし、松尾和子、再会できなくなりましたが、記憶のスイッチを入れますと、あの場面は必ず再現されます。ムード歌謡の名歌手、その歌は時空に刻まれ、永遠に消えることはないと思います。

 2・3日前のテレビで、「再会」を歌う松尾和子を観て、懐かしく思い出しました。

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1月25日(火)  ああ!金酒 

草木も眠る丑三つ時、ばーさんとせがれは、それぞれの部屋で熟睡しております。私はそっと起き上がり、メル友のちゃみままさんから届いたお酒の蓋を開けた。同時に太古の記憶を呼び起こす強い芳香が広がった。

私は隠してあったグラスにその酒を注いだ。窓越しの上空は澄んだ星空であります。突然、二つの流星が真上と真横から現れ光の線を引いた。

それは金星を交点として交わり、壮麗な十字架を神秘的な空間に描いて輝いた。その残像が網膜に焼き付けられて消えない。私は布団の上に座り、グラスを星空にかざした。宇宙根源の神に対する感謝と喜びの儀礼であります。

2ヶ月ぶりのお酒だった。痛めた膝はまだ完治しておりませんが、薬の副作用による肝機能障害は100%回復した。したがって禁酒は解禁となっても良いのであります。しかし、ばーさんは永遠の禁酒を強制、今は休業中の弱みがありますので服従せざるを得ない。

だが、しかし、宇宙の神は「お酒を飲んでもよろしい!」と告げられているのだ。神に従うべきか、かみさんに従うべきか、それは当然、神に従うべきだ。

イエス様は水をワインに変えた。そして、宇宙の神は今、私の禁酒を金酒に変えてくれたのだ。金酒が口の中で魔法の味となって広がる。・・・そして、痺れと陶酔の波間で何かが爆発、ハート型の花火が宇宙全体を彩った。

金酒は喉を痺れさせながら胃の中に入り、胃壁に吸収されて熱き血潮となった。それから毛細血管に乗って身体の隅々へ拡散していく。

休火山が噴火、地底のマグマが吹き上がり、天地を激動させてハレルヤの大合唱が響いた。続いてノイロン・シナプスが荘厳なシンフォニーを演奏する。

私は2杯目を注いで優雅に飲んだ。その時、襖が音もなく開いて、熟睡しているはずのばーさんが現れた。ぎゃ〜〜〜、したたかば〜さん、な、なんで、こうなるの〜〜〜〜。

ばーさんはものも言わずに私の側に座り、ワイングラスを突き出した。ばーさん専用のクリスタル製のグラスであります。私の行動の全てを、的確な予測と判断で見抜いていたのであります。

「ばか者、こんなうまい酒、独り占めする気か、これにもなみなみと注ぎなさ〜い・・・」

震えながら注いだ酒をばーさんは豪快に飲み干した。そして、顔を強くしかめながら叫んだ。

「きゃー、おいしい〜〜〜、こんなうまい酒、初めてよ〜〜〜〜」

そして、せがれまで起き出してきて、美味と芳香の幻想空間で時の経つのも忘れて飲み明かしたのであります。 ちゃみままさん、ありがとう〜! 心からお礼申し上げます! 

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1月23日(日)  玉子焼き  

言葉使い、大切ですね? それを改めて思い知らされました。 ばーさんは毎週土曜日、近くの市民センター2階で英語クラスを開いているのですが(半分はボランティヤで儲けなし)、授業中、教室のドアをガチャガチャしたり、ドンドン叩いたりする者がいた。

誰かと思って、ばーさんがドアを開けると小学5・6年生の男の子が二人でいたずらをしていた。そこで、

「こちら勉強中ですから静かにしてください」

とやや厳しく注意した。 二人は一応 「ごめんなさい」 と謝ったらしいのだが、その時の表情が恐ろしい、表現しがたい怒りに満ちた顔だったという。

ドアを閉めて再びレッスンを始めたとき、子供とは思えない暴言がドアの外から爆発した。

「てめー、喧嘩を売っているのか〜、馬鹿野郎〜、出て来い、ぶっ殺してやる〜」

中にいる20数人の子供たちは恐怖に怯えて青ざめた。ばーさんは 「騒がないで、静かにしていなさい、大丈夫・・・」 となだめた。 ドアに鍵をしてあったので幸い中に入っては来れなかったのです。

2・3分ほどして静かになった。レッスンが終わって外に出てみると二人の子供たちはいなかった。服装もまともではなく、ボタンを外して脅迫的であったという。 帰ってくるなり、ばーさん、その時のストレスとウップンを私に吐き出した。喋り捲ること30分、ようやく怒涛がおさまったところで言った。

「あの子供たちは愛に飢えている。しかし、お前は愛という言葉のパンではなくて、非難、抗議、裁きという言葉の刃で二人の心をづたづたにした。なんでもないようだが、子供には重傷となる。子供を悪く言う前に、己の恐るべき罪に気づきなさい・・・」

「・・・では、どうすれば良かったのさ〜〜〜」

「そういう時は、”たいへん申し訳ありませんが、静かにしていただけませんでしょうか? せっかく楽しく遊んでいらっしゃるのに、ごめんなさいね。この悪いババーを許して〜! 良かったらお二人さんも、お金たくさん払ってクラスに入りませんか? 私を儲けさせて〜〜〜” と言うのだ」

ばーさんんそっぽを向いてしまった。

言葉には霊がこもり、魔力があります。使い方一つで生かすか殺すか、戦争か平和か、となります。お互いに言葉使いには気をつけましょう!

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1月21日(金) 悟りとは何か? 

人生のことを「泣き笑い人生」と言ったりする。 意味はいろいろあると思いますが、「オギャー」 と泣いて生まれ、「わはははははー」 と笑って死ぬ、それが最も素晴らしい人生だ、という意味に私は取らせていただいている。

これが逆だとこの世は異常です。臍の緒をつけたまま、羊水べとべとの赤ちゃんが「キャハハハハハ−」 と笑い、150歳の老衰老人が「おぎゃー、おぎゃー」 と泣きながら死んでいく、これは絶対にあってはならないことであります。

人生は、「渡る世間は鬼ばかり」となって、虐待があり、いじめがあり、裏切り、陰謀、暗殺、爆弾テロ、その他いろいろと大変な試練に遭うのが定めであります。その中を如何に正しく、いかに心美しく生きていくか、至難の業であります。

なぜ、心美しく、正しく生きていかねばならないのか? 一体、誰が、何の権利があって命令したのか? そのへんのことは定かではありませんが、そういう生き方をどんな悪い人間、悪魔であれ、妖怪変化であれ、無意識の本体では憧れ、望んでいる、ということですね?

 それが、宇宙の摂理に適合し、繁栄と永続につながるIDパスである、と無意識が捕らえているからかもしれません。

人生に絶望を感じ、人間嫌いになり、自虐心に苛む、そしてヤケを起こして反抗的となり、悪へ走り、自滅の道を突っ走る。・・・すべて、心美しく、正しく生きられない、という思い込みの成せる業かもしれません。

そこで私はそういう煩悩から抜け出して、雑草は雑草、路傍の石は路傍の石、バクテリヤはバクテリアとして、自分自身のあるがままに生きるべきだ、と考えまして悟りを開くことにした。ところが、35億年前に生命物質から原核細胞として誕生して以来、悟りが出来ないのであります。お釈迦様は紀元前500年ごろ、35歳にして菩提樹の下で悟りを開いた。

しかし、私は35億歳にしてまだ悟りが開けないのであります。第一、その悟りというのが何であるのか正体が分からない。そして、仮にそれが分かったとしてもその後、それにどう対処すべきかの心の準備も出来ていない。悟りとは何か、悟りを開く、悟りの本質と同化する、その後の対処、何一つ出来ていないし、真理の衣に掠る事さえも出来ないでいる。

イエスは水をワインに変えた。しかし、私は焼酎を水に変えることは出来ない。どこかの牧師さんが水を飲んで運転した。その水が胃の中で70度の高級ワインに変わったので、牧師さんは泥酔状態となって酒気運転、白バイに捕まって刑務所へ入ってしまった。彼は、Oh,my God ! Help me ! と叫んだが救いはなかった。私は胃の中の焼酎を水に変えて安全運転をさせたいのだ。

悟り、???分からない〜〜〜。 その分からない、ということが実は悟りなのかもしれません・・・! ん? 今日の私はどうかしている。朝飲んだお茶が、胃の中で70度の泡盛に変わったのかもしれません。 では、みなさん、明日またお会いしましょう! See you tomorrow !

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1月20日(木) 人類を救った愛犬ダイヤモンド 

誰も知らないことなんですが、330年ほど前、人類は悪魔の軍団から狙われて滅びる運命だった。彼らはビックバン直後、物質と相殺して消滅した反物質界の生き残りでありまして、壊れた9次元の世界で反物質界の復活を虎視眈々と狙っていたのであります。

反物質と申しますのは、マイナス陽子とプラス電子の原子からなる分子構造の物質でありまして、この世の物質に触れますと、とてつもない大爆発を起こして全てを消滅させてしまうのであります。

これが悪用されますと、銀河系を吹っ飛ばす威力の爆弾となりますので、平和利用に役立てるようにしなければなりませんね? これを小型化して、地球と衝突する恐れのある彗星を粉々に破壊することが出来るわけです。

そんなことはここでは関係ない話でございますが、ようするに悪魔軍団は綿密な計画とプロジェクトを作成いたしまして、地球に近づいて来たのであります。彼らの数は1億3000万、・・・しかし、原子レベルですので、その集合圧縮体は1000分の1ミリしかありません。

つまり、針先よりもさらに小さなものでした。だが、それは地球空間に瞬間移動すると同時にゴジラほどに巨大化し、あっという間に地球上に広がるのであります。

1億3000万という数がどういう数かご存知だろうか? また、また、関係ない話ですみませんが、あなたの祖先を27代遡りますと、その総数が1億3000万人になるのです。

つまり、27代前の祖先との間に、これだけのご先祖様があなたには居られる、ということなのです。・・・ということは我々人類は、みな兄弟姉妹であることに間違いはないということであります。

それはまた、別問題といたしまして、その悪魔たちは出撃前にミーティングを開いた。

「いいか、我々がワープによって到達する空間が重要問題となる。1ミリ四方の空間に一秒間だけ停滞したあと、瞬時にして巨大化して分散する。我々の身体は反物質だから、暗黒物質のシールドをまとわなければならない。 人間どもは激しく笑い狂い、屁をこきながら死んでいくことになる。我々がばらまく、爆笑屁こきバクテリヤ、の猛毒の威力だ。一秒間の一ミリ四方の空間、そこに我々の運命の全てがかかっている。みな、心してかかれ〜〜〜!」

時に、1675年の8月8日の夜8時でありました。 そのちっぽけな空間は、イングランドのリンカンシャー州にある天才学者の家の書斎でありました。

その名は ニュートン、数学者であり、物理学者であり、天文学者でありました。彼はその時、ニュートンリングを発見したばかりで、微分積分法、光と色の理論、万有引力と惑星の運行などとあわせて、その論文をまとめていたのであります。

「リンゴが落下する距離と月が落下する距離、その比はいかに・・・? 月は毎秒1・44ミリ落下している。であるから、月は宇宙に飛び出さず、いつも地球と共にあるのだ・・・」

というようなことを思索しながら一心不乱に筆をとっておりましたとき、愛犬の「ダイヤモンド」が突然、机に飛び乗った。主人に甘えたかったのであります。そして、ローソクが倒れて重要書類を燃やしてしまったのだ。その勢いよく燃え上がった炎、その中に悪魔軍団がワープした。

1ミリ4方の1秒間、それは飛んで火にいる夏の虫、ではなくて夏の悪魔、となったのであります。悪魔軍団はあっという間に焼滅、人類は、その時の完全な偶然性によって救われたのであります。

人類が命の恩人、いや、恩犬として崇めねばならにのは、このニュートンの愛犬「ダイヤモンド」なのです。しかし、ことの重大性を全く知らないニュートンはダイヤモンドに喚き散らした。

「O Diamond, Diamond, thou little knowest the damage thou hast done.」

これは330年ほど前の古い英語ですので、現代英語に直しますと、

「O Diamond ! Diamond ! you little know the mischief you have done! 」

翻訳いたしますと、「このくそったれダイヤモンド! てめ〜、自分がどんなひでー悪さをしでかしたか、知っているのか〜」 ということになります。

ダイヤモンドはしょんぼり、罰として3日間、餌はお預けとなったのであります。ニュートンはせっかくの労作、書類がみな焼けてしまいましたので、最初から作業のやり直しとなった。

しかし、ことの恐るべき仔細は今日まで誰も知らないのであります。これは嘘のようなほんとでない話であります。また、人類のこのような絶体絶命の、誰にも知られていない危機回避はいくらでもあったかもしれません。

一食触発だったキューバ危機、核弾道弾ミサイルを発射しようとした潜水艦の事故があったかもしれないし、巨大隕石の軌道を狂わして地球衝突を救った小惑星の引力など、数えれば背筋が冷たくなります。

ということで、なんと申しましょうか、人間、何かに感謝し、宇宙の奇蹟を見つめながら進化しなければいけませんね? ・・・え、それは当たり前、当然、・・・偉そうなことをぬかすな、ですか?

 これ、また、たいへん失礼いたしました。あたふた、すたこらさっさ〜、これにて、バイバーイ! See you tomorrow!

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1月18(火)  伊江島女子救護隊、最後の総突撃  

昭和20年4月16日早朝、米軍は伊江島への上陸作戦を開始した。島を取り巻く米軍第5艦隊所属の戦艦、巡洋艦、駆逐艦から艦砲弾がいっせいに発射され、伊江島は瞬時にして火炎地獄、修羅場と化した。

空からは雲霞のように艦載機が急降下を繰り返し、ナパーム弾やロケット弾攻撃を続けた。伊江島は長さ約8キロ、幅3キロの小さな島で、北よりの所に海抜170メートルの城山が立っている。その麓の直径は約600メートルで洞窟の中に戦闘指揮所があった。

伊江島の日本軍兵力は将兵2700、防衛隊800の計3500名であった。その外に女子救護班(70名)、女子協力隊(?)、少年義勇隊(20名)、青年義勇隊(720名)が戦闘に参加していた。

しかし、銃を持ったのは将兵だけで、防衛隊は数名しか銃は持てず、残りは全員、竹やりであった。これでは巨大怪獣にツマヨウジで立ち向かうようなもので、戦わずして勝敗は決まっていた。

この猛爆撃に対して日本軍は応戦の態勢がとれず、洞窟に閉じ込められた状態となった。唯一の効果的反撃手段は夜陰にまぎれ、斬り込みの肉弾戦を敢行する戦法しかなかった。伊江島地区隊長・井川正少佐は全部隊将兵に次のような訓示を伝達している。

「全員生死を超越し、全力を尽くして一人でも多くの敵兵を撃滅し、一台でも多くの戦車を撃滅し、一日でも長く飛行場の占領を妨害し、たとえ我々は伊江城山の麓に屍を晒すとも、これにより沖縄本島友軍に裨益せん」

米軍は午前8時、伊江島西側の山山海岸から上陸を開始した。それに対して田村大隊所属の柴田邦夫少尉が、小隊を率いて壕を飛び出して激しく交戦したが、物量に物を言わせる米軍の前にはひとたまりもなく、全滅した。

その報告を伝令から受けた井川地区隊長は

「生死勝敗は問題にあらず。死すとも悔いなき戦闘を遂行すべし」

という全滅覚悟の訓辞を各部隊に発した。午後一時、独立速射砲第7大隊第1中隊が猛反撃を開始した。城山西方の一キロまで進撃してきた敵戦車群はこれによって4台以上を爆破されて後退した。

その夜、各中隊から20組の斬り込み隊が編成されて突撃し、戦車7両を破壊した。さらに田村大隊からは、兵と住民による斬り込み隊が結成されて敵軍に突入、全滅した。

19日には、前田小隊が城山北方で肉弾攻撃を敢行して全滅。・・・このような斬り込みが連日連夜敢行され、玉砕が続いた。

しかし、敵の勢力はあまりにも膨大であった。日本軍の攻撃10に対して、米軍はそれの数百倍のお返しをする。ついに日本軍は精根尽き果て、4月20日、城山の洞窟に堅く封じ込められた。

壕内には将校10名、兵員150名余、そして、女子救護班6名、と一般住民多数が潜んでいた。井川少佐はその夜8時、最後の総突撃命令を下した。出撃前、酒が酌み交わされ、煙草も支給された。

女子救護班の6名は、大城寿美子(26歳)、真栄田節子(23歳)、大城ハル子(23歳)、永山ハル子(24歳)、崎山ヨシ子(21歳)、大城シゲ(19歳)、であった。彼女らは自ら志願し、斬り込み隊に加わった。まず、髪を切り落とし、白い鉢巻を締めて、その上から鉄兜を被り、軍服をまとった。

すると、乳飲み子を背負った女が、自分も斬り込みに参加する、と言い出した。続いて40名あまりの老人、女たちも「祖国のために命を捧げる」と叫んで立ち上がった。

井川少佐は感涙でしばらく声が出なかった。・・・だが、彼らを死なすべきではない、という思いがこみ上げ、斬り込み参加を拒絶した。そして、19歳の大城シゲも斬り込み隊から外された。シゲは泣きながら激しく懇願した。

「いままで戦ってきたのは何のためですか、霊峰富士聳える神国日本のために死ぬためだったのです。ここで生き残って米兵の陵辱を受けて生き恥を晒したくはありません」

シゲはすがってさらに懇願した。その気迫に井川少佐はたじろいだが、断固としてその要求を受け入れることはしなかった。

「きさまらはここで死ね。足手まといになる。ここで死ぬのも、戦って死ぬのも国のために死ぬことに変わりはない。我々が斬り込んだあと速射砲弾の火薬に点火して全員自決せよ、靖国神社で会おう・・・」

壕には足に負傷した一等兵も残された。彼の役は斬り込み隊が出たあと、速射砲弾に点火して爆発させることであった。

急造爆雷とは木箱に火薬をいっぱい詰めて導火線を取り付けたものであった。それを背負い、マッチを持って女子斬り込み隊は兵の後に続いて壕を出て行った。時に昭和20年4月21日、午前4時30分であった。

しばらくして、赤子を背負った女が竹やりを持って飛び出して行った。「1人でも多くの敵を殺す」 という凄まじい執念によるものであった。轟音と炸裂音が一段と激しくなり、島全体が断末魔の痙攣に何度も震えた。

洞窟の至る所で手榴弾が爆発した。家族が輪になって布団を被り、真ん中に手榴弾を置いて爆発させる。それでも死ねないでいると、お互い棍棒や岩で頭を打って止めをさした。爆発のたびに肉片と血飛沫が飛び散り、岩肌に張り付いていく。

シゲは火薬の爆発を待ちながら妹の手を握り、横になっていた。しかし、爆発はしなかった。井川少佐の命令で、残された負傷兵が砲弾に点火しなかった、と思えてならない。

大城シゲ、伊江島女子斬り込み隊の唯一の生き残りであった。

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1月17日(月) 小説 神様との会話

雪の降る真夜中、1人公園のベンチに座って缶コーヒーを飲んでいた。なぜか私はこういう雰囲気が大好きでございまして、積雪の状況に ”大古のときめき” を覚えるのであります。

雨ですと濡れて風邪を引きますが、雪は払えば落ちるだけで衣服を濡らせませんので、その点、性質が良いのでございます。しんしんと雪が降る。そして辺りが銀世界に転じながら、闇の広がりに白い幕を引いていく。

 ”大古のときめき” ・・・それは200万年ほど前、私がアウストラロピテクスをやっていた頃、洞窟の中で火を燃やし、外の雪景色を見つめながら、獣の焼肉を食っていたあの喜びなのかも知れない。

側には裸の嫁さんがいて、数人の側室、そして、私に似た大勢の子供たちがにぎやかに騒いでいる。私が石の斧でたたき殺して持ち帰ったイノシシと、熊の血の滴る肉にかぶり付きながら原始家族が喜んでいる。その幸福感の波動が時を越えて伝わってくるのであります。

私はそのときめきに陶酔し、天駆ける白馬に乗って時空を彷徨い続けていた。突然、冷たい風が吹いて雪が巻き上がり、目の前にボロをまとったみすぼらしい男が現れた。強烈な悪臭を放っておりまして、どう見てもホームレスとしか思えない風体であった。

男はしばらく私が手にしている缶コーヒーをじーっと見つめた後、臭い息を吐き出しながら言った。

「そのコーヒー、どんな味がするか試させてくれませんか?」

私は快くその申し出に応じ、缶コーヒーを差し出した。男はそれを奪い取り、一気に飲み干してしまった。そこで、幸いおにぎりも持っておりましたので、肩掛けバックから取り出しまして彼に与えた。

彼は雪明りの中で目を白黒させながら、それにかぶり付き、あっという間に胃の中へ流し込んでしまった。それから彼は私の側に座り、煙草はないか、と言った。

私は煙草を止めて18年になる。申し訳ないが持っていない、と答えるとがっくりと肩を落とした。それからしばらくして、上を向き、顔に雪を受けながら言った。

「実は、私は神様なんです・・・」

私は吃驚した。神様というのは光に包まれて気高く、極楽浄土で優雅に存在している。しかも、全知全能の宇宙の創造主、というイメージしかなかったからだ。

「え? ・・・あなたが神様? たいへん失礼ですけど、私には信じられません。神様というのはそんなに汚くて臭いのですか?」

「汚いとか、臭いとか、そんなのはビックバン以前の問題だ。お前が臭いものは、ゴキブリからすると焼き鳥の臭いだ。逆にお前ら人間は、宇宙の臭覚からすると臭いのだ。毒ガス以上の腐ったオナラかもしれない。・・・人間なんってほんとに困ったものだ。この世の奇蹟の全てをクソのように思っている。しかも、一番偉いと威張っているから始末が悪い・・・」

私は立ち上がって歩いた。神様は座ったまま「悪いね〜」と言った。さすが神様である。私が考えていることがすぐに分かるらしい。道路を隔ててコンビニがある。そこでマイルド・セブンとライター、それにワンカップ2つを買ってもどった。

神様には遠慮はなかった。一つのワンカップの酒を一気に飲み、煙草をすっぱすっぱ吸いはじめた。

「ありがとう、おかげでこの世に希望が湧いてきた。壊そうか、壊すまいかと悩んでいたところだったんだ。あんたのような馬鹿な人間がいることはちゃんと分かっていたが、こうして会って話をしないと具体性に到達できないのだ」

「その・・・、壊すってこの宇宙のことですか?」

「アー、そうだ。200億年前からここまで来るのに、何度も何度も苦労を重ねながら修正してきた。しかし、それでも出来が悪いので、壊してしまって初めから作りなおうそうかと思っていたところだ。しかし、馬鹿なお前と会って、もう一度修正することにした。・・・言い換えればこの宇宙はお前という馬鹿がたった今、救ったようなものだ。褒美としてなんでも望みをかなえてやろう。遠慮なく言え・・・」

「はー、そう言われても、私には何もありません・・・」

「ん? 何かあるだろう? 大金持ちになるとか、立派な成功者になるとか、宇宙の王様になるとか・・・?」

「そんなの、どうでもいいことです。生きている、それだけで儲けものです。・・・それより、質問ですが、貧乏神とか疫病神、死神というのもあなたのことですか?」

神様はニヤニヤと笑った。それからゆっくりと表情を変えて怒りの顔となった。

「そんなの居るわけねーだろう〜、みな、人間の歪んだ心理と人格が作り出した幻覚だ。いいか、よく聴け、この世に憑物とか悪霊、化け物、幽霊、祟りなんってものはない。全て人間の醜さと脆さと愚かさの幻影だ」

「・・・分かるような、分からないような、難しいですね? ・・・では、もう一つ、今、世界のどこかで犯罪が行われている。赤ちゃんが虐待されて殺され、変質者に児童が殺され、大津波や地震、雷、火事、親父、で大勢の無実の人間が殺されている。それをなぜ事前に阻止して、あなたの無限の力で助けないのですか?」

神様は悲しそうな表情をし、それから大粒の涙を流しながら言った。

「それが出来ないのだ。私は宇宙を作ったが、それは完璧で冷厳な事象物象の理法が支配する。私の意志が介入すると、宇宙自体そのものが嘘、偽りの世界となって消滅する。つまり、私が出来ることは作るか、壊すかの2面しかないのだ。あとは生命体のそれぞれが己の力でいかに進化し、繁栄していくかにかかっている。だから、人間は互いに助け合って、心を美しくし、愛と思いやりを持って正義を貫いてくれ、といろいろな教祖を通して伝えてきたのだ。・・・しかし、人間はそれを悪用し、自分勝手な道を歩んでいる〜〜〜」

神様はそれから再び、ワンカップを飲み、煙草に火をつけてスパスパ吸った。その時、数人の不良少年が金属バットや鉄パイプを持って現れた。モヒカン刈りの頭や丸坊主、そそりたつ茶髪頭、悪鬼のような恐ろしい連中ばかりであった。

「へへへへへ〜〜、おっちゃんたち、俺たちはいまマスコミで有名な ”クズ人間始末隊” だ。クズは掃除する。この金属バットが汚れるが、死んでもらう!」

そう言うや不良たちは一斉に襲い掛かってきた。金属バットや鉄パイプが神様の身体に容赦なく打ち据えられ、その頭を砕いた。私はロープで手足を縛られ木の枝に吊るされた。神様を始末したあと、私をゆっくりとなぶり殺しにするつもりであった。

「みんな、この方は神様だ、そんなことをしてはならない、暴力はいけません、優しい心になりましょう!」

しかし、少年たちは狂喜乱舞、私の言葉は全く聞こえない状態となっていた。神様はついにばらばらになってしまった。そこで、私は神様に怒鳴った。

「あなた、神様でしょう? その全能パワーでなぜ、この悪ガキどもをコテンパンにしないのですか?」

すると、壊れて眼球の飛び出した頭が浮かび上がって答えた。

「さっきも言っただろう、私はこの世を作ることと壊すことしか出来ない・・・と。一切の事象物象に私は口出しが出来ないのだ〜」

私の目の前に浮かんだ頭は雪にまみれ、悲しそうな表情を見せた。少年たちは雷に打たれたようにあ然として突っ立った。それから、ばらばらになった神様の身体が青白く輝きながら浮かび上がり、空中で合体して元の体になった。

「神様、すみません、人間を見捨てないでください。・・・この世を壊さないでください・・・!」

「分かった、神に2言はない。・・・あと、一億年は修正に励むことにする。 ワンカップ、うまかった〜〜、次は泡盛とワインを飲ませてくれ! じゃー、これにて失礼する、バイバ〜イ、See you next time ! 」

神様はそう言うや空を隠す超巨大な伝説の怪鳥、ロック鳥となり、壮大な翼を広げて雪空の彼方へ消えていった。私を縛っていたロープが青白く光って消えた。私の身体は雪降る空間をしばらく浮遊したあと、地面にゆっくりと着地した。

少年たちが悲鳴を上げて一目散に逃げていった。

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1月15日(木) 「コーラン」と「悪魔の詩」

生まれる前に父が死に、6歳の時、母は死んだ。彼はそれから祖父や叔父たちの家をたらい回しにされ、最後に叔父アブドル・ムッタリブに引き取られて育てられた。

生まれたところはアラビア半島のオアシスの町メッカで、クライシュ族のハーシム家という名門商人の家柄であった。彼の名はムハンマド、別名マホメットであります。なお、このマホメットという呼び名は、イスラム教徒には嫌われておりますので使わないほうがいいと思います。

彼は子供の頃から隊商に加わっていろいろと経験をつんでいくのですが、25歳のとき、ハディーシャというおばさんのところで働くようになった。そこで、40歳の後家さんである彼女に気に入られましてプロポーズされ、ご結婚なされたのであります。

25歳と40歳、ねーさん女房、・・・いいですね? それから二人の間に5人の子供が出来るのですが、当時としては超高齢出産となりますので感心いたします。

ハディーシャは貿易隊商の大富豪でしたので、生活は安定、老後は年金を貰わなくても保証されていたわけであります。ところが生活の安定が保証されますと、彼はなぜか洞窟に篭るようになります。

ハディーシャの欲求が強烈すぎて、それから逃れるためであったのか、あるいは、あまりにも励みすぎて疲労度が限界点に達したためなのか、その辺は定かではありませんが、ようするに、洞窟籠りが多くなったのでございます。

そういう時、ある日突然、天使ガブリエルが現れて、ムハンマドがアラーの神の唯一の預言者である、ということを告げたのであります。

そのショックで彼は重い病気になって朦朧となるのですが、ガブリエルが提供した ”黒い苦い液体” を飲まされて元気回復したのであります。これをアラビア語で力という意味の「qahwah=カウア」と呼び、どうやら「コーヒー」の語源らしい、ということであります。

それから彼の布教活動が始ったのであります。「アラーがただ1人の神であり、宇宙の創造主である」 彼は声を高らかに説教しまわった。しかし、誰も彼の言葉に耳を貸そうとはしなかった。

唯一、彼を庇護し、彼の神託を信じた信者第一号は、ねーさん女房のハディジアでありました。こういう思いやりのある奥さんを持ちますと、亭主はどこまでも出世するのであります。また、そういう奥さんである、という事は、そういう奥さんにならざるを得ないという、素晴らしいところを亭主が持っていた、ということにもなりますね?

事実、彼はとっても優しいところがあったのであります。ある日、外出しようといたしましたところ、飼っていた猫の「ムエザ」が彼のよそ行きの着物の上で昼寝をしていたのであります。

普通ですと猫を蹴飛ばして着物を取るのですが、彼はそういうことはせずに、寝ているところの周りを鋏か何かでそっと切り抜き、穴の空いたその着物を着けて出かけたのであります。猫の安眠を妨害してはならない、という優しさの成せる業でありました。

その後、彼は、昨日の日記で述べましたような波乱万丈の人生を歩み、イスラム教を世界の至る所へ広める原動力を築き上げたのであります。

途中、奥さんのハディージャは65歳で亡くなり、母方の 叔母ハウラの勧めで二人の妻を娶ります。1人は、熱心な信者で30歳のサウダ、もう1人は親友の娘で、6歳のアーシャイでありました。

アーシャイとは婚約だけで、9歳になったときに正式な嫁さんとして迎えております。時にムハンマドが50歳のときであります。

その後、彼は10人の妻を持ちます。当時は一夫多妻が当たり前でしたので、道徳観念を阻害するような罪責の念はなかった。かえって、実力者の証として賞賛されたのでございます。

1989年2月14日、アヤトラ・ホメイニ師は「悪魔の詩」の作者サルマン・ラシュディと、その発行人に対して処刑宣告をした。

翌日、それを受けて、イランのホルダホ財団はラシュディを処刑した者にイラン人の場合は3億6000万円、外国人には1億2500万円を与える、と発表した。

その「悪魔の詩」と申しますのは、イスラム教の聖典コーランを指すもので、上述の一夫多妻の件を卑猥的に捕らえ、反コーラン的色彩を露骨に表現しております。

たとえば、ムハンマドを「小さな野郎」と呼び、妻の死後、一年の間に髭が半分白くなるほど大勢の女と寝た「道楽者」であるとした。さらに、イスラム教徒が崇める聖人たちを ”チンピラ、かす、くそったれ道化” の三位一体であるとし、イスラム教徒が尊敬するビラルという方を「黒い巨大な怪物」とけなしております。

「コーラン」と申しますのは、礼拝、貧困救済、道徳的潔白、自己規律、神への服従を強く打ち出しておるものですが、この「悪魔の詩」はそれを真っ向からけなすものであります。コーランは屁のこき方、セックスのやり方、犯した犯罪の消し方、性交の正しい方法と間違った方法、などについて長々と詠っているものである、というのであります。

考えて見ますと、これはイスラム教に対する最大の侮辱ですね? 怒らないほうがおかしいと思いますが、しかし、それにたいして「殺せ」というのは、アラーの神の御心に反するのではないかと思えたりします。

しかも、この「悪魔の詩」の作者サルマン・ラシュディという方は、国籍は英国ですが、ボンベイ生まれのイスラム教徒であります。

この「悪魔の詩」は15ヶ国語に翻訳され、イギリス国内だけで100万部売り上げのベストセラーとなっております。しかし、身の危険を感じた作者サルマン・ラシュディは、1990年9月に今後の出版は許可しないという誓約書をエジプト宗教相やイスラム教学者グループと交わしております。

それから翌年の7月12日、筑波大学の五十嵐一助教授が構内において、何者かによって刺殺されましたが、「悪魔の詩」の翻訳者であるための「処刑」であるとみなされております。処刑人はシーア派イスラム教徒のイラン人という見方が有力であります。

以上、長々とことの仔細を記述しましたが、要するに何が言いたいのかと申しますと、怖いのは、人命を守るべきはずの神の教えが、逆に殺戮に向けられる、という点であります。

全人類、全生命体、万物はこの宇宙という一つの根源、創造の親を共有しているのではないのか? 神を冒涜し、神に反する、という事はどういうことなのか?

 己の意に反するゆえに殺す、ということこそ神への冒涜ではないのか? 人間の軽侮嘲笑、罵倒、恨み言など、冒涜と名のつくあらゆるものは、宇宙の無限性、根源の親には羽毛を揺らすそよ風にもならない。

真実の神は寛大無限であることを知り、世界一列兄弟姉妹である、という認識の下に宗教の枠を超えて全人類は互いに助け合うべきであります。

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1月13日(木) 汝の敵を愛せ

聖書は人間に「汝の敵を愛せ」と言い、さらに「汝の隣人を愛せ」とも言っております。

ということは同じ「愛」という線上ですので、敵と隣人は同じ、ということになりますか? つまり、隣人は敵であり、その敵は愛さねばならない、ということになります。

敵を愛する、という事は普通の人間には出来ることではありません。しかし、イエス様はそれが出来た。自分を拷問し、はり付けにして殺した敵に対しても、哀れみと同情を注いだのであります。普通の人間に言わせれば、「異常で、頭が狂っているのでは?」 となる。

 ・・・私は別にキリスト教を信仰しているわけではないが、真理なるもの、本物なるものには賛同し、同調する。イエスの敵を愛し、隣人を愛したということは本物であり、真実ですので、宗教教団としてのイエスではなく、宇宙次元における真理のイエスとして尊敬している、というわけであります。

つまり、何を言いたいのかと申しますと、営利目的の、他宗との競争、戦いに明け暮れする宗教団体企業は敵でありますが、そんな敵は愛することは出来ない、ということなのであります。神の名の下において人を殺す、そういう教団が世界中にはびこっておりますので、人類に真の平和は訪れないのであります。

メッカのヒラー山の洞窟で、アラーの神の啓示を受けたマホメット(571〜632)は、メジナにおいて預言者として名を上げた。それから政治的支配者・武将となり、メッカ軍を破って追放されたメッカに戻ったのであります。

そこでカーバ神殿の偶像全てを破壊し、「真なるもの来たれり、偽りなるもの去る」という言葉を残した。それからアラビヤ全土を支配するに及び、イスラム教がその時から世界的に広がったのであります。

そのマホメット様が「自分には山を呼び寄せる力がある」と、とんでもないことを人々に豪語した。そして、よせばいいものを大勢の人々の前で、「山を呼び寄せ、その力を証明する」と言い出したのであります。民衆は固唾を飲んでマホメットと山を見つめた。

「山よ、こっちにこーい、こっちには106人の処女美女がいる。みんなお前のものだ〜〜〜〜」

しかし、何度マホメットが叫んでも山はびくともしなかった。「動かざること山の如く、静かなること林の如く・・・、」 という孫武さんの兵法書を読まなかったのでしょうね? しかし、マホメットはただ者ではない。これしきのことでびくともしなかったのであります。山が動かないのを見て彼は叫んだのであります。

「おまえが、どうしてもマホメットのところへ来ないのなら、マホメットがそっちへ行ってやる〜〜〜」

となって一件落着したのでございます。・・・さすが、世界三大宗教の一つ、イスラム教の教祖ですね? しかし、今の世界情勢を見つめますと、爆弾自爆テロ、反乱、暗殺、戦争、・・・アラーの神の名の下に行われているのは少なくありません。

仏陀は「執着を捨て、涅槃の境地になれ・・・」と言い、イエスは「汝の敵を愛せ」、そしてマホメットは「敵は片っ端から殺せ・・・」 となっておりますが、どちらが真実で、本物か、・・・人間一人一人が完成された人格の眼で見つめねばならないと思います。

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1月12日(水) 昔からの言い伝えは大事に守りましょう

宮古島に住んでいた小学生のころの話ですが、ある日の昼下がり、ホラ貝が鳴り響き、村人たちが血相を変えて近くの小高い丘へと走り出した。津波が来る、という情報が広がったからです。昔からの言い伝えで津波が来たときは、その丘へ逃げる慣わしになっていた。

しかし、家族と共に丘に上がって海のほうを見ましたが、津波の来る様子はなかった。村人たちのちょっとした会話から、大きなデマへと拡大したもので、田舎では良くあることです。そして、津波が来ないことを確認して、安心した大人たちは円座を組んで座り、泡盛を飲みながら歌ったり、踊ったりのドンちゃん騒ぎとなった。隠れた知恵者が酒宴目的のため、綿密な計略を巡らしたものと思われます。

そういうことが年に2・3回はありましたので、最近まで津波の恐ろしさというのが全く認識できずにいた。昔、大津波があって、宮古、八重山の島民、11、861人が流亡したという記録が残っております。1771年4月24日午前8時に起こった地震(M・G7)による津波で「明和の大津波」と呼ばれるものです。

その時の教訓が数百年間も引き継がれてきたわけです。しかし、この間の沈黙は私たちに大きな油断と、自然に対する侮りを与えていると思います。犠牲者30万、ともいわれる今回のスマトラ沖地震・津波、・・・昔からの慣わしがいかに重大であるか、改めて思い知らされました。

今、宮古島の海岸は観光名所として脚光を浴びております。しかし、大津波はいつ襲いかかって来るか、全く予測できません。地震があって水が引く、その時は急いで高台目指して逃げましょう!

 スマトラでは、水が引いたとき、逃げるどころか、珍しがって集まってきた人々が少なくなかった、と言います。知らないということ、命取りですね? 海に行ったときは十分に気をつけましょう!

古里・宮古島の砂山です


子供の頃ここでよく遊び、泳ぎました

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1月9日(日)  5発5中

25歳の頃、自衛隊にいた。・・・私が ”立派な軍人” になることを戦死した父が強く望んでいた、と母や親戚から聞かされていたので、供養のためにも一生に一度ぐらいは自衛隊に入るべきだ、と思って入隊したのであります。

最初は琵琶湖の畔、陸上自衛隊大津駐屯地の第109教育大隊で徹底的に教育訓練された。起床ラッパと同時に、朝6時起床、急いで戦闘服を着け、半長靴を履いて紐を編み上げて結び、5分内にグランドに集合する。そして、点呼が始る。

「佐伯区隊、総員52名、現在51名、1名は夜逃げ、番号〜、はじめ〜・・・」 「1,2,3、4,5,6、・・・・・〜51、けーつ・・・」 「51名現在、異常なーし・・・」

となり、それが終わりますと朝食となって、一時間後に厳しい訓練の開始となります。そして、3ヶ月間の前期教育期間が終わりに近づく頃、各区隊(小隊)対抗の射撃大会が開催された。なぜか佐伯区隊代表として私が指名された。

まだ、自衛隊のヒヨコ達ですので、古いライフル銃が使われ、伏射での競技となった。標的は50メートルほど先に設置されていたと思う。

正方形の板に、一つの芯を共有する円が大、中、小、と5つほど描かれておりまして、中心の白点に当たりますと10点、そして、外側の圏内に行くにつれて9点、8点、7点、となっていくのであります。

その頃、自衛隊は税金泥棒といわれて肩身が狭く、国家予算は微々たるものでしたので、5発しか弾は撃てなかった。しかも、傍にはすくい網を持った隊員が身構えておりまして、撃つたびに跳ね上がる空の薬きょうをすくい取る。この薬きょうで新たな弾丸を作るのであります。

当時のライフルの弾丸一発はピースと同じで40円でした。現在では150円ほどとなりますか・・・? そんなことはどうでもいいことですが、私は精神を集中し、照準孔から標的を睨んだ。視力2・0でしたが、標的が小さく見える。ましてや中心点はほとんど見えないのであります。側では担任の教官が「絶対に優勝しろ!」と言わんばかりの恐ろしい眼で睨んでいる。

引き金は撃鉄がいつ落ちたか分からないくらいにゆっくりと引く。わずかでも銃身に指のショックが走ると弾はとんでもない所へ飛んでいくのだ。その日ごろの教えと訓練を思い起こしながら私は引き金を引いた。轟音と共に肩に銃床の強い衝撃が炸裂する。一発目、見事にど真ん中、10点を射止めた。担任教官・渡辺一曹が歓声を上げた。

続いて、2発、3発、4発、5発、・・・だが、その弾痕が標的のどこにもない、最初の一発の穴だけがあるだけであった。同僚や教官、そして、佐伯区隊長の顔がくもり、失望の色を濃くした。

「残念、3年連続優勝は確実と思ったが・・・、これで記録更新はだめか・・・」

渡辺一曹がつぶやいた。私は責任を強く感じて消えてしまいたい思いだった。 そして、審判団が標的を一つ一つ調べ上げたあと、成績を発表した。

「最高点は50点満点で、佐伯区隊の広大二士、50点。5発ともすべて同じ一つの穴を貫通している。これは当教育大隊はじまって以来の、最高得点中の最高である・・・」

5発5中、歓声が爆発、私は級友たちからもみくちゃにされた。そのおかげだと思うが、卒業時の式典で私は中隊長賞を頂いた。

ありがたいことで、いまでも戦死した父の供養として大切に保管しております。

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1月7日(金) 神様の商売  

正月2日、ある有名な神社へ初参りに行ったのですが、その参道の両側に屋台がずらりと並んでおりました。

焼き鳥、お好み焼き、焼きそば、肉じゃが、酒、ビール、・・・数えればキリがありませんが、神様を拝みに行ったのか、屋台を拝みに行ったのか、わけが分からなくなってしまいました。神様を拝む人よりも屋台の前に群がる人の数が数百倍も多かったのであります。

年に一度か二度の稼ぎ時、掛け声や呼び込みの声も力が入っておりました。それに誘われて人の波が次々と入っていく。良く売れるのは、焼きそば、焼き鳥、お好み焼き、ラーメン、酒、ビール、ソーセージ、その他いろいろで、たいへん賑やかであります。

私はお賽銭1000円を投げ入れまして、手を合わせて世界平和と無病息災、宝くじ3億円が当たりますようにと祈って引き返した。そして、賑やかな参道を歩いたのですが、ふと、あることに気がついた。

行列が並んで、店主が忙しく動き回っている屋台と、閑古鳥が鳴き、売れないお好み焼きを、山と積み上げて突っ立っている屋台主、その差がはっきりとしているのであります。

何でだろう??? と考えたのですが、最初は分からなかった。 そして、それが値段によるものだ、ということが分かった。お好み焼き、600円、これは高いですね? 荒引きソーセージ、一本500円、・・・これも高すぎます。そして、ワンカップ500円、これはあまりにもひどい。

そして、行列の出来ているところは、お好み焼き、焼きそば300円、ソーセージ一本100円、豚汁100円、ワンカップ300円、その他いろいろ、高いと感じない値段表示をしている屋台に、長い行列が出来ているのであります。それと、値段の表示のない屋台にも閑古鳥が鳴いておりました。これは危険、罠が仕掛けられている、と思われてしまいます。

こういう神様がお鎮まりくださるところで商売をするとなると、神様の商売をしなければならないと思います。買う人がおれば、いくらでも高く売ってやろう、とか、値段を下げる代わりに量を少なくしたり、製品の安物を使ったり、分かりさえしなければ腐っていても売ってしまえ、となりますと神様のたたりが出てくるのであります。

人様が喜ぶ姿を見て共に喜ぼう、という精神で安く売る。こちらの儲け3分、お客様の儲け5分、神様の儲け2分、それが神様の商売であります。今の日本、デフレ、とよく言いますが、とんでもない、これが標準で正常なのであります。

あまり儲け主義を強く打ち出し、お客様に不快な思いや、高く買わされたという概念を与えてしまいますと、その商売は倒産します。良い品を安く売る、そういう主義に徹している経営者はいつまでも繁盛します。

いろいろと見せ付けられ、考えさせられた初詣でございました。いい品物をたくさん仕入れて安く売る、これからの厳しい商売を生き抜き、繁栄するためにはこれしかないと思います。

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1月6日(木)  人類滅亡  

1994年7月17日〜22日にかけてSL9という彗星が木星に衝突した。その衝突エネルギ−は広島型原爆の一億倍であったと計算されております。人類が初めて目撃した天体大型激突ショーでありました。

その彗星は衝突前に20個に分裂いたしまして、直径500メートルから大きいもので5キロと計算されていた。したがって、6500万年前、恐竜を絶滅させた隕石の直径が約10キロといわれておりましたので、それらが作るクレーターは望遠鏡では観測出来ないほどの小さなものであろう、と考えられていたのであります。

ところが衝突が始りますと、次々と巨大化して行く火炎の塊が出来、あっという間に地球と同じ大きさのきのこ雲と衝突痕が目撃されたのであります。

ということは直径がたった1キロの隕石で、恐竜どころか地球全体が壊滅状態になってしまう、ということであります。それで、ユカタン半島の巨大クレーターは直径10キロの隕石ではなく、数百メートルほどであったかも、ということになっております。

米航空宇宙局(NASA)の研究チームによりますと、太陽系の中だけで、地球に接近衝突する恐れのある1キロ以上の小惑星は1000個あるそうです。これでは安心して星空を眺めながら美しい彼女とビールを酌み交わし、永久の愛を誓う、ということは出来そうもありませんね?

それと、121年後の話ですが、2126年の8月14日、スウィフト・タットル彗星というのが地球に衝突することが明らかとなっております。この彗星の発見者は臨死体験ではなくて、死亡体験された木内鶴彦という天才学者であります。

この彗星の大きさは直径が20キロですから地球はひとたまりもありません。おそらく火炎地獄、45億年前の火の塊の地球に逆戻り、ということになります。落ちるところはインド洋あたりで、日本時間10時35分、となっております。

これは天下の一大事どころか、人類にとっての緊急一大事、ということで1994年の12月に64カ国が集まって国際会議が京都で開かれたのであります。全世界の核ミサイルを集中し、その彗星にぶっつけたらどうだろうか?

 しかし、それでも直径20キロの彗星ですからびくともしないそうです。ただ、その軌道がちょっとだけ変わり、約1億5万キロほど離れたところを通過していくかもしれない、と計算されました。

そこで、アメリカの前大統領、クリントン様が地球防衛宇宙構想なるものを打ち立てまして、16カ国で宇宙ステーション建設と研究を始めよう、ということに相成りました。その構想は受け継がれておりまして、宇宙ステーションが完成すれば、直ちにミサイル組み立てに取り掛かるはずです。

しかし、みなさん、これで安心してはなりません。121年後どころかたった数年後に、人類滅亡の可能性が出てきたのであります。これは ”ナンクル・ナイサ=なんとかなるさ” では済まされない問題であります。

2014年、酸素が稀薄になるらしいのです。現在の標高8000メートルの所と同じ酸素濃度となります。これですと酸素呼吸をする動物の全てが完全に死に絶えます。それは何故であろうか? ・・・実は植物学者たちが言っているのですが、2011年から2014年にかけて世界中の木が一斉に枯れ始めるらしい。

原因は植物が光害によってストレスに晒されるからだそうです。光害とは、夜の空が明るくなりすぎて植物が生命反応のリズムを狂わされることで、人間にはその重大さが全くわからないのであります。

人間の出す公害、排気ガス、二酸化炭素、それらを植物たちは黙々と酸素に変えてくれて、人間に奉仕してきた。その恩に対して人間は仇で返し続けてきたのだ。犬は3日飼えば死んでも主人に尽くす。しかし、人間は形勢が逆転すれば恩人をも金のために殺してしまう。全く情けない話でございます。

2011年といえばあと5年ですね? 木が一斉に枯れ始めますと、もう人間の手には負えないようです。 ただ、天地大自然の復元力、奇蹟に全てをまかすしか手段はないのかもしれません。

人間は科学文明を発展させ、万物をミクロからマクロにかけて分析し、解明し、素晴らしい発見と発明を連続させて今日の繁栄を築いた。しかし、その繁栄と素晴らしい頭脳にどう対処するかを全く考えてこなかったのであります。

今からでも遅くないと思う。愛と思いやりと正義の名の下に、この世、天地大自然、宇宙の無限性に対してどう対処し、どう報いていくべきが、人類は考える最終ラウンドに突き当たっていると思います。

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2005年1月4日(火)  宇宙と素粒子と心  

2003年11月14日、スバル望遠鏡が、地球から最も遠く離れた銀河を発見いたしました。かみのけ座付近にありまして、その距離はなんと129億光年であります。 ・・・ということはビックバンによって誕生した我々の宇宙はかるく、129億歳以上を過ぎている、ということになります。

百数十億年前の宇宙誕生、ビックバン、・・・凄いですね? 一体全体何があったのでしょうか? 全くこの世は、わけの分からないことだらけでございます。

偉い学者たちの話によりますと、計算では宇宙誕生の瞬間のゼロ点には絶対にたどり着けない、と申します。たどり着いて、解明できる限界点は、10の44乗分の一秒後の宇宙だそうです。

その時の温度は一兆℃の一兆倍のそのまた一億倍で、大きさは、10の33乗分の1センチ・・・。

つまり、今の無限に近い広がりを持つ宇宙全体を、電子顕微鏡で見える点よりもさらに小さな点に縮小した宇宙であります。こんなことってありうるのでしょうか? Unbelievable !  宇宙はSFよりも奇なりですね?

なぜ、計算ではゼロに辿り着けないのでしょうか? ゼロとは一体何でしょうか? それは[なにも無い] ということですね? その何も無いという事が判らないということなのであります。分からないものは分からない、これがこの世の定めであります。

たとえば、意識があって、それが眠気によってぼやけてくる。そして、意識が完全にゼロになった瞬間、そのゼロを意識することは不可能となります。宇宙始源のゼロにたどり着けない、ということはそのようなものでありまして、計算できる次元内からの離脱は、もはや計算自体も消滅して不可能、ということになります。

ところでこの意識、なんなのでしょうか? 不思議でなりません。夢を見ているとき、意識はどうなっているのでしょうか? ・・・6歳前後のころだったと思いますが、縁側で昼寝しておりましたとき、スズメの群れがカヤブキ屋根の天辺でにぎやかにさえずっておりました。

 その時の私の意識は現実と夢の境を漂っていた。 その意識が、スズメの感覚、あるいはテレパシイーのようなものと融合していたのであります。

スズメの内面にそのまま触れていて、その温もりや意図的なものが直に察知、了承できる。以心伝心とはこのことであります。地面、ミミズ、餌、行動開始、・・・そのような意味が何の仲介もなしに伝わってくる。ふと、横向きになって庭を見ますと、数羽のスズメが急降下してミミズをつっ突き、それをくわえて飛び立つ光景を現実の意識が捉えた。

4歳の時の戦場での出来事ですが、いきなり母に激しく押し倒され地面に伏せた。艦砲弾が近くで炸裂し、真っ赤な破片が不気味な音を共鳴させて飛び交った。そのあと、無数の敵機が飛来してロケット弾や機銃弾を打ちまくった。逃げ惑う避難民は次々と倒れ、肉片となって飛び散ったりした。

母の身体の下で伏せている私の意識に、突然、父の気配が侵入した。血まみれの父が苦しんでいて、母や姉、私のことを心配している。その心の痛み、悲しみ、絶望、無念、願望が何の抵抗も無く伝わってくる。

伏せている草原からは、東シナ海を隔てて火炎と煙に包まれ、爆発炎上を繰り返す伊江島が見える。父はそこで軍人として戦っている。私の本能は父の死を感知していた。

茫洋とした状態で、私は声に出して、父を繰り返し呼び続けていた。「お父さん、お父さん、お父さん・・・・・」  その時のことを母は、"父が最後を知らせた" と思い出すたびに言っております。

・・・その他、退行催眠によって前生に跳んだり、臨死体験上で肉体から遊離して天井から自分の姿を見つめたり、前生のことを覚えている少女が、前生住んでいた家に偶然、遭遇して、その土地の言葉を話し、家族の名前や癖性分、近隣の地形、建造物を言い当てた。と、まあ、このような事柄からも、意識というのはどうやら肉体と全く異質の独立した謎の存在、と言えそうであります。

最近になって、最先端の科学分野からも形而上的な存在が取り沙汰されるようになってきております。ニュートリノに質量があり、極限の素粒子、クオークはどうやら重力子(グラヴィトン)から出来ているのかもしれないという仮説、ブラックマター(暗黒物質)の正体解明、光速の300倍で光信号送信成功、陽電子、陰陽子・陰中性子,陰クオークなどからなる反原子製造など、相対性原理や量子力学の手に負えない新発見と仮説が次々と出てくるのでございます。

宇宙の質量、・・・? つまり、宇宙構成物質はどうなっているのでしょうか? いろいろと安物の百科事典やCDソフトで調べてみますと、物理的に観測可能な物質はたったの6%しかないそうです。

残り94%の内、23%がダークマター(暗黒物質)で、71%がダークエネルギー、となっております。そのダークマターは、もしかするとニュ−トリノではないか?といわれたりしましたが、どうやら違うようです。

クオークや電子、光子、グルオンなどのレプトン、ゲージ粒子などの大きさは、10のマイナス32乗センチ程度(100兆分の32センチ)といわれておりますが、それは大きさというより、情報、事象であり、性質、作用、という表現がぴったりなようです。

つまり、それらは突然現れたり、消滅したりを繰り返しているわけで、実体がつかめないのであります。

厳密に言えば、我々の宇宙は出現と消滅の連続によって揺らいでおりますので、究極の超素粒子は「気」であり、意識作用の根源といえるかもしれません。我々の肉体もしかりでありまして、1日に3千億個の細胞が死滅し、新たに3千億個の細胞が新生してバランスが保たれているのであります。

つまり、霊魂なるもの、意志、気力なるものが物質を作り出している、ということを最先端科学者たちが言いはじめているのであります。・・・あれ、またまた話が長くなってしまいました。この続きは明日、ということにいたします。では、皆さん、これにて失礼いたします。 See you tomorrow !

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2005年1月1日土曜日  心とはなんでしょうか?

みなさま、明けましておめでとうございます。雪景色の眩しい元旦でありまして、お空は日本晴れ、どこまでも真っ青であります。

今年も気力充実、やる気満々、愛と正義と思いやりの精神を持って、世界平和と心の完成のために共に頑張りましょう! ・・・何を、どう頑張るのか? それは難しくて分かりませんが、とにかく祈って、念じて働きましょう! 

さて、酒やめて1ヶ月がすぎました。おかげで脳波はさわやかなシンフォニーを奏で、60兆個の細胞の一つ一つがパワーアップしております。

 彼らは巨大にして広大な交響楽団を結成してベートーベンの「交響曲第9・合唱」を演奏、マグマ・マントルの狂乱怒涛爆発となりました。なお、合唱のテノールは60兆個の代表として、わたしがやらさせていただきました。

聴きたい方はご連絡ください。直ちに、自家用機で飛んでいきます。なお、ぬかみそが腐っても当方としては一切、責任を負いません。

健康というのはありがたいですね? 健康でないお方も大勢いて、ありがたくない毎日でしょうが、それでも、この世には我々のわからない何かが存在し、効力を発しておりますので、希望を失わず、全てを冷静に受け止めて、悟りを開いて頑張っていきましょう!

我々が健康か、健康でないかは、肉体の機能や組織体に異常があるかないか、ということであります。

その肉体を「心の牢獄」と申される方がおりますが、そのパラドックスも真なり、でありまして、「肉体は心の奴隷」であり、「心は肉体の残酷非情な虐待者」となっているのかもしれません。

たとえば、暴飲暴食、睡眠不足、肉体酷使、恨み、腹立ち、欲に傲慢、ストレス、これは肉体への虐待ですね? 悪心をずっと持ち続けておりますと、脳から猛毒の物質が分泌されまして、身体を破壊し、知らず知らずのうちに蝕んでいきます。

そして、あとは末期症状の手遅れとなりまして、肉体をこの天地大自然へお返ししなければならなくなります。この「悪心」は歩いた後の草木を枯らし、光を闇に変え、この世を地獄と化してしまいますから十分に気をつけましょう。

・・・つまり、悪心を持つということは肉体を虐待することであり、酒におぼれ、薬物に手を出し、欲望と言う名の暴走列車に乗り続けておりますと、肉体を殺してしまう、ということになります。

そういう意味で、肉体は心の奴隷であり、心は肉体の虐待者、と言えるのであります。我々はバランスの取れた精神状態を維持し、欲望とプライドを正しく制御して肉体を大切にし、健全な不老不死を目指さねばなりません。

ところで、その心と肉体の関係はどうなっているのでしょうか? つまり、心、意識作用、認識とは一体なんなのか? それは、肉体機能の高度な産物にすぎないのか?

 あるいは、魂という得体の知れない存在があって、それが肉体と癒着して肉体機能とその蓄積された情報を操作している、ということなのか? 人は死によって全てが終了する、ということなのか? あるいは、肉体は借り物で、肉体の死は魂の開放を意味するのか? 

謎は、謎をを呼び、視界ゼロの濃霧の中に、迷える羊が断末魔の悲鳴を木霊させるだけであります。わたしはわたしで、「第9」のテノールを絶叫、ぬかみそを腐らせてしまいます。

・・・しかし、男は黙って笑わねばなりません。いかなるときでも冷静沈着、豊富な片思いと失恋の経験を生かして、悟りの道を切り開いていかねばならないのであります。

膨大な時間を浪費してしまいますので、細々とした理論を抜きにして申し上げますが、肉体と心は全く異質のものであります。

心とは本体である魂が目覚めたようなものでありますから、状況識別と連動して自我を確立、幾重にも重なり合っている無意識内の本能、律動に押されて時の流れに乗っている現象であります。

脳組織とその機能は「心の棲み処」であり、心はそこに装備された情報を駆使して、自我と個性を発揮している、ということになります。

お正月ですので、きょうはこの辺で終わりとし、明日から心、精神、魂、という謎の存在に追跡調査の光芒を向けたいと思います。

 ・・・さて、どうなることか、わけが分からなくなって、「第9・合唱」を歌い出すのではないかと心配ですが、勇気を持って、行けるところまで行ってみましょう!

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