さわやか日記エッセイ
(2005.2.12〜3.11)

  English Dary   新聞投稿集 

 機械と心  遠い現場  サメに救われた話  助け合っていきましょう!  盲亀浮木の縁 

 チクよ、ありがとう 愛犬チクの怪   カラスの裁判  清く正しく  黒百合よ  一夫多妻  

昔のハンサムと美女  肉体と心、魂(2)  肉体と心、魂、(1)  おまわりも兵隊も逃げた  今日は何の日? 

きょうは猫の日  一円の買い物紳士  やる気と勇気が大切  古代歴史の厚いベール 127億光年の銀河団 

食物連鎖のトップにある者  純金ダイヤモンド箱 怖いのは大人 オンリ・ユー  顔は心の窓  リュウゼツラン


2005年3月11日(金)  機械と心

人口知能・「AI」 とは、簡単に言えば超高度な計算機と言えるかもしれませんね? 人間のような心を持つ機械はまだまだ出来ておりませんが、そういう分野への研究も最近、盛んに行われているようであります。

今のところ人工知能は、人間が頭を使ってやることを、人間の指令によって迅速かつ正確に計算して解答を出す、という段階です。しかし、インプットされた情報を基に、集計による確率を算出して、将来使える可能性をいろいろな条件下に定めるという、いわば学習に近いことをしでかすようになっております。

そして、その学習によって確立された新たな情報、知識を基に推論する、ということが出来るようになっております。人工知能対人間の将棋戦などが出来るようになったのも、その学習と推論のおかげであります。

しかし、それはあくまでも機械であって、「何でこうなるの? 何で君は美しいのだ?」という自我、主体性に基づく思考ではなくて、「馬が東を向けば、その尻尾は西を向いている。もし尻尾を東に向けるのなら、馬の頭は西に向くことになる」というルール的形式が組み込まれているに過ぎないのであります。

そこには心とか、感情、自覚作用などの機能は存在せず、生命反応のない高性能の情報処理システムがあるだけであります。そういう分野と対抗して、心なるものを機械に持たせようとする研究が着々と進んでおります。

その心とは何か? マサチューセッツ工学大学教授ミンスキーは、多数の微細な処理プロセスを集合させて統合し、それぞれを連結させて情報の伝達とその交換ができるようになったときに知性、すなわち心が出現する、と断言しております。

しかし、なんと申しましょうか、私に言わせれば、そこには機能だけが存在するのであって、心なるものは出現しないと思う。たとえば、泥酔状態になったとき、ただ機能的に言動し、弾みと加速度の延長線で行動する場合があり、そこには自己認識の心というのは存在しない。

つまり、心は脳の高度な働きの延長に過ぎない、とする見方がミンスキー教授の考えであり、本質的には心と脳は別のものである、というのが私の考えと信念であります。

機械に心を持たせる、それは、人間の霊魂なるものをその中に呼び込むことによって可能かも知れない。しかしそれはまた、新たな危険性への旅立ちでもあります。人間は悲しみと苦しみの中から喜びと幸せを引き出し、相互扶助の輝く未来へと進化を続けている。

機械に宿った心は果たしてどうなっていくか? 1000億個の脳神経細胞に宿る人間の心は脳機能や組織の欠陥、破損、病変などによって様々な異常性と悩みを人間にもたらし続けてきた。おそらく、完璧な機械に宿る心はそういう弊害から解放されるだろう。

果たして今後、いかなる展開を見せていくのか? ・・・そんな難しいこと、私には分かりません。 とりあえず、今日はこれにて失礼いたします。 明日からは心の問題について勉強していきます。 では、皆さん、See you tomorrow !

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2005年03月10日 遠い現場 

採用が決まった会社へ行きますと、社長と土木課長が待っていた。月曜日から始める私の仕事について打ち合わせするためであった。

「自分で言うのもなんですが、私はツルスコ・レーキ舞の達人、汗水流して全力で働き、会社を儲けさせることに全力を尽くします」

と申し上げますと、お二人さんのお顔が険しくなった。

「ゼウスさん、あなたには現場責任者になっていただきたい。1億5千万の工事ですので汗水流して働いてなんかはおれません。下請けに仕事は全て任せて、ゼウスさんは工期内に工事が完了できるよう全力を尽くしていただきたい。つまり、現場の総責任者ということで、一切の責任があなたにかかります。下請けの方々を如何に扱い、如何に能率的に働かせるか、全てゼウスさんの双肩にかかります・・・。工事経歴を調べた上での決定ですので、了承していただきたい」

と社長が言った。

肉体を酷使し、汗水流して働く、それが私の希望であります。人様に指図したり、役所と連絡を取ったり、工程表を作成し、その進行状況を掌握したり、図面を作成したり、とにかく面倒臭いことは嫌というほど経験しておりますので嫌であります。

「そうですか、それは残念です。私は労務者を希望しております。現場責任者は性にあいませんので、このたびは縁がなかったものとして、せっかくの採用ですが辞退させていただきます」

そう言って立ち上がろうといたしますと、二人は慌てて私を制した。

「まあ、そう言わずに、もう少し話を聞いてください。・・・では、この工事に関してだけ責任者となっていただき、その後はゼウスさんの望み通りにする、と言うことでどうでしょうか? 現場員が全て他の現場に取られて1人もいないのです。この工事に関してだけゼウスさんのお力をお借りしたいのですが、何とかお願いしますよ・・・」

社長と工事課長からそこまでいわれます、と自分の我を強引に通すわけにもいかない。そこで、事務員が運んできたお茶を飲みながら了承し、しばらく雑談した後、事務所を出た。監督ともなれば安易な気持ちではおられない。現場の状況、地形、埋設物、交通の便、あらゆる面からメスを入れていかねばならないのだ。2次製品の注文は全てなされているとのことであるから、後は下請けの親方と綿密に仕事の打ち合わせをしなければならない。

その最初の現場は・・・???、え〜〜〜〜、な、なんと桧原村(ひのはらむら)、山奥じゃあーりませんか〜〜〜。車で3時間余りはかかる〜、往復6時間、勤務時間とほとんど同じであります。 朝5時には家を出ないと間に合わないのだ。厳しいですね〜〜〜?

しかし、これが人生、男の世界は厳しいのだ。ファイトイッパーツ、皆さん、共にがんばっていきましょう! おそらく、日記も書けなくなると思いますが、休みのとき、まとめて書くことにいたします。

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2005年03月08日  サメに救われた話    

 9才が10才の頃、バナナの木を浮袋代わりにして珊瑚礁の海で泳いでいた。宮古島の海は真っ青で美しい反面、海流が入り乱れて危険な場所が多い。海面は穏やかでも2・3メートル下は激流が渦を巻いたりするのです。特に潮の満ち引きの時が凄まじく、気が付くと周囲は逆巻く渦潮に取り巻かれ、波に沈み行く干瀬に取り残されていたりする。

 昔はそれで行方不明になった人が大勢いたという。そうとは知らずに子供の私はバナナの幹に片腕を乗せてばたばた泳いでいた。ふと気が付くと島が遙か遠くに見えた。しかも凄いスピードで沖へ沖へと流されていたのです。私はビックリしてバナナの幹にしがみつき、懸命に足をばたつかせて島へと向かった。

 だが、海流の勢いは凄まじかった。あっという間に私は東シナ海のど真ん中へと引きずり込まれてしまった。島はもう見えない、見渡す限りの海原であった。私はわーわー、ぎゃーぎゃー泣き叫んだがカモメが上空で舞うだけで、助けはどこにもなかった。

 そのうち、バナナの幹がふやけて私の体を支えきれなくなり、ボロボロになってしまった。私は立ち泳ぎでしばらく浮かんでいたがとうとう力尽きて沈みかけた。

 その時である、私の股間にすべすべした個体が勢いよく入り込んで体を海面へ持ち上げた。それは肌を微動させながら凄いスピードで動いたのであります。私は必死になってしがみついた。しばらくして眼前に島の砂浜が現れ、そこへ私は放り投げられた。

 訳も分からずに立ち上がって海を見ると、大きなヒレが海面を切りながら沖へと去って行くところであった。サメだったのだ、私を救ったのは……。それ以来、私は得体の知れない何者かの存在を信じるようになった。

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2005年3月7日(月)  助け合っていきましょう!

国内における最近の自殺者数激増は異常としか思えない。集団自殺、無理心中、飛び降り、首吊り、睡眠薬、放火、など深刻で憂慮すべき事態である。世界保健機関(WHO)の昨年9月の調査によると、2003年の日本の自殺者総数は34427人となり、自殺率24・1という数字は世界第10位となります。

しかし、旧ソ連、東欧圏を除く主要先進国だけに焦点を合わせると、自殺率において日本はトップとなり、2位フランスの17・5人を大きく上回っております。日本の自殺者数は6年連続で3万人を超え、交通事故による死亡者8326人の4倍に達したことになります。この数字は毎日100人近くの人が自殺していることを示しています。

自殺は40代を中心とした働き盛りの男性が特に多く、原因は、負債56%、生活苦15%、事業不振12%、などとなっております。98年から自殺者3万人の時代となっておりますが、バブル崩壊時からの景気の先行き不安と状況悪化がそれらの大きな要因となっていると思う。自己責任を取っての自殺も増加しており、その背後に人命無視の不条理な動きが暗躍していることも見逃してはならないと思います。

たとえば商工ローンを利用したが高利率も影響して、その返済に行き詰まり、債権者側から臓器を売るか、あるいは死ぬことによって生命保険金で支払え、と脅迫されての自殺者がかなり出たのであります。政府は慌てて平成12年6月に出資法を改正し、年利40・004%を29・2%に引き下げたのですが、自己責任を取っての自殺は減少する気配はない。

時代を遡りますと、明治33年の自殺者は5863人で死亡率は13.4人となり、今よりかなり低くなっております。そして、昭和5年は、当時の人口64450000万人に対し、自殺者は19793で、自殺率は30人強となっている。今よりもはるかに高い数字です。同じ年のドイツは23人、ハンガリーが26人となっており、軍事大国当時の日本は自殺率では世界最大国という不名誉な一面もあったのです。

さらに、陸軍と海軍に絞っていきますと、昭和5年、陸軍自殺者56名、海軍自殺者41名の計97名となっている。自殺率は30人強となります。原因は最も多いのが精神の異常、疾病苦慮、婦人関係、借金、私的制裁、などとなっている。

この世は強くて優れたものが生き残って繁栄し、環境や状況に適応できない弱者や心身異常者は敗者として消滅する、という冷徹さは、勿論、厳然とした進化を促す掟として未来永劫へと続く。そういう観点から自殺者は敗者であり、心身ともに健全な者の肥やしとなって消え去る、という厳しい見方をする方が少なくはない。

しかし、これはあくまでも野生における自然淘汰の一手段であって、人間社会にこれを当てはめていくと、人間そのものが消滅することになる。地球が火の塊の時期を通過し、太陽の引力と自らの遠心力によって周回軌道を維持し、美しくも見事な水の惑星となって暗黒の宇宙空間で輝く、それは調和と共存、制御と修復の力が支配しているからである。

ということは、我々はいかなる人といえども、制御と修復の力を持って接し、共に共存進化の道を歩んでいかねばならない、ということになります。1人の人間を侮っていきますと、1人の人間によって全体の破滅を招く結果となりかねません。時代はそういう方向へ近づいているのです。

今日は堅苦しい話になってしまいましたが、肩が凝った方はヨーガできれいにほぐしましょう! 明日は、肩の凝らない話を取り上げます。では、皆さん、See you tomorrow !   Have a nice day !

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3月6日(日) 盲亀浮木の縁の奇蹟

鶴は千年、亀は万年、と昔の言い伝えがありますが、実際はそんなに長くは生きられませんね? 鶴はせいぜい50年、亀は150年が最高、といわれております。人間は心の柔軟性を持って、適度な運動と正しい食生活、規則正しい生活習慣を続けていけば200年は軽く生きられる、と最近の科学者たちは言っております。

その亀のことでありますが、大昔は10万年も長生きした亀がいたようです。私は信じませんが、これほど長生きいたしますと人間ならうんざりして、早く死にたい、と思うようになると思いますが、その亀さんは悟りを開いて、紆余得涅槃の境地にありましたので、のんびりと生を楽しんでいたと推察いたします。しかし、1000歳を過ぎますと、さすがに老化現象の為、視力が衰えて、ついには盲目になってしまいます。

しかし、それでもこの偉大な亀は平気でありまして、海底に100年間、昼寝と夜寝をした後、呼吸をするために海上へ浮かび上がってくるのであります。・・・紀元前400年頃、釈尊はその亀の話題を持ち出して、阿難という弟子に質問した。

「亀は海底での100年間の昼寝と夜寝から醒めて上昇を開始した。海面には小さな穴の空いた流木が漂っていた。亀が海面に頭を突き出したとき、頭がその穴にすっぽりと入った。・・・阿難よ、こういうことは現実にありうると思うか?」

阿難は笑いながら答えた。

「そんなこと絶対に有り得ません。大海に浮かぶ芥子粒の実に1キロ先から小石を投げて当てる以上に難しいことです」

すると釈尊はさらに言った。

「一人間の存在というのは、これと同じように完全なゼロに近い確率でこの世に生を受けたのだ。あなたが正しい教えを受けるのも、諸々の仏が出現するのも、全て有り得ないような確率から起きている・・・」

つまり、我々がこの世に生まれ、生を営んでいるのは、太古蒙昧からの縁がいろいろに絡まり、それによって生じる無限の可能性から選択された一筋の糸のようなものである、ということなのであります。

したがって、この自分という存在は決して、自分の自分による自分だけのための自分、ではないのであります。個人は全体のため、全体は個人のため、そういう互い助け合いの相互関係を構築する重要な素材として、一人一人が存在するということです。

この世には祝福されて生まれてくる赤子もいれば、闇から闇へ葬り去られる子供もいる。それは人間社会の不条理であり、悪なる因縁の絡まりが生み出す悲劇であります。この世に人間が作り上げた神なるものは存在しない。そして、その神なるものが人間に罰と災いをもたらすものでもない。あるのは厳然とした理法であり、因果応報の原因と結果であります。

神と人との関係において救いの道が開けるのではない。人間自身に根ざした人間自身の悟りと実践に救いが存在する。強い信念と勇気をもっていばらの道を切り開き、他を生かしつつ真理の道に舞進することこそ信仰者の態度であります。

ということで「盲亀浮木の縁」は、我々に生きることの尊さを説き、自殺することが如何に愚かなことかを説いているのであります。・・・ところで、その亀さんの頭が浮かび上がり、流木の小さな穴にスポット入る確率はどれぐらいだと思いますか?

亀の寿命を1万年としますと、100回のチャレンジが出来ます。亀の頭が直径10センチ、流木の穴が直径20センチ、海の広さは3610590000000000000平方センチメートルとなります。この情報を基にして計算いたしますと、114京9286兆4919億5633万3945年という答えが出ます。

これはどんな数字が、大いに悩みます。分かりやすく考えますと、これは宇宙の年齢の4・4億倍になります。 つまりでございます、この亀さんが海底から浮かび上がって海面の流木の穴にスポット入る確率は宇宙の年齢、130億光年の4.4億倍分の一、ということです。とっても考えられませんね? 穴に入るということはほんとに至難の業、奇蹟ですね? 生まれてくる子が奇蹟の子、と言われて当然です。

地球上における亀と流木の穴の接点が、これほどの天文学的数字を生み出すのであれば、半径130億光年の宇宙を見つめたとき、我々一人一人の存在確率はどうなるか?これは奇蹟の中の奇蹟どころの話ではありません。大変な一大事の大事であります。

ですから、皆さん、命は大切にし、どんに馬鹿で、間抜けで阿呆な人間であっても、悪を憎んで人を恨まず、一人一人の人間性を尊重し、仲良く助け合っていきましょう!

     

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3月5日  チクよ、永久にありがとう・・・!

深夜、草木も眠る丑三つ時、村のどこかで犬の遠吠えが始る。その場所は必ず道路の三叉路と決まっていた。それを村人たちは ”インカンサ” と呼んで恐れていた。それは村中の犬が集まって道路の三叉路を占領し、そこに2重3重の輪を作って座る。そして、一匹ずつ輪の中心に出て来て狼のような遠吠えをするのです。一回の遠吠えが終わると、2回3回と集まった犬が一斉に吠える。それから次の犬が出て来て同じようなことをするのであります。

インカンサとは大昔からの宮古島の言葉ですので、私もよく分かりませんが、おそらく、イン=犬、カンサ=環鎖、の意味だと思います。つまり、犬の鎖の輪、という自己判断ですが、80%ほどは間違いないはずです。

そのインカンサがあると、近くの家の誰かが死ぬ、とされていた。事実、それは100%当っていた、と記憶しています。結核や天然痘、疫痢、コレラ、腸チフスなどの法定伝染病が周期的に蔓延した時代ですので、それによる死者がかなり出たのです。

インカンサが起こるたびごとに、近くの家の人々は、今度は誰が死ぬのか、と怯えていた。そして、結核で寝たっきりの主婦が死んだ。病気でない場合は崖から転落したり、馬の手綱に手が絡まり、そのまま暴走されて数キロも引きづられての事故死となったりした。

小学3年生の頃だったと思いますが、私はマラリヤにかかり、41度の高熱を出して危篤状態に陥ったことがあった。熱がここまで上がりますと、幻覚と幻聴に襲われるようになります。母が井戸の水で懸命に頭を冷やして看病してくれましたが、その濡らしたタオルがすぐに乾いたのであります。

二人の姉も叔母も水を汲んできたり、祖先の神に祈ったりの懸命の看護をしてくれた。当時は医者も少なく、救急車もない時代ですので、自然治癒にすがるしか方法がなかったのであります。そして、草木も眠る丑三つ時、突然、近くの三叉路でインカンサが始った。

母も姉も叔母も身体を硬直させて青ざめた。その遠吠えを私は雲の上で聞いているような感じがした。何と申しましょうか、説明は出来ませんが、旅立つ者への送別の唄のように聞こえたのであります。

空き缶を利用して作った石油ランプの炎が揺れ、母や姉、叔母の顔がその灯りの中で停止していた。突然、私の横でうずくまっていたチクがむっくりと起き上がった。チクも私のことが心配でずっと付き添っていたのです。

チクは唸り声を上げ、闇の中へ飛び出していった。しばらくしてインカンサのする方角から、犬たちの悲鳴とチクの怒った咆哮が起こった。チクがその巨体に物を言わせて暴れまわり、片っ端から追い散らしたのであった。それから数分して静寂が広がった。チクが戻って来て私の横にうずくまったのは、30分ほどたってからであった。その間に乱れた呼吸を整えたのだと思います。

不思議にも、それを契機として、熱が下がり始めた。母や姉、叔母はチクが助けてくれた、と囁きあっていた。翌日、私は完全に熱が下がり、チクを連れて歩けるようになった。このことは不思議体験として、いつまでも忘れることが出来ません。

しかし、それから数日後、チクが死んだ。ススキの原野の土中にあった不発弾の上を歩き、それが爆発したのです。一瞬にして体がばらばらに吹っ飛び、即死した。・・・チクは私の代わりに死んだ、家族の者はそう信じ、チクの墓を建てて供養した。私もそう信じ、今でもチクの霊に感謝しています。

壮麗な星空を見上げますと、大熊座を追うかのような ”猟犬座” が牛飼い座の隣で光っています。南側の星が ”カラ” で、北側の星が ”アステリオン=輝く星” と呼ばれています。 チクはその ”輝く星” となって、今でも私を見守ってくれているように思えてなりません。

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3月4日 愛犬チクの怪

 子供の頃、家には白い大きな雌犬がいた。名前は ”チク” と呼んでいた。 その頃の宮古島では、犬は全てチクと呼んでいたのです。犬はそう呼ぶものだ、となぜか伝統的に決まっていたのです。隣村の親戚の家で生まれたのですが、たまたま母に連れられてそこを訪れた私が、駄々をこねて貰ってきた犬でありました。

当時の各家庭には台所に火の神が祭ってありまして、家の女たちが毎日崇めて、家の安泰、無病息災を祈っておりました。今でもその風習はかなり残っていると思います。その火の神の前に母が子犬を連れて行き、頭をつかんで軽く引き伸ばしながら数回、拝ませていたのを憶えております。その効能があったかどうか定かではありませんが、チクは心身ともに健やかに成長いたしまして、あっという間に、みなが驚く大きな犬となったのであります。

チクの母犬は雑犬で茶色、大きさも普通並でした。チクのような種類の犬は、当時の宮古島には見られませんでした。ということは父犬も普通の雑種であったことは99%確かです。 では、なぜ、チクのような犬が突然、生まれ出たのか? おそらく、昔、外国から運ばれてきた犬の遺伝子が混ざっていたと推察いたします。

と申しますのは、昔、近くの海岸に数人のポルトガル人が漂着して、掘っ立て小屋を作って住んでいたという言い伝えがあります。彼らには航海時から行動を共にしていた犬がいたと思います。その犬が村内に入り込み、土着犬と恋をしてその遺伝子を残したということが考えられます。村人には外人そっくりの方が大勢おりましたが、その方々に関しても同様なことが言えると思います。

歴史的事実として、1500年、首里王府軍に攻め滅ぼされた石垣島の大酋長・オヤケ赤蜂という方は、漂着したポルトガル人と御嶽の神女との混血、ということが挙げられます。御嶽は男子禁断の地で、神女は処女でなければならない。しかし、漂着したポルトガル人はそんなことを知りませんので、御嶽に入り、そこにいた神女に遺伝子治療のための注射をした、というわけであります。

神女のお腹がだんだん大きくなってきましたので、ことの仔細を知ったご両親はびっくりいたしまして、人知れず浜辺に連れ出してそこでお産をさせた、と記録にあります。生まれた子は金髪でハンサム、逞しい大男となって酋長となったのであります。敵の大将が暗殺目的で送った美人妹が、すっかり惚れてしまいまして、逆に赤蜂の妻となり、味方となってしまいました。

その他にも、与那国島の女酋長・サカイ・イソバやその後継の酋長・ウントラ(鬼虎)などもその体格と風貌から外国人との混血、と思われます。1543年8月25日、種子島にもポルトガル人・フランシスコ・ゼイモトがやって来て、鉄砲を島主の種子島時尭に売って儲かっております。その代金、金2000両と申しますから、凄いですね? その頃は戦国時代ですので、金一両は甲州金で15グラム、それで、金2000両は30000グラム=30キログラムとなります。甲州金の純度は83%ですから19.92金となり、18金の指輪よりかなりの価値があります。

話が横道にそれましたが、という訳で ”チク” は遺伝子を遡っていきますと、ポルトガルの犬にそのルーツの一つがあった、ということになります。もしかすると私もポルトガル人の遺伝子が混ざっているのかもしれません。 先日、公園の側を通りますと、子供たちが大勢であとを追ってきて、私に「ハロー、ドコカラキーター?」と尋ねたのであります。髪は金髪ではなく、少し白髪ですが、やはりどこか外人に見えるのでしょうか?

 ばーさんはかなり外人に似ている、と申しております。困ったものでございます。しかし、根元を突き詰めていきますと、人間は全て、40億年前の直径0・5ミリほどの微生物にたどり着きますので、人類はみな兄弟姉妹でーす。ですから、人種や宗教、国籍の違いを超えてみんな仲良く、ワインを飲みながらカラオケでも歌いましょう!

で、そのチクが10歳を過ぎた頃から摩訶不思議な挙動を見せるようになったのでございます。ある日、学校から帰って押入れの中に入り、毛布を頭から被って寝ておりました。沖縄と言えども真冬は寒いのであります。すると居間兼ね寝室、食堂の勉強部屋に得体の知れない気配がした。そっと毛布をまくり、身体を横にして戸の隙間から見ますと、何とチクが座っていたのであります。

チクは私が見ているとも知らず、あぐらを組むように座って上半身を起こし、前両足で手鏡を挟んで自分の顔を眺めていた。そして目を細めたり、歯をむき出したり、舌を出したり、笑うかのような表情を作ったりした。

私は見てはならないものを見てしまった、と思った。その後、チクは後ろ足で立ち上がり、前足を器用になびかせて歩き回った。まるで、琉球古典舞踊を踊っているようにも見えた。 私はただ唖然、ぼう然、頭が変になりそうであった。

その時、姉が学校から帰ってきた。出口は台所の出入り口しかなかった。チクは逃げ場を失いしばらく戸惑っていた。そして、筵の端をくわえて部屋の隅に引き寄せ、その中に潜り込んだのであった。中に誰もいないことを確認した姉は、そのまま台所のかまどに火をつけて、芋を炊き始めた。

その様子を見たチクはそっと筵の中から這い出して忍者のように歩き、姉の横を屈みながらすり抜けるや、姉に向き直って尻尾を振った。それに気づいた姉はチクが外から帰ったものと思い、その頭を撫でながら「チク、お帰り〜」と言った。

・・・あれ、話がだいぶ長くなってしまいました。続きは明日にいたします。チクはさらに想像もつかない怪奇現象を披露します。 おたのしみに!

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3月3日  カラスの裁判   

子供の頃、田舎の海岸(宮古島)にはカラスがいっぱい棲息していた。低木の枝枝に群がって止まり、アダンの実を突っついている様をよく見かけたものです。トカゲやセミなどの爬虫類、昆虫類、あるいは白い砂浜を一面に埋め尽くして走り回るスナガニなどを食料源にしていたと思います。

当時、カラスは悪さをすると祟りがあると言われていた。しかし、その雛は万病の薬とされていたので、巣に忍び寄ってこっそり雛を盗む者もいた。その中の1人の家が火事になって全焼したのですが、その出火原因がカラスの仕業だと言う目撃者が現れた。火の点いた木の枝を銜えたカラスが飛んできて、かやぶき屋根に火をつけたと言うのだ。村人たちはみな青ざめて震えていた。

私はなぜか子供の頃から、証拠を見ないと信用しない性格でしたので、迷信にとらわれる愚かな大人のたわ言だ、と判断していた。大人の娯楽と言えば、当時は人間発生の奇蹟を起こすことぐらいでしたので、そういう摩訶不思議玄妙な話題には何にでも飛びついたのであります。

ある日の学校帰り、道からちょっと離れた御嶽の大木の枝枝で、カラスの大群が騒いでいるのを見た。木はアコーと呼ばれ、いまでも霊木とされている。いつものカラスの騒ぎとどこか違いますので、不思議に思ってそっと御嶽の中に入り、その大木を見上げた。

カラスの数は50羽前後だったと思います。それが円陣を組んで天辺の円盤状に伸び広がる枝枝に止まり、円陣の中心を向いていた。中心には一羽のカラスが神妙に止まっていた。私は何事が起こっているのかしばらく判断がつかなかった。

すると、円陣の中から一羽のカラスが歩み出て、中心のカラスに近づき、その頭を3回突っついた。それからくるりと向きを変えて円陣の中に戻った。続いてその隣のカラスが入れ替わりに出てきて同じようなことをした。このような奇妙な儀式とも取れる行いが次々と行われ、最後の一羽がその行為を終わると、円陣を組んでいたカラスは一斉に空へ舞い上がり、黒雲のようにかたまって西方の海岸へ飛び去っていった。

しばらくして、私の足元に血まみれになったカラスがボロ布のようになって落ちてきた。一体なんであるのか、私は背筋を冷たいものが走るような気がし、思わずその場から走って逃げた。カラス社会の裁判と死刑執行だったのか? なんともはや、未だ理解に苦しむ目撃体験であります。そのカラスも最近では数が少なくなり、絶滅の危機にあるらしい、という古里からの噂です。

これはフィックションではありません。同じような光景を見た人が村には何人もいたのです。・・・不思議ですね? 皆さん、このことをどう思いますか?  明日はこれよりももっと怖い目撃体験をご紹介いたします。

では、皆さん、また明日!

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2005年03月02日   清く正しく、愛と正義のために生きましょう!

儲かるためなら手段を選ぶな、「清く正しく生きて世のため人のために働こう!」と騒ぐ奴はお馬鹿さんで〜す、と言う人間がこの世には少なくありません。

確かに、愛と正義を口にして騒ぐ彼らは他の拍手喝さいの中に生き、名誉名声の奴隷となっている側面が多く見られます。そして、ステージでスポットライトを浴びる主役願望型が多い。さらに、金も名誉も明日のパンもないのが多いのだ。

だが、それがどうしたのでありましょうか? それはべつに犯罪でもなく、憲法違反でもないはずだ、と私は言いたい。金持ちであろうが、赤貧の貧乏人であろうが、みな同じ人間、兄弟姉妹、そして、最後はみんな死んでしまうのであります。

大金持ちとか、有名人、権力者なら永遠に生きられる、と言うのならちょっと考えますが、そうは問屋が卸しませんよ、とこの宇宙の無限性は笑っておられるのだ。

社会的に立派で、大金持ちで、権力者、・・・そういう方々こそが、今のあなたが血眼になって追い求めている目標ですね? しかし、その方々は決して幸せではないのです。今のあなたの数百倍も不幸せで、地獄を歩いている方が大勢なんです。

その証拠に、そういう方々が刑務所に入ったり、自殺したり、殺人者になったりしています。中には発狂し、自分の大事なものを公衆の面前に晒すお方もいます。

なぜ、そうなるか、あなたは考えたことがありますか? それは、自分が儲かるためなら、自分が生きるためなら、汚いことであろうが、人殺しであろうが何でもする、という考えの奴隷になって物事の仕組みが見えなくなっているからです。

金や物、名誉名声、権力、それらに依存した存続の立派さ、強さは脆くてすぐに壊れてしまいますから本物ではありません。たとえ、ホームレスであろうが、明日をも知れぬ命の重病人であっても、愛と正義と真実の神に依存して生きている者は強いのであり、本物であります。

死を宣告された男がいましたが、彼の目は澄み切って迷いがなく、崇高であった。そこには死に対する恐れも焦りも迷いもなく、ただ、愛と正義と信仰を全うした本物の強さがあった。

人は生まれ変わる。このことを思えば、何が真実の生き方か、賢いあなたには分かるはずだ。金や物質の豊かさが命を守ると思うな! 己と己の愛するものを守るのはあなたの正義の実践であり、「人を助けてわが身助かる」というこの世の仕組みを知ることであります。

人は、大金持ちになるために懸命に働いて大いに結構だ。しかし、何のために大金持ちになろうとしているのか、生命の安全性確保と確実な種の継続がその根底にありますが、その目標と遂行の手段によって人間の価値とその安定度が定まる。

ただ、己の一族のため、己が生き残るため、己の遺伝子を継続させるため、では必ず滅亡する。その生き証人が歴史上の人間ドラマであります。そのはっきりとした証拠にも気づかないほど、金の亡者になると救いようがありません。

儲かったら、余ったものを人助けに使う。税金を納めて国庫を潤す。それは田畑に肥やしを撒くようなものであります。肥やしをやらねば田畑はやせ細って枯れる。そして、作物は実らなくなる。

それと同様、余ったものを社会に還元しなければ、田畑である国民が枯れてしまい、己も息が出来なくなって枯れはて、遺伝子継承断絶ということになる。

どこかの独裁国がその良い例であります。・・・つまり、何が言いたいのか? それは、生きるために殺し続けると生きられなくなり、生きるために他を生かし続けると、地獄の炎が生命の炎となって繁栄の花園が出現する、ということであります。

そのことを十分に考慮されて、安定の拠り所を正義の実践と真理追究に定めていきましょう。そして、あなたが本物の力を得て、自他共に繁栄されていくことを祈っております。

では、皆さん、今日も一日、愛と正義と正しい金儲けの為に頑張っていきましょう!



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2005年3月日   黒百合よ・・・

去年の夏、社員旅行で北海道へ行ったとき、小樽のお土産品店で黒百合の球根を買った。確か500円だったと思います。それを鉢植えにしてベランダに置いたのですが、そのことをすっかり忘れていたのであります。去年の7月からですので、およそ7ヶ月が経っているわけです。今朝、そのことをふと思い出しまして慌てて探し回った。何しろ大小さまざまな鉢植えがずらりと並んでおりますので、どれがどれやら見当がつかない。

探し回ること20分ほど、そして、ようやくそれらしき鉢植えを見つけた。ベランダの隅っこで、大きな鉢植えの影に隠れていたのであります。チュウリップとかアイリス、ヒアシンス、グラジオラス、ムスカリ、アネモネ、などの球根は埋めっぱなしだと病気になったり腐ったりしますが、ゆりの球根だけは埋めっぱなしでないとだめであります。

その鉢植をベランダ中央の台の上に置きまして観察しますと、土の中からちょこっとだけ芽が出ております。それは真っ黒い色であります。黒百合がどんな花か見たことはありませんが、初芽は黒いということが、まず、第一の発見であります。

これからどのような成長をし、どのような花を咲かすのか、じっくりと観察していきます。その成長過程と開花まで、デジカメで記録し、出来のいいものがあれば逐次ご紹介していきます。では、ここで迷句なるものを一つ。

”黒百合よ、白く咲いたら、白百合だ”   ”そこのキミ、お前ほんとに、黒百合か”   ”黒百合を、食いたいと鳴く、ゆりかもめ”

いかがですかな? あまりの素晴らしさに声が出ない・・・??? 無理もない、当然です。 では、皆さん、明日また、この俳句の超天才とお会いしましょう!

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2月28日   一妻多夫

ヒンドゥー教というのはBC1000年ごろの古代インドにその起源がありますが、バラモン教に原住民の民間信仰や習俗が混ざり合ったものです。ヒンドゥ教として確立したのがBC400年とされています。

崇拝の対象は創造神ブラマン、存続神ビシュヌ、破壊神シバの3神です。 一切は創造、存続、破壊の過程を永遠に繰り返し輪廻する。その輪廻からの解脱手段が祭祀(カルマ)、知識(ジュニャーナー)、神への絶対帰依(バクティ)の三つを実践することにある、としております。

その「マヌ法典」の中に、女は子供のときは父に絶対服従して仕え、嫁いでからは夫に絶対的に仕え、老いてからは子供に絶対的に従うべし、とあります。どこかで聞いたような教訓ですね? そうです、女性のあり方として江戸中期に出された訓書、「女大学」の中に同じようなものが見られます。著者は儒者の貝原益軒とその妻・東軒と言われています。

お二人はおそらくそのマヌ法典を読んで、それを引用したと思いますが、よく考えて見ますと、これは男にとって最も都合のいいことであります。一歩外に出れば男には7人の敵が待ち受けている、と言われたりしましたが、そこで受けたストレスのはけ口が女であったわけです。ワイフビーターの起源は太古蒙昧からあったと思いますが、いつの世にも女の道というのは険しいものであります。

男のパワーの象徴、それは女をどれだけ囲えるか、ということに昔から相場が決まっていた。つまり、一夫多妻が昔は堂々とまかり通っていたのであります。今でも外国のどこかでは当たり前として認められております。

一夫多妻は男の豊かさの証しでもあるわけです。秦の始皇帝などは3000人の女を囲ったと言われております。日本においても戦国武将や大名など、数100人かくまったお方はざらにおります。例外として豊かさの証とならない一夫多妻もありますが、別の素晴らしい証があるのだと思います。

一夫多妻が豊かさの象徴なら、では、一妻多夫は何の象徴となるのでしょうか? ・・・しかし、そう言うのってあるのか? と首を傾げるお方がいると思いますが、それが世界には今もあるのです。南インドとその周辺国、アフリカやその他の地域で実際に行われております。昔はその範囲はもっと広かったはずです。

しかし、一夫多妻と違って、それは貧困の象徴であり、女にとっては悲劇と苦痛の象徴となっているのかもしれません。どういう婚姻形態かと申しますと、一家の兄弟が1人の女性を妻として共有するのであります。兄弟が5人なら、その女性は5人の男性にあらゆる面で、公平に服従しなければならない。生まれた子は誰の子かは知る術もなく、長兄をその子の父とし、他を叔父さんとするのであります。

それですと産児制限が必然的になされ、家の財産が相続によって分散することもない。さらに男の誰かが死んでも女は未亡人にならずにすみ、子供は孤児にならずにすむ。その未亡人の意味ですが、夫が死ぬと妻は生きたまま夫と共に火葬される掟となっていた。その火葬されるまでの間はまだ妻は生きていて亡くなっておりませんので、「未亡人」と呼んだのであります。

この一妻多夫の風習は、もしかすると民間信仰のその「サティ」という生きたままの妻火葬から、逃れる術だったのかもしれませんね? いずれにしても一妻多夫は女にとっては生き地獄であります。貧困、重労働、そして夜毎の屈辱、女の人権はどこにもありません。

女性の自殺率が最も多いのがスリランカですが、原因はそこにあると言えます。参考までに申しますが、女性自殺率のランキングは2位がリトアニア、中国、日本、スロヴェニアとなっております。日本女性はなんと4位ですね?

 これは「プリタニカ国際年鑑2003」から引用しました。ちなみに日本男性の自殺者は世界10位で23080人(2002年)となっています。女性は9463人、男性よりはるかに少ないのですが世界順位としては自殺率が高くなっております。自殺率とは10万人に対する自殺者の数です。

日本で女性の自殺者が最も少ない県は徳島県です。その理由は、徳島女性は世間体や他人の目を気にしない大らかさがある、信仰心が強い、大食漢である、男性を大事にし、働き者で舅姑を大切にする、ということです。倅の嫁は徳島の方であってほしいものです。

あれ、夜もふけて11時前であります。 良い子の寝る時間で、悪い子が出て行く時間ですので、良い子の私は寝ることにいたします。今月も今日で終わりですね。じつは、きょうまで、ある事の継続100%を必死になって守ってきたのであります。ようやくそれからの解放であります。日記更新100%、よくぞ頑張ったと、自分で自分を褒めまーす!

では、皆さん、お休みなさ〜い、See you next time !

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2月27日  水も滴る昔のハンサムと美女     

駅の西口に西友があります。その4階に図書館があります。今日はそこへ行ってまいりました。目的は本を借りるためであります。しかし、お目当ての本がありませんでしたので、代わりにビデオを借りてまいりました。なんと、私が高校時代に見た映画「宮本武蔵」がビデオ化されていたのです。

今も青春ですが、その青春の血潮が燃えたぎり、マグマ大噴火の激震で痺れて、ひきつけを起こして初恋に破れたのが昨日のように思えます。

主演は三船敏郎、お通さんが八千草薫、又八が三国連太郎、そして朱美が岡田茉莉子 となっております。他に加藤大介、水戸光子、小暮美千代、 そして、佐々木小次郎が鶴田浩二であります。

40数年ぶりに観ますと驚くことばかりであります。まず、私ほどではありませんが美男美女揃いです。若かりしころの三船敏郎、鶴田浩二、三国連太郎、いやはや物凄いハンサムであります。

さらに八千草薫と岡田まり子、これまたびっくり仰天、世界三大美女など足元にも及びません。天は何という優れた芸術家であろうか! これほどの美しい生きた彫像を作れる人間芸術家は、人類600万年の歴史においてまだ1人も出ておりません。

巌流島へ行かんとする宮本武蔵にお通は懇願する。

「あなたが死ぬのはいやです。私と逃げてください・・・」 
「私は武士だ。武士の妻たる者は夫の出立の時、泣くものではない。涙は不吉だ。笑顔で見送ってくれ!」

お通は美しく涙の虹に泣顔を隠し、武蔵の胸に崩れる。何と、美しく、優雅で崇高であるか・・・! 私の胸にあの時の青春の真っ赤なマグマが、狂瀾怒涛となって逆巻いた。

そして、巌流島での佐々木小次郎との決戦、両者が水も滴るいい男であったのは、波の飛沫が顔にかかったからではありません。現代の男には、焼酎が滴るアルチュウ男が多いですが、ほんとに昔が懐かしく思い返されました。

今宵は久しぶりに優雅に美しく眠れそうであります。では、皆さん、素晴らしい夢を、おやすみなさい!

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2月26日  肉体と心、魂、Part2

皆さん今晩は〜〜〜! 昨夜のテレビ映画 「ターミネーター3」 すごかったですね? 迫力満点、奇想天外度120%、激烈衝撃度150%、おかげでストレスの200%が吹っ飛んでしまいました。

 たまにはこういう映画を観て生まれた時の心になるのも良いですね? 私が年輪を重ねるごとに若くなっていく原因の一つがそこにあります。つまり、対象に対する興味度と関心度、そして感激度が年とともに増大する、ということであります。

 え? 私の年齢ですか? それは・・・ゴクセン、いや、極秘です。そのゴクセンも今宵の9時から始ります。酒宴は、・・・いや、主演は仲間由記恵さん。彼女は沖縄の浦添市の出身ですが、その浦添市が私の古里であります。

しかし、残念ながら彼女とは親戚でも知り合いでも何でもありません。そのゴクセンはビデオ予約して、明日、観る事にいたしまして、今宵は真面目に昨日の勉強の続きをいたします。

ところで、何を勉強するのであったか? え〜、つまり、心、精神、魂という人間のメインについてでありました。 では、心とは何か? それは分からない。しかし、なぜ心というのかは分かる。

それは、女心と秋の空、というように人の心というものはコロコロと変わるからこころ、すなわち 「心」 というのであります。日本の地図を逆にして、九州を上にいたしますと 「心」 と読めますね? ということは日本は心の国となりますから、心の完成を計っていきましょう!

 日本は昔、秋津島とも言われた。 アキツとは古語でトンボという意味です。つまり、日本列島はトンボに似ている、というわけですね? ♪♪トンボの目玉はなぜなぜ赤い・・・♪♪ という出だしの歌詞の童謡がありましたが、それは日本の国旗が日の丸であるからであります。

「心」 一体なんでしょうか? それは脳というハードデスクにインプットされた情報の全てに密着し、状況に応じてそれを引き出して、認識内に再現させて状況を判断し反応するメインが操る動き、といえます。

 心とは機能であって、それを操作するのは本能であり、人間の本体である。その本体こそが魂であり、心という機能を備えもってこの世という壮大なハードデスクで生命活動を営んでいるのでございます。

眠るということはこの機能が休止し、活動しなくなりますから魂だけとなって周囲の状況を認識しなくなるのであります。そういう意味で 「死」 というのは大きな眠り、ということになります。ですから、生まれ変わり、というのがあって、霊魂不滅説が取り出さされてきたのでございます。

で、その心の動きのスピードなんですが、それは脳内を流れている弱電気の流れの速さとなりますか? 原子の中の電子は常温下では秒速500メートルです。銅線を流れるときは秒速数十センチとなったりしますが、心の動きに個人差があるのはそういう温度差とか、導体の状況に関係があるのかもしれません。

ご承知のように、人間の身体は突き詰めていきますと陽子とか電子、中性子、クオークなどの素粒子によって構成されている。一個の原子だけでは物質とはなりませんが、それが数多く結合していろいろな物質が出来ます。その原子同士を結びつけるのが電子であります。その電子も、原子核を回る外側の電子だけでありまして、それを外殻というそうです。

それぞれの分子はその外殻の数が2個か8個でないと安定しないように出来ております。ですから、たとえばシリコンのような8個で安定しようとする分子の原子は、その8個を懸命に維持しようと他の原子の外殻を共有するわけです。それが結合の仕組みであり、結合のパワーとなります。つまり、お互い外殻の電子という手で固く結び合っているわけです。

その電子が瞬間的に現れたり消えたりしますので一切は諸行無常、絶えず変化して止まない存在、ということが証明されますね? ですからそういう素粒子が多ければ多いほど存在の確立は高くなっていくということになります。

そういう意味で人間という存在は存在確率が極めて高い実在、ということになります。一個の細胞には無限に近い素粒子がうごめいております。となりますと60兆個の細胞にはどれだけの素粒子があるか、となりますと無限数の無限倍の無限となって頭がおかしくなってしまいます。計算いたしますと人間が保有する素粒子の全てが自然消滅する時間は、10の30乗年かかるそうであります。

では、その物質界と心の世界の繋がりは如何に、となりますと、かなり厄介であります。あの超天才であるアインシュタインは 「時間と空間は思考の中にあって、現実には存在しない」 と言っております。 それは何を意味するのか? 一体、その思考とは誰の思考なのか? それとも彼が言う思考とは個々の思考の母体となるものがあって、個々の思考は磯に当って砕け散る大海の波飛沫の一つに過ぎない、と言うのか?

訳が分からなくなってきましたので、今宵はこれにて勉強を終わります。この続きは明日また・・・、では、皆さんおやすみなさい! ゴクセン、・・・楽しみです。

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2月26日  肉体と心、魂、Part1

分子生物学によりますと、人間の身体は6ヶ月で全ての細胞が入れ替わるそうです。生きているということは凄いことですね? 身体を構成する60兆個の細胞がたった6ヶ月で総入れ替えとなる。つまり、今の肉体は6ヶ月前と全く違う別の細胞で出来ている、ということになります。

では、一体自分とはなんでしょうか? 6ヶ月前と全く異質の肉体ですから、その時の自分と今の自分とでは違っているのが当たり前、となりますが、自分は昔も今もやっぱり自分であります。そして、自分はどこから来て、どこへ行くのでしょうか? そして、寝ているときの自分はどこに行ったのでしょうか? さらに、その自分というのは一体なんでしょうか?

この世は全く、訳の分からないことだらけであります。しかし、訳の分からない自分であっても、自分が昔から自分である、ということには変わりはない。

寝ている時の自分がどこへ行っているのかは分からなくても、目が覚めたらやはり、自分を認識している自分は自分であることに間違いはない。 ・・・話がややこしくて変になりそうですが、変にならないようにしっかりと頑張りましょう!

仏教に”諸行無常”というややこしい四字成句がありますが、一切は絶えず変化して止まない、という意味だそうです。つまり、実体は一刹那に実在して、一刹那にして消える、ということであります。瞬間的に現れて、瞬間的に消滅する、それが実体が存続し、活動できる根本的な仕組みである、ということでございます。

自分というのも点滅の連続でありまして、その原点が森羅万象のデータベースに刻まれておるのであります。人間の魂というのはその原点であり、肉体というハードデスクにインストールされ、それが心となって知覚作用を展開させていく、ということになります。

今宵は4チャンネルで「ターミネーター3」が放映されます。それが始るのが9時、そろそろ時間ですので、この続きは明日勉強することにいたします。それでは皆さん、高級ワインを飲みながら共に「ターミネーター」を観ましょう! 

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2月25日  おまわりも兵隊も逃げた

その男は26歳、運転中であった。「その男、危険につき」という映画がありましたが、彼はそれ以上に危険であった。覚せい剤を使用しながらベンツを運転していたからです。

車は信号を無視して爆走した。それから歩道の植え込みを飛び越えて70メートルほど暴走した後で止まった。通報で二人の警察官が軽のパトカーで駆けつけた。

そして、彼らが壊れたベンツに近づいたとき、超危険男が金属バットを持って転がり出てきた。彼は運転席で、フロントガラスや窓ガラスを金属バットで叩き割って出てきたのであった。血まみれになった危険男は錯乱状態で喚き散らしながら、金属バットを振り回して二人の警察官に襲いかかった。

二人はびっくり仰天した。そして、顔面蒼白となって逃げたのであります。偶然にも、そこに居合わせた二人のカメラマンが、その様子を撮影した。慌てふためきながら走って逃げる警察官の姿と、恐怖に引きつった彼らの表情が朝のテレビに克明に映し出されていた。その映像をテレビで見たとき、昔のある記憶の断片が蘇った。

昭和20年4月14日、米軍は沖縄本部半島にある日本軍の要塞、八重岳への攻撃を開始した。そういう状況の中、私たち母子3人は、十数人の村人たちと共に山麓の安全地帯へと移動していた。

丘陵の谷間に出たとき、突然、凄まじい砲爆撃の集中攻撃を浴びた。母は8歳の姉を急かし、4歳の私の手を抜けんばかりに引っ張って懸命に走った。後方から敵戦車群が追ってきた。

それとの距離は縮まるばかりであった。銃弾や砲弾の破片が目まぐるしく飛び交い、魔女が笑うかのような唸り音を上げ続けていた。行動を共にしていた避難民たちは全滅していた。

ようやくジャングルの中に逃げ込み、道なき道を走り続けた。山の中腹には日本軍の本陣があった。そこへ逃げ込めば安全であると母は判断したのであった。しかし、米軍の爆撃は激しさを増すばかりであった。木々がなぎ倒され、岩山が砕け散り、紅蓮の炎が周りで渦を巻いた。

その中を命からがら逃げ回ってようやく本陣の近くまで来たとき、上のほうから銃を持った兵隊たちが血相を変えて駆け下りてきた。その顔は恐怖に引きつり、青ざめて目が吊り上っていた。私たち3人はびっくりして立ち止まった。

兵隊たちはあっという間に私たちを巻き込んだ。そして、倒された3人の体の上を飛び越えて逃げ去った。一人の兵隊の銃の引き金に母の髪の毛が絡まりついた。そして、そのまま母を引きづった。数メートル引きづられたところで髪の毛の束が引き抜かれた。兵隊は銃の引き金に母の抜け毛を絡ませたまま逃げ去った。

その時の兵隊の表情と、テレビに映し出された逃げる警察官の表情があまりにも似ていた為、古い傷跡の記憶の断片が蘇ったのだと思います。おまわりも兵隊も逃げた。しかし、私は逃げるということに対して非難はしたくない。

恐怖のどん底に落とされた人間なら当然である。そのことは実際に死の恐怖を体験した人でないと理解できないと思います。勿論、己の使命ともなれば命を賭けて闘うときもありますが・・・。 皆さんはどうお考えでしょうか?

今日の日記はノンフィックションといたします。 では皆さん、今日はこれにて失礼いたします。 また明日!

 

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2005年02月23日   今日は何の日?

今日も昨日と同じ質問なんですが、今日は何の日でしょうか?  2月23日、・・・そうです、皇太子様の45歳の誕生日であります。 私が奈良で学生だった頃、皇太子誕生のニュースが報じられ、人生がぱっと明るくなったのを憶えています。

 あれから45年ですか? 長いようで短いような時の流れを感じます。 今宵はお月様を見上げながら一人静かに、そして、優雅に高級ワインを飲むことにいたします。

皇太子誕生日、そして、将来の天皇誕生日となる今日の日はまた、それにふさわしく「富士山の日」でもあります。2・23がなぜ富士山と読めるのか? つまり、2という数字が二つで ”2字”=”ふじ”、そして、3ですから”さん”=山となって富士山の日、というわけであります。

 ・・・ほんとかどうか、それは私の勝手な推察ですので、それに伴う一切の弊害の責任は負いませんのでご了承くださいませ。

富士山の基礎が形成されたのは今から70〜20万年前のことです。北京原人が下半身に獣の毛皮を巻きつけて石斧を持ち、イノシシや鹿などの蛋白源を追っかけていた時代です。

それから4万〜2万年前に古富士火山活動期となります。小御岳火山の南側で噴火が頻繁に起こっていたということです。その頃、日本列島は大陸と陸続きでしたので、縄文人が続々とやって来た、と学者たちが申しております。

余計で、差し出がましい意見と思いますが、その逆もあって良いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか? つまり、もともと日本列島が大陸であった。そして、その一部が残ってあとは分離して移動した。 したがって、人類の原点も日本列島にあったのであります。

そこから、人類は食べ物と女を尋ねて3千里の旅を続けて世界に広がった、ということになります。アフリカに人類の起源があるのではなくて、日本にそれがあるのです。したがって日本人は人類の本家、ということになります。それを世界はなぜ知らないのか、と私は声を大にして絶叫したい!

・・・ん、たいへん失礼いたしました。 私の悪い癖です。話がとんでもないところへ飛んでいってしまいました。 今、ばーさんが隣の部屋で怒鳴っておりますのは、先ほど出した私のおならが臭いということであります。昨夜、蒸かし芋と大根の煮付けを食べ過ぎたため、胃腸が活発になっているのです。 超高性能リサイクルガス燃焼装置を考案して、家のガス代節約に貢献したいと考えております。

・・・えーっと、今日のテーマは何でしたっけ? つまり、富士山がその後どうなったかということですが、1万年前に新富士火山活動期に入ったということであります。その噴火は凄まじかった。それは小御岳火山、古富士火山を埋めてしまいまして、現在のような富士山を形成したのでございます。

そして宝永4年の(1707年)大爆発以来、3世紀近くも沈黙を守り続けております。 あるお方は、富士山は死火山となって噴火はもう起こらない、と言っておりますが、それはとんでもない話です。人間の年齢に換算いたしますと、富士山はまだ18歳であります。沈黙はじっと我慢しているだけなのです。その我慢が長ければ長いほど、噴火が始ったときの威力は想像を絶する凄まじいものとなります。

宝永の大噴火以前の大噴火は864年の貞観の大噴火であります。その間の743年は小規模な噴火の記録しかない。ということは宝永の大噴火から現在までの298年間は、決して長い沈黙ではないということです。

しかし、噴火しようが大爆発しようが、それは不思議にして奇蹟の結晶である天地大自然のなさることです。 富士山が日本の心の古里であり、きょうが皇太子誕生日と富士山の日であるという現実に変わりはない。 日本の繁栄と心の浄化、そして世界平和を祈願して、今日の日記といたします。では、みなさん元気で、また、明日!


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2月22日 きょうは猫の日

きょうは2月22日です。さて、何の日でしょうか? じつは、猫の日であります。つまり、ニャン、ニャン、ニャンと読めるからだそうです。

では、犬の日はいつでしょうか? それはご推察どおり11月1日です。ワン、ワン、ワンとなるからです。11月11日、あるいは1月11日、1月1日も犬の日となりそうですが、もっとも自然なワ・ワン・ワーンが11月1日なので、そうなったのだと思います。

人間が犬を飼うようになったのは石器時代で、約2万年前と言われております。外敵の接近をいち早く知らせる警戒用として、狼を飼いならしたのが犬の起源だそうです。猫の場合は5千年ほど前で、穀物を荒らすネズミの被害をなくすために、野生の猫が飼われるようになった、ということです。

猫というのは神秘的な側面を持っていますね? 闇夜に目が光るのは何故でしょうか? それは網膜の裏側に反射鏡があるからだそうです。網膜に感知できない微細な光を再反射させて増幅させ、暗がりでも獲物が見えるようにしているのです。狙った獲物の捕獲確立は他の猫科の動物よりはるかに高い。2本の牙の間隔は、ネズミの脊髄切断に適し、高度に進化している。

古代エジプトにおいては、猫は神として崇拝されております。エジプト神話の女神バステトは、体は人間で顔が猫となっております。余計な話ですが、このバステトは太陽の化身、ラア神の娘にして妻でもありますので近親結婚させられたことになります。

エジプトで神格化された猫様はパレスチナからギリシャ、ローマ、インドへと渡り、それから中国、朝鮮、日本へと広がったのでございます。しかし、神の次は悪魔にされまして、虐殺の時代を迎えます。

中世ヨーロッパ各地で魔女の迷信が広がり、猫はその手先とみなされたのであります。魔女とみなされた女と猫が片っ端から殺されていった。残酷なのは「聖ヨハネ蔡」での行事であった。袋や酒樽などに多数の猫を入れて木に吊るして火であぶった。

そして、猫たちが泣き暴れる光景を皆で楽しんだのであります。さらには高さ百メートルもある教会の塔の上から、猫をどんどん投げ落として殺した。どちらが魔女で悪魔なのか、判断に苦しみます。

それから、ペストが広がるようになったのであります。猫が少なくなるとネズミが増える。するとペスト菌が寄生したノミが、大量発生したネズミによってばらまかれてペストが大流行したのであります。これによって15世紀から17世紀にかけてのヨーロッパでは、人口の30%が死亡したのであります。猫の祟りとはこのことですね?

猫は知能指数が高いと言われております。猫が鏡を見て、笑いながら口紅をつけたり、仏壇の神様を前足を合わせて拝んでいるのを見たことがあります。犬も猫に劣らず知能指数が高いと思います。

子どもの頃、家で飼っていた白い大きな雌犬がおりましたが、人間の言葉をほとんど理解し、感情表現も豊かでした。それに、なんとなく怖い話なんですが、この犬が満月の夜には必ず能を踊ったんです。下駄を履いた後ろ足で立ち上がり、村外れの祠の前で両前足をゆっくりと振りながら舞う。

怖いですね? 500万年後には犬猫が人間に代わって世界を、いや、宇宙を支配するかもしれません。そうならないように、常日頃から心の浄化を計り、愛と正義と思いやりをもって互いに助け合っていきましょう! しかし、よく吼える犬や鳴き騒ぐ猫は馬鹿ですので、賢い犬猫と区別しなければなりません。

犬と猫の違いですか? それは、大切にいたしますと犬は人間を神様のような存在と見なし、猫は大切にされますと、自分を神様と見なすようになることです。人間は犬派と猫派に分かれますが、そのような違いによって決まるのかもしれませんね?


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2月21日  一円の買い物紳士

駅前に ”ふれあい通り” という商店街があります。その中の大きなスーパーで、キャベツが一個でたったの1円という大安売りをやっていた。自転車を飛ばして行ってみますと黒山の人だかりであります。

ほとんどがおばさんとおばーさんたちばかりで、おじさんとおじーさんは数人しかいなかった。顔と体は20歳の若さでも、正確に刻み込まれた私の年輪は熟年の真っ盛りです。おばばーさんたちの怒涛に巻き込まれても平気なのはそのためであります。

しかし、いかに面の皮が厚いと言っても、一円キャベツを一個だけ買うということは出来ない。それで、果物や缶詰、納豆、味噌,醤油などもカゴに入れましてレジに並んだ。レジ係の若いおねーさんは、お化粧を汗で溶かしながらの大忙しであります。ほとんどの客が一円キャベツを買うために1000円以上の買い物をしていた。私の買い物も2000円近くになっているはずであります。

私の前の前には初老の紳士が並んでいた。ネクタイを締めたスーツ姿は、どこかの元社長か元重役という感じであります。私のジャンパー姿と比べますとはるかに上品で、高貴であります。江戸時代にさかのぼりますと”ちりめん問屋のご隠居”となります。

それで、何を買うのだろうか、という興味のもとに彼のカゴの中を見ますと、なんとびっくり、キャベツがたったの一個であります。彼は偉大な人物に違いない、と私は思った。そして、順番が来て、彼はレジでの勘定となった。

「ありがとうございます。一円です・・・」

「なに、一円? ほう、安いな〜」

レジのおねーさんは一円を受け取ったあと、レシートと共にキャベツを紳士に差し出した。すると、紳士の顔色が変わった。

「ぶ、無礼者ー!他の人には袋に入れて渡すのに、私には裸のままか?一円だけの買い物だからかー! 俺を一文なしの貧乏人と思っているのか、馬鹿にするな〜〜〜!」

凄い剣幕であります。レジのおねーさんは顔面蒼白、うろたえながら急いで袋を紳士に渡した。

「すみません、うっかりしていました。申し訳ありません・・・」

しかし、紳士の腹の虫は治まりそうにもなかった。

「店長を呼べ、どこにおるか! 場合によっては名誉毀損で告訴してやる! こんな屈辱を受けたのはうまれて初めてだ、責任者出てこい〜〜〜」

そこへ店長らしきハゲ頭が出て来てひらあやまりし、数個のリンゴを袋に入れて、それをお詫びのしるしとして手渡した。紳士は鼻息荒くそれをひったくり、大勢の買い物客の視線を浴びながらそのまま出て行った。実に見事な行動であります。

・・・し、しかし、何かおかしいですね? 正式に計算いたしますと、数個のリンゴとキャベツで1000円はする。それをたったの一円で買い占めたのだから、やはり、彼はただ者ではなかったと思います。

ただ者でない方にもいろいろありますが、彼のようなただ者でない方にはなってはいけませんね? やはり、寛大な精神を持ち、第三者の視点から、絶えず自分自身の姿を見つめ、心の身だしなみを整えることが大切だと思います。

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2月20日  やる気と勇気が大切

存在の基本は力ですね? パワー、エネルギー、やる気、勇気、その他いろいろです。・・・何事をするにも力がないと存在できないし、存在したとしても力がなければ自滅して消滅する。しかし、その力があれば良いというものでもない。

それを制御し、コントロール出来なければ破壊が待っている。たとえばスペースシャトルは物凄い量の燃料を持って飛び立ちますが、それが制御されて噴出しますので宇宙飛行が安全に出来るわけです。それが制御されずに出鱈目に噴出しますと爆弾となって大爆発し、粉々に吹き飛んでしまいます。

それと同様に力にもいろいろ種類がありますが、どんな力でも制御され、調和されることがまず第一であります。そして、その力の根元はこの宇宙であり、個人の力はそれを吸収する意志と精神力といえます。そこには差別はなく、厳然とした公平が存在するのみですから、いかなる境遇にありましても、卑屈になることなく堂々と生きるべきであります。

意志の力、精神力、それは己の勇気とやる気から湧いてくる。それがないと虐めにあって閉じこもりになったり、対人恐怖、引きこもりなどの神経症となってしまいします。ですから、まず勇気であります。どんなに相手が巨大で強くても、それが制御されていない破壊の力なら、そして、自分を破壊しようとするものなら敢然と戦うべきであります。

もちろん逃げるが勝ちですので、それが出来ればいいのですが、絶体絶命の窮地に追い詰められたときは恐れることなく、勇気を奮い起こして戦わねばなりません。相手は制御されていない力ですので自爆して消滅する定めですから、怯えて逃げたりしてはなりません。

それは悪を許すことになるのです。ですから最後の最後まで徹底的に戦いましょう!汝、恐れるな!逃げるな!怯えるな、パニックになるな!愛と正義の名のもとに勇者となって悪なるものを粉砕し、その者の心と魂を浄化してあげましょう!

次女が電話で泣言を言ってきた。先祖の祟りがあるとか、悪霊が憑いているからお払いをせよとか、悪因縁を断ち切るために100万円のお賽銭せよとか、散々脅されているとのことである。私は言ってやった。そんな迷信に心を惑わされるな! この世に祟りとか憑物、化け物はない、あるのは己の心の弱さと無知である。

心を強く持ち、勇気を奮い起こして戦え!愛と正義の貫徹こそがお前を守る。お前には俺がついている、安心して悪と戦い、寛大無限な心となれ〜〜〜!

次女はこれで目が覚めたようであります。

「お父さん、ありがとう!」

これにて一件落着です。今のところ、この世は悪がはびこる世界です。皆さんも迷信や脅しに負けることなく、勇気を持って悪と戦い、愛と正義を貫きましょう!

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2月19日 古代歴史の厚いベ−ル

お釈迦様の生誕年にはいろいろな説がありますが、BC565年とBC465年がもっとも有力なようです。月日は一応、4月8日となっております。「花まつり降誕会」というのがお釈迦様の誕生を祝う仏事になっております。

お生まれになった所がルンビニー園という所です。母であるマーヤ様がムユウジュの花の美しさに見とれ、それに手を伸ばしたときに右の脇腹からお釈迦様が生まれた、という話が根強く残っております。

しかし、それは現代科学の知識からすれば絶対に有り得ないことですね? 子供は生まれるべきところがちゃんと決まっていて、脇腹から生まれるなんってとんでもない。 これをまともに信じる人は重度の神経症に違いないと判断し、心の出来ていないお人は、そういう方々を馬鹿にする傾向にあります。

当時のインドは、バラモン教のカースト制が隅々まで浸透しておりましたから、身分によって生まれるところが違っておりました。最高クラスのバラモンは頭から生まれ、王や武士階級は脇腹から、一般庶民は膝から、そして、最下位クラスの奴隷は足の裏から生まれる、ということでありました。

全くばかばかしい思想でありますが、当時としては本気で信じられていたのであります。しかし、伝説や昔話のようなものには、意外と重大な真実が隠されているものであります。私は思うのですが、お釈迦様が脇腹から生まれたということは本当かもしれません。何故、そう思うのか? これから分析していくことにします。

マーヤは当時のインドの風習として里帰りしてお産するつもりでありました。それでカピラ城を出て、実家のコーリー国のデーバダハ城へ向かっていた途中のルンビニー園で急に産気ついた、というわけです。

ここで知っておかねばならないことはマーヤ様がその時、当時としては高齢出産であった、ということです。おそらく15・6歳のときにシュッドーダナーのところへ嫁に来たと思うのですが、それから30年近く子宝に恵まれなかったのであります。ですから、40歳前後の初産であったことになります。

ということは難産、マーヤさまは物凄く苦しまれた。骨盤も固まっていて、なかなか生まれない。象か何かの乗り物に揺られての旅だったので早期破水を起こしたのかもしれません。あるいは逆子だったかも・・・。

いずれにしても一大事であります。そこで、急遽、帝王切開となったのだと思います。それだと右脇腹から生まれた、ということが納得できます。と申しますと、皆様はそんな馬鹿な話はない、医学の進歩していない時代にそんなことが出来るか、と猛反論されることと思います。

しかし、当時のインドは我々が馬鹿に出来ない高度な医療技術を持っていたのです。BC100年頃の古代ローマの皇帝ジュリアス・シーザーも帝王切開で生まれた、といわれております。帝王切開の語源はそこに由来します。これに対しインドでは、それよりもはるかに古い時代から帝王切開なるものが行われておりました。ただし、古代インドの場合は分娩中に母が死亡した場合に限られ、胎児が生きていることが確認されたときに切開して取り出した、と伝えられております。

それに、当時コーサラ国という大国がありまして、そこに高度な医療設備を持ったと思われる病院があったのです。 この病院跡から、当時の優れた治療器具や手術用具などが発見されております。お釈迦様が悟りを開いた後の話ですが、バキスタンのタキシラに留学した名医たジーヴァカは彼の説法に感銘し、その教えに深く帰依して医療活動に従事したとあります。

このことからマーヤ様がルンビニー園で難産の末、帝王切開を受けてお釈迦様を産んだ、ということがある程度、納得できると思います。マーヤ様はそれから2週間ほど後に亡くなりますが、どういう状況のお産だったのか、古代歴史の厚いベールにつつまれて、真偽のほどは知る由もありませんね?

いずれにいたしましても、お釈迦様の原点の教えは素晴らしい。後世の偉い方々が、いろいろと好き勝手な色を塗りつぶしておりますが、我々は真実の釈迦の教えを見極めて、絶えず本物を追求していかなければなりません。

・・・あれ、こんなはずでは・・・、今日も堅苦しい日記となりました。ごめんなさーい、 では、皆さん元気で、また、明日〜〜〜!

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2月18日 新発見、127億光年の銀河団


地球から最も遠い銀河団が、ハワイのすばる望遠鏡で観測された、と今日の朝刊に載っていた。その距離は127億光年、想像をいかに無限大に広げたとしても、さらにそれの無限大となりますので、もともとおかしな頭が余計おかしくなります。

 宇宙の年齢は今のところ137億歳とされておりますので、宇宙誕生の10億年後に誕生した銀河、ということになります。

太陽系の中で太陽から最も遠くにある惑星は冥王星ですね?周期的にその距離が海王星と入れ替わったりしますが、平均距離で行きますと最も遠くの惑星となります。

その距離が59.151億キロメートルであります。となると、その127億光年というのはそれの何倍でしょうか?

 一光年は2590.187721億キロメートル、それの127億倍は32,8953.8405億キロメートルの1億倍,それ÷59.151=5561.255777億キロメートル、それの一億倍となりまーす。

つまり、その127億光年の彼方というのは、太陽から冥王星間の距離の5561.255777億キロメートルの1億倍ということです。簡単に言えば560兆の1億倍ということですね? 

ん・・・! これは、ちょっと、ではなくてかなり想像できません。これ以上考えますと、完全に脳機能が膠着してしまいますので別のことを考えることにいたします。

 その127億光年彼方の銀河団というのは普通の銀河の百分の一の質量しかなく、誕生直後の姿であるそうです。そして、それは現在の姿ではなく、127億年前の姿ですから、現在の姿が見られるのは127億年後、ということになります。

・・・ふしぎですね? ということは45億光年離れた宇宙空間からは、45億年前の火の塊である原始地球の姿が見られる、というわけです。さらに、あなたが50歳と致しますと、50光年離れた宇宙空間から、あなたの誕生の瞬間が見える、という事でもあります。

このことは、我々の過去は具体性を持って永遠に生きている、ということですね? もしかすると、その127億光年彼方の銀河団は、今はもう消滅してないのかもしれません。しかし、そうであるとしたとしても、現に今、見えているということは、具体性を持って存在している、ということです。

光を磁気に変えて保存いたしますと、その磁気によって同じ光の具体性が再現できる。宇宙空間にはそういう磁気に匹敵するような何かがあって、光が行き着く先で待ち受けているかもしれません。

話がだんだんややっこしくなってまいりましたので、地球は毎秒500メートルの速さで自転し、秒速2000メートルで太陽の周りを回っているということに話題を変えます。

 その太陽は27日で一回、自転しながら秒速14000キロでヘラクレス座の方へ飛んでおります。そして,我々の銀河は1000億個以上の渦巻く銀河を引き連れて宇宙の果てへと猛スピードで飛んでいるのであります。

 10億光年彼方の銀河は秒速15000キロメートルの超高速で遠ざかり、137億光年先の宇宙の果てからは全てが光速で遠ざかっている。したがって、その光速から先の宇宙というのは、光で捕らえることが出来ませんので何も見えず、漆黒の闇が広がっているのであります。

宇宙の果て、不思議ですね? 我々人間はまだ何も分かっちゃーいないのです。ですから、分かっていること、”心正しく、愛と正義と思いやりを持ち、互いに助け合って進化して行かねばならない”、ということに目標を定めて頑張りましょう!

今日の日記、訳が分からなくなってしまいました。ごめんなさーい! 明日は、肩の凝らない話題にします。

 では、皆さん、明日、また、元気にお会いしましょう!

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2月17日 食物連鎖のトップにある者

ある日、森の中の泉のほとりを歩いておりますと蛇が小さな蛙をにらみつけていた。丸呑みにして蛋白源にし、明日への活力を備蓄するためである。

こうなりますと、不思議にも蛇ににらまれた蛙は、恐怖のあまり自ら蛇の口へ近づいていくのであります。蛇が魔力か何かで吸い寄せている、と言う迷信もあります。私は離れた所からその様を観察した。進化の要因でもある食物連鎖の掟が、哀れな蛙の救助を阻止していたのであります。

蛇が蛙めがけてその鎌首を打ち下ろそうとしたその時、黒い影が視界をさえぎった。それはほんの一瞬だった。瞬きの次の場面には蛙だけが残り、上空を蛇を捕まえた鳶が悠然と羽ばたきながら岸壁の巣へと飛んでいた。

すると、どこからともなく巨大鷲が現れてその鳶に襲い掛かり、翼の一撃で叩き落した。哀れな鳶は蛇を掴んだまま木の葉のように落ちていく。しかし、巨大鷲はそれを逃さない。急降下して落下する獲物を鋭い爪でがっしりと掴み、嘴で鳶の体を深々と切り裂いて止めを刺し、そのまま舞い上がる。

巣には飢えた雛鳥と欲求不満の妻鷲が待っている。獲物は大きい、蛇と鳶だ。今宵は家族みんなでご馳走だ。高級ワインを飲みながらカラオケを歌い、妻とアルゼンチンタンゴでも踊るか・・・。巨大鷲のときめきの空想はどこまでも広がり続けた。

突然、稲妻が走り、巨大鷲を直撃した。ぴかっと光った次の瞬間、巨大鷲は一筋の煙を引きながら落ちた。風が吹き、巨大鷲と鳶と蛇を私の足元運んだ。落雷で見事な焼き鳥と、蛇の蒲焼が出来上がっていたのだ。

私は菩提樹の根元にブルーシートを敷き、それらのご馳走を並べた。そして、天の神様にきょうの糧を恵んでくれたことを感謝し、高級ウイスキを飲みながら悟りを開いたのであります。命拾いをした蛙が隣におりましたので、蛇の蒲焼の一切れを与えてやった。

・・・ん? 今日の日記は一体なんでしょうか?意味があるようでないような、訳のわからない内容となりましたが、大河の流れに煩わしいことは全て流しましょう!

では、皆さん、元気で、また、明日! 

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2月16日 百億円入り純金ダイヤモンド箱 

神様は純金の大きな箱を作り、その表面に1000カラットのダイヤモンドを1000個ちりばめた。そして、中に100億円の現金をぎゅうぎゅう詰めて蓋をした。・・・これをどうするかですか?

 じつは、神様は私が真面目で心が美しく、頭が良くてハンサムなので褒美として、私にプレゼントすることにしていたのであります。神様は下界を見下ろし、私がどこに居るかを探した。ちょうどその頃、私は公園の片隅で立ちション便をしていた。トイレのない公園であったからです。

神様は眉をひそめた。そして、考えた。立ちションは道徳とエチケットに反し、軽犯罪でもある。あそこを薮蚊に刺されたら一体どうするつもりだ。犬猫の立ちションは許されても人間たるものは許されない・・・。神様は悩んだ末、その計画の中断を考えた。

しかし、神たるものが、一旦計画したことを変更するようでは、人間から薄っぺらな存在として馬鹿にされる。仕方なく神様は怒りながらも、その純金の箱を私目がけて蹴落とした。

100億純金箱は天界を離れ、真っ逆さまに地上の私目がけて落下した。純金の箱と、その表面の1000カラットの1000個のダイヤモンドが煌き輝きながら空中を遊泳し、私の頭上へと迫った。

まともに喰らうと私はぺっちゃんこ、あの世への旅立ちとなる。100億円を抱いたまま死ねれば本望、という方もおられますが、私は嫌であります。命と健康に勝る宝はこの世にもあの世にもない。

純金1000カラットダイヤ箱と100億円など、 ”健康で生きている”、ということに比べるとカラスの糞のようなものである。

そんなことはどうでもいいことですが、史上最強、最優秀、超天才、反射神経超抜群土木作業員の私でありますので、落下してくるカラスの糞、ではなくて純金100億円箱を素早く感知し、両腕を差し上げて弾力性豊かな身体に弾みをつけてそれをガッシ、と受け止めた。

凄まじい衝撃でアジア大陸が揺れ、宇宙全体が激震した。その揺れの中で私は明日のことを考えた。この純金1000カラット箱を高級ワイン入れとし、100億円を世界中のホームレスの方々に分配し、高級ワインを飲んでいただこう・・・と。

そして、目が覚めた。4時46分、な、なんと東京は震度4の地震だった。ぎゃ〜〜、私は地震が怖い、たすけてくれ〜〜。

では皆さん,また,明日! 今日も一日、ファイトイッパーツ、明るく、陽気でいきましょう!

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2005年2月15日 怖いのは大人・・・

14日午後2時ごろ、17歳の少年が母校の小学校へ侵入し、教職員3人を包丁で刺し、男教師1人を死亡させた。動機は元担任が、いじめに遭ったときに助けてくれなかったからだ、と少年は供述している。

ターゲットはその元担任であったが、外出で不在だったため、職員室へ案内した男教師を背後から刺し殺したのである。これに対して、元担任は「恨まれる心当たりはない」と話しており、取調べに当っている捜査本部も少年の供述に整合性はなく、少年が逆恨みした可能性が大きい、と判断している。

 この少年の人格、精神構造が異常であることは間違いない。6年生の頃からゲームにのめり込んで学校は休みがちとなり、中学一年の途中からほとんど休むようになった。次々と殺戮を展開していくゲームが好きで、部屋はそのゲームソフトで足の踏み場もなかったという。

父は会社員で母は専業主婦、そして3人の姉がおって、家族仲はよかったということである。とすると、この少年は生まれながらにして人格構造が異常だったのだろうか?

私はそうは思わない。生まれながらにして、異常性格を持ってこの世に生まれてくる者は1人もいない。生まれたときは全てが純粋無我であり、発芽と生育を待つ種子のようなものであると言える。その種子がいかなる形状、形態で発芽し伸びていくが、全て周囲の状況と環境、育み方に依存する。

勿論、先祖から受け継いできた遺伝情報の多様性、特性があって、個人ごとに気質が異なり、独自の個性を持って生まれてくることは確かであるが、完全な悪の資質を持って生まれてくる、ということは絶対にありえないのである。と言うより、それは善悪以前の無の状態という表現が妥当かと思います。

人は受精から20日目に2ミリの個体となり、心臓が最初の鼓動を打つ。その時から人格の根本は形成され始め、精神構造は母体の安全性にたっぷり浸かりながらその要素なるものを製造していくものである。人格、精神構造の正常性というのは、本能に組み込まれた死の恐怖をいかに制御し、安定させるかにかかっている。幼児にとって親は命そのものである。

したがって子供は直感的に親の心理状態が正確に分かるようになっている。その親の人格が安全なものである、と感知できておりますと、たとえ虐待する親であっても、子供の人格と精神構造は正常に形成されていく。

逆に、いかに社会的に立派で教養があり、裕福で虐待がなかったとしても親の本質に子供を愛する要素がなく、世間体に操られているだけの虚偽と演技だけの存在でありますと、子供は無意識による死の恐怖に怯え、その人格を狂わしていくことになる。

 死の恐怖は極限に達しますと精神構造を破壊し、異常な行動を引き出す。たとえば、ネズミ捕りに入ったネズミを火にあぶったり、金属棒で突いたりして錯乱状態に陥れ、その直後に囲いの中に猫と共に入れますと、猛然とその猫に襲いかかり、大怪我を負わせる例が見られます。

昆虫や小動物の殺戮に快感をもつ子供たち、殺人ゲームに夢中になる子供たち、その無意識には恐ろしいほどの恐怖と不安が極限状態で凝縮されており、自分が生きる場所を完全になくしているのであります。

その極限の破裂が今回のような事件を引き起こしたと言えます。怖いのはそういう子供たちではなく、そういう子供たちに作り上げた大人たち、ではないでしょうか?

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2月14日   オンリー・ユー

BC535年の12月8日、ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いた仏陀は、人間の心の救済を目的として伝道活動を開始した。時に35歳であった。 サールナートでの説法をスタート点して、それから45年間ずっと、80歳でクシナガラで入滅するまで説法活動に専念したのであります。偉いですね? 現代なら、60歳〜65歳定年となり、老後を優雅に、面白おかしく楽しく生きたい、という世界観と真っ向から対立するものであります。

平凡な一般庶民だから、それが当然、と言えばそれまでですが、しかし、精神面での人類救済を目的とする筈の現代の聖職者は、少しぐらいは2500年前の釈尊の真似事らしきことをしてもらいたいものであります。

特に教団のトップクラスになりますと、献金の札束を数えながら飽食にふけり、高級ソファーにふんぞり返って威張っております。まったく情けない話であります。これでは人類の心はますます神を軽視するばかりで、悪魔の天国がこの地上に実現されることになります。

「身に光華を放ち、心に栄耀を着るに、煩悩悪行好まずにして自らに集まる」

現代社会の人間模様をづばり言い当てていると思います。きらびやかな衣装に身をまとい、拍手喝采と栄光のスポットライト追求にうつつを抜かしていると、悲惨な結末を迎える、という意味にも解釈されるものですが、富と栄華のみを追い求めることの危険性を言い当てていると思います。

自己中心的なわがままな考え、それに基づく執着、執念、欲望から生じて来るものが「煩悩」であり、その削除なくして人間の真の幸福はありえない、ということであります。

現代はその煩悩の氾濫する世界、どこを見ても金儲けの陰謀だらけであります。心を清く美しく正しく、なんって言っておると生きてはいけず、殺される、というのが昨今の風潮です。これでは人類は滅びてしまいますね?

たとえ世界中が煩悩悪行に完全に染まったとしても、己一人だけは絶対に愛と正義と謙虚さを守り通す、という強い信念の持ち主、それが、「あなた、あなた、あなた〜〜〜」 オンリー・ユー であります。人類の未来はあなたの真実誠の心にかかっている、ファイトイッパーツ、頑張ってくださ〜い!

・・・あれ? 私は一体何が言いたいのでしょうか? ようするに、死ぬまで現役を守り通した釈尊を見習いまして、最後の最後まで現役を守り通して働きましょう! ということを声を大にして叫びたいのであります。

釈尊の時代は人間の平均寿命は40才ぐらいであったはずです。ですから、現代の平均寿命に換算いたしますと、釈尊は168歳生きたことになります。

90歳を過ぎたアグリさんの言葉ではないが、70,80はまだ青二才、100歳でようやく成人式、となります。老齢と老化は全く異質のものです。

若くして老化する者もおれば、100歳を過ぎても青春真っ只中、という方もおります。問題は心一つ、心の持ち方一つによって不老不死となるか否かが決まる。

ですから、心を広く明るく、寛大に、愛と正義を持って勇んで働いていきましょう!

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2月13日  顔は心の窓

人間は、馬鹿であればあるほど横柄で傲慢になり、人生について無知であればあるほど鈍感になる。・・・これは私が言っているのではございません。

フランスの劇作家・サッシャー・ギドリーというお方が言ったのでございます。つまり、独善的で傲慢な御方は馬鹿になっていき、鈍感な人は人生をいかに歩むべきかに無頓着になっていく、という意味であります。

・・・で、それがどうした? と問われても困るのでございますが、人間は心美しく、賢く、強く正しく生きて、互いに助け合ったほうが喜びも多く、清浄な人間社会が築ける、ということなのであります。

顔は心の窓といいますが、心が悪いと人相も恐ろしく悪くなりますし、心が美しいと水も滴る良い男、白バラのような美しい女となりますから、美しい心を持ったほうがはるかに得であります。

本日、買い物帰りに自転車を下りて信号待ちをしておりますと、お年寄りが前を横切ろうといたしましたので、自転車をちょっとバックさせました。すると後ろから罵声が飛んだ。

私の後ろにぴったりと自転車をつけていた初老のご夫人が怒鳴ったのであります。びっくりして振り返りますと、細い目を吊り上げた恐ろしい形相が凄まじい憎悪に燃えていた。

「何よ〜、馬鹿〜、汚い自転車でぶっつけないで〜、まぬけ〜〜」

こんな暴言、人類を滅亡させてしまいますね? 狐のような顔は醜くゆがみ、目からは青白い炎が噴出している。こういう言葉は異常者を発狂させて暴行事件、殺人事件を呼んでしまうこともあります。相手のちょっとしたミスを許せないその心、それも残虐な犯罪を招く大きな原因となっているのであります。

しかし、もっと大切なことは、そういう暴言と屈辱を受けたときのこちらの心の持ち方であります。ここで、かっとなるようでは修行が足りないし、人間の器が小さいと言わねばなりません。何を言われても寛大無限な心で「ぐわっはっはっはっはっはっはははは〜〜〜」と笑える余裕が大切であります。

「どうも、すみません・・・」

と申しますと、

「すみませんで済むと思っているの〜、いいかげんにしてよ〜」

・・・これは、どう考えてもまともな精神ではありません。信号が青になったので、私は頭を下げ、そのまま自転車を走らせた。今の東京、おかしな人間が以前より多くなったように思えます。

人間、愛と思いやりがなくなればなくなるほど異常になり、ノイローゼになっていく・・・。相手のことをちょっとぐらいは考えてあげる、人間としてもっとも大切なことだと思います。

愛とはなんでありましょうか? それは御胸のど真ん中に ”心”があるものであります。逆に恋とは下に心ですので ”下心”があるものとなりますね?

いずれに致しましても真実の思いやりの心があれば、世の中丸く治まって目出度し、目出度しとなるものであります。

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2月12日  リュウゼツラン

一昔前の話ですが、ガデナ・エアベースの第二ゲートから職場のNCOクラブへ徒歩で急いでいたとき、住宅地内の曲がり角で若い黒人女性とぶっつかった。彼女は鎖のついた猛犬に追いかけられていた。

その彼女が悲鳴を上げながら私の背後に隠れたため、猛犬はうなり声を上げて私の右前腕に噛み付いた。牙が深々と食い込み、激痛が走った。顎の力は機械のように強烈で、簡単に腕が食いちぎられそうであった。

 私は無我夢中で猛犬の頭を 左腕で抱え込み、噛まれている右腕を逆に奥へ奥へと押し込んで反撃に転じた。すると、今度は猛犬のほうが苦しみ始め、しきりに離れようともがき暴れた。すかさずその黒い鼻に私は噛みついた。

猛犬は狂ったように暴れたが、私は渾身の力を振り絞って抱え込んだ腕を離さずに噛み続けた。他の動物にとって人間の噛み付きは、ハブ並みの猛毒効果があると言われている。しばらくもがき暴れた後、猛犬は失神した。そのスキに、私は黒人女性を急かせてその場を逃げた。

 彼女の名は「ルーシー」、美人で、21歳、ピアニストであった。この事件が縁でお付き合いが始まり、月に一回は必ず会うようになった。時には、ベース内の彼女の家に招待され、下士官の父と容姿端麗な白人の母と会って食事をご馳走になったりもした。

その時、彼女はピアノ演奏をしてくれた。エリーゼのために、月光、愛の賛歌、波路はるか、彼女のデパートリーは広く、沖縄民謡までも弾いてくれた。

 半年ほどが過ぎた時、”砂浜を歩きたい” という彼女の望みで北部のあるビーチへ彼女を案内した。 空と海の青さ、そして、純白の砂浜と海岸線を彩る緑の帯がまぶしく輝いていた。

潮風が彼女の髪を乱し、波の音が彼女のためにさわやかな即興曲を奏でる。無言のまま砂浜を歩き、視線が合うとお互い慌てて水平線ヘ目をそらした。偶然に手と手が触れると電気に打たれたように彼女は体を硬直させた。

ふと、彼女が立ち止まった。

「これ、何ですか?」

  彼女が指差したのは岩に根ざす逞しい竜舌欄であった。そこで、これは英語では”センチュリ・プラント”と呼ばれ、百年に一度だけ花を咲かせるそうです、と申し上げますと彼女は驚いたように目を輝かせた。

  「あと、どれぐらいで花が咲くのでしょうか?」

 「かなり年限が経っていますので2・3年内には咲くと思いますよ」

 「その花、見たい、きっと美しいでしょうね?」

 「そうでしょうね、でも、あなたほど美しくはありませんよ」

彼女は恥らうように下をうつむいた。そして毎週、日曜日、この花が咲くまで、ここでの出会いを約束した。

 リュウゼツラン前での純粋な出会いはそれからさらに半年ほど続いた。そして、ある春の日曜日、いつもの場所に彼女は現れなかった。その時は人員整理にあって私はベース内への出入りが出来なくなっていた。待つこと3時間、私はあきらめて帰った。そして、次の日曜日も、そのまた次の次の日曜日も彼女は現れなかった。

「ふられたか・・・」

 という寂しい思いが込み上げ、私は彼女をあきらめることにした。それから何ヶ月かのあと、一人、私はその場所へ出向いた。すると、あのリュウゼツランが見事な花を咲かせていた。5メートルほどはあろうかと思われる花茎が青空に伸び、その頂上部に淡黄色の花が数多く咲いていた。私はしばらく放心状態で見つめた。

なんという神秘的で美しい花だろうか! しかし、あれほど見たがっていた彼女はいない。人の心は変わるもの、・・・それでいい、所詮、かなわぬ恋だったのだ・・・。私は涙をこらえてリュウゼツランをカメラに収め、帰途についた。

 それから数日して彼女の両親が私の家を探し当てて訪ねてきた。そして、彼女「ルーシー」が死んだことを告げた。白血病だったのだ。病院で息を引き取るとき、私の名を呼んだという。

「リュウゼツラン」 40数年たった今でもその花を見るたびに心が痛みます。そして、その度に彼女の気配をその花の周りに感じます。


リュウゼツラン

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