日記

2005.9.10〜12.28

         



 ばーさん、がんばれ!  

キング・コングの愛  宇宙雑考  ドジョウの鳴き声  フナとドジョウと、出目金とテトラ 

 驚異の175歳 女の執念  青汁と葡萄酒  頑張れ、その男!  厳しい生存  流れに逆らわず  

 天は吾を見捨てず  日本最初のストリップショウ 初めて見たストリップショウ  悪霊以上の凄い力

 胸の痛み  天のお告げ  病の元は心から  アナクシマンドロス   映画「ステルス」 

 土方哲学  真理を実践する  仏陀の言葉   植物の不思議  健康のありがたさ   現場の小さな花  

 頑張れ、琴欧州!  今年の月下美人   奇奇怪怪な生き物   五千年の時を経て蘇ったエンドウ


ばーさん、がんばれ!   2005.12.28

バスタオル3枚、腹巻2枚、T字帯2枚、そして、着物の寝巻き2枚、それを地下1階の売店で購入し、エレベーターで4階に戻った。ばーさんは、点滴を受けながらベットに仰向けになっている。

”怖くない、落ち着いている” 

と口では言ってはいるが、その表情の奥には、言い知れぬ恐れと不安が隠されているのが感じられた。それは、もしかすると、私の心を映していたのかもしれない。

「そんなもの切り取ることなど、歯医者が私の虫歯を引き抜くよりはるかに簡単なことだ。何も心配する必要はない。手術が終わって、おまえが普通に戻ったら、倅と3人でおじばへ行って、親神様にお礼申し上げることにしよう」

私の言葉にバーさんはうなずいた。レントゲン、血液検査、尿検査、心電図、体重、身長測定、等の検査を午前中で終えて手術の時間を待った。しかし、緊急の手術が行われていて、それが終了しないことにはバーさんの番にはならない。

レントゲンとCTスキャンの写真を見せながら、医者はばーさんの状況を説明した。

「肛門から40cmのところに巨大な癌が出来ている。急を要する。年を越せる状況ではない。数日で必ず腸閉塞を起こして4転8倒の苦しみとなり、手の打ちようがなくなる。病院は29日から休みに入る。今日か明日しか時間がないのだ・・・。残念ながら肺と肝臓にも癌は転移している。それは、それで、化学療法などを考えるとして、今は絶対に手術が必要だ」

ということで即刻、入院手術、ということになった。そのことは前日に言われていたことでもあったが、ばーさんは死ぬかも知れない、と覚悟して、いろいろなことを整理するために帰宅したのであった。

”燃えるゴミは月、水、金、で燃えないゴミは木曜日、缶とビンは金曜日に出すんですよ”などと細かく言いながらメモして冷蔵庫のドアに貼り付けたり、通帳とか領収書、その他の重要書類などを私に引き継がせたりした。

「私が死んだら、あんた、ショックで何も出来なくなるんじゃない? 子供も成人式を過ぎたけど、生きていけないんじゃないの? ・・・一層のこと3人一緒に死のうか?」

バーさんはカーテンで囲ったベットの中で小声で言った。正直のところ私も死んだほうがいい、と思った。しかし、私にはまだ信仰があり、生への執着が強い。死ぬのはいつでも出来る。・・・しかも、バーさんは必ずしも、死ぬ、と決まっているわけではない。

先には絶望と不幸だけが先回りして待っているわけではない。逆に、心の持ち方一つ、信仰の力一つによって、健康で明るい人生が待っている可能性が無限に存在している。その不幸だけの可能性は打ち捨てて、喜びに満ち溢れた可能性を追求するのが、今の私のやるべきことではないのか・・・!

「何を言っているか! おまえは絶対に死なない。また、親神様がそうはさせない。おまえは優秀な女だ。親神様の用木、道の子として親神様はおまえを使いたいのだ。そのための心の掃除を今、神がしているのだ。そんな脆い心でどうするか!しっかりしろ〜]

バーさんは涙を拭いた。そして、午後4時45分、バーさんは手術台を押す2人の看護婦と共にエレベーターに乗り、下の3階にある手術室へと向かった。私は階段を下り、先回りして手術室の前でばーさんを待った。

看護婦がボタンを押すと手術室のシャッターが上がった。広大な空間が眩しい光の中に現れた。ばーさんは看護婦に導かれてその中に入った。そして、シャッターが閉まっていく。私は直立不動の姿勢でばーさんに頭を下げた。ばーさんは振り返って立ち止まり、じっと私を見つめた。そして、シャッターが完全に閉まり、私は孤独の世界へ投げ込まれた。

看護婦長の言いつけで、私は4階の待合室で待機することになった。その場所を離れるときは、必ずナーステーションの看護婦に申し出て、居場所をいつもはっきりしておくようにとのことであった。

 時間は長いようで短いような感じであった。一分一分が永遠の時空に漂っているような感じがしたり、過ぎた一時間が一瞬のように思えたりした。医者は2時間ほどで手術は終わるだろう、と言った。しかし、2時間を過ぎてもばーさんは出てこない。一分、一分が痛みを伴ってゆっくりと押し寄せて消えて行く。それからさらに一時間、それでも手術終了の知らせはない。

不吉な予感が次々と襲い掛かってくる。手術室に呼び出されて、ばーさんの亡骸と対面させられるのではないだろうか。そして、”最善を尽くしましたがどうにもなりませんでした” という医者の言葉を聴くのではないだろうか? 私はトイレに何度も行った。そうしないと自分自身を支えることが出来そうもなかったからだ。

20時30分、すでに3時間と45分が過ぎている。私は頭を抱えて椅子に座ったまま目をつぶり、神に祈った。”ばーさんを助けてください。神様、なにとぞばーさんの命を助けてください・・・、神様、助けてください・・・”

点滴を腕に付けたまま歩き回る痩せた老人が、私に時々、視線を向けたりした。傍を意識不明の、蒼白の顔をした婦人が、手術台に乗せられて慌しく運ばれ行く。私の不安はますます増大して行った。

20時45分、看護婦が声をかけてきた。

「手術が終わりました。医師がお話があるそうですから、3階の控え室へ行ってください」

私は階段を駆け下り、その部屋のドアを開けた。なんともいえない生肉の匂いがした。40代の痩せ型の医師が待っていた。前のデスクの上には、プラスチック製の容器に肉の塊が置かれていた。

「これが切り取った癌の塊です。小腸とも癒着しておりましたので、それも切り取りました。リンパ節にも転移しておりましたので、それも切り取りました。手術は難航しましたが無事に終了することが出来ました」

医師は大腸と肉の塊を指で押し広げて見せながら説明した。約250グラムはあろうかと思われる肉片、そして、その異臭、私は目がくらみそうであったが、脆い己の心を叱咤して、それをしっかりと見つめた。癌の部分は黒く、大腸はすでに閉塞状態になっていた。間一髪で間に合ったのだ。

「しかし、これからが大変です。回復までにはいろいろな難題が控えています。まず、麻酔が切れると激痛に襲われる。痛み止めを打ってもあまり効き目はありません。しかし、みなそれを乗り越えているのですから、大丈夫です。そして、回復後、今度は転移した癌との闘いとなります。どうぞ、しっかりと頑張ってください・・・」

私は何度も頭を下げた。そして、信仰と神の力、奇跡で必ずそれを乗り越えて見せる、という新たな勇気と力が湧きあがってきた。ばーさんは意識が回復し、私の呼びかけに答えた。

「よくがんばった、ありがとう・・・・」

それ以上、言葉が出なかった。ばーさんはかすかな声で ”寒い” と言った。看護婦にそのことを言うと、電気毛布だから、もうすぐ、あたたかくなります、と答えた。

22時丁度、ばーさんは再び深い眠りに入った。私はこれで帰らねばならなかった。面会時間は20時までだが、私の場合は緊急手術ということで大目に見たもらったのである。家では、倅が心配しながら待っているだろう。私は交通量の少なくなった国道を走られて家に急いだ。上空にはフロントガラス越しに、ひときわ明るい星が見える。私は心の中で叫んだ。 ”ばーさん、頑張れ!”

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キング・コングの愛  12・25

私は64歳でござーますが、何と精神年齢は18歳であります。したがって肉体機能も18歳未満であります。ですから、少年のようにはしゃぎながら、休みの時はよく映画を観にいきます(シニア料金で1000円であるからかも・・・)。 

今日の映画はキング・コングでした。いやはや何と凄い映画であります。理屈はどうであれ、とにかく面白い。身長8m余の巨大キングコングが恐竜を投げ飛ばし、牙だらけのその口を引き裂いたり、超高層ビルの天辺によじ登ってプロペラ複葉戦闘機を叩き落したりするのです。

1930年代のニューヨーク大都会の真っ只中で、あらゆる種類の車両を叩き蹴飛ばして破壊したり、わめき散らし、跳んだり撥ねたりする、凄まじいパワーであります。

ストーリーは複雑な事情で申し上げられませんが、主役はナオミ・ワッツ演じる美女アン・ダロナで、恋人役はエイドリアン・プロディ演じる脚本家ジャック・ドリスコルであります。簡単に申し上げますと、映画プロデューサーのカール・デナムの野望のままにドラマが展開されて行った、ということであります。

監督はロード・オブ・ザ・リングのあの有名なピーター・ジャックソンであります。多彩なセットと精密なCG映像、そのど迫力に度肝を抜かれました。久しぶりにストレスが吹っ飛びまして、スッキリといたしました。

・・・しかし、屁理屈面で引っかかるところも少なくはありません。8メートル余の巨大なキング・コング、それが、背景と比較して小さかったり、凍った池の上で滑っても氷が割れなかったり、超高層ビルを上るとき、握る窓枠が壊れなかったり、おかしなところが各所で見られます。

キングコングの掌に乗って、コングの顔しか見ていない筈のダロナが、コングが眺めているニューヨークの景色を眺めているかのように

[まー綺麗〜・・・」

と呟くシーンは矛盾しています。しかも、夕日に照射されていないはずの顔が、夕日に美しく輝いているさまは納得できない。・・・まあ、そんなことはどうでもいいことでありまして、問題は楽しめばいいのであります。・・・しかし、これほどの超巨体の持ち主ですから、その排泄物は凄いと思います。

おしっこに致しましても、その量は銭湯の湯船以上になるはずですし、オナラを出そうものなら半径10キロ四方が毒ガスによって汚染されるはずです。しかも、そのおくそは、少なくともダンプトラックの1台分は出ると思います。

さらに、この原始の島にはゴングの、親戚縁者、親兄弟はいないかのようになっております。父親と母親が存在して初めて子供が出来る。では、そのコングの親はどうしたのであろうか?兄弟は? 親戚は? ・・・しかし、島にはコングの身内はまったく存在しないような雰囲気になっております。

島の土人たちが築いた高さ3m余のコング避けの擁壁、長さは数キロにも及ぶ・・・。それは、人力だけでは、10年や20年そこらで出来るものではない。少なくとも百年はかかる。

ということはこのキングコングは100年以上も年を取っている、ということになるのか? コングの寿命は80年と見た。それは両親が数年前までは生きていた、とうことを意味する。そして、両親の死後、彼だけが取り残されて、成長して生き残っている、という筋書きになる。

しかし、最後は涙が出ました。ただ一筋に愛するダロナを見つめながら、超高層ビルの天辺から血まみれになってずり落ちて行くコング・・・。

 そして、空間に浮かんで、地上に落下して行く・・・。その空間の時間はコングにとっては永遠であろう。・・・何故なら、愛は一瞬の中に永遠の宇宙を作り上げてしまうからだ・・・。

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宇宙雑考   12.23

光は一秒間に299,042km、四捨五入して約30万キロも飛ぶそうです。地球の赤道上の円周の長さは約4万kmですから、光は一秒間で地球を7回半も回るという計算になります。いやはやまったく凄いですね!電光石火の早業、という言葉がありますが、人間業の次元をはるかに超えたものであります。その光は、お月様までが1.3秒、太陽までが約8分と19秒、太陽系で最も遠くにある冥王星まで5時間20分かかって到達いたします。冥王星までの距離、58億キロ、私の軽自動車をスピード違反の、時速100キロで走らせますと、約670年かかります。それを光はたったの5時間20分、改めてびっくり仰天でございます。

しかし、その光でさえも、我々の銀河系の果てから果てまでを、何と、10万年かかってようやくたどり着くのであります。改めて、いやはやまったく凄いですね〜〜〜!太陽のような恒星を二千億個以上も引き連れて渦巻きながら、宇宙無限性の果てへ猛スビードで進んでいる我々の銀河、天の河、一体、そこに何があるのでしょうか? そして、あなたは一体なんでしょうか?疑問と謎は新たな謎と疑問を呼び、猛り狂うマグマを鎮めるオーロラのように渦を巻いて、神秘の世界で輝くのみであります。

だが、しかし、さらに驚くべきことに、この超巨大にして超広大な銀河がこの宇宙には、インダス河の砂の数以上に存在するそうです。・・・これまたびっくり仰天の驚愕ですね? 一体全体、この宇宙の広がりはどうなっているのでしょうか? これは想像の次元を超えた、やけくそ幻想の次元でしかありません。今、宇宙の果てで発見されている最も遠い銀河は、130億光年の彼方にあります。意外と小さく、直径が2千光年しかありません。活動が活発であるとのことですが、それは130億年前の姿であって、今、現在はどのようになっているか知る術もありません。

宇宙の話になりますと驚くことばかりでございますが、その最果てにある銀河は全て光速に近い速さで遠ざかっております。ということは、その最果てから見ますと、我々の銀河も光速に近い速さで飛んでいる、ということになりますね? 

秒速30万キロの光、それが一年間走る距離を一光年と言いますが、計算いたしますと10兆kmになります。130億の10兆倍の距離と光速の相対性から生まれてくる時間、Time、・・・とてもではございませんが想像が出来ません。

しかし、その光速をアインシュタインは、地上でのデータをそのまま宇宙空間に当てはめましたが、最近の研究で誤りであることが分りました。つまり、光はどこでも秒速・29万9042kmではなく、宇宙空間においての光速は無限である、となったのであります。もし、そうだとすると、130億光年彼方の最遠の銀河は意外と現在に近い姿を見せているのかもしれませんね?

光と時間は密接な関係がありますが、時間は絶対的ではなく、運動する物体上によって変化する、という相対時間は、光速が無限のところではどうなるのでしょうか? 謎は、謎の泥海を生み出して、ノイロンシナプスがショートしそうな感じになってまいります。

20世紀最大の偉大な哲学者の一人であり、偉大な霊能者の一人でもあると言われるエドガー・ケイシーは

「時間というものは実際には存在しない。時間というのはただの方便にしか過ぎない、ぐわっはっはっはっはっはっはは〜〜〜]

と言っておられます。さらに地球人ではなくて、ある宇宙からやって来て、太陽系のある惑星に住んでいるという宇宙船の船長、ラムーさんは

「時間とは天体の運動に基づく単なる規則である。それは単なる効果であって、物体の運動、または質点の加速度が光をよりどころとするなら、時間は力の結果であり、力が原因である。したがって力が変動し消費されると、それに応じて時間も変動する]

と難しいことを仰っております。私にはまったく理解できませんが、水面に落す石の大きさと落下速度によって、それによって生じる波紋の大きさと広がる速さが変わる、というようなことを言っておるのでしょうね?

今日は久しぶりの日記なのでピントが狂ってしまいました。読み辛いでしょうが、寛大に笑って読み流してください! 今日は天皇誕生日、仕事は休みなのでのんびりとしております。では、また、 See you next !


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ドジョウの鳴き声 12・9

前の日記で水槽で飼っている出目金やフナ、ドジョウ、テトラを取り上げましたが、もう1尾、ゴリドラスジュリーがおります。 体長は約4センチで鯰の仲間だそうです。水槽の中では最年長で6年にもなります。最近まで3尾おりましたが、2尾だけが仲良くいつも一緒にいて、他の1尾をのけものにしておりました。その2尾が姿が見えなくなり、いつも隠れていた1尾が自由に泳ぎまわっているのであります。

おそらく2尾は天寿を全うされたと思いますが、その亡骸がないのは3尾のドジョウという掃除屋がいるからだ、と最近分るようになりました。それに大型化した2尾のフナも掃除屋に協力していると思います。

学生時代、奈良の天理市におりましたが、その頃の天理市は田畑が多く、清水の小川が至る所を流れ、周囲の山々が神秘的な連なりを見せておりました。その小川にドジョウがかなり多く生息しておりました。今は農薬や宅地造成でほとんど見られなくなっているはずです。

学校帰り、その小川に沿っていつも寮へ戻っていたのですが、ある日、その小川から甲高い鳴き声が聞こえてきた。不思議に思って覗き込みますと、なんと1尾の大きなドジョウが口をぱっくり開いて鳴いていたのです。鳴き声というよりギャ〜、ギャ〜という叫びのようにも聞こえました。ドジョウが鳴き声を発する・・・、おそらく知らない方が多いと思います。

水槽の底で、警戒態勢を取ってじっとしているドジョウを見ますと、学生時代のあの鳴き声が聞こえてくるような気がいたします。あの時のドジョウは何と言っていたのでしょうか? ・・・おそらく、「自然を大切に、命を大切に、ファイト一発で行きましょう!」 と叫んでいたのかもしれませんね・・・?

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フナとドジョウと、出目金とテトラ 12・3

私の水槽には出目金2尾、ドジョウ3尾、フナ2尾、テトラ1尾がユウユウと生息しております。数日前まではネオンテトラ2尾がおりましたが、今、確認いたしますと姿が完全に見当たりません。

3年余りも生きていたのですが、やはり寿命だったのでしょうかね・・・? 寂しい思いがいたします。

それにいたしましても、このドジョウとフナは凄い生命力、逞しいですね? 現場のドブ川から持ち帰った時は、5センチと2センチ未満の大きさでしたが、それが1年半近くでドジョウ18センチ余り、フナ10センチあまりにも成長しております。

2尾の出目金はちょうど1年になります。ビックサムで買った最初は2センチほどでしたが、今では10センチ余りになっております。

私が近づきますと、ドジョウは逃げて壷の中に入りますが、出目金とフナは私を歓迎してガラスに口を付けて盛んに尻尾を振ります。餌をねだっているのであります。

可愛いですね! ついつい餌を与え過ぎて肥満にさせてしまい、バーさんに怒られたりしております。

それにしても時の流れのままに、元気で成長していくその様は、私にとってうれしいことであります。

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驚異の175歳  11・27

1835年、進化論で有名なイギリスの自然科学者チャールズ・ダーヴインはガラパゴス諸島から3頭のゾウガメを持ち帰った。152年後の1987年彼らはオーストラリア動物園へ引き取られましたが、2頭は死んでしまいました。その生き残りの一頭、ハリエットが今も生きております。11月15日に175歳の誕生日を迎えております。

凄いですね・・・! 175歳、世界最高齢の亀としてギネスブックで認定されているそうです。他の2頭も152年余りは生きたことになり、驚異の長生きであります。そのハリエットは鑑定の結果、1830年に孵化したことが判明しておりますので、その信憑性は大きいと言えます。

ギネス・レコードによる人間の長寿者はフランの女性ジャンヌ・カルマンの122歳(1875〜1997)で、2位が日本の泉重千代、120歳と237日(1865〜1986)となっております。如何に人間といえども、ゾウガメの175歳には及ばないものですね?

ところがですよ、記録によりますと、人間にはそれ以上の209歳まで長生きされた方が存在するのです。しかも、日本人なのです。その人は江戸中期の方で、因幡の国(鳥取県)の百姓・儀左衛門であります。これはちゃんとした記録がありますので出鱈目、とは言い切れません。興味のある方は鳥取県の県庁で調べてください。

そして、伝説によりますと、ノアの末裔であるアブラハムが175歳、その父・テラが205歳であります。しかし、儀左衛門には及ばないわけですね? 最近の話では、旧ソ連の農夫、シライ・ムスリモフが168歳まで生きております。1974年の9月に他界しております。彼は130歳のときに56歳の奥さんを懐妊させ、女の子を産まさせております。彼こそお床の中の男、男の鏡であります。

滝沢馬琴の記録によりますと、三河国宝飯郡水泉村の百姓・満平という方が195歳(1602〜1796)まで生きております。ちなみにいろいろと申し上げますと、11代・垂仁天皇が139歳、初代の神武天皇が127歳となっております。戦国武将の上杉謙信は49歳、武田信玄は53歳、豊臣秀吉は63歳、ピカソ91歳、ミケランジェロ90歳となっております。

縄文時代の平均寿命は20歳だったそうです。弥生時代は25歳、そして、江戸時代は40歳前後で、大正時代が43歳、昭和22年が52歳となっております。それに比べますと平成の御世は平均寿命82.12歳となっておりまして、日本は世界一の長寿国となってしまいました。

・・・ここで思うのですが、おそらく、あと20年程すると日本人の寿命は永久不滅、となるかも・・・? しかし、それに相応しい心、人格、徳性が備わりませんと混乱を引き起こしかねないかも・・・? いずれにしてもハリエット様の175歳、心から敬意を表します。

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女の執念 11・14

「すべての人間は、もし出来れば暴君になりたいと思っている」

これはロビンソン・クルーソーの著者、ダニエル・デフォーのお言葉です。人間は意識的にせよ、無意識的にせよ、野望への壮絶な執念に身を焦がす生き物ゆえに、当然といえば同然ですが、暴君は必ず亡君となってしまうものであります。

3千年前、バテシバはダビデ王の子供を身ごもった。女性の幸せとは、誘惑者に出会うことにほかならない、とキエルゴールが仰った通り、彼女はダビデ王の誘惑に幸せを感じたのだ。それでダビデ王と共謀して、夫を最前線へ送らせて戦死させ、ダビデ王の何十番目かの側室となり、彼の10人目の男の子を生んだのであります。その子がソロモン王となった。

その頃、北イエメンの首都、サヌアの東でシバの女王が栄えていた。彼女はソロモン王の富と知恵を聞き知り、2400キロ離れた彼の居る砂漠の果て、エルサレムへ向かった。知恵比べするためであった。結果はシバの女王が負けた。そこで、ソロモン王の子種を頂いて帰り、男の子を出産した。彼がメネリク1世としてエチオピア建国の祖となったという次第です。

女の執念、凄まじいですね。ポンパドール侯爵夫人だったフランスのジャンヌ・アントワネット・ポワソン、その美貌を武器にして王に近づいて恋の虜にし、国政を左右、贅沢三枚で国庫を空にしてしまった。怒った大臣たちが文句を言うと、

「After me the Deluge.(わらわの死後は大洪水よ起これ)」

と絶叫した。さらに、さらにルイ16世の王妃、マリー・アントワネットも酒池肉林、贅沢三昧、盃一杯で1億もする香水の池を作ったりしたおかげで国庫が空になった。そこで大臣たちが「人民はパンを食べることも出来ません」 と苦情を言うと、

[Let them eat cake !] (それなら、ケーキを食わせろ)

とのたまったのでござんす。

「貧乏人は麦を食え」

と言った総理大臣が昔おりましたが

「貧乏人はステーキを食え」

と言ったほうがよかったかもしれませんね。

えーっと、ばーさんが騒いでいますので今宵はここまで・・・。これからお風呂に入ってビールを飲んで寝ることに致します。国庫を空にするばーさんでなくてよかった、と神様に感謝して寝ることに致します。

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青汁と葡萄酒 11・13

「人生とは、あらゆる患者がベットを代えたい願望にとりつかれている病院である」 

と昔のフランスの詩人、シャルル・ボートレールが書いています。しかし、私はベッドではありませんが、古畳を新しく取り替えたい、などと思ったりしたことなどは一度もありません。何と申しましょうか、貞操観念が強くて、自分で言うのもなんですが、真面目すぎるんですね・・・? 決してバーさんが怖いのではありませんので、念のために付け加えておきます。

彼は1867年に発作を起こして失語症で亡くなったのですが 

「恋人は1ビンの葡萄酒であり、女房は葡萄酒のビンである」

とも書いている。私は真面目ですので火遊びなどはしたことがない。つまり、ばーさん一筋でここまで来た。そういうわけで、ばーさんは、にがい青汁であり、そのビンでもある。

 そのばーさんが00月00日、??才の誕生日を迎えた。本人は毎年、無意識的にそれを完全に忘れる。そこでその日の朝の出勤前、

「誕生日、おめでとう」 

というと顔がひきつけを起こした。

「地獄へ突き落とすような単語を並べないで〜、ああ! 早く死にたい」 

そこで、

「なぜ早く死にたいんだ? あの世に好きな男がいるからか?・・・」

と訊いた。 ばーさんは黙って私を見つめたあとで答えた。

「そんなの居るわけないでしょう! それより、私がしわくちゃのばーさんになって死んだら、あんたこそ若い後妻を探すんでしょう? ・・・ちきしょう、くやしい〜〜〜!」

「心配するな。おまえは永遠に心の中で生き続ける。神は私の心を磨くためにおまえを贈ったのだ。肉体を超越した、誰にも負けないこの私の愛、それがお前には見えないのか」

「・・・そんな愛より、私は永遠の若さと美貌と金が欲しいよ〜〜〜」

・・・話になりませんね? 青汁も醗酵すると、いつか上質の葡萄酒になるかもしれません。その日を夢見て、今日はこれにて失礼致します。

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頑張れ、その男! 11・11

先月19日に「胸が痛んだ昼下がり」という題名の日記を載せましたが、翌日、その男は再び現れた。現場入口近くの、歩道の端っこで座り込んでいた。苦しげな息使いをし、体力を消耗しきって行き倒れ寸前、という感じであった。ぼろぼろの汚い衣服、伸び放題の髭、ぼさぼさで固まったような頭髪、黒く、垢で汚れた顔、痩せ細った手足、同じ人間なのに、なぜ・・・? 私は胸が締めつけらるような苦しみを覚えた。

私は作業の手を止めて、車の座席に置いてあったバックから、おにぎりを取り出して彼に差し出した。彼は身動きもせずにしばらく黙っていたが、やがて拝むようにして受け取り、食べ始めた。私は、さらにペットボトルのお茶と、500円玉一個を差し出すと、涙ぐむような表情で言った。

「ありがとう、本当にありがとう・・・」

「とんでもありません、こちらこそお礼を言います。受け取ってくれてありがとう・・・」

私は彼に頭を下げた後、現場に戻り、作業を再開した。

その日の夜、ばーさんにその事を伝えますと笑いながら怒鳴った。

「その人、きっと、毎日来るよ。どうするの? 変なクセつけたわね〜」

「いいじゃないか、それで・・・。来るならば、いつまでも私は与え続ける。・・・しかし、この現場もあと一ヶ月ほどだから、その後はそれが出来なくなるわけだ。あの男、どうなるのかなー、可哀そうだ・・・」

しかし、翌日、彼は現れなかった。そして、その次の日も、また、その日の次も、彼はずーっと現れなかったのであります。どこかで行き倒れとなったのだろうか? 病気で倒れたまま、ダンボールの中に動けないでいるのだろうか? 心配は次々と沸きあがって来た。しかし、3週間以上が過ぎますと、その事をすっかり忘れ、仕事に追われる日々となった。

昨日の11日、私は作業車を運転し、久米川駅北口にある現場の資材置き場に、単管パイプ50本をほどを運搬していつもの現場へ戻った。その途中、踏み切りにさしかかって一時停車した時、リヤカーを引っ張った汚い男が横を通り過ぎた。

その顔を見て、私はびっくりした。おにぎりと小銭をあげたあの男だった。リヤカーの中にはくず鉄があった。相変わらず髭は伸び放題で、ボロをまとっていたが、その目は生きていた。体の動きはのろのろとして、時々よろけたりする。しかし、働くという意欲が全身に漲っていた。

彼に明日はない・・・。しかし、それは人間全て、いや、命あるもの全てに言える事である。生きている存在として大切なことは今日一日、今のこの一瞬、一瞬をいかなる心で、いかなる働きで生きているか、ということではないのか?

今しがたまで、元気で、何不自由なく、何の不安もなく明るく生きていた者が、一瞬にして事故で、病気で死んでしまう。富める者が幸せとは限らない現実であります。大切なことはこの一瞬であり、今日一日ではないのか? 野生の動物が、一瞬一瞬を懸命に生きていくように、あの男も今の今を懸命に働いて生きていこうとしている。

・・・踏切りを過ぎて、バックミラーで男の姿を見ると、夕日の逆光に輪郭を輝かしながら、長い影を引いて遠ざかって行くのが見えた。

「頑張れ、あの男!」

私は思わず心の中で叫んだ。

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厳しい生存 11・10

雨上がりの空は、まだ雲がいっぱいであります。土曜日の朝はのんびりと机を前にコーヒーを飲みます。PCの電源を入れ、それが立ち上がるまでは5分ほどかかりますので、その間、ベランダの戸を開けまして、外の様子を眺めるのであります。

灰色の雲はいろいろな模様を描いて連なり、空一面に広がっております。微妙な濃淡の光に輝きながら、陽光を隙間の至る所からこぼしている様は壮観でもあります。

そして、眼前の電線に雀が2羽、身体を寄せ合って止まっている。電線には無数の雨滴が付着しておりまして、雀のちょっとした動きで、それらが煌めきながら落下していく。

人間界の生存は厳しい。しかし、それ以上に雀界の生存は脆くて厳しいはずだが、眼前の2羽にはそれが見られない。そこから怒涛のように生じるはずの絶望、苦しみ、不安、迷いなどの煩悩は見られないのであります。

女房の雀が言った。

「あんた、私のこと愛している?」

すると、亭主の雀が答えた。

「・・・当たり前じゃないか、誰よりも誰よりも君を愛している。それは誰にも負けない愛なのだ」

「まあ〜、うれしい、私、最高に幸せよ〜〜〜〜。今宵の晩御飯のおかずは、雀のから揚げにしましょうね・・・」

突然、黒い影が稲妻のように視界を鋭く切った。飢えたカラスだった。旦那の雀が地上に落下した。女房雀は茂みに隠れた。カラスが再び現れ、地上に転がった雀をくわえて灰色の空に舞い上がった。

そして高いビルの屋上に止まった。そこには、彼の女房が待っていた。

「あなたって素敵ね〜〜〜! 仲良く雀をご馳走いたしましょう! 愛しているわよ〜〜〜!」

肉をついばむ屋上の黒い二つの塊を、茂みの女房雀はいつまでも、じっと見つめていた。

生存・・・、それは冷酷で、悲しくて、悲惨であり、幸せはその隙間から零れ落ちる雨滴に過ぎないのかも・・・?

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流れに逆らわず 11.6

最近気がついたのですが、あなたと私を除いて世界中がおかしくなっている。つまり、狂っているとしか言いようがない。

大雨の後、公園の水たまりに釣り糸をたれている男がいた。ネクタイを締め、外見は立派な紳士であった。立ち止まって

「なにか釣れましたか?」

と声をかけると、男は身動きもせずに怒った声で答えた。

「こんなところに魚がいるわけないだろう。おまえ、馬鹿か。精神病院へでも行け……。」

 その他、犬を紐で締め、おんぶして歩くきれいなおばさん。電車の中で勝手に動く腕を、懸命に他の手で押さえているサラリーマン風の男。真夏の駅で真冬の服装をし、なにやらとなえている肥満女性、交通量の激しい道路の真ん中で、太極拳を格好良く演じている男、赤いミニスカートで、すまして歩く厚化粧の老婆、ゴリラのような顔で女装して歩く色黒男……、数えればきりがない。

 人々はすさまじい狂気を、世間体と見栄で懸命に押さえ込んで、かろうじて正常さを保っているように思えてならないのです。しかし、無理もないことです。今の世の中、右を向いても左を向いても嫌なことばかり、金と権力が愛と正義、神、仏を支配し、悪が大道を闊歩するご時世であるからだ。

 絶望と恐れと不安と焦り、ストレス、それらの要素が幾重にも重なり合って人々を異常性格へと導いていく。それ故にゲームに魂を抜かれたり、飲み、打つ、買うに填り込んで現実の苦しみから逃れようとする。しかし、それらは全て一時的なもので、すぐに現実の地獄に引き戻されて苦しみ、のたうちまわることになる。

 それから逃れる術はただ一つ。煩悩を捨て、心を空にする事である。しかし、それは諦めではない。恐れの対象に挑む勇気とやる気が根底で燃えねばならない。だが、心病める者にはそのこと自体が不可能である。

この地球、天体なしには生きられないという現実、息一つ、心臓の鼓動一つでさえもままならぬ脆い人間、その実体を素直に受け入れて、謙虚にして寛大な心で世界を見つめて行くことが大切だと思う。流れに逆らわず、流れのままに流されても、辿り着く目標への舵はしっかりと握りしめる。これが人間に出来ることだと思います。

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天は吾を見捨てず 11.3

朝のコーヒー、いいですね〜〜〜! 特に作業開始前、現場を前に、熱い缶コーヒーを飲むときの味は最高です。それで最近、現場へ行く途中の自動販売機で缶コーヒーを買うのがクセとなり、一種の儀式のようなものとなってしまっている。

ところが、昨日に限って財布にお金が入っていないのであります。私の小遣いは一日500円、毎朝ばーさんから貰って出勤します。その500円をテーブルの上に置いたまま出勤したのであります。

とたんに世界が真っ暗、毎朝の楽しみと儀式が破壊されてしまった。仕方がないので諦めて作業車に戻り、何気なくズボンの後ろポケットを触ったとき、なんと中に120円が入っていたのです。何故、それがあったのか? 永遠の謎であります。

途端に真っ暗な世界が眩しく輝いた。私はいそいそと道路を横断し、再びその自動販売機の前に立った。そして、コイン投入口に100円玉を入れた。しかし、いつもと違って入り難い感じがした。続いて10円玉を2個、強引に入れてボタンを押した。だが、缶コーヒーは出ない。何度押しても同じことであった。不思議に思って良く見ると、なんとコインが詰まっていたのです。コイン投入口から中で詰まっているコインが見えた。

それを指で押したり、叩いたり、爪先を入れて引っ掻き出そうと空しくも、涙ぐましき努力をしたのですが無駄な抵抗でありました。こうなっては打つ手なし、せっかくの120円がパーであります。今日はツイていない、天は吾を見捨てたか・・・!真っ暗な世界が再び広がった。

しかし、どうしても諦めきれない。これでは今日一日憂鬱で、満足に作業が出来なくなる。そこで、針金を作業車の道具箱から取り出して、自動販売機に戻った。投入口に針金を差し込んで、コインの尻を数回押してみた。それでも落下しない。それを何回か繰り返した後、その動作をしながら何気なく、コイン戻りレバーをガチャガチャと上下に動かした。

すると、奇蹟が起こった。何と、ジャラジャラジャラ〜〜〜と多量のコインが落ちたのであります。500円玉や100円、50円玉、総計1380円、ぎゃ〜〜〜、私は心の中で叫び声をあげてそれを小銭入れに入れ、缶コーヒーを出して車に戻った。何人かの人がコインを詰まらせて無念の涙で引き上げたのだ。それが全て私のものとなってしまったのだ。

天は吾を見捨てず・・・!その日一日、私は眩しい光に包まれて仕事を完成させた。帰りはビールを買って家で盛大に飲みました・・・!

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日本最初のストリップショウ 10・31

”ストリップ” という単語はどういう訳か男女を問わず、人の関心を引くようです。一昨日の日記でその単語がつく題名を付けて載せませたところ、なんと訪問者が5名にもなりました。普通ですと2人前後でありますが、この数字はそれの2倍以上となります。訪問者5名、皆様方の HP Visitor の数からはたいした数ではないのですが、私にとっては有り得ない奇跡的数字であります。

・・・ということは私の日記はあまり面白くない、ということにもなります。・・・しかし、ご来訪してくださる方がいてくださる、ということは救いでもあり、私にはありがたいことでありますので、この場を借りて深く感謝の意を表します。

土方の分際で偉そうなことを言うようですが、私の目的は、あくまでも人間的なものを超越した宇宙ハートへの接近です。身の程も弁えず、これからも偉そうに、くだらない日記を書き続けていきますので、寛大な皆様方、これからもよろしく〜〜〜!

という前口上はこれぐらいに致しまして、”ストリップ” という単語のつく題名の日記を今日も書くことに致します。これは英語の "strip" のことだと思います。しかし、これは動詞で ”裸になる” ”衣服を脱ぐ” という意味になり、名詞として取り上げますと ”板や布などの細長い片” あるいは ”急造滑走路” となる、と和英辞典に載っております。”素っ裸”という意味の名詞は "the nude" だそうですので、何かの参考にしてください。

ようするに ”ストリップ” なんですが、男のストリップはあまり聞いたことはありませんし、誰も見たくないものだと思います。やはり、ストリップは女でないといけませんね? しかし、80歳以上のご婦人はちょっと・・・ですね? 世界にはそれがいいという方もおるようであります。インドで80過ぎの女性と25歳の男が結婚したのですから・・・。しかも、なんとご両人は祖母と孫の間柄なんです。インドの法律では孫と祖母、祖父の結婚は認めているそうです。

また、暑い国の裸で暮らす人々は毎日ただで見ておりますので、ストリップには興味はないようです。裸を隠す、衣服を着る、それがあるためにストリップショウは流行るのだと思います。

ところで日本で始めてストリップショウが行われたのは、いつの時代で、何処で、誰が、どういう経緯でやったかご存知でしょうか? 実はずっと大昔、神代の時代、天岩戸隠れ事件の時にあったのです。その年代はいろいろと言われておりますが、学問的な推察からはBC400年前後といわれております。インドでお釈迦様が生まれて苦行をし、悟りを開いて、それを伝えていた時代であります。

日本神話を百科事典で調べてみますと、以下のことが分かりました。私のような土方は、百科事典とインターネットの検索がないと何も分からないのであります。

それによりますと、この世の元始まりは天地の境はなくて混沌としていたそうです。それがなぜか天と地が分かれたのであります。澄んだ気と重い気が分離したということです。牛乳に酢を入れますと水と白い塊に分かれます。そのような感じでこの世は天と地の区別が出来たのでしょうね? あるいは重力が中心に出来て、重いのは下に、軽いのは上昇した、ということかも知れません。これは原始地球の頃、約40億年前を差していると思います。いずれにせよ、私にはそんな難しいことは良く分かりませんので、次に進みます。

この天地の中心が高天原(たかまがはら)と呼ばれるそうです。そこに、5柱の神様が突然、次々と発生したのであります。アメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミ、ウマシアシカビヒコジノカミ、アメノウトコタチノカミ、という発音しにくい神名をそれぞれはもっております。何処の誰が命名したのかは定かではありません。私なら、神a-1、神a-2、・・・b-1、・・・c-100、というように簡単に発音でき、理解できる名前をつけます。神代時代の名付け親、機転が利きませんね?

今日の日記、余談が多すぎます。大変失礼致しました。それでも本題への道はかなり遠いので簡単に申し上げます。つまり、この5柱の神々は姿を見せることなくすぐに消えてしまったのであります。何故そうなったか、永遠の謎でございます。その後も神々は誕生するのですが、最後の7代目にイザナギノミコとイザナミノミコトが誕生いたしました。

いろいろとその後のストーリがあるのでございますが、これをこと細かく述べておりますと膨大な時間とエネルギーがかかりますので省略いたします。このお二人は結婚いたしまして、淡路島と四国を手始めに次々と八つの島を生みまして、日本列島を完成させたのであります。その後、山や海の神々も次々と産みまして、最後にホノカグツチという火の神を生んだため、イザナミノミコトは大火傷をして死んでしまいました。

男であるイザナギノミコト、凄い数の神々はもとより日本列島までも生ませたのですから、すごい精力家だったんですね?羨ましいかぎりであります。その後もいろいろとストーリがあるのでありますが、これも省略いたします。

そのイザナギノミコトは男であるのですが、なんと3人の子供を産んだのであります。彼はある事情により、黄泉の国にいる妻のイザナミノミコトに命を狙われて追われ、命からがら逃げ帰ります。そして、九州の阿波岐原(あわぎはら)の清流に入り、黄泉の国で汚れた身体を清めました。これを禊祓(みそぎはらえ)と言うそうです。

その時に、ナオビノカミ(鍋を直す神)などの多くの神を生んだのですが、最後に左目を洗って天照大神、右目を洗って月読神、鼻を洗って須佐之男神が生まれたということです。男が子供を産む、目や鼻に子宮があったのか・・・? とっても考えられないことであります。もちろん、そこに受精卵を移植すればそれが成長して何とかなるはずですが、そんな面倒なことはしないでもいいはずであります。

で、ここで生まれたこの3柱の神様をイザナギノミコとは大変可愛がりまして、天照大神には高天原を、月読神には夜の世界を、須佐乃男尊には海を治めよと命じたのであります。ところがこの須佐乃男神は己の任務を放棄いたしまして、母のいる黄泉の国へ行きたいと泣き叫んだのでございます。それによって山々の緑は枯れ果て、川や海の水は干上がったのであります。

・・・しかし、何かおかしいですね? だって、彼はイザナギノミコトから生まれたので、母はイザナミノミコトではなくて、乳、いや、父であるイザナギノミコと、ということになる。イザナミノミコトとは血の繋がりはないはずであります。それだのに何故、イザナミが母なのか? これも永遠の謎であります。

また、また、横道にそれましたが、結局は須佐乃男尊の狼藉に大変立腹いたしましたイザナギが彼を地上に追放いたのであります。しかし、彼はその後もたいへん乱暴を働きましたので、姉である天照大神は悲しみのあまり天岩戸に閉じこもったのであります。いま、青少年の閉じ篭りが問題化しておりますが、根元はここにあるのかもしれませんね?

天照大神は太陽の化身であります。その太陽が岩穴に隠れましたので世界は真っ暗闇となりました。これは一大事であります。第一、光合成で生きている植物が枯れることになる。そして、人も獣も生きる気力と体力を失っていったのであります。そして、魑魅魍魎が徘徊し、あらゆる災いが至る所で勃発した。

困ったのが八百万の神々であります。これでは世界を秩序正しく治めることが出来ない。このままでは、この世は混乱し、悪に支配されてしまう。なんとしてでも天照大神を天岩戸から外に出すのだ・・・、という事でみなが集まって相談をすることになった。

参考までに、ここで登場する主なる八百万の神々の名前を記しておきますので、何かの参考にしてください。

、”天照大神、須佐之男神、天鈿女神、思兼神、天手力男神、天太玉神、天児屋根神、天目一箇神、石凝姥神、天羽槌雄神 (あまてらすおおかみ、すさのうのみこと、あめのうずめのみこと、おもいかねのかみ、あめのたじからおのかみ、あめのふとだまのかみ、あめのこやねのかみ、あめのまひとつのかみ、いしこりどめのかみ、あめのはづじおのかみ)

天照大神をいかにして天岩戸から連れ出すか? 八百万の神々は天の安の河原に集合いたしまして、知恵の神、思兼神を参謀長官としていろいろと作戦を練ったのであります。

その作戦とは岩戸の前でお祭りをし、天照大神が興味を注がれ、外の様子を覗くためにちょっと天岩戸を開けたその瞬間に、ヘラクレス顔負けの怪力の神様・天手力男神が一気に岩戸を開けて外に出す、という単純な発想であります。

天香具山から根こそぎ引き抜いてきた榊の木を岩戸の前に立て、玉飾りや白と青の布を上の枝や中の枝に下げて天太玉神が持ちます。そして、天児屋根神が「天照大神様、どーぞ外に出てくださ〜い・・・」 という意味の太祝詞(ふとのりと)を唱えます。そして、ニワトリがコケコッコ〜、と鳴く。このニワトリは長鳴鶏と呼ばれ、日の神の使いとされております。

そして、お祭りが始り、賑やかな神々の笑い声が闇の中に木霊しあっていった。ここでついに、日本最初のストリップショウが始ったのであります。なんと絶世の美女神・天鈿女神(あめのうずめのみこと)が豊満な乳房を露にし、腰を振って踊りだしたのであります。神々はほとんど男神でしたので、びっくり仰天、ボルテージが上がって絶叫、総立ちとなって拍手喝さいの狂喜乱舞となった。

神といえども男はスケベーであります。そして、神といえども女はその武器を派手に見せびらかせたいものであります。踊り狂ううちに彼女はついに腰の紐を解き、ブラックホールを露出、男神たちは一斉に鼻血をナイアガラの滝のように吹き上げた。

一方、閉じこもりの天照大神は外があまりにも賑やかですので不思議に思い、岩戸をそっと開いてその隙間に目を押し当てた。その瞬間を狙って、入り口の横に待機していた天手力男神が岩戸を一気に引き開けた。そして、素早く彼女の手を取って外に引き出した。すかさず、天太玉神が背後に回って、洞窟の入り口に注連縄(しめなわ)を張り、「今後一切、二度と再び中に入りませんように・・・」と大神にお願いしたのでございます。

天手力男神は大神が納得したのを見届けて、天岩戸を山ごと持ち上げて、下界へ放り投げた。おっそろしい怪力であります。この山は長野県に落下したそうです。今では戸隠山と呼ばれていて、神社があります。いつか行ってみたいと思います。

というわけで世界は再び光を取り戻し、魑魅魍魎は退散し、平和が訪れたのであります。世界を闇の世界から救ったのは、BC400年の ”天岩戸ストリップショウ” であったといえます。(・・・ここまで来るまでが大変でした。あー、疲れました〜〜〜!)

今日はこれにて失礼致します。長々とくだらない日記にお付き合いくださり、ありがとうございました。では、また明日・・・!

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私が初めて見たストリップショウ 10・29

子供の頃、貧乏だった。それは今でも現状維持されている。おそらくあと500年は貧乏かもしれない。しかし、近い将来には、必ず宝くじが当って億万長者となるはずだ。

そうなった時は、みなさま方と山分けいたしましょう〜〜〜!そして、宇宙旅行に行きましょう〜〜〜! ・・・そんなことはどうでもいいことですが、ようするに子供の頃は貧乏だったのでパソコンもテレビも、ビデオもなかった、ということであります。

映画館が4キロ離れた町にたった一軒あって、暗い夜道を裸足で歩いて、大人に連れられて観にいった事を時々思い出します。確か、最近亡くなられた根上淳さん主演の「消防決死隊」とか、大庭秀雄、若原雅夫、月丘夢路、津島恵子 出演の「長崎の鐘」、佐田啓二、高杉妙子による「鐘の鳴る丘」、などをやっておりました。

ついでですが、戦時中、沖縄の地上戦が始る前、3歳の頃に観た映画、「怒れば怖いぞ三四郎」というのがあったのを憶えています。主演が誰だったかはさすがに記憶にありません。その映画が始る前には日活ニュースというのがあって、眼鏡をかけた軍服姿の人物が出て「我々日本帝国はいまや戦争かさとなり・・・」という言葉を発し、雲上の富士山の周りを数機のゼロ戦が勇ましく飛び回るシーンが出てきた。その眼鏡の人物は、東条英機だったかもしれません。

私の記憶は断片的ですが、一歳半まで遡ることが出来る。那覇市の壷屋に住んでいた頃が一歳過ぎだった、ということですので、そのことが分かるのであります。激しい下痢と中耳炎に苦しみながら、粗末な敷き布団に寝かされていたのをはっきりと記憶している。母と祖母が心配そうに付き添っていた。

これもまた余計なことですが、ようするに子供の頃は現状維持と同様に貧乏だったので、娯楽施設とはほどんど無縁であった、というわけです。その頃、一年に一度、村中が楽しみにしている行事があった。村芝居、というもので、仮設の舞台で踊りや歌、芝居などが行われたのであります。

舞台の前に茣蓙を敷き、村人が泡盛を前にして座る。そして、唄や芝居が始ると指笛や野次、奇声を上げてムードを高める。それが頂点に近づくにつれて舞台の飛び入りも増えてくる。老若男女が一つになって陶酔状態になったとき、顔を隠した素っ裸の女性が舞台に上がった。そして、豊な胸と腰を激しく揺すり、ブラックホールを露にして踊り狂った。

観客は総立ちとなり絶叫した。拍手喝さい、指笛の嵐、興奮の坩堝は巨大な稲妻となって宇宙の隅々へと飛散した。ハイビスカスで編んだ顔隠しが満月の明かりに赤く輝いていた。私がはじめた見たストリップショウでありました。

・・・ストリップショウ、いいですね? ・・・しかし、最近、インターネットでいかがわしいのが良く出ておりますが、あれはいけませんね?

 第一、そのモデルの若いお嬢さん、あんな姿をさらけ出して、惨めであります。彼女らは私の娘のようなもの、涙が出てまいります。もしかすると、弱みを握られて無理にそのような事をさせられているのではないでしょうか? 金の為なら何をしてもかまわない、そんな世界は嫌ですね? 

みんなが心美しく助け合い、励ましあって生きていけるような世の中に一日も早くなって欲しいものです。

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悪霊以上の凄い力 10.22

ミレトスとは、前8世紀〜前7世紀にかけて、全盛期を迎えた古代ギリシャ都市であります。つまり、小アジア西海岸、イオニア地方の中心となった古代都市でございます。前494年にペルシャに占領されてから衰退しております。

そのミレトスの娘たちに怪奇現象が起こった。気が変になり、錯乱状態となって、死亡願望が強まり、衝動的に首吊り自殺する、という異常事態が次々と起こったのであります。その原因として、歴史学者などの専門家たちは、大気が異常になり、有毒ガスが発生したり、太陽黒点の電磁波によるもの、などとしておりますが、それだとその影響は娘たちだけではなく、全体にかかるはずであります。

当時のミレトスは男尊女卑の時代であります。女は子供を産むためだけの道具であり、11万人もいた奴隷たちより、ちょっと位が上、という身分でありました。つまり、人間として認められず、男の道具、炊事洗濯などの家事だけのための存在でしかなかった、ということであります。女にとって結婚とは、己を男や社会に捧げることでしかなかったのであります。

当然、そこに、これから結婚せねばならない娘たちは未来に失望し、無意識の中に死亡願望が強まっていく。そして、1人の首吊り自殺が集団催眠を引き起こし、それが波紋のように広がって行った、と私は思います。

娘が、そういう精神錯乱状態に陥ったとき、両親は慌てふためき、「自殺は神への反逆だ、生きておれば良い事もある、希望を持って強く生きよう・・・」 などと説得に躍起となりますが、娘は何かに取り付かれたように、親の監視のわずかな隙に首吊り自殺した。人々は何かの祟りだとか、悪霊の仕業だ、と口々に言い合った。娘たちが次々と死んでいく、困るのは男たちであります。そこで、いろいろな対策が練られ、試行錯誤がなされたがすべたが失敗した。

人間の力では太刀打ちできない悪霊の力、恐るべし、人々はこの異常事態に怯え、絶望感に襲われ始めていた。そんな時、一人の知恵者が意見を出した。

「首吊り自殺した女は素っ裸にし、町中を引き回した上で埋葬にすべし・・・」

この意見が法律化し、実施された。すると、娘たちの自殺がぴたり、と止まったのであります。素っ裸にされて町中を引き回される無残な女の姿、それを見た娘たちはその恥辱が己にかかる事を恐れたのであります。女心の恥じらい、悪霊以上の凄い力を発揮するものですね・・・?

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胸の痛み 10.19

昼下がり、大型バックフォーを使って作業をしておりますと、道端に放り投げられた弁当ガラを漁っているお年寄りが目に付いた。どこかのゴミ捨て場から拾ったと思われる白い、長いコートを着け、頭髪はぼさぼさで、汚れた風体であった。弁当ガラの入ったビニール袋を開け、しきりに中を漁りまわしている。たとえ食べ残しがあったとしても、泥に汚れ、数日間も放置されていたものだから腐敗して食えるはずがない。

それでも彼は食えるものがないか、という表情で執拗に指先でかき回していた。私は胸が痛くなった。バックフォーを降り、作業車に積んであったバックからおにぎりを取り出した。ばーさんがいつも作ってくれるもので、仕事帰りの車の中で食べるものであります。そのおにぎりを持って私は彼に近づいた。

「ちょっと、あなた、すみませーん・・・」

しかし、彼は私の呼びかけに全くの無反応であった。それで、数回、同じ呼びかけをした。それでも彼は弁当ガラ漁りに夢中で私の言葉は全く聞こえないようであった。仕方がないので私は彼の肩をぽんと叩いた。とたんに彼はびっくりして私の存在に気がついた。

そこで、おにぎりを差し出すと、彼は、さらにびっくりしたように私を見つめた。

「もし、よろしければ、食べていただけませんか?」

彼の表情が緩んだ。そして、おにぎりを奪うように受け取って食べた。次に折りたたんだ千円札一枚を手渡すと、身体をしばらく震わせたあと、初めて言葉を発した。

「・・・ありがとう! ・・・ほんとにありがとう・・・」

私は、バックフォーに戻り作業を再開した。彼はしばらくその場に立って私を見つめていたが、やがて、よろよろとした歩行で去っていった。胸の痛みが一段と強くなった。神様、彼に幸せをおあたえください! 私には祈ることしか出来ない。

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天のお告げ 10.17

天のお告げがあったので、きょうは電車で出勤することにした。月曜日の出勤電車内、ぎゅうぎゅう詰めで、みな絶望的な顔である。

「また一週間働かねばならない、あー、あー、生きるということは、なぜこうも厳しいのだろうか……」

という顔が多い。中には立ったまま居眠りをしている中年の御婦人もいた。その御婦人が突然悲鳴を上げた。居眠りし、熟睡に達したとき、がくんと膝を落としたのである。壁に膝がぐわーんと当たって激痛が爆発したのだ。周囲の人々はびっくりしてきょろきょろと辺りを見回した。

 その御婦人は冷静沈着、知らぬ顔をしてきょっとんとしている。真実を知っているのは私と、隣の2,3名だけだった。40代後半と思われる御婦人だが、髪を三つ編みにしている。大変よろしいではあっりませんか。人間どんなに年を取っても、精神年齢は若くないといけません。臭いオナラを出して、きょとんと知らぬ顔をしている御婦人よりはずっと偉大である。

以前、私はそのオナラで気絶しそうになり、慌てて途中の駅で下りたときがある。あの時のオナラの犯人は誰か、そんなことは今となってはどうでもいい。ぐわっはっはっははははー。

電車を降りて、傘を差して会社まで徒歩で10分、8時5分前でタイムカードを打った。車での出勤だと、おそらく渋滞に巻き込まれて遅刻したであろう。あるいは、交通事故に巻き込まれたかもしれない。電車出勤ん、正解であったと思う。天のお告げ、ありがたいことであります。

現場は大雨でぬかるんで仕事にならない。そこで、課長に仕事にならないから帰らせていただきます、と申し上げますと、帰ることは許さん、ちゃんと定時まで会社にいなさい、と言われた。

ということで、今日は退屈な一日でありました。明日も予報は雨、当分は断水の心配はなさそうです。では、今宵はこれにて失礼しまーす!

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病の元は心から 10.12

無欲になれ、腹を立てるな、絶望するな、優しい心になれ、馬鹿にされても喜べ、・・・その他いろいろありまして、そういうことが出来ないゆえに人間に病という災いの種が絶えません。それもこれも人間に心があって、感情があるからであります。なぜ、心があって、感情があり、高度な頭脳が備わったのか?

それは、弱肉強食という生存競争に勝ち抜くため、という意味ではなくて、生存を安全にし、宇宙の奇蹟を知って感動し、互いに助け合って陽気ぐらしをするためであります。

それが今の人類の心と知性はどうか? 殺し合いであり、策略であり、弱いものいじめ、ねたみ、憎しみ、恨み、その他、自分さえ良ければ良い、という悪心の醜い姿を晒しているのであります。

悪心の醜い心は病の元となります。つまり、それによって心が病み、その対象である身体にその病が現れる、という仕組みであります。
それというのも、人間全ての心に神が宿っているからであります。

しかし、人間は人間である以上、一旦癖のついたそういう悪心から逃れることはきわめて困難であります。では、どうすればいいのか? それは、生きているものがいかに弱い存在であるかを悟り、生命の危機感に目覚めること、そして、込み上げてくる悪心を「病気」である、と納得し、それに対応した心のバリアを作って生きていくことであります。

怒るとアドレナリンという物質が脳から分泌される。それは猛毒でありまして、植物などはあっという間に枯れてしまいます。当然、肉体も蝕まれて病巣を作ってしまう。

不思議なもので心使いの種類によって病気の種類が決まる。頑固な人は癌になりやすいし、怒ってだけいる人は血圧が高くなり、脳溢血になったり胃潰瘍になったりする。

強欲の人は目の病となり、妬んでだけいる人は呼吸器官の病になりやすい。親の愛に渇望し、スキンシップを求める子はアトピー性皮膚炎や、喘息になったりする。

以上、病の元は心からのほんの一例であります。難しい理屈は横において、心を広く、正しく、欲と無欲のバランスを保って元気バリバリで働けば、病は消えてなくなります。たとえそれが末期がんのような重症、絶望の病であってもです。

病の元は心から〜〜〜〜、みなさーん、今日も一日ファイトイッパ〜〜〜つ、元気バリバリで行きましょう〜〜〜!

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アナクシマンドロス 10.11

BC624年〜546年頃、哲学の祖、タレス様が「万物の原理は水である」と自信を持って力説した。水は生命体にとっては絶対不可欠、彼の言わんとすることは良く分かる。

人間の体は70%が水、脳などは85%が水で出来ております。地球も70%は海、同じ町内で、みず知らずの人も70%であります。水の効果は、鎮静、強壮、利尿、発汗、新陳代謝を促進いたします。酒が百薬の長なら、水は億薬の長となる。(注意=酒は百毒の長でもありますので、飲みすぎてアル中にならないように致しましょう)

そのタレス様の弟子にアナクシマンドロスという舌を噛みそうな名前の方がおられた。タレスよりも14歳若く、頭脳明晰、想像力、洞察力豊かでありました。彼はこともあろうに恩師であるタレスの力説を否定、水は火や空気、土などと反発し合う同類であり、一切は "無限なるもの"の原理の上に成り立っている、と説いたのであります。

その無限なるものを彼は「アペイロン」と呼んだ。それは事象、物象などの万物の源泉であり、時空を支配し、制御と調和を正義と厳然とした秩序によってつかさどっている、としたのであります。

つまりでございます、この世は見えざるアペイロンという不滅なるものによって制御され、その中に厳然と潜む必然の定めにより、一切は生成と消滅の輪廻を繰り返している、というわけです。

彼の宇宙論も凄い。地球が宇宙の中心であり円柱形で、その周りを太陽や月、星が回っている。地球が落ちないのは、宇宙の中心という落ちる所のないところに浮かんでいるからだ、と唱えた。

つまり天動説を唱えていたわけなんですが、その頃、カルデア人はサロス周期を発見しており、1年を12カ月、1週間を7日、1日を24時間、とする暦まで作っておられます。

サロス周期とは18年と10日、つまり、6580日を1サロスと定め、その周期で日食が43回、月食が29回起こる、という事象のことであります。

天動説の中で、よくもまあ、こういう当時としては、不可解な現象が解明できたものだと感心いたします。アナクシマンドロス、そして彼のアペイロン説、わけが分かりませんがこれにて一件落着と致します。明日はピタゴラスについて勉強いたします。

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映画「ステルス」 10・9

今日は池袋へ行きまして映画を観てまいりました。「ステルス」 凄かったですよ〜〜〜! 迫力満点、現実味の凄み、久しぶりに心の底からすっきりと致しました。マッハ5の凄まじいスピードで、3機のステルスが大空を自由自在に飛び回る。200名の志願パイロットから選ばれたエキスパート3人、男二人女ひとり、美男美女であります。

ジョン・ルーカス演じるベン・キャノン大尉、絶世の美女・ジェシカ・ピールが演じるカーラー・ウエイド大尉、そして、黒人男優・ジェイミー・フォックス演じるヘンリー・パーセル大尉、豪華キャストであります。

三人に人工頭脳・エディが操縦するス最新鋭テレスが加わった。そのエディさんは次第に自我に目覚め、感情を持つようになる。・・・なんとなく、不気味で恐ろしい気がいたしました。

案の定、エディは落雷を受け狂ってしまう。そして、核ミサイル攻撃を敢行しようとするのだ。・・・この続きは言ってはいけませんね? 映画館から怒られますから・・・!

圧巻はロシア最新戦闘機・SU-37ターミネーター2機と、キャノン大尉、人工頭脳・エディがそれぞれ操縦するステレスとの空中戦であります。いやはや凄い、絶句、最後はステレスの勝ち、となりますが、そこに殺された相手への思いやりがないのは、人類はまだ、人間度の完成がほど遠い、ということですね?

明日は3連休の最終日です。明日もまた、同じステレスを見に行くことに致します。では,皆さん、夜も更けて、良い子の寝る時間となりました。悪い子は夜遊びしておまわりに補導され、良い子は早寝早起きでいきましょう!

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土方哲学 10・8

私の祖先が石器の槍や斧で獣を追っかけていた大昔、イオニアでは人類最初の哲学者が現れた。彼の名は「タレス」、哲学の祖であり、7賢人の1人であります。7賢人とは誰と誰か? そんなこと労務者の私には分かりませんので、百科事典かインターネットの検索で調べてください。

私の祖先はハブの皮を剥いで、いかにしてふんどしにするかを考えていた。しかし、タレスは自然とは何か、万物の原理はいかに、馬が東を向けばその尻尾はなぜ西を向くのか、という高尚な次元から物事の原理を追求していたのです。

そして彼は夜も寝ないで昼寝して考え続け、ついに一つの結論に達した。それは 「万物の原理は水である」ということであります。一切は水から生じて水へ戻っていく、という発想、5・6歳の頃、私も独断でそう思っていた。

水は「H2O」水素2個と酸素一個がくっついたものです。この宇宙に最初に現れた元素は水素です。それが土台となってヘリウムができ、炭素、酸素、その他いろいろ・・・・と103種の物質の元素が出来ていったのであります。したがって彼が言う水を水素に置き換えれば一応の筋道が通る。

しかし、その水素をさらに突き詰めていきますと、原子核と電子からなっており、その原子核は10兆分の3センチの陽子と中性子から成り立ち、さらにその陽子は10兆分の一センチのクォークというものから出来ております。そのクォークは究極の素粒子と言われておりますが、今後、果たしてどうなるか? 

学者でもない、ただの土方である私は一体、何を偉そうに勝手な事を言っているのか? ようするに人類最初の哲学者は古代ギリシャの「タレス」さんであったということを喚きたいだけであります。

彼は研究熱心な方で、歩きながら夜空を夢中になって観測し、井戸に落ちたというエピソードもあります。紀元前6世紀頃、縄文時代末期にそのような高度な思想が生まれたということ、人類は進化への歩行を怠ってはならない、と教えられているような気がします。

進化と繁栄はどこから来るのか、やはりファイト一発の愛と正義と思いやり、ですね? 独善主義、傲慢、残忍性、強欲、無責任、それは逆に退化衰退、破滅への道となります。なぜならそれは愛と正義の敵であり、神を敵に回すものであるからです。

では、今日はこれにて、明日はタレスに学んだ「アナクシマンドロス」について勉強します。愚かな土方の私ですが、しばらくは土方哲学を友とします。肩の凝らない哲学、共に研究いたしませんか?

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真理を実践する 10.4

托鉢とは仏僧が鉢を持って食べ物を乞うて歩くことであります。乞食とも言います。しかし、読み方はコジキではなくて、コツジキであります。

 坊さんが乞食をしている、なんって格好いいものではありません。やはり、タクハツ、コツジキと言って欲しいものであります。しかし、いかにお坊さんといえども、一歩間違えますと、コツジキから乞食となってしまいますから、くれぐれも日ごろの修行と悟りを怠らないことであります。

子供の頃、門前によく丼椀を持った坊さんが立った。深編み笠で顔は見えなかったのですが、子供心に偉い人に違いないと思った。母はその丼椀に芋をすりつぶしたものをたっぷりと盛ってあげた。坊さんは手刀を切って礼をし立ち去る。その後姿が今でも見えるような気がいたします。

そういう托鉢というのは今から約2600年前の仏教の元祖・釈尊もやっておりました。

ある日、釈尊は托鉢に出かけた。いかに仏様と言えども身体は人間ですので、食べないと生きていけません。それで食べ物を求めて托鉢に出かけるのであります。

場所はマガタ国の南山にあるバラモンの村でありました。しばらく歩いておりますと、バーラドバーシャというバラモンが5百挺の鋤を牛に結び付けて田を耕している所に辿り着いた。彼は大地主で大金持ちでしたので、下男や貧しい人々に食物を一日に一回、配給しておりました。バラモンとして立派な心構えだ、と自分で自分を褒めていたのだと思います。

仏陀が立ち止まったとき、彼は言った。

「そこの修行者よ、食べ物を乞って苦行するのではなく、私のように額に汗し、耕して種を撒き、その収穫で食え」

すると仏陀は答えた。

「私も耕して種を撒いている。しかし、その収穫は人が食うもので私は食わない」

「・・・嘘だ。俺はお前が耕して種を撒いているところを見たことがない」

「私にとって信仰が種であり、苦行が耕作である。その耕作と種を撒くために生きていなければならない。私は生きるために托鉢するのであり、食べるために生きているのではない」

バーラドバーシャは深く感銘し、諭してくれた報酬として乳粥を青銅の鉢に入れて捧げようとした。しかし、釈尊はそれを拒んだ。

「報酬として得たものを目覚めた人々は避ける。私も報酬という餌なるものを食することは出来ないのだ」

バーラドバーシャはさらに感銘し、釈尊の弟子となり、仏門に帰依した。

イルカやシャチが素晴らしい演技をする。それは餌に操られているに過ぎない。そこには自らの意思によって、自らを高める、という真理はない。餌目的、食う目的のための生きることしかないのだ。己の餌目的、報酬目的から築かれる知恵と進化は停滞と退化をもたらす。しかし、真理と奇蹟への感動と喜びからもたらされる苦行は、完璧な進化への道と不滅の光をもたらす。

釈尊は、食うために生きるな!生きるためにのみ食え! と諭されておられるのであります。そして、何のために生きるのか? それは、本物を知るため、本物を知って感動し、真理を実践し、心の道を学習するためである、ということであります。

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仏陀の言葉 10.3

奴らは私を罵り、殴り倒し、勝者となり、略奪した。もし、私が奴らを恨み、己が心を怨念化させるなら、奴らの恨みはさらに燃え上がり、鎮まることがない。

もし、私が奴らを恨まず、此岸と彼岸を捨て去ることが出来れば、奴らの恨みは消えてなくなる。

奴らの恨みに対して、恨みを持って立ち向かうなら、この世において諸々の恨みが鎮まることはない。しかしながら、奴らの恨みに対して恨み無きを持って対処するなら、この世に戦乱の起こることはなく、諸々の恨みは鎮まる。こらは、「永遠の法」である。

奴らはお互い、我々が滅び行く存在である事を認識しない。いかなる人といえどもいずれ死ぬ。それを認知できないゆえに人は傲慢になり、驕りたかぶり、この世に争いの種を撒き散らし続ける。人は滅び、消滅する定め、その事を知れば諸々の確執(争いごと)は鎮まる。

以上は2600年ほど前に仏陀が言われた言葉であります。今の世の中、戦争あり、爆弾テロあり、全て恨みとそのリベンジですね?人は千年も万年も生きられるものではありません。たかが100年前後の短い人生ですから、せめて何が法で、真理で、本物か、を見極めて正しく命の花を咲かしたいものです。

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植物の不思議 10.2

最近ふと思うのですが、動くもの、つまり動物や人間のような知性体をこの地上に出現させたのは植物なのかもしれません。つまり、直物の仕組みに操られて動く物が発生し、進化させられ、植物の種の存続に利用されてきた、ということであります。

この地上に最初に現れた生命体は植物であります。その植物が受粉し、統制の取れた繁栄の為に植物によって動物が作られた、ということになります。つまり、植物は動物という相棒が必要であった、ということであります。

虫が花の蜜に引き寄せられて集まる。そして、おしべの花粉をたっぷり身体に付着させて別の花のところへ飛んでいく。そこで、雌しべに運んできた花粉がくっつき、目出度く受粉が完了する。

動物は植物なしには生きられない。そして、その生存活動が何らかの形で植物の繁栄と進化に役立っている。動物の必要な酸素は植物が出し、植物の必要な炭酸ガスは動物が出す、お互いに助け合いの相互扶助関係が成立しております。

下に表示された画像、これは蜂だと思いますか? ところが違うのです。れっきとした植物であります。 ギリシャに自生するオフリウス・スペクルムという植物の花であります。

この花を発見した雄蜂は、雌蜂と勘違いして交尾を挑みます。そして、花粉をいっぱい身体につけて別の花のところへ飛んでいくのであります。植物の世界、不思議ですね〜〜〜?

ところでそんな植物に、日本人は失礼な名前をつけたりします。人間界においては名誉毀損罪で訴えられます。たとへばあの綺麗なシクラメン、それはブタノマンジュウと呼ばれております。そして、キランソウ、これがジゴクノカマノフタ、ハイビスカス=仏葬華、その他、オオイヌノフグリ、クサレダマ、ゴマノハゲグサ、フトモモ、キソウテンガイ、アキノウナギツカミ、その他いろいろ。

何処の馬の骨がつけた名前なのか、全く見当がつきませんが、我々は植物の不思議、ありがたさを改めて知るべきかと思います。

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健康のありがたさ 9・30

バーさんが青白い顔で言った。

「あなたって可愛そう〜、あなたの人生って、一体何なのよ〜〜〜!」

私は訳が分からずにきょとんとした。そして、その意味を尋ねた。

「それは、一体どういう事でありますか?」

「私、大腸癌なんです。それも、3センチで7センチの大きな末期癌が出来ているのよ・・・。あと、半年内には確実に死んじゃうの・・・。残されるあなたの事を思うと死ぬに死ねない〜〜〜」

私はびっくり仰天、地獄の拷問台へとまっさかさまに落下した。彼女はダイエットのリバウンドで揚げ豆腐を野菜や肉と炒めたものを多量に食した。ところがその揚げ豆腐が賞味期限を過ぎ、腐りかけていた。そのせいで腹痛を起こしたのであります。それで病院へ行きますと、臍下の斜め3センチの腹部内に腫瘍らしきものがある、と診断され、レントゲンを撮られ、血液検査をされたのであります。

その結果、大腸癌の可能性が極めて高いとなった。その時点でバーさんはパニック状態となった。そして,医学書を徹底的に読んだ結果、全てが大腸癌の症状とぴったりだった。しかも、その末期になると生存の確率は低くなり、1年内に確実に死ぬ、とあった。

ばーさんは絶望のドン底で、残されるせがれと私の事を心配した。自分だけ死ぬのは怖くない、という。

「心配するな、お前が死ぬときは俺も死ぬことにする。あの世で楽しくアルゼンチンタンゴを踊ろうぜ! ぐわっはっはっはっはっはっはっははははは〜〜〜」

「・・・あなた、私は死んでも、いつもあなたの側にいるからね・・・。だから、やけを起こしてはだめよ! あなたが、話しかけたら、私、いつでもちゃんと返事するから・・・。生きているときと全く同じなのよ・・・!」

そして、話の進行は全て死が確実なもの、という結論付けの上に於いてなされた。

「私の遺灰は、松山の保存林に撒いてください。あなた、好きな人が出来たら私に気兼ねしないで一緒になっていいのよ・・・。私、ちゃんと見守っていますからね・・・」

・・・しかし、何処かおかしい、と私は思った。第一、ばーさんは太っていて血色も良い。食欲旺盛で、毎日、松山保存林をウオーキングしている。末期癌ともなれば、痩せて寝たっきりとなり、激痛にのた打ち回って、ベット一つが己の宇宙となってしまうのだ。しかし、目の前の末期癌である筈のばーさんの姿は一体何か? 元気ぴんぴん、白髪もほとんどない。どうもおかしい・・・!

そこで、バーさんを横たえさせてその腹部を手であちこちと押さえてみた。確かに硬いものがあった。しかし、それは筋肉が膠着したようなもので、硬い塊ではない。3センチに7センチ、というしこりは何処にもない。しかも、その筋肉の膠着らしきものは消えたり現れたり、移動したりする。

これは変だ、こんな流動性の腫瘍なんって聞いた事もない。・・・しかし、一体、この膠着したようなものはなんなのだ・・・? そこで、ふと思いついてバーさんに言った。

「これ、もしかすると子宮の筋肉と違うか?」

ばーさんの顔色が変わった。

「・・・あ、そう言えばそうだ。 そんな大きな腫瘍が出来るはずがない。子宮の筋肉が痙攣しただけかも・・・。私って、馬鹿だね〜〜〜、流しにお腹を押してみて、子宮が役目を終えて縮まりかけている事に気がついていたのに・・・」

ばーさんと私の地獄はあっという間に消えて、まぶしい光が燦然と輝き出した。食あたりによる腸内炎、胃炎、という診断が医者である弟から電話で知らせてきた。病院が出した検査の資料をファックスで送ったので、それを分析してくれたのであった。

翌日、私は仕事を休み、ばーさんを日高市の高麗へ連れて行った。蔓珠沙華が満開であります。豪華絢爛たる満開の美しさに、ばーさんは改めて健康のありがたさを強く噛み締めたようであります。

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現場の小さな花 9・26

直径一センチ足らずの赤い小さな花、現場で見つけました。それがたくさん咲いておりました。名前は分かりません。ツル科の植物だと思います。不思議ですね〜〜、植物って・・・? 知性も、感情も、煩悩もないのに、何故、このような奇蹟が出来るのでしょうか? 私は感心していつまでも眺めておりました。 みんな懸命に生きているんですね? ・・・生きているということ、それが素晴らしいく思えてなりません。

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琴欧州頑張れ〜! 9・25

今現在、16時ジャスト、あと一時間半内に今場所大相撲の優勝者が決まる。横綱・朝青竜か、関脇の琴欧州か、それとも二人が3敗となって、前頭16枚目の稀勢の里が、番狂わせ逆転優勝となるか・・・?

12日目まで全勝を維持してきた琴欧州、最後に来て2連敗、誠に残念であります。実力は十分にある。そして、ツキもある。13日目で優勝決定していてもおかしくない力が備わっている。

それでいて、なぜ2連敗か? 見るかぎりでは心が不安定である。つまり、ほんとの相撲を取っていないのだ。勝ち負けにこだわる、優勝にこだわる、不安、焦り、それらが乱れを呼び、せっかくの力とツキを溝に捨てているのだ。

無我無欲の気迫、信念、全力を出し切るという心構え、相手を冷静に見て、相手に学び、相手を敬う精神がないのだ。相撲の素晴らしさに感動して相撲を取る、闘う、それが相撲取りではないのか? 勝ち負けにこだわり、びくびくおどおどでは真の相撲取り、男とはいえない。

あと一時間内に優勝が決まる。最後の最後を冷静かつ無欲に、そして気力充実して戦ってほしいものです。 さすれば必ず大横綱となるはずである。

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神秘的に開花、月下美人 9・18

ようやくインターネット開通であります。サーバーを変えたのですが、前のサーバーとの解約、そして、新サーバーとの契約の間に10日の空白が出来たのであります。何事に致しましても「乗り換え」というのは大変なことでございます。

その間に、ベランダの鉢植えの月下美人が一夜かぎりの花を咲かせましたので、その蕾から満開までをご紹介いたします。萎れた花は、今、35度の焼酎にカリンの実と共に浸けてあります。来年の今頃、開封する予定ですが、その時、飲みたい方は遠慮なくいらしてください!

 

  

   

 

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奇奇怪怪な生き物(9.10)

休みの日、池袋へ出かけて映画を見るのが、私の唯一の楽しみであります。それは月に一回ほどですが、それ以外の休みの日は、昔は最愛で、今は超恐怖のばーさんの奴隷としてリモートコンロールされる。炊事、洗濯、掃除、買い物、家具修理、ゴキブリ退治に髪のショート・カット、現場で働く以上の重労働となります。

髪のトリミング技術はプロ級になっておりまして、剪定鋏で器用にパチパチとやってしまいます。なぜ選定鋏かと申しますと、ばーさんの髪が針金のように硬くて、過密状態で繁茂しているからであります。

普通の美容師が使う鋏では絶対に切れないのであります。それに私の指が太すぎて普通の鋏の指入れには入らないのであります。さらにそれは、美容師のしなやかな指のパワーでは切れるものではない。長年、風雨に晒され、肉体労働で鍛え上げられた強者フィンガー・パワー、でないと太刀打ちできない代物なのであります。

これを10年もやっておりますので、ばーさんが美容院で費やしたであろうその金額の累計は、50万円以上にはなっているはずだ。しかし、通帳残高にそれがない、ということはどういう事であろうか? それは、私が金持ちではない、という証でもありますね?

金持ちでないと馬鹿にされますが、しかし、私はそれに満足している。なぜなら、人間としてのほんとの幸せは貧乏の中に無限に潜んでいるからだ。豊かさと贅沢の中には堕落と地獄があるのみで、心の眼が腐っていく。清貧の中にこそ未来永劫の幸せの根元があるのでございます。

・・・これは、貧乏人の負け惜しみの遠吠えのようなものですので、金持ちの方々は寛大に笑って読み流してください。

昨日、土曜日は私が待ちに待った月に一度の唯一の休みの日でありました。シャンシャイン通りにある映画館でトム・クルーゾーの宇宙戦争をやっております。午前9時の電車に乗って池袋へ一直線となった。・・・映画、いいですね〜! 恐怖のばーさんの事をすっかり忘れて、少年の心に戻ってしまいます。

手に汗を握り、どきがむねむね、ではなくて、むねがどきどき、はらはらの連続でありました。ストレス解消、すっきりさわやか、心身ともに清らかに浄化されました。それから夕方まで池袋の街をぶらぶらした後、私は帰りの電車に乗った。

電車を降りまして、私は駅前広場の花園を囲む大理石の腰掛けに座った。大勢の人々が行き交う中で、悠然と、優雅に缶ビールを飲んだ。冷えたビールは最高であります。しばらくすると、派手なお化粧に赤いミニスカートの若い女性が私のすぐ側に座った。

ほかに余裕の席があるのに、なぜ、私にくっ付くように座るのか・・・? チラッとその容貌を見ますと、細いサングラスをかけ、巨大な胸をしている。そして、アイスクリームをむさぼるように食べている。

明らかに彼女は私を挑発している。男なら、誰でも一度は寝てみたい、と思わずにはいられない妖艶さであります。夢優樹の下で生まれ、80歳の時、沙羅の樹下で涅槃に入られた釈迦は、30歳のとき、菩提樹の下で悟りを開かれております。その時、4人の美しい魔女が素っ裸で現れて誘惑した。現代なら公然猥褻罪で逮捕され、即、刑務所行き、となりますね?

勿体ないことに、お釈迦様はその魔女たちの強烈な誘惑を撥ね退けたのであります。それは、精神力の偉大さによるものであったのか、あるいは、単なる女嫌いで性フェロモンの嗅覚機能に欠陥があったのか、そのへんの区切り線はまだ定かではありません。いずれにしてもご立派であり、人類は交尾以外による種の存続を考えねばなりません。

それで、私もお釈迦様を見習って彼女の凄まじい悩殺魔力を撥ね退けることにした。缶ビールを高々と上げまして、彼女のアイスクリームと乾杯をした。彼女はニッコリと笑顔になり、豊な胸を揺すってウグイスのようにさえずった。

「叔父様って、素敵ね〜! まるでトム・クルーゾーみたい。よろしかったら二人きりでお茶しない〜〜〜?」

「・・・それもいいのですが、実は、私に近づく女は皆、キチガイになってアルゼンチンタンゴを踊りだすのです。私は女をこれまで何千人も不幸にしてきた男、たのむ、私に近づかないでくれ!」

女はきょとんとして私を見つめた。そこへ、松葉杖を突いた70前後の痩せて色黒で、よぼよぼのじいさんがやってきた。彼は私と彼女の間に割り込んで座り、変な声で笑った。

「おれはな〜、松葉杖を突いてはいるが馬鹿に出来ない男だ〜。人は見かけで判断しちゃならね〜。おれはとっても強いんだ。どんな野郎が来たって、こいつで叩きのめして片輪にしてしまうんだ。い〜っひっひっひっひっひっひっひっひ〜〜〜・・・」

女は慌てて逃げていった。私もびっくり、逃げたかったが、それだと相手に負けたことになるので、我慢して座り続けた。

「2階のあの野郎が威張り腐って降りてきやがったんだ。それで、やるか〜、来るなら来い〜って怒鳴ってやったんだ。何しろ、おれは偉いんだ〜、石神井警察署のおまわりは皆知っているんだぜ〜、い〜っひっひっひっひっひっひっひっひ〜〜〜・・・」

私は彼に缶ビールを手渡してその場を離れた。世の中には奇奇怪怪な生き物が、いろいろと存在するものでございます。皆様もよ〜く気をつけて身の安全を守ってください。では、また、明日!

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五千年の時を経て蘇ったエンドウ

両国警察署の隣に健康センターとかいう建物がある。病院のようでもあり、そうでもないような訳の分からない建物だ。4年ほど前、そこの車庫前にエンドウが鉢植えにされて置かれていた。

”ツタンカーメンのエンドウ”と書かれたプレートが立てられ、石棺の副葬品の中にあったエンドウ豆の子孫である、という意味のことが書かれていた。

 紀元前3000年の頃のエンドウ豆が5000年の時を経て現代に芽ばえる、信じがたい事実である。 そういえばその当時の王様達は死後の復活を信じてピラミットを建て、その中に埋葬されたという。ミイラが生き返るわけはないが、そのDNAからクローンを作り出すことは出来る。しかしそれはその王そのものではなく、完璧なそっくりさんで、完くの別人ということになる。

それに比べ、その鉢植えのエンドウの方が、生まれ変わりした、という実感が湧く。翌朝、私はそのエンドウの前でしばらく立って見つめていた。するとそこの管理人が満面に笑顔を浮かべて近づいてきた。小柄な50代の男である。

「これはねー、ツタンカーメンの側にあったものの子孫だ。最近見つかってこうして広がったんだ。なんなら種を上げようか……?」

 しかし8時30分、朝礼の時間である。

「あとでもらいに来ます」

 と言って私はその場を離れた。 次の日、それをもらうつもりであったが、日曜日で彼は休みらしく、会うことが出来なかった。

その次の日から現場が大泉学園に変わったからだ。4年過ぎた今、まだ、あのエンドウの鉢植えはあるのだろうか? 明日は日曜日、遠いところですが、行ってみようかな、と思ったが、億劫で行けそうにもありません。

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