2006年5月9日〜7月10日

心一つが我がもの  恐れず迷わず、焦らずに  北朝鮮のミサイル発射に思う   ばーさんの耳鳴り

ばーさん、頑張れ!その16  心清く正しく、美しく  変な漢字の勉強   弱肉強食 スズメの愛  日本、逆転負け  四聖諦

生きているということ  一寸の毛虫にも五分の魂  心の科学   心の病と苦しみ   冷や汗  プラス思考で行きましょう!

 ヨモギ天ぷら   ばーさん、頑張れ!その15   悟りを開く   ばーさん、頑張れ!その14   ばーさん、頑張れ!その13

  ばーさん、頑張れ!その12   迫りくる人類の危機   恐怖の抗がん剤  c 腫瘍マーカーの驚異的減少   全てを受け入れる


 

心一つが我が物 7・10

人工臓器に詳しいある優秀な医者が計算した。人工心臓5億円、人工心肺2億円、人工腎臓、人工肝臓、人工膵臓、人工脾臓、その他いろいろの合計が・・・・男は50億円、女は100億円、となった。

凄いですね?健康な人間なら男は50億円、女は100億円の資産がある、ということになる。それが流動資産となるか、固定資産となるかはよく分かりませんが、減価償却がつくかどうかは、老化するかしないかにかかると思います。

いずれにしても凄いですね? 人間は健康であればたとえ借金だらだらであっても大金持ち、ということになります。しかし、人工臓器が行動を著しく束縛し、多大な不自由を与えるものであるのに対し、本物の臓器は何の手入れも、管理もなしに勝手に機能してくださる。高性能にして重要な機能を発揮し、人間の行動をまったく束縛しない。・・・となりますと、これは人工臓器の値段よりもはるかに高価な値段がつく、ということになります。

50億とか、100億どころの騒ぎではありません。50兆、100兆の単位となってしまいます。しかも、それをただでわれわれ人間は使っている。つまり、そんなのは当たり前、当然である、という認識しかなく、ありがたい、という感謝は沸きあがってこない。2億円が宝くじで当たって、飛んだり跳ねたりの大喜びをする以上に、健康であるというのは超過激に大喜びすべき奇跡なのです。

しかし、われわれ人間にはそれが分からない。生きているのではなくて生かされているのだ、そして、この世で自分の所有物というのは全くないのだ、という事実にも気がついていない。われわれのこの体、家屋敷、貯金、有価証券、その他いろいろは、死んでしまえば自分のものではなくなる。すべてをこの天地大自然にお返しして死んでいくのであります。

では、この世で自分の所有物はないのか、・・・それがたった一つだけありました。それは、己の心一つであります。心は自由自在に動き回る。事象物象を認識、判断し、それに対する反応の方程式を一瞬にして作り上げる。そして、清く正しく、美しく進化していくのであります。中には醜く歪んで退化していくのもありますが、それは運が悪すぎる、としか言いようがありません。

要するに何が言いたいのかと申しますと、肉体というのは宇宙の奇跡、天地大自然からの借り物である、ということです。その証拠に、生き物は最後はすべて、天地大自然に体をお返しなければならないのです。

人間として大切なことは、たった一つの自分のものである心を如何に磨き、輝かすか、だと思います。謙虚に冷静に、感謝の心を持って働き、生きていく、それが根源の親である親神様、天地大自然の人間に対する願望だと思います。

「人間というのは、身は借り物、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。 明治22年2月14日のおさしず

「人間はみなみな神のかしものや、なんと思うて使うているやら  おふでさき3号41首

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恐れず迷わず、焦らずに 7・8

地獄に落ちたとき、その人の正体が判明する。正体というより、形成されたその人の精神、人格が暴露される、ということです。DNAによる人間の個性、特性は定まっているとしても、環境によって育まれ、形成されていく人格の根源は生れ落ちた時は無垢でありますので、悪い性格とか人格というのはその人が悪いのではなくて、周囲の人間の悪影響や逆境が悪いということになります。つまり、真の意味で根っからの性格の悪い人間はいない、ということです。問題は正しい教えに遭遇して、それによって己を改造していけるか否かであります。

しかし、残念ながら今の世の中、右を向いても左を向いても悪い環境や逆境で心、人格を破壊された人間だらけでありまして、独善的な金や権力の亡者が多い。しかし、そういう中でも、あなたのような素晴らしい精神と人格の持ち主が居られますので、人類はかろうじて救われておるのであります。

生きるということは大変なことであります。それを認識いたしますと、生きていくのがより困難になりますので、ほとんどの人間は無意識の中にそれを抹殺して生きている。しかし、それでも大変なことでもあります。金がない、明日はどうなるか、出来の悪い倅は大学を卒業できるのか、流れ星が落ちてきて頭を直撃し、そのままあの世行きとならないだろうか・・・? 薄くなった頭髪が完全にはげてツンツルテンになったらどうしようか・・・?

不安は不安を呼び、焦りは焦りを呼び、さらに絶望の悪い状況へ陥れていく。そして、物事の判断は冷静さと正確さを欠き、己の願望、欲求、好き嫌いによって都合の良い方向へと進んで現実を無視してしまう。事態や状況は悪化の一途をたどるのみであります。

そういう状況にある人間に対して、下記のおさしずは大きな心の支えになると思います。いかなる逆境の中、不自由の中にあっても迷わず恐れず焦らずに、しっかりとした精神を定め、絶対的な信仰を持って日日を通れば、火の中では蓑(みの)となり、水の中では傘となって親神様が守ってくれる、ということです。

不自由は一つの事情、精神の定めあい。一つの精神の理で治めるならば、火の中水の中でも治めさす。心締まり一つの理は第一。火柱、水柱、悪の理上でも、精神一つの理で治まるという(明治22年2月23日おさしず)。

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北朝鮮のミサイル発射に思う 7・6

7月5日、北朝鮮は7発のミサイルを発射した。一発目は3時32分、2発目4時4分、3発目4時59分、5発目7時30分、6発目8時17分、そして7発目が、6発目から9時間ほどあとの17時20分であった。着弾海域は6発がロシア沿岸州に近い日本海であった。4時59分に発射した3発目は、射程距離が約5000キロのテポドン2号と判断されているが、その一発だけは北朝鮮北東部の舞水端里(ムスタンリ)から発射されており、他のミサイル群の着弾域から北東にちょっと離れた海域に着弾している。他はいずれも旗対嶺(キッテリョン)から発射されている。

このことは何を意味しているのか? テポドンは核爆弾を搭載してワシントンを攻撃することができ、射程距離1300キロのノドンは日本全土を、そして、射程距離400キロほどのスカットは南朝鮮に核の雨を降らすことができる、ということを示唆させていると言えます。今の北朝鮮は手負いの瘠せた狼と同じ、取り扱いに十分に気をつけないと自爆行為を起こしかねない状況にある、と言えます。

その狼が一番恐れているのが、アメリカという巨大怪獣である。もし、その巨大怪獣がいなければ、今頃、日本は、否、世界は十寒十熱の生き地獄、修羅場と化していただろう。独裁体制を守り通すためなら人の命、一国の全国民など全滅させるのも平気、罪のない女子供など片っ端から殺してしまえ、というのが歴史上に残る独裁体制の国家であります。

それがジンギスカンであり、ヒットラーであり、スターリン、その他いろいろであり、そして、イラクであった。今は、その際たる者が北朝鮮、と言うことになります。しかし、その北朝鮮に友好を示す国がいろいろと存在する。中国、ロシア、イランがその筆頭に上げられる。その狙いは北朝鮮での資源開発であり、交易による経済的利益の追求であると言えます。つまり、儲かるためならハイエナであろうが、殺人鬼であろうが、ゴキブリであろうが形振りかまわずに媚を売る、という族が国単位でまだ存在している、ということです。そして、その内面には、世界の警察的存在であるアメリカという邪魔な巨大怪獣を、その敵に味方することによって弱体化、あるいは滅亡させる、という無意識の願望が見え隠れしているのであります。

権力の座、あるいは社会的ステータスの上に位置する人間、指導者たちは人間が、生き物がどういう種類の、どういう立場、状況の存在であるかを考慮しているのであろうか?確かに人間が生きていくためには力が大切だ。力のない者は掃除され、抹殺される。それ故に力をつけて生存の安定を図ることは大切なことである。しかし、そのために殺し合いの世界を作り上げてしまっているのが今の人類である。

人間は呼吸一つ、心臓の鼓動一つによって、瞬間瞬間の生を連続させて生存している。息が5分でも止まり、心臓の鼓動が5分でも止まれば人間は生きられない。たとえそういうことがなかったにしても、酸素がなくなれば死んでしまう。この大地があり、月があり、太陽があり、そして、広がり続ける宇宙がある。人間はそれ故に存在し、生きているのである。

人間はあまりにも我儘で盲目過ぎる。国だ、領土だ、神だ、仏だと騒いだとしても、大陸が沈み、巨大隕石が落下し、震度100の地震が起これば人類は絶滅する。そういう天変地異は意外と地球活動の異常や天体の物理的乱れよりも、人間界の不条理、乱れ、堕落、諸悪の蓄積の飽和状態が限界を超えたときに起こるものである。つまり、人間の極悪非道が天変地異を引き起こす、といっても過言ではない。

願わくば、人間すべてが心の浄化を図り、国、人種、宗教、主義思想の枠を超えて互いに助け合い、心清く正しく、美しく進化してほしいものです。

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ばーさんの耳鳴り  7・2

ばーさんが言った。

「右の耳が塞がっている。耳鳴りがして、聴覚がおかしくなっている。・・・きっと、耳の中に腫瘍が出来ている。もう、だめだわ〜〜〜、私はこれで死ぬのね〜〜〜」

私はびっくり、心の顔は蒼白となった。しかし、それをばーさんに悟られてはおしまいである。どんなことがあっても明るく陽気に振舞い、絶望を与えてはならないのだ。生あるものにとって死は避けられない宿命であっても、その死を100年後、1000年後に引き伸ばす定めを作ることは可能である。それは心一つ、心の強さ、心の持ち方一つによって決まる。

「・・・そんな腫瘍が耳の中に出来るはずがない。放射線照射や、ガンマーナイフによってそれらはほとんどが破壊されている。きっと耳くそが詰まっているのだ。お前の耳の中は汚いのだ、ぐわっはっはっはっはっはははは〜〜〜」

「あんたには分からないのよ〜〜〜。私にはよーく分かるわ〜。耳の奥に腫瘍が出来ているのは間違いのない事実だ〜、も〜、おしまいだわ〜、一家心中しましょう〜〜〜」

そんなばーさんをなだめ、落ち着かすことは並大抵のことではなかった。こういうときは一括するしかない。

「ばか者〜〜、情けない、それでもきさま、最高学府を出た者と言えるか! 恥を知れ〜〜! 腫瘍が何だ、死ぬのがなんだ、そんなの恐れるんじゃない!死とは生きているからあるのだ。死んでしまえば死などない。だから、おまえは死ぬのだ。死んだ気になって全てを受け入れれば、おまえの前に死はなくなる。恐れず、迷わず、焦らず、一筋心となって親神さまに全てを任せるのだ〜〜〜」

ばーさんはやっと静かになった。それから昭和病院の耳鼻科へ連れて行き、4時間余り待たされてようやく診察を受けた。耳鼻科は、いつも物凄い混雑なのです。性質の悪い腫瘍である、手の施しようがない、と診断されたらどうしよう・・・、私の心の顔は痙攣し、引きつっていた。しかし、肉体の顔は余裕たっぷりの表情を懸命に維持し続けた。

結果は、耳垢が鼓膜にいっぱい付着していた、という診断であった。鼓膜に癒着している頑固な耳くそを超音波かなんかで剥離させて取り除き、綺麗に掃除して消毒いたしますと、ばーさんの右耳はすっきりさわやかとなった。全身の力が抜け、私はその場にへなへなと座りかけた。

悪性の腫瘍でなくて良かった。帰りに、私はばーさんをレストランへ連れて行き、高級ステーキを注文した。健康であるということ、ほんとにありがたいことです。私は心の中で親神さまに何度も何度もお礼を申し上げた。

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ばーさん、頑張れ!その16 7・2

去った6月27日、ばーさんは東大医学付属病院でガンマーナイフ療法を受けた。脳の中に最大で7ミリの転移性脳腫瘍が16個も出来ていたのです。ばーさんはそれを聞いて卒倒しかけた。放射線治療で体力はものすごく衰弱し、歩くことさえおぼつかなくなっていた。そういう状態でガンマーナイフ治療を受けたらどうなるか。・・・しかし、事態は深刻で急を要していた。7ミリの腫瘍は最も危険な箇所にあって、もう少し大きくなると右半身に麻痺と痙攣が起こる。しかも、この腫瘍だけはなぜか成長が早い。体力が回復するのを待っている余裕は全くない。

そんな中でも私は、ばーさんに、おまえは絶対に大丈夫、助かる、と言い続けた。

「この世、宇宙を創り、生命を誕生させ、人間を造った元の神、実の神、親神天理王の尊の辞書に、不可能という単語はない。こんなちっぽけな腫瘍など、たとへ百万個あろうとも、親神さまは一瞬にして消滅させる。ぐわっはっはっはっはっははははは〜〜〜、お前は絶対に助かる。心配するな〜〜〜! 人間思案を捨て、一筋心となって親神さまにもたれきるのだ〜〜〜!」

しかし、ばーさんの顔には、いつもの微かな笑みは浮かばなかった。私の言葉は溺れる者の藁、ばーさんは必死にその藁にしがみついた。

頭部への枠を取り付けた後、CT、MRI、などの装置で脳断層撮影、磁気共鳴画像、脳血管撮影などによる検査を行い、治療は午前11時から始まった。幸運なことに治療に当たる先生は、この道では世界的な権威のエキスパート、丸山医師だった。

昭和病院における放射線治療においては、脳腫瘍は7個しか見つからなかった。しかし、ここでの検査の結果は深刻で、16個の腫瘍が見つかったのだ。丸山医師は根気強くその一つ一つの位置を精密に計算し、誤差0・1ミリの精度でガンマー線を照射していった。ちょっとでも狂えば健全な脳細胞が破壊されて半身不随となるか、最悪の事態では死に至ることになる。

一個の腫瘍をやっつけるのに10分から15分ほどかかった。そして、午後2時、治療は成功のうちに終了した。しかし、一個だけは0・2ミリの大きさなので、ガンマーナイフが使えず、そのままになった。0.4ミリから30ミリまでがガンマーナイフの治療範囲で、0・4ミリ以下だと健全な細胞を破壊してしまうことになるからであった。しかし、これは悪さをするものではないので、様子を見て対処することにしたという。

ガンマーナイフ治療は放射線治療と違って体力を消耗させない。それは、ばーさんにとっては救いであった。そして、脳内の15個の腫瘍は完全にやっつけられていると信じる。結果は一ヶ月後に判明しますが、90%は成功しているということなので、まずは一安心であります。

しかし、闘いはまだまだ続く。そして、その闘いにばーさんと私は絶対に勝利せねばならない。なぜなら、この世を創った根源の親、親神天理王の尊の存在と、そのパワーの無限性を証明するために、二人はこの世に生まれてきたからだ。その使命を完全に果たすために、ばーさん、どんなことがあっても頑張れ〜〜〜!

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心清く正しく、美しく助け合って生きましょう   7.1

人間界を清く正しく、みなと仲良く助け合って生きていければ最高の幸せですね? ところが今の世の中ではそれがなかなか出来ない。どんなに、皆と仲良くし、心を清く、美しく持ちたいと願っておりましても、虐められたり、裏切られたり、だまされたり、罵られたりしますと心は乱れ、激怒と憎しみが燃えさかってくる。挙句の果ては傷害事件、殺人事件となったりいたします。

「悪風の理に混ぜられんよう、悪説に誘われんよう、悪理に繋がらんよう。三つの理いついつ混ざらんよう。・・・遠き所より胸三寸磨くより外にあろうまい。明治30年1月12日のおさしず  山瀬文次郎お願いの後にてお話」

つまり、世の中の悪い風に混ざってしまいますので、心清く正しく、美しく持つことが出来なくなるのであります。そして、その悪い風に乗って悪い説が蔓延る。〜神のために自爆して死ねば、あの世で10人の若い美しい処女を妻にすることが出来る、という出鱈目な説で若者を死に追いやり続けたり、金で買えないものはない、金こそ全て、金で人の心も買える、などと豪語して刑務所に入れられたり、いろいろな悪説が人間を地獄へと追いやり、心を清く、美しく、正しく持つどころではありません。

そして、一つの嘘を守るために百の嘘をつき、いろいろと工作せねばならない悪理にがんじがらめとなり、国を窮地に追い込みつづける某国、・・・ほんとに人間界は乱れておりまして、清く正しく、美しく生きていくどころの騒ぎではありません。

しかし、そうであったとしても、人間はやはり心清く、正しく、美しく生きたいという無意識の願望を持っております。それは、それこそが人間の求め続けてきた究極の目標であり、それなしには未来永劫における人類の存続はない、ということを命が完璧に知っているからであります。

心無い人から罵られたり、虐められたり、裏切られたりしたとき、真実の道を追究する者はどうあるべきか、神様は以下のようなお言葉を残しています。

「何ほど邪剣出しても、悪を出しても、悪は続かんと、心を治め。 明治21年1月15日のおさしず。岩佐キヌ伺い」

つまり、悪は必ず滅びて行くものであり、悪がいつまでも栄える例はない。だから、どんなに虐められても、裏切られても、罵られても神が見ているから気を静め、心を治めなさい。天罰は必ず悪行を働く者、虐める者、罵る者、裏切る者に確実に下される。

人間思案、すなわち雑欲、雑念を捨て、一筋心で道を通り、親神様、教祖様にもたれて日常生活をプラス思考で生きて行く、それが最も大切なことである、と親神様は人間の全てに言われているのであります。そこに、国や人種、宗教、主義思想の差別や対立があってはならず、全てが調和し、助け合って行かねばならない、ということです。

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変な漢字の勉強 6・25

 これは一応漢字です。読みは 「タイト」、意味は「広大でかつ勢いのあること」だそうです。今のところ、世界で一番長い字数(84)の漢字、ということになっております。どこからこんな漢字が出てきたのか? 私が持っている安物の辞典を、いろいろと調べてみましたがどこにも見当たりません。ある解説書には、東京の電話帳で見たとか、生命保険会社の顧客名簿資料に載っていたとか、そういう漠然としたものしかありません。

しかし、「姓氏の語源」を典拠にして、「国字の辞典」にはこの変な感じの漢字が載っております。 いずれにいたしましてもこれはその存在が確認できない、という事で幻の苗字、ということになっておるそうです。人名研究科の権威・丹波其二はその存在を実証できないために、同氏の「日本苗字大辞典」にはそれを載せておりません。

外にも変な感じの漢字がありますので紹介しておきます。

  ←読みは「おういちざ」   読みは「らい」 意味はムササビ    読みは「らい」 意味は酒樽

きょうは変な漢字の勉強となりました。明日は、まともな漢字の勉強でもします。

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弱肉強食 6.23

野生における生存競争、弱肉強食、すっごく厳しいですね? 弱いもの、傷ついたもの、病気になったもの、片っ端からハイエナや、ライオンなどの肉食獣に食われてしまいます。 つまり、弱いもの、傷ついたもの、病んだものは生きるに値しない、ということで綺麗に掃除されてしまう、というのが野生の厳しい掟であります。さらに、健康であっても力の差によって強いものの餌食になったり、幸運とツキが幸いして弱いものが強いものを餌食にしたり、野生のドラマはいろいろさまざまであります。

鯨の赤ちゃんが母親の必死の防御にもかかわらず、シャチの大群に襲われて食われるドキュメンタリを見たことがありますが、なんと申しましょうか悲惨、悲痛、生命の尊さの矛盾を感じさせられます。生きるということは、ほんとに厳しいですね?

それは人間界においても言えることかもしれません。人間の肉体上の病気、弱さ、傷、それは野生界と違って逆に同情される。そして、保護される。だが、心の病気、心の弱さ、心に傷のある者は強者の餌食となる。心が弱いといろいろな誘惑に負けて身を滅ぼす。心に傷や病があると犯罪を犯して刑罰に処される。そして、社会から非難轟々の言動の刃で滅多刺しにされるのだ。

心の脆さ、心の病、傷、これは人間界においては、人間ハイエナや人間肉食獣の餌食となってしまいます。そして、その蔓延は人間界に悪の繁栄と人間絶滅をもたらします。心脆き者よ、人間ハイエナや人間肉食獣の餌食となってはならない。その為には、心を強くし、誘惑に負けない強い心を持つようにしなければなりません。・・・では、心を強くするためにはどうしたらいいのか? それは、真理を見つめ、己の心を浄化することである。それは、自力では出来ない。・・・やはり、根源の親、根源の真理に身を委ねるしかないと思います。

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スズメの愛 6・21

「愛する。それはお互いを見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめることである」 とは、あの有名な”星の王子様”の作者、サン・テグジュペリのお言葉であります。では、一体、お互いを見つめあうことは何でありましょうか?・・・それは下心の探り愛かもしれませんね?探り愛が探り合いになりますと悲惨です。策略は悪企みとなり、黒い影が暗躍して殺意が迸り出る。生命保険金目当ての夫殺し、妻殺しとなり、挙句の果ては親子が壮絶な殺し合いを展開して行く。・・・お互いを見つめ合うこと、恐ろしいことです。

やはり、愛とは、お互いを見つめ合うことではなくて、一緒に同じ方向を見つめることですね?その方がほうがより安全で、より無難といえます。では、どの方向を見つめればいいのでしょうか?東も西も分からないところでは困ってしまいますが、やはり、光の方向でしょうね? 光、素晴らしい! 一緒に手をつなぎ合い、清らかな光を見つめてお互いの心を浄化しあう。そして、人間性を尊重しあって繁栄へ向かって前進する。 

それが真の愛ですね? 雨に濡れて電線に止まっている2羽のすずめ、よく見ますとお互いを見つめあってはいません。方向はいろいろと変化していますが、いつも一緒に同じ方向に視線を向けております。・・・スズメの愛、素敵で可愛らしいですね? 

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日本、逆転負け  6・13

何でもそうですが、勝負をすると誰かが勝って、誰かが負ける。時々、引き分けもありますが、それは別として、とにかく、勝者と敗者の明暗がくっきりと浮かび上がる。

勝負をする、戦う、優劣を決める、生き物には、避けることの出来ない宿命であります。何故、生き物は戦うのか? 何故、殺し合うのか? それは自分が生きるためであり、自分の種を絶やすことなく、永久に繁栄させるためであります。

勝負の根源は、動物の場合、雄は雌を巡って戦い、雌は雄を巡って戦う、あるいは食べ物を奪い合って戦う、それと、塒を奪い合って戦う、という単純なことであります。ようするに3大欲望のために動物は戦うのであります。

老齢になりますと3大欲望の一つは消えますが、それでも、食欲と睡眠欲のために、アウストラロピテクスや、北京原人たちは血みどろになって戦ったのであります。現代人の戦いもそのルーツをたどっていけば、結局、根源には3代欲望が絡んでいるのでございます。

しかし、人間が高度に進化しますと、戦いも美しく進化し、思いやりの戦いとなるはずだ。たとえばサッカーの試合になりますと、お互いが敵のゴールに玉を入れるのではなくて、敵を勝たすために自分のゴールへ球が入るように激しく動き回る。

敵が敵のゴールに球を入れますと、それはこちらの得点となる。それでは申し訳ない。敵を勝たすためには自分のゴールへ球を入れねばならない。敵味方入れ乱れての懸命なる、美しき戦い、それが延々と続くのだ。

そして、最後にはどちらかが勝つ。負けた方は、相手の勝利に対する喜びの顔となって飛び上がって喜ぶ。勝った方は相手を思いやって涙ぐむのであります。

戦争も変なものとなるはずだ。敵に対して、ミサイルを発射するのではなくて、札束をばらまく。敵はお返しにバラの花束をばらまき、ベートベンの第9を流したりする。そして、両国は戦争の愚かさを語りあい、固い握手と共に友好を強めることになる。

・・・変な話ですか? 実は、私もそう思います。しかし、日本が豪州に負けたからと言って嘆き悲しんではいけない、と思います。日本はサッカーには勝ったのです。ただ、勝負に負けただけなんです。次は、クロアチア戦ですね? きっとサッカーにも勝負にも勝つと思いますが、その時は相手への思いやりの涙を流しましょう!

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四聖諦 6・12

仏教用語に「三世実有 法体恒有=さんぜじつう ほったいごぅう」という凡人には訳の分からない成句がある。いつものように古い安物の百科事典で調べてみますと、法というものは来世、過去、現在の三世に渡って確かに存在するもので、その本性は永遠不変にして消滅しない、ということらしい。では、その法とはなんでしょうか? いろいろとありますが、簡単にわかりやすい単語に統一いたしますと、「最高真理」というのが最もぴったりだと思います。

それで、その法なんですが、これは実は来世に存在しておりまして、そこから現在に落ちてくるのであります。それを仏教では「落謝」する、と言うそうです。で、その落謝は現在には長くとどまらないで、あっという間に、瞬きよりも早い一瞬に過去へ落謝してしまいます。そして、それに付随する業と共に過去に蓄積されて、人間の運命にいろいろと変化と特性を与えていくのであります。

・・・毎度おもしろくない話で恐縮です。出来れば肩の凝らない出会い系の話とか、逆援助交際の話に、紅バラの花を咲かせたいのですが、それはなんと申しましょうか、人間を地獄へ導く煩悩の根源的なもの、つまり三毒の一つになりますので、しっかりと賢く現実を見つめることにいたします。ちなみに三毒とは、貪=とん(むさぼり)、嗔=しん(いかり)、 癡=ち(迷妄)のことですが、特に物事の正しい道理を知らないという意味のこの ”癡” 無明が最も根本的なものであります。

ということでまた、面白くない話に戻りますが、未来に法が存在すると言うこと、・・・ほう、そうですか? 何って言っているときではありません。これはちょっと理解に苦しみますが、ようするに未来には具体化の可能性が無限にあるということでありまして、それは何によって決まるかと申しますと、己の意志と行いによって決まるものかもしれませんね?

この世には四つの真実が存在する。それを四諦(したい)、あるいは四聖諦(ししょうたい)と言うそうです。その四つの真実とは、この世の一切の物事は苦である、という苦諦、その苦には原因があり、突き詰めていけばそれは衝動的な渇愛であるという集諦(じったい)。その渇愛を滅する道は八正道である、という道諦。その渇愛を滅すればあらゆる苦を滅することが出来るという滅諦、であります。 

この世の一切は苦である、という苦諦、・・・考えてみれば確かにそうですね? ばーさんが言った。

「私は疲れた、死んだ方がいい〜〜〜、なんでわたしだけがこんな苦しい、酷い目に遭うのよ〜〜〜」

と愚痴をこぼした。無理もない愚痴であります。末期の大腸ガンを緊急手術し、それから四ヶ月目に頭蓋骨を切り開いての脳の手術、どれを取っても命に関わる間一髪のきわどい重大手術であった。しかし、それでもばーさんは生きている。しかも、奇跡は彼女の未来を眩しく照らしているのだ。

「・・・おまえ、生きるということがどんなものか、考えたことがあるか? この世にはいろいろな地獄がある。八万四千の嘴から火を流す五百億の虫や、八万四千の鉄の大蛇が蠢く無間地獄には八万億千の苦中の苦が満ちあふれている。八熱地獄、八寒地獄、我々の想像できない恐ろしい地獄が闇の世界には存在している。しかし、生きるということは、それらの地獄の全てを帳消しにしても、まだ無限にお釣りが来る素晴らしい、尊いことなんだ。だから、オケラだって、ミミズだって、アメンボだって、みんなみんな頑張って生きているんだ。どんなに苦しくても頑張って生きているのだ。死んだ方がいい、なんって言ってはいけません。お前は、何も分かっていない。癡という三毒の餌食になってはならないのだ〜〜〜」

ばーさんは、納得したようなしないような変な目つきで私を見つめた。来週は退院予定である。その時はおじ場帰りし、根源の親、親神様と、永久にご存命の人間の母親、教祖様にお礼を申し上げることにする。

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生きているということ  6・10

生きていること、・・・いや、生かされていることが如何に尊いことか、それは、死に直面したときに初めて分る。、それは金で買えるものではない。たとへ千兆円出してもです。確実な死から助かるために、世界中の金を積み上げても、それは出来ないことなのです。

そんなことを知らないから、・・・というより実感出来ないから、悟りのない者は金だ名誉だ、酒だ女だ、と、血眼になってどぶ川の中を足掻き回っているのです。

我々は生きているのではない。生かされているのです。そして、それは奇蹟であり、元の神、実の神によって生かされている、ということを全神経を通して実感し、納得せねばなりません。

儲ける喜びよりも、生かされている喜びを追求していきましょう。たとえ儲かる喜びを追求しても、それは人類の救済と、心の浄化のために、といたしましょう。そうすれば世の中が浄化され、災いがなくなり、変な猟奇事件なども起こらなくなります。

と言ってもそれが出来ないのです、と言われる方は心に病があります。それは親の愛に満たされていないからです。そういう方は、元の神、真実の神、親神様を信仰いたしましょう! 真実の根源の親の愛に満たされ、心の持ち方が変わり、輝く世界が躍動とともに現れてまいります。

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一寸の毛虫にも五分の魂 6・6

駐車場の後ろは花壇になっていて、紫陽花が満開です。その傍には、種子から芽生えたエニシダの小木が鮮やかな緑を広げている。将来は3メートル以上になり、黄金色の花を豪華に咲かすだろう。それを楽しみにいつも大切にし、周りの雑草などを取り除いたり、水をやったりしている。

昨日の昼過ぎ、いつものようにばーさんに面会に行くために、駐車場へ行った。そして、車に乗る前に、満開の紫陽花とそのエニシダにご挨拶した。すると、なんと、エニシダに毛虫が付いていたのです。私は毛虫は苦手であります。蛇は何でもないのですが、毛虫だけは総毛だって気持ちが悪くなる。

特にそれが伸びたり縮んだり、跳ねたりいたしますともうだめ、鳥肌が立って失神しそうになる。それが私の大事なエニシダにくっついているのであります。見れば見るほど気持ちが悪くなってくる。しかし、考えてみますと、同じ生き物であります。毛虫といえども生きている、という尊い奇跡に変わりはない。♪♪♪オケラだって、ミミズだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ〜〜〜♪♪♪

私は、生命の尊さを強制的に納得させて車に乗った。そして、翌日、再びエニシダを見ますと、さらに多くの、同じ種類の毛虫がくっついていた。エニシダは相変わらず青々と茂っていて、毛虫による弊害は見あたらない。それでその毛虫をムシして車に乗ろうとした。すると、隣の紫陽花に輝くものがあった。

???と思ってのぞき込みますと、それは可愛らしい蝶々であった。色が毛虫と似ている。ということはエニシダの毛虫がこの可愛らしいチョウチョウに変身したのだ。私はびっくり、こんな気持ち悪い毛虫が、こんなにも可愛らしい蝶々になるのか?

 改めて私は生命の不思議さと奇跡にびっくり仰天した。一寸の虫にも五分の魂、・・・いや、3センチの毛虫にも無限の生命の奇跡、私はその毛虫たちと蝶々に敬意を表して頭を深く下げた後、車に乗った。

 

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心の科学  6・6

O physics ! Preserve me from metaphysics !

これは物理学者であり、天文学者であり、数学者であったニュートンの言葉です。万有引力法則の発見者として有名ですが、その他、光の分解、微積分の着想と発見など、彼の功績は大きなものです。形而上的なもの、つまり、物理的でないものに捕らわれますと現実を見失ってしまう。そのことをおそれて、「物理学よ、形而上学より我を救い給え!」と叫んだのだと思います。

形而上学と言っても、それは迷信的なもの、非現実的な理論のことであり、いかに正しく生きるか、の心の科学を意味しているものではない。
彼の愛犬は「ダイヤモンド」という名前であった。そのダイヤモンドが、長年かかってやっと書き上げた彼の貴重な論文を、机の上に飛び上がってインクをこぼして台無しにしてしまった。しかし、ニュートンは怒らなかった。冷静かつ沈着に呟いた。

「O Diamond! Diamond! you little know the mischief you have done!」
(やれやれ、ダイヤモンドよ、お前は自分がやったことを何も分かっちゃいないだな!)

それから再び、最初から論文を書き直して完成させた、というエピソードは有名です。父親が生まれる3ヶ月前に亡くなり、2歳の時、母親は彼を捨てて再婚した。その後、叔母に育てられたのですが、逆境に負けずに素晴らしく生きたのは、やはり、心の科学にも精通していたからだと思います。

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心の病と苦しみ 6・4 日曜日 薄曇り

考えて、判断して、評価して、そして、悩み絶望し、自暴自棄に陥る。人間は何のためにこの世に生まれ、何のために働き、何のために正義を守らんとするのか?・・・人間は考える葦である、他の動物を遙かに超える優秀性のためこういう悩みは当然のことである、とある人間は解釈してしまう。何のために自分が存在し、何のために生きているのか、という目標の消失、自己価値の過小評価、その他、あらゆる事に対する失望、そういう諸々の心的要因が現代人を大きく蝕んでいるように思えてならない。それを思えば人間の優秀性というのは、まだ、未完成故に大きな弊害を人間にもたらしている、と言えます。

では、そういう悩みは何処から、どのようにして、何故、出てくるのか、それは、決して悟りとか、理論とか、納得の極致に達するか否かの問題ではないはずです。そこにあるのは決して、難しい、高度な理論、道徳、必然性の問題ではない。あるのは最も単純で簡単な事柄、つまり、満たされているか、いないかの問題である。満たされている人間には悩みはないし、心の病、自殺願望などはない。

ましてや人間は何のために生きているのか、何のために働かねばならないのか、というような悩みなどはない。あるがままに生き、必要故に働き、生きるために演技をする、というだけである。心の病には人の言葉は刃となり、誤解が誤解を増大させていよいよ心はぼろぼろになっていく。そして、本人は自分が心の病人であることを全く知らない。

酒におぼれる者、競輪競馬、パチンコ、スロットに身を滅ぼしていく者、そして、弱い者を殺してしまう者、それらは皆心の重病人であり、広い次元から見れば、一種の自殺願望者ということになる。

救われる道はただ一つ、満たされることである。それは、金や物、名誉名声権力ではない。無意識の中にある自分の本体、命はそれが何であるかを知っている。人を助ける心使い、その堅持と実践のみが己を満たすことが出来る。自分だけが、自分の身内だけが助かればいい、という考えと行動は人を永遠に満たすことはしない。ただ、ただ、己を、周囲を狂わしていくだけである。

そして、一歩進んで、人は全て生きているのではなくて、生かされている、という現実に目覚め、根源の親なる存在を発見することこそ、完全に、満たされること、につながる、と思う。

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冷や汗 5・31

三鷹市の職安へ午前9時までに行かねばならなかった。それで7時に家を出て西武線に乗り、秋津駅で降りて 武蔵野線に乗り換え、さらに西国分寺駅で中央線に乗り換えた。 三鷹駅はそこから五つ目の駅であります。

私は混雑電車が何よりも嫌であります。朝の通勤時間帯はそれが特に酷い。ぎゅうぎゅう押しまくられて苦しくなり、失神しそうになる。こういう時、私のようないい男は、60過ぎではありますが、痴漢に遭う。身動きの出来ない私にぴったりくっついて、ほっぺたに唇を押しつけられたり、脇腹を抓られたり、寿司職人が握るように握られたり、いやはや、これは全くの地獄であります。羨ましいという男がおればその方はほんとの恐怖が分かっていない。

中央線の朝の混雑は世界一だと思います。最も空いている車両は一両目である、ということは昔の経験で知っていた。それでもぎゅうぎゅう詰めではありますが、失神するところまではこない。それで、ホームの狂瀾怒涛の人海を押し分けて前進し、ようやく一両目にたどり着いて中に潜り込んだ。そして、ドアーが閉まって電車は動きだし、徐々にスピードを上げていった。

やれやれ、と私は安堵の胸を撫で下ろした。しかし、ぎゅうぎゅう詰めには変わりはない。ただ、その圧力が他の車両よりはかなり弱いだけだ。目的の駅までは15分ほどであります。次の駅で乗客がどっと押し入ってきた。私は奥に押し込まれ女性の肉圧に圧縮された。見ると、周りは皆若い女性ばかりだ。男性は一人もいない。さては、私がいい男だから、女性たちは私を目当てにして集中したのだ、いい男は辛い、私はそう思いながら圧縮の苦しみに耐えた。

周りの女性は皆、私をじっと見つめている。その眼光が青光りしている。凄い、私は目のやり場に困って窓の外に視線を移した。すると、なんと、窓ガラスに、「女性専用車両」という張り紙が貼られていた。

ぎゃ〜〜〜、私はびっくり、なんと、愚かな、わたしは馬鹿だ〜〜〜、いい男何ってものじゃないのだ〜〜。

「え〜へっへっへっへ〜〜〜、すみません、女性専用車両とは知りませんでした〜〜〜。申し訳ありません、次の駅ですぐ降ります〜〜〜」

私は目の前の女性に大きな声で言った。しかし、その女性と周りの女性たちは黙ったまま私を見つめ続けていた。電車が止まり、ドアーが開くと同時に私は転がるようにして外に出た。そして、次の電車にようやく乗り込んで三鷹駅へ着いたのであります。気がつくと体中冷や汗だらけであった。

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プラス思考で行きましょう! 5.30

有名人が相次いでガンで亡くなった、というニュースがテレビで伝えられた。それがばーさんにはショックだったらしく、面会に行きますと絶望の顔で言った。

「やっぱり、私は死ぬんだね・・・。末期ガンだから、助かるわけないよね? あんなに元気そうだった人が食道ガンで死んでしまうんだから・・・、私が助かるなんって、考えが甘かったんだ・・・」

それに対し、私は即座に核融合爆発、10メガトン級の衝撃波をばーさんに浴びせた。

「馬鹿者! お前はあと百年間は死なない。もし、百年経っても死にたくなければ、その時は死なないでいいのだ。一人がガンで死ぬということは、ガンになれば全員が死ぬということではない。人はそれぞれの心の持ち方によって運命が変わっていく。お前は、親神様が守っている。だから、絶対に助かるのだ、分かったか〜〜〜!」

「親神様? そんなの信じられな〜い。今は科学万能時代よ〜、そんな非科学的な存在は通用しないよ〜〜〜」

「その非科学的な存在がお前を生かしているのだ。お前は親神様を見捨てている。しかし、親神様はお前を見捨てていない。お前が今生きている、ということがその証だ〜!」

「勝手にしてよ〜、私はもうどうでもいいよ〜〜〜・・・」

そこで、私は大きく深呼吸し、冷静かつ謙虚になって頭を冷やした。

1633年、ガリレオはローマに呼び出されて宗教裁判にかけられた。当時、ローマカトリック教会は天動説を唱えて、それが絶対的と信じ切っていた。したがってガリレオが主張する地動説は神を冒涜するものであったのだ。結局、老齢と眼病の物理学者、ガリレオは地動説を捨てることを余儀なくなされたが、下がるとき、<font color="red">「Yet it does move.」</font> と呟いて幽閉される身となった。

それから359年後の1992年、先代のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世がその宗教裁判の間違いを公式謝罪した。真理はこのように偏見と無知によって大きく湾曲されたりする。そして、その真理の発見者は非難と迫害を受けたりするのだ。というようなことをばーさんに説いて聞かせたあと、さらに付け加えた。

「それと同様、お前は親神様という真理を無知と偏見とエゴイズムから大きく歪めようとしている。親神がほんとに真理である、ということはヨハネ・パウロ2世が天動説の間違いを謝罪したように、必ず、なるほどと分かるときがくる。親神様を無条件に信じるのだ。そして、絶対に助かる、ということも徹底的に信じるのだ・・・」

しばらくして、ばーさんは顔を上げて言った。

「よーく分かりました。生きられる間は何も考えずに生きることにします。全てを親神様にお任せいたします・・・」

「それでいいのだ、・・・散る桜、それでも飽きることなく来年も再来年も、永遠に繰り返えし咲く桜、結局、桜は何なんだ・・・? 」

とうとう、ばーさんは笑ってしまった。人間、心の持ち方一つで生きるか死ぬかが決まる。みなさん、いつ、いかなる状況にあってもプラス思考でいきましょう・・・!

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ヨモギ天ぷら  5.27 土曜日

ばーさんが入院しておりますので、炊事、洗濯、掃除と家ではこまめに働いております。大学生の倅は勉学やサークル活動で忙しいので、家のことは全て私がやるのであります。

倅曰く、「父さんの料理、かーさんのより美味しい。どこか、次元が違う。味噌汁にしても神秘的な味がする。特に、ピラフは最高。ご飯も美味しく炊けているし、おかずなしにいくらでも食べられる・・・」

ここまで褒められますと、単純な私ですのですぐに調子に乗ってしまいます。そこで、今宵は特別にヨモギの天ぷらを作ることにした。よもぎ餅ならぬ、ヨモギ天ぷら、は聞いたことがないと思います。

私も聞いたことはない。しかし、沖縄ではヨモギは薬膳としてよく使われる。子供の頃、高熱を出しますと、ヨモギの青汁を無理に飲まされました。それで、すぐに直ったりしたものです。

近くに東京病院の広大な敷地があります。そこにヨモギがいっぱい生えております。それらの芽の先端を摘み取ってビニール袋にいっぱい詰めて持ち帰り、塩水で洗い、細かく刻む。それから冷水に天ぷら粉を練り、その中にヨモギの細切れを入れて練り混ぜる。

問題は練った天ぷら粉の味である。それは単純な味が良い。宮古島で600円で買ってきたミネラルたっぷりの天然塩と醤油、そして、だしの素をちょっと入れてOKである。

鍋にサラダ油半分ほど入れて沸騰させる。そして、お玉で適当な大きさに掬って入れていく。表面が焦げ色になった頃を見計らって取り出して大皿に入れる。

それを食べた倅が言った。

「こんな不思議な味の天ぷらは初めてだ。身体の隅々から、得体の知れない力が込み上げてくるようだ・・・」

私もそう思った。では、皆さんにもお裾分けいたします。どうぞ、遠慮なく召し上がってください!

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ばーさん、頑張れ!その15  5・25

ばーさんの状況はすこぶる良い。ゆっくりとした頭の動きがかなり良くなっている。目の動きも良いし、血色も良い。言葉もスムースである。トイレに行く時も緩慢な動作ではあるが、立って歩き、看護婦や看護士が、後ろから見守ってついて歩くという状況である。回復の早さはスピード違反である。同じような手術を受けて、まだ、一ヶ月も寝たっきりの方が隣のベットにいる事を思えば、まさに、奇跡である。

ばーさんが言った。

「こちらの看護婦さんや、看護士の方、とっても親切でいい人ばかり、この病院に入院して良かった〜。要望があれば遠慮せず何でも言ってください、と言ってくださった・・・、地獄に仏とはこのことね〜〜〜」

「・・・ん? それは、困ったものだ、これでおまえにはもう虫は付かないと安心していたのに、新たな心配の種が出てきた。おまえのような素晴らしい女を嫁さんにした男はみな、不幸だ〜〜〜、あ〜〜、おれは不幸という名の星のもとに生まれた男だ〜〜。頼むから、その若い看護士に、デートしてくれという要望だけはしないでくれ・・・!」

ばーさんはあきれた顔で私を見つめた。それから急に、目を潤ませて言った。

「あんたって、いつもそうなんだね? 私の下になって、私を持ち上げてくれる。あの看護婦や看護士の何倍も何倍も、あんたは私のことをやってくれている。私はわがままで、頑固で、気位だけが高い女です。でも、あんたは素晴らしい、最高の男よ〜〜〜」

「・・・何を言うか、おまえらしくない。おれは、お前を嫁さんにするためにこの世に生まれてきた。だから、お前の毒舌は、お前が私の嫁であるという証となるためにうれしいのだ。今まで通り、私には毒舌の子守歌を聴かせてくれ・・・」

ばーさんの目から涙があふれた。それを私はハンケチでそっと拭いてやった。元気になったら息子も連れて、3人でおじば帰りすることにする。そこで、根源の親である親神様と、ご存命の教祖様に真実のお礼を申し上げるために・・・。

あと、もう少しの辛抱だ、あなたは絶対に助かる、ばーさん、頑張れ〜〜〜!

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悟りを開く 5.23

お釈迦様が、菩提樹の下で悟りを開かれてのが、35歳の時であったと言われております。生没年は諸説があって定かではありませんが、有力説はBC565年〜BC486年と、BC465年〜BC385年の二つであります。ですから、お釈迦様が悟りを開かれた年月日はBC530年か、BC430年の3月5日、ということになります。

それで、お釈迦様は何を悟られたのか? 後生の偉い人々が、いろいろと難しい単語を並べ立てて説いておられますが、私のような人間にはそんな難しいことは分かりません。ブッセツ、マーカー、ハンニャー、ハーラ〜、ミーター、シーンギョウ〜〜〜♪♪なんっていう般若心経など唱えられてもちんぷんかんぷんであります。要するに私なりに、簡単に申し上げますれば、神と人との関係に救いと安らぎを求めるのではなくて、人間自身に根ざした人間自身の生き方を根本問題とするところに、人の救いがある、というのがお釈迦様の悟りであります。

そして、現実に対する正しい認識、つまり、縁起、四諦、八正道を土台とし、自らの中に真理を実現しようとするのが、仏教の根本であります。人は生まれながらにしてバラモンではなく、心の持ち方、実践においてバラモンである、という名言、さすが仏陀、釈尊であります。

お釈迦様は菩提樹の下で座禅を組み、20日間の瞑想にふけった。その姿は神々しく、骨だらけで痩せていたはずだが、眩しいくらいに輝いていたと思います。

ばーさんの病室は5階の一番端っこの部屋にあります。面会時間は午後3時からであります。5分ほど遅れて行きますと、なんと、ばーさんがベットの上に座って悟りを開いていたのです。

「どうだ、具合は? 」

と聞くと、ばーさんはゆっくりと首を回し、私を見た。脳に差し込んであった管は取り外され、頭は自由が利くようになってはいたが、何しろ頭蓋骨をくり抜いて、中の脳みそにメスを入れられたため、簡単に動かすことが出来ないのだ。

「具合なんって、良いわけないでしょう!頭が痛い・・・。痛み止めの薬を飲んだけど、それでもまだ痛い・・・」

「そんなのは明日になればすぐ直る。大手術のあとだ、痛いのは当たり前だ。それより、今のあんたの姿、まるで悟りを開いておるようだ。眩しく輝いておるようだ・・・」

ばーさんは合掌のポーズをとり、静かに目を閉じた。ゆっくりとした動作が、何故か神々しく見えた。しばらくしてばーさんは目を開けて、笑顔を見せた。死線を見事に越えたばーさん、ほんとの悟りを開いたのかもしれない。あと一週間もすれば、動きは元通りになるだろう。悟りを開いたばーさん、頑張れ!

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ばーさん、頑張れ!その14 5・21

土曜、日曜、休日の面会時間は午後1時から8時までとなっている。1時ちょっと過ぎにばーさんの特別室に行くと、彼女はベットに横たわって目を閉じていた。しかし、私の気配を敏感に感じ取って言葉を発した。

「今までどこにいたのよ、遅いじゃないか〜」

「・・・いや〜〜、すみません。じつは、若くて美しい女の大群からデートに誘われて、それを断るのに時間がかかったのだ。もてる男は辛いね〜〜」

「それは人間の女ではなくて、豚か犬、ゴキブリの雌でしょう? あんたにお似合いよ・・・」

これはまた、すごい毒舌であります。これほどの元気があれば大丈夫、私は一安心した。頭には管が差し込まれ、その延長の3カ所ほどに測定器らしきものがセットされている。看護婦が時々やってきて、その数値を確認したりする。脳内の圧力を常時掌握し、制御するためのものである、との説明がなされている。異常がなければ、明日、撤去されるとのことだ。

しかし、ばーさんは身動きが出来ない。その上、熱が38度9分まで上がっている。そこで頭の下や背中の下に氷枕がおかれている。それでも熱が下がらねば薬剤投与をする、とのことだが、心配する必要はない、ということであった。

オレンジジュースが飲みたい、というので地下一階の売店へエレバーターで降りていき、果汁100%のパック入りを買って戻った。するとまたばーさんが怒って言った。

「遅ーい、ジュース買うのに何時間かかるのよ〜、どこへ行っていた〜・・・」

ん? これはおかしい、時間の感覚が狂ったのか?私は不安を覚えながら、ジュースをストロー付きの容器に移し替えて、EM-X、という謎の液体を30ccほど混ぜた。その謎の液体というのは、最近知ったのですが、ガンを簡単に治すとのことであります。それに、信じられないかもしれませんが、私の花粉症がぴたり治り、いびきが消え、禿げていた頭に毛がふさふさと生えだしているのです。

視力の衰えにもすごい威力を発揮するとのことです。試したいという方がおられましたら、その購入先をご紹介します。効くか効かぬかは何とも言えません。しかし、私の毛が生えてきたことと、花粉症、鼾が直ったことは事実です。

余計なことを書きましたが、それをばーさんの口にくわえさせますと、おいしそうに飲んだ。そして、時間を聞いたので、1時30分である、と言うと怪訝な顔をした。私が来てからの時間が長時間に及んでいる、と感じられるとのことであった。

これはきっと手術のせいだ、と私は説得した。脳の中を、あれほどの手術をしたのだ、そんな異常が勃発しても当然だ、明日になれば普通に戻る、というと、ばーさんは安心して再び眠りについた。

きょうは日曜日ですので、面会時間は午後1時からだ。これから炊事、洗濯、掃除を済ませて、病院へ出かけることにします。昨日よりは、さらに良くなっているばーさんと会うために・・・。

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ばーさん、頑張れ!その13  

大人の小脳の大きさは、にぎりこぶし大で、重さは130〜150グラムである、と百科事典に載っている。こぶし大と言えば、個人差はありますが、直径が11センチ前後であると思います。その小脳の下部の方に直径が3センチ弱の腫瘍がある、とばーさんは一週間に及ぶ過酷な検査で診断された。

一瞬、私は目がくらんだ。小脳は身体の平均感覚や運動などを司る重要なところで、針一本で簡単に人を殺すことも出来る急所でもある。ばあさんの場合、小脳の約27%が腫瘍となっている。ということはその摘出は不可能ではないか?という恐怖に襲われた。しかし、医者は言った。

「このまま放置しておくとあと4.5日でばーさんは必ず死ぬ。そのまま死を待つか、それとも、危険ではあるが手術に全てを託すか、どっちにするか・・・?」

ばーさんの容体は歩ける状態ではない。言葉も呂律が回ってはっきりせず、吐き気をもようし続け、気分が悪いと訴える。腫瘍の進行は異常なほど早い。一昨日までは自由に歩き回っていたのだから、たった一日で、ふらつきのため歩けなくなる、ということがその証拠である。事態は緊急を要する。私は、1%かもしれないその望みに全てを託して手術をお願いした。

手術同意書、輸血同意書など、いろいろな書類に署名捺印し、手術決行となった。午後2時に手術する、ということになったが、こういう時に限って重体の緊急患者が運ばれてきて、ばーさんの手術は後回しとなった。待つ身は辛く、苦しいものであります。ばーさんの容体はますます悪化していく。右の耳が完全に聞こえなくなり、身体の向きを左側に変えると激しい目眩に襲われ気を失いかける。私はばーさんの手をしっかり握りしめて励まし続けた。

「頑張れ、大丈夫だ、・・・大丈夫、俺がついている。それに、親神様もついている。絶対に大丈夫だ。死んでも大丈夫だから心配するな、わかったか〜〜〜」

待つこと数時間、午後5時、ようやく手術するという連絡が入り、数名の看護婦がばーさんを迎えにきた。手術室は3階にある。ばーさんは移動式のベッドに乗せられて5階のエレベーター室に運ばれ、そして降りていった。私は階段を駆け下って3階の手術室の前でばーさんを待った。

手術室のシャッターが上がり、広大な手術室が眩しい照明の中に現れた。ばーさんはその中へ運ばれ、奥の方へと消えていった。私は不動の姿勢をとって頭を下げ続けた。看護婦が言った。

「5階の待合室で待っていてください。緊急の呼び出しがあるかもしれませんので、決してそこから離れないでください」

私は待合室に一人座り、目をつぶった。時の流れがゆっくりと、はっきり見える。時の粒子の一つ一つが大きさもないのに、大きな時の流れとなって停滞の中を動いている。・・・なぜ、ばーさんと私はこんな目に遭わなければならないのだ。何か、悪いことでもしたというのか? 一体、どういう罪を犯した、というのだ。

まじめに、正直に、人様のためと今まで懸命に働いてきたのだ。人から酷い仕打ちをされても恨まずに、その人の心と魂が救われるように、と祈ったりもした。そして、なによりも、親神様の絶対的信仰者として、ここまで来たのだ。

それが何故、・・・私は頭を抱えた。外は激しい雨となっていた。時折、稲妻が走り、ガラス窓の隙間から巻き風が雨滴を叩きつけてきたりする。時計をみると21時を過ぎていた。手術は4時間ほどかかる、と医者は言った。おそらく、その手術は18時から始まったはずだ。ということは22時頃には終わる。もし、それまでに終わることが出来なければ手術はきわめて難航し、絶望の延命処置に移るということになるかもしれない。

人間の浅はかな思考では、この無限に広がる天理の仕組みはとうてい理解できない。親神がどういう道を造り、どういう助けをしているか、目先のことしか見えない私には分かるはずがないのだ。ならば、全てを受け入れて、なるがままに全てを親神様に委ねるしかない。私はそういう悟りのような境地になり、さらに時の流れに身を任せ続けた。

23時が過ぎた。しかし、手術終了の連絡は来ない。その頃には私は観念せざるを得なかった。もうだめだ、急所である小脳の手術が、5時間以上もかかっている、ということは何かがあったのだ。おそらく、最後には私は手術室に呼び出されて、ばーさんの亡骸と対面することになるかもしれない

私は何度も立ち上がってトイレへ行った。昨年の12月27日にはばーさんの末期大腸ガン(S字結腸)の手術が行われた。あの時も同じような事をしていたことを思い出した。あれから5ヶ月、あの時以上の危険な手術がいま行われている。

時計は刻一刻と過ぎ、ついに午前0時になった。その時、ようやく向かいのエレベータが開き、ベットが出てきた。中には頭部を包帯で巻かれたばーさんが顔面蒼白で横たわっていた。意識はない。

「手術は難航しましたが、成功です。腫瘍の大きさは3センチ弱、非常に柔らかかったので手術が難航しました。固いものですと簡単だったのですが、とにかく、無事に終わることができました。あとは2ミリ足らずの腫瘍が大脳の数箇所にありますが、それは落ち着き次第、放射線治療で治すことにします。長い時間、待たせてすみませんでした・・・」

医者の言葉に私は全身の力が抜けた。頭を深く下げたまま、言葉が出なかった。お礼を言わなければと焦ったが、出すと爆発的に泣き出しそうだったのでじっとこらえていた。涙がぽとぽと出た。医者は黙って私の肩をたたき、ばーさんのベットへ案内した。

後頭部には管が差し込まれていて、外に長々と伸びて掛け台に結ばれた。その先端は袋に入っている。脳内圧力を調整するために脳水が自由に出入りするためのもの、という説明がなされた。しかし、脳の中に管が入っているということは恐ろしいことであります。しかし、2・3日もすれば撤去するらしい。

ばーさんは昏睡状態である。 看護婦が言った。

「あとは私たちにお任せください。時間ですので帰ってください」

私は「ありがとうございした。このご恩は、一生忘れません」 とようやく言えることが出来た。

午前1時前、私は病院の駐車場を出た。深夜の道路は濡れていた。あれほど激しかった雨が嘘のように晴れ、雲の切れ間から清らかな星の煌めきが見えた。この大きな難関を乗り越えたのだ。油断さえしなければあとはもう大丈夫だ。手はいくらでもある。ばーさん、だいじょうぶだ。ばーさん、頑張れ〜〜〜!

家では、倅が待っている。二人で、ばーさんが救われたことに対し、親神様に感謝とお礼を申し上げ、お礼勤めを行うことにする。

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ばーさん、頑張れ!その12

人間は水の中では生きられない。しかし、魚は平気で水の中で生きられる。逆に魚は地上では生きられないが、人間は平気で生きられる。それは当たり前のことですが、なぜ当たり前なのか、なぜ当たり前となったのか、その当たり前はどこから来たのか、考えて見ますと、なんでも当たり前である、と片付けておりますと人間は最も大事なことに気がつかないままでいると思います。我々が生きられているのは、宇宙があり、太陽があり、月があり、地球があるからだ。しかし、それも当たり前なのであろうか?

空気、水がふんだんにあり、太陽が熱エネルギーを絶えず無限に地上に降り注いでいる、それらも全て当たり前である、とほとんどの人間が漫然と受け止めている。そこに危機感や、畏敬、感動、感謝の気持ちなど微塵もないのであります。

私に言わせれば人間をはじめ、生きとし生きるもの全ては己が力で生きているのではなくて、生かされているのであります。生かしているものは誰か? それは、この宇宙の妙なる仕組みであり、極微の世界から宇宙無限の広がりに至る一切を掌る根源の親神であります。人間の力で出来ることは限られており、考えて努力して、学習して、体を自由に動かすことだけであって、全てが、生かされている、ということに根ざしているものだ。

人間が出来ることはほんのわずか、残りの99.999999%はビックバンの力であり、宇宙の動きであります。つまり、全てはこの世を始めた根源の親、生命の実の親、親神様である、ということです。その親神様は最高に寛大で、最高に優しく、最高に厳しい存在であります。親神様は生命の源ですから、その懐から出てしまいますと、水から飛び出した魚のように干からびて死んでしまうのであります。

宗教はいろいろとありますが、根源は一つ、この宇宙とビックバンのパワーであります。あの世に幸せを求める宗教がありますが、それは間違っております。あの世でも、この世でも存在しているという事自体が現実となります。もし、あの世での存在が幻想の、理想の幻影の中だとすれば、それは意味のないことです。やはり、存在とは現実でなければ意味がありません。

ソクラテスは2450年ほど前の古代ギリシャ時代において、「汝自身を知れ」 と言った。そして、それから1950年ほど後に今度はデカルトが、「我思う故に我あり」と答えたのであります。これは全て現実の話、あの世という幻想の世界の話ではない。汝自身とは何か? それは生かされている存在である。我思う故に我ありとは何か? それは、心一つが我である、という意味になります。

ばーさんの肺のレントゲン写真を見ますと、驚いたことに十数個ほどあった円形の空洞がほとんど消えていた。これは、まさに奇跡です。こんな事は現代医学では考えられないことですね?しかし、この世は親神様の世界。医者の世界ではない。根源の親にすがればいかなる病でも、このようにすっきりさわやかとなって消えてなくなるのであります。

・・・しかし、一難去ってまた一難、今度はばーさんの小脳にちょっとした腫瘍が発見された。ほおっておくと生命に関わる。即入院して、手術の準備となった。呂律がちょっとおかしく、右手の動きがリズミカルに出来ない、というのはそのためであった。この手術は非常に危険という予感がする。しかし、親神様に全てを任すしかない。

今日の検査は、これまた恐ろしいものです。腿の付け根の大動脈に細長い管を差し込み、それをそのまま胸のあたりまで押していって造影剤を注入する。そして、脳全体にそれが巡ったところでレントゲン写真を撮る、という検査です。それによって、金曜日の手術がより安全に行われる、と医者からの説明があり、同意書に署名した。

こんな恐ろしい事ってないですね? ただ、ただ、親神様に安全無事を祈り、医師様の高度な技術に望みを託すしかない。この検査は2時間内に終わるとのことだが、そのあと6時間ほどはベットの中で動かずに、じっとしていなければならないとのことです。

しかし、親神は絶対にあなたを守る。ばーさん、人間思案を全て捨てて、無念無想となり、強く、もっと強く、さらに強い心を持って がんばれ〜〜〜 !

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迫りくる人類の危機  5.13

5月の雨は優しくて穏やかですね? その中を傘をさして買い物へ出かけました。味噌と醤油、サラダ油が切れている、というばーさんの苦言があったための買い物であります。買い物先は、いつも行く駅前のOKストアーでございます。お客が常にいっぱいで繁盛しているのは、とにかく品物が安いからです。200円余りの発泡酒がなんとたったの150円、135円が105円なんです。これは缶コーヒ-よりも安いですね? その120円の缶コーヒーがたったの68円、その他いろいろで、中には他の店の3分の1しかしない商品もあります。

世の中、売れるのであれば幾らでも値上げして儲けようとする欲深が多い。それでは世の中、そして自らも繁栄しなくなり、バブル崩壊となってしまいます。いい品物を如何に安く売って人々に喜んでもらえるか、それが商売繁盛の秘訣だと思います。つまり、畑に肥料を撒かないでおりますと、後は作物が育たなくなる、ということです。畑にたっぷり肥料を撒まきますと、その肥料の分を取り返してさらに莫大な収穫が得られる、という簡単な方程式が成り立ちます。それが欲深になりますと見えなくなって自滅する、ということですね?

消費者が貧乏で、一文無しですと商売は成り立たない。消費者を豊かにする、その為には利益を一般大衆に還元して行くことだと思います。莫大な富を得て、2億円もする自家用機を買うよりも、それを畑という大衆に肥料として還元して行く、ということのほうが最も賢い商売のやり方です。そして、これによって日本の経済は安定し、宇宙時代へと突き進んでいけるのです。

宇宙時代、という四字成句を出しますと笑われるかもしれませんが、そういう方々は私に言わすれば愚かです。あと5000万年もすれば日本列島は海洋プレートに乗って移動してくるオーストラリア大陸に押されてユーラシア大陸にぶっつかり、1万メートルの高さとなる。日本列島は原形を留めなくなり、どこが日本でどこが竹島か、北朝鮮か分からなくなってしまうのです。

2126年の8月14日には直径が20キロもあるスウィフト・タットルという彗星が地球にぶっつかります。6500万年前の恐竜を絶滅させたというあの隕石の直径が、たったの数百メートルであったのですから、直径20キロともなりますと地球はひとたまりもない。これは120年後になりますので ”あっしには何の係わり合いもございません” という方々もおられると思います。

では、19年後の2025年、小惑星2000SG344がかなりの高確率で地球にぶっつかる計算になっておりますが、これをどう見ますか? 現在、この惑星は1300万kmの位置にあって地球を目指しております。幸い、直径はかなり小さいものですが、それでも地球に壊滅的な影響を及ぼします。そのことは1994年7月17日から22日にかけて木星に衝突し続けたSL9という分裂した彗星の大きさによって分かります。

その彗星は木星と衝突する前に直径500メートルから5キロほどの20個に分裂した。それらの衝突のエネルギーは広島原爆の一億倍であったと計算されています。直径がたった数百メートルの隕石、小惑星の激突で地球は壊滅状態に陥ります。小惑星2000SG344の地球激突、秒読みまであと19年、それでも ”あっしには関わりはございません” と昔の木枯紋次郎さんは言うでしょうか?

さらにでございます、世界の植物学者たちが言っておるのですが、2011〜2014にかけて世界中の木が一斉に枯れるとのことです。原因は ”光害” 、つまり近年、明るい夜が続いておりますので植物たちがストレスにされされて生命反応のリズムが狂い、枯れてしまう、という事であります。これがほんとの ”木枯悶次郎” ですね?

世界中の木が枯れるとどうなるか? それはほんとに一大事でありまして、酸素が希薄となり、現在の酸素濃度20%がたったの5%、消費税と同じになってしまいます。そうなると酸素呼吸している生物は、みな、おてて繋いで三途の川を渡らねばならないのです。赤信号、皆で渡れば怖くない、なんってものじゃないのです。

そんなこと根も葉もない出鱈目だ、という方が大勢おられると思いますが、出鱈目であればこんなうれしいことはありません。しかし、ポピ族の伝承、マヤ・カレンダー第5太陽時代の予言によりますと、人類の滅亡は2012年の12月23日となっております。植物が枯れる年月日と大体一致しております。

私は別に皆さんに恐怖を与えて弱みを握り、ドサクサに紛れて150円の発泡酒を奢ってもらおう、なんってケチな考えはしておりません。私が言いたいのは、みな仲良くし、互いに助け合って人類の未来を清く、正しく、美しく、活気に満ち溢れた宇宙時代にしましょう、という単純な願いだけであります。

迫りくる人類の、いや地球の危機、それを乗り越えるには欲深であってはならない、ということです。国、人種、宗教、風俗、習慣、その他もろもろの障壁を取り払い、人類は世界一列みな兄弟姉妹、地球家族として一致団結しなければならない時期が到来しているのであります。

ん?・・・今日は何を書いたのか、訳が分からなくなりました。大変失礼いたしました。ではみなさま、また明日!

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恐怖の抗がん剤 5.12  

昨日と今日のばーさんの様子がおかしい。時々、ろれつが回らなくなったり、右上腕の振りがぎこちない。さらに、右手の指先が痺れたり、チクチクしたりするという。そして、自転車に乗っていて塀にぶっつかったりする。・・・これはおかしい??? 新たな不安が私を襲った。もしかするとパーキンソン病の前兆だろうか? そうなると一大事である。動作は緩慢ではないが、姿勢反射に障害がある。

しかし、パーキンソン病の場合は動作していないときに震えが強く起こり、動作をする時にはそれが軽くなったり消えたりする。ということは、ばーさんにはそういう兆候はないから、パーキンソン病ではない。では、いったい、ばーさんの今の症状はなんに起因しているのか?

いろいろと考えた結果、それは抗がん剤の副作用である、という結論に達した。髪の毛が抜け始め、激しい吐き気がし、下血があり、胃が硬くなったりする。そもそも、今の日本で使用されている抗がん剤は100種類ありますが、欧米ではそれらの半分以上が、危険という事で認可されていないのです。さらに日本の場合は、製薬会社が提出するデーターが、癌を2割程度縮小する効果ある、というものであれば認可されてきたのです。欧米では最も重要視される延命効果のデーターは、どうでもいいようになっていたのです。

しかも、この抗がん剤で助かる確率はきわめて低く、逆に副作用で死亡する率が高い、と大勢の医師たちが叫んでいる。現に厚労相審査管理課長・川原章は批判している。

「100種類の抗がん剤のうち、国の審査で延命効果が確認されたのは極めて少ない。日本の抗がん剤は効果不明で、海外では信用されていない」

・・・と。 これって怖いですね? 2005年夏に厚生労働省はようやく抗がん剤承認の際、その延命効果も確認する方針を決めましたが、あまりにも対応が遅すぎると思います。その抗がん剤の副作用をデーターに基づいて調べられたものを記載してみます。

食欲不振、悪心、嘔吐、腹痛、下痢、口内炎、腹部膨満感、下血、口角炎、便秘、胸やけ、味覚異常、口渇などの消化器症状。垂体外路症状、

言語障害、運動失調、眼振、妄想、意識障害、見当識障害、記憶力低下、自発性低下、尿失禁、白質脳症、歩行時のふらつき、水疱、脱毛、発疹、

四肢末端の痺れ感、光線過敏症、紅斑、浮腫、びらん、色素沈着、掻痒感、爪の異常、皮膚肥厚等の皮膚症状、動悸、発熱、糖尿、頭痛、流涙 顔面麻痺、

以上ですが、ばーさんに当てはまるものは赤い字のほうです。これ以上抗がん剤治療を続けるべきか? 私はここで思い切って止めさせてもらうことにする。このまま続行すれば、ばーさんは必ず身体障害者となって死ぬ。延命どころか縮命効果となってあの世行きとなってしまうのだ。・・・しかし、これは勇気の入る決断です。救いとする抗がん剤は猛毒で、正常細胞をも破壊する。しかし、それをやらないと癌は増大する。これも命取りとなる。

では、一体どうすればいいのか? やはり、親神様だけが頼りとなる。抗がん剤を止めて奇跡に頼るしかない、それが今のばーさんには、正しい道であることは間違いないと確信する。

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腫瘍マーカーの驚異的減少 5.11

腫瘍マーカーのCEAというのは肺・胃・大腸・膵臓癌などの程度を知る数値で、CA19−9は膵臓癌、大腸癌・粘液性卵巣癌・胆管細胞癌・胆道癌などの数値を示すもの、ということです。その他、PLTが血小板数、WBCが白血球、網赤血球は、骨髄の中にいた赤芽球から核が取り除かれた赤血球の赤ちゃんで、骨髄から飛び出したばかりの幼い赤血球とのことです。

血液検査によって癌患者はその進行具合を、上記の数値によって随時知ることが出来るわけです。ばーさんの気になる数値を病院側がようやく渡してくれましたので、それを後日のために記録しておきます。

年月日
CEA
正常値=5以下
CA19−9
正常値= 37以下
PLT
正常値=13〜4万/μl
WBC
正常値=3000-8000
網赤血球
正常値=0.5%-15%
2006.3.1
101.0
1550.0
34.2
4060
18
2006.4.12
86.7
289
25.6
3420
25

これを見ますと、腫瘍マーカーは驚異的な減少である。勿論、まだまだ正常値にはほど遠いですが、急速に、そして確実にばーさんは快方に向かっているのであります。しかも、1ヶ月前の時点ですので、今はさらに良くなっているはずです。今日の結果は一週間後に分かります。ばーさんに奇跡が起こっている、これははっきり言える事です。

PLT=血小板の34万→25万は異常なし、白血球=WBCの数も異常なし、・・・しかし、網赤血球はかなり高いので鉄分の補給が必要である。

しかし、真剣勝負はまだまだ果てしなく続く。心の緩み、油断、怠惰、それらは今の私には許されない。癌を完全にばーさんの体内から追放するまでは、夜も寝ないで昼寝をちょっとやりながら、頑張らなければならないのです。親神様の奇跡をいただく・・・、その為には、それに値する心の行いと奉仕の実践がなければならない。

では、今宵はこれにて失礼します。久しぶりに熟睡できそうです。

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全てを受け入れる 2006・5・9

いろいろと考えて見ますと、喜べる材料はいくらでもありますね? つまり、生きている限り、どんな逆境の中にあっても、考え方一つで喜べる材料を見出せるということです。目が見える、耳が聞こえる、心臓が動き、体が思い通りに動く、寝ていても息をし、血は体中を巡っている。これって不思議で、ありがたいことです。

しかし、人間界を生きるということは煩悩が邪魔して思い通りには行かない。ありがたいどころか、右を向いても東を向いても嫌なことばかりであります。陰湿な虐めがあり、虐めにあった者が虐める者を殺して積年の恨みを晴らす。倒産、自殺、殺人、暗殺、爆弾テロ、戦争、そんな人間界で喜べる材なんってありそうにもないですね?

それに、世の中には末期がんや難病奇病に苦しんで、寝たっきりの畳一つ、ベット一つが己の世界となっている方々が大勢いらっしゃる。お粥どころか水も喉を通らず、激痛にもだえて死を待つばかりの地獄、こんなところで喜べる材料があるはずがない。

一体どうすればいいのであろうか? 人間の力ではどうにもならない鉄壁が幾重にも連なる世界、絶望のみが地獄への扉を開く。どうにもならない世界、どうにもならない人の命、運命、定め、・・・ならば、こうなったら自棄のやんぱちでなるようになれ、という心境で全てを受け入れるしかない。

全てを諦める、そして、全てを受け入れる、寛大に世界を見つめる、すると、なんとなく心が落ち着いてくるものであります。この世は苦の世界、幸なんって所詮ないのだ、しかし、それでも自分は命が求め続ける根源なるもの、心の古里なるものの存在を信じて時の流れに身を任す。

それは難しいように思えても、野性の動物を見れば出来ないことでもない。いかなる状況にあろうとも彼らには幸せも不幸もない。全てを受け入れ、その中で無心に生きている。子供をライオンに食われた草食動物は、悲しみはすれどもそれを不幸と見なすことはない。受け入れねばならないことは無条件に受け入れているのだ。頭に吹き矢が刺さったままの鴨はそれでも平気で飛び回っている。恨みも絶望も何もないのだ。

全てを受け入れたとき、人間には奇跡が起こる。人知では測り知れぬ事象物象の原理が働くからだ。その現実を私はばーさんに見ている。日一日と蘇って行くばーさん、医者から、あと3ヶ月の命、と死の宣告を受けたばーさんが、5ヶ月目になった今でも生きて元気に動き回っている。全てを受け入れる、そして、どこからでも喜べる材料を見つけ出す、それが人間には大切であり、清く正しく、躍動的に進化して行く道だと思います。

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