2006年7月12日〜11月12日

  

 幸せとは何か?   月下美人の蕾  浜辺の歌 

  ばーさんよ、安らかに眠れ!  制裁案と非難案 北朝鮮制裁決議案に思う  奇蹟と宗教!  何処へも行かないでくれ 

 松本智津夫・王と死刑囚    ほんとの最後の審判  月下美人の開花 病の根は心にある   濡れた翼、サギソウ  月と月下美人  

 ネバー、ギブアップ ゴーヤーとは何か?  戦争とは何か  姉を救った父の直感  ルビー婚式   春菊てんぷらのお供え   顔で泣いて、心で笑う 




幸せとは何か? 7・23

ばーさんはどういうわけかオペラが好きなんです。ラジオやテレビの音楽番組で聴いたり、観たりしたことはありますが、それは私にとっては地獄の音楽で、正常感覚を根底から破壊するものであります。

 数年前、市民会館ホールでオペラコンサートがあった。ばーさんは、勝手に私の分まで前売り券を買い求めていたのです。しかも一枚8000円! 発泡酒が72本買えるのだ。しかたなく私はバーさんについて行った。カルメンのハバネラ、セギディリア、闘牛士の歌、などが独唱、重唱、合唱で入り乱れ、狂乱の怒濤となって爆発を繰り返した。

バーさんも感動の爆発、私の手を強く握り締めて、つねったり捻ったり、挙げ句の果ては私の顔面に強烈なひじ鉄を見舞った。その衝撃で、私の眼からは無数のハート型の火花が飛び散り、それがオーロラとなって宇宙の無限性に広がった。

 いったい、この奇声コンサートのどこが良いのだ。馬がいななき、牛が笑い、山羊がメ〜〜〜と鳴く。豚が断末魔の声を上げて、山猿の群が欲求不満の呻きでハミングする。ゴリラとオランウータンが互いに罵り合い、禿タカとカバが恋をささやく。

...ぎゃー、俺はもうだめだ、これ以上聴くと狂い死にしてしまう。地獄の2時間のあと、ようやく終わり、私は死の寸前で救われた。その帰り道、バーさんは私の肩に顎をのせて言った。

「私とっても幸せ......」 

ん......? 幸せ? 幸せとは一体何か? 一晩中考えた結果、ようやくそれらしきものが分かった。幸せというのは捜し求めて得られたり、努力して作られるものではない。何故ならそれはすでに造られて周りに充満しているからだ。

つまり、人間は幸せになるために生きているのではない。自分が幸せであることに気が付くために、この世に生まれてきたのだ。人間というのは、己に与えられた過剰な幸せを、不幸というドブ川に投げ捨てながら幸せを、狂い求めて生きている哀れな生き物なのです。

その点、ばーさんは偉い。いかなる逆境にあろうとも、彼女の周りは幸せでいっぱいなのだ・・・! 今は、先の見えない闇の中。しかし、その中を幸せの一つ一つを見つけながら手探りで行けば、必ず前方に光が現れる。

ばーさん、頑張れ! もうすぐ、闇のトンネルから抜け出る。我々は永遠不滅の天地の子、生かされている喜びを持って、ファイト一発、頑張っていきましょう〜〜〜!

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月下美人の蕾  7・22 

毎日、雨が降ったり止んだりの天気が続いております。 雨の合間には電線の上で、カラスの親子がやかましく鳴き騒いでおります。ガラス戸越しに眺めておりますと、ほほえましい光景を目撃することが出来た。お父さんカラスなのか、お母さんカラスなのか区別は付きませんが、親カラスが子供のカラスの口の中に嘴を突っ込んで、胃の中の食べ物を与えている。食後は親子水入らずで、しばらく体を寄せ合って、風に羽毛を揺らしていた。そして、親カラスは勢いよく飛び上がり、急降下して姿をくらませた。次の餌を探しに出かけたのだ。

その餌場はほとんどが家庭用のごみ置き場だ。ゴミ袋を突っついて破り、中に入っている残飯を漁るのだ。おかげで道路はちらかって汚くなる。そして、人間様の怒りを買う。人間は他の動物と違って綺麗好きだ。ですからそのことを十分に情報として保存し、カラスの親子は進化せねばならない。つまり、残飯を漁った後は綺麗に後片付けをし、道路を箒で掃除しなければならないのだ。箒を使うのが無理であれば、自分の両翼を使えばいいのです。

カラスはチンパンジーに負けないくらいの知能を持っている。きっと、将来は、残飯を漁った後の掃除をするカラスが見られるようになると思う。そして、彼らはご褒美に焼き鳥のご馳走を人間様から頂いたりするのだ。その焼き鳥がカラスの肉であってもご馳走には変わりはない。

・・・というようなくだらないことを考えながらベランダの鉢植えに視線を注ぎますと、なんと、月下美人に蕾が付いているのに気が付いた。しかも、四つある月下美人の鉢のうち、二つの鉢の月下美人が蕾をつけているのであります。他の月下美人は去年の秋に株分けしたものですので幼く、蕾は今のところ無理であります。しかし、二つの鉢の月下美人の蕾は凄い、勢いがあって逞しい感じがいたします。 去年は一つしか花を咲かすことが出来なかった月下美人、それが、今度は一つの鉢植えが六つ、もう一つが三つの蕾をつけているのであります。

計9つの蕾、いずれも勢いがあり、健全、息切れして落下するものは一つもない、ということが、これまでの4ヵ年の経験でよく分かります。落ちるのは赤くなって萎んでいく。しかし、今度の蕾は全てグリーンが強く、そそり立っている。・・・さらに、これは第一陣ですので、9月、11月と、あと2回は蕾を出して咲くことになります。これは、ほんとに楽しみです。・・・では、その蕾を公開いたします。次は、満開したときの写真を載せます。

 

  2  3  4  5  6  a  b  c

小さなそれぞれの画像をクリックすると、その数字の示すつぼみの拡大写真が出ます。

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浜辺の歌  7・17

浜辺の歌、私の好きな学校唱歌の一つです。作詩は林古渓、作曲は成田為三となっております。16日、日曜日の読売新聞に、成田為三が片思いの女性に贈ったのがこの浜辺の歌である、という記事が載っております。この曲は彼が東京音楽学校在学中に、雑誌「音楽」の主宰・牛山充に勧められて作曲したものです。歌詞は、林古渓が幼い日に湘南海岸の浜辺を歩いたときの追憶と言われています。

その歌詞に曲をつけて、なぜ、為三は片思いの女性に贈ったのか? 歌詞の内容には愛の告白を匂わすような箇所は見当たらないのですが、明治生まれの男には、あからさまに恋を表現する事が出来なかったと思います。しかし、3節の中の、浜辺の真砂、まさご(真砂子)、赤裳の裾、という単語を見ておりますと、そこから連想されるものは万葉集の第4巻にある笠女郎(かさのいらつめ)の詩と、第7巻の作者不明の詩です。

笠女郎の詩は全部で24首ですが、それらは全て、大伴家持に贈られた激しい恋歌なのであります。その中に次のような詩があります。

やほが往く浜の真砂も吾が恋にあに勝らじか沖の島守(0596首)

(家持様、浜辺の砂の果てしなさなど、私のあなたへの恋の無限さに比べれば、たいした事はありません)

また、第7巻の1090首は次のようになっております。

我妹子(わぎも)が、赤裳(あかも)の裾の、ひづちなむ、今日の小雨に、我さへ濡れ

(我妻の赤い衣裳の裾を、今日の小雨は濡らしているだろう。我もまた同じように濡れよう)

つまり、成田為三は浜辺の詩の第3節にこれらの恋歌を絡ませて愛を告白した、という事になります。大正5年ごろ、「いとしい正子にささぐ」と記して、浜辺の歌の手書きの楽譜と歌詞を郵便で送付しております。

結果は失恋、見事にふられております。相手は同窓の矢田正子(旧姓=倉辻)さん。振った理由は彼女がすでに結婚していたからでした。恋に痛手を負いながら、為三はその後ドイツに留学しております。彼が大酒を飲むようになったのはその頃で、体を壊しております。しかし、お見合いで禁酒宣言し、53歳で他界するまでそれを守り続けたと言われています。きっと、綺麗な素晴らしい奥さんだったのでしょうね?

このことは、振った正子さんの養子、声楽家の鈴木義弘氏が15日、宮崎市で開かれた演奏会で初めて公開しております。

「成田さんには気の毒なことをした。この歌を歌うときは成田さんの心情を考え、おろそかにしないでほしい」

とは、正子さんが生前に鈴木氏に言った言葉です。

では、皆さん、いっしょに浜辺の歌を歌いましょう!

  あした浜辺を さまよえば  昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ よする波も 貝のいろも
  
 ゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ しのばるる
 よする波よ かえす波よ 月のいろも 星のかげも
  
   はやてたちまち 波を吹き 赤裳のすそぞ ぬれもせじ
    やみしわれは すでにいえ 浜辺の真砂 まさごいまは

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制裁案か非難案か 7・15

北朝鮮のミサイル発射をめぐり、制裁か非難決議案かで、国連はいま蜂の巣を突っついたように大騒ぎとなっている。日米の制裁決議案と日露の非難声明決議案が真っ向から対立しているのであります。つまり、北朝鮮が言う事を聞かなければ武力に物を言わせる。そして、その独裁体制を解体しますよ、というのが制裁決議案であり、あんたたちは間違っている、いけない事ですよ〜〜〜。そんなに駄々をこねないで、国連の言う通りに核兵器開発をやめて、ミサイルもみんな廃棄し、世界と仲良くしましょう〜〜〜! というのが非難決議案であります。

これはどちらもどっちのドッチボールですね? 制裁決議案が採決されますと、必ず武力衝突が起こる。そして、罪のない弱い人間が大勢殺される。さらに、北朝鮮は必ず暴発しますから、日本や韓国に核ミサイルが発射されるという可能性が高まる。そして、拉致されている日本人や韓国人が殺されるかもしれないのです。肉を切らして骨を切る、という覚悟がなければ止めたほうがいいように思えます。

一方、中露の非難決議案は、北朝鮮を思い上がらせることになる。しかし、武力衝突は回避される。罪のない弱い人間が殺される確率が極端に少なくなる。だが、それによってがん細胞は異常な速度で増殖する。あれよ、あれよ、という間に世界各国に照準を合わせた核ミサイルが配備されて全面核戦争の脅威が高まる。北朝鮮にはそんな経済力も技術もない、と嵩を括ってはならない。裏では、そういう状況へ引きずり込んだ武器商人、麻薬組織、テロ組織、複数の反撥国が暗躍しているからだ。

日本側は中露の制裁案に対する強い反対を受けて、譲歩する構えを見せている。採決に持ち込んで拒否権を発動されたら元も粉もないからだ。つまり、非難決議案を受け入れる場合は、それを修正しなければならない、ということです。日本側の出しているその修正案は、非難決議案に、ミサイル発射は世界の脅威であり、非難する、という用語を入れる、というものです。しかし、中露はそれにも反対している。脅威の代わりに悪影響を、非難の代わりに強い遺憾、という用語を入れる、というのであります。

これはまったくの拘束力を持たないことになります。・・・まったく困ったものですね? 一体どうすればいいのでしょうか? 肉を切らして骨を切る、という手段しかないのでしょうか? しかし、それは肉を切らして骨を切られることにも繋がります。

やはり、もっと友好的に親身になって、納得するように話し合うべきでしょうね? 先軍主義をやめて独裁体制を解体し、三権分立の民主主義となって、苦しんでいる国民を助けあげて豊かにし、心を清らかにして世界平和のために働きましょう。そして、あなた、金正日さんはいままでの過ちを懺悔して引退しましょう。そうすれば、あなたは歴史上のほんとの勇者、となります。・・・これですべてが一件落着になる、と思うのですが、皆さん、いかがでしょうか?

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北朝鮮制裁決議案に思う 7.12

国連安全保障理事会は、7月11日、日米英仏など、計8カ国が共同提案した北朝鮮制裁決議案採決の先送りを表明した。中国外務次官・武大偉訪朝の結果を見守るためである。中国としてはどうしても北朝鮮制裁決議案採決を回避させたいのだ。理由は両国は朝鮮戦争でともに手を取り合って敵と戦った仲であり、45年前に友好協力相互援助条約が締結されているからだ。つまり、北朝鮮が武力攻撃を受けたとき、中国は北朝鮮に軍事協力をしなければならないのであります。

目下のところ、その条約を破棄しようとする動きが中国側にはありますが、それは早急に出来る問題ではない。しかし、事態は逼迫している。そして、肝心な北朝鮮は駄々をこねて中国側の説得には応じないようであります。10日に平壌入りした武大偉と北朝主席代表の金桂寛・外務次官との会談は今も難航している。

中国側が強く北朝鮮に求めているのは、対話再開、6カ国協議の非公式開催を合意する、の2点であると見られているが、その説得工作が難航している様子が伺われる。

一方、北朝鮮と韓国の第19回南北閣僚級会談が12日午前10時から釜山の会議場で全体会議が開かれたが、そこでも北朝鮮は駄々をこねている。韓国の首席代表のイ・ジョンソク統一相が、さらなるミサイル発射を行わずに、核問題6カ国協議に早急に復帰して頂戴、とお願いしたのに対し、北朝鮮側の団長・クォン・ホウン内閣責任参事はそれにはまったく答えずに、米50万トンの支援を要求する、と的外れなことを主張した。

今の北朝鮮は完全に狂っている、としか言いようがない。今日の昼のテレビを見ておりますと、金正日総書記の元専属料理人という方が出ておりまして、北朝鮮はすでに核ミサイルを保有しており、それが23発以上はある、という事実を大勢の将軍を招いて行われた大宴会で耳にした、と言っておりました。どうもこの方、信用できません。いかに、金正日総書記長のお気に入り料理人とはいえ、彼がそこまで外国人に無警戒であるはずがない、と思えてならない。

しかし、もし、仮にそれが事実だとしたら、これは一大事だと思います。制裁決議案が採決されますと、武力行使が正当化されますので必ずどこかで衝突が起こる。それが引き金となって戦争となります。金正日は人の命などなんとも思っていない。自分に刃向う者、気に入らないものは片っ端から銃殺する。犯罪者には恐ろしい拷問をする。口に小石をいっぱい含ませて棍棒でその口を滅多打ちにしたりするのは序の口であります。

そして、戦争となりますと、真っ先に女子供、年寄りなどの弱いものが殺されていきます。つまり、最大の悪党は生き延びて、無実の、弱いもの、正義が次々と惨殺されていくのです。私はその地獄を経験している。原形を留めない散乱する死体の山、もぎれた足を両手で元にあてがって喚く老婆、胸部だけとなった母親の乳房に食らいついている赤子の頭、まさに地獄の修羅場、これが戦争なのです。

もし、制裁決議案が採択されますと、必ず戦争となる。そして、罪のない大勢の女子供、年寄りが惨殺されていく。北朝鮮にいる弱いものたち、別の言い方をすれば独裁者とそれを取り巻く少数の悪党によって苦しめられている無実の国民、その者たちが地獄の修羅場に投げ捨てられることになる。

そして、北朝鮮が同時多発的に核爆弾を装着したノドンを日本に向けて発射した場合は、日本にはそれを防ぐ手立てはない。4・5発なら何とかなるはずだが、それ以上となりますと、米軍がいかに高性能の抑撃ミサイルで迎え撃ったとしても100%は無理である。

状況は一歩間違えると日本が火の海となる事態であり、決して甘くない。現状を冷静に見つめたとき、制裁決議案の採決よりも、非難決議案の議長声明を採択するのが人道的にも、理論的にも賢明だと思う。

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病の根は心にある 7.29

ばーさんが、一週間も腹部の痛みを訴え続けるので病院へ連れて行った。待合室は診察を持つ患者で満杯であった。

一時間ほど待ったとき、診察室から出てきた30代のご婦人が、付き添いのご主人に手を引かれてよろけながら、私の横をそろそろと歩行し、廊下に出て長椅子に腰掛けた。そこで、婦人は声を引きつらせて泣きじゃくった。ご主人は慰める術も知らず、ともに涙を流すだけであった。

病名は知らないが、おそらく、医師から死の告知をされたのだと思う。その泣き声を聞いていると胸が締め付けられるように痛くなり、涙が出そうになった。

私は常々思うのですが、たとえ、いま息を引き取ろうとしていても、医者は絶対に死の宣告をしてはならないと思う。病の元は心からである。その心の中に病の根があるのであって、体の病は心の病の表れに過ぎない。

草はいくら刈り取っても根がある限り、何度でも生えてくる。しかし、根を取ってしまえば絶対に生えることはない。人の病もその根は心にある。したがって、その心から病の根を取ってしまえば、いかなる難病と言えども消えてしまうのである。


もし、死の宣告をしなければならない10名の患者にそれを伏せて、希望的助言をし続けたとした時、その中の5割は助かり、残りはたとえ助からなかったとしても延命が果たされると思う。

その証拠に、ばーさんは長くてあと半年の命、と死の宣告をされたが、絶対に助かる、と言い続けた私の言葉で8ヶ月過ぎたいまでも生きている。しかも、今の状況からすれば、回復の兆しを現しはじめるのは間違いない、と思える。

難しいのは病ではない。心の持ち方、精神状態の安定維持が難しいのである。それは、自分が助かりたいという心からは生じない。他を思いやる心、人を助ける心から現れてくるのが精神の安定であると思う。

医師の言葉に死の宣告があってはならないと思います。状況と見通しを告げることはしても、心の世界を説き、そこに希望的道を付けてあげるのも、医師の重要な勤めの一つだと思います。

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月下美人の開花  7・30

夕方、外出先から帰ってベランダの月下美人を見ると、九つのつぼみの内の五つが開花の兆しを見せていた。産気ついた昔のばーさんを見るような思いがして、私は急いで居間に置き場所を準備し、受け入れ態勢を整えた。 一つの鉢の月下美人には三つの蕾が一斉に開き始めており、もう一つの鉢には六個の蕾のうちの2つが開き始めていた。

鉢を一つずつゆっくりと抱えて居間に運び、準備した場所に静かに置いた。 午後8時30分、強烈な芳香を部屋いっぱいに充満させて、五つの月下美人が開花した。神秘的なあまりの美しさに、私は我を忘れてそれらに見惚れた。ばーさんも自分が病人であることを忘れてうっとり、陶酔の眼を瞬くことなく見開いたままでいた。

月下美人の美しさと芳香に酔い痺れ、私は静かにビールを飲んだ。ばーさんとの静かなひと時、最高の幸せであります。では、皆様方にもその素晴らしさをお見せします。

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ほんとの最後の審判 8・5

人間は誰でもいつか死ぬ。そのことはどんな神を信仰しても避けられない定めであります。それ故に、宗教のほとんどが死後の世界に安楽とか幸せを定めてしまう。つまり、死という避けられない定めから、人間の心を救う道をあの世、という架空の次元に置くことによって解決しようとしたのが紀元前の宗教の教祖たちであった

紀元後もいろいろな宗教が出てまいりましたが、結局は死後の世界に於ける己の身の安泰を模索し、それを絶対的なものにしようとするもっともらしい屁理屈を並べ立てたに過ぎないのであります。言い換えれば、人間というのは己の身が可愛いに過ぎない存在ということです。では一体、宗教とは如何にあるべきか?

 それは、宗教、国籍、人種、主義思想という壁にこだわらない、全人類、全生命を愛する心の宗教ではないのか? たとへ、他宗の熱心な信者であろうとも、元を正せば同一の月と太陽、地球、そして、全宇宙の無限性の子供たちであり、同じ宇宙家族ではないのか? さらに元を正せば、40億年前に発生した直径0・5ミリ足らずの微細な単細胞が我々の共通の祖先ではないのか?

私は叫びたい、貴様ら、愚か者だ〜〜〜! 仏陀から2400年、イエス様から2000年、マホメットから1406年経った今でも、近代科学のエリートの貴様らが、まだ、時代遅れの教義に迷わされておるのか〜〜〜!

 何をしているか、しっかり目を覚ませ〜〜〜!我々は人間的心を、常識を超越しなければならない。それは、己を無にすることである。しかし、それはただの涅槃ではない。他を慈しみ、他のために己を捧げんとする無我の境地である。最後の審判において、地獄に落ちるものと、天国に行くものとの区別があってはならないのだ。

全て同じ人間、同じ家族、兄弟姉妹ではないのか? もし、我が妻や親が、兄弟姉妹が、子供が地獄へ落とされるという審判が下ったとき、私は一人だけ天国へは行かない。我妻と、我が親と、我が子どもと共もに地獄へ落ちる。

最後の審判、それは悪質な脅迫に過ぎない。ほんとの最後の審判とは、50億年後の太陽系の消滅のことを指している。しかし、それ以前に人類は心を完成させ、この宇宙を己の庭として自由自在に飛び回るようになっている。

人類は永遠に進化を続ける。しかし、進化できない愚かな者たちは太陽系の寿命とともに消え去る。ちょうど、2億5千万年前、小さな我々祖先の脊椎動物が生き延び、巨大な恐竜が絶滅したように・・・!

 宇宙の無限性は厳然にして平等である。宗教に凝り固まった石頭は真理に適応できず、臨機応変にして心豊かな無我なる者は進化して宇宙の子供となりうる。

・・・あれ? 今日は一体、この私はどうしたのでありましょうか? 月下美人の花を酒に漬けて、それを赤いグラスに注いで、幻想的な望月を見上げながら飲んだからでしょうか?

いずれにいたしましても大変失礼いたしました! では、また明日〜〜〜!

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ルビー婚式 8・11

ルビーのことを日本では ”紅玉” というそうです。 つまり、赤色を代表する宝石でございまして、7月の誕生石となっております。これは鋼玉と呼ばれる鉱物の一種で、モース硬度は9である、と学者たちはもうすております。モース硬度とは何かともうすますと、鉱物、宝石の硬度をドイツの鉱物学者フリードリヒ・モースが彼流に考案した基準でありまして、10種類が選定されております。それによりますと硬度1が滑石で、硬度10がダイヤモンドとなっております。その間の詳細は下記の表を参考にしてください。

したがって鋼玉はダイヤモンドの次に硬い、ということになります。しかし、いかにダイヤモンドやこの鋼玉が固いと申しましても、皆様方の誠真実と正義と、愛しい人への愛ほどは硬くはない・・・ですね? 鋼玉とダイヤモンドの延べ棒など、私のものとその硬度を比べれば、・・・ソフトクリームのようなものであります。ぐわっはっはっはっはははは〜〜〜〜、・・・ん、これは大変失礼いたしました。

話が横道にそれましたが、ようするに、鋼玉の主成分はアルミナで、あるとみなが言っております。そして、インクルージョン、つまり、不純物や傷が少なけば高価でありまして、中の不純物の種類によって鋼玉はルビーとサファイアに分かれます。不純物がクロムでありますと、鋼玉は濃い赤色となり、それがルビーとなります。不純物が鉄、チタンでありますと輝きは青色となり、それがサファイヤとなります。その両方が混ざりますと、薄い赤色となり、それをピンクサワイアと言うそうです。

そのルビーとサワイヤはどちらが値打ちがあるかと申しますと、ルビーのほうが不純物が少なくてはるかに値打ちがあります。その証拠に、結婚23年目をサファイア婚式と言うのに対して、結婚40年目をルビー婚式と言います。

考えて見ますと、ばーさんを嫁にもらってから40年になる。つまり、ルビー婚式であります。ということは、これからはルビー・レーザー怪光線を発射出来るわけであります。これで、ばーさんの体を蝕んでいるがん細胞の全てを、ガンガンやっつけることが出来るわけだ。ウルトラマン・じじ〜〜〜怪光線〜〜〜、シュワッツ〜〜〜! ぐわっはっはっはっはははは〜〜〜、どうだ、まいったか〜〜〜、ガンが顔面蒼白となって逃げていきました。

なお、余計なことですが、結婚一年目が紙婚式なら、結婚一日目はなんというのでしょうか?

最近、新聞を賑わしている監禁事件の男に関する記事を読んだのですが、新婚旅行から帰った途端、新婦を殴り倒し、タバコの火を体のあっちこっちに押し付けて焼き、投げたり蹴ったり、髪の毛を引きむしったりした。新婦は命からがら実家に逃げ帰って離婚となった。その後、男は何人もの若い女性を監禁し、殴ったり、蹴ったりの激しい暴力を振るい、殺したりしている。彼のT日の結婚記念式、それを何と呼べばいいのか・・・? 強いて言えば、ボロギレ婚式、と言えそうですね?

 
結婚
記念式
モース
硬度
名称
時期
硬度1
滑石     
紙婚式 
結婚1年目
硬度2
石膏    
木婚式 
結婚5年目
硬度3
方解石   
花婚式 
結婚7年目
硬度4
螢石    
錫婚式 
 結婚10年目
硬度5
 燐石灰    
 水晶婚式 
 結婚15年目
硬度6
 正長石    
    サファイア婚式 
 結婚23年目
硬度7
水晶     
銀婚式 
 結婚25年目
硬度8
 トパーズ   
 真珠婚式 
 結婚30年目
硬度9
鋼玉    
  さんご婚式 
 結婚35年目
 硬度10
ダイヤモンド
  ルビー婚式 
 結婚40年目
   
金婚式 
 結婚50年目
   
    エメラルド婚式 
 結婚55年目
   
    ダイヤモンド婚式
 結婚75年目
   

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姉を救った父の直感  8・15

昭和19年8月22日夜10時過ぎ、対馬丸は米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、悪石島の北西10キロ沖で沈没した。一発目はかわしたが、2発目と3発目を右舷に受けてしまったのだ。対馬丸は学童疎開船で、疎開学童や引率教員、一般疎開者、船員、砲兵隊員などの計1788人が乗っていた。そのうち1418人が犠牲となった。疎開学童は826人乗船していたが、767人が犠牲となっている。これは日本版タイタニック号事件とも言われております。

疎開船は他に、和浦丸、暁空丸が航行を共にしており、さらに護衛艦の宇治と、蓮が3隻の疎開船の護衛に当たっていた。対馬丸が攻撃を受けたとき、この2隻の護衛艦は爆雷を投じながら残り2隻の疎開船を守るのに懸命で、沈没した対馬丸の犠牲者の救出は出来なかった、と記録にあります。

ボーフィン号のそのときの航海日誌によりますと、その狙いは最初から対馬丸であったという。なぜ、児童疎開船の対馬丸だったのか、いかに戦争とはいえ、理解に苦しみます。昭和18年12月21日、大勢の少年志願兵を乗せた湘南丸が沖縄近海で、敵潜水艦の魚雷攻撃で撃沈されいていますが、この対馬丸の学童たちも少年志願兵、と見なされていたのであろうか・・・? いずれにしても、戦争というのはこの宇宙で最大最悪の犯罪であると断言できます。

その対馬丸に私の姉、当時12歳も乗船することになっていた。しかし、乗船しようとしたとき、見送りに来ていた父が不吉な予感に襲われ、曹長という軍人の位に物を言わせて急遽、姉を護衛艦の宇治に乗せ変えたのであります。宇治の指揮官に父の友人がいたことも幸いした、といえます。

あれから60年余り、その姉はもう71歳となっている。もし、あの対馬丸に乗っていたらどうなっていたのだろうか・・・? 運命の不思議を感じさせられます。そして、あの時の父の直感(昭和20年4月21日戦死)、やはり只者ではなかった、さすがだと思います。

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戦争とは何か 8・16

物心付いた時、戦場のど真ん中にいた。艦砲弾が周囲に炸裂し、閃光と共に轟音が連続した。砲弾の破片が、悪魔のような笑い声を上げながら体をかすめて飛び交い、大地が砕けて煙と土砂を噴き上げ、紅蓮の炎が嵐のように吹き荒れた。

4歳の私は母に手を引かれて走り続けた。行動を共にして逃げる避難民達は、次々と鮮血を吹き上げ、内臓を散らして倒れていった。後方からは敵戦車が迫り、空からは艦載機からの機銃攻撃が情け容赦なく行われた。

逃げるのは民間人だけではなかった。銃を手にした兵隊達も逃げていた。

「邪魔だ、どけー」

形相を強張らせた兵隊が母を後ろから突き飛ばし、獣のように叫びながら追い越していった。その瞬間、真っ赤に焼け爛れた砲弾の破片がその兵隊の首を刎ねた。しかし、兵隊は首から血を噴水のように噴き上げながら走り続けていた。その背中には、皮一枚でつながった頭がぶら下がり、激しく揺れていた。兵隊はそのまま川の中に突っ込んで倒れた。その光景が60年過ぎた今でも、悪夢となって私に襲い掛かる。

戦争とはこのような地獄なんです。決してゲームでするようなスリル満天のものではありません。修羅場の中での生きるか死ぬか、そのことを現代の若者は実感として認識してほしいものです。

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ゴーヤーとは何か? 8・22

ゴーヤーとは何か? ・・・それは、今の日本人ならほとんどの方が知っておられます。一昔前まではニガウリ、と呼ばれておりましたが、それを食する方はほとんどいなかったのであります。それが、ビタミンCがレモンの3倍以上も含まれていて、高血圧、高脂血症、糖尿病、肥満、ダイエットに最高によい、ということが知られるようになって、皆がこぞって食するようになったのであります。最近の日本人が美男美女揃いとなり、平均寿命が世界一になったのは、まさにこのゴーヤーを食するようになったからなのであります。

ゴーヤーの正式和名は ”ツルレイシ” であります。ニガウリ(苦瓜)という呼び名は中国語から来ております。因みに余計なことですが、学名は Momordica Charania Linn と言うそうです。Momordica とはラテン語で噛むという意味だそうです。その種が歯のような形をしておりますので、きっとそういう意味の単語が当てはめられたと思います。

ゴーヤーの原産地は東インド、インドネシア、ボルネオあたりだそうですが、沖縄へ入ってきた時期は300年以前だろうと考えられております。1713年の琉球国由来記にニガウリのことが載っているからです。

子供の頃、ゴーヤーを良く食べさせられました。あまりの苦さに好きではなかったのですが、体に良いという事で無理に食べさせられたのであります。私が60を過ぎてもまだ30代の若さを保ち、ハンサムであるのは(?)そのためであると思います。

小学3年生の時、腸チフスにかかって死にかかったことがあります。その時、母が、ゴーヤーの葉っぱを絞って青汁を作り、それを強引に飲ませた。その苦さときたらゴーヤーどころの騒ぎではなかった。目から火花が出て、それが花火のように夜空全体に広がったのであります。そして、腸チフスは翌日、嘘のように治った。ゴーヤーの葉っぱ、それは薬としても最高の効き目がある、ということをご紹介しておきます。

そのゴーヤーの種を3月に数個、庭に撒いたのですが、一個だけが芽生えて成長しました。そして、3個の実が稔ったのです。今のところまだ6センチほどの大きさですが、あと2週間もすれば30センチ近くになるはずです。

これがゴーヤーです

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ネバー、ギブアップ 8・29

時の流れは速いもので、いつの間にか8月29日となっております。一秒一秒が停滞しているように感じられる私には、その反動として一ヶ月が一秒のように感じられるのかもしれない。

ばーさんの容態も来るところまで来たという感じがする。脳内に出来た16個の腫瘍はガンマーナイフや放射線治療によってあるものは縮小し、あるものは消えている。しかし、新たに、微小ではあるが、二つの腫瘍が出来ている。まずは一安心、とは決して言えない状態である。

医者や看護婦の顔には同情の陰りしかない。肺の腫瘍も以前より数を増し、500円玉大のものが2個ほど確認できる。

両足の膝から下は腫れ上がり、起き上がることも、歩行することもままならない状況である。私が背後から彼女の両脇に両手を入れて、それを掴むようにして持ち上げて歩行させる。両脇腹の激痛はオキシコンチンとハイペンという痛み止めで抑えている。

その他に、離尿薬のラシックス、胃腸薬のハイペン、鉄分のフェロミアなどを飲ませているが、容態は悪化の一途をたどっているように思える。

健康なときは、死にたい、と口癖のように言っていたばーさんだが、そのお迎えが現れそうになると、やはり取り乱し、パニック状態となる。

マリリンモンローは死ぬ前に、

「死んだらどんなにかほっとするでしょうね・・・」

と言った。しかし、それは、生への執着の反動がなせる技であった、と思える。

完璧な絶望と苦しみの中に閉じ込められたとき、人はもがきあがくのをやめ、じっとしているのがよい。全てを天に任せ、流れのままに流されていけばいい。

しかし、その中において、私はギブアップはしている訳ではない。定めの流れに流されながらも、舵を握る私の思考は冷静である。そして、親神への信仰はさらに強まっていく。どんなことがあっても、ばーさん、あなたを絶対に助けさせていただく。だから、ばーさん、あなたもネバー、ギブアップ、頑張ってくれ!

たとへ、私の最後の血の一滴が燃え尽きて霧散しようとも、私の信念と執念はあなたの命を助ける。だから、ばーさん、どんな状況の中からでも頑張るのだ! ばーさん、がんばれ〜〜〜! あなたには、親神が、そして、教祖様が、私が付いている。

ベランダの月下美人が今年2回目のつぼみを付けている。その逞しさは、ばーさん、あなたの強かさと、絶対に助かる、ということを告げています。


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月と月下美人 9・3

夜になり、ばーさんがようやく寝付いたとき、疲れがどっと押し寄せてくる。ご先祖様と親神様への祈りを済ましますと、今度は眠気が急速にやって来て夢の世界へと誘う。寝床を敷いて横になり、何気なくベランダに視線を向けますと月下美人の二つめのつぼみが開花の兆しを見せていた。

そのつぼみはなんと天空の月に合掌していた。その神秘的な光景に私は思わず身を起こし、月下美人にあわせて月に合掌した。それから室内に移し、その開花の様子を見つめ、不思議な生命の現象に我を忘れて陶酔した。

人間思案、煩悩、それらに塗れ汚れきったわが身、そういう人間次元をはるかに超越した神秘の世界、清浄にして純粋な生命の根源に私の命は何かを感じたようである。それが何であるのか、それを知る必要はないと思う。何故なら、それは知性と意識で感じられるものではなく、魂でのみ感じられるものであるからだと思う。

月に合掌する月下美人の蕾

以下は蕾から開花まで

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濡れた翼、サギソウ 9・8

一昨日、昭和記念公園へ行った。雨が降り続ける広大な公園には人影はなく、雨音以外は何の音も聞こえなかった。時々、湿地から飛び立つカルガモの羽音と鳴き声、そして、風に誘われて池面で跳ねる波音だけが、穏やかな雨滴の広がりに吸い込まれて消えるだけであった。

私は孤独という相棒を引っ張ってトンボの湿地へと歩行を早めた。見頃はすでに過ぎているサギソウをデジカメに収めるためであった。5日に入院したばーさんが見たいというサギソウをなんとしてでも見つけ出し、それをA4の光沢紙にカラープリントしてばーさんに見せねばならない。

雨は止むことなく降り続け、レインコートを着ているが、服と体は汗でびしょ濡れとなっていた。20分ほど歩き回ってようやくトンボの湿地にたどり着き、見頃を過ぎたサギソウを見つけたのはそれから15分ほどしてからであった。

ほとんどが茶色に変色し、萎れていたが、その内の幾つかはまだ衰えていなかった。しかし、それでも人間に換算すれば、65歳のおじいさんと言えるかもしれない。雨滴に透き通る白い花弁の肌は純粋で清楚な感じがした。

サギソウと言えば古い言い伝えが残っている。室町時代、世田谷の城主に吉良頼康という人物がいた。その当時は一夫多妻制でしたので勿論、彼にも大勢の側室がいた。

その側室の一人に常磐という美人がいた。それで頼康は彼女に夢中になり、正室や他の側室には目もくれなくなった。プライドを傷つけられた正室や側室達は妬んで怒り、あらぬ噂を広めた。常磐が不義を働いた、というのであった。

それを聞いた常磐は身の潔白を晴らすために自害することにした。幼少の頃から可愛がって、育ててきた白鷺の足に遺書を結びつけ、実家の奥沢城へ放ったのであります。

ところがその奥沢城の近くで狩を楽しんでいた頼康が、その白鷺を射落としてしまった。そして、その足に結ばれていた常磐の遺書を読んで吃驚し、慌てふためいて城に戻ったが、常磐はすでに息絶えていたのであった。

白鷺が射落とされた場所に一本の草が生えた。そして、それがサギに似た可愛い花を付けたのであります。射落とされた白鷺の化身、ということでしょうね?

頭が丸いのは雨滴が付いているからです

 

 

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松本智津夫・日本の王と死刑囚 9・17

平成2年1月末のある日、私は渋谷駅の近くにいた。すると、大勢の若者たちが2列縦隊に並んで、長方形の板を担いで威勢良く歩いているのに遭遇した。その板の下には丸太が5.6本ほど等間隔で渡され、その両端を若者たちが担いでいた。板の上には頭髪の長い異様な風体の男があぐらを組んで座っていた。彼は麻原彰晃、オーム真理教の教祖であった。この年の2月に行われた衆院選の選挙運動であった。結果は落選、彼以外の教団幹部の立候補者24人も残らず落選した。

その時、彼は幹部たちへ次のように発言している。

「今の世の中は救済できないことが分かった。現代人は生きながらにして悪行をつむから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」

その後、ボツリヌス菌や炭疽菌の培養に取り組んだがいずれも失敗に終わった。しかし、有機化学物の研究をしていた土屋正美が平成5年8月にサリン生成に成功した。麻原彰晃はさっそくそれを上空からまくことを計画し、ヘリコプターを購入したのである。その操縦免許を取得させるために、複数の出家信者を米国やロシアへ派遣している。平成6年2月、彼は幹部たちに次のように言明している。

「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の支配になる。真理に仇なす者は早く殺さなければならない」

そして、脱会しようとした落田耕太郎(29歳)を殺し、松本で噴霧車によりサリンをまいて一般市民7名を殺害して4人を中毒症にし、自動小銃1000丁を製造しようとしたり、信者の冨田俊男(27歳)をスパイ容疑で殺し、〜その他いろいろ、そして、平成7年3月20日、地下鉄霞ヶ関駅に停車していた電車の複数の車両内にサリンを散布して12人を殺害し、14人に重度の中毒症を与えた。

しかし、これらは氷山の一角、彼らはもっと恐ろしい殺戮を行ったことは確かだと思われる。痕跡を残さないために殺した人間を冷凍にして、木材粉砕機にかけてチップにしたことも確認されている。まさに恐るべし、地獄の閻魔大王、残虐非道な悪魔といえども顔面蒼白となって失神するほどの所業である。

・・・しかし、その悪魔も恐れるほどの残虐性は決して彼一人だけが宿しているのではない。それは、ほとんどの人間が共有している、と言える。その際たる者がこの私かもしれないし、そして、あなた、あなたの隣のそのまたあなたかもしれないのです。

最近の3面記事を見ておりますと、そういう私、そして、そういうあなたを見ているようで背筋が凍りつくような思いがする。ただ、あなたと私が彼らと違う点は、神の名の下での愛と正義、そして、世間体という鎖を断ち切る力がない、という事かもしれない。したがって、神という名が消え、世間体が何の効力も及ぼさなくなって、何をしてもいい、というライセンスが与えられたとき、果たして私は悪魔になることを阻止できるか・・・? 

麻原彰晃、そして、歴史上に残る暴君、大量殺戮の権力者たち、考えて見ますと根底において同類項的要素が私にも、あなたにもある、と言える。 その証拠に、愛するものを奪われたとき、強烈な屈辱を受けたとき、私はむらむらとわきあがってくる激怒と殺意を静めることができない。これは、私の心の奥に、まだ、悪魔が潜んでいる、と言う事にもなる。

 麻原彰晃、本名・松本智津夫の小学校4年の時の担任女教師、奈良橋先生は通信簿の連絡欄に次のように記している。

「うまく育てれば社会的に画期的なことを成し遂げる人物になります。しかしながら、野放ししておくと、とんでもないことを引き起こす人物になりかねません。適切な指導者をつけてください」

このことは何を意味しているのか? つまり、私は言いたい。 今の人間社会は悪魔を製造している工場である、と・・・。子供たちが喜んで観ているテレビアニメやドラマ、あるいはゲームなど、どれを見ても殺戮である。正義、あるいは神という正当性に保護された殺人ばかりであります。

正当性が認められれば殺しても破壊してもかまわない、悪はすべて殺し、抹殺すべし、それが今の子供たち、あるいは年を取った子供たちの人格を支配している。今のゲームやドラマで、いかなる悪人でも罪を憎んで人を憎まず、人格改造して愛と正義を植えつけて、みんな仲良く暮らしましょう! というストーリが一つでもあるか? 天使のような可愛い女の子が、悪を退治し、殺してしまう。つまり、女神が殺し屋、となる現代のテレビアニメ、まさに、現代社会は殺戮人間を製造しているオートーメーション工場ということになります。

極悪非道な人間が最後は愛と正義に満ち溢れた人間となって罪滅ぼしのために働く、そういうストーリーからも、殺戮以上の刺激と快感を子供たちに与えることができるはずである。問題は人を殺した拳銃が悪いのではない。それを作り、それを使った人間が悪いのである。

松本智津夫、日本の王となるはずだった彼は今は死刑囚となった。うまく育てれば社会的に画期的なことを成し遂げる人物、どこでどう狂ったのか、悪魔製造工場の完全撤廃を嘆願するのみであります。

サギソウの舞 2006.9.16 ふれあい通りにて

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何処へも行かないでくれ! 10・2

もう、会話が出来ない。あなたは目を閉じたまま、時々大きく息を吐き出すだけ。数時間前までは、「何処へも行かないで、・・・今、何時・・・?」と、目を閉じたまま言っていたのに、もう、何も言わなくなった。

苦痛にもだえ、叫んだりしたあなた・・・、仕方なく、強い痛み止めが入った点滴を認めた。そして、あなたは混濁とした意識の中で、今、大きく息をしながら目を閉じている。

私は、自分がどんなに弱い男であるかが分かった。あなたとの会話の途絶、意思の疎通の断絶、それがこれほどまでに恐ろしい寂しさ、悲しさの大きな波をもたらすとは夢にも思わなかった。

あと、どれぐらい生きていられるか、覚悟は出来ているつもりでも、それは自分を支える力となるものではない。

あれほどうるさく私を繰り返し呼んで、毎晩、寝かしてくれなかったのに、・・・・もう一度うるさく私を呼び続けて私を寝かさないでくれ・・・、

・・・あなたが、どんどん遠ざかって行く、行かないでくれ! ・・・もう、一度、私と会話してくれ・・・! もう一度、私に八つ当たりして、怒鳴り散らしてくれ〜〜〜!

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奇蹟と宗教 10・9

ハイネ(1797〜1856)は1840年の著作 ”ルートヴィヒ・ベルネ” の中で述べている。

「宗教は救いのない、苦しむ人々のための、精神的なアヘンである」

その記述に感動して親友であるマルクスは彼のそれを引用して『ヘーゲル法哲学批判序論』に、

「宗教は、逆境に悩める者のため息であり、(中略)。それは民衆の阿片である。」

と述べております。ここで言うアヘンとは当時の通念では阿片ではなくて、痛み止めという意味が強かったことを念頭に置かねばなりません。ということは、お二人は宗教というのは単なる精神安定剤、気休め、現実に何の具体性も持たないただの妄想、幻覚を与えるものに過ぎない、ということを強調していたわけであります。

考えてみれば確かにそうかもしれない。バーさんが末期がんになって、奇蹟を信じて私は徹底的に親神さまに縋り、祈り続けた。しかし、結果は、ばーさんは地獄の苦しみにのた打ち回って死んだ。医者は絶対に死ぬ、120%助からない、と私に断言した。しかし、私は絶対に助かる、この世には科学で解明できない何かがある、それを私は証明したい、と自分自身に言い聞かせた。・・・だが、医者の言うとおり、バーさんは死んだ。

意識があるとバーさんは苦しむ。痛み止めを打つと30分ほどして眠りにつく。それが、9時間続くときもあり、5時間で切れて目が覚めたりする。その度にバーさんは激痛を訴え、痛み止めを要求する。この痛み止めは強い薬で、死を早める、と看護婦は言った。ばーさんは 「早く死なして〜」 と絶叫する。私は涙を流しながら看護婦を呼ぶ。そして、痛み止めが点滴に仕込まれる。そして、しばらくしてバーさんは静かになる。

宗教は阿片である、とハイネは言った。しかし、それは、バーさんには阿片にもならなかった。オキシコンチン、モルヒネ、が純粋の痛み止めとなったのだ。私の宗教は何の効力もばーさんにはおよぼさなかった。ということは私の宗教はただのため息だったのか? 

・・・私は私の宗教に愚痴を言っているのではない。なるほど、という悟りがついたのです。考えてみますと、この世があり、この銀河系、太陽系があって我々生命体が存在する、ということ自体がすでに奇蹟である。つく息、心臓の鼓動一つ、それ故の生命体であることを思えば、そこに当たり前とか、当然、という単語の入り込む隙間はないはずである。

ばーさんの手をしっかりと私は握った。心電図のモニターを見ていた看護婦が

 「最後です、しっかり手を握ってください・・・」

と駆けて来て言ったからだ。ばーさんの右目から涙がこぼれ続けていた。自分の最後を感じているのだ。

「・・・おまえ、もう、逝くのか? ・・・長い間、ありがとう! 後のことは心配するな〜〜〜!」

ばーさんは息を震えながら吸い込み、それからふっと吐き出してとまった。・・・・・2006年10月4日午前9時52分、・・・あなたの最後の時間です・・・。

・・・いま、ばーさんは最高に楽になっている。あの地獄の苦しみはもうない。生まれて、生きて、そして、死ぬ、これはまさに奇蹟です。そのばーさんの安楽を妨害しないように、私も心の苦しみ、悲しみ、寂しさを捨てて、ばーさんの声なき語りかけに耳を傾けたいと思います。

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ばーさんよ、安らかに眠れ! 11月2日木曜日

ばーさんと幽明鏡を異にしてから30日目となりました。神式の場合、仏式の法要に当たるのが神霊祭、または神霊式となります。10日目ごとに霊を祭りますので、きょうは30日祭ということになります。50日祭で忌明けとなります。その後、百日祭、一年祭、3年祭、十年祭と続き、50年祭までは10年毎に行われる。次が百年祭となります。

ばーさんが元気だっだ時、変な事を頼んだことがある。

「死後の世界がどういうものか知りたい。お前がもし死んだら、夢でもテレパシーでも何でも良いから、私とのコンタクトの方法を見つけ出して教えてくれ・・・」

ばーさんは恨めしげな目つきで、薄笑い浮かべながら言った。

「あんたは鈍感だから、テレパシーや夢による霊界とのコンタクトは無理だと思うよ。どうしてもというのなら、化けて出て教えます・・・」

「それはありがたい、ぜひ、出て来てくれ、♪♪♪ 俺は待ってるぜ〜〜〜 ♪♪♪」

・・・しかし、30日祭の今日までばーさんとのコンタクトはまったくない。夢も見たことないし、テレパシーもまったく感じないのであります。

幽霊でも良いから出て来てほしい、と思ったりもしますが、もし、それが実際に起こったら、私は失神するでしょうか・・・? いや、きっと再会のうれし泣きをすると思います。

でも、考えて見ますと、バーさんの夢も見ない、テレパシーもない、ということは正常で健全な状況にすべてが存在している、という証拠です。ばーさんの安眠を妨害してはならないのだ。私にはそれを守り、見守り続ける義務があるのだ。

「死んだら、どんなにかほっとするでしょう・・・」

というマリリンモンロウの言葉が好きだったばーさん、・・・いま、あなたはあらゆる苦しみから解放されて、ほっとして、安楽の時空と同化している。

今日は30日祭、果物と餅をお供えし、息子と二人で手を合わせました。ばーさんよ、安らかに眠れ・・・!

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春菊てんぷらのお供え 11月7日

私は宗教にはこだわらない。物理学を学ぶのには東大、京大、あるいはケンブリッジ大学であれ、教える内容はみな同じであります。大学によってそれが異なる、ということはありえない。あっちの物理学では水の分子構造はH2Oだが、こっちの物理学はABC、そっちはXYZ、ということは絶対にありえない。

それと同様、真理を探究し、真の心の世界を学ぶのにはキリスト教であろうが、仏教であろうが、マホメットであろうが、一々こだわる必要はないのであります。問題は信じる者の心と実践が天に通じるか否かだと思います。

エホバの伝道者がやって来て、「神のために命をささげる者こそ真の信仰者であり、神から祝福されるものである」とのたまわった。

そこで私は答えた。「あと100年もすれば私は死ぬことにある。その時、神様に命をささげます」

伝道者は私のことを只者ではなく、曲者だと思ったらしくそのまま引き上げていった。

とう言うことで、今日は仏式でばーさんの35忌日となりますので、神式を採用している私の宗教は天理教ですが、仏式の法要を行うことにした。坊さんを呼んできてお経を唱えてもらいますと20万円請求されますので、息子と2人でささやかに執り行うことにした。

還骨法要のとき、坊さんに5万円が相場だと思ってそれだけもたしますと、あとで電話が来て、「常識がない。読経代は20万円する。もっと勉強しなさい」 と叱られた。これ、ほんとの話なんです。さっそくお詫び申し上げ、値引きしてもらって10万円を届けました。こんなに高いと、きっとバーさんが目くじらを立てて怒ってしまいますので、今後2度と坊さんは呼ばないことにしました。

49日を過ぎた時、納骨のため沖縄へ帰りますが、私はそのまま家の天理教布教所を継いで天理教一筋となります。他宗との対立は絶対に避けて、全てと仲良くしていくつもりであります。

話が横道に逸れ続けますが、私が言いたいのは、きょう、ばーさんのために春菊の天婦羅を揚げて、それをお供えした、という単純なことであります。

近くの八百屋へ行きますと、春菊が3束で105円で売っていた。安すぎると思って買ったのですが、考えてみると多すぎる。そこで、ふと閃いて天婦羅にすることにした。

小麦粉を練っていろいろと味付けをし(企業秘密)、それから細切れにした春菊をその中に入れてかき混ぜ、沸騰させて冷ました油の中へお玉でしゃくって入れていった。途中で味見を致しますと我ながらいい味であった。

早速、大皿にそれらを盛って、霊前にお供えし、せがれと二人で手を合わせた。

「ばーさん、春菊の天婦羅が出来ました。春菊は体にとってもいいということですので、貴方の霊体にもきっと良いと思います。沢山食べて健康で丈夫な霊体にしてください・・・」

せがれが横で吹き出した。考えてみますと、それは当然かも知れない。ということでその春菊天婦羅を皆様方にご披露いたします。横に見える 「沖縄あ-さ-のり」 これは沖縄の特産物です。欲しい方がおられましたら差し上げますので申し出てください。賞味期限は来年の3月までです。

量が少なくなっているのは、せがれが、デジカメをセットをしている間に、つまみ食いをしたからであります。

春菊てんぷら



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顔で泣いて、心で笑う 11月12日 日曜日 晴れ

男にとって、一番辛くて難しいことは、「顔で笑って心で泣く」ことであると思います。それが出来れば男の中の男、高倉健のような渋さが醸し出され、ご婦人方のハートを痺れさせることになる。だが、その為の演技に没頭し、女を訪ねて3000里というような男はあまり感心できません。

 しかし、真の男とはその逆で、「顔で泣いて、心で笑う」ことの出来る男だと思います。それはどういうことか、私にも良く分かりませんが、要するに馬鹿になることは、心が強くないと出来ない、ということです。心を強く持つ、それは男にとってもっとも大切なことであります。

それで、顔で泣いて、心で笑う練習をしておりますと、息子が自分の部屋から出てきた言った。

「父上様、将棋の相手をしてください」

将棋、・・・確か20年前にやったきりで、それ以来まったく差していない。しかし、その当時、隣近所のお父さん連中を片っ端からやっつけていたので、ヘボ将棋のチャンピオンという自負はある。

「何、将棋、お父さん強いぞ、勝てるかな? 負けて悔し泣きするなよ・・・、ぐわっはっはっはっはっはははは〜〜〜」

息子はニヤニヤ笑いながら畳の上に盤を置き、駒を並べた。そして、熱いお茶を飲みながら戦闘開始、息子は3・4歩と角道を明けた。3間飛車で来るのか・・・? ならば、私は江戸時代の盲目の棋士・石田検校の端詰め急戦法で行こう。

2・6歩と私は飛車の頭を開けた。続いて息子は3・2銀と来た。2・5歩、3・3銀、3・8銀、3・2金、2・7銀、3・5歩、2・6銀、3・4銀、2・5歩、3・2金、1・6歩、3・3金、7・4歩、3・2飛、1・5歩、6・2王・1・6銀、3・5歩、2・4歩、そこで息子は考えた。あとは2筋に歩と銀飛車を暴れさせて、一気に1筋から崩していけばいい・・・”見たか、石田流端詰め急戦法、ぐわっはっはっはっはっはははは” 私はようやく心で笑うことが出来た。

しかし、なぜか、時間が経つにつれておかしくなってきた。あれ? あれ? と思う間にいつの間にか王ははまる裸となり、哀れにも逃亡者となって当てもなくさまよって、中央で雁字搦めとなってお陀仏となった。

私は悔しさを抑えて言った。

「将棋で負けてやることの難しさを改めて思い知らされたよ・・・。しかし、おかげでいい勉強になった。何しろ、負けてやっていることを悟れないように、負けてやらねばならない連中が多いからな・・」

息子はにやりと笑っていった。

「さすが父上、やはり只者ではありません。勝負には勝ちましたが、将棋には完全に負けました、恐れ入りました・・・」

・・・何ともうしましょうか、まったく腹が立ちます。 しかし、こうして親を一歩一歩追い越していく息子、うれしくもあり、楽しみでもあります。顔は泣き顔でも、心はこれで笑うことが出来ます。



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