・Dさんの家族的背景

  地方都市のちょっとした名家(戦前の地主階級)に長男として生まれました。父親は製造業で技術者、母親は専業主婦 共に団塊の世代です。自分自身も第2次ベビーブーム世代あたります。





 ・Dさんの幼少期

 父親も母親も、地方都市ということもありファッションセンスは余り無く、男子がファッションに気を遣う事に対して否定的もしくは無理解でした。両親ともに、家庭内を装飾することもあまりしない、清潔感のみが重要という考え方の持ち主でした。ただ自分自身の美的センスについては地方都市ということもあり、自然美・花鳥風月についてふれる機会は多く、ある程度はぐくまれていたのかなと思います。




 ・Dさんの小学校時代

 勉強は良くできる方でした。1学期の最初に教科書が届くと、全て数日で読んでしまいそれで1年の勉強は終わりという感じでした。ただし運動が苦手、特に球技がだめで運動に大変コンプレックスを持っていました。高学年になってから、いじめの対象になります。このとき男子からだけでなく女子からもいじめをうけて自分は全くもてないんだと思いこみはじめます。さらにテストの点数は良くてもほとんど宿題をしていかないという点から教師にも嫌われます。周りに自分の味方なんていないと思いこみ、この時期から高校生に至るまで人間不信がすさまじく、家族を除いてどんな人間に対してもほとんど感情の起伏をほとんど表さない性格となっていました。ただ小学生までは仲の良い女の子の友達はいて、女性とコミュニケーションをとることが非常に楽しいと感じていたことも憶えています。また家庭の方針で家庭用ゲーム機がなかったため良く友達の家にゲームをしに遊びにいっていたのもこの時期です。また高学年の時、過度の読書から目を悪くして眼鏡をかけ始めます。





 ・Dさんの中学校時代

 中学時代も成績は優秀でした。やはり女子生徒からのいじめは続きますが、あまり気にならなくなります。オタクへの道を歩み始めていました為でしょうか。TRPGをこのころから始めます。TRPGを通して友人(全て男子)が出来、その友人を通して、アニメに傾倒し始めます。女性の目を意識してファッションをどうこうしたという記憶がほとんどなく、着るものは母親が買ってきたものを着ていました。この状態は大学まで続きます。





 ・Dさんの高校時代

 高校は地方の進学校に進みました。この時点でコンピュータに出会います。学業はそこそこにしてコンピューターのプログラミングにのめり込みます。それと同時に、TRPGの活動も盛んで同人誌を作ったりしています。またコンピュータを通して友人関係(男性ばかり)もできます。ただしインターネット普及前だったのでその交友範囲は地方都市内に閉じたものでした。コンピューターとTRPGが忙しいので学業はあまり熱心ではありませんでしたが、中程度の成績は納めていました。この時代も女性の目を意識したファッションというものはほとんど考えていませんでした。仲の良い女友達が一人二人いたのですが、“自分はもてる要素を全く持っていない”という考えでしたので、恋愛関係に発展することもありませんでした。このころショックだったことがひとつあります。ほのかに恋心を持っていた仲の良い女友達の一人が、別のあんまりかっこよくないけど頭の切れるやつと付き合っているということが発覚します。それがとてもうらやましかったのを憶えています。

 当時はますます女心はわからないと考えていましたが、今から考えると自分自身は女性に対するコミュニケーションスキルが低かったのだなと思っています。





 シロクマ注:

 教育には熱心かもしれないけれど、ファッションという視点には乏しい家庭に生まれたDさん。団塊ジュニアというからには、私シロクマとほぼ同年齢という事になりますが、この世代の地方の大人達の多くはファッションという視点が乏しい傾向にある為、男の子がファッションという視点を親から獲得する事が(現在の子と比べれば)難しいことでしょう。これは、団塊の世代が育った状況などを考慮すれば、致し方のない事なのかもしれません。ちょっと話は逸れますが、秋葉原で観察されるオタクファッションにおいて、同じオタクファッションでも団塊ジュニア世代と若い世代の間に幾らかの違いがあるのは、親の価値観の影響も幾らかはあるのかもしれませんね。

 勉強は出来るけど教師に疎まれ、球技が駄目で女の子にいじめられるなんて、考えただけでも恐ろしい悪夢です。幼い日のDさんが人間不信になるのも当然なわけで、こんな状態でコミュニケーションスキル/スペック&コミュニケーションへの自信が深まる筈もありません。勉強が出来るというアドバンテージは、進学校を受験するあたりから段々決定的になっていきますが、小学校や中学校では殆ど評価されず、運動がどれだけ出来るのかのほうが遙かに(同性からも異性からも)評価されやすいものです。惨めな思いをしたことも一再ではなかった事と推察します。

 そしてやはりここで出てくるのがオタク趣味です。TRPGとはまた、濃いところを専攻しましたね。TRPGは今でこそ比較的マイナーなオタク趣味ですが、1980年代後半ぐらいにひとつの大きなブームがあった事もあり、オタクの間でそれなりに流行していました。TRPGという趣味は、

1.時間と労力を食いまくる。上限は基本的に無し。
 
2.のめり込んで頭を使えばかなり自由度の高い創造性が期待できる。

3.あまりモテそうにない男性を中心に流行し、漫画やアニメなどとの親和性大

4.趣味内でいかに評価されようとも、触った事の無い人間には評価され難い

 という特徴を持ち、こういった特徴自体はコンピュータプログラミングと似ているといえるかもしれません。どちらの趣味も、オタク仲間からは理解・評価こそされ、異性や非オタク達からは“なんだか解らない事をやっている根暗趣味”と烙印を押されそうな代物です。残念ながら、これらの趣味への傾倒自体も、もしかしたらDさんに対する人々の印象を悪くしていた可能性があるんではないかと疑います。後で伺ったところ、この頃のDさんはTRPGオタクとしては極めて高度なレベルを達成していたようなんですが、それがそれとして評価出来る・理解出来るのは、オタク分野に造詣のある人間だけでしょうから。

 しかし、だからと言ってDさんがTRPGにのめり込んだ事を非難出来るでしょうか?とんでもない!おそらく、Dさんにはオタク趣味しかなかったんでしょう。小学校〜中学校における残酷なヒエラルキーにおいて底辺近くで過ごした人間が、誰かから(別に女の子でなくてもいいから、誰だっていいから!)認められる契機を得ようと思った場合、オタク趣味を選択するのもひとつの流れでしょう。特にDさんの場合、運動能力よりも知的作業のほうが向いていたっぽいので、オタク趣味の世界で頭角を顕わすのはそれほど難しいことではありません。誰にも認められない、誰にも敬意を払われない身分をあてがわれた少年が、唯一認められて敬意を払われ得る場所を見つけた時、そこに飛び込むのはむしろ自然な選択といえるのではないでしょうか。将来大きな副作用があるかもしれないなんて、この頃にはわかんないでしょうし、楽しいこと・楽しいポジションを見つけることも子供時代の大切な課題のように思えますし。

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 ※本報告は、Dさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Dさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。