・Fさんの家族的背景

30歳 男性 IT企業勤務 会社員 東京都内在住 両親と3人、実家暮らし 。父親は地元企業のサラリーマン 母親は主婦 いわゆる中流家庭です。



・Fさんの小中学校時代

 小学校時代は地元の小学校ではトップクラスの成績だった。
だが、運動が苦手で女子からの評判はいまいちだった。運動ができないって理由でよくいじめも受けていた。 その後、中学受験を経て東京都内の中高一貫男子校に進学する。

 中学時代は成績はそこそこだったが、相変わらず運動が苦手な上に一人っ子だったせいか、場の空気を読むことができずにクラスのいじめのターゲットにされてしまう。入っていた部活でもいじめのターゲットにされ、その頃から劣等心が強くなってくる。

 その頃の趣味はAMのラジオ放送を聴取することで、ニッポン放送のオールナイトニッポン(特に伊集院光とか)を朝まで聞いては授業中は寝ているような生活を繰り返していた。 ゲームはスーパーファミコンのドラクエシリーズはやっていたが、それ以外のゲームには興味がなかった。アニメもほとんど見ていない。



・Fさんの高校時代

 高校に入ると状況は変わってくる。いじめから逃れる身のこなし方を習得してきていじめはだんだん減ってくる。だが、空気を読むスキルは育っていなかった。劣等感は相変わらず強い。

 部活はひょっとしたことから生徒会に転籍し、安息の場を得る。中ではいじめもなく、似たような仲間がいたり、得意なワープロを使えるということもあってそれなりに役割をこなすようになった。 そんな中、生徒会の渉外活動で他校の生徒ともつながりができるようになる。 つながりがあった学校は都内のみならず、北海道から九州まで交流ができるようになった。

 交流を行う学校は男子校のみならず、共学、女子校ともあった。当然同年代の女子高生とも話すこともあったが、世間話程度がやっとで、付き合ったりすることなど当然できなかった。好きになった子もいたが、話し上手な同じ学校の後輩や、別の学校の先輩に取られるなどして付き合うこともできなかった。

 趣味は相変わらずAMラジオ聴取が中心であったが、生徒会活動で好きになった別の学校の女性の先輩から「コミケ」という言葉を耳にする。だが、コミケという場所は同人誌を売買する場所でジャンプやマガジン等では読めないレアな漫画が入手できる場所という位の印象しかなかった。

 しかし、その先輩が好きになったあまり、「その先輩がはまっているコミケという場所はどういうところだろうか?コミケに行って先輩に出会えば、先輩と共通の話題で近づけるかも。」と思うようになった。 そんな僕は東京駅から晴海行きのバスに乗る。その先輩に会うためにコミケ会場へ。 が、そこで待ち受けていたのはゴミのような人の山と商業誌では絶対出せないであろうギリギリ表現のエロ同人誌と露出度が高いコスプレイヤーであった

 それにカルチャーショックを受けたものである。結局先輩とは出会えることなく、行列のあったサークルに試しに並んで、セーラームーンのエロ同人誌を手にするだけであった。それで、僕はどのジャンルにはまったというわけではなくコミケという特殊な場所に興味を覚えたのであった。その後、先輩には人づてで告白するが、結局振られている。 学力のほうは生徒会活動に力を入れると比例するように転落して行き、高校卒業には学年のかなり下位の方になっていた。当然大学受験は失敗して、浪人することになる。

 ファッション面であるが、高校時代はまったく無頓着で髪は1,500円床屋で切り、服は親がイトーヨーカドーで買い与えた服を着ているだけであった。周囲の生徒会の先輩・後輩は彼女が居たが、その服装にまで注目をしていなかった。全然意識をしていなかったのである。






 シロクマ注:

 これは…かなり王道なんじゃないでしょうか?Fさんのオタク趣味への開眼は比較的遅く、思春期適応がオタク趣味によって遷延したとか、オタク趣味によって葛藤が補償されていたとはあまり考えられません。それにしてもこの経過は、思春期ヒエラルキーにおいて不利を被り、異性と交際出来ず劣等感を抱えた男子像としては絵に描いたような典型例と言えるでしょう。これまでの症例検討でもみられたように、中流家庭・小学校の時の優等生・運動が苦手・“空気が読めない”子は、いじめられたり虐げられたりするリスクを負っています。このような境遇に甘んじ続けることによって、思春期男性は劣等感をしっかりと刻印されてしまう傾向が強く、Fさんも例外ではありませんでした。『伊集院光のオールナイトニッポン』への傾倒っぷりも、彼の心理的状況を類推させるに十分です。

 高校時代もまた、思春期ヒエラルキー低位で“勉強だけが取り得”な男子の、ある種王道パターンを進んでいるようにみえます。生徒会への編入と活動、そして生徒会内における片思い。高校内でいじめられないとて、一般的な優越感ゲーム(容姿、女子も好む趣味、スポーツ、お喋りetc)に参入困難な男子は、オタクサークルや生徒会など、校内において日陰的存在のコミュニティのなかで活動せざるを得ませんし、それこそが彼らの心的適応を救うわけですが、Fさんも例外では無かったと推測されます。

 Fさんの恋愛が生徒会絡みのものだったのも、自然な流れと言えるでしょう。しかし、彼がそこで到達したのは恋愛成就ではなく、セーラームーンのエロ同人誌でした。告白の形式が人づてであった事にも注目しなければなりません。この形式は、男性自身の劣等感を防備するには優れてはいるものの、女性に自分自身の真剣さを伝えるにはあまり向いていません。「本気じゃない」と思われるリスクも高いですし、考えようによっては失礼ですらあります。ですが、当時のFさんはそういう“対象女性側の“都合”や気持ち”を汲み取る余裕が無かったのでしょう(おそらく、自分が相手に受け入れられるかどうかといった、自分の都合には意識が集中していたとは推測出来るのですが)。これでは、異性と付き合うことは出来ません。少なくとも、世の中にはもっと勇気があって、もっと女の子側の都合に即することが出来る相手が沢山います。まして、服飾などの整備も疎かにしているFさんの“誤解されやすい告白形式”を女性側がどう受け取ったのか…当時のFさんの適応状況を想像させるエピソードです。






・Fさんの予備校生時代

 高校卒業と同時に、生徒会活動で知り合った女子校出身の女性から手紙をもらう。 手紙は「上京して東京で暮らすので一度一緒に遊ぼう」というようになった。 千載一遇のチャンスだと思った僕は、デートの終わりに彼女に告白して、付き合うようになる。

 それからはバラ色の日々だと思った。だが、真相は異なった。 付き合いだしてから1ヶ月ほどすると、彼女は某巨大宗教法人の集会に誘ってくるようになる。彼女は某巨大宗教法人の信者だったのだ。それ以降は事あるごとに集会、新聞、雑誌と勧誘の嵐だった。誘われるごとに断り、二人の仲は微妙に風向きが悪くなるのであった。 周囲の友人は「二人って仲いいね。そのうち結婚するんじゃないの?」と交際の背景を知らずに言ってくるのでかなり苦しんだものである。この悩みは誰にも話せることはなかった。 結局、宗教という大きな壁が二人を阻み、だんだん二人の気持ちは離れていった。 最後は彼女に別な好きな人ができたということで別れたのである。

 ちなみに性生活だが、僕は童貞、彼女は処女で結局何度性交しようとしてもテクニックがあるわけでもなく、結局一度も性交せず童貞と処女のままであった。 学力のほうは彼女との交際と宗教との挟間に悩む日々で勉強にはまったく力が入らなかった。一応大学には合格したが、希望の大学・学部には進学できなかったのである。 オタク方面は、交際期間中はコミケからも離れ、漫画もほとんど読まず、やはりAMラジオを聴くくらいでかなりオタクからは離れていたと思う。

 ファッション面は相変わらず無頓着で髪は1500円床屋で切り、服は親がイトーヨーカドーや地元デパートのバーゲンで買い与えた服を着ているだけであった。ただ、彼女と交際しているときに一度だけ渋谷の丸井に行って、二人のセンスで決めたシャツを買ったことがある。そのシャツは未だに愛用しているが。



 シロクマ注:

 これは…(絶句)

 高校時代の情報から察するに、予備校のFさんは“女性からみて交際し甲斐があるかどうかという観点からみた、恋愛市場価格”はそれほど高くない、否、低いものだったと推測せざるを得ません。にも関わらず素早く懐に接近してくる異性!今なら2chなどの普及によって“壺の危険(→ここも参照)は察知しやすくなりましたが、十年前は今よりは気付きにくかったことでしょう。詐欺とは、心の隙間やセキュリティホールを突いてくるものです。件の女性もまた、Fさんの隙間を的確に把握したうえで、セキュリティホールにつけ込もうとしたわけでしょう(性的関係に至らなかったあたり、彼女はしっかりしていると思います)。この件に関する当時のFさんの行動に突っ込みを入れるとしたら、

・幾らセキュリティホールを突かれたとはいえ、遠方からの不自然な誘いに疑問符を付けなかった点(或いは、女性側が自分を誘う事にどのようなインセンティブを有しているのかを把握しきれなかった点)
・宗教に勧誘してきた時点で全力撤退しなかった点
・“彼女”が新興宗教団体に属しているという異常事態を、誰にも相談しなかった点

 が挙げられます。これらのどれか一つでもクリア出来ていれば、Fさんがここまで傷を広げる事は無かったかもしれません。ですが、当時のFさんの総合的な適応の在り方は、それを許さない程度には脆弱でした、という事でしょう。そしてもし、彼女と選んだシャツを本当に今でも愛用しているとしたら…まだ目が醒めてないのかもしれません。醒めない方がよいのか、醒めたほうが良いのか…。もし、あくまで脱オタ(=社会適応の向上への試み)に拘るのなら、答えははっきりしていると私は考えます。


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