Fさん、貴重な経験談ありがとうございました。
俺、アニエスベー好きだよアニエスベー。しかし…あのブランドは滅茶苦茶高スペックを要求されるような気がして、自分でも着れる服を探すのが滅茶苦茶大変で、「ああ、これ恰好いい服だけど俺には無理だから諦めます」と涙を呑むことが多いんですが…という独り言は置いといて。
今回のFさんのケースは、今までの脱オタ五症例とは相当異なる特徴を有しています。それは、
1.(もし予備校時代の件が恋愛成就とみなさないなら)後に好影響を与える恋愛を経験する契機を、現在に至るまで持っていないこと
2.現在でも自分自身から「オタクオーラが出ている」と感じていること。つまり、自分自身の現在の適応状況に後ろめたさ、あるいは劣等感を感じ取っており、それを
克服するには至っていないということ。
3.所謂脱オタを本格化させた後に、恋愛と呼称するに相応しい経験は未だ経験していないということ。
です。これら三つは、他の
脱オタ症例検討(Aさん〜Eさん、及び私自身)の場合においては脱オタ前には確かに存在したものの、脱オタ的活動のなかで超克されていったポイントと言えます。最後のほうの文章にもある通り、Fさんは、異性との交際や結婚を望んでいますが、残念ながら脱オタという行為を通しても未だそれに成功していないと考えざるを得ません。脱オタという行為が、“侮蔑されがちなオタク的境遇から自分自身が望んでいる境遇に移行する為の技術的手段”だとするなら、
Fさんは未だ目的を成功していないと言うべきか、少なくとも脱オタの途上にある、と表現するのが妥当だと思います。
書くべきか書かないべきか迷う所でしたが、敢えて書いてみます。Fさんは既に三十歳を回りました。私見では、
脱オタに伴う適応変更を達成するうえでぎりぎりの年齢にさしかかっているのではないでしょうか。脱オタは、スクールカースト低位のオタクや侮蔑されるオタク、消極的にオタク界隈を選ばざるを得なかったオタクの全員が必ずしも達成できるものではありませんし、加齢に伴って難度は高くなってしまいます。Fさんに残された時間は、おそらくあまり無いでしょう。こんな事を書くとFさんは焦ってしまいそうですが、私に指摘されるまでもなく、既に十分焦っているものと推察します。
他の脱オタ症例の人達は、概ね二十代の後半までには“勝負を決して”いますが、今回のFさんのケースは、30代になっても目的に適った適応に至っていません。これは、当サイトとしては初めてのケースであり、当サイト的には無視出来ない報告と言えます。ですがそれはこちらの事情であって、Fさんの事情ではありません。Fさんは今、脱オタにこれだけ労力を費やしたにも拘わらず、ひょっとすると十分な結果を得られないで終わってしまう危機に瀕しているのではないでしょうか。
Fさんの予後については、
正直楽観を許さないと私は考えざるを得ません。Fさんの継続的努力にも関わらず、Fさんの脱オタは曲がり角の季節――三十代――を迎えつつあります。何がA〜EさんとFさんとを分かつものだったのでしょうか?顔つきやファッションセンスでしょうか?否、拝見させていただいた写真をみる限り、
症例2のBさんや
症例3のCさんなど比べて決して劣るルックスとは思えませんでした。或いは予備校生時代の手痛い経験?Aさん〜Eさんと、このFさんとの違いははっきりしませんが、三十歳になっても当人の望んだ適応
(異性との交際、コンプレックスの解決など)に到達しきれない場合があるという事実を、私は無視することが出来ません。これまで余所では散々言われてきた事ですが、
数年間の脱オタ経験でも(当人にとって)満足のいく結果が出ない可能性には、十分注意しなければならないようです。人生におけるあらゆる選択と同様、やはり脱オタも賭けなのです。
…一方、全ての行為・努力・プロセスがどれぐらい役だってどれぐらい無駄なのかは死ぬ瞬間まで分からないことですし、脱オタが上手くいくのであれ失敗するのであれ、積み上げてきたモノは常に何らかの形で積み重なる、という点にも着目しておきたいです。表面的あるいは題目上の目的を果たしきれなかった努力は、無駄でしょうか?私は、そうは思いません。適応の賭けに打って出る凡ての脱オタ者の努力が、常に何らかの蓄積になることを、私は祈っています。
※本報告は、Fさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Fさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。