・Iさんの大学〜現在まで
現役で志望の総合大学の理系に入ります。男女比が1:1でない状態に少なくない違和感を覚えましたが、二年程で慣れました。流石にクラス内グループができていましたが、
私は最前列に座る成績優秀な二三人の内の一人だったので、後ろで何が起きていたかは知りません。交遊範囲はその二三人や高校時代の友人のみ、サークルには入りませんでした。そんな中、オタク化と脱オタを始める事になります。
[趣味面ではオタク化]
大学一年の五月頃、入学して最初に得た友人に
シスタープリンセス掲載誌を見せられて「どの娘がいい?」と訊かれたのが契機です。この時まで二次元美少女趣味は
(憶えてすらいないリリアを例外として)なかったのですが、強いて五番の娘を指した所
「やっぱりロリかー」と言われました。当時、彼の事が大好き
(前述の憧憬を多分に含みます)だったので、憧れの先輩がいる部活に入るが如く「そう見られてるのならば、片足突っ込んで彼と一緒に楽しもうかな」と手 を染めました。それ以降、案外楽しいし、殊更に止める契機もないまま今に至ります。このオタク化によって在学中にできた友人は先導者の彼含めて四人です。
なお、ギャルゲーはPCの起動が面倒なので買いはしてもプレイしません。アニメ、漫画、ラノベで手一杯です。
[服装面では脱オタ]
上記のオタク化から半年しない内に
CLOSE2Uと云うエロリゲーを見つけます。そ の絵師さんのサイトを覗いた所、「これからはオタクも服装にも気を遣いたいですね」と
久世氏のサイトへのリンクがされていました。「へー、そうなんだぁ」と思いつつ当該サイトを読み、なかなか面白そうだったのが脱オタの始まりです。最初の二ヶ月くらいは
妹に服を見立てて貰ってました。これによっ て、上位クラスの同級生との交流も可能になって人付き合いの幅が広がったのは事実です。
今ならば典型的脱オタファッションと揶揄される格好で十分な1999年に始めたのは幸運だったと思います。
因みに、この活動がオタク友達との関係に影響する事はありませんでした。彼らはオタクな自分に結構満足してる様子で私の服がどう変わろうと付き合い方を変える事はなかったし、私の方からはオタ師匠な上に憧憬含みで好きな彼らを下に見る事もなかったので
(秋葉原や学内の見ず知らずの人に優越感は感じていましたが)。因みに、緩い集団だったので卒業や学科振り分けで別れて以降、彼らとは連絡取ってません。
[恋愛関連]
脱オタにより容貌のレベルは上がりましたが、
理系の学部&大学院に進んだ為出会い自体が激減しました。その結果、今でも彼女居ない歴=年齢ですし、童貞 です。もっとも仮に出会いがあったとしても、
i)「好き」の先に続く欲望がない
ii)醒めた性格
iii)薄い性欲(最近は陰萎気味)
iv)他人に乞わずとも承認が間に合っている
といった現状では一般的な"恋愛"的関係を築くのは困難ではないかと考えています。
Iさん、貴重な経験談ありがとうございました。
Iさんは大学に入ってからオタク趣味に染まり、と同時に
(コミュニケーションスキル/スペック増強という意味の)脱オタを実行しています。これは今までの脱オタ症例とはちょっとタイプが異なります。よくある脱オタパターンとしては、
仕方なくオタク趣味をやる→オタク界隈は楽しいけれども劣等感と異性への思いが捨てきれない→脱オタ実行しコミュニケーション強化
というものが多いように見受けられますが、Iさんの場合はオタク趣味の導入と同時に脱オタが実行されていますし、脱オタに際しての
(慾に取り憑かれたような)ギラギラ感もありません。思春期の悩みのなかで起死回生、という脱オタ者にありがちな心性とは異なる淡々とした脱オタが、繰り広げられていったのでしょう。Iさんが同族嫌悪に至ることもオタ仲間に煙たがられることも無かったのは、このためかもしれません。
さて、そんなIさんの脱オタですが、二十代前半という年齢とはいえ、比較的スムーズに葛藤少なく進行している印象があります
(その分、成功して良かった!という悦びも少なそうですが)。Iさんの脱オタが滞りなく進行した要因は幾つもあるでしょうが、
・若くて頭が柔らかかった
・妹が指南役になってくれた
・1999年の、未だ「脱オタ」がメジャーではない時期に着手した
・隠しきれないほどの慾と劣等感にまみれているわけではなかった
・他人を通して自己実現感を感じ取らなくても間に合っていた
・脱オタを手段として果たすべき目的を高望みしていなかった
あたりが要因ではないかと疑っています。
妹の存在や脱オタの時期などは、ファッション面における脱オタを推進するうえで極めて有利なものだったのではないかと思います。脱オタという概念がオタク界に広がる前に、妹の協力有りで脱オタを実行すれば、そりゃあ有利というものです。年齢の若さも手伝って、比較的スムーズに脱オタに成功していたと推測されます。
また、Iさん自身の執着の少なさや劣等感の乏しさも脱オタ推進に貢献していたと思います。もし、Iさんが強烈な劣等感に充ち満ちていて、寄る辺なく、
(例えば異性に対する)激しい欲求に縛られていたとしたら、ここまですんなりと脱オタ出来たでしょうか?おそらく、もうちょっと血みどろの経験談になったのではないでしょうか?また同時に、脱オタ後の達成感はより大きなものだったのではないでしょうか?I
さんが淡泊だったからこそ、自意識の罠を回避して脱オタがすんなり遂行された、とみることは出来ないでしょうか?脱オタに際して最も大きな障壁になるのは、物理的問題というよりも劣等感やギラつく慾とかいった心理的なものだったと私は
考えていましたし、今も考えています。こうした心理的障壁から比較的自由に脱オタを遂行したIさんは、そういう面では幸運だったと言うことが出来そうです。
しかし、執着の薄さや慾の薄さ、(おそらくは)コミュニケーションや他者への欲求の薄さというのは良いことづくめなのでしょうか?必ずしもそうではないでしょう。Iさん自身も最後に予感を感じているようですが、娑婆を渡っていくには、執着や慾が強いほうが重宝する場面というのは決して少なくありません。執着の薄さなり慾の薄さなりといったIさん独特の気質は、Iさんの適応をどのように形作っていくのでしょうか?慾にまみれた私には簡単に想像できませんが、とにかく、特有の適応を形作っていくに違いないと推測しておきましょう。
※余談ですが、仏教的にはIさんの気質はとても好ましいことのように思われます。余談ですが。
※本報告は、Iさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Iさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。