このテキストは、こちらの続きです(症例10さん)。


・Jさんの大学時代以降・脱オタの道

 高校を卒業した私は、地元の大学へ進学した。語学の授業で一緒になった男(Aとしておこう)に話しかけられて仲良くなった。

 彼は高校時代にはいなかったタイプの男だった。オシャレもそこそこで、女の子ともすぐに馴染める、顔もイケメンの部類に入るヤツだった。彼はオタクみたいな俺を馬鹿にすることはなかった。それからは、たくさんの友達が出来た。皆、タイプは違ったが優しかった。

 私はといえば、ファッションセンスも向上することは無く、自分でカッコイイと思った服を買って自己満足していた。髪の毛は床屋で切ってもらっていたが、眉毛は整えるようになった。語学のクラスで飲み会を開いたとき、女の子たちもいたが、自分からはほとんど喋れず、一人で飲んでいた

 転機が訪れたのは、2年になって冬も近づいた頃、Aが、「女の子を紹介してやる」と言ってきてからである。冗談だと思った私は、Aに何故自分に紹介するのか聞いた。「お前が一番いいと思ったからだよ」と、Aは言った。素直に嬉しかった。

 数日後、Aからその女の子のメールアドレスを聞き、メールを始めた。

 女の子とのメールは初めてだった私はドキドキしながらメールのやり取りを続けた。彼女は、医療系の仕事に就くための学校にに通っていた。忙しいらしく、メールは夜中に長文で返ってきて、それを長文で返信してまた次の日の夜中とかいったように、2日で一往復のペースでやり取りした。

 メールだけでのやりとりが4ヶ月程続いた時に、彼女のほうから「会いませんか?」と、メールが来た。私は驚きでしばらく震えが止まらなかった。彼女がテストだったため、1ヶ月待ってまた連絡することにした。もう不安と期待で平常心では居られなかった。

 しかし、会う日が近づくにつれて恐怖心が増してきて結局連絡するのを止めてしまった。Aに謝り、紹介は流れた。彼は笑って許してくれた。申し訳なさでいっぱいだった

 私は、それから自分に自信をつけるにはどうしたらいいか考えた。出た結論は「清潔な格好はもちろん、見られて恥ずかしくない格好をしよう」だった。それからはファッション誌を買った。バイト代はほとんど服や靴や髪などのケア用品に使うようになった。




・Jさんに、近況をお聞きしてみました
 以上でJさんの脱オタストーリーは終わっています。このままでは最近のJさんがどうしているのか分からないので、後日メールで質問してみました。Jさんからは、以下のような回答を頂きました。


 オタク趣味に関しては、

・アニメは一通り見るが、はまらない。
・声優への興味の消失。
・エロゲー嫌悪。(見るなら実写AV)
となっています。

 ちなみに、ストーリー性の強いアニメは今でも見ます。が、女の子との会話で出ることはありません。2年ほど前から、ゲーム離れが進みすぎてゲームソフトを買っても2時間程で飽きて、そのまま売ってしまうことが増えたため、ついでにPS2本体も売却しました。

 オタクが嫌いになったワケではなく、自分の考えが変わってきたからだと思います。所詮、ファッションは自己満足でしかないわけですから、流行のファッションに身を包めば易々と恋人ができるわけではありません。自分に自信を付けさせる手段として考えています。

 総てはコミュニケーション力にありました。

 後は、大学の友達と色んなところに出かけるようになりました。美味しいお店や、綺麗な夜景が見える場所や、沢山の映画を見ました。結局、開かれたモノが自分を高めるんですよね。エロゲーは、答えが用意されていて、悪く言えば真正面しか見れないわけですから。他人とのコミュニケーションは、どんな答えが返ってくるか分からない、アドリブが重要ですよね。他人には無い個性を見せることが出来てこそ、認めてもらえるのでは。と思います。自分ももっとコミュニケーションについては精進せねばなりませんが・・・・・。

 これが、脱オタ4年間で私が得たものです。


 とのことです。





 Jさん、貴重な経験談ありがとうございました。

 大学に入ってからのJさんの振る舞いは、よくある急進的な脱オタに比べればマイルドなものでした。“よし脱オタしよう”と思う人のかなりの割合がいきなりファッションにのめり込むなか、Jさんはベーシックで穏健な路線から脱オタを遂行しています。

 ここでもJさんは幸運でした。Aさんという男友達は、(メール上とはいえ)女性と出会うきっかけを与えてくれたのです。のみならず、「女性と会いきれなかったJさんを笑って受容してくれた」のです。これはなかなか経験出来ることではありません。範疇的な理解では、Jさんが女性と接触できなかった事をダメ出しすべきなのでしょう。しかし、幼少期から等身大の自分をなかなか受け容れて貰えていない人には簡単に耐えられる不安では無かった筈で、Jさんの心的傾向を思えばむしろ致し方のなかった事だと思います。

 それよりも、「こんな自分でも笑って受容してくれる事があるんだ」という経験がJさんに植え付けられたことのほうに私は注目します。結果論とスペック競争になりがちな今日日の思春期事情において、こんな滋養ある受容経験を踏めるチャンスはあんまり無いのではないでしょうか。こういうAさんのような人がいなければ、人は失敗やら拒絶を怖れてトライアンドエラーに挑むことが出来ません。症例2の人が脱オタのトライアンドエラーに踏み込めたのも、オタ仲間のなかでくさっている自分を仲間が受け止めてくれたことも大きいのではないかと最近の私は思っています。

 Jさんの報告は、ここで終わっていますが、Aさんによる受容経験が、Jさんの今後のトライアンドエラーに際して少しだけ背中を押してくれると私は確信しています。人間、失敗すれば誰にも認められないと思えば失敗に足がすくむものですが、肩を叩いてくれる友達がいることを思い出せば少しは果敢に戦場に挑める筈です。Jさんはまだまだコミュニケーションに自信が無い筈ですし、等身大の自分を晒すことを恐怖することでしょう。でも、そんなJさんでも今は構わないんです。失敗しても、足がすくんでもいいから、次の機会にはもう少し前に進めば良いです。Aさんや何人かの友人(とおそらく私も)は、メールの前で逡巡しながら汗をかくJさんにダメ出ししないことでしょう。「フラれたけど、俺は次はもっと強くやってみる。その為に、もっと強くなりたい(或いはリソースが欲しい)」と呟くJさんに拒否的な友人は、案外少ないかもしれませんよ?

 一度失敗したら終わりというわけではない事・ダメだった時も肩を叩いてくれる友人がいる事を思い出しながら、Jさんどうか果敢に生き急いでください。

 ※本報告は、Jさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Fさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。