このテキストは、こちらの続きです(症例14、Nさん)。
Nさんの高校時代(脱オタ試行錯誤の日々)
まず、普通のクラスメートと自分は何が違うのかをよく考えてみました。
このときになって私はやっと気がつきます。
自分がいかに外見に気をつかっていなかったかを。
そこで私は、手始めに眉毛を整えてみます。 眉毛を整えた次の日には、他のグループのクラスメートから声をかけられました。 「あれ?眉毛整えた?かわいくなったねぇ。」と。私はとてもうれしかったです。以来、眉毛はきちんと整えることにしました。 そして、校則どおりに着ていた制服を、周りを手本に着崩してみました。 ちょっとだけ気持ちが軽くなったような気がしました。 また、これは意識してやったことではないけれど、重たい長い髪の毛を 思いっきり短く切ってみました。
すると、意外と好評でした。同じ部活のおしゃれな子からは 「そっちの方がかわいいよ。」と言われました。この時、私は眉毛と髪型がいかに大事なものかを知りました。また、制服の着こなしを改善すると自然に私服のセンスもマシになってきました。
ただ、上手くいったばかりではありません。当然失敗もありました。他のクラスメートと話をしたいばっかりにいきなり話しかけてドン引きされたり・・・人と打ち解けるには、場の空気を読み、順番を追っていく必要があると勉強になりました。 また、芸能人を覚えるためにテレビを見始めました。私はテレビには全く興味が無いやつでした。しかし、見てみると意外と楽しいものもありました。そして、おしゃれをしてみました。おしゃれはめんどくさいものだと思っていました。でも、これもやってみると意外と面白い・・・。
世の中には、ゲームやマンガ以外にも面白いものがたくさんあると知りました。それと同時にゲームやマンガはあんまりやらなくなり、一年以上手をつけなかったものはすべて売り払ってしまいました。売り払った時、ものすごくスカっとしたのを今でも覚えています。
売って本当に良かったと思います。
また、脱オタを開始して1年くらいして、やっと友達と呼べる子が出来ました。彼女ははじめは同人の話で盛り上がっていたものの、だんだんに参加しなくなっていました。 彼女とは話したことはありませんでしたが、あることをきっかけに仲良くなりました。他にも・・・同じ部活内でも、私と同じく周りから冷たい視線を浴びていることに悩んでいる子が見つかって、美術部の後輩が、なんの恥じらいも無く「萌えー!」と叫ぶことに疑問を感じていたことを打ち明けてくれたりしました。
やっと仲間ができ、同人の話からちょっとだけ開放され、少しずつ学校が楽しくなってきました。ただ・・・それでも私は自分に自信が持てないままでいました。心の中に、今もなお私はバカにされているんだ・・・という思いがありました。
Nさんの高校生時代(脱オタの結果)
脱オタを開始して一年半を過ぎて・・・未だに自信を持てないままでいました。
ところがある日、私は自信を持てるようになりました。 きっかけは友人のふとした一言でした。彼女は違うクラスで授業も違います。「さっきの授業でNさんの評判が良かったよ。たまたまNさんのことが話題になったんだけどね、Nさんのことを『美人だよね』とか『しっかりしてそう』ってみんな言ってたよ。」と言っていました。私は決して美人でもなければしっかり者でもありません。でも、自分が知らないところでそう思っている人がいるということを知り、私は自信が持てるようになりました。
こんな風にほめられたのも、私が外見に気をつかっておしゃれをし始めたのがきっかけでした。これ以来、自分に自信を持たせくれたきっかけとなったおしゃれがますます好きになりました。また、私は同じグループの同人好きな人達にも、意外な良い一面を見つけることもできました。こうして私は、自信を取り戻しながら高校を卒業することが出来ました。
シロクマ注:
Nさんの脱オタ――すなわち、侮蔑されがちなオタクという状態から、そうでない状態への脱出――は、まず見た目に対するアプローチから始まりました。勿論これは、脱オタを行う人にとって最も手をつけやすく、最も効果の高い方法と言えます。身振り手振りや表情などの非言語コミュニケーションのほうが決定的とはいえ、そんなものをいきなり鍛錬することなど出来ないわけですから、手をつけられる所から手をつけていくのは至極当然のことと言えます。とりわけ、顔や髪は目が行きやすい場所ですから、真っ先に手をつける価値があると言えるでしょう。
幸運だったのは、Nさんのこうした努力と周辺環境の組み合わせです。Nさんが容姿に手を加えるたびに反応してくれる人がいて、それをNさん自身も確かめることが出来たという状況は、何が巧いやり方なのかを学び取っていくうえで効率的であるだけでなく、脱オタの心の支えにもなります。自分が頑張っても周りが誰も気づいてくれないなら、努力のし甲斐もないというものです。変化に気づいてくれる人がいた事、そして肯定してくれたことは、替えがたい(脱オタへの)推進力となったことでしょう。高校生だった、という事も有利に働いたかもしれません。制服を着ている時間が長く、おしゃれに関する技術蓄積の個人差が(以降の年代に比べて)比較的少ない高校生時代というフェーズに脱オタを開始していなかったら、もっと苦戦を余儀なくされていたかもしれません。
見た目だけに限らず、趣味や話題の面でもNさんの脱オタは続きます。アニメやコミックの話題だけでは、他の女子高生達とコミュニケーションをとるのは多分大変でしょうから、Nさんの選択は悪いものではなかったでしょう。まして、新しい楽しみを発見したとなれば尚更です。楽しくないことを無理やり続けようとしたって、嫌になってしまうだけで身につく筈もありませんし、脱オタに失敗する人のなかには、オタク趣味以外に結局興味を持ちきれなかったという人も含まれていたりします。その点でも、興味の幅を広げつつも、コミュニケーションの触媒としても有用な、様々な領域を開拓していけたNさんはいい感じだったと言えるでしょう。もし、Nさんが「つまんなそうだけど、他の女子高生どもに合わせてやるためにみるんだ。ケッ!つまんねーな」なんて思いながらテレビや芸能人をみていたって、なかなか身につくものではありませんし、そもそもそんな心根を持っていては、他の女子にすぐに見破られて嫌われてしまいます。
現在のNさん
私は今、短大にいます。
脱オタ時代に学んだことをいかし、自分に自信を持って 入学して間もない頃に初対面の人に声をかけることができました。 また、クラスメートの方から声をかけられるようにもなりました。
ただ、高校の美術部のことがトラウマとなり、オタクなグループを避けてしまうようになっていました。また私は、同人の話についていけず、つらい思いをするのかと思うと、怖くて話かけられませんでした。 しかし、ちょっとしたきっかけでそのグループの一人と話してみて、普通に話しかけやすい人だったと知りました。 脱オタを始めてからオタクを目のかたきにしていましたが、それはまちがってたのかも?と思いました。 そう思うとちょっとだけ気が楽になりました。
なぜなら、脱オタしてた頃は、オタクだった自分が何よりも許せなかったからです。
そして私は再びゲームをやるようになりました。ケータイのとあるストーリーゲームにハマっています。 昔の私と違うところといえば・・・二次創作をやめたことくらいです。
こうして私は脱オタを無事成功させることが出来ました。ゲームも面白いけど、それ以外にも何か新しいことを始めたいと思っていて、今は自分が趣味でやりたいことが何なのかを探し途中です。ただ、ここで終わりではないと思います。今の状態を維持し続けること、そして場の空気を常に読むことは今後も続けるべきだと思います。また、私は恋愛経験が全く無いので、それが次の課題だと思っています。
脱オタは一生続けるもの・・・私はそう思っています。油断したら、またつらいあの頃に逆戻りしてしまいます。また、脱オタを通して私はいろいろなことを体験しました。脱オタしていなかったら決してできなかった、つらかったことやうれしかったことはたくさんあります。この体験を多くの人に伝えたい・・・そのためにも、マンガ家になりたいと今も思っています。読んだ人が、オタク活動以外のことを始めたくなるような、そんなマンガをいつか描きたいです。
私は、高校で美術部に入り、腐女子とよばれる知り合いました。そして、同人というものを知りました。そのおかげでとても苦労しました。それでも、私は高校で彼女らと知り合ったことを後悔していません。 なぜなら、彼女たちのおかげで私は目を覚ますことが出来たからです。彼女たちに合わなければ、私は今でもモサい格好をし、オタク趣味にしか興味を持てず、自分の好きな作品について熱く語りまくり、周りに不快感を与えたままだったと思います。人のふり見て我がふり直せ…私にピッタリな言葉です。
脱オタは、決して楽しいことばかりではありません。むしろ、つらいかったことの方が多かったです。クラスで浮いた存在であり、グループ内でも話が合う人がいない・・・孤独な思いをしてきました。それでも、私は脱オタをオススメします。脱オタは無理にするものではありません。 でも、少しでもオタク以外の世界を楽しんでみたいと思うのであれば、是非やってみて欲しいです。オタク趣味以外の新しい楽しみや感動を見つけることができます。
特に、孤独な思いをしている時に仲間が見つかったときの、あのうれしさはひとしおです。
Nさん、貴重な体験談ありがとうございました。
シロクマ注:
オタクである自分が嫌いだったという事にやはり気づいたNさん。ですが、コミュニケーション上の諸問題をクリアすることによって、別にオタク趣味を嫌うこともオタク仲間を嫌悪することもないんだという事にも気づくことが出来ました。Nさんの言うところの「オタクである自分が嫌い、腐女子が嫌い」というのは、ゲームやコミックといったオタクコンテンツが嫌いというよりも、むしろコミュニケーションに明らかな欠陥を持っている自分自身や腐女子、自分達の世界の外には出ることの適わない窮屈なオタク的処世が嫌い、というニュアンスであることを読み取ることが出来ます。いや、そうでなければ脱オタ後にゲームやコミックの世界に手をつけるなんて事は無いでしょうから。他の脱オタ症例報告の方々も、ゲームやコミックにコンプレックスを持っているというよりも、自分自身やオタク仲間達のコミュニケーション上の問題や処世術の窮屈さに対してコンプレックスを持っているように私には思えますし、だからこその脱オタ、なのでしょう。
ですので繰り返しになりますが、脱オタというのはオタク趣味をやめることではなく、近年のオタクにありがちな、コミュニケーション上の問題や処世術の窮屈さに対するアプローチ、と私は理解していますし、Nさんはそれを達成した、と理解することにします。Nさんが本当に欲していたのは、コミュニケーションや、人と人との間で自分もやっていける事・認められることであって、オタク趣味を憎悪することではなかった、ということではないでしょうか。
Nさんは脱オタには終わりが無い、と言います。確かに、人が人の間で生きていく為には、そして自分とは必ずしも合致しない考えや価値観を持った人達とのなかで生きていく為には、コミュニケーションに関して意識を使い続ける必要はあるでしょう。勿論、空気を読むばかりで空気の奴隷になれば良いというほど単純なものではありませんし、年齢が上がるにつれて、求められるモノも広がっていくことでしょう。また過剰適応になってしまうあまり、自分自身の神経を壊してしまうリスクもあります。しかし、そういったノウハウや甘い辛いも、実践と経験を通さなければ絶対に手に入らないものですし、絶対に成長していかないものでもあります(勿論、実践すれば必ず成果に直結する、というものでもない事は脱オタを通して既にNさんは経験済みのはず。)。まだまだ若いNさんの人生行路ですし、つらいことも多々あるでしょうが、(オタな人達も含め)幅広い人とのコミュニケーションを続けて、いろんな人との出会いや経験を積み重ねていってほしいものです。
ちなみに男女交際について私見を申し上げるならば、別に「課題」というほど強迫的にやらなければならないものではないと思いますし、焦り過ぎてもおかしな結果を引き起こすような気もするのですが、もしNさんがこうしたコミュニケーションをいろいろな人との間に広げていくのだとすれば、遅かれ早かれ、そのような縁にも遭遇するのではないか、と推測する次第です。如何でしょう?
※本報告は、Nさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Nさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。