ZENITH Reinbow FLY-BACK
この時計は、一番のお気に入りです。
トゥールビヨンもすごいですが、このレインボーフライバックも機械式時計の中では傑作です。
何千万もする複雑時計は世の中に存在しますが、さすがに庶民の私には手が出ません。
ゼンマイを巻いて、時計に耳を近づけると、ダダダダ・・・と連続音が響きます。
この時計に搭載されている、エルプリメロと言うムーブメントは10振動/秒で、ストップウオッチと同じです。
最近、この時計を作っているZENITH社はルイビトンGrpに買収されていしまい、スイスの時計としては、良心的な値段だったのですが20万近く上がってしまいました。
腕時計ムーブメントの傑作エルプリメロ
ナンバーワンの名称を受けたクロノグラフーエル・プリメロ
世界初の専用設計自動巻クロノグラフ用ムープメント"エル・プリメロ"が発表されたのは、1969年です。
直径30ミリ、厚さ6.5ミリの、このムーブメントは、36000/時の振動数を誇り、50時間以上の稼働時間を蓄積する。
さらにピラーホイール、スライディングギアを搭載しています。
発表された当時、スペイン語でNo.1を意味する"エル・プリメロ"という名称の通り世界で最も完成度の高いクロノグラフムープメントとして絶賛されました。
1時間にテンプが36000という高振動に設定してあるが、これは出来る限りの精度の高さを目指してこの振動数で設計されました。
通常のリストウォッチは18000/時、速くても28800/時だが、エル・プリメロは、36000/時、
つまり、1秒間に10ビート=10分の1秒の単位で経過時間を測定することを可能にしています。
この高振動を保つためには、強力な動力が必要となり、その動力を確保するためにセンターローター式を採用し、
口一夕一が両方向回転でゼンマイを巻き上げるという巧妙に考えられた逆回転システムと効果的な減速歯車の組み合わせによって、
最大に巻き上げた場合、クロノグラフ搭載機でありながら50時間以上の稼働時間を蓄積できるものになっています。
さらに、これほどの高振動を保ち続けると、通常よりもパーツが早く摩耗してしまうので、ゼニスの研究者たちは何度も実験を重ね、重亜硫酸塩化モリブデンをベースにした、ドライな潤滑剤までも開発した。
エル・ブリメロのもうひとつの大きな特徴はピラー・ホイールで、ピラー・ホイールは、いわばクロノグラフの指令塔ともいうべきパーツです。
つまり、プッシュボタンを押すとハンマースプリングを通じてビラ一・ホイールが回転し、クロノグラフのスタート、ストップ、リセットを司るレバー類を作動させます。
ボタンを押す力が直接、クロノグラフに直結した部品を動かすわけではないので、力の強弱による誤差や強く押しすぎて綾細な部分にダメージを与えることもないように設計されています。
非常に良い機構ですが、現代のクロノグラフではコストが嵩むためにほとんど見られなくなってしまいました。
また、リセットする際、クロノグラフの30分計の送り爪がかみ合ってしまうのを防ぐスライディングギアも同じ理由であまり見られなくなっているパーツです。
エル・プリメロは、他のクロノグラフのように機械式ムーブメントにクロノグラフムーブメントを重ねた構造ではなく、最初からクロノグラフとして開発された一体型構造です。
4時と5時の間に日付表示をもったCa1.400の機能
●直径:30ミリ ●厚さ:6.5ミリ ●振動数:36000/時
●31石 ●部品数:225種
●両方向自動巻機能 ●パワーリザーブ:50時間以上
●日表示は瞬間送り ●12時間計、30分計
さらに1997年にはCa1.405を発表しました。
これはプッシュボタンを押し、作動中のクロノグラフ針がリセットされた瞬間、再びクロノグラフ針が0から作動を始めるフライバック機能を搭載したものだ。
このムーブメントが、レインボーフライバックに搭載されています。
完成後は高い精度と信頼性から、他の時計メーカーにも数多く供給され、たとえばロレックスのフラッグシップモデルである「デイトナ」もエル・プリメロを搭載していました。
この際ロレックス社の検査が厳しかったことが結果的に高品質・高精度のムーブメントを作りださせたともいわれています。
一時期生産を停止していたエル・プリメロですが、機械式時計が見直されはじめた1981年に生産を再開し、現在も世界最高のオートマティック・クロノグラフ・ムーブメントのひとつであるといえます。
ロレックス社「デイトナ」以外にも、多くの時計メーカーがエル・プリメロを搭載しています。
一例を挙げると、アラン・シルベスタン社「クロノパリ」、オフィチーネ・パネライ社「ルミノール・クロノグラフ」、ダンヒル社「ミレニアム・クロノグラフ」、タグ・ホイヤー社「モンツァ・クロノグラフ」、ダニエルロート社「スポーツ・クロノグラフ」、ブシュロン社「オートマティック・クロノグラフ」、コンコルド社「インプレサリオ・クロノグラフ」、パルミジアーニ社「トリック・クロノグラフ」、エベル社「オートマティック・クロノグラフ」などです。
ゼニス社の歴史
ゼニス社が本拠を置くル・ロックルの町は、スイスのニューシャテル州と隣国フランスの間に横たわるジュラ山系の深い緑の南麓に位置します。
ゼニス社を興したジョルジュ・ファーブル・ジャコは1843年、ここル・ロックルに生まれました。
17世紀、パリからジュネーブを経て、ニューシャテルにも時計師たちが工房を開くようになり、ジョルジュが生まれた頃には、時計造りはこの地の伝統産業になりました。
ジョルジュもまた少年期になると時計師のもとで修業を積み、22歳で独立。
その最初の社名を"マニファクチュール・ド・モントル"と名付けました。
そのとき彼がかかげた理想は"性能の良い時計を、誰もが手の届く価格にする"というものでした。
そのために彼がまず着手したのは製造工程の近代化でした。
当時のスイスの時計造りは、部品の削り出しを習得した熟練時計師の手作業に頼る世界でした。
前近代性を脱皮するには均一な部品、つまり互換性のある部品を作るための機械設備を作ることが必要でした。
それに成功したマニファクチュール・ド・モントル社は次々とムーブメントを開発し、販売も行いました。
1900年1月に発表された新ムーブメントの名前を考えていたとき、アイデアがまとまらず夜になってしまいした。
ふと夜空を見上げたジョルジュは、満天の星のさらに上、「天頂 - ゼニス」という言葉を頭に描いた。
天帝のおわす所"ゼニス"、これほど新世紀にふさわしい名はないはずだ、と。
1911年ジョルジュは67歳で引退し、社名も"ファブリツク・デ・モントル・ゼニス社"と変わりました。
ゼニスの時計として世界にはばたき始める。
その精度の高さもさらに磨きがかかり、ニューシャテル天文台の精度コンテストなどで、次々と優秀な成績を収めていきました。
そのゼニス社の英知の結晶とでもいうべきムーブメントが1969年に発表されます。
エル・プリメロのための3019PHC/PHFムーブメントです。
それは60年代の当時も、そしていまなお世界で最も完成度の高い自動巻クロノグラフムーブメントとされています。
しかし、時代はクオーツ時計の嵐へと突入して経営が危なくなり、間もなくゼニス社もスイス人の経営からアメリカ資本傘下に組み込まれていきました。
新たな経営陣はクオーツ時代への対応を命じ、エル・プリメロ3019PHC/PHFムーブメントの生産中止を決定。
設計図や金型など一切を破棄せよと命じた。
だが、再び必ず機械式時計が復活する時代が来ると信じる者がいました。
社命に逆らって金型や設計図をそっと箱にしまいこみ、嵐の時代を乗り切った時計師、シャルル・ヴェルモがその人です。
1980年代に入ると、彼の予測通り機械式時計のブームが始まり3019PHC/PHFムーブメントを求める声が高まりました。
クオーツの波が引き潮となりアメリカ人たちはゼニス社を去って行きました。
新しいスイス人の経営陣はすぐさまエル・プリメロを復活させました。
さらにゼニスでは来る21世紀のためのムーブメント開発を決定し、1994年、エリートと呼ばれる汎用自動巻ムーブメントを完成させます。
1997年にはフライバック機能をもつレインボー・フライバック・クロノグラフも生まれる。
ジョルジュ・ファーブル・ジャコが名付けた「ゼニス - 天頂」からちょうど1世紀を経て、2001年を迎えたいまもなお、ゼニス社は時計製造マニュファクチュールの道を歩み続けています。