「花咲か爺さん」の、はじまり、はじまりー
昔、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。
お爺さんは、山へしば刈りに、お婆さんは川へ洗濯にいきました。お婆さんが、川で洗濯をしてると、川上から、「チャップリ、チャップリ」と小箱がたくさん流れて来ました。お婆さんは、それらを見ると「中身の有るもの、こっちへ来い!中身の無いもの、あっちへ行けー!」と、叫びました。すると、やがて 一つの小箱が、お婆さんの近くに流れてやって来ました。お婆さんは、その小箱を拾って家へ持って帰り、棚の上に乗せておきました。
この最初の始まりの部分は、なんだか、桃太郎の話によく似ている。だが、川上から流れて来たのは「大きな桃」ではなく、たくさんの「小箱」だった。おとぎ話に出て来る「川」は、しばしば時代の流れを表わす。
川上から流れてきた、たくさんの箱というのは、古代の悠久なる時代の流れをくむ、たくさんの家系を表わしているように思える。その中から、内容のある一つの忠実な条件をたててきたある存在が、突然老人夫婦のもとに迎えられることになるのだ。
お婆さんは、このたくさん流れて来る小箱の中で、たった一つ、中身の有るものを選んだのだ。そして、この小箱を家に持って帰り、棚の上に乗せて置いたとあるのは、時が来るまで、ある一定の時間の経過があり、その間、しばらく箱の中身は、伏せられることを示している。
それは、日本選民として代々、祭りや神事などの条件をたててきた、部落や地域をも表わしているようにも思える。神輿が担がれて群衆によって運ばれて行くように、この箱は はるか昔から続いて来た、「時代の波」に流されてやって来たのだ。
夕方になると、しば刈りに行っていたお爺さんが山から帰って来ました。「お爺さん!、めずらしい箱を、川から拾って来ましたよ」と、お婆さんは言いました。
お爺さんは「中に何が入っているのだろう?」と、その小さな小箱の蓋を、おそるおそる開けて見ました。すると、中から、てのひら)に乗るほどの「ちっぽけな犬」が出て来ました。
二人は、「うちには子供がいないから、この犬を可愛がって、育てよう」そう言って、その犬に「ポチ」という名前を付けてあげました。
それからは、二人は、自分たちの食べる分のご飯やら、魚やらを分けてやって、大事に、だーいじーに、育てました。犬は、一杯食べれば一杯だけ、二杯食べれば二杯だけ、ぐん、
ぐーん と、 大きくなっていきました。
このお爺さんが帰って来た「夕方」というのは、歴史の終わりが近づいた時の、今まで見えなかった主人が突然現われた、「近代」の時代を表わしているように思える。
その時、この小さな箱の中に眠っていた存在は、まだちっぽけな子犬だった。優しい主人は、時代という川から引き上げられた、この未熟な子犬を育て、まるで、親と子のように、共に生きようとする。ポチは、優しい主人のもとで、実の子供のように可愛がられ、すくすくと育っている様子が伺える。 そして、主人と同じご飯と魚を食べて、賢く逞しい犬になったポチは、やがて主人のために、忠誠を尽くす「力ある存在」になっていくのだ。
さて、ある日のこと、ポチは、お爺さんに言いました。「ワンッ、 ワン!、おいらの背中に、鞍を付けてください!」(鞍とは、馬の背中に付けて人が乗る、あの鞍です。)お爺さんは、「そんなこと、できないよ。」と、何か 他のことをしていました。するとポチは、自分で、鞍をくわえて来ました。「ワン 、ワン!、いいから付けてください。それから、袋と、クワも、付けてください。」と、かますとクワも くわえて来ました。「ポチ、そんな重いもの、なんにするー」「ワン
、ワン、いいから、いいから、みんな付けて、おいらに乗ってください!」お爺さんは、「そんなことしたら、お前、つぶれるぞ!」と、心配して言うと「ワン、ワン!、いいから、乗ってください!」と、ポチは、どうしても行かなければならないかのように、お爺さんを促しました。お爺さんはとうとう、ポチの望みどうりに、その背中に鞍を付けてあげ、そして、袋とクワも付けてあげると、仕方なく、おそるおそる犬にまたがりました。
ここで、実際に人間と言葉で会話をする犬がいる訳はない。この逞しくなったポチは、実際の動物ではなく、犬のような忠誠心を持つ、他の何かを表わしている。自分を、川から拾って可愛がってくれる主人に、恩義を感じ、自分から進んで何か尽くそうとする、けなげな存在を表わしている。今まで歴史という川が、「小さな箱」を運んで来たように、この「小さな犬」も大きくなると、自分の背中に鞍を付けさせ、主人を担ぎたがる、悲しい習性を持っている様だ。この時代という川は、担いできた箱を、お婆さんの家に導いた。そして、その中から出て来たポチは、まるで神輿のようにお爺さんを担ぎ、その家を豊かにし、富み栄えさせるために、宝を捜しに近くの山に行こうと立ち上がるのだ。
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明治憲法 日本政府 |
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ポチは、お爺さんを背中に乗せると「タッタッタッー!」と元気良く走り出しました。そして、裏の山へ力強くかけ登って行きました。しばらく歩いてちょっと曲がった処に来ると、「クンクン。」と、地面を臭うと、ポチは、土を前足で 掘るしぐさをして、「ここ掘れ、ワン、ワン!。」と、お爺さんの顔を見て鳴きました。
お爺さんは、(はて?、土の中に一体何が有るのかなー?)と、不思議に思いながら、クワで掘ってみました。しばらく掘っていると、「チャリーン!」と、音がしました。「あれれー、なんだろうー?」クワを掘り起こす度に、後からあとから金色に輝く大判小判の宝物が、「ザクザク、チャラチャラ、ピカッ!」と、出て来ました。お爺さんはたいそう驚きました。そして大変喜んで、宝を見つけてくれたポチを褒めて、お礼を言いました。
「ここ掘れ、ワン ワン!」と鳴いて、大判小判の宝のありかを教えようとする、このけなげな「ポチ」は、いつも自分を可愛がってくれる主人の為に、自ら何か奉仕しようとする、忠実なしもべを表わしているのではないだろうか。
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日本軍 進軍ラッパ |
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お爺さんは、その宝物を袋に入れて、ポチの背中に乗せて再び家に帰って来ました。「お婆さん!、お婆さんや、見てごらん!ポチが宝を見つけてくれたよ」と、大判小判や宝物を座敷に広げました。お婆さんは、「あーれー、まーあ、ポチがー?、ありがとうよ、ポチ!」と、ポチの頭を撫でてあげ、ご褒美に、特別に豪華なご飯をあげました。
するとそこへ、「隣の欲張り婆さん」が「火を貸してくれやー!」と 顔を出しました。
座敷に広げられた、「まばゆいばかりの宝物」を見ると、目をむいて驚いて、「その小判、どうしたんだね?」と、聞きました。お爺さんが訳を話してやると、「じゃあ、おらにも、その犬を貸してくれや!」欲張り婆さんは、火を借りずに、いやがるポチを無理矢理、引っ張って帰っていきました。
やがて、隣の爺さんも、婆さんの話を聞いて、いやがって むずかる、ポチの尻を鞭で叩きながら、力まかせに引っ張って、山に登っていきました。 ポチが、嫌がってなかなか言うことを聞かないので、意地悪爺さんは、ポチの体を、さんざん何度も叩きながら、宝の埋まっていそうな場所を捜させました。やがて、傷つき疲れてしまったポチは、山の上に着くと、しかたなく土を掘るまねをしていたが、そのまま、「バッタリ!」と、疲れて倒れてしまいました。意地悪爺さんは、そこの地面を、クワで掘ってみると、中から、糞や、がれきなどの、がらくたが、ゴロゴロと
たくさん出て来ました。おまけに化け物やら、蜂の大群が現われて襲いかかりました。
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日本軍 行進 |
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この部分は、日本民族の忠実性を、主人にちゃっかりとなりすました隣の偽の主人、(軍閥、?)が利用し、お国の為と称して、遠い他国に連れて行った、大東亜共栄圏の軍国主義時代の日本を、表わしているのではないだろうか?。さあ、その後の、展開を見てみよう。
隣の意地悪爺さんは、近くの地面をいくら掘っても、糞や がれきしか出さず、おまけに
中から出て来た、蜂の大群に刺されたり、化け物に追われたりで、さんざんな目にあいました。ついに怒りが頂点に達した意地悪爺さんは、やっと起き上がったポチを見ると、腹を立てて「カッー」となってクワを振り上げ、ポチの背中をめがけて、「ボカッーン!」と 一撃しました。「キャイイーーイイーーンー」山の中でポチの最後の泣き声が響きました。とうとう、ポチは殴り殺されてしまいました。意地悪爺さんは、死んでしまったポチを、掘った穴にほうり投げて埋めると、何故かその上に、一本の「松の枝」を立てておきました。
この殺されたポチは、いくら戦っても、悲惨な戦況しか生み出さず、大東亜戦争の犠牲となって異国の地で死んでいった、「無念の兵士達」を表わしていたのではないだろうか。
机上だけの無謀な作戦計画で、多くの戦死者を出したインパール作戦など、視野の狭い軍人たちが、日本の裏の畑に相当する、満州、アジア、ビルマなどに、忠実な若き日本兵たちを引っ張って行った。後方兵たんも補兵も十分考えずに、ただ「皇軍精神」だけで進ませた結果、わずかな食料、弾薬、燃料も尽きて、たちまち飢えと病に倒れていった。雨期には、マラリアや赤痢にかかり、何万という戦死者や傷病兵を出していった。この裏の畑というべきアジアの植民地は、「主人」が天皇から「軍閥という偽の主人」になり変わった時、いくら掘っても、いつしか美しい宝は、出さなくなってしまっていったのだ。
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戦時の兵隊の行進 |
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ポチの主人であるお爺さんは、隣の爺じが、なかなかポチを返しに来ないので、心配になって訪ねて行きました。すると、蜂に刺されたブツブツの腫れた顔で現われた爺は、「あんな、いまいましい犬、殺して埋めて来てやったわ!」と、吐き捨てるように言った。「おー、かわいそうに、その場所はどこじゃ」「松の枝を立ててあらあ!」
ポチを可愛がっていた主人は、悲しみながらその山に行ってみました。すると、土を高く盛った上に、確かに一本の「松の枝」が立っていました。翌日、お爺さんは、お婆さんと一緒に墓参りに行ってみると、いつのまにか小さかった松の枝が、みごとな「巨大な松の木」に成長していました。二人が驚いて見上げていると、その大きな木の上から、(お爺さーん、ウスにして、ウスにしてー・・・)と、いう ポチの悲しそうな声が聞こえて来ました。
この死んでいったポチの恨みと悔しさは「英霊」となって、戦後の急激な経済復興を表わす、「巨大な松の木」で作ったウスに託されていった。そして そのウスには、第二、第三の立て直しの為に、日本を導き見守る霊界からの、全ての願望がかかっていた。
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長崎の原爆 |
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お爺さんとお婆さんは、この松の木の幹を切って、家まで運んで行きました。そして、お爺さんは、何日も、なーんにちも、時間をかけて、ウスとキネをこしらえました。
すると、お婆さんが、「お爺さん、ポチが好きだった、モチを
ついてあげましょうかね?」と、言って「もち米」を炊き始めました。
やがて、炊き上がったもち米を、ウスの中にいれました。それを お爺さんがキネでつき、お婆さんが水を着けた手で、モチをひっくり返していると、白いモチが突然、金色に輝きだしました。不思議に思いながら
それを丸めながら並べていくと、次から次へとモチが大判小判に変っていきました。ちぎろうとするモチの中からも、「ザクザク!、チャリーン」と、小判が次々と出てきました。
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戦後 廃墟 戦後復興の日本の姿 |
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正直爺さんが、真心を込め、時間をかけて造ったウスとキネは、正しい教育で立派な人間を育てる、学校や社会という教育の場、(修練の道場)を表わしているのではないだろうか?。
つけばつく程、鍛えれば鍛える程、豊かな宝やお金を生み出す、正しい修行をしている様子が伺える。 すると、ウスに入れられてキネでつかれるモチ米たちは、人間たちを表わしていることになる。
粘り強い忍耐力を身に付けた、人間が生み出すものは、豊さと繁栄をもたらしていった。そして、その大判や小判になって輝き出したものは、戦後の日本を優秀な技術大国に導き、経済復興のために集団就職していった、若き企業戦士の金の卵のようなモチであった。そして、そのモチは、正月に供えられる鏡モチ、神に捧げられる犠牲の供え物としても暗示されている。
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英霊の塔の写真 |
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そのようすを、障子の破れ目から、隣の意地悪な爺さんと婆さんの二人が、覗いていました。(イーヒーッヒッヒッ、こりゃあーいいものを見た・・!)今度も、火も借りずに、「そのウスを、おらたちにも貸してくれや!」と、有無を言わせず、二人で、ウスをかついで帰っていきました。
昔は、火をおこすにも一苦労で、大切な妻の仕事であった。それを、自分で火をおこすこともせず、安易に隣に借りにくる、不精な生き方をしている存在が、利用できるものを目ざとく見つけて、近寄ってくることを意味している。
又もや、大切なウスを「言葉巧みな隣人」に奪われてしまった。同じ様な事を二度繰り返してしまう。 この松の木を切って造られたウスは、正しき主人のもとで、しばらくは小判を出していたのに、それを横から来た、なまけものの老夫婦に奪われてしまう。この奪われたウスは、一体、何を表わしているのだろうか?。 これは、本来の主人の為に備えられた、戦後世代の若者達の内のある一部が、所有権を主張する何者かによって、奪われて行くという事を示している。汗もかきもせず、口先だけで巧妙に惑わしては奪い取る存在である。
だが、その松の枝は、もともと隣の意地悪爺さんが植えたものだったので、所有権を半分持つ、隣の意地悪爺さんが、強引に借りていっても仕方なかった、と言える。 ところが、この奪われていったウスは、あくまでもポチの無念の願いとともに大きくなった、松の木で作ったものであり、正直爺さんが、自分自身で汗を流しながら彫って造った、大切な道具だった。
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