16歳になるシェルティ ジャッキーの体重が増え始めたのは数年前睾丸が腫瘍化しているとのことで摘出手術をしてからでした。 かなりオーバーしてしまったので後ろ足が弱って自力では立てなくなり胴にベルトを巻きつけてお尻をヨイショと持ち上げて移動させていました。 2001年5月14日に突然ひきつけを起こしたように苦しみだしました。 廊下に倒れて痙攣をおこしたのです。 心臓が飛び出すほどびっくりして慌てましたが2〜3分でしょうか、そのときはかなり長く感じましたがおさまった後は普通にもどり、ふらふらと部屋の中を歩き回り一つ一つ何かを確かめるように、とにかくうろうろよろよろと歩き回りました。 しばらくしてきてくださった獣医さんが「たぶん心臓発作でしょう」と薬を処方してくださいました。 本来なら病院へ行き、検査を受けるべきなのでしょうが、私はジャッキーの性格、また年齢を考えてそういう検査や治療はむしろストレスとなると考え、自然体でいきたいと思ったのでした。 たぶん、そう長くはないこれからをジャッキーの好きなようにゆったりと一緒に過ごそうと決心しました。 それから2ヶ月ほどたったある夜、また苦しそうに発作のような状態になりました。 前回ほどではありませんでしたが、はあはあと苦しそうな息使いで、少し失禁しながら自分で立とうとしていました。 苦しいのだからじっとしていればいいのに立とうとするのです。 足がぐにゃっとして立てません。 前と後ろを支えてやっと立ち上がっても、また顔から倒れます。 そして、またあの最初のときのように、うろうろと家の中を歩き回ろうとします。 自分を確かめているのでしょうか、それとも、いても立ってもいられなくて動いてしまうのでしょうか、発作のたびにするこの行動はとても不思議なものでした。 とりわけ暑い夏でした。 あの熱帯夜には耐えられなかったのでしょう。 可哀想でも、どうするすべもありませんでした。 昼間もあまり眠られない様子で、はあはあとしていました。 お水も制限されていましたが、私は好きなだけ飲ませました。 あれはだめ、これもだめとは言いたくなかったのです。 ジャッキーがしたいならいいよ、と言う感じでした。 秋の涼しい風が吹くようになるとジャッキーはとても元気になってきました。 外へ出してタオルの上に座らせると、気持ちよさそうにあたりを眺めていました。 首をピンと伸ばしてとてもよい姿勢で眺めていたものです。 しばらくの間与えられた穏やかな静かな時間でした。 しかし、寒さが増してくると、また、様子が変わってきました。 朝、起きるとジャッキーは震えていることが多くなりました。 ドライヤーで手足を温めたり、毛布をかけるようになりました。 体温の調節がうまく出来なくなってきたのでしょう。 このころから一日中手編みのソックスをはかせていました。 又、ある朝は敷布に鮮血が大量についていることもありました。 それがやがては慢性的な鼻血となり、食欲は異常なほどあったジャッキーのご飯の容器をみるみる真っ赤に染めてしまうほどのこともありました。 そして発作を繰り返すほどに確実にジャッキーは弱っていきました。 もう首をしゃんと持ち上げていることは出来ず、いつも大きな枕にあごをのせてこちらを見ているというスタイルが定番になりました。 亡くなる一ヶ月前のお誕生日に写した写真はそのスタイルで今もこちらを見つめています。 とても痩せてきたジャッキーはやがて食欲はなくなり、カステラを少しだけ、大好物のお肉も一切れだけ・・・という状態になりました。 あんなに頑張っていたジャッキーも日ごとに力なく弱ってきました。 そして最後の日、私が夢にも思っていなかったことが現実となってしまったあの日、ジャッキーの出すサインに気がつかないでいた私のもとから「もう行くよ ママ」というように静かに綺麗な顔のまま旅立っていってしまいました。 ジャッキーは朝から気がついていたかもしれない。 何か言いたかったに違いない。 それなのになにも気がつかないでいたことが悔やまれて仕方ありませんでした。 でも、悔やむことは止めにしました。 ジャッキーはいつまでも心の中に生きているから |
2002年04月10日のジャッキー
防寒のための靴下(この靴下は82歳になるジャッキーのお婆ちゃんのお手製です)を履いて。右のリング型クッションは床ずれ防止用の「ドーナッツ枕」、レディママ特製です。
この上下二枚の写真は、2002年04月10日