3-2.「技術バカ」
(1999.07.20)
( 週刊東洋経済誌 1988.10.22号 より全文引用 )
歴史の世界では50年前、100年前は近現代史の分野であり、1000年前は中世史、
古代史ともなれば数千年前ということになる。
言葉でいえば簡単だが、実際にはこの時間の長さはたいへんである。
例えば、われわれにはもう50年前の生活、習慣は分からなくなっているし、明治の文豪たちの
文学作品は今の若い人には読めない。
ましてや500年前、1000年前のこととなると、本当のところはなにも分からない。
だからこそ、1000年ちょっと前の藤ノ木古墳の石棺に大騒ぎするのである。
これは過去にさかのぼっての話だが、逆に未来へ時間を延ばしてみるとどうだろうか。
われわれには50年後、100年後の世界像なんて想像もつかないし、500年後、1000年先と
なると、完全にお手上げである。
ひるがえって、100年後、500年後の人々(われわれの子孫のはずである)にはわれわれの
現在の姿は分かるまい。
こうみてくると、処理技術が確立されておらず、ひたすら時間の経過にしか頼れない
原子力発電所の放射性廃棄物というのは、いかにたいへんな代物であることか。
正倉院の御物ではあるまいし、われわれの子孫に何百年、いや何万年も面倒みさせて
よいものだろうか。原子力発電推進論者の発想は、後は野となれ、
山となれ式であり、人類の未来とかわれわれの子孫の存在など意に介しない
技術バカと言われても仕方あるまい。
(一平)
( 週刊東洋経済誌 1988.10.22号 より全文引用 )