3-4.日本初の宇宙飛行士は誰なの!?
(1999.07.30 アルマゲドンのビデオリリースの日に観てすぐに書きました、)
日本には現在人工衛星を失敗しながら打上げる程度の技術力しかない。
これは全ての科学技術力を象徴しているように思えて悲しい。
アメリカはアポロ11号で 1969年4月15日にニール・アームストロング船長が
人類初の月面着陸を達成している。
コンピュータすら黎明期(今あなたが使っているパソコンに比べたら玩具以下です!)の
時代にです。
今からでも頑張れば、日本にもできるでしょうか??
30年以上の革新的な科学の進歩を加味し考慮しても、今の日本にも、近い将来の
日本にも、ぼくは出来ないと思います。
さて、日本初の宇宙飛行士は誰でしょうか?毛利さんですか?違います!
元TBSの「秋山豊寛さん」です!!
TBSは崩壊前のソ連と交渉して、会社として相当な資金をかけたとは思いますが、
毛利さんや向井さんたちだって、相当な費用を負担してのことだと思います。
ところが毛利さんや向井さんたち、特に毛利さんは日本人初の宇宙飛行士であるかのように
講演活動や種々の活動をされています。そのことを問題にするつもりはありませんが、
多くの人が誤解しているのに、訂正やコメントしないのは「未必の故意」と言えませんか?
子供たちに尋ねてみてください!、「日本初の宇宙飛行士は誰なの?」ってね。
大人でも知らない「秋山豊寛」さんを、大人が教えなければ何も知らない子供は、知りません
或いは大部分の大人と同じ様に、毛利さんと答えるでしょう、これは非常に危険で怖い事です
このページを読んで頂いた貴方が、子供さんをお持ちでしたら、真実を教えてあげてください
それと同時に、真実を教える尊さも、伝えてあげてください、偽りの人生を歩まないために。
秋山豊寛(あきやまとよひろ)さんが農業をしている(無農薬!)ことと、あまりに対照的
だと思います。
何が大切なのでしょう?、日本人初!ですか?、国家公認でないとダメなんですか??
真実を評価しない国民性、企業や組織での、正当な評価による人事、それらは元を正せば
同じことです。
今からでも間に合うでしょう、真実の評価をして、日本が国際的に生きていける国に
なれるように祈ります。
日本は科学技術においても先進国とは言えない状況なのは、何を大切にするのか!
という点に密接な関係があると思います。
秋山さんと毛利さんの評価の違いが日本の進路を決めている不可思議な実体だと思います。
宇宙開発なんて無駄なことだと言う方も多いですが、今わたしたちが活用してる
インターネットやCALSだって、もとは宇宙開発・軍事力の為でした、それが
ソ連崩壊によって必要性が低下した為にいわば偶然に(コスト回収の為でもあります)
民間への転用がなされただけなのです。
そのような経過を見ますと、一概に無駄とは言えないどころか、夢を求めた結果、
素晴らしいものにたどりつけた、と、ぼくは思っています。
みなさん秋山さんを評価しましょう、それは真実を尊ぶ心であり未来への希望です。
今の日本に欠けていてそして、いちばん必要なものだと思います。
そういう心が日本人のひとりひとりに芽生えたなら、この不況を克服する日も遠くは
なくなるでしょう、逆に言えば、真実を大切にしなければ希望も生まれずに、いつまでも
闇はつづくでしょう。
ぼくは「真実と自由は、光であり、希望であり、命である 」と思っています。
真実よりも、附和雷同して偽りの安穏を求めることによってしか、生きられない
日本人が多すぎます。
パスカルは“廻りの人の心の中の自分を良く見せようとして人は禽獣に成り果てる”
と真の自由を語ってます
きっと真実にどうしたら近づけるかは、わかっているかもしれません。
ただその道は険しくて辛い道です。
しかし急がば廻れ、の諺のように、真実への道は、希望を通って平安へと続く、
唯一の道です。
遠くの太陽より手元のロウソクの方が熱いでしょう、けど太陽は表面温度約6000度、
中心温度1540万Kという生命を育んだ熱さで、ぼくたちを見守ってくれてます。
ロウソクは風が吹けば消えてしまうでしょう
勇気をもって希望と真実、平安へ至る道を歩き始めましょう、ひとりじゃ淋しい
かもしれないけどネットでつながって、励まし合って生きて行きましょう、
地球を救うタイムリミットはもうぎりぎりなのですから。
<以下、ご参考のために、秋山豊寛さんをご紹介します。>
秋山豊寛(あきやまとよひろ)さん
性別:男 国名:日本 生年月日:1942(昭和17)年6月22日
所属機関:元・TBS(東京放送)
搭乗ロケット,衛星,宇宙ステーション,
参加した宇宙計画:A-2,ソユーズTM-11,ソユーズTM-10,ミール
解説:秋山豊寛さんは1966(昭和41)年に国際基督教大学を卒業し
TBS(東京放送)に入社、ロンドン駐在ワシントン支局長、
外信部デスクなどを務めました。
1989(平成元)年3月、TBSはソ連宇宙総局による商業ベースの
日本人宇宙飛行士搭乗に関する正式調印をおこないましたが、この時、
宇宙特派員を社内から募集し、秋山豊寛さんが最終候補として選ばれました、
(もう一人は菊地涼子さん)同年10月から、秋山さんはモスクワ郊外の
宇宙飛行士訓練センターで訓練を受け1990年12月2日ソ連の宇宙飛行士2人と
ともにソユーズ衛星TM−11に乗って宇宙に飛び立ちました。
日本人として初めての宇宙飛行士になったのです。
「これ本番ですか?」という第一声は、ソユーズ衛星が地球周回軌道を
回り始めた時のものです。
秋山さんはまた、世界で初めて宇宙に飛んだジャーナリストともなりました。
TM−11が宇宙ステーションのミールとドッキングして乗り組み、ステーション内の
日常生活をみずから経験し、じかに取材することができたのです。
ミール内では、秋山さん自身が被験者となった睡眠実験などさまざまな試みが
なされました。
そして12月10日、先にミールとドッキングしていたソユーズ衛星TM−10で
帰還しています。
全部で9日間の飛行でした。
飛行後はTBS報道局次長となり、その後、国際ニュースセンター長を
兼務しました。
1995年末にTBSを退職、現在は福島県で農業をいとなみ、無農薬栽培や
シイタケの栽培を実践しています。
そのかたわら、宇宙での体験、食糧、環境問題を語る講演活動、
執筆活動をおこなっています。
1.同じロケット、衛星に乗った宇宙飛行士はいるの?
ソユーズ衛星TM−11には、ソ連空軍所属の宇宙飛行士
、ビクトル・アファナシェフ船長、ムサ・マナロフ機関士が同乗し、
ともに宇宙ステーションのミールに乗り組みました。マナロフはそのままミールに残り、
のべ541日31分の宇宙滞在最長記録を達成しています。
この時、ミールにはすでに、ソユーズTM−10でやってきたゲンナジー・マナコフ船長と
ゲンナジー・ストレカロフ機関士が乗り組んでいました。秋山さんが地球に帰る時は、
そのソユーズTM−10による単独飛行でした。
2.宇宙でどのようなことをおこない、どんなことに成功しているの?
秋山さんは、日本人で初めての宇宙飛行士となりました。これは、日本人の
民間人として初めての宇宙飛行という意味もあります。
またジャーナリストとして世界で初めての宇宙飛行を経験し、自ら宇宙ステーション
(ミール)の内部を直接取材することができました。
ミールでは、ニホンアマガエルの生態観察、秋山さん自身が被験者となった
宇宙睡眠実験がおこなわれました。
また、ミールに乗り組んでいたほかのソ連人のクルー(乗組員)との交流や、
多くの宇宙飛行士が悩まされてきた強烈な「宇宙酔い」をレポートするなど、
ステーション内の様子をジャーナリストの視点から、テレビ、ラジオ中継することが
できました。秋山さんが、移り変わる地球の様子やミール内部を撮影したスチール写真
やビデオ映像は、貴重な資料として活用されています。
3.どれくらいの時間、宇宙を飛んでいるの?
ソユーズ衛星TM−11で宇宙に向かい、宇宙ステーションのミールに滞在、そして
ソユーズ衛星TM−10で地球に帰るまで9日間(144周)の宇宙飛行となりました。
4.宇宙飛行士に関する書籍の紹介
「宇宙特派9日間」、「宇宙よ」、「有人宇宙基地・ミール」
※参考文献:秋山豊寛「宇宙特派9日間」小学館、秋山豊寛+菊地涼子
「こちら宇宙特派員!」毎日新聞社
立花隆/秋山豊寛「宇宙よ」文藝春秋、秋山豊寛/
和田久士「日本人宇宙飛行士公式写真記録集」小学館