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5-8.自由と権力について



(1999.11.08)

 最近神奈川県警内部での組織的な犯罪の隠蔽工作が、検察の摘発を受けました。
この事は、実は文化人類学的に、とても根が深い問題なので、日本もアメリカみたいに
なってしまったか、、だけの問題ではないということをぜひ、お伝えしたくて、
このページを作りました。

 まず心配なことは、神奈川県警だけかな、と思わずにはいられないことです。
日本人の習性として、誰かがしていれば、自分もしていいんだ。
そんな国民性を思うと、これは日本全体の問題ととらえた方がよいと思います。

<ここで一番にお伝えしたいのは、個人の自由と、権力の関係です。>

たいていの方は、個人の自由と、権力とは、相反するものだと、お考えになっているのでは
ないでしょうか?
権力は、過去の歴史を見ても、個人の自由を疎外してきたと、思っていらっしゃるのでは、
ないでしょうか?

 実は違うのです。
今、日本に一般的な個人の自由があるのは(既に無いとお考えの方もいると思います)
権力がしっかり有るからなんです。
過去の歴史を見ても諸外国を見ても、よく分析すれば明白なことなのですが、教科書
などには、どこにも書いてないと思います。

 ソ連が崩壊したのは、なぜでしょうか?
 国家権力が、民衆を統制できなくなったからです。
権力の強さに見合った、支配地域に縮小したのが、ロシア共和国です。
支配地域から離れた地域は、どうなったでしょうか??
ニュースでご存知のように、内戦という権力の奪い合いになってしまいましたね。

 これは、世界のどこでも、いつの時代でも、共通して言えることです。
 権力があるから、平和が保たれて、結果的に、個人の自由が可能になってくるのです。

 何かで縛らなければ、人間は自分の利益を優先し、敵対する者たちは、殺戮まで
してしまうのですね。
人間は性悪説が当たっているのかな、と、心配な、悲しい気持ちになりますが、
これは事実であり、現実です。

 さて、日本のことに戻りますが、日本の国家権力の最大のものは、警察です。
その警察が腐敗していた、という事実は、単なる、ある組織の問題では、すまされない
ものがあります。

 つまり自由を守る為には、今お話ししたように権力が必要ですが、権力が必要だとは
意外に思われる程、微妙なバランスが、端的に言えば、正義が最優先されなければ、
権力はたちまち、民衆の弾圧に変わります。

 官僚や警察など、国家権力が好んで使う言葉に(ぼくの大嫌いな言葉ですが、)
社会的地位、があります。
一庶民の要望より、社会的地位の高い人の意見、要望が、はるかに優先されます。
あるいは保護と言ってもいいと思います。誰を優先して、保護するか、ということです。
しかしこれは不平をいうまでもなく当然のことです、なぜなら彼らは国家権力を擁護するのが
責務でその国家権力は社会的地位が高い人ほど国家そのものであり、そのものに
近いからです。

 しかし、日本の国家権力が、またそれを擁護している力の主要なものである警察権力が
腐敗してきたことは、今後、国民は慎重に監視していかなければ、日本にあったはずの自由が
いつのまにか、無くなってしまう危険性があります。

 東洋文明特有の、ディスクロージャ(情報開示)がほとんど無く、また、国民も
仕方ないと、簡単に権力に従う国民性、民族性が、この問題の将来を考える時、
とても不安になります。

 欧米、特にアメリカは、日本よりひどいかもしれません。
しかし正義や自由を求める、守る、為にはすばらしい程の、強い個人の力があります、
また個人は団結して、さらに強い力となります。
そしてそれが新しい権力を持ち、新しい時代を作っていきます。

 失敗や不正もありますが、その繰り返しが、自由への希求であり、自由への
唯一の道です。

 つまり、腐敗に対する、自浄作用がある、と言えます。
 一方、東洋文明、東洋国家、特に日本は、それが全くと言っていいほど、
ありません。
日本の歴史を見ても、国民が自らの手で、自由を勝ち取った、ということは皆無です。

 明治に至るまで、庶民は名も無き農奴でした。明治になれたのは、黒船等による
外国の圧力があったからでした。
形ばかりの民主主義ができても、セルフコントロールは機能しなかったので、財閥など
一部の権力者の思うままに、いくつもの戦争がありました。
やっと本物の民主主義が日本にもたらされたのも、皮肉なことに太平洋戦争に負け、
アメリカによって、平和憲法や多くの民主主義が植え付けて、もたらされましたが、
それも時間とともに、形骸化して、今日に至っています。

 太平洋戦争後の日本を作ったのは、マッカーサー司令官を始めとする
GHQ( General Headquarters )でした。
残念なことは、当時、ソ連との確執が残っていたので、日本の共産化を恐れたあまり、
国民の力を抑制したものになってしまったことです、例えば、企業別労働組合などです。
(このことは別のページで詳細に触れています)

 もっとも、どんなに立派な規則を作っても、それを遵守して、予測できなかった時代の
変化に正しく対応をしていくことが出来なければ、どんなに完璧な規則も意味がなくなる
のは、時間の問題です。

 今、日本人ひとりひとりが、大きな選択をせまられているのです。
真の自由、正義が、なにであるかを把握してそれを守ることです。

 最初に戻りますが、警察という国家権力を擁護している組織の腐敗は、日本の民主主義の
根源にかかわる重大な問題なのです。
ぜひ推移をみつめ、日本の進路に、戦争など、悲劇が再発しなよう、何をすべきか、
考え実行する必要があるのです。


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