第30回鑑賞ツアー「白沙村荘まるごと鑑賞ツアー」
 


参加者の感想
── 村上 京子 ──

10月2日の白沙村荘の鑑賞ツアー当日は 暑くもなく寒くもなく、しっとりした 秋風が爽やかで、風情満喫の一日でした。
銀閣寺の近くに、あんな趣のある場所があるなんて知りませんでした。
個人のお屋敷の一部公開とか。よく維持できているものだと感心しました。
灯籠や池や橋、そして木や草花、みごとな庭園でした。
今回、同行して下さった、庭園の専門家の田村さんと哲学者の卵の高内さんの おかげで、一層実のある鑑賞会となりました。
田村さんは専門家だけあって、説明が解りやすくて、色々教えていただけました。 少しだけ賢くなりました。
それに、入ってはいけない場所、触ってはいけないものをきちんと言っていただいたのも、 良かったです。
ついつい周りの優しさに、傍若無人になってしまいがちなので、教えていただいて ありがたく思いました。
お二人と会話しながらの庭園巡りは、時間があっという間に過ぎて、本当に楽しかったです。
帰りの電車で、なんと豊かな日だったかと胸が熱くなりました。
視覚障害者となった時から 美術館や庭園などを巡り見ることは、 もう無理だと思っていました。
アクセスビューの鑑賞会には、諦めていた世界がありました。
ありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
この会がいつまでも続きますように…

── 石田 光枝 ──

〜 一羽のかもめ、雪の下 〜

 きんもくせいが町のあちこちで香る、10月の日曜日。私は鑑賞ツアーの会場「白沙村荘(はくさそんそう)」へと自転車で向かいながら、初参加した8月のツアーを思い返していました。
 ・・・・・モホイ=ナジ展(京都国立近代美術館)。抽象的なリトグラフ作品の前で、小さく浮かぶ赤い四角形が印象的に見えることを私が話すと、全盲のSさんは言いました。
 「明りとりの窓のようですね。」
 Sさんは幼い時期までは見えていたので、生まれ育った家に、明りとりの窓があったのを記憶しているそうです。Sさんの言葉から、陽の光の温もりあるイメージが呼び覚まされ、自分と作品との距離が、ふっと近くなった気がしました。
 会話から生まれる印象のゆらぎや深まり。そんな体験を、また味わえるかな・・・。
 今回は、見えるMさんと私、そして縁あって再びSさんと3人でグループを組み、白沙村荘を回ることになりました。ここは哲学の道のほど近く。明治末から昭和にかけて活躍した日本画家、橋本関雪(かんせつ)が創り上げた広大な邸宅で、今は記念館となっています。
 庭園の中央、関雪のアトリエだった存古楼(ぞんころう)に、「生々流転」と題する屏風の大作がありました。一面の海原、そして岩に群がるかもめと、宙を舞う一羽のかもめ。どこの海かしら、 関雪の故郷、神戸の海かしら、と私たちの会話が始まります。「一羽で飛んでいるかもめは、故郷から飛び立つ関雪かも」と新しいイメージを投げかけるSさん。そばで聞いていらした、関雪のひ孫にあたる橋本眞次さん(副館長)は、「群れのかもめは画壇、一羽のかもめは関雪とも見えてきますね」とさらにイメージを広げて下さいました。
 言葉を交わしながら観ると、心と頭がほぐれていきます。その「おしゃべり」は、見えない者・見える者とで、新たな作品を合作しているような感覚も生み出していく。少なくとも見える私にはそう感じられ、新鮮でした。
 ツアーも終わり頃、庭園の片隅に「雪の下」を見つけました。Sさんは、まだ見えていた幼い頃、地面にぺったりと座り込み、雪の下などの草花を、じいっと、いつまでも、飽きずに眺めている女の子だったそうです。おかげでよく服を汚して怒られたとか。微笑ましいというより、全身全霊で草花に見入る少女の真剣さと純粋さに、何か胸を衝かれます。
 全身全霊で見る、ということは、世界を感じ取るということ。このとき、視覚はツールのひとつであっても、すべてではない気がします。とすれば視覚を失っても、深く見るという感覚は、Sさんの中にずっと生き続けているのではないか・・・。
 関雪ワールドを満喫した帰り道、自転車をこぎながら、思いました。私も日々の生活の中で、見るということ、感じるということを、もっとていねいに味わい、深めていきたい、と。

「白沙村荘まるごと鑑賞ツアー」 報告のページへ

 ページトップに戻る


ツアー感想メニューへ

目次ページに戻る