伊東静雄「反響」
わが家はいよいよ小さし


    夏の終り


                  ま
 月の出にはまだ間があるらしかつた
           いくへ
 海上には幾重にもくらい雲があつた
 
 そして雲のないところどころはしろく光つてみえた
 

 
 そこでは風と波とがはげしく揉み合つてゐた
 
 それは風が無性に波をおひ立ててゐるとも
           からだ
 また波が身體を風にぶつつけてゐるとも思へた
 

             か み
 掛茶屋のお内儀は疲れてゐるらしかつた
 
 その顏はま向きにくらい海をながめ入つてゐたが
        ぼん
 それは呆やり牀几にすわつてゐるのだつた
 

 
 同じやうに永い間わたしも呆やりすわつてゐた
 
 わたしは疲れてゐるわけではなかつた
 
 海に向つてしかし心はさうあるよりほかはなかつた
 

 
 そんなことは皆どうでもよいのだつた
                   しづ
 ただ壯大なものが徐かに傾いてゐるのであつた
 
 そしてときどき吹きつける砂が脚に痛かつた




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