北原白秋
「邪宗門」より 解纜 かいらん たいせん 解纜す、大船あまた。―― ひぜん ここ肥前長崎港のただなかは いうあん うな にぶ 長雨ぞらの幽闇に海づら鈍み、 もんもん ほばしら 悶悶と檣けぶるたたずまひ、 てんま 鎖のむせび、帆のうなり、伝馬のさけび、 お らんせん くろんぼ あるいはまた阿蘭船なる黒奴が もろ がらす 気も狂ほしき諸ごゑに、硝子切る音、 あ あ さやぎ うち湿り――嗚呼午前七時――ひとしきり、芝居ぬ騒擾 解纜す、大船あまた。 にちぼ とけつ あかあかと日暮の街に吐血して あへ せきれう 落日喘ぐ寂寥に鐘鳴りわたり、 いんいん 陰陰と、灰色重き曇日を 死を告げ知らすせはしさに、響は絶えず てんしゆ あんたん ふたならび 天主より。――闇澹として二列、 かいは おえつ う き 海波の嗚咽、赤の浮標、なかに黄ばめる ぎやく おそれ 帆は瘧に――嗚呼午前七時――わなわなとはためく恐怖。 解纜す、大船あまた。―― わうはつ ばてれん しんと そうらう 黄髪の伴天連信徒蹌踉と あんけつどう はりき 闇穴道を磔負ひ駆られゆくごと くやみ うなりつぎつぎ 生きぬる悔の唸順順に、 くろけぶり 流るる血しほ黒煙動揺しつつ、 いんど なんばん ろーま め ど 印度、はた、南蛮、羅馬、目的はあれ、 よ み ただ生涯の船がかり、いづれは黄泉へ 消えゆくや――嗚呼午前七時――鬱憂の心の海に。 |
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