北原白秋
 

「思ひ出」より

  
 恐怖




 
 乳母なれどわれは恐れき。
                       さ ぐ
 夜も昼も『和子よ。』と欷歔り、
 
 『骨だちぬ。』われを『死なば。』と、
 
 母よりも激しき愛に、
  だきし
 抱擁めつ。――『かなし。』とばかり。
 

 
 乳母なれど、せちに恐れき。
 しふちやく   いまは  せつな
 執着よ、臨終の刹那、
        おい  まなこ
 涙なき老の眼は、
 
 母よりも激しき愛に
  われ
 我みつめ――青く白みき。
 

 
 乳母なれど、いまも恐れぬ。
  うたがひ
 疑問に悲しみ乱れ、
              な よ     な
 わが泣けば馴寄り水如し、
   あ こ     あ
 『吾子よ、吾ぞ。』(夜は二時ならし。)
   な
 『汝が母。』と――青き顔しぬ。



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