大手拓次
『藍色の蟇』

球形の鬼

  
  名も知らない女へ


 
 名も知らない女よ、
 
 おまへの眼にはやさしい媚がとがつてゐる、
 
 そして その瞳は小魚のやうにはねてゐる、
 
 おまへのやはらかな頬は
                            すみか
 ふつくりとして色とにほひの住処、
 
 おまへのからだはすんなりとして
 
 手はいきもののやうにうごめく。
 
 名もしらない女よ、
 
 おまへのわけた髪の毛は
 
 うすぐらく、なやましく、
 
 ゆふべの鐘のねのやうにわたしの心にまつはる。
 
 「ねえおつかさん、
 
 あたし足がかつたるくつてしやうがないわ」
 
 わたしはまだそのこゑをおぼえてゐる。
 
 うつくしい うつくしい名もしらない女よ