萩原朔太郎
『月に吠える』より

  
  かなしい遠景


 
かなしい薄暮になれば、
 
勞働者にて東京市中が滿員なり、
                        ヽ ヽ
それらの憔悴した帽子のかげが、
 ま ち
市街中いちめんにひろがり、
 
あつちの市區でも、こつちの市區でも、
 
堅い地面を掘つくりかへす、
 
掘り出して見るならば、
 
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
 
重さ五匁ほどもある、
 
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ。
 
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
 
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
 
なやましい薄暮のかげで、
                   ヽ ヽ ヽ ヽ
しなびきつた心臓がしやべるを光らしてゐる。