萩原朔太郎
『月に吠える』より

  
  春の實體


 
かずかぎりもしれぬ蟲けらの卵にて、
 
春がみつちりとふくれてしまつた、
 
げにげに眺めみわたせば、
 
どこもかしこもこの類の卵にてぎつちりだ。
 
桜のはなをみてあれば、
 
桜のはなにもこの卵いちめんに透いてみえ、
 
やなぎの枝にも、もちろんなり、
 
たとへば蛾蝶のごときものさへ、
 
そのうすき羽は卵にてかたちづくられ、
 
それがあのやうに、ぴかぴかぴかぴか光るのだ。
      め
ああ、瞳にもみえざる、
 
このかすかな卵のかたちは楕円形にして、
 
それがいたるところに押しあひへしあひ、
 
空氣中いつぱいにひろがり、
               ヽ ヽ ヽ ヽ
ふくらみきつたごむまりのやうに固くなつてゐるのだ、
 
よくよく指のさきでつついてみたまへ、
 
春といふものの實體がおよそこのへんにある。