萩原朔太郎
『月に吠える』より

  
  戀を戀する人


                   ヽ ヽ
わたしはくちびるにべにをぬつて、
 
あたらしい白樺の幹に接吻した、
 
よしんば私が美男であらうとも、
               ヽ ヽ ヽ ヽ
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
                    ヽ ヽ
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
 
わたしはしなびきつた薄命男だ、
 
ああ、なんといふいぢらしい男だ、
 
けふのかぐはしい初夏の野原で、
 
きらきらする木立の中で、
 
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
       ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた、
 
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、
                  ヽ ヽ
かうしてひつそりとしなをつくりながら、
 
わたしは娘たちのするやうに、
 
こころもちくびをかしげて、
 
あたらしい白樺の幹に接吻した、
 
くちびるにばらいろのべにをぬつて、
 
まつしろの高い樹木にすがりついた。