夏目漱石

『夢十夜』(新潮文庫「文鳥・夢十夜」より 平成9年6月30日 47版)
 
 第一夜 第二夜 第三夜 第四夜 第五夜 
 第六夜 第七夜 第八夜 第九夜 第十夜 

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ひとりごと
 詩でも随筆でも短歌でも俳句でもない「小品」なのですが、『夢十夜』は私が一番最初に読んだ漱石の作品だったせいか、強烈に脳裏にインプットされてしまいました。この後に『坊っちゃん』や『我が輩は猫である』を読んだのですが、その時の違和感たるや、筆舌にはつくしがたいものにありました。いまだに『こゝろ』や『虞美人草』は読めても『坊っちゃん』を面白いとは思えないのは、たぶんにそのためだと思います。
 『夢十夜』は、漱石が見た夢を忠実に書きとめたものではないでしょう。けれど、「夢」という実体の無いものを表現しようとして書かれたこの連作には、読むほどに不安定で、滑稽なものですら、どこか夢から覚めた時と同じような、かすかな恐怖感と不安感をかき立てられます。それは、最も幻想的で美しい「第一夜」でさえも、例外なく感じられる事ではないでしょうか。
 その不安感と重苦しさゆえに、好きだけれど嫌い、それが『夢十夜』に対する、私の正直な感想です。


夏目漱石 (なつめ・そうせき)[1867〜1916] について
  • 明治・大正期の小説家、英文学者。東京出身。本名金之助。東大英文科卒。大学予備門時代に正岡子規と親交を結び俳句をつくる。 大学卒業後、1895年、松山中学教諭、熊本第五高等学校教授を経て、1900年(明治33)に文部省の命でイギリスに留学。1903年(明治36)に帰国後は東京帝国大学英文科の講師として英文学を講義。1905年(明治38)に雑誌「ホトトギス」に発表した「吾輩は猫である」により作家として出発、その後「坊っちゃん」「草枕」などを発表して作家としての名声をえた。
  • 1907年(明治40)に教壇を退き、東京朝日新聞に入社、作家活動に専念するようになる。「虞美人草」「三四郎」「それから「門」などを同紙に発表し作家としての地位を確立した。1910年(明治43)、胃潰瘍の悪化から生と死の境をさまよった「修善寺の大患」を体験以後、「彼岸過迄」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」などでエゴイズムの問題を追求した。最晩年の心境として、「則天去私」の言葉が有名である。
  • 漱石の文学活動はあらゆる分野におよび、講演録や評論、随筆、俳句や漢詩の作も多く、小宮豊隆、鈴木三重吉、寺田寅彦、芥川竜之介らの門下生をそだてた功績も大きい。余裕派・高踏派と称され、森鴎外とならんで日本近代文学の最高峰をきずいたと評される。


『夢十夜』について
  • 『夢十夜』は、夏目漱石が専属作家格で入社した朝日新聞のために書かれた小品で、東西両「朝日新聞」に1908年(明治41)7月25日〜8月12日まで掲載され、1910年(明治43)5月、春陽堂刊の小品集「四篇」に収録された。
  • 戦後、伊藤整や荒正人などによって「第三夜」が、漱石の原罪意識のありかを示すものとして取り上げられて以来、この連作は漱石の無意識に秘められた願望や不安、恐怖などを対象化した作品として論じられる事が多い。
  • ちなみに「小品」というジャンルは、折にふれて、日常のちょっとした事柄を短くまとめて、写生風に書いた文章のことを言い、特に、明治末〜大正初年、雑誌の投書文芸などで流行した、百字前後の小散文や短文などを指して使われる事が多い。短編小説と随筆の中間のようなものと言う事もできる。

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