寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 大正九年の七月に、カイゼル・ウィルヘルムの第六王子ヨアヒム
  
が自殺をした。
              たま
 ピストルの弾が右肺を貫き、心臓をかすっていた。
  
 一度自覚を回復したが、とうとう助からなかった。
  きさき
 妃との離婚問題もあったが、その前から精神に異状があったそう
  
である。
  
 王子の採った自殺の方法が科学的にはなはだ幼稚なものだと思わ
  
れた。
  
 なんだかドイツらしくないという気がした。
  
 しかし、……心臓をねらうかわりに、脳を撃つか、あるいは適切
  
な薬品を選んだ場合を想像してみると、王子に対するわれわれの感
  
情にはだいぶんの違いがある。
  
 やっぱり心臓を選ばなければならなかったであろう。
  
(大正十年五月、渋柿)


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