寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
  曙町より(四)

                       つきじ
 二日の日曜の午後に築地の左翼劇場を見に行った。
 
 だいぶ暑い日であった。
                                                しょくば
 間違えて、労働者切符の売り場へ行ったら「職場」のかたですか、
 
と聞かれたが、なんのことかわからないで、ぼんやりしながら、九
 
十銭耳をそろえて並べたら、「どうかすみませんがあちらでお求め
 
を願います」とたいへんに親切丁寧に教えてくれた。
              ていげき
 資本主義の帝劇や歌舞伎座のいばった切符嬢とはたいした相違で
 
うれしかった。
 
 入場してまず眼についたのは、カーテンの下のほうに「松屋」と
 
いう縫い取りの文字で、これが少し不思議に思われた。
 
 観客はたいてい若い人が多く、旧式ないわゆる小市民の家庭のお
 
嬢さんらしい女学生も、下町ふうな江戸前のおとなしい娘さんたち
 
もいるのが特に目についた。
 
 中年の、もっともらしいおばさんたちもぼつぼつ見えた。
 
 男の中には、学生も多いが、中にはどうも刑事かと思うようなの
 
もいた。
 
 みんな平気で上着を鋭いでいるのは、これもなんとなく愉快であ
 
った。
                                                        そ
 いわゆるナッパ服を着て、頭を光らせ、もみ上げを剃り上げた、
 
眼の鋭い若者が二人来て隣に腰かけた。
                         やす
 それがニチャニチャと止みなしにチューインガムを噛んでいる。
 
 アメリカ式チユーインガムを尊崇することと、ロシア式イデオロ
 
ギー噛んで喜ぶこととは、全く縁のないことでもないかと思われた。
 
 それから三、四列前の腰掛けに、中年のインテリ奥様とでも言わ
 
れそうなのが二人、それはまた二人おそろいでキャラメルらしいも
 
の――噛み方でわかる――を噛んでいるのが、ちょっとおもしろい
 
対照をなしていた。
 
 イデオロギーに砂糖がはいっているのである。
               おそれやまこうざん
 芝居(?)「恐山鉱山」を少し見てから降参して出てしまった。
 
 恐ろしいものである。
 
 今度会った時に話しましょう。
 
(昭和六年九月、渋柿)


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