島崎藤村

「若菜集」より


  
 別離


 
      人妻をしたへる男の山に登り其
      女の家を望み見てうたへるうた


たれ          たびびと
誰かとゞめん旅人の
       くもま
あすは雲間に隠るゝを
 
誰か聞くらん旅人の
 
あすは別れと告げましを
 

きよ        かた  がひ
清き恋とや片し貝
 
われのみものを思ふより
             にご
恋はあふれて濁るとも
 
君に涙をかけましを
 

ひとづま
人妻恋ふる悲しさを
 
君がなさけに知りもせば
               つみびと
せめてはわれを罪人と
 
呼びたまふこそうれしけれ
 

               う
あやめもしらぬ憂しや身は
              ひとや
くるしきこひの牢獄より
     しもと
罪の鞭責をのがれいで
 
こひて死なんと思ふなり
 

たれ
誰かは花をたづねざる
 
誰かはいろに迷はざる
 
誰かは前にさける見て
     つ
花を摘まんと思はざる
 

 
恋の花にも戯るゝ
ねたみ
嫉妬の蝶の身ぞつらき
       はね
二つの羽もをれ/\て
つばさ
翼の色はあせにけり
 

 
人の命を春の夜の
 
夢といふこそうれしけれ
 
夢よりもいやいや深き
 
われに思ひのあるものを
 

 
梅の花さくころほひは
 
蓮さかばやと思ひわび
 
蓮の花さくころほひは
 
萩さかばやと思ふかな
 

 
持つまも早く秋はきて
 
わが踏む道に萩さけど
 
濁りて持てる吾恋は
    うらみ
清き怨となりにけり



BACK戻る 次へNEXT
[島崎藤村] [文車目次]