島崎藤村

(角川文庫「島崎藤村詩集」より  1999年1月25日発行 初版)
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『若菜集』より

序 一
序 二
おふえ
おきぬ
おさよ
おくめ
おつた
おきく
明 星
草 枕
潮 音
春の歌
新 暁
若 水
春の歌
佐保姫
春の曲
酔 歌
二つの声
白 壁
四つの袖
高 楼
母を葬るのうた
かもめ
流 星
昼の夢
秋のうた
初 恋
狐のわざ
相想
一得一失
傘のうち
えにし
知るや君
秋風の歌
雲のゆくへ
逃げ水
月 光
別 離
望 郷
松島瑞巌寺に遊び葡萄栗鼠の木彫を観て
深林の逍遥
『落梅集』より

小諸なる古城のほとり
労働雑詠
  其一 朝
  其二 昼
  其三 暮
壮年の歌
  其一 埋木
  其二 告別
  其三 佯狂
  其四 草枕
  其五 幻境
  其六 邂逅
黄昏
緑陰

胸より胸に
  其一 めぐり逢ふ君やいくたび
  其二 あゝさなり君のごとくに
  其三 思より思をたどり
  其四 吾恋は河辺に生ひて
  其五 吾胸の底のこゝろには
  其六 君こそは遠音に響く
椰子の実
千曲川旅情の歌

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ひとりごと
 島崎藤村の『若菜集』が明治時代の青年男女の心を捕らえ理由の一つは、大胆に、みずみずしく、恋の心を歌い上げた所にあったと言われています。そして、その情感を託すために新しく作られた、ヨーロッパなどから入ってきた詩をもとにして、新たに作り出された詩型第一人者が藤村であったと言えるでしょう。
 《遂に、新しき詩歌の時は来りぬ。そはうつくしき曙のごとくなりき》そう高らかに宣言された藤村の詩は、すでにその使命を終えた枯れた詩かもしれません。それでも、叙情的で軟らかなリズムの言葉は、確かな穏やかさに充ちています。


島崎藤村について
  • 明治〜昭和期の詩人・小説家。本名春樹。
  • 1872年(明治5)に長野県、旧中山道馬籠(まごめ)宿にある旧家に生まれる。1881年(明治14)に上京、91年明治学院を卒業。同校在学中にキリスト教の洗礼をうけた。1893年には、北村透谷らによる「文学界」の創刊に参加。当初は、劇詩を書いたが、やがて明治時代の代表的浪漫詩集「若菜集」(1897)を刊行、新体詩人としての名声を高めた。以後、「一葉舟(ひとはぶね)」(1898)、「夏草」(1898)、「落梅集」(1901)の3詩集を世におくりだした。
  • 1899年に教師として信州の小諸義塾に赴任した頃から散文を志すようになり、のちに「千曲川のスケッチ」(1912)としてまとめられる写生文を書いている。同時に小説執筆にもとりかかり、被差別部落出身の主人公、瀬川丑松(うしまつ)の苦悩と告白をえがいた「破戒」を1906年に自費出版し、最初の本格的な自然主義の小説として激賞され、作家としての地位を確立した。その後自伝的な小説「春」(1908)「家」(1910〜11)「新生」(1918〜19)「嵐」(1926)などを発表。また、幕末維新期の歴史と木曽の自然を背景にしながら、父正樹をモデルにした大作「夜明け前」(1929〜35)を完成させた。さらに「東方の門」(1943)の連載をはじめるが、未完のまま1943年(昭和18)脳溢血で死去した。


『若菜集』  明治30年(1897)刊行の処女詩集。「文学界」に発表した、恋愛詩など51編を収録。多く七五調を用い、日常語を詩語として近代的、主我的感情を歌い、明治浪漫主義の最初の芸術的開花として大きな影響力をもった。
『落梅集』  明治34年(1901)刊行。第4詩集。藤村の最後の詩集である。

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