中原中也「在りし日の歌」


   
  冬の夜


 
 みなさん今夜は静かです
  やくわん
 薬鑵の音がしてゐます
 
 僕は女を想つてる
 
 僕には女がないのです
 

 
 それで苦労もないのです
 
 えもいはれない弾力の
 
 空気のやうな空想に
 
 女を描いてみてゐるのです
 

 
 えもいはれない弾力の
      わた           しじま
 澄み亙つたる夜の沈黙
 
 薬鑵の音を聞きながら
 
 女を夢みてゐるのです
 

            ふ
 かくて夜は更け夜は深まつて
 
 犬のみ覚めたる冬の夜は
 
 影と煙草と僕と犬
 
 えもいはれないカクテールです
 

 
    2
 

 
 空気よりよいものはないのです
 
 それも寒い夜の室内の空気よりもよいものはないのです
 
 煙よりよいものはないのです
 
 煙より 愉快なものもないのです
 
 やがてはそれがお分りなのです
 
 同感なさる時が 来るのです
 

 
 空気よりよいものはないのです
                  と し ま
 寒い夜の痩せた年増女の手のやうな
 
 その手の弾力のやうな やはらかい またかたい
 
 かたいやうな その手の弾力のやうな
 
 煙のやうな その女の情熱のやうな
  も
 炎えるやうな 消えるやうな
 

 
 冬の夜の室内の 空気よりよいものはないのです