中原中也「在りし日の歌」


   
  秋日狂乱


 
 僕にはもはや何もないのだ
 
 僕は空手空拳だ
 
 おまけにそれを嘆きもしない
 
 僕はいよいよの無一物だ
 

 
 それにしても今日は好いお天気で
 
 さつきから沢山の飛行機が飛んでゐる
       ヨーロッパ
 ――欧羅巴は戦争を起すのか起さないのか
 
 誰がそんなこと分るものか
 

 
 今日はほんとに好いお天気で
 
 空の青も涙にうるんでゐる
 
 ポプラがヒラヒラヒラヒラしてゐて
           せんこく
 子供等は先刻昇天した
 

 
 もはや地上には日向ぼつこをしてゐる
 
 月給取の妻君とデーデー屋さん以外にゐない
 
 デーデー屋さんの叩く鼓の音が
 
 明るい廃墟を唯独りで讃美し廻つてゐる
 

 
 あゝ、誰か来て僕を助けて呉れ
 
 ヂオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが
 
 けふびは雀も啼いてはをらぬ
                                      あは
 地上に落ちた物影でさへ、はや余りに淡い!
 

                                  ど こ   い
 ――さるにても田舎のお嬢さんは何処に去つたか
           おしばな
 その紫の押花はもうにじまないのか
 
 草の上には陽は照らぬのか
 
 昇天の幻想だにもはやないのか?
 

 
 僕は何を云つてゐるのか
  い か           かす
 如何なる錯乱に掠められてゐるのか
 
 蝶々はどつちへとんでいつたか
 
 今は春でなくて、秋であつたか
 

 
 ではあゝ、濃いシロップでも飲まう
 
 冷たくして、太いストローで飲まう
 
 とろとろと、脇見もしないで飲まう
 
 何にも、何にも、求めまい!……