中原中也「山羊の歌」


    
   更くる夜
   
  内海誓一郎に



                ふ
毎晩々々、夜が更けると、近所の湯屋の
 
  水汲む音がきこえます。
 
流された残り湯が湯気となつて立ち、
 
  昔ながらの真つ黒い武蔵野の夜です。
            たちこ
おつとり霧も立罩めて
 
  その上に月が明るみます、
 
と、犬の遠吠がします。
                 ゐ ろ り
その頃です、僕が囲炉裏の前で、
 
  あえかな夢をみますのは。
 
随分……今では損はれてはゐるものの
 
  今でもやさしい心があつて、
                   しづ
こんな晩ではそれが徐かに呟きだすのを、
 
  感謝にみちて聴きいるのです、
 
感謝にみちて聴きいるのです。