上田敏「海潮音」
よくみるゆめ ポオル・ヴェルレエヌ
あ なつ 常によく見る夢ながら、奇やし、懐かし、身にぞ染む。 ひと ひと 曾ても知らぬ女なれど、思はれ、思ふかの女よ。 ことな 夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、異りて、 こころね また異らぬおもひびと、わが心根や悟りてし。 ひと わが心根を悟りてしかの女の眼に胸のうち、 ああ かのひと ないしよう 噫、彼女にのみ内証の秘めたる事ぞなかりける。 ひたひ 蒼ざめ顔のわが額、しとゞの汗を拭ひ去り、 すべ 涼しくなさむ術あるは、玉の涙のかのひとよ。 あかげ 栗色髪のひとなるか、赤髪のひとか、金髪か、 ほそね 名をだに知らね、唯思ふ朗ら細音のうまし名は、 と よびな うつせみの世を疾く去りし昔の人の呼名かと。 まなざし たくみ ゑ つくづく見入る眼差は、匠が彫りし像の眼か、 おちゐ おんじよう すず 澄みて、離れて、落居たる其 音声の清しさに、 むごん 無言の声の懐かしき恋しき節の鳴り響く。 |
BACK
NEXT [上田敏] [文車目次] |