上田敏「海潮音」

  おそれ
 畏怖

エミイル・ヴェルハアレン




      むか         おそれ
 北に面へるわが畏怖の原の上に、
        おきな  かぐらづき  かく
 牧羊の翁、神楽月、角を吹く。
         ひつじごや
 物憂き羊小舎のかどに、すぐだちて、
  まがつび
 災殃のごと、死の羊群を誘ふ。
 

     かた   くい                 こ や
 きし方の悔をもて築きたる此小舎は
                           くに
 かぎりもなき、わが憂愁の邦に在りて、
                 めぐさ
 ゆく水のながれ薄荷ガマズミにおほはれ、
                         くもで   よど
 いざよひの波も重きか、蜘手に澱む。
 

                 すみぞめ
 肩に赤十字ある墨染の小羊よ、
                   ながさを
 色もの凄き羊群も長棹の鞭に
  うた
 撻れて帰る、たづたづし、罪のねりあし。
 

  はやて
 疾風に歌ふ牧羊の翁、神楽月よ、
         かしらかす
 今、わが頭掠めし稲妻の光に
     ゆふべ
 この夕おどろおどろしきわが命かな。



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