上田敏「海潮音」
たそがれ 黄昏 ジォルジュ・ロオデンバッハ
しめ あかり ま しめ 夕暮がたの蕭やかさ、燈火無き室の蕭やかさ。 どき かはたれ刻は蕭やかに、物静かなる死の如く、 おぼろおぼろ 朧々 の物影のやをら浸み入り広ごるに、 うすあかり まづ天井の薄明、光は消えて日も暮れぬ。 ほほゑみ 物静かなる死の如く、微笑作るかはたれに、 わかれ てぶり 曇れる鏡よく見れば、別の手振うれたくも おもかげ しめ すべ う けはひ わが 俤 は蕭やかに辷り失せなむ気色にて、 いろあを け 影薄れゆき、色蒼み、絶えなむとして消つべきか。 か あぶらゑ おぼろ さ 壁に掲けたる油画に、あるは朧に色褪めし、 かく おもひで 框をはめたる追憶の、そこはかとなく留まれる づ さんすい 人の記憶の図の上に心の国の山水や、 筆にゑがける風景の黒き雪かと降り積る。 しめ 夕暮がたの蕭やかさ。あまりに物のねびたれば、 おと いと き かせ 沈める音の絃の器に、枷をかけたる思にて、 むごん たど こひ ふたり まなざし 無言を辿る恋なかの深き二人の眼差も、 もうせん からくさ から よ ゆめごこち 花毛氈の唐草に絡みて縒ゝ夢心地。 おもむ ひかりかぐ しめ いと徐ろに日の光陰ろひてゆく蕭やかさ。 あやめ ああ 文目もおぼろ、蕭やかに、噫、蕭やかに、つくねんと、 しじま さと むかひゐ こう 沈黙の郷の偶座は一つの香にふた色の にほひまじ 匂交れる思にて、心は一つ、えこそ語らね。 |
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